PR
Calendar
Comments
あならいざぁさんCategory
先日、1995.1.17のことをブログに書いてから、
このことを書こうか書くまいか悩んでいました。
でも人がしあわせに何気ない毎日を過ごすために、
普通にクリスマスを迎えることができるように、
胸に刻みつけておくべきことごとを、
ほんの少しでも伝えることができればと思い、
今日の日記を記すことにしました。
本当に私が受けた被害なんて、ほんのちょびっとで、
本当に大変な目に遭われた方、大切なひとを失った方からすれば、
お笑いもいいところなので、本当に恐縮です、ごめんなさい。
あの日の前夜、私は信州から会社の連中と行っていたスキーから帰ってきて、
そのまま疲れて2階の自室で電気もつけたまま、眠りこけてしまっていました。
兵庫県と大阪府との境にある、とある住宅街で。
5:46 ゴォーっという地鳴りが物凄いスピードでこっちに移動してくるのがわかりました。
ハッと目を見開いた瞬間、体が左右に大きく揺さぶられ、
天井の電灯も天井に打ち付けられ、傘がお腹の上に落ちてきました。
電気つけっぱなしで寝ていたので、全部見えていました。
何もできない、身動きがとれない。
ふとんを頭からかぶって、目をつむって、体を丸めるのがやっとでした。
"怖い、怖い、怖い、なんやねんもうやめてくれ・・・"
それが長かったのか、短かったのか、よくわかりませんが、とにかく揺れは収まりました。
ダダダッと階段を降り、両親の寝室に入りました。
父が倒れてくる机の天板を右手で支えて、左手をついて、体で母をかばっていました。(長円形のテーブルの天板と足を分離して、タンスと壁の間に立て掛けてありました)
その机を戻し、家族3人で無事を確かめ合うように車座になり肩を抱き合いました。
その時ちょうど余震があり、3人がお互いの肩をつかむ手にギュッと力が入りました。
もう一度2階に上がり、周囲に火事の発生がないかあたりを見回しましたが、案外静かで、夜明け時に鳥が鳴きながら飛んでいったのを見た記憶があります。
改めて部屋を見てみると、大きなダイヤトーンのスピーカー
(高さ1m以上、幅40cm強で結構重たい)が吹っ飛び、私の寝ていた枕のあたりに倒れていました。
体を丸めていなければ、間違いなく頭部を直撃していました。
幸いライフラインに損傷はなく、テレビを点けましたが、被害状況は
軽微なものが散発的に報道されるだけで、多少安心して私はまた眠ってしまいました。(後で確認したところ、実は敷地の半分が落ち込み、家の基礎が割れ、
家も真ん中でへし曲がる形になっていました)
ところが、次にテレビを見た時に映し出されていた映像を理解するのに、
しばらくの時間を要しました。
阪神高速道路が横倒しになっている映像です。
私が二度寝している間に、神戸や淡路島では大変なことが起こっていました。
次々に入る惨状、悲報、信じられない光景、そして遅々として進まない救助活動。
日を追うごとに絶望的な状況が伝えられ、私はいてもたってもいられない気持ちになりました。
五体満足な健康な男ができることは、被災地ではいくらでもあります。両親は私の危険を心配し反対しましたが、週末私は被災地に向かうことにしました。
週末の日帰りボランティアがどれだけ被災地のためになったのか、
苦労を分かち合うことができたのか、タカは知れていますが、
とにかく被災地に仕事は山積みで、私も精一杯動きました。
その活動の中で目にした光景・・・。
ペシャンコになった家に手向けられている花・・・、
声を掛けても、うつむいたまま無言で水の入ったポリタンクを運ぶ老婦・・・、
すべてを焼き払った後、なおくすぶるの火事の跡・・・、
そこにはおびただしい数の人の死と無念がありました。現実にすぐ目の前に広がっていました。
でもひと月ほどすると、避難所の自治組織は中高生が中心になって運営され、
避難所の運営が安定してくると、その周囲で自宅避難している家への
支援に移っていきました。
別に誰かに指示されたわけではなく、めいめいにやらなければならないことを
見つけ出して取り組んでいました。
ボランティアでやってくる大人たちに的確に指示を出していきます。
あくまで前向きに過酷な現実に向き合い、それでいてなお明るく、
いまだ絶望の底にいる人に優しく接し、"がんばろう"を合言葉に。
(綺麗事だけではなく、どうしようもない人々がいたことも事実ですが・・・)
少し横道にそれてしまいますが、当時この中高生たちの活動を見て本当に感動し、
頼もしく思いました。きっとこの中から将来 日本をリードする優れた政治家が現れてくるのでは
ないかと思いました。
この出来事を背景に、自身が被災し家を失い、町の復興に奔走し、
さらに60歳にしてプロゴルファーとなった古市忠夫氏のドキュメント小説
「ありがとう」が同タイトルで映画化され、上映されています。
(もうほとんど終わってしまっていますが)
http://www.arigato-movie.jp/ (←公式ホームページ)
先日本屋でこの小説を立ち読みして、不覚にも涙がこぼれでそうになりました。
震災や復興自体の描写は少なかったのですが、それがあくまで事実であること、
私が見た、感じたことと相まって、心が揺さぶられてしまいました。
ただの昨日まで、等しく当たり前の生活を、当たり前に過ごしていた人びとが、
ただの偶然で生死を分かち、無念にも死んでいった人がいて、生かされた人がいた。
生かされた人は、何をなすべきなのか、どう生きていくべきなのか。
あの頃、阪神地域にいた人びとの多くはそれぞれの身が置かれた状況で考えていたと思います。
少なくとも私自信の人生観を変えるには大きすぎる出来事でした。(前にも書きましたが、当時 私は人生をなめていました、少し逃げてもいました)
あと もうひとつ、今回でもう12回目を迎えた神戸の光のイベント「神戸ルミナリエ」
http://www.kobe-luminarie.jp/ (←公式ホームページ)
(今年はもう終わってしまいました)
この「ルミナリエ」は6千を越える震災の犠牲者の鎮魂のために1995年の12月に始まりました。その年の1月には灯りがなかった神戸に、これでもかというほどの圧力のある光の洪水。
みな その光に酔いしれ、災いに見舞われた1年を押す流すかのように見入っていました。
"がんばろう神戸"を合言葉にした、仰木監督率いるオリックス・ブルーウェーブの快進撃。
絶望の淵から、前向きに明るく、希望を捨てないで、しっかり生きてきたひとびと。
"がんばれ"じゃなく"がんばろう"、
みんな被災者だから私もがんばる、あなたもがんばる、だからみんなで"がんばろう・・・"。
そう言いながら、みんなで助け合っていた・・・。
あれからもうすぐ12年・・・。
良くなったのかな?悪くなったのかな?
街は復興し、とうの昔に あの内戦跡のような景色は消え、仮設住宅もなくなった。
でも本当はみんな当たり前の幸福を取り戻したんだろうか?
そんなことないですよね。
ただ各地で災害が起きると、そのたびにボランティアが集まり、救援物資の支援の手が差し伸べられるようになった。
これはきっとあの経験で、いろんな人が、いろんなことを考えた結果だと思います。
私もいろんなことを考え、今の自分につながっています。
あのまま人生なめた自分だったら、今頃どうなっていたものか・・・。
失われたものは計り知れないほど大きく、かけがえのないものであったと思いますが、世の中も捨てたもんじゃない、少しは良くなった・・・、そう思いたいです。
本当はあと10日ほど早くアップしようと思っていたのですが、
予想外に構想に時間を要したことと、突然の体調不良で時期が遅くなってしまい、
映画やルミナリエには間に合いませんでした。
それにクリスマスやボーナスで街が浮かれている時期に不似合いなネタだし、
本当に経験したことがない人に、どこまで伝わるかも怪しいし、
今までどおり胸にしまいこんでいてもいいかとも思いました。
でもこの華やいだ時期だからこそ、
当たり前の幸せを深く受け止めてもらいたくて、
今を生かされている偶然に感謝してもらいたくて、
そして明日起こるかもしれない災いに心の備えをしてもらいたくて、
少しでも何かを感じもらえればと思い、やっぱりアップすることにしました。
なんか、あまのじゃくですみません。
幾多の災いの犠牲になられた方々のご冥福を祈りつつ、
生かされた者として、前向きに明るく、
しっかりと Merry Christmas ・・・
なんか、もの凄い勇気が沸いてきた(爆) 2009.10.13 コメント(4)
大都会に降り注ぐ光の矢 2008.11.09 コメント(16)