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【あなたの夫の未熟度チェック】★彼は「親孝行」を何よりも大切なことだと考えている。★あなたが風邪などで寝ていても、彼はあなたの食事(子どもの食事も)を作ってくれない。★彼は子どもとたわむれたり遊んだりをほとんどしない。遊ぶとしても過剰にからかうなどして子どもを泣かせてしまう。★あなたが一人で外出しようとすると、さまざまな理由をつけてやめさせたがる。押し切って外出すると、不機嫌になったり、その日の項k銅を逐一詮索したりする。★とくに理由がなくても、いつも不満げでイライラしている。★ドライブ中に渋滞にはまるときわめて不機嫌になり、同乗者に気をつかわせる。★オハヨウ、オヤスミなどの当たり前の挨拶言葉にまともな返事をしない。★家事や子どもの世話の手助けを頼むと、不満げ。喜んで協力してくれることはない。★妻のグチや相談事には、ほとんど聞く耳を持たない。★家にいるときはテレビ(ゲーム、ビデオ)とビール(お酒)だけを“親しい仲間”として過ごしている。★あなたを名前で呼ばず、いつでも「お母さん(またはママ)」に類する言葉で呼ぶ。★何かというと実母(彼の実家)のやり方や料理の味とあなたのやり方や味を比較する。★毎日のようにお酒をたくさん飲み、飲むにつれて不機嫌になる。★「やっぱり女は」「これだから女は」などの女性蔑視の言葉が目立つ。★自分の都合や状態を、言葉にしなくても察してくれて当たり前と思っている。★お金を稼ぐ仕事は、子育てや家事や生活の雑事よりも価値があると考えている。★あなたの料理、家事、子育てなどの能力をほめたことがない★あなたと姑のトラブルなどにおいては優柔不断、結局は妻であるあなたの味方に徹しない。★外面(そとづら)はとてもよいが、家では横暴、または妻子への配慮のないマイペースで過ごしている。★子どもが乳幼児期からずっと、妻抜きで子どもと過ごすことができない夫だ。 あなたの夫は、以上の20項目のうちのいくつに該当していたでしょう。おそらく結果は極端に二分されるはずです。ほぼゼロに近いか、そうでなければ10項目以上該当となるでしょう。 自立レベルの高い夫は妻子に負担や不愉快を感じさせず、未熟な夫は生活の多くの場面で依存的で甘ったれだからです。 ゼロに近いなら、自立レベルの高い、成熟した男性であるとみてよいでしょう。だからといって必ずしも夫婦関係がよいとは限らないかもしれません。しかし父親としては合格点をつけられる夫に違いありません。 該当項目が10±3くらいだとしたら、この国の現状においてはまずまず標準的な「未熟夫」だと思われます。その程度であれば、妻がツボを押さえた接し方を重ねてゆくことで、大人の男性として成長してくれる可能性が高いとみてよいでしょう。捨てるにはもったいない、潜在的クオリティーの高い“素材”かもしれません。 該当項目が15程度またはそれ以上だったら、今後の妻の努力は徒労に終るかもしれません。夫は成長しないまま、あなただけが女性としての成熟を重ねてゆく未来が待っていると思ったほうがよさそうです。その先に待ち構えているのは、家庭内離婚、濡れ落ち葉の夫、熟年離婚、定年離婚なでありがちです。《『「未熟な夫」と、どうつきあうの?』(山崎雅保著)より抜粋》
2011年02月08日
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web雑誌http://www.koushinococoro.com/magazine/kyouiku/yamazaki_kosodate/index.htmlに寄稿した記事です。『親であるという、この世でもっとも大変な仕事』(2009年11月05日) アメリカの心理カウンセラー=ジョン・ブラッドショーは、著書『インナーチャイルド(原題=Home coming/NHK出版)の冒頭部分で強くアピールしています。 「この世の暴力と虐待は、傷ついたインナーチャイルドによってなされている」 傷ついたインナーチャイルドが為してしまうのは暴力と虐待だけではありません。殺人や強盗や略奪や詐欺といって典型的な犯罪行為も、あるいは若者が行いがちないわゆる非行行動も、薬物依存やアルコール依存などの社会的破綻行為も、すべては「傷ついたインナーチャイルド」が為すことなのです。 私たち人の記憶には、生まれてからこれまでに体感した無数の記憶が刻まれています。記憶というよりも思い出というべきかもしれません。ごく分かりやすくいうなら、それらの思い出の一つひとつが「インナーチャイルド」だということもできます。よき思い出は、人の現在や未来を豊かに幸せに導くインナーチャイルドです。理不尽な辛さや苦しみに見舞われた思い出は傷ついたインナーチャイルドです。 誰しも悲しみや苦しみや悔しみの思い出を抱いて生きています。しかしそれら傷ついたインナーチャイルドである思い出の総量が莫大であり、よき思い出を圧倒して余りあるほどだとすれば、人は暴力、虐待に類する犯罪行為を行うことでしか存在としての危ういバランスを保てなくなってしまうのです。 傷ついたインナーチャイルドに深い傷を負わせたのは、大半の場合に親です。したがってボクは、さまざまな犯罪が報道されるたびに、ましてそれが残虐な犯罪であったり、理解しがたいといわれがちな衝動的にみえる犯罪であればなおさらのこと、その犯罪を犯さざるを得なかったその人の中で呻き苦しんでいるインナーチャイルドを思います。深い傷を負わせてしまったあげく、傷をケアすることなく放置したはずの、その人の親の「親としての在り方」を想います。 ごく平らな言葉に言い換えておきます。 ボクは犯罪を犯してしまった人の姿が報道されるたびに、その人の親が犯してしまった「親としての罪」を想ってしまうのです。 誤解しないでください。ボクは犯罪を犯してしまう結果になった人々の親たち個々を責めたり批判したりする気持ちは毛頭ありません。そうではなく、社会全体の親性のあり方を問うのです。ボク自身も構成員であるこの社会全体に潜在する「親としての在り方」を見つめざるを得ないのです。 前記のジョン・ブラッドショーは、同じ本の中盤で語っています。「良い親であるということはきつい仕事です。それは私たちが経験する仕事の中で、最もハードな仕事であると思います」 心理カウンセラーとして、子どもの上にあらわれる様々な問題に、どのように対処したらよいのか思い悩み苦しむ親たちの姿をみてきたボクも痛感しています。「良い親」であろうとする以前に「親として求められる機能をそれなりに有する親」であるのが、実はとてもきつい仕事なのです。 ブラッドショーは続けます。「良い親になるには、精神的に健康でなければなりません。自分の資源を使って自分の欲求を満足させる必要があるし、そのプロセスであなたをサポートする配偶者か重要な他者が必要です。何よりも、あなたは自身のインナーチャイルドを癒しておかなければなりません」 多くの場合、母親たちは子育てという厳しい仕事に取り組まざるを得ないがために、葛藤と苦闘をくり返す中で「親としての在り方」を学び「親としての愛情」を深めてゆきます。そうせざるを得ないのが多くの母親たちの宿命です。 他方で、とくにこの国の父親たちは「父親として葛藤し苦闘するチャンス」に恵まれません。恵まれないというよりも「金を稼ぐ仕事」を言い訳にして、ブラッドショーがいう「私たちが経験する仕事の中で、最もハードな仕事」から逃げてしまうのです。その結果、母親たちは「サポートする配偶者」を得られないまま孤軍奮闘することになりがちです。 薬物依存者の増加。社会不適応の心理状態に留まる若者たちの増加。彼ら彼女らも「傷ついたインナーチャイルド」を心のうちに抱えているのです。
2009年11月26日
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web雑誌http://www.koushinococoro.com/magazine/kyouiku/yamazaki_kosodate/index.htmlに寄稿した記事です。ニートとオンラインゲームは密接かつ深刻な関係があります。#######################################8月26日(2009年)の朝日新聞朝刊に『韓国ネットゲーム中毒/5年間毎日10時間の若者』と題する記事が載りました。記事は以下のリードで始まります。【ブロードバンド大国を自任する韓国で、オンラインゲーム(ネットゲーム=ネトゲ)がやめられない「中毒者」の存在が社会問題化している。ゲームセンターに入り浸る小中高生、部屋に閉じこもる若者......。政府も対策に取り組むが、成長産業でもあり、根本的な解決策は見えない。】 ボクがカウンセリングを担当している事例の中にも、比較的重度のオンラインゲーム依存症(中毒者)だった青年が複数います。あるいは、息子をゲーム依存症から離脱させようとして苦慮を重ねている母親もカウンセリングに訪れています。 重度のゲーム依存症は、少年や青年の社会適応力を根源のところから崩壊させかねません。日本ではあまり大きく報道されることなく過ぎていますが、ゲーム依存症傾向となっている青少年の存在比率は、韓国の場合ほど高くはないのだとしても、すでに決して少数ではないのが確実です。「対岸の火事」的に高をくくっていられる状態ではありません。 オンラインゲームは大変に依存者を作りやすい、麻薬にも近い習慣性を有しています。ゲームと麻薬を同列に論じることに違和感を覚える方もあるかもしれません。しかし、コンピュータによるゲーム類は、麻薬類のように違法ではないのが恐ろしいところです。加えてきわめて安価に、または無料で無制限に遊べてしまう点も厄介です。 上記の新聞記事には、韓国情報化振興院(政府機関)が9歳から39歳を対象とした全国調査結果だとして以下のデータも紹介されていました。【食事時間すら惜しんで一日の大半をインターネットで過ごす「高危険使用者群」と中毒の注意が必要な「潜在的危険使用者群」を合わせた割合は04年には14.6%に上がったが、社会的関心が高まるとともに徐々に下がり、08年は8.6%。8割をオンラインゲーム中毒が占める。】 14.6%は大変な数字です。低下したとはいえ8.6%も大変な数字です。9歳から39歳の人々の中の10人に一人近くがインターネット依存症(主としてオンラインゲーム依存症)であり、現実社会との適切なコミュニケーションがとれていないのです。 そのような事態を招いた背景はインターネットが普及しきっているからだけではないでしょう。韓国の過度な受験競争から脱落した青少年たちが逃げ込む先がオンラインゲームでありがちだったのだとも想像できます。 オンライゲーム依存症およびコンピュータゲーム依存症となってしまっている人を、依存症状態からの離脱に導くカウンセリングはかなり厄介です。彼ら(ほとんどが男性。女性がゲーム類の依存症に陥るのは例外的です)は「ゲーム世界」にだけ人生を見出しているからであり、「ゲーム世界」に生きる正当性に固執しています。とくに20歳以上ですでに長期間にわたって依存症状態で過ごしている人の場合には、離脱不可能である可能性が高くなります。仮に「ゲーム世界」からは生還できるとしても、社会適応は不可能となってしまう危険性もあります。 ボクはずいぶん以前からゲーム依存症が多発している現状を、講演会や雑誌記事などで警告してきました。しかしその警告に真剣に耳を傾けてくれる方は少数派でしかありませんでした。 コンピュータゲームのメーカーが、大金を投じて「ゲームはおもしろいよ。大人だって楽しめるよ」とばかりにテレビCMを流し続けている以上、「ゲームには依存症に陥らせる危険が潜んでいるのだ」とまで気づける人が少数派にとどまるのは無理ありません。 冒頭に引用した記事には、次の一文もありました。【韓国はインターネット普及率95%で世界第1位(米研究機関調査)という「ブロードバンド大国」。政府はオンラインゲームを文化産業分野の5大重点輸出産業の一つに指定し、国を挙げて振興に努める。韓国情報化振興院の担当者は「これだけ成長すると政府も産業として無視できない。中毒者がいるからゲームを作るなとは言いにくい」。】 お気づきですか? オンラインゲームについては、韓国にとって重要な輸出産業なのです。しかしコンピュータゲーム機やコンピュータゲーム・ソフトは、日本にとってこそ重要な産業であり輸出産業です。 同僚のカウンセラー=Nさんがいってました。 「この記事って、メーカーからの反発が恐くて日本の深刻な実情を書けない代わりに、韓国の実情を引き合いに出したのではないですか?」 ああ、その可能性はあるな、と思いました。テレビでも決してゲーム依存症の危険性を報道しないのは、やはりその手のメーカーがよいお得意さんだからなのでしょう。 つい最近、『ネトゲ廃人』と題した本が目にとまりました。興味のある方、とくにご自身の家族や子どもにゲーム依存傾向がみられる方は読んでみるとよいですよ。オンラインゲームやコンピュータゲームによって「廃人」となってしまう様子や背景が分かるはずです。すでに生易しくはない事態が進行し続けているのだと気づけるはずです。
2009年09月11日
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web雑誌http://www.koushinococoro.com/magazine/kyouiku/yamazaki_kosodate/index.htmlに寄稿した記事です。ニートとオンラインゲームは密接かつ深刻な関係があります。#######################################8月26日(2009年)の朝日新聞朝刊に『韓国ネットゲーム中毒/5年間毎日10時間の若者』と題する記事が載りました。記事は以下のリードで始まります。【ブロードバンド大国を自任する韓国で、オンラインゲーム(ネットゲーム=ネトゲ)がやめられない「中毒者」の存在が社会問題化している。ゲームセンターに入り浸る小中高生、部屋に閉じこもる若者......。政府も対策に取り組むが、成長産業でもあり、根本的な解決策は見えない。】 ボクがカウンセリングを担当している事例の中にも、比較的重度のオンラインゲーム依存症(中毒者)だった青年が複数います。あるいは、息子をゲーム依存症から離脱させようとして苦慮を重ねている母親もカウンセリングに訪れています。 重度のゲーム依存症は、少年や青年の社会適応力を根源のところから崩壊させかねません。日本ではあまり大きく報道されることなく過ぎていますが、ゲーム依存症傾向となっている青少年の存在比率は、韓国の場合ほど高くはないのだとしても、すでに決して少数ではないのが確実です。「対岸の火事」的に高をくくっていられる状態ではありません。 オンラインゲームは大変に依存者を作りやすい、麻薬にも近い習慣性を有しています。ゲームと麻薬を同列に論じることに違和感を覚える方もあるかもしれません。しかし、コンピュータによるゲーム類は、麻薬類のように違法ではないのが恐ろしいところです。加えてきわめて安価に、または無料で無制限に遊べてしまう点も厄介です。 上記の新聞記事には、韓国情報化振興院(政府機関)が9歳から39歳を対象とした全国調査結果だとして以下のデータも紹介されていました。【食事時間すら惜しんで一日の大半をインターネットで過ごす「高危険使用者群」と中毒の注意が必要な「潜在的危険使用者群」を合わせた割合は04年には14.6%に上がったが、社会的関心が高まるとともに徐々に下がり、08年は8.6%。8割をオンラインゲーム中毒が占める。】 14.6%は大変な数字です。低下したとはいえ8.6%も大変な数字です。9歳から39歳の人々の中の10人に一人近くがインターネット依存症(主としてオンラインゲーム依存症)であり、現実社会との適切なコミュニケーションがとれていないのです。 そのような事態を招いた背景はインターネットが普及しきっているからだけではないでしょう。韓国の過度な受験競争から脱落した青少年たちが逃げ込む先がオンラインゲームでありがちだったのだとも想像できます。 オンライゲーム依存症およびコンピュータゲーム依存症となってしまっている人を、依存症状態からの離脱に導くカウンセリングはかなり厄介です。彼ら(ほとんどが男性。女性がゲーム類の依存症に陥るのは例外的です)は「ゲーム世界」にだけ人生を見出しているからであり、「ゲーム世界」に生きる正当性に固執しています。とくに20歳以上ですでに長期間にわたって依存症状態で過ごしている人の場合には、離脱不可能である可能性が高くなります。仮に「ゲーム世界」からは生還できるとしても、社会適応は不可能となってしまう危険性もあります。 ボクはずいぶん以前からゲーム依存症が多発している現状を、講演会や雑誌記事などで警告してきました。しかしその警告に真剣に耳を傾けてくれる方は少数派でしかありませんでした。 コンピュータゲームのメーカーが、大金を投じて「ゲームはおもしろいよ。大人だって楽しめるよ」とばかりにテレビCMを流し続けている以上、「ゲームには依存症に陥らせる危険が潜んでいるのだ」とまで気づける人が少数派にとどまるのは無理ありません。 冒頭に引用した記事には、次の一文もありました。【韓国はインターネット普及率95%で世界第1位(米研究機関調査)という「ブロードバンド大国」。政府はオンラインゲームを文化産業分野の5大重点輸出産業の一つに指定し、国を挙げて振興に努める。韓国情報化振興院の担当者は「これだけ成長すると政府も産業として無視できない。中毒者がいるからゲームを作るなとは言いにくい」。】 お気づきですか? オンラインゲームについては、韓国にとって重要な輸出産業なのです。しかしコンピュータゲーム機やコンピュータゲーム・ソフトは、日本にとってこそ重要な産業であり輸出産業です。 同僚のカウンセラー=Nさんがいってました。 「この記事って、メーカーからの反発が恐くて日本の深刻な実情を書けない代わりに、韓国の実情を引き合いに出したのではないですか?」 ああ、その可能性はあるな、と思いました。テレビでも決してゲーム依存症の危険性を報道しないのは、やはりその手のメーカーがよいお得意さんだからなのでしょう。 つい最近、『ネトゲ廃人』と題した本が目にとまりました。興味のある方、とくにご自身の家族や子どもにゲーム依存傾向がみられる方は読んでみるとよいですよ。オンラインゲームやコンピュータゲームによって「廃人」となってしまう様子や背景が分かるはずです。すでに生易しくはない事態が進行し続けているのだと気づけるはずです。
2009年09月10日
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日経BPオンラインの連載『土壇場の夫学』用に書いた原稿の幾つかがボツになり、未発表のまま手元に残りました。今日は、そのうちの一つを、ここに掲載させていただきます。おヒマな折にでも読んでいただければ幸甚です。『ギターをとって弦を張れ』 昔取った杵柄。ボクの場合はギターです。間もなく還暦となるボクは、この2年ほどで、ギターと歌への情熱を取り戻しました。アラ還となってこんなに楽しく弾けたり唄えたりしてる。若いころには想像すらできなかった快活ジジイになれている。こいつはなかなかいい気分です。昨今のアラ還年齢とは、そういうものなんですね。元気といえば元気。枯れた達観にはほど遠く、あきらめ悪くて生臭さ抜けるにもほど遠いってとこなんでしょう。血気盛んなあの頃に弾き鳴らしたギター、若き汗しみ込んだギターを、今も捨てられぬまま家のどこかに置いてあるご同輩。少なくないみたいですね。アラ還団塊世代は、なんてたってギターブームの申し子です。カラオケ以前のあの時代、唄いたいとか音楽したいとなればギターは定番中の定番でした。半年ほど前に、なじみの飲み屋で仲良くなった先輩も、定番ギターオヤジでした。ただね、彼のギターの腕前ときたら、こいつは立派に素人離れ。「やってみようか」とセッションになったとき、音と音とのやり取りがあまりに楽しく心地よいものだから、ボクときたら有頂天の境地で乗りまくっちまいました。で、アラ還音楽仲間となった彼とのつき合いが深まるほどに驚きます。次から次へと登場するんだもの。アラ還どもはもちろん、最年長ときたら80歳ほどとおぼしきスチールギター弾きまで現れました。みんな今さらながらの青春です。ちっとも枯れてない。ずいぶんシビアに練習しちゃって、ライブ活動を定例化するユニットまで結成されちゃいました。でね、そんな流れの中で少なからぬオヤジ達が買っちまうんですね。放ったらかしだった古いギターに新しい弦を張る。弾いてみると楽しい。弾くうちに、錆ついてた腕もいくらかはなめらかに再生する。するってえと欲しくなっちゃうんだよね。若いころに喉から手ェ出しながらもあきらめてた高級ブランド・ギターを、いつの間にやら大人買い、いやオヤジ買いしちゃってるのさ。不況のさ中なのにね。ま、還暦現役引退となれば、不況なんてどこ吹く風なのかな。いずれにしたって、買えるんだったら買えばいいよね。だってさ、長い勤労の日々へのご褒美だもの。奥方たちには知られたくないけど、その手のギターにぶらさがる値札ときたら20万、30万は当たり前。昨今よりもずっと良質な木材で作られていたヴィンテージ物のアコースティックギターだったりしたら100万超もザラです。でもね、憧れだったギターを手に入れて喜んでいる顔ってのは、そりゃもう青年の顔だよ。無駄金であるはずありません。奥方には真実ひた隠すのだとしても、この種の無駄こそは許されねばなりません。かくいうボクはといえば、憧れギターのオヤジ買いなんかできやしません。生涯フリーランスなもんだから退職金なんか無縁の山の向こう側。買えるはずがない。そのかわり30年以上前に無理して買ったそれなり上等なギターを、ていねいに手入れしてやりました。そしたらね、蘇るんだね。ずいぶんいい音で鳴るようになってくれたんです。まさしく生き物であるかのごとく、こっちが思いを込めて手入れし弾けば、萎えかけていた生命が息吹を取り戻すかのように蘇ったんです。蘇ったのは古き友たるギターだけじゃありませんでしたよ。ここから先はあくまでも主観だけれどさ、潰え去ったかとあきらめていた創作力まで蘇ってくれたんです。告白しちゃうと、35年前までのボクは売れ損ないのシンガーソングライターでした。売れ損なうのも当たり前。悲観雲たれこめる情けない歌ばかり作ってたんだもの。でもね、その後の歳月に人の出会いに恵まれ、仕事に恵まれ、恋があり失恋があり、結婚できてわが子に恵まれ、あげくの果ては自著にも恵まれ、カウンセラーとしてそれなりの信頼にも恵まれたおかげです。(あくまで主観ですが)ずいぶんいい歌を作れるようになってました。小さなライブの場で、たくさんの拍手をいただけるようにもなりました。ギターと歌を、あきらめきれないまま心のどこかに置きながら、それでも働き、家族や仲間と生きてきた。アラ還となって音楽と創作を楽しめるようになれたのは、決して自慢できるほどではないけれど、それなりひたむきに生き続けてきた歳月へのご褒美なのだと思えるんです。この世の不正や戦争に真っ向からプロテストする青臭さは消え去りました。けれどあの頃には想像すらできなかった「わが子らへの慈しみ」を深く体感できてます。切ない恋を泣き叫ぶ情熱なんかも消え去りました。けれど長い道のりをまがりなりにも連れ添い歩いた者への情愛を噛みしめ味わえてます。さほど先ではない老いにたどりつく前に、こんな深い喜びを味わえるようになったのも、そのキッカケは古いギターに弦を張ったことでした。アラ還団塊世代が青年期のころ、ギターが売れまくりました。若者ファッション産業も大盛況でした。少年サンデー・少年マガジンで火がついた団塊世代のマンガ消費は、団塊の成長に伴走しながらマンガ雑誌を大人のコミック雑誌へと成長させました。団塊世代はクルマも買いまくったし、家だって一生懸命買いました。団塊世代がこの先に大量消費するモノ。とどのつまりは葬祭と墓ですね。けれどとどのつまりまでにはまだ間があるじゃないの。なればこそ、みんなそれぞれに「ギターをとって弦を張れ」ですよ。昔取った杵柄を、もう一度手にして、錆つきかけた腕を再生したいよね。古い自転車の錆落とししたあげくに、サイクリストの憧れをオヤジ買いしちゃうのもいいな。もう子どもも自立したんだからと、エコを言い訳にして小さくて軽いオープンスポーツカーに乗り換えちゃうのもいい。何やるにしても子どもじみてるのがいいんだろうな。アラ還団塊は、今もまだ経済動向に影響をもたらす消費力の持ち主だもの、いくらか無駄遣いしながら「己を遊ぶ」ことこそが、お世話になった浮世への恩返しになるんじゃないかな。
2009年07月02日
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ちょいと思いつきまして。でもけっこう意味深いものになってます。人のエネルギー量の法則by 山崎雅保(心理カウンセリング「ハートピット」)2008年11月E=mc²⇒⇒⇒宇宙のエネルギー法則Eはenergy エネルギーmはmass 質量cはceletaris(ラテン語) 速度 光速=電磁波の伝播速度 秒速で30万キロ弱(真空中での光速は 299,792,458 m/s)エネルギーは「質量×光速×光速」少量の物質でもその質量すべてがエネルギーに変換されると、たとえば原爆hE=mc²⇒⇒⇒人のエネルギー法則hEはhuman Energy 一個の人間が発揮する総エネルギーmはmotivation 意欲・自発性cはcomfort 気楽・快人間のエネルギーは「自発的意欲×気楽さ×快さ」人間は、自発的意欲の上で気楽に心地よく過ごすほどに大きなエネルギーを発揮するたとえば)仮にm(自発性)が0だとすれば hE=0×c×c=0
2008年11月29日
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竜頭の滝を上流より。行き着く先は中禅寺湖。このあたり、すでに雪化粧でしょうか。ハートピット
2007年11月28日
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川崎市の誇りといえるかも。日本民家園には、大変よい展示状態で、20棟ほどの古民家が公開されています。古いものは17世紀だったか。保存の必要から定期的に散在的に囲炉裏を焚きますが、囲炉裏の焚かれている家には上がらせてもらえます。設立以来40年。思えばずいぶん訪れました。以下、11月半ば過ぎに訪れた折の写真をいくつか。ハートピット
2007年11月25日
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ちょうどよい時期に日光市での講演会に招かれてついでに日光散歩して撮った写真。滝ってのはいいですねえ。ハートピット
2007年11月21日
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東京圏は冬の大気に覆われました。おもしろいですね。夏の大気が去り、秋の大気がやってくる。秋の大気を追い払って冬の大気が支配する。夏、秋、冬、春。みんな塊で行ったり来たり。ハートピット
2007年11月20日
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北アルプスの高峰に対峙する山里。この道祖神は、山里にあってひたすら北アルプスの峰々をながめている。どれほどの歳月がこの石仏をなでさすったのか。風雨と陽光にすっかり和んでしまった穏やか。ハートピット
2007年11月07日
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真空管ラジオ学研の「大人の科学」シリーズの一つ、真空管ラジオのキットを入手。ごく簡単ではありながらも、久しぶりの工作ごっこを楽しみました。昔、真空管はラジオ、テレビ、オーディオ、無線機に欠かせぬ部品でした。それがトランジスターに取って変わられ始めたのは50年近く前のこと。ボクは、真空管をみるとうれしくなります。すごく科学的だと感じます。トランジスタ以降の電気部品は、そのメカニズムが目にみえません。けれど真空管は、この中で何が起こっているのかが目にみえる気分です。ほのかに点る光。電子が飛ぶ小さな真空世界。わざわざ古臭くデザインしたスピーカーを取り囲むのはアンテナ。幾重も巻かれた細い電線が、蜘蛛の巣さながらに電波を捉えます。これ、完成してから2週間ほど経ちますが、いまだ鳴らしていません。なぜか? 鳴らすための電池がちょいと高くつくからです。ボクには悪いクセがあります。飛行機の模型でもそうなのですが、出来上がるとほぼ満足してしまい、飛ばさないまま放置しがちです。この真空管ラジオも、出来上がってほぼ満足。いつになったら鳴らすことやら。どんな音かはとても楽しみではあるのですよ。真空管は宇宙空間の感触をもたらしますから。ハートピット
2007年11月04日
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長野・小谷村の早朝。新雪の山頂に赤い朝陽。ハートピット
2007年11月02日
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長野県北安曇郡・中綱湖近くの山中にて。2007年10月28日撮影。ハートピット
2007年10月30日
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「もったいない」が盛んに喧伝されてますね。エコロジーが危急課題の今だから「もったいない」は大事な言葉。この言葉には奥行きもありますしね。もったいぶらないで≒かっこうつけないで。もったいぶってる≒かっこうつけてる。もったいない≒かっこう悪い・みっともない・みぐるしい。つまり「もったいない」とは人間としての節度や品を欠いているってことなのでしょう。ハートピット
2007年10月24日
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さざなみハートピット
2007年10月24日
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ハートピット
2007年10月22日
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ここは海と陸との境目。海が陸を削るところ。三浦半島・城ヶ島。ハートピット
2007年10月22日
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月に向かって順調に旅しているJAXAの「かぐや」。地球から11万キロほどのところでふり返ったらこんな地球がみえたそうです。南北アメリカ大陸がくっきりみえますね。地球は、まだ青く美しくみえますね。安心しちゃいけない。地球からならお月見。月からなら地球見。地球と月の間だと、両見。酒、美味いだろうなあ。ハートピット
2007年10月02日
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来年、小学生になる女の子の絵。いつか住みたいお家(うち)です。お月様。お星様。とっても活発な女の子は宇宙に遊びます。ハートピット
2007年10月01日
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考えるまでもなく、ちょいと妖しい風情で横たわるカンガルーです。東京・多摩動物公園のカンガルー達の中でいちばん偉そうにしていたお方です。ちなみに「カンガルー」はオーストラリア原住民・アボリジニの言葉だとか。入植した英国人が「あの動物はなんだ」と問うと、アボリジニが「カンガルー」と答えた。で英国人は「そうか。あれはカンガルーという動物か」とインプットした。けどね「カンガルー」ってのは、実は「知らねえ」という意味だったとか。いやいや、確たるところは分かりません。遠い無責任な記憶です。【追記】入植者が「あの動物は何と言うのか」と問うたら、アボリジニが「何を問うているのか分からない」という意味で「カンガルー」と返し、それが故にカンガルーはカンガルーと呼ばれるようになった云々カンヌン。以上は俗説なんですってさ。本当は現地語の「跳ぶもの」を意味する、発音を英語表記すれば「gangurru」が「kangaroo」に変化したのだというのが本当のところなのだそうです。オモシロイ話は、たとえ間違ってそうだと疑われながらでも、際限なく広まりますね。その種の無邪気だけど、ときとしては無責任でもありかねない誤解っての、とっても多いのでしょうね。ハートピット
2007年09月28日
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仲良くしてくれている絵本作家さんが描いた着陸直前の飛行機です。いい空を、空気の上を滑るように降下している様。とても巧みに表現されていると思います。機種は、おそらく米軍の大型輸送機=C141です。ちなみに、この絵本作家さんの著書には『土星の輪』(福音館書店)があります。ハートピット
2007年09月23日
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あの62年前の「決着」以来、世界規模の戦争は起きていない?見方によっていかようにもいえることなのでしょうね。その後ずっと、今にいたるも世界のあちこちにある戦争。戦禍の下に暮す人々、戦いの下で死と血に直面せねばならない人々、戦争によって大事な誰かを失う人々、戦下で味わった悲惨を反芻する人々。戦禍を体感したあらゆる老若男女にとって、戦争が世界規模であるか否かにさしたる意味はないのかもしれません。ボクは、兵士にならず、誰をも殺さず破壊することなく戦禍で大事な誰かを失うこともなく、老いにいたろうとしています。助かりました。逃れられました。ボクの娘も息子もそのようであってくれと強く念じます。以下の長文は、3年ほど前に小学6年生数十人を前に語らせていただいたものです。★★★★★★★★★★今日は。みんなのところに、印刷物が2枚配ってあります。一つは新聞のスクラップと写真、一つは旧大日本帝国海軍の戦闘機・ゼロ戦の写真です。 まず、この写真の人がどういう人かを説明します。(家系図を描きながら)君達の学年に山崎Sがいます。Sの父親は私です。Sには、もちろん母親もいます。父親である私にはお兄さんがいます。私にもお母さんとお父さんがいます。私の両親は、Sのおバアちゃんとおジイちゃんです。 このSのおジイちゃんには三人の弟妹がいます。まず弟の1、弟の2、それから妹がいます。もちろんこの人たちにも両親がいます。この両親は私にとってはおバアちゃんとおジイちゃんであり、Sにとっては曾おバアちゃんと曾おジイちゃんです。 この写真に写っている戦闘機乗りの服を着て飛行帽をかぶっている人は、Sのおジイちゃんの弟の2です。山崎幸雄という人です。生まれたのは1924年です。 1924年には、君達がよく知っている人がもう一人生まれています。誰だと思う? (M先生?)そう、W学園園長のM先生も1924年生まれです。ですから、もしこの写真の人が今も生きていれば、M先生と同じ80歳です。 でもこの写真は21歳です。彼は21歳で死んでしまいました。こちらには死ぬ日に撮られた写真があります。ここに写っているこのグループのみんなが死んだんです。 さて、いいですか、1924年に生まれて、今の君達と同じ小学校6年生、11歳か12歳になっているのは、1935年です。では今、君達が生きているこの時代を1935年だと考えてみましょう。すると何が起こっているのだろう。何が始まっていたのだろう。 たとえば中国で戦争が始まったのは1931年ころです。満州事変というのが始まったのがその年。もしも君達が1924年の生まれだったら、1931年には小学校2年生くらい。まだ小さな子どもだから、戦争は遠い話でしかなかったことでしょう。 では小学校6年生になった1935年ころをみてみると、その翌年には日独伊三国同盟というのが結ばれています。聞いたことある? 日本とドイツとイタリアが、お互いに手をつないで他の国と戦おうという約束をしたのが1936年、来年になります。 つまり、1924年生まれの君達が6年生になったころ、日本はいよいよ本格的な戦争に踏み込もうとしているわけです。大変ですね。ただ、まだ小学校6年生ですから、まさか自分達が戦争に行くことになるとは考えなかったことでしょう。山崎幸雄さんも、小学校6年生のころには戦争で死ぬことなど考えてなかったと思います。でもだんだんと戦争が激しくなってくる。1939年、君達が15歳くらいになったころには、ナチスドイツがポーランドに侵攻して、ヨーロッパでは第二次世界大戦が本格化します。その2年後、1941年、君達が17歳くらいになったころに、日本はハワイの真珠湾を攻撃して、いよいよ太平洋戦争、アメリカをも相手にした本当の戦争を始めてしまいます。君達は17歳。そろそろ戦争に行かなければならない心配が出てきました。1924年に生まれているというのは、そういう年齢です。M先生も、戦争に行かなければならない自分を思っていたことでしょう。
2007年08月14日
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1941年の真珠湾攻撃から、日本軍はけっこう頑張ってというのか、軍事力も国力も桁違いなアメリカを相手に、かなりよく戦いました。まず真珠湾攻撃がうまくいったみたいで、最初のうちは「もしかしたら勝てるのではないか」あるいは「引き分けくらいにはもってけるのではないか」と、日本軍の上層部や政府も考えていたようです。ところが1942年の終わりころ、ミッドウエイ海戦などがあって、そこから日本軍は負け始めます。そしてどんどん負け続けた結果、沖縄にアメリカ軍が上陸してくる。そしてアメリカ軍の上陸を阻止しようとして、君達が勉強してきたように、沖縄では数多くの悲劇が起こります。同時に、日本からもたくさんの飛行機や船が沖縄での戦闘に送り込まれます。たとえば当時世界最大の戦艦だった大和も特攻出撃して、帰りの燃料を積まないで沖縄に向かって途中で沈んでしまいました。その他のたくさんの船や飛行機が、片道だけの燃料を積んで沖縄に向かいました。特攻隊の飛行機はみな片道の燃料しか積んでいません。帰ってくる必要はないし、帰ってきてはならないからです。アメリカの船に突っ込むために飛び立ったからです。その目的のとおりアメリカの船に体当たりできた飛行機もあったでしょうけれど、多くの飛行機は体当たりできずに海に落ちました。 みんなちゃんと知っておいてください。戦争の映画などみると、飛行機が煙を吐いたり燃えたりしながら落ちてゆきますね。あれは飛行機が落ちてゆくだけではないよね。飛行機が落ちてゆくときには、その中で叫び声をあげながら死んでゆく人がいるわけだよね。 飛行機の戦争って、とっても格好よくみえてしまうから、つい誤解してしまうのだけど、あの中では死んでゆく人がいるんだよね。もしも燃えていれば、火傷しながらギャーと叫んでいるかもしれない。そういうことが落ちてゆく飛行機の中では起こっているのだということを、忘れないようにしなくちゃいけない。 とにかくたくさんの人々が、沖縄特攻に参加して、そして死んだんです。 さて、ここで私が新聞に投稿した文章を読ませてもらいます。朝日新聞の「声」という欄に載ったものです。 『叔父に特攻を志願させた国』。叔父さんというのは山崎幸雄さん。私にとっては叔父さん。Sにとっては大叔父さんです。志願させた国を、私は日本だと思っています。 「旧海軍特攻隊に志願し死んでしまった叔父がいました。私は彼が21歳で特攻死して4年後の生まれ。」 そうなんです。私は彼が死んでから生まれているのだから会ったことなどありません。写真でしか会ったことがありません。 「学徒出陣の波にさらわれ、ごく短期間の訓練を受けただけで特攻に志願してしまったようすです。ゼロ戦に乗った叔父に、少年時代の私は憧れていました。21歳で死なねばならなぬところに追い込まれた心中を察することなどないまま過ごしました。 私は約10年前、叔父の母校の北海道大学に行き散歩しました。広々としてたくさんの木々に恵まれたキャンパス。心地よい散歩でした。しかし歩くうちに、そこで学んでいた若い叔父の姿がリアルに浮かび上がりました。彼がこのキャンパスに残しただろう思いが押し寄せてきました。死にたくなかったろうに。好きな女性だっていただろうに。もっと勉学したかったろうに。友と語り合いたかっただろうに。私は慟哭しながらキャンパスをさまよいました。 叔父は最後に戻った実家で、1歳半だった私の兄を抱きながらいったそうです。『私という人間が生きていたことを、この子に伝えてください』。私はこの叔父に生きていてほしかった。悔しくてなりません。」 慟哭って知ってる? 声をあげて激しく泣くことです。北海道大学のキャンパスの中を歩きながら、周囲には人がいるんだけど、たまらない気持ちになって声をあげて泣きました。会ったことのない叔父なんだけども、ここで生きていたんだな、そして若くて死んでしまったんだな、と思ったら、とてもたまらない気持ちになって泣いたんです。 ただ、投稿した文章には間違いがあります。あとで教えられて分かったんですが、本当は北海道大学の学生ではなかったんです。北海道大学に付属する土木専科という、北大のキャンパスの中にある専門学校の学生だったそうです。で、本当は北大の学生であれば戦争に行かなくてよかったのですが、専科であり、それを半年繰り上げ卒業させられて、翌年4月の北大受験を目指して受験勉強中に徴兵されてしまいました。 繰上げ卒業というのは、もうこの大変な戦争の中で勉強なんかさせているのは無駄だ、卒業させてしまえと、学年の途中なのに卒業させてしまうんですね。叔父は、繰上げ卒業させられて、翌年の受験を目指して受験勉強している浪人だったために戦争に取られてしまったということが、投稿記事を読んだ人に教えられて分かりました。 この投稿が新聞に載ったのは去年の5月17日。その後に何人もの人が私に連絡をくれました。まったく知らない人ばかりです。一緒になって悔しがってくれた人、死を悼んでくれた人。いろんな手紙が届きました。中には、そんな風に悲しむのは彼に対して失礼だ。彼は国のために散ったのだから、悔しがってはならないというようなお叱りをくれた人もありました。そういう気持ちを、私も分からないではありません。死なねばならなかった仲間のことを「無駄死に」であるかのようにいわれたくないという気持ちも分からないではない。けれど私は、この幸雄叔父さんのことを思うと、本当に悔しかっただろうなと思います。だからお叱りの気持ちは、受け取りはするけれど、ウンそうですね、とうなずくことはしませんでした。 さて、新聞をみて連絡をくださった中の一人がね、なんと、北海道に住んでいて、いま80歳になっているKさんという方が手紙や文章を送ってくださったのだけど、この方が幸雄叔父さんの親友でした。私はKさんと電話でも話しました。そのときKさんは、山崎幸雄という人の死について今になって語り合えることが、とても助かるといってくれました。 死んでしまう。それは本人にとってもちろん大変なことなのだけど、自分の仲間とか大事な誰かが死んでしまったということをずっと胸に抱えたまま60年間も生きてきたというのも、とても大変なことなのだなと思いました。 整理しましょう。幸雄さんという人は、1943年・昭和18年に、北海道大学付属土木専科を繰り上げ卒業となり、翌1944年の春に北海道大学に入学しようとして準備していた。その準備をしている間に、大急ぎで兵隊にしてしまう、大急ぎで飛行気乗りに仕立ててしまう訓練の中に取り込まれてしまったんです。 普通、戦闘機のパイロットになって、映画なんかでみると格好いい空中戦ができるようになるまでには、大変に長い訓練が必要です。多分、本当だったら3年か、それ以上かかるはずです。 けれども、1943年ころには、パイロットがどんどん死んでしまっていました。日本軍はどんどん負け続けているころです。飛行機もどんどんなくなっていて、パイロットもどんどん死んでしまっていました。だからちゃんと訓練して本当に戦えるパイロットに育てることは、もうできませんでした。たった一年間くらいの訓練で戦場に送り込むような、速成訓練、とにかく大急ぎで、飛べればいいんだ、飛んで体当たりすればいいんだから、そんな綿密な訓欄はいらないよ、というような速成訓練で仕上げられてしまったんです。 ただね、幸雄さんという人は予科練第14期生といって、戦争も本当に終わりのころになってやっと戦場に送り込まれることになったグループに属していました。このグループの人たちは、実はあまりたくさん死んではいません。たくさん生き残っています。けれど幸雄さんは、14期生の中では少数派に属する戦死者です。 なぜなら、飛行機の運転が上手だったんだって。だから、お前はもう体当たりできるだろう、という話になってしまったわけです。 私は、私のお父さんやお母さんから、幸雄さんのことについていろいろ聞きました。彼はとても優しい人だったようです。とても勉強が好きで、サッカーもテニスも好きで、野球がとても上手だったんだって。とてもよく遊んで、いろいろなことに興味をもって、とても元気よく楽しく生きる人だったんだって。 だからこそ本当は死にたいはずがなかった、と私は信じています。 けれどね、あの時代に、たとえば彼と同じように予科練で飛行気乗りの訓練を受けて、大体なんとか飛べるようになって、さあ今この国は大変な状態だぞ、君達の命一つ一つで本気で戦わないとこの国はつぶれてしまうぞ、この国を守る気持ちがある者は特攻隊に志願しなさいといわれたら、どうだろ。ズラリと仲間が並んでいる。国を守るために命をかけて戦う気持ちのある者は一歩前に出なさい。そういわれて、どうするだろ。君達がもしもそんな立場になったら、一歩前に出ないでガマンして動かず立っていられるだろうか。 みんなが、出なくちゃいけない、出なかったら卑怯者なんだぞといわれるんだよ。それでもそのまま動かずに立っていられるだろうか。立っていられるとしたら、それはすごい勇気だよね。ものすごい勇気です。
2007年08月14日
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けれども、大抵の人は、あの戦争という異常な時代の中にあって、そういう勇気を発揮することはできません。弱いからじゃない、人間ってそういうものなんです。だから幸雄さんも、一歩前に出てしまったんです。 死にたいわけがないのに、死に向かって一歩出なければいけない。それが戦争というものです。出てしまった結果、すぐに特攻隊に組み込まれて、沖縄戦が激しい中、4月29日に、彼は鹿児島の基地から、沖縄まで飛べるだけの燃料を積んだゼロ戦で、空に飛び上がりました。お腹には爆弾を抱えている。帰ってくる燃料はない。あとで話を聞いたけれど、空中戦なんて一度もやったことないんだって。ただただ体当たりの練習だけしてたんです。本当のことは誰も分かりません。航空母艦に体当たりしたぞ、だから偉かったぞというような報せが、海軍から届いたそうです。でも本当にぶつかることができたかどうかは分かりません。あの特攻というのは、あんなことやっちゃいけないのは分かりきっていることなのだけど、アメリカの船に初めて特攻機が突っ込んだときには、アメリカの船に乗っている水兵たちは驚いてしまって、撃ち落すことができず、体当たりが成功しちゃったんですね。だから、これはいい方法だといい気になっちゃったんだね。だけどそのうち、アメリカの水兵は驚かなくなりました。クレイジーだ、気狂い沙汰だと思いながらも、また特攻機がやってきたのをみつけると、とにかく必死になって機関銃や大砲で撃ち落そうとしました。だから特攻機は、体当たりしようとする船にたどりつく前にどんどん海に落ちました。いよいよあの船に体当たりするぞとなると、パイロットは電波のスイッチを入れるそうです。すると基地の無線機には「ピーーーーーー」という音として届くそうです。その音がフッと途絶えたときが、その飛行機は海に突っ込むなり、もしかして船に体当たりするなりして壊れた瞬間です。そのときにパイロットは死んでいます。死ぬと同時に、そのパイロットは使命を果たした、役割を果たしたと判断されるのです。山崎幸雄という人は21歳で死にました。まだまだ生きたい人でした。勉強もしたかったし、きっと恋人だっていたはずです。友達はたくさんいたでしょう。お酒を飲んでは楽しくやってたと思います。でもその人は、一歩前に出てしまって、ちょっと仲間の中で飛行機の操縦が上手になるのが早かったおかげで、1945年4月29日、日本軍が沖縄に船や飛行機を送れなくなる直前に、日本海軍が最後の最後の死にもの狂いの戦闘を繰り広げている中で、ピーーーという音が消えたときに死んだんです。どうだったろうね。もしも君達が、ゼロ戦という飛行機―――飛行機だけみると格好いいんだよ、とっても優れた飛行機なんだよ―――に独りで乗っていて、帰りの燃料は積んでいない、お腹には爆弾を抱えている、そしてアメリカの船からバンバンバンバン撃たれている。もしかしたら飛行機はもうアチコチに穴があいているかもしれない。火が出ているかもしれない。自分もケガしてるかもしれない。でも一生懸命体当たりしようと思って、操縦桿を一生懸命押さえている。そのときに何を考えているだろうね。泣くことができるだろうか。分からないよね。誰もみたことないんだもの。勇気があること、なのかもしれない。格好いいこと、なのかもしれない。けれども、嫌だね。本当に嫌だね。今だってイラクや、その他いろんなところで自爆テロがあるね。クルマに爆弾積んで突っ込んだりとか、自分の体に爆弾くくりつけて人々の中で爆発させたりとか。あれも特攻隊みたいなものだよね。今も特攻をやってるんだよね。イラク人の人たちや、世界のあちこちでイスラム系の人々が自爆テロをやっているけれど、あれも「勇気があるならやれ。死ぬのは名誉だ」と思ってしまってやってるんだよね。君達はいま11歳か12歳。これから10年たつ間に、もしもいろんなことが起こって、まわりのすべてが戦争の空気になってしまったら、もしかしたら君達も一歩前に出てしまうかもしれないんだよ。そうならないようにしてくのが大人の仕事です。大事なことです。そんな時代にしないために、大人たちは全力を尽くさねばいけないんです。けれど君達も、こんなことは決して格好いいことではないのだ、飛行機が落ちてゆく中では人が死んでゆくのだ、ということをちゃんと胸に置いてほしいんです。卑怯者といわれても耐えて、死ぬことは選ばない。生き抜くことを選ぶ。そういう人間になってほしいと私は思います。君達の本棚でゼロ戦の本をみつけました。ゼロ戦は、第2次大戦中の日本の戦闘機としては、というより日本の歴史を通じてもっともたくさん造られた戦闘機です。3千機くらい造られたゼロ戦は、戦争が終わる頃にはほとんど残っていませんでした。ほとんどが墜落したということです。つまり3千機のほとんどが墜落したということは、3千人近いパイロットが死んだということです。他にもたくさんの飛行機がありました。何万機という飛行機があったけれど、そのほとんどがなくなったのだから、何万人というパイロットが死んだということになりそうです。そのほかにも大変なことをやらかしました。回天というの知ってるかい? そう人間魚雷・回天。これは魚雷です。潜水艦じゃなくて魚雷。人間が乗れるスペースができている魚雷なんです。魚雷は海の中の爆弾です。それに人間が乗って操縦して、船にぶつかろうというのです。回天も実際に使われて何人もの人が死にました。桜花って知ってるかい? 桜花はロケット飛行機です。少し大型の爆撃機のお腹に吊り下げられて目的地の近くまで行って、そこで爆撃機から放されて、そこからロケットエンジンから炎を吐いて目標に向かって行く。桜花の頭にも爆弾なんです。パイロットが一人乗っているんです。そのまま突っ込んで行くんです。桜花には、基本的には着陸のための装置がついていません。着陸する必要がない飛行機だからです。これらのことがとてもひどいことだと気づくまでに、私はとても時間がかかりました。だって、飛行服の叔父さんが操縦席の脇に立っている写真、格好いいんだもん。子ども時代の私はいつも、家の鴨居に飾られたこの写真を眺めていたんだもの。叔父さんのサーベルや軍服や軍帽も、毎日のようにみていたんだから。パイロット、格好いい。飛行機、格好いい。格好いいなあと憧れてました。でも、この叔父さんが死んだ年齢に近づいたころになってやっと、そんなことじゃないんだなあ、と気づきました。今でも飛行機は大好きです。とっても好きです。だけども、君達の手のコピーにある「栄光の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」の「栄光」という言葉をみたときに、とても腹が立ちました。たしかに優れた戦闘機ではあったけれど、これでどれだけの若者が死んだのか。そのことを思ったら「栄光」なんて言葉は使えないはずなんです。そういうことを思うととても腹が立ちます。 はい30分経ちました。30分という時間は、この21歳で死んでしまった山崎幸雄という人のことを語るには短すぎる時間でした。でもこの30分間をいただけて、私は、よかったな、と思います。ほら、この人はいってたでしょ。私のお兄さん、1歳半だったお兄さんを抱っこしていってたでしょ。ボクという人間が生きていたということを、この子に伝えてくれ。そういってたでしょ。 そんな彼の思いを、私もみんなに伝えることができたと思うんです。この人が生きて死んだということを伝えられて、とてもよかったと思います。 ありがとうございました。教師 今朝のニュースのトップも、イラクの自爆テロだったね。今日の映像はすごかった。爆発する瞬間がとらえられてました。さっきの話しにあったように、そのバスの中に誰かがいるわけです。そういうニュースが当たり前のように流れている。山崎 質問させてもらっていいかな。○○君は飛行機が好きだよね。戦闘機なんかがとっても好きなんだというのは分かる。いま、飛行機についてどう思っている?生徒1 F―15とか、戦争に使われるときには、テレビとかで見たけど、そのときにはあなまり好きじゃない。山崎 そうだね。でも、たしかに格好いいよね。生徒2 山崎さんのお父さんは、戦争に行ったんですか?山崎 私のお父さんはね、特攻隊で死んだ叔父さんよりも6歳ほど年上です。私のお父さんも戦争に行きました。陸軍で中国に行って、そして右腕を撃たれて帰ってきて、右腕は生涯ちゃんと使えませんでした。本当は右利きなのに、左手で字を書き、左手で食事したりしてました。 だから私のおジイちゃん・おバアちゃんは、男の子3人のうちの一人は戦争で障害者になり、一人は死にました。次男だけは無事でした。なぜなら、中学生のときに親戚の機械工場でアルバイトしていて、事故で右手の親指と人差し指を失ってしまったからです。だから鉄砲を撃てなかった。だから兵士になれなかった。今になってみればとってもラッキーな話ですが、当時は肩身の狭い思いをしたようです。生徒1 日本軍が、イギリスのプリンス・オブ・ウェールズを撃沈したのをマンガでみたけど、実際にもしもその船に自分が乗っていたとしたら、すごくイヤだというか…。山崎 うん、イヤだね。プリンス・オブ・ウェールズも大きな戦艦だったけれど、第2次世界大戦中で世界でもっとも大きな戦艦といわれたのは、大和と武蔵だよね。どちらも乗組員は3千人近かったのじゃないかな。両方とも沈没したよね。両方とも3千人近くのほとんどが死んでしまった。生き残りはすごく少ない。すごいね、2千人以上がいっぺんに死ぬんだよ。
2007年08月14日
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あのニューヨークの貿易センター、ツインタワービルが両方ともつぶれたでしょ。あのときもたしか3千人以上が死んでしまったね。大変な出来事だよね。 ああゆうのをみるときも、あ、ビルが潰れてゆく、というふうに感じるのではなく、あ、船が沈んでく、と感じるのではなくて、あの中で人々がつぶれていく、人々が叫んでいるということに気づかないといけないよね。生徒3 特別攻撃隊でいちばん怖い思いって、どんな思いだと思いますか?山崎 どんな思いだろうね。それは、みんながそれぞれに想像するしかないのじゃないかな。たしかに、飛び上がってからいよいよ突っ込むまでの時間も怖いかもしれない。もちろん突っ込む瞬間も怖いかもしれない。でも、もしかしたらもっと怖いのは、特攻隊に志願する者は一歩前に出ろ、といわれるその瞬間かもしれないね。そのときのほうが怖いような気がするかな。離陸してしまったら、もう死ぬしかない覚悟が決まるかもしれない。最後は、もうそういう意味じゃ…、いや、怖いだろうけどさ…。分からないな、分からない。 最後に。この山崎幸雄さんは、茨城県の霞ヶ浦というところで操縦の訓練を受けたのだそうです。特攻隊に出撃するときは、まず霞ヶ浦から鹿児島まで飛ぶんですね。そのときに、特別に許されて、東京の高輪というところにあった自分が生まれ育った家の上を飛んで行ったそうです。そのときに翼を振って挨拶したそうです。家族はそのことを前から聞いていて、家族はそれを見送ったそうです。 死ぬとき、最後の手紙を書きました。借金なし。女性関係一切なし。父上、母上、ありがとうございました。 そして死んじゃったのだけど、特攻隊で出撃したときには海軍少尉だったんです。死んで、バカらしいよね、なんていったら怒られちゃうかもしれないけど、二階級特進ということで大尉になりました。そして、靖国神社に合祀されました。4月29日の彼の死から4ヶ月経たないうちに、広島や長崎に原爆が落ちて、そして戦争が終わりました。 その翌年、1946年の4月に、彼の仲間、友達、教官などが集って法要を行なったそうです。それは大変に沈痛なものであったと、山崎幸雄さんの親友・Kさんは、私に送ってくださった手紙に書かれています。 誰一人、特攻隊で死んでよかったなんて思ってはいなかった、ということだと思います。 あらためて、ありがとうございました。教師 山崎さんのお父さんが中国で負傷して、でも帰ってきました。帰ってこなかったとしたら、君達のクラスメートである山崎S君もいません。だから、君達がここにいるのは、おジイちゃんやおバアちゃんが戦争で死なないでいてくれたからです。【子ども達の感想文】(抜粋。整文)(女子)「特攻志願者は前に出ろ」。断れたらすごい勇気があると思う。私がもし男で、断ったら「非国民」といわれる状況でいわれたら、私も前に出てしまうと思う。戦没後に大尉に昇進してもうれしくない。靖国神社に祭られてもうれしくない。でも、無駄な死なんていったら失礼だよね。私は、戦没者の方々の分、戦争を学び、伝えたい。(男子)特攻隊というのは、相手の戦艦とかを壊すだけだと思っていたけど、飛行機の中にも人がいるってことを忘れていた。今日の話の中で、もしもSのおジイちゃんが中国から帰ってこなかったらSはいない、と聞いて、もしボクのおジイちゃんとかが生きていなかったらボクはいないと思うと、何か怖かった。ボクは「一歩前に出ろ」といわれて出ないでいられるかな。出てしまうと思う。何でかな。話を聞いていて悲しくなった。(女子)幸雄さんが死んでしまったことを考えて泣くことができるSのお父さんはすごいと思う。今でもこうやって考えている人は少なくないし、少なければ戦争が起きてしまうと思った。「一歩前に出ろ」といわれたら、絶対に出てしまうと思います。死にたいなんて思う人はあまりいないし、幸雄さんも絶対死にたくなかったと思う。死んでしまってから大尉に上げられたって意味がないし、死んで偉いなんていわれてくないと思う。そんなこと失礼だと思う。(男子)幸雄さんは絶対死にたくなかったと思う。だって、死にたかったら、自分の甥っ子にわざわざ「私という人間がいたことをこの子に伝えてください」なんていわないと思う。自分が死にたくないのに死んでしまうのが戦争だと思う。ゼロ戦に乗ると、当時はもう死ぬのと同じだから、すっごくむなしい死に方だと思う。(男子)Sの大叔父さんが特攻隊だったっていうのは知っていたけど、こういうような悲惨なことがあったっていうのは知らなかった。かわいそうだなと思った。特攻隊に行かせるのもひどいと思うけど、操縦の訓練をたった1年で終わらせて特攻隊に行かせるのはひどいと思った。(女子)一歩出る瞬間のことが胸にグッと突き刺さる思いでした。脅しみたいに思えた。心にしみる話だけど、近くにこのような方がいたんだと思うと、今のイラクなどが怖い。生き抜くための心は誰にもみせなかったのかな。もっと自分の考えたことをしたかったんではないかな。ピーーーっという音が消えた時など、現実を言葉にするのはむずかしい。今までで一番心に響いた。(女子)戦争に出ることが良いことで、出ないことがダメなんて、絶対におかしいと思う。一歩前に出るなんて普通じゃできないと思ったけど、まわりの人からそんなこといわれたら出るしかなくなっちゃうと思った。戦争はそこまで人を変えるんだ。すごく悲しくなった。戦争では幸雄さんのような人がいっぱいいるんだね。どうして戦争に行くことが名誉なのだろう。いつまで戦争を続ける気だろう。(女子)幸雄さんが最後に、Sのお父さんのお兄さんに伝えたかったことを、Sのお父さんが私達(学年みんな)に幸雄さんを伝えて、幸雄さんの願いが届いたことは、絶対にというか、やっぱりものすごいことだよね。(女子)話を聞いていて、私はとにかく辛かった。いろいろやって今まで幸せだった人が、どうしてこんなめにあわなくちゃいけないのか。幸雄さんは一歩出なければいいのにって最初は思ってけど、一歩出ないと卑怯っていうことを教えて人がいるなんて許せない。二度とこういうことで、幸雄さんみたいな犠牲者は出してほしくない。日本だけでなく世界でも。(S)前にも聞いたことがあったけど、あらためて、戦争は怖いと思った。沖縄の慰霊碑に名前はあるかな? でも、ボクの大おじさんは、何で一歩前に出ちゃったのかな。⇒⇒2004年10月下旬、Sら学年一同は沖縄学習旅行の折に、平和祈念公園『平和の礎』にて「山崎幸雄」の銘をみつけた。
2007年08月14日
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今日は07年7月7日だ。トリプル7。7-7-7。グリニッジ標準時だと、日本時間の正午で07年7月7日になる。なんだかさ、パチンコだとか知らないボクですが、とてもラッキーな気がします。77年7月7日まで生きていたくもなく、生きているわけもなく、すると、このような具合の7並びは、この人生で今日だけ。なんだか楽しいですね。世界中がラッキーデイ。うれしいじゃないですか。天の川の写真は↓から借用http://www.ne.jp/asahi/stellar/scenes/milky.htmlハートピット
2007年07月07日
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とある牧場にて馬です。馬は感情豊かなとても賢い動物です。我が家のソファーにて犬です。まだ子犬です。今は大きくなりました。犬は感情豊かなとても賢い動物です。 ハートピットにて人間です。人間は感情豊かなそこそこ賢い動物です。甘え下手におちいりがち、という点では、もしかして馬や犬よりアホタンチンかもしれません。ハートピット
2007年06月28日
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日経BPオンラインに連載中の『土壇場の夫学』。以下に掲載するのは、不満足ゆえにボツにした原稿です。でも、このまま棄てるのは忍びないので、よろしければおヒマな折にでも。 3万2千155。妻に遠慮がちなサラリーマンのひと月の小遣い額? 違います。これは06年中に日本で自死した人の総数。警視庁が6月に入って発表した最新データです。 この3万余なる数字で、日本の人口1億2千755万(07年4月1日現在の概算値)を割り算すると、約4千弱。ごく大雑把にいえば、去年1年間の日本では4千人に1人ほどが自死しちまったってことです。 日本の年間自死者数が3万人を超えたのは98年。それまでは2万人台で推移してたのに、97年の2万4千331人から、一挙に3万2千863人へと急上昇。以来去年まで3万1千から3万5千弱の間を上下しながら丸9年。もし今年も3万人を超えるなら10年におよぶ悲惨な大記録となります。 4千人に1人。これは大変な数字です。年間だと4千分の1だけど、10年間となれば4百分の1。もし今後も同程度の自死率のまま推移するなら、50年間だと80分の1。80年間だと50分の1。つまり平均寿命80余歳の生涯を通じれば、日本人の50人に1人が自死しちまう、という計算です。 も一つつけ加えると、総数でみるなら女性の自死者数に比べて男性の自死者数は3倍弱ですから、男性にかぎっていえば20何人かに1人くらいが自死しちゃうってことになるのでしょうか。 ちなみに年齢で区分けすると、近年では50代以上の自死者が全体の半数以上。自死の危険度は中高年男性において圧倒的に高くなる。これは世界各国の状況に照らすときわめて特異な現象です。 率でみるなら、日本男性の自死率は世界2位。日本女性の自死率は世界1位。いずれにしたって、気分の悪い「世界トップレベル」。きつい話です。 ってやんで! アッタリメエだよ。政府が悪いんだよ! 格差拡大を放置したあげくに、たのみの年金にだってすがらせねえテイタラクだ。自ら死したくなっちまうのも人情だろうが。こんなご時世じゃ、自ら命を絶つからってバカだ卑怯だなんて責められねえよ。 そうだよな。バブル崩壊以来、生きにくい国になっちまったもんなあ。 だろ? オメエだって、死にたい、死ぬしかないと思い詰めたことあるだろ? 1度や2度じゃないはずだ。 まあなあ……まったくないとはいえねえなあ。あやうく死にたくなっちまいそうな気分を、苦い酒無理やりあおってしのいだ日々も、なかったわけじゃねえもんな。 統計をみると、バブルまっさかりのころの自死者は、その前後に比して高まっています。バブル崩壊からの10年間は、むしろ少なくなっています。 となれば、必ずしも経済状況が人々を死に追い詰めるわけではないのでしょう。 たとえ金がなくてもよ、おマンマ食うだけで精一杯だってよ、うれし楽しい日々であれば死ぬわけねえよな。 そりゃそうだ。 だけどよ、女房によるわが身の扱いは邪険の一本槍。子どもらまでもがそっぽ向いたままウンでもスンでもねえ。 そうだよなあ。そんな寂しい身の上となりゃ、少々金があったって死にたくなっちまうかもしれねえなあ。 警視庁の分析による自死の動機をみると、第1位は「健康問題」。第2位は「経済・生活問題」。第3位は「家庭問題」。この三つを合計すると動機全体の74%。となれば、これらの諸問題を適切にサポートする体制が整うなら「自死を選んでしまう者」の数は激減するのでしょうか。 ボクは、そう単純ではないと感じています。 YG検査と通称される心理テストがあります。カウンセリング現場において比較的多く用いられている心理テストです。 ボクも、これまでに数百人の方々にこのテストを受けてもらってきました。 その結果、ボクがもっとも強く認識させられた日本人の性格傾向は「自己主張の弱さ」です。 実際をいえば自己主張のレベルを示す検査項目があるわけではありません。自己主張の土台となる「攻撃性」の項目において、大半の方々が「低すぎる」のです。 ごく大まかには「荒んだ心」でありながら攻撃性が高ければ「手に負えない厄介者」になりがちでしょう。けれど適度な攻撃性の上に「安定した心」が乗っていれば「しっかり自己主張できる性格」になります。 自己主張。私はそうしたくない。私はこれが好き。私はこうしたい。私はこれが嫌い。君の意見はそうだろうけど、私の意見は違う。君はそれを食べろとすすめるが、私はこれを食べることにする。ごく単純には、そのように「自分の思い」を表現できる力を自己主張力といいます。 この自己主張力が弱いとどうなるか。いいたいことをいえずに、自分の思いを圧し殺してばかり。「不本意ではあるがそうするしかない日々」を過ごしていれば「抑うつ」が募ります。知らぬうちに「どうせ俺なんか」や「なぜ俺はいつもこうなんだ」といった自責系の念も深まります。 この抑うつと自責がたまったあげくにたどりつくのがうつ病です。いうまでもありません、うつ病においては自死を選ぶ危険が高くなります。日本人は全体として自己主張が弱すぎるとみるなら、その日本人的性格傾向こそが自死率を高めているのだとみなければなりません。 自己主張訓練=アサーティブネストレーニング。このトレーニングにおいてもっとも重要なのは「たとえ受け入れられないとしても、表現する」だとボクは信じています。「どうせ分かってもらえない・受け入れてもらえないのだから」に類する諦めを重ねるとき、人の心は無力感と自責感にさいなまれるからです。 だから、妻が邪険に扱うなら「おいおい、そう邪険に扱うなよ」と声に出していうことです。小声ではなく聞こえる声で。たとえ返答がないとしても諦めちゃいけません。諦めないで声に出しているうちに、幸いにも「怒り」が湧き出てくるなら、その怒りをも声に出しましょう。「怒り」は攻撃性の源であり「生き抜く力」の土台だからです。気づいてますか。つまるところ「怒り」を表に出せずに自分に向けてしまう究極のところにも「自死」はあるのです。声に出そうが怒ろうが思いが通じなかったら耐えがたい? だったら、たとえば犬と語らいましょう。おいポチや、俺の人生ってのは、いったいなんだったんだろうなあ。ポチは、いかに頭がよくても返事はしません。けれど優しいポチなら語りかけるたびに耳を動かします。ご主人様が何かを語るたびに心を向けてくれてるのです。人の心ってのは、そんな程度の行き交いにだって救われます。重い話題になっちまいましたね。書き終えたボクの気分も重たいなあ。さて、わが家のポチと早朝散歩に出かけましょう。ハートピット
2007年06月14日
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今日(5月19日)、仕事を終えてドアを開いて空をみたらこの二つ。金星と月。毎度お約束のデキスギ天空。ボクは、みんなにいいたくなる。近所の仲良しにも、ほらほら、みてごらん、ほら、金星と月、きれいだよ。酔狂に付き合って「ほうほう」とながめてくれる人が好き。家に帰りついて、息子にいいました。ほら、金星と月、きいれいだよ。息子も、酔狂に付き合ってくれます。ありがたい、うれしい、たのしいなあ。from ハートピット
2007年05月19日
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連休中のある日、ボクは仲良したちと連れ立って多摩川河川敷を10数キロばかり散歩しました。楽しかったなあ。よい木があって、その木と気が合って、いいよというので登らせてもらいました。ボクが登った後、同行の少年二人も登らせてもらいました。少年よ少年よ 木に登れ空に近づき遠く遠くを望み見ろ少年よ 夢想しろ煽ぐ翼で空泳ぐその悦びを夢想しろ少年よ 木に登れ震える足で木にすがれ震えて登る小さな勇気によし とうなずき己を誇れ 山崎雅保(2005)from ハートピット
2007年05月09日
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歩く。幸せなことです。頭が休まる。体もほぐれる。みんな、もっと歩くといいよ。今日は日曜日。たっぷり里山散歩しました。もちろん同居犬も同道してもらいました。ハートピット
2007年04月22日
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私の同居犬、仲良しの二匹。二匹ともども甘え上手です。かわいいっちゃありゃしない。二匹それぞれに人間にくっついたり互いにくっついたり。大暴れしたり穏やかに過ごしたり、ひたすら眠り過ごしたり。今日は散歩に行けないけれどこの二匹との散歩は最良のゼイタクです。ハートピット
2007年04月10日
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イルカってのは楽しいよね。活発で賢くて。彼ら・彼女らは、きっと自身の意思で人間とつき合ってくれてるのだとボクはそう思えてなりません。ジャ~~ンプ!ワオ!ハートピット
2007年04月09日
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春の祝福を受けて走る子ども。ハートピット
2007年04月08日
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母上様進呈します精霊流しH13.9.4 かずき古本屋さんの100円均一ワゴンにあったさだまさし著の『精霊流し』。表紙を開くと「母上様」と記した紙片がセロテープで貼られていました。この『精霊流し』ときたら新品状態。中にはさまったハガキやらの様子をみても、読まれた形跡がありません。ボクは、なんだが呆然としてしまいました。進呈されたお母さんは、読まぬまま古本屋に売ってしまったのだろうか。それともお母さんは、読まぬまま亡くなってしまったのだろうか。ちょいと哀しい思いでした。けれど同書を読み終えてみて信じられました。かずきさんが母へ届けと同書に託した深い思いは、いずれにしたった母の心に届いたのだ、と腑に落ちました。『精霊流し」。誠実に生き続けてきた男の物語でした。ハートピット
2007年04月08日
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いわずとしれたアンタじゃない、マンタ。オニイトマキエイ。巨大(になる)エイ。品川アクアミュージアムにて。ハートピット
2007年04月07日
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おもしろいよね、これ。ソーフィッシュ、エイの仲間。顔のようにみえるけれど、目は写ってません。写っているのは鼻穴と口。品川の水族館にて。ハートピット
2007年04月05日
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昨日・今日のスナップ。説明不要の情景ばかり。手抜きで羅列しちゃいます。ハートピット
2007年04月02日
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住まいに近い里山。フルコース歩けば、たぶん4~5時間は楽しめる、かなり奥行きのある里山。昨日は、陽気に誘われてたっぷり堪能しました。この木。Star warsに登場する異星人または麗しきオミアシ。無数の木々の中でひときわの異彩を放っておりました。ハートピット
2007年04月02日
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毎年華やいでくれる、ボクの在所近くの枝垂れ桜。桜ってのは、私的には、感情的葛藤を呼び覚ますものでもあるけれど、トヤカク思わずに満喫できると幸せ。今日、東京圏は雨っぽい空。花見散歩には残念な空。ハートピット
2007年03月31日
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昨日は、今年初めて、歩くだけで汗ばみました。春本番、ってよりも初夏になっちまったなあ。でも春は春。桜も咲いたし、新緑が目にしみるし。これからしばらく、極上気分の日々が続きます。こちらはボクの大好きな命。手前は、ボクを担当してくれてるパスタ。奥は、息子を担当してくれているクー。犬に愛され犬を愛する。ボクは半世紀以上、犬たちの愛に恵まれてきました。ハートピット
2007年03月30日
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日経新聞のWeb雑誌・NBonlineにボクが連載中の『土壇場の夫学』に新原稿が掲載されました。「愛されるに値する男とは」どうかご一読いただきたく、お知らせいたします。
2007年03月22日
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いよいよ桜が咲き始めました。春本番がやってくる。なんだか、少し気分をあらためてちょっとの覚悟とともに「春」に踏み出すぞ、ってな思いが浮かび上がってきました。そりゃそうだ。春は新たな始まりだものね。だからこそ辛い気分になる人もいるってあたりも「元気な人々」はちょっと分かっているといいかも。ハートピット
2007年03月22日
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驚きました。けっこう混乱しました。昨日のことです、山手線恵比寿駅でこの写真の掲示。あれれ? 国鉄って、もうないだろうに、今は2007年のはずだよな。国鉄? もしかしてボクはタイムスリップしちゃったの?ハートピット
2007年03月21日
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歌を唄う、歌を作る、のはボクがもっとも長く大事にしてきた遊び。いまもときどきコンサートなど開かせてもらってます。先の日曜日は、友人である小学校教師に招かれ、彼のクラスの子ども達や親御さんを前にしてたっぷり唄わせてもらいました。手伝ってくれたのは、友人である青年二人、同僚のナルさん、それからボクの息子。大満足で唄い終えることができました。花束もいただきました。花束ってのは、うれしいですね。ハートピット
2007年03月13日
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昨日は原稿日。家での仕事。ま、原稿は夜にずらせば、遊ぶ時間もたっぷりの日。具合のよいことに中学生の息子が休みで、娘もフリータイムあり。だったら、ということで、このところの懸案だった饂飩打ちを楽しんだ。初めてのこと。けれど、このところパン生地作りやパスタ作りやピザ生地作りを重ねているから粉扱いにはなれている。とくに困ることもなく完成した。粉ふるいを始めてから食べるまでに4時間弱。総投資額千円未満。たっぷり楽しめて、時も過ごせて、しかもとても美味しかった。饂飩打ちは、スローライフに最適の遊び。ハートピット
2007年03月09日
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今日の昼食時、とても暖かかったので、上着を着ないで歩きました。まだ冷たさも残る風。けれど、温もりの成分の感触もたしかに感じ取れる。注意深くみまわせば、そこここに春の精の姿をみつけられるようになりました。さてさて、この花咲く木には、いったい何人の春の精が遊んでいるでしょうか。ハートピット
2007年03月01日
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私と息子に、遅まきながらの豹柄ブームです。知己が、よろしければ引き取ってください、とのことでヒョウモン・トカゲモドキが2匹やってきました。豹の紋様のヤモリの仲間。なかなかかわいい連中です。かつてのボクは、この種の生き物が苦手でした。今は本当に分け隔てなくなりました。とりあえず、みて気持ち悪いと思うものはほとんどなくなりました。歳のせいではなくて、生き物を愛してやまない息子のおかげです。ハートピット
2007年02月27日
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誤解されちゃうかもな。だから、しっかり書いておきます。やっぱり、ボクは怒っています。口がすべったとか、政治家同士の内輪の騒ぎだとかではない。女だ男だの問題でもない。どんな形であれ、他の誰かを故なく見下すような人には、怒ります。許しません。写真は、友人が撮った雪国の美。ハートピット
2007年02月05日
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