障害者の気持ち


 中指と薬指は『開放骨折』。骨が外に出た状態だった。
 加工しようとして材料を回っている刃物に当てがい、本当ならローラーと云う機械で送るべきところを、急いでいた事、数が少なかった事を理由に、ローラーを使わず自分の左手で材料を押したのだ。20cm長さの材料の中ほどまで進んだその時、刃物の回転に耐え切れず材料が一気に押し戻され、その弾みで私の左手は高速で回転していた18mm幅のカッターと云う刃物に触れた。
 怪我をした左手を右手で握り込み、夫の運転する軽四で病院に向かった。
 傷は深く、擦り傷のような痛みは全くなかった。いや、気が動転していたので、痛みさえ気づかなかったのかもしれない。処置室で握りこんだ右手を開き、傷口を洗浄してもらった。綺麗に洗浄された患部を見て、妙に冷静に「やってしまった・・・。」と感じたのを覚えている。
 労災に掛けるため、患部の写真を撮り、手術までの応急の包帯を巻いてもらった。幸い傷は手のひら側まで達しておらず、太い神経と血管は無傷であったので、切断は免れた。だが、薬指の二つある関節のうち付け根の方の関節は、殆どそぎ落とされているので、傷は完治しても、薬指は曲がる事はないだろうと言われた。それでも、とりあえず、指の長さを保てるのなら良いと思った。中指の先は壊滅状態だった。原形を留めていなかった。
 手術後、はじめてのガーゼ交換のとき、爪が生えてくるかどうかは保証できないといわれたが、左右に割れた爪でも、とりあえず生えたので今はとても助かっている。と云うのも、爪のない指先で物を持つのはひどく応えるものなのだ。爪が生えてくるまでの間は、持った物がじかに骨に当っているような感じだった。

 二ヵ月半の入院生活を終え、家庭に戻った時、当時二歳だった息子は私と寝る、といって横になっても、寝付けずおばあちゃんの所へ降りていった。二ヵ月半のブランクは、幼いあの子にとって大きなものだったのだろうと、不憫に思い、又、その間忙しい目をしながら、家庭を切り盛りしてくれた儀母には、言葉に表せないほどの感謝で一杯だった。

 今、指が曲がらなくなった事で悲しいのは、包丁で千切りなどする時、いわゆる「猫の手」ができない事だ。この指さえ曲がれば、流暢に!?包丁を操れるのに、と思うが、下手である言い訳にもなるので、少し重宝している。
 他に言えば、今娘が習っている「ヴァイオリン」が弾けない(弦を押さえられない)、木管楽器が演奏できない(キーを押さえられない)、小銭が指の隙間から落ちる等等、不便で悲しいと思うことは多々あるが、その代わりに寄り道をせず、仕事に打ち込める喜びも感じることが出来る。

 「善きに悟りて 喜びを得よ」  母に教わった言葉である。

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