☆はる☆の楽天日記☆

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2012.04.06
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カテゴリ: 祈りという日常


それは、とても悲しい物語なの。

記紀神話の中でイザナギとイザナミの兄弟の神さまは、
愛し合い夫婦となり、淡路島、四国、九州、本州というこの島々を生み出す。

次に神産みと呼ばれる、多くの神々を誕生させてゆく。

火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)という名前の通りの火の神さまを産んだ時に、
イザナミは女陰に火傷を負ってしまい、病に伏せってやがて死んでしまう。


悲しみ怒りに狂ったイザナギは、十拳剣で生まれたばかりの我が子カグツチを斬り殺して、むせび泣く。

最愛の妻との別れを受け入れることができずにイザナギは、死者が住む黄泉の国へ渡ってしまったイザナミを、生きている身でありながら黄泉の国へ降りて連れ戻しにゆく。



暗闇の中でイザナギは愛しき妻に「どうか帰ってきて欲しい」と語りかける。

「黄泉の国の食べ物を食べてしまったため、もとの世界には戻れないのです」というイザナミに、
イザナギは「どうしても戻ってきて欲しい」と嘆願する。


黄泉の国まで追いかけてきて連れ戻そうとまでしてくれる夫の想いに胸打たれて、イザナミはひとつ提案をする。

「これからわたしは、黄泉の神さまにもとの世界に戻してもらえるようにお願いをしてきます。ただ、その間、決してわたしの姿を見ないでください」

イザナギは愛しい妻の言葉に喜び、決して見ないと約束をして、
妻が戻ってくるのを待つこととなった。



けれど、いつまで経っても戻ってこないイザナミにしびれをきらしたイザナギは、髪に挿していた櫛に火を灯してしまう。

ちいさな炎が照らし出した黄泉の国、そこにいたのは記憶の中の美しい妻イザナミではなく、蛆にたかられ八柱の雷神がまとわりつく異形の女神だった。


「見るなと言うたに、なぜ見た!」

イザナミは、約束を破り火を灯したイザナギに怒りをあらわにする。




約束を破って火を灯し、見られたくなかった醜い姿をのぞき見たイザナギに絶望と悲しみと怒りを燃やしたイザナミは、黄泉の国の民にイザナギを追うことを命じる。


多くの追跡者をかわしてイザナギは逃げつづける。


黄泉平坂という、黄泉の国ともとの世界とを結ぶ場所にたどり着いた時、とうとうイザナミが追いついた。


イザナギは千人がかりでなければ動かないような大岩で黄泉平坂を塞いで、イザナミが入ってこれないようにする。

この岩を挟んで、ふたりは言い争いをはじめる。


 あなたがわたしを拒みこのようなことをするのなら、あなたの国の人たちを毎日千人しめ殺してみせましょう」

「愛しい妻イザナミよ、
おまえがそうするなら、わたしは毎日千五百人の子どもが産まれるように産屋を立てよう」


この島を生み出し、神々を産み出した夫婦は、大岩を挟んでいまだに夫婦げんかをつづけている。

それ以来、黄泉の国と現世は大岩で分断されている。


なんて切なく悲しい物語なのだろうか。
これを書きながら、わたしの胸は締めつけられて、悲鳴をあげている。

いまもまだ、ふたりはいがみ合い、ののしり合い、愛から生まれた子供たちを殺し合っているのだろうか。




この物語から読み取れるのは、男と女の行き違いの悲しさ。

イザナギは生者でありながらもタブーを冒して死者の国までイザナミを迎えに行ったのに、

「それでもお前を愛している」と「どんな姿であっても、きみは変わらない」とどうして言ってあげることができなかったんだろう。


怒り狂ったイザナミは、子孫である子どもたちを一日千人殺しつづける。

イザナギは、その理由がわからないのだろう。
そして、かつては愛したイザナミに問い続ける。
「あなたの『愛』とは、なんなのだろう? なぜに、罪なき子どもたちを苦しめるのか・・・」
 それが、イザナギの抱える永遠の悲しみの根源かもしれない。



イザナミはなぜそれほどまでに怒り狂ったのだろうか。

それは、愛する人には見られたくはなかった姿を見られてしまったからかもしれない。

たいせつな人だったからこそ、愛するイザナギにだったからこそ、怒り狂った。


そして、見られたくなかった醜い姿を見られただけではなく、真実の姿を見たとたんに逃げ帰ってしまう、夫の背中を見てしまった、その悲しみが怒りの理由なのだろう。


「あなたの言う『愛』とは、一体なんなのだろう?

 死してもわたしの魂はなにもかわらないというのに。

 虫たちの栄養となり森に戻りつつあるわたしを、あなたは受け入れることはできないのか」

 それが、イザナミの悲しみの根源かもしれない。



イザナギとイザナミの子孫であるわたしたちには、この夫婦の悲しみや苦しみや痛みや傷が刻み込まれている。
歴史の涙を癒してゆくこと、断層をつないでゆくこと、それがいま必要なのだろう。

親神の愛憎を和解へと導き、わたしたちを分断している黄泉平坂の大岩を取り除き、すべての封印を解き放つ時なのだ。


そして、もうひとつ
この神話に描かれている大切なこと。


それは「火」

火の神カグツチを産んだことで、創造の女神は死に至る。


そして、火の神は生まれてすぐに斬り殺されてしまう。

一度は現世へ戻ろうとしたイザナギとイザナミを引き離す要因となったのもイザナギが灯した「火」


記紀神話を描いたわたしたちの祖先は、
なぜに「火」をそれほどまでに畏れ忌み嫌ったのだろうか。


黄泉の国のイザナミを包み込んでいる雷神。
天と地を結び、一瞬にして爆発する稲妻のエネルギー。
雲を呼び風を呼び、大雨を降らせて大地を潤す雷の力。


屍となったイザナミを食べはじめている蛆虫たち。
すべての生き物は、ほかの生き物の屍を食べて生きている。

死したものを食らうもの、食らうものをさらに食べるもの。
そうして、いのちの連鎖はとまることなくつづいてゆく。

いのちを終えて森に横たわり、その骸は多くのものの糧となり、大地へと還ってゆく。


イザナミと蛆。
米とわたし。
フライドチキンとわたしでもかまわない。
そこになんの違いがあるというのだろうか。


生と死で成り立ついのちの循環が、この神話の中ではすべて否定されている。


ここで否定されていることは、すべていのちの循環には欠かすことのできない大切なことだ。

一体、誰がこのような物語をつくりだしたのだろう。


これこそが、わたしたちの思考を縛る封印だ。


この神話、日本人なら誰でもが一度は目にしたことのある物語。
その中に、巧妙に呪縛装置が仕組まれている。


大岩を、取りはずなさなくてはならない。

こころの中に存在する、豊かなる地球とわたしを分断する大岩を。



黄泉平坂に風を吹かせて、
消えかけているいのちの火を燃やしはじめなければならない。








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Last updated  2012.04.06 23:36:59 コメント(1) | コメントを書く
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内藤順司 さん
・・・世界が広がる、感じる。すごくいい。 (2012.04.10 01:45:00)

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