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2013/01/23
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石原慎太郎現象2

石原慎太郎と裕次郎兄弟の父親は山下汽船の重役で、逗子に引っ越してから、子供にヨットを買い与えるほどの余裕のある中産階級の生活だったと聞くと二人はさぞかしいいとこのお坊ちゃんというイメージが湧くが、ではどうしてそういういいとこの坊ちゃんである、特に次男の裕次郎が乱暴で喧嘩ずきの性格、高校時代は不良少年だったというのはひとつのわからなさであった。
佐野真一氏の本でこのことがかなりわかった。
佐野氏はおそらくそれを探りたくてこの本の取材を始めたのであろう。

佐野氏の取材は徹底していて、四国、中国、九州、北海道にわたって聞き知った人物はもれなく聞き歩き、200人以上の関係者に取材している。今は外国になった元樺太にまでわたり、北の端の敷香までおんぼろタクシーを走らせているのには驚いた。
というのは兄弟のルーツである父の石原潔がどういう人間だったかを探る旅なのである。

石原潔は大正3年、14歳の時に山下汽船に船童、つまり小僧で中学中退で入社し、昭和26年、51歳で死ぬまで勤めている。90キロを超す巨漢で頑固、豪儀、磊落、部下をかわいがる親分肌、といった典型的な明治のタイプであったらしい。この人物が山下汽船でどういう仕事をしていたかを生存者の同僚、上司、関係者をくまなく取材しているが、その前に山下汽船なる会社はそもそもどういう会社だったかから始めている。
日本の大手の汽船会社は外国航路をもつ日本郵船と大阪商船が大きいが、山下汽船はいわば貨物専門の社外船、チャーター船だった。しかし、保有船舶に比して運航距離がおどろくほど大きく、もうけにもうけたのは、経営者の辣腕で回転をめまぐるしくスピードアップしたからだという。創業者の山下亀三郎は大変な太っ腹で、毎晩のように社員を一流料亭に集めては、神戸中の芸者をあつめてどんちゃんさわぎ、いくら金を使っても減らないという豪語したほどの人物で日本の近代の夜明けの時代の象徴のひとつだった。

中堅社員になった潔はカッとなって大胆無謀な行動をしたため、クビになるところを亀三郎がその短慮を愛したが故にそうならずにすみ、罰として小樽支店にとばして、樺太の材木を山から伐採させて内地にピストン輸送する仕事をさせた。このような荒仕事は荒れくれ者たちをしごいて使わねばならず、やわな人間ではできない。潔はこれを見事にこなして汚名をそそぎ、小樽の支店長になった。このころから潔の生活水準はあがり、慎太郎裕次郎兄弟は瀟洒な家に住み、お坊ちゃん風に育てられ、ハイカラな幼稚園に通う。やがて昭和18年に逗子に転勤することになる。

潔には前妻があり、その間に男子が生まれている。佐野氏が訪ねていくと慎太郎そっくりの人物が出てきたという。慎太郎はこの異母兄弟を従兄弟と呼んでいる。
慎太郎裕次郎の母は二度目の妻で、大阪の出身、高等女学校を出た当時としては都会的なインテリ女性であった。このインテリ性が慎太郎につながるのではないかと思う(続く)。





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Last updated  2013/01/23 11:18:46 AM


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