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コロナも、もう3年。ここらで勘弁してほしいですね。2023年が素晴らしい年になりますように、そして新たな戦前には絶対しないように。
2023年01月01日
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とにかくNHKの朝ドラがひどいことになってます。twitterでもほぼ毎日#ちむどんどん反省会ってハッシュタグがトレンドに登場する始末。ドラマが好きな人もイマイチ関心ない人もいるから、感想もいろいろあって良いんだけど、これに関してはほぼ99%が批判的っていうのも、なんだかなぁ。民放ならとっくに放送中止になってるレベルだ。朝ドラなんて半分以上は時計代わりに見るもんだから、視聴率なんてのもあてにはならんのだけど、やっぱり歴代のドラマに比べても低いらしい。前のドラマも地理上の位置関係がめちゃくちゃだったけど、それはまぁ京都が舞台のドラマのお約束ってことで。そういえば脚本書いてるのは京都が舞台の映画パッチギの脚本家らしいんだけど。まずもって沖縄の主人公一家の描かれ方がひどい。借金しまくっても返す気がない。たまに返したら借金を借金で返してるだけ。それでも周りの人は子供たちに就職とか縁談とかで応援するんだけど、ことごとく恩をあだで返して就職先はバックレるし、縁談はぶち壊すし。母親は、アンタたちは悪くないからねって甘やかすだけ。沖縄はこんな人間ばっかりかなと誤解する人が出てきても不思議じゃないくらいのひどいドラマだけど、一部では沖縄は全国一NHKと契約してる所帯の割合が少ないので、その報復に沖縄をディスるドラマを制作したと言われてるらしい。案外当たってるのかもね。そういえば、昔、ほらふきドンドンってマンガがあったような。ジョージ秋山だったかな?アレに比べるのもジョージ秋山に失礼だな。
2022年07月05日
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一般紙にも小さく載ってたけど、1950年代から60年代にかけて活躍したカトリーヌ・スパークが現地時間の4月17日にローマの病院で亡くなったとのこと。77歳だった。映画は見たことないけど、「若草の恋」って曲で覚えてる。オイラがポップス聞き出した64年の初めころに流行ってたような。フランス生まれで、イタリアで活躍したけど、親戚にはベルギーの首相になった人もいたという。 謹んでご冥福を
2022年04月24日
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年が明けたと思ったら、もう1月も中旬になってしまいました。歳が行くとますます月日の経つのを早く感じるようになってきますね。一昨年よりも去年、去年よりも今年と一層スピードアップしてるみたいな。今年は2回目の「五黄の寅」の年ですが、これがあっという間に3回目が来そうな気が・・・108歳か今年の運勢はあまり良くないみたいですが、西洋占星術では12年に1度の幸運な年だそうです。で、それを信じて過ごしますね。
2022年01月12日
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2021年も終了ということになりました。来年は寅年、それも36年に一度の五黄の寅年です。つまり、ボクも満36歳になるわけです干支が一回りするのを還暦と言いますが、九星とえとの組み合わせが一回りするのはなんて言いうのかなぁ?来年から団塊の世代がいよいよ後期高齢者になるんだそうです。まぁ、考えんでも1年経てばみんな平等に一つ歳をとるんだから、そんなことは75年前から分かってたはずですがね。そういう簡単なことを先送りし続けた結果が少子高齢化ってことになるわけで、日本の政治家というの目先の事しか考えてなかった当然の結果ですね。まぁ、それはさておき日本の高度成長期をけん引してきたというか、謳歌してきたというか、ある意味日本の国力と体力が比例してた象徴みたいな団塊の世代も本格的にリタイアの時期が来たのですね。これからは気楽に隠居暮らしと行きたいところですが、そうは問屋が卸さないようなというわけで、来年もよろしく。
2021年12月31日
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コロナ騒動が終わらないまま12月になってしまいました。今年は太平洋戦争が始まって80年になるんだそうです。8月と12月になると思い出したように戦争の話が新聞などで取り上げられますが、今年はなおさらかな。しかし、開戦から80年ということは当時10歳だった人でも90歳になってしまうわけで、ましてや実戦経験者となると存命中の方も少なくなってますね。僕らの若いころには軍隊経験者も珍しくなくて、いろいろな体験談を聞く機会もありました。一番面白かったのは、戦争中にいじめられた上官に戦後、偶然町中で出会ってボコボコにしてやったという話かな?こういう戦争体験?を聞く機会も今の若い人にはないんですね。
2021年12月04日
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今年も半分終わってしまいました。コロナで見通しは不明だし、外出もままならない憂鬱な日々が続いてますね。高齢者になってからこういうことが起こると、それこそ残り少ない日々がむなしく過ぎてしまうだけで悲しくなりますね。まぁ、自粛しろ8時までには家に帰れなんて言いながら、オリンピックは深夜まで開催するという、いったい何を考えてるのか訳わかめの状態ですので、居酒屋がしまってたら路上のみする若い人の気持ちも分からんでもないですね。僕も若かったらやると思いますし、もし、居酒屋経営してたりなんかしたら夜中の1時2時まで店開けてたでしょう。たぶん。というわけで、まぁ、なんとか生きておりますので。
2021年07月02日
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またひとつ歳を取ったっていうか、数え年ならそうなるんだが、そう考えると数え年ってのもなかなか良いような気がするな。もう、だんだん衰えて来てるのが感じられるようになって来たなぁ。去年までは感じなかった関節の痛みとかね。とりあえず、コロナには感染しないように気を付けて、ぼちぼちやっていくしかないな。おおっと、新年のあいさつ忘れてるがな。耄碌して来たなぁ皆様新年おめでとうございます。
2021年01月01日
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月日の経つのは早いもので、この前デモに行ってから50年経ってしまいました。うつぼ公園から難波までの至って平和なデモでした。最後に高島屋の横あたりでジグったら、そのうちにだんだん視野が狭くなってきて、もうちょっとで失神するんじゃないかと思ったくらい。帰りの電車が冷房効き過ぎてて、風邪ひきました。
2020年06月23日
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ソーシャルディスタンス(正確にはソーシャルディスタンシング)って言葉聞いて思い出したのがPFスローンの「孤独の世界」From A DistanceB面の「明日なき世界」Eve of Destruction にならなきゃいいが。
2020年05月17日
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京都は寺町二条上ルの三月書房といえば、知る人ぞ知る(だから、知らない人は知らない)本屋なんですが、5月で閉店になるんだそうです。閉店の理由は店主の高齢化と後継者がいないことだそうですが、本屋のオヤジと言えば年寄り向けの職業というか、爺さんが居眠りしながら店番してるなんてのがぴったりのなんじゃないかと思うんですけどね。よくよく見れば店主の年齢が70歳って同い歳やん!学生時代はたまに行ったけど、奥のほうに毛糸の帽子かぶった初代店主の爺さんがいて、カウンターには2代目店主が座ってました。廃業を決めた店主はその頃、R大文学部に行ってたらしい。まぁ、これも時代なのかなぁhttps://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/163660
2020年02月29日
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中学2年も終わりに近づき高校受験を意識し出したのがこの頃ですね。前年(1963)の暮に父親がビクターのHIFIステレオを買ってくれました。あまり勉強しない息子に、これ買ってやるからちゃんと勉強しろよってことで奮発して買ってくれたのかな。始めは舟木一夫とか三田明の歌謡曲のレコードも買いましたが、何となく英語の歌がかっこいいなぁと思ってる時に「9500万人のポピュラーリクエスト」というラジオ番組があることを知りました。2月ごろ大ヒットしてたのがワーナー映画のスター、トロイ・ドナヒューの恋のパーム・スプリングスでしたね。
2020年02月19日
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と言うほどのたいそうなもんでもないのですが、1964年(東京オリンピックがあった年です)と2020年はカレンダーの並びが同じなんだそうです。つまり、1月31日は64年も今年も金曜日だったってことですね。まぁ、これは穴沢ジョージ兄さんの受け売りですがt-matsu9679さんからも、年に1回じゃなくて月に1回くらい書いたらどうだって言われましたんで、1964年の月ごとのヒット曲でもUPしておこうかなと思います。曲についてはあまり詳しくないので、書くこともないのですが1964年の1月にヒットしてたのが、ヴィレッジストンパーズの「ワシントン広場の夜は更けて」ですね。買いに行ったら売り切れってこともありまして、2,3件ハシゴしてやっと手に入れました。バンジョーという楽器があることを知ったのもこの曲でかな?
2020年01月31日
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2019年もあと1日となりました。最近は月日の経つのが一層早く感じられるようになってしまいました。去年は久しぶりで東京へ行ったんですが、今年のことのような感じがします。これからもっと早く感じるようになるんだろうかなぁ。世間の変化についていけませんね。64歳になったときはBeatlesのWhen I'm Sixty Four超えてしまったと思ったけど、いよいよ来年は「古来稀な人」の仲間入り。数え年ならもう古希になってるんですけど、昔は数え年だった競走馬も今は満年齢使うようになったから、良いんじゃね。
2019年12月30日
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先日、久しぶりでJR嵯峨野線の電車に乗る機会がありました。円町駅を出てしばらく行くと、このあたりで自殺した高野悦子さんのことを思い出しました。当時の山陰線には円町の駅もなく、時には蒸気機関車が走ることもある単線でした。思い出したといっても生前の彼女を知ってたわけではありませんが。亡くなった時、彼女は立命館大学文学部日本史学科の3回生でした。立命館には1年後に入学したのですが、金閣寺に近い衣笠キャンパスで、当初はサークルにも入ってなかったので、文学部のあった広小路キャンパスへ行くこともほとんどありませんでした。のちになってシァンクレールも六曜社も行きましたが、彼女が行ってた時期より後になりますので、すれ違うこともありませんでした。彼女の存在を知ったのは、亡くなってから2年位後に地元栃木の文芸誌「那須文学」に遺稿が掲載され、それが関西の一部書店で販売されていたのを友人が買ってきまして、それを借りて読んでからです。それからしばらくして、遺稿集「二十歳の原点」が上梓されて、ベストセラーになります。学生運動との関わりの中で亡くなった人の遺稿集はそれ以前にもありました。高野さんがこれらの人と決定的に違うのは、遺稿集が出るまでほとんど無名の存在だったことです。生前の高野さんは当時としてはごくありふれた、政治にも関心がある女子学生でした。そのことが、逆に多くの人から受け入れられ、今に至るまで語り伝えられる存在になったのでしょう。今年は自殺から50年目の節目の年です。彼女と同じ時代の空気の中で生きた学生も、今ではほとんどが70代。オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックをくぐりぬけて、リタイアした人がほとんどで、中には亡くなった人も少なからずいたでしょう。あと、30年もすれば、それらの世代の人もほとんどがこの世から去ってしまいますが、彼女は時を超えて語り継がれる存在なのかもしれません。
2019年06月24日
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毎年恒例?の年末日記です。生存証明とも言いますが久しぶりで学生時代の友人と会いました。社会に出たらオイルショックとか、バブルとかいろいろありました。55歳で定年を迎えて、後は年金で悠々自適で過ごしてるはずでしたが、そうはイカのキンタマでした2019年、いわゆる団塊の世代は古希を過ぎることになります。思えば遠くへ来たもんだって感じですね。でも、まだまだ、遠くまで行くんだ!
2018年12月31日
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2017年も残り1日となってしまいました。なにやらきな臭さが漂ってきてる感じですが、来年は平穏でなくてもいいけど、平和であって欲しいと思います。良い年になりますように、いや、良い年にしなければいけませんね!
2017年12月31日
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2017年はどんな年になるんでしょうか?都合の悪い真実よりも耳障りの良い嘘を聞きたがる人が増えてるように感じますね?世界的にそういう時代なんでしょうかね?なんとか、良い方向に持っていけないのかな?
2017年01月02日
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これが1週間ならロッテ歌のアルバムですけども、って知ってる人は少ないか。玉置弘の名調子で始まってましたね。その前はダイマル・ラケット=ダイラケのスチャラカ社員でしたかね。緋牡丹博徒の矢野竜子でおなじみ藤純子(現 富司純子)のデビュー作でした。てなぐあいで、いきなり大昔の話からスタートしましたが、blogもたまに更新しないと生存が危ぶまれるんで、書きます。今年はまぁむちゃくちゃな政治が幅を利かせた年でしたね。来年もこの傾向は続くのでしょうか。このまま来年の参議院選挙まで行っちゃうと、そこから先のことは考えるだに恐ろしいんで書けません。そうならないように、祈るだけじゃ駄目ですね。なんかの行動を起こさなければ。なに、選挙に行くことだって立派な行動ですからね。明るい未来を子や孫に残すのが、われわれの残り少ない仕事ですぜ!
2015年12月30日
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あと1日で今年も終わります。この歳になると、若い頃からのファンだったアーチストの訃報に接する機会が増えてくるのが悲しいですね。高倉健、菅原文太、ジョニー大倉、ピート・シガー、ジャック・ブルース、そのほか多すぎて書ききれません。中で不思議なのが「やしきたかじん」の死を巡るというか、遺産にまつわるというか、ライターも1枚噛んでる未亡人と遺族との問題。格好の週刊誌・ワイドショーネタなのに新聞社系週刊誌以外は何処も取り上げないという摩訶不思議さよ。
2014年12月30日
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今年もあまり書けないのかも。とりあえず元気にしておりますので。
2013年12月31日
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今年もよろしくお願いします。年数回の生存報告みたいなblogになってますね。とりあえず元気ですので。
2013年01月01日
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今年2回目のblogでございます。ってことは半年に1回の割合か。夢子姐さんもジョージ兄さんも最近書いてないし、今も続けてるのは 幻泉館 主人さんと takanebiranjiさんくらいになってしまったのかな。オイラは思い出したときだけ
2012年12月29日
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2012年も7日目になりました。まだいわゆる「松の内」ということなんで、遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げておきます。新年そうそう楽天からはとんでもないお年玉がよこされるとか。足跡がなくなるのもさみしいですけど、メッセージやBBS機能もなくなると、プライベートな情報交換などできなくなるんで、そっちの方が問題かと思います。とくにメアドを交換してない人とは困ったとこになりそうです。大急ぎでG-Mailかなにかのアカウント取って、blogつながりの人にメッセでお知らせしておこうかな。
2012年01月07日
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twitterでプーチン市長とメドベージェフ知事誕生だってツィートを見たが、なかなか言いえてたね。今一番思うのは、大阪に住んでなくてヨカタ!
2011年11月28日
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中身も知らせないままに、バスに乗り遅れるなとTPPへの参加を煽ってる政府・マスゴミにNO!!。バスには行先も料金も表示されてない。わけのわからんところへ連れて行かれた挙句、法外な運賃を請求される可能性が大!
2011年10月16日
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重陽の節句は、旧暦では菊の咲く季節にあたることから菊の節句とも呼ばれています。来週の12日は中秋の名月にあたるそうでして、秋の深まりを感じさせますが、どっこい残暑も頑張りそうです。
2011年09月09日
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ひょっとして、なんて早合点される年代になってきましたんで、月1のうpくらいはしとかないとね。取りあえず以下の通り(笑)
2011年07月29日
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今年の前半は3月11日を境に大きく変わってしまいましたね。何よりもたくさんの方が亡くなられたことに胸が痛みます。そして、この期に及んで、まだ金儲けをたくらんでる現世の金の亡者どもの頭上にこそ、天罰が下ることを祈らずにはおれません。
2011年06月30日
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今日書き忘れたら月記にもならないところでした。5月は1年で最もさわやかな季節のはずなんですが、今年は梅雨入りは早いし、暑すぎたり涼しすぎたりで残念な気候になってしまいました。それでも放射能のことをあまり気にしなくても良いのだけが救いでしょうか。そう思ってるだけでこちらも結構汚染されてしまってるのかもしれません。知らぬが仏。知らぬ間に仏にされないように気をつけましょう。
2011年05月31日
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4月21日 昭和を代表するアイドルグループ、キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが乳がんのため亡くなられました。とうとうキャンディーズも伝説になってしまいました。謹んでご冥福をお祈りします合掌
2011年04月21日
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ようやく桜が満開になりました。桜を見て思うことも歳とともに変わります。若い頃は、春になれば桜が咲くのは当たり前のことだとしか思わなかった。桜を見ていろいろ思うようになったのは、つい最近のような気がするぞ。いつまでも見られるものじゃないと気付いたのもね。はらはらと散る桜の下で微笑んでた人のこと、桜の花は下向きに咲くと教えてくれた人のことも、この時期になると思い出す。桜の花をみると悲しくなるのは、それだけ長く生きてきたってことかな。あと、何十回の桜かな。
2011年04月09日
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あまり放置すると、ひょっとして、と思われる歳になってしまったんで、月1くらいでうpしておこう。じつは楽天以外にもアメブロ、mixi、twitterやfacebookにも書いたり書かなかったりやってますんで、暇とネタがないのですた。
2011年04月08日
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今日はボキの誕生日ですた。ボキと同じ日に生まれたカレンカーペンターは33回目の誕生日を目前にして逝ってしまいましたが、ボキはまだまだがんばってます。
2011年03月02日
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2月26日といえば、2・26事件があった日です。朝日の土曜版に「あん娘」のモデルは誰 という記事が載ってましたね。プカプカと西岡恭蔵のことでした。それにしても西岡が自死したのが1999年だったとは。もう12年も前のことなんですね。久しぶりで弾いてみようかな。プカプカ。俺のあん娘はタバコが好きで・・・あのころ、ボキもボキの「あん娘」もプカプカやってますた。今はどうしてるんだろうね。ボキは元気です。
2011年02月28日
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ついこの間、やれアラ還だ、とうとうド還だなんて書いてるうちに、気がつけばもうすぐアフ還になってしまうという五黄の寅です。人生の第4クォーターをぼちぼち歩いていきますので、これからもよろしくおながいしまつ。
2011年01月03日
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今年も残すところ20日ばかりになってしまいました。たぶんこれが今年最後の日記になりそうです。今年は還暦という大きな節目の年であったんですが、やっぱりこれくらいの年になってくると、あっちこっち傷みが出始めるのかも知れません。ボキの知り合いも穴沢ジョージ兄さんが病に臥せってしまわれたり、学生時代の知り合いの訃報が届いたりしました。さいわいボキには大きな故障はありませんでしたが、日々ポテンシャルは落ちていきますので、体のケアには気を配りたいと思います。では、みなさま良いお年をお迎えくださいますように。
2010年12月11日
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内閣支持率が一段と低下している。振り返ってみると内閣スタートの時はいわゆるご祝儀相場みたいなもんで、徐々に下がって行くのは良くあることだけど、民主党代表選挙のときは何もこれといったことやってないのに60%代に上昇した。それからことあるごとに下がってる支持率だけど、菅内閣がなにもやってないのは同じなんだけどな。あ、中国人船長釈放したな!。それだけ。
2010年11月12日
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小沢「事件」の検察審議決書の最後の部分でつが、これ読んで「申し開きは奉行所のお白州でしゃがれ」っていう時代劇の岡っ引のせりふ思い出しますた。ハッキリいって、これに納得できたらかなりのバカじゃね。「国民の責任において公正な刑事裁判で黒白をつけようとする制度である」って、国民に責任転嫁するなよ。オマイラ検審はどう責任取るんでつか。検察審査会の制度は,有罪の可能性があるのに,検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思つて起訴しないのは不当であり,国民は裁判所によつてほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである。そして,嫌疑不十分として検察官が起訴を躊躇した場合に,いわば国民の責任において,公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる。
2010年10月11日
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第二次菅内閣の閣僚が発表になりますた。マスコミでは脱小沢色が強いとのことでつ。自民党の石原幹事長が半ば呆れた感じで言ってましたが論功行賞と小沢外しが露骨杉でつね。最初奇兵隊内閣っていってますたが、これじゃ第七騎兵隊になりそう。リトルビッグホーンはどのあたかな。
2010年09月17日
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民主党の代表選挙やってますが、ボキは党員でもサポーターでもない部外者なんで、野次馬的興味を持って見るくらいしか出来ません。でも、結果で次の総理大臣が決るんですから、誰が勝つかによって大きな影響を受けるかもしれませんので、無関心ではおれません。不思議に思うのは、マスコミとネットの世論調査の違い。180度違いますね。それから、どっちかというと左派の菅総理より、元々が自民党で右派という感じの小沢元幹事長の方が右寄りの人々から叩かれてることかな。
2010年09月11日
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ブルーハワイの挿入歌 ロカフラベイビーエンディングはダウンタウンブギウギバンドがカッコマンブギで使ってました。
2010年08月17日
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プレスリーが死んで33年も経つんですね。
2010年08月16日
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2ヶ月くらい書くのをサボってますた。京都は祇園祭出もりあがってまつ。今日も駅で浴衣着た女の子をみかけますた。でも、夜に雨が降ったんで大変だったでしょう。ボキも行きたいのでつが、毎度のことでつけど祇園祭は天気と相談が必要でつね。
2010年07月14日
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5月13日から16日まで台湾に行って来ました。台北周辺だけですが、もちろん奥さんと二人でつのでね。食べ物が美味しいと聞いてましたが、ハズレはナシ。スクーターの多さにはビックリでつ。101ビルは天候不良で屋外に出られなくて残念ですた。
2010年05月21日
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先週末に小学校の同窓会があったんで出てきますた。集合時間にちょっと遅れて会場に着いたら記念撮影をするところ。滑り込みセーフ。赤いスィングトップで写りますた。ボキらの小学校は3クラス150名チョトで、当時としては小さな学校ですた。いまなら150人もいたらサイテーでも5クラスはあると思いまつ。出席者は47,8名と赤穂浪士の討ち入りなみの数でつ。ヤパリ昔の面影マータクない人と、見れば分かる人とに別れまつね。今回残念ダータのは当時の担任の先生が入院しててケーセキだったこと、それに初恋のT子チャソも欠席だった。2次会でカラオケに行ったんで久しぶりで歌ってきますた。やしきたかじんの「東京」 「銀恋」「思い出の渚」「六甲颪」人数が多いんでこれだけ。
2010年04月20日
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プロフィールの写真を変えました。張子の虎で有名な信貴山朝護孫子寺へ行ったときの写真です。前に立ってるのがボキでつ。週末の同窓会に向けて赤いスィングトップを購入。ドレスコードにチョト問題ありだが、シカトして着ていこう。
2010年04月14日
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めでたく還暦を迎えた記念に小学校の同窓会が開催されまつ。何を着て行こうかと考え中でつ。真っ赤なブレザーで決めたカータのでつが奥さんに却下されますた。赤い何かを着て行くことにしたいのでつが、何が良いかな?
2010年04月02日
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とうとうこの日がやってきますた。同じ日に生まれたカレン・カーペンターは33歳目前で逝っちゃいますたが、ボキはなんとかここまで生きてきますた。赤いブレザーをリクエストしたんですが、奥サソに却下されたので、せめて赤いボクサーブリーフで過ごしまつ。
2010年03月01日
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フィギュアスケートの真央チャソ残念ですたね。それにしてもキムヨナは強かった。採点方法を研究して演技構成を考えるという頭脳プレーの勝利といえるのかも。そうなれば、こっちもそれに対応した演技を考えなければなりませんが、もうひとつ簡単に勝つ方法を思い付きますた。それは採点基準を変えること。ジャンプの点数をもっと増やすのも手ですね。むかし、ノルディック複合で日本が強かった時、外国勢が考えたのは、日本人得意のジャンプの得点を下げるというルール変更でした。常に自分たちが有利なようにルールを変えるという発想は日本人には真似出来ませんが、外国じゃそういうのも当たり前みたいだ。
2010年02月27日
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