人間になったgorilla

2006.02.27
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今朝の新聞でしたのような記事がでてました。
「弁護士なし・独学の旭川国保訴訟、1日に最高裁判決」
北海道旭川市の無職杉尾正明さん(70)が、国民健康保険料の徴収方法を不服として起こした行政訴訟で1日に最高裁の判決が下るというものでした。

弁護士も立てず独学で最高裁まで言ったことはすごいことだと感じます。
ただ現在の日本の裁判制度を考えると、時間がかかりすぎだと思いませんか?

この裁判でも、訴訟をおこしたのは1995年、最高裁の判決まで10年もかかっています。他の民事裁判でも10年以上かかっている裁判も少なくありません。

少しでも早く結審ができるように裁判官の数を増やすため、数年前から司法試験への関門を低くするようになっていますが、なかなか即効性がなく試験に通っても、裁判官にならず、弁護士になれば意味がなくなる。

そこで日本でも陪審員制度をとの声が上がり、今度日本でも裁判員制度が平成21年よりスタートします。

裁判員制度パンフレット


まず陪審員制度では圧倒的に裁判のスピードが速くなります。なぜなら、例えばアメリカの陪審員は裁判の間は、家に帰ることができず、外の世界から隔離されます(裁判中の内容を外に漏らさないため、判断がゆがまないため)そのため、早く裁判を終わらせないと陪審員が家に帰れなくなるためスピードが早くなります。
そのため陪審員制度や裁判員制度のように民間人が裁判にかかわる場合はスピードが速くなることが考えられます。

但しゴリラが考えるには、この裁判員制度には問題があると思う、今回の制度では陪審員制度のように陪審員のみで判決をきめるのではなく、裁判官と協議を行い判決を考えることになっています。ただ問題なのは、日本の法制度では

「無罪」「有罪」

を決めることになっていることです。

アメリカでは 「有罪」か「有罪でないか」

を決めることになっています。
同じ様に聞こえますが、前提条件においてまったく違います。
無罪とは読んで字の如し、罪はないと言うことです。
つまり容疑者がその犯罪を 「したか」「しなかったか」 が問題となります。

有罪でないとは、検察側が有罪を「 立証できたか」「立証できなかったか」


つまり通常陪審員制度ではそこが問題だと思います、実際その犯罪をやっていたか、やっていないかなんて判別することはできません。

ただ容疑者がその犯罪を犯したことを検察側がきちんと証明できることが重要なのです。
だからアメリカ等では、子供のころから推定無罪(疑わしきは罰せず)の精神をきちんと教育してあります。

日本では「疑わしきは犯罪者」との風潮があるような気がします。この辺は三谷幸喜監督の「12人の優しい日本人」を見れば、確かに日本人とはこういう風に考えるよなと思います。

その映画の中のせりふでもありますが、本当に犯罪をやっているか、いないかは誰にもわからないのです。あとは本当に犯罪を犯したかを立証できるかできないか、が大事であり、「疑わしきは罰せず」の精神がきちんと頭に入っていることが重要なのです。


よく考えてください。もちろんこのブログを見ている人が何年後かにもしかしたら容疑者になるかもしれません。
その時いに「疑わしくきは犯罪者」精神の人間に判断されたいですか?

当然その人は犯罪を犯してなくても怪しいだけで、つかまったたどうします?

だから日本政府、法務省にはもう少し啓蒙活動をしっかりして欲しいし、それ以前に今の自在に無罪だ有罪だなんて言っている国は少ないんじゃない。
はっきり言って法治国家として恥ずかしい。

だからゴリラは、少なからず法律をかじったことのある動物として、法務省とかに掛け合って変えていこうと思ってます。






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最終更新日  2006.02.27 16:42:53
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