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弱い政府・強い民衆の国といえば、中国を指す。一方、強い政府、弱い民衆の国は日本である。中国は1840年にイギリスとアヘン戦争を戦って敗れ、フランスとの戦争ではインドシナの宗主権を奪われ、日清戦争では敗れて台湾を取られ、満州はロシアに犯され続けるなど、国が余りにも弱いため、連戦連敗し、外国の侵略に食われ続けてきた。先進列国は工業化が発達し、武器弾薬に優れ、中国は到底武力ではかなわなかった。国家は四分五裂して統一政府ができず、国内闘争を繰り返していて、外国と戦う力がなかった。
こういう時に外国とどうして戦ったかというと、学生や商人、農民などの民衆が外国の商品の不買運動を起こして打撃を与えた。1931年、日本が満州事変をおこしてほぼ、東三省と蒙彊地域を制圧して、日本人が経営する満州国をつくったとき、これはあきらかな領土侵害であり、通常なら中国は宣戦布告を行う戦争状態であるから、中国は国際連盟に提訴した。当時の国際連盟は加盟国の間で紛争が起こった時は調停して紛争を解決する協約ができており、この場合、他の加盟国は紛争している加盟国に圧力を加えるために大使館を引き揚げ、貿易停止などで制圧することが決められていたが、中国は日本と宣戦布告状態になると、満州以外を含む全面戦争となり、そうなると到底勝てる見込みがないから、宣戦布告は行えず、「満州事変」と称していた。1937年に蘆口橋事件が起きて日中戦争が始まったときも、戦争状態であるにもかかわらず、宣戦布告は行わず、両国で「シナ事変」と言っていた。中国がいちばんおそれたのは、日本と戦争に入ると、海岸線を封鎖され、中国の友好国からの物資や武器などが入らなくなり、中国経済が壊滅状態におちいるからであった。国連加盟国の大半は中国に同情し、日本の侵略を抑制しようとしたが、中国軍の抗戦力があまりにも弱く連戦連敗するので、次第に同情心が薄れ、閑却するようになった。
中国政府の武力抵抗が弱い一方で、抗戦力を発揮したのは、日本商品不買運動や日本企業に対する妨害行為であり、日本は国連にこの不当性を訴え、戦争の原因になっていったが、国際連盟は、政府が弱すぎる場合に、民衆が侵略国と戦う手段として不買運動は国民の権利として正当性があるとした。
中国では、このような時代が長く続いたため、民衆の力が強くなり、政府に脅威を与える存在になった。今の政府は昔より遙かに強くなったが、それでも民衆のデモが広がることを異常に恐れている。もし内乱状態になれば、国内は大混乱し、世界経済にあたえる影響ははかりしれないから、政府はそれを恐れている。
一方、日本の政府は伝統的に強く、民衆は弱い。これは日本が島国のため、反政府勢力ができても追い詰められると逃げ場がなくなるからである。したがって日本の民衆は常に政府に順応するしかない。もしこういう状態から逃れるとすれば、民衆自身が考え出すしかない。