僕のできる事

僕のできる事

ある男の人生6章



店長となって、2ヶ月が過ぎ、仕事にやっとなれたかと思っていると、突然社名が変更になると、連絡がはいり、親会社ガ変わり、茨城にある、あかしという会社に吸収されたということで、周辺が急変してきた、ファサード看板(店の看板)の店名は変わらないままに、本部の人事が、大幅に変わり、店の商品も総入れ替え、レジも、POSに変わり、一也の直営店から試験を開始し、加盟店に、社員総動員で首都圏本部は沈没し、関東本部として新しい船出をすることとなった。詳細について、考えている余裕は一也には無かった、この急変についていくので必死だったことが、一也にとって、このPOS入れ替えは有効なできごとだった、今まで、店長でありながら、年末、年始に店の応援にいっただけなので、店の仕事は、わからないことがあると、店のパート、アルバイトに聞いて、それでもわからない時は、本部に一日20回も電話してわからないことを解決してきたが、これからは、全て教えていくという本来のあるべき姿となり、一也はほとんど、店にはでなくなり、POSによる、単品管理に取り組んでいた時には倉庫にダンボールを敷いて夜を明かすことが、頻繁につづくようになっていた、朝、昼、夜のお客様の流れ、欠品の無い売り場づくりをひたすら追い求めた。一日、一日売上が上がっていくことに、快感を覚えるようになった、弁当が足りなくなった時は、お客様の前で炊き立てのご飯パックを売ったこともあったおかげかは、はっきりしないが、もともとが、血液B型の一也は、すっかり店の売上にのめりこんでしまっていた、いいといったことは、全て取り組んでいが、仕事に夢中になっているあいだに問題が発生していることに気が付かないでいた、休む人が目立ってきたので、自分の仕事ができずに、レジにたつことが増えてきて、時にはピークの時に一人で接客をしたときなどは二十人ぐらいの人にならべられ、電話がなっても出ることができず、見かねたいつも利用して頂いているお客様に、レジの応援をして頂くことがふえてきて、売り場も当然のように品切れがめだちはじめ、売上も比例するように、伸びなくなっていた、しかし、客数の減りがそれほどでないことに気が付いた一也は、客単価が低いこと原因にし、従業員の時給をあげて,人員の確保をすることで売上は回復すると、稟議書を提出した。と同時に、一也は自分の動きがスムーズにいかないことが、ちょっと変だなあと感じはじめていた、レジ袋を取ろうと横にうごくときに、たまにふらつくことがある。
それほど、気にしないでいたのだが、夏にジュースの補充をしやすくと、考えていた時、できる限りのスペースを使おうと足のつま先でジユースのケースを上げようとしたときに。肉と骨がはがれたのじゃあないのかと思うほどの痛みを感じた。

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