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最近よく外出するようになって、非常に気になりだしたことがある。車内の座席に座って前方の座席に座っている人たちを眺めているいと、2人に1人くらいはiPhoneやスマホをいじっている。若い人たちは電車に乗るとすぐケイタイやスマホを取り出す。彼らがいったいケイタイやスマホで何を見ているのかをときどきチラチラと盗み見したが、だいたいの人はいろいろ場面を指でスクロールしてあれこれ楽しんで車内のいっときの無聊をなぐさめているようである。したがって大多数の人にとってはスマホはおもちゃであり、クイズ、エンタメである。情報を収集したり読んでいるというのと違う。もちろん一部のインテリはちがうが・・。20年前には車内で新聞をよむ人がいたが、今はほとんどいない。あの大きな紙は広げることが不可能だ。女性たちは一生懸命文庫本を読んでおり、やがて文化や教養は女性に移ると言われた時代があった。しかし、今は、男女とも本を読んでいる人をほとんど見ない。アメリカでは大型のキンドルやiPhoneをつかって新聞や本をよむ主婦が多いときくが、日本の主婦で名作小説などを検索して読んでいる人がいるだろうか。
私が到達した結論は、日本人を含む儒教系アジア人は、知を深くきわめ、教養を高めることを重視し、そのためには煩をいとわず、せっせと勤勉努力して、知の本質ははストックにあるとする伝統がある。「少年老いやすく学成りがたし」。
一方西欧人の思想は、とくにアングロサクソンは、知は万人の万人に対する闘争の手段であり、変化や改革を志向することに意義を置く。東洋人と西欧人は知の摂取の仕方に大きな違いがあるのである。
ところが最近の日本人は東洋人の勤勉に知を求める習慣が薄れてきているのではないかと危惧する。そうとう欧米化してきた。つまりグローバル化してきた。そうなると西欧思想に対抗するという東洋思想の精神や筋力がなくなり、それが日本人を弱くしてしまうのではないか。西欧人化するということは西欧人の亜流になり、やがてあらゆることにおいて向こうに負けてしまうことになる。そんなことはありませんよ、と日本人の優秀性をやたらに強調する声があるが、私はまだそういう事実を実感するにいたっていない。
スマホとかiPhoneによって日本人はその便利さに使われてしまい、本を読まなくなり、卑近なことにしか関心を持たなくなり、やたらに小学生レベルのクイズ雑誌やテレビ番組がはやることになる。団塊の世代までがもっている東洋的な伝統はやがて若い人たちが気づかないかぎり消えていくのではないか。