♪猫姫♪の部屋

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流産


基礎体温をつけて排卵日を狙っているはずなのになかなかできなくて、
産婦人科で卵胞チェックをしてもらうことにした。
2004年3月末から4月初めにかけての排卵で見事に妊娠できた。
生理予定日には妊娠検査薬でハッキリ陽性反応が出て、
とても嬉しくて、妊婦さんの雑誌を2冊も買ってしまった。
4月23日(金)の初診で胎嚢が確認できたものの、5w3dで6.6mmと
とても小さく、このまま育たなければ流産だと言われた。
そこのクリニックは2週間経たないと診てくれないので、
2週間後の5月7日(金)までの2週間とても不安な気持ちで過ごした。
その日がやってきて、超音波で確認してくれたけれど、
赤ちゃんが育っている様子はないと言われた。
来週もう一度確認して育っていなければ、ソウハ手術をするので、
次回は主人も一緒に来るようにとのことだった。
5月13日(木)主人と二人でクリニックへ行った。
診察台の横に立っている主人に
「いつもこんな情けない格好で診てもらってるんだよ~!」
とおちゃらけてみせた。
超音波には、ボワ~ンと大きくなったカラッポの胎嚢が映し出され、
繋留流産の診断が下り、翌日手術することが決まった。
しかも胞状奇胎の疑いが出てきてしまった。
悲しみのどん底の中で、ラミナリアを入れられ、手術前の注意を聞き、
採血をしてもらった。
ラミナリアを入れると痛いと聞いていたし、痛み止めの座薬を
出してもらっていたけど、ちっとも痛くならなかった。
5月14日(金)12時20分までに来て下さいとのことで、主人と二人で
少し早めに家を出てのんびりのんびり歩いて行った。
手術はクリニックのお昼休みに行われるので、午前の患者さんが
終わるまでしばらく待ってから準備に入った。
いつもの診察台が手術台に早変わりしていて、その手術台に
腰を掛けると、点滴やら注射やらされて、いつの間にか
私の意識はなくなっていた。
麻酔で眠ったのは1時40分ぐらいだっただろうか。
意識が戻った時にはもうベッドに寝かされていた。
主人がしっかり手を握ってくれていたのがとても嬉しかった。
意識が戻ったとは言っても、夢と現実の間を行ったり来たりしている
感じで「お腹が痛い!お腹が痛い!」と泣いて暴れていた。
看護師さんがお尻に座薬を入れてくれてしばらくしたら
静かになったらしい。
ちゃんと意識が戻ったのは3時45分頃だった。
2時間も眠っていたのだ。
なんでも、私の子宮の中でしっかり着床していた為、手術はかなりの
困難をきたし、途中で麻酔が切れそうになって麻酔を足したのだそう。
意識が戻ると今度は気持ちが悪くて大変だった。
フラフラして歩けず、回復を待ち、病院を出たのは5時頃だった。
お腹の中はカラッポになってしまった。
私の心の中もカラッポになってしまったようだった。

後日組織検査の結果が出て、心配されていた胞状奇胎は
大丈夫だったと聞かされた。
これがせめてもの救いだった。
早く次の妊娠に向けて頑張ろうと思った。
しかし解禁は3回生理が来たらと言われた。
その後ホルモン状態が悪く、不正出血が続いたり、大量の生理出血が
止まらなかったり、母乳が出たり、無排卵だったりで、
解禁となったのは4回の生理のあとだった。

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