ヘンリーの国際関係学

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September 15, 2004
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日記の7月27日の分に、
<ヘンリーのヒトリゴト番外編「こどもが尋ねた『人権ってなぁに?』」>
と言うコラムを載せました。

「先生はこういう意見を聞いたらどう思うのだろう?」
と思ったので、聞いてみました。

是非目を通して下さい。


―――――――――――――――――――――――――
人権教育、難しいよね。なぜ難しいかというと、扱うにはあまりにも漠然としすぎて
いるから。だからこそ、ヘンリー君の言う「あくまでラベルとしての『人権』」や「生徒

「人権」という言葉の便利さに、人は事の本質を見失ってしまっているという着目は
なかなかです。(ちなみに言葉関連の話題なんですが、「学級崩壊」という言葉の定
義付けを怠って、あまりにも言葉を一人歩きさせすぎてしまい、結果、人々は混乱状
態の教室もザワザワ程度の教室も同じに捉えてしまって、本当の問題の解決を遅らせ
てしまっている、と指摘した学者が実際にいます。)
さらに、教師は教育内容の押し付け役ではなく、議論のファシリテーター役に徹する
べきという意見、もっともだと思います。

ですが、ヘンリー君のこの考えは、一体どのくらい斬新でしょうか。

確かに、生徒にいきなり人権ポスターを描かせるのはひどい事例です。ですが、それ
だけが状況として全てではありません。ヘンリー君の提案するような方法で指導に取り組
んでいる教師は、既に山ほどいます。

かにあります。教壇に立ったときに、どうするのかということです。

教師の仕事は、状況の設定と調節です。

例えば、道徳教育で、モラル・ジレンマというものがあります。複数の選択肢があっ
て、児童・生徒はそれらの中からひとつだけ選ばなければならない、ただし選択肢は
それぞれ比較しがたいメリットとデメリットを含んでいる、という条件付けです。こ

うことだけが焦点化されます。
>「じゃあ実際に人権侵害を受けてみようか!よーくわかるよー」
というのは確かに行き過ぎですが、教室ではロール・プレイングも有効な手法です。

上のような方法を用いるなりして、問題意識を持つような状況を設定し、子どもたち
の思考を汲み取りながら、常に場を調節し盛り上げていく。ヘンリー君は「人権=当たり
前の事」というテーマをしっかりと持っているのだから、もう一歩踏み込んで、次は
どうやって「何が当たり前を知り、それを当たり前にする」という議論を成立させる
のか、いかに子どもたちに考えさせるのかを聞かせてもらいたいです。

あと一つ。

>「当たり前の事を当たり前にやる」それで十分なのです。
>「人権」なんて仰々しい言葉を使うからややこしくなるんです。
>文部科学省も罪な事をしたものです。

それでは、文科省の人たちは、本当にその「当たり前の事」を見過ごしてしまってい
るのでしょうか。なぜ「当たり前の事」を文言として盛り込まなかったのか、これを
考えてみるのもいいと思いますよ。

* * *

さて、ヘンリー君はどの段階をもって人権教育が成功したと考えますか。子どもたちが
「当たり前の事」を一定数以上理解したらでしょうか。
僕は、児童・生徒たちが「よりよい人間関係を作る為には何をしたら良いのかな?」
について話し合って、話し合った後も心のどこかにわだかまりを感じていれば、また
あるいは、人権ポスターを描き終えた女の子が「まだやっぱり(内容的に)納得がい
かない」と思っていれば、成功したものと考えます。計りがたいものですけどね。

「人権」は、例えば「生命」や「コミュニケーション」といった言葉のように、正確
な理解や定義がほとんど不可能で、いくらでも言い換えることができる言葉だと思い
ます。「当たり前の事」という捉え方は、的を得ているにしても、それでもどこかに
弱点があるのではないかという不安は感じていませんか。
しかし、僕が子どもたちに持ってもらいたいのは、まさにそういった不安に他なりま
せん。それは、安易に答えを断定せず、ひたすらに考え続ける原動力になります。

それにもかかわらず、今、「人権ってなぁに」と尋ねる子どもに対して、「人権って
何だろう」と応え、一緒になって真剣に悩むことのできる大人が、教師も含めて、少
ないように感じます。ここは、僕個人としては、人権の易しい説明の仕方よりも、注
意すべきところだと思うんですが。

最も大切なのは、考えればきっと納得のいく答えが見つけられる、という立場よりも
むしろ、答えが決して見つけられないものに対して、どう向き合い続けていくか、と
いう立場だと思います。絵描き屋さんは、彼が描こうとする対象を観察すれば観察す
るほどに、逆説的に、その対象の輪郭はぼやけていくと言いますが、それでも彼は必
死になってその対象を画像として捉えようとしますよね。その姿勢です。我慢の姿勢
とでも言いましょうか。


――――――――――――――――――――――――――――

いくつか質問をしていただいていたので、
実際にこの方に返事をしたものを、ここに載せようと思っていたのですが、
持ってくるのを忘れたので、それに関しては2週間ほど(笑)お待ち下さい。

書き込みは自由にどうぞ☆


――――――――――――――――――――――――――
以下、追記です。
僕のメールの返事です。



お返事ありがとうございます!!
めっちゃ嬉しかったです。内容も満足そのものでした☆
やっぱり、本物に聞くと違うなぁ、と感心して感動しました。

>へンリー君の提案するような方法で指導に取り組んでいる教師は、既に山ほどいます。

安心しました☆英国では、この方法で指導され、効果的であると思ったので…。


>というわけで、僕が気になるのは、ヘンリー君は「具体的に」どう話し合いを成立させるかにあります。教壇に立ったときに、どうするのかということです。

なるほど。そこまで踏み込んで考えていませんでした。


>教師の仕事は、状況の設定と調節です。

これは色んな場所であるべき指導者の立場なのかなぁ、とふと考えました。
例えば部活から政治などでも当てはまる指導者の立場なのではないか、と。


>例えば、道徳教育で、モラル・ジレンマというものがあります。複数の選択肢があって、児童・生徒はそれらの中からひとつだけ選ばなければならない、ただし選択肢はそれぞれ比較しがたいメリットとデメリットを含んでいる、という条件付けです。これには、いわゆる正解というものはなく、いかに思考してその選択肢に至ったかということだけが焦点化されます。

就職試験でも似たようなものがありました。とても難しかったです(ユニクロの2次試験でそれがあって、落ちました)。
議論は「なぜこう思うか」という所を話し合う所に重要性があるのだと思いますが、それを実際に行うのは難しいですね。


>「じゃあ実際に人権侵害を受けてみようか!よーくわかるよー」
>というのは確かに行き過ぎですが、教室ではロール・プレイングも有効な手法です。

この話をした時、友人が話してくれたので思い出したのですが「青い目の子、茶色の目の子」ってビデオを見た事があります。
小学校で、最初、先生が「青い目の子は劣っているから」と遊具を制限したり、差別させるのですが、
3日ほど後に「ごめんなさい、先生が間違っていました。茶色の目の子が本当は劣っていて」と差別する対象を変える、という事をするのですが、
そうすると子供たちは差別される側の苦しみが解る、というような内容でした。
ロール・プレイングは重要ですね!


>ヘンリー君は「人権=当たり前の事」というテーマをしっかりと持っているのだから、もう一歩踏み込んで、次はどうやって「何が当たり前を知り、それを当たり前にする」という議論を成立させるのか、いかに子どもたちに考えさせるのかを聞かせてもらいたいです。

今はロールプレイングが良い方法かな、と思っています。
双方の立場を(やや誇張した形で)理解することができますから。
その後に、子供たちに感想を聞き、気持ちを整理させる話し合いを設ける、という感じでしょうか…。話し合いには家族も巻き込む事ができたらいいとは思うのですが(宿題として家族で話し合ってもらう等)、それは難しいですかね?


>>「当たり前の事を当たり前にやる」それで十分なのです。
>>「人権」なんて仰々しい言葉を使うからややこしくなるんです。
>>文部科学省も罪な事をしたものです。
>それでは、文科省の人たちは、本当にその「当たり前の事」を見過ごしてしまっているのでしょうか。なぜ「当たり前の事」を文言として盛り込まなかったのか、これを考えてみるのもいいと思いますよ。

「人権」という言葉自体が持つ力が強力だからでしょうか?
考えた事がなかったですが、確かにそうですね。


>さて、ヘンリー君はどの段階をもって人権教育が成功したと考えますか。子どもたちが「当たり前の事」を一定数以上理解したらでしょうか。
>僕は、児童・生徒たちが「よりよい人間関係を作る為には何をしたら良いのかな?」について話し合って、話し合った後も心のどこかにわだかまりを感じていれば、またあるいは、人権ポスターを描き終えた女の子が「まだやっぱり(内容的に)納得がいかない」と思っていれば、成功したものと考えます。計りがたいものですけどね。
>「人権」は、例えば「生命」や「コミュニケーション」といった言葉のように、正確な理解や定義がほとんど不可能で、いくらでも言い換えることができる言葉だと思います。「当たり前の事」という捉え方は、的を得ているにしても、それでもどこかに弱点があるのではないかという不安は感じていませんか。
>しかし、僕が子どもたちに持ってもらいたいのは、まさにそういった不安に他なりません。
>それは、安易に答えを断定せず、ひたすらに考え続ける原動力になります。
>最も大切なのは、考えればきっと納得のいく答えが見つけられる、という立場よりもむしろ、答えが決して見つけられないものに対して、どう向き合い続けていくか、という立場だと思います。絵描き屋さんは、彼が描こうとする対象を観察すれば観察するほどに、逆説的に、その対象の輪郭はぼやけていくと言いますが、それでも彼は必死になってその対象を画像として捉えようとしますよね。その姿勢です。
>我慢の姿勢とでも言いましょうか。

この部分には、本当に感動する以外のことができませんでした。
答えを見つけるのがゴールなのではなくて、答えが何かを考え続けるようになることがゴール、ってコトですよね?激しく同意しました…。
我慢の姿勢!僕もずっとその気持ちを持ちたいと思います!!


>それにもかかわらず、今、「人権ってなぁに」と尋ねる子どもに対して、「人権って何だろう」と応え、一緒になって真剣に悩むことのできる大人が、教師も含めて、少ないように感じます。
>ここは、僕個人としては、人権の易しい説明の仕方よりも、注意すべきところだと思うんですが。

これもそうだと思います。安易に「(大人の)正解」を与えようとし過ぎているんですよね。
でも現実の世界ってそんなに単純じゃありませんし、大人も一緒に考えていかないといけないことがいっぱいあるはずです。



―――――――――――――――――――――――――――
以上が、僕の返事です(ちょっとだけ手直しもしましたが)。


※ちなみに 明日の日記 に少しだけ続きます。





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Last updated  November 27, 2004 06:06:47 AM
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