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紅影勇輝

紅影勇輝

2005/05/22
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テーマ: 生き方上手(711)
過去、天才と呼ばれる人たちの多く、

例えばレオナルド・ダ・ヴィンチやモーツァルト、アインシュタインなど

彼らは一様にして




●左利き




であったそうだ。


しかし、

僕はといえば、

生まれてこのかた右利き。

天才への道をことごとく閉ざされていると言って良いだろう。







とにかく響きが良い。それに、何か輝いとるもんね。





というわけで、

僕は先月あたりから

「左利き」ということになっています。

というか、自分にそう思い込ませております。

最近は、字を書く時も歯を磨く時も、箸を持つ時も全部左手でやっております。



そう、

もう僕は完全に「左利き」気取りなんです。

というかもう、






僕は「左利き」なのです。











どうも、












天才 の紅影勇輝(こうえい ゆうき)です<(_ _)>←完全にバカ















いつものように、この日記がかなり長くなってしまったのです。

9600文字とかあるのです。バカだから簡潔に述べられないのです。

みんな、そろそろ慣れてね~(ToT)/~~~)







ところで、

皆さんはこういう人たちを見かけることはないだろうか。












●最初だけはやる気があるが長く続かない


●強いコンプレックスがあり、劣等感にさいなまれる


●完璧でない


●全てを許すことが出来ない


●「頭が良い人、悪い人の話し方」を書いた樋口裕一さん(ジョークです^^)




<詳しくはコチラの「頭の良い人、悪い人の話し方」~【裏】取り扱い説明書~をクリック>




そして僕は、

彼らのことをこう呼んでいる。
















●残念な人









彼らのこと、などという表現をしてしまったが、

何を隠そう僕自身も「残念な人」であることは間違いない。

また、皆さんの大多数の人たちは「残念な人」だろうと思う。



今回は、この「残念な人」の存在意義と価値について考えていこうと思う。





では、そもそも、この「残念な人」とは一体何なのか?





そのことについてまずはお話していこう。



まず、皆さんの良く知るところでは、

TVの中でよく見かける



「残念!!」



などと叫んでいるお笑い芸人が思い当たるでしょう。

そう、波田陽区のことである。

もちろん、彼自身も残念な人であることは間違いないのだが、

彼のあのネタが、あれほどまでに多くの人を斬ることが出来、

また、圧倒的多数の視聴者の支持を得られたのは、



人間の要素の中には、誰にでも「残念」な要素が含まれているからだろうと私は考える。

それは芸能人とて同じことで、ひいては

過去の天才的偉人たちや長者番付に載るような大成功者とて同じことだろうと思う。



我々は皆、「残念な自分」を抱えながら生きている。




もっと言えば、

「残念な自分」と折り合いをつけながら生きている。



特に、僕なんかは「残念な人」の代表格ではないかとさえ思うのだが、

何をやってもそこそこという器用貧乏なのである。



サッカーをやっていた頃はキャプテン翼の10番をもらったこともあったし(弱小チーム)、

テニスでは、部の男子で初の県大会に出場したこともある(一回戦で敗退)

行っている大学は、東京6大学の内の一つではあるが、第一志望の大学には落ちた。


しかも、僕はとにかく色々なことに興味があって手当たり次第にやるので、

何でもそこそこは出来るのだが、

はっきり言って、極めたものが一つもないし、





































●誇れるもんもねぇ!!











しいて言うならば、

「バカ」であることを誇ろうと今、賢明に頑張っているところだ。

そんな僕なのである。

そんな「残念」っぷりをいかんなく発揮している僕なのである。


(波田陽区には斬殺されてしまいます・・・)







それを踏まえて頂いた上で、次に、

私が「残念な人」という言葉に抱いているイメージをもう少し詳細に述べていこうと思う。


例えば、仏教で「十界論」というものがある

(拒絶反応を起こす人は、ここは読み飛ばしていいよん♪)。

詳しい説明は割愛させて頂くが、

その中で、七番目に素晴らしいとされる次元で、

お釈迦様の説法をよく聞く人達として



●声聞界



というものがある。

彼らはお釈迦様の説法を熱心に聴く人達なのだが、お釈迦様に



「テメェらは、一番悟りから遠いんじゃ!!ボケがっ!!」



と言われてしまう。

頑張っているのだけれど、それが裏目に出てしまう人、

あとちょっとの人、詰めの甘い人、

すんでのところで他人から評価されない人、

それらを僕は「残念な人」とイメージしている。






次に、

「残念」というワードで辞書を引いてみた。



【心残りなこと。未練のあること。口惜しいこと。無念】



とある。

次に、その中の「口惜しい」というワードで引いてみる。






A;【価値あるものが駄目になったり、期待通りの真価が発揮されなかったりするのを残念がる気持ち】



B:【見る影もない状態である。何の取柄もないない。言うに足りない。つまらない】






と、大きく分けて2通りの意味が出てきた。

辞書では、上に記載されているものほど常用されている使い方とされるので、

ここではAの意味の方が重要視されると考えて良いと思う。



さて、ここで気付いて欲しいのは、

Aは非常にプラスの意味、Bはかなりマイナスの意味という事実だ。

そう、「残念」というワードは矛盾するプラスマイナス二つの意味を抱含している。

つまり、



●アウフヘーベン



した言葉であるということなのである。

<アウフヘーベンを詳しく知りたい方はコチラの「そばめしの発想から抜け出しやがれ!!」をクリック!!>




それだけ「残念」という言葉はダイナミックな言葉なのだ。

そして、ここで僕が主張したいのは、AもBも、

























●どちらが良い悪いではない!!






ということだ。


皆さんにも、「残念」な部分は一杯あると思う。

僕も前述のもの以外にも「残念」な部分だらけだ。



一般的には、Aのプラス思考がとても奨励されることが多いが、

Bのマイナス思考も、実はなかなかどうしてかわいらしいし、別に卑下されるものでもないと思う。



また、

自分の「残念」と思う部分で、

Aで取れるものとBでしか取れないものというのがあるだろう。





ちなみに僕は、その全てを受け入れるべきでだと考える。

特に、Bに関しては皆さん、なかなか受け入れ難いかもしれない。



その場合には、そう、

波田陽区がやっているように、



●笑い飛ばす



という方法論が有効だ。(頑張れるという人は頑張って克服しよう♪)

だから笑いとは偉大なのであるし、

波田陽区は世の中に偉大な貢献をしていると思う(ちょい言いすぎかもね♪)





したがって、

波田陽区に斬られた芸能人で、

「笑ってない奴」あるいは「笑顔が引きつっている奴」というのは、

Bの意味をまだ自分の中で消化しきれていないのだ。


僕は、そういう人たちのことを











●可哀想な人






として新たにカテゴライズしている。

一般に「痛い人」などとも呼ばれ、ほぼ同義である。

往々にして、イジリにくい、絡みづらい、などと言われ、

同情する以外にリアクションの取りずらい悲しい人たちのことである。





皆さんは、この「可哀想な人」にだけはなってはいけない。

そのためには、AとBを受け入れるか乗り越えるかをしなければいけない。

そして、「残念な人」を離れ、自分の中で卒業しなければいけないのだ!!






つまり、

「残念な人」とは通過点だ。

「残念な人」とは可能性なのだ!!









さて、ここで少し、

生物学的な面白い話をしましょう(岡本史郎さんという方の本から引用しています)。

アリの社会での話です。

アリの社会は20%の働くアリと80%の働かないアリで構成されているそうです。

これは、仮に80%の遊んでいるアリにいたずらをして一部を取り除いたとしても、

今度は20%の働くアリから遊ぶアリが現れて常にバランスが保たれるそうです。

これは世の中の全てのものごとに当てはまる法則なのだそうです。



そう、ビジネスをやっている方々はよくご存知だと思いますが、

一般に「80対20の法則」や発見者の名をとって「パレートの法則」などと呼ばれ、

商品の管理や販売に広く応用されている法則なのです。



働くのが良いのか、遊ぶのが良いのかという議論はここでは一旦置いておいて、

この20%と80%の違いを心理学的に見てみると、

80%の内の60%の人たちは、「変わらなきゃ」と思うんだけど、言うだけで変わらない人たち、

80%の内の20%は、「このままでいい」とテコでも動かない人たち、

となるんだそうです。



これって結構、耳が痛い話じゃないですか?



これを僕の話とすり合わせて人間界に置き変えると、

前者の60%が「残念な人」

後者の20%が「可哀想な人」

となってくるわけです。












じゃあ、その「残念な人」や「可哀想な人」を卒業したら何になるのかって?

残りの20%はなんなのかって?



それはね、












他の誰でもない、


















●君自身





になるんじゃないでしょうか。

ま、詳しくは僕も「残念な人」なんで分かりません。











だから、

「残念な人」であることを悲しむことはない

「残念な人」であることを誇りに思ったらいい。


出来ることなら、一緒に最高の「残念な人」ライフを楽しもうじゃないですか。

もしかしたら、「残念」であることが一番楽しいのかもしれませんし。






そして、もしかしたら



人類の「残念」は、

























永遠に終わらないのかもしれません。






人は完全な存在にはなり得ないのでしょう。

誰もがどこかで「残念」な部分を抱えており、「残念な人」なのです。


その意味で、

全ての人が中途半端であり、人生という旅の途上だと言えるのでしょう。




なんて哲学的な含みを持たせつつ、

以上、「残念な人」よ永遠なれ~その存在価値と意義~でした!!




(ちょっと今日の文章、支離滅裂かもしんない・・・パーッと書いてしまったので。

後で補正したいです。疑問点などあれば是非指摘してね☆)


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Last updated  2005/05/23 12:03:52 PM
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