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遺産分割、整理の話し合いは相続人同士でいつするのが適当なのか?私の中では49日が適当だと思っていたのだが…。------------------------------------------------------------相続権の放棄とは…被相続人が死亡して3ヶ月経過していても【自己が相続人になったことを知ったときから起算する】------------------------------------------------------------長女曰く「父親の銀行口座を凍結・解約するため」との返答故人の口座は金融機関側に「本人死亡」の情報が入ると口座がストップ引き出すには相続人全員の委任状が必要葬儀で急ぐ事は「故人の口座から必要な金額引き出すこと」だろうなぜなら最近のご老人は自分の葬儀代ぐらい貯金している。逆にすぐ解約するとマズイ理由は・故人の口座から引き落とし(光熱費・通信費)の有無・振り込み(年金・その他)の有無を考慮する必要がある。そうそう一般の人の訃報の情報が金融機関に流れることはない。実家は地方なので、どんな人でも地元新聞の「地域の訃報欄」に掲載される。「隠密に葬儀をしたい」母としては速攻新聞掲載を止めた。知り合いの葬儀屋さんは「遺産関係の手続きは死後すぐやるとか聞かないし相談もされないな…」と。------------------------------------------------------------2月9日出発当日関東は寝雪が残りながらも「やっと行ける」と安堵し空港行きバスを待つがなかなか暮らせど来ない。バスに乗れば45分で空港に着くのに道路は渋滞している様子…やっと来た運転手に「これに乗ったら空港まで2時間かかります!!」私たち夫婦同様「ギャッーーーー!!」ってキャリーを引きずりゼーゼー言いながら他の何組かの人と共に駅に走って行き、なんとか飛行機に間に合う事ができた。グッタリしつつ北海道到着駅まで迎えに来た次女も「やっと来てホッとした~」と歓迎しつつ長女に対する注意事項をうながしてきた。父死亡の夜(2月7日)枕経を上げに坊さんと父方親戚が来た→『えっ?親戚に知らせたの??』長女曰く「私はアタマ良いのに家族全員オカシイ私だけこの家の人間じゃない!」2月10日に葬儀屋さんに来てもらい洗女と打ち合わせさせる。長女曰く「洗女は東京のやり方持ち出す気でいるから、説明してもらう」と…。次女は「私は今まで聞き流してきたから洗女もそうした方が良い」「ママが長女VS洗女でバトり神経ヤラれて憔悴して倒れそう」「葬儀屋さんもわざわざ呼んで手間取らせるのが申し訳ないから呼ばないで欲しい」との事だった。忠告はありがたいが我慢する気が無かったが、飛行機騒ぎでグッタリ疲れたので勘弁して欲しかった。------------------------------------------------------------帰宅すると、長女と旦那(義兄1)とその次男そして母がいた。「げっ、なんでいるんだ?」とスルーしまずは父に会わなければいけない。2Fの仏間はタンス3組ある6畳棺を取り囲むように【白布】が天井から床まで吊るされてボロを隠していた。それにしてもやけに狭い!と思ったらタンスの前にパイプベットがありそれも白布で隠して棺を安置してあった。「仏間だからこの部屋にしたのか?」それにしては仏壇の扉は49日まで閉めるものだが全開OPENんーこれが北海道流?それともウチの宗派?がこうなのか?仏間は導師と家族2人しか入れなく「狭小で通夜かぁ…」と他の人は茶の間で壁を向いて通夜を迎えた様子だ。棺は一番安い【桐八】私も一人でかつぐ事のできネジもなくでカラーボックスより簡単に作れる。今は棺や骨壷もネットで売っていて、それを持ちこむ人はあまりいないのが現実だがAmazonで桐八が2万しないから送料入れても大分お得だ。「パパに欲しいな…」と生前思っていたがまだ健康な時だったし、管理が悪いとカビとか生えそうだから買わず終いだった。購入したら自分ん家の棺なのだから『棺カスタムしたらダメなのかな~』と思っていた。話がそれるが…痛車とか痛スノボーがあるから【痛棺】はダメなのだろうか?棺前面に二次元嫁を描き、嫁の抱き枕と共に「嫁(2次)と一緒にあの世に逝きたい」と願う人もいるのではないだろうか?死という断絶や終焉の時、そのような趣味の物を持ちだしたら「悪ふざけ」と捕らわれるのかもしれないが今や結婚もしない車も買わないけどアニメやアイドルには価値を見出し親近感を感じ「俺たちが育てた!」と本気で好きな人々は選挙権を百万単位で買う人だ。凝り性の彼らは葬儀で嫁と共に逝けるのならその演出にメチャクチャ凝るのではないだろうか?アイドルは肖像権があるし、大島優子も棺になるのは良い気がしないだろうが秋元康やヒャダインがヤルと言えばAKB葬儀社とかスグ出来そうだ。(あ、でも高くなりそうっ!)冠婚葬祭はオプションという演出で売り上げを上げる業界である。それに、アニメやアイドル好きの坊さんなんか間違いなくいると思う痛棺を見て「故人の嫁も良いけど、ウチの嫁の方がもっといい」と読経を上げるかもしれない。冠婚葬祭業界は、消費できる購買層を自由度が低いだけで取り逃しているのではないだろうか?------------------------------------------------------------「パパ~来たよ~」と桐八の窓を開け父にご対面。納棺師として気になったのが、棺の窓のアクリル版に砂ほこりが付きっぱなしだった件。棺は倉庫でダンボールに折りたたまれた状態で保管されており納棺する前に、ババババーっと組み立て持参する。桐八はリーズナブルで回転率の良い棺も若干の砂ぼこりや木屑の汚れは必ず付いている。窓を開けた時にアクリル板の中と外の両面を拭くのは当たり前の作業なのだが「これも北海道流なのか…」と黙って拭き取って置いた。当の父は確かに小汚く、髭もボーボーだし片目と口が開き歯も鼻毛も見える…。でも【良い遺体】でした。死後3日目、納棺されていた父死んだ初日につけたドライアイスは溶けてなくなっていたが、臭くもないし変色もない。闘病中の「病み疲れ」はあってもそれはメイクや処置でキレイに出来る類。この仕事を通じて、父の遺体を見てやっと実感できたのが「ご遺体は3、4日目が一番良い顔」だと言える!と確信しました。死に際の苦しみの表情も死後変化による筋肉の弛緩で表情がゆるみ穏やかに見える父を見てグッと胸が熱くなったのは「眉間に全然しわが無くて、父は苦悩を感じていない」そう思えたから…。「楽になれたんだ、ヨカッタ。」そう安堵出来た事がとてもありがたく、父に対して感謝の気持ちで泣けたのです。色んなご遺体に接すると、頭の地肌からマッサージしても眉間のしわが取れない故人様もいて、故人の表情は見る者の気持ちを左右します。「人生の歴史」は技術だけでは改善できないのです父は眠剤でとにかくいつも寝ていた人。ベットから落ちてからは歩けないのでオムツをして少々床ずれが気になりだした頃に亡くなった。介護してきた母や姉たちは、思い通りに食べたり酒を止めない父に憤りや不毛を感じていた時期もあったが我をつき通した死に方により結果、脂肪が無く栄養素がない父は即身仏さながらに穏やかな良い遺体になれたのですから、不思議なモノだ次女曰く「何かしてあげたらナムナム~って手を合わせてね。だんだん仏に近づいてたよ。」と。延命治療の是非を論じる書籍が沢山ある。もちろん「死にたくない・死なせたくない」そう強く願う人には延命治療は大変意味のあるものでそれを否定はしない。何かの本で『「120歳まで生きたい」と言っている人がいたのでボクは随分この人は欲張りだなぁと思った…』と、書いている本がありそれになんとなく共感できるのはそこには本人の欲の様なモノを感じたからだ。人生は苦楽どちらの中にいるのが良い悪いではなく苦しくとも「人間らしい心と感情」で学びがある状態が大切なのだと思う。父自身は生きることを放棄する様な終末だったが家族にお礼なんか言ったことない人なのに人に感謝できる人になっていた。私の中にある「誰かに認められたい」という気持ちは人に「感謝される」「褒められる」事で感じ取れそれが「生きる糧・生きがい」になるだが、感謝してくれる人・褒めてくれる人がいるからこそそれが成り立ち逆に「生き場所」を与えてもらえているに他ならない。感謝の感情は心を整えると思う。小さな事で人に感謝できたり、日常にありがたいと思えたら「生きてるだけで丸儲け」になり寿命という命の長さにこだわらなくて良いのではないだろうか?父は本当は何を思っていたのかはわからない。でも、私たち家族はそこから感じる事や学ぶ事が沢山あった。死してさらに感謝を感じられた。親が子に最後に与えられるものは「死を教える」ことだと思う。次女はしきりに「パパはちょうど良い時期に死んだんだと思う、きっと今がベストだと思って死んだんだと思う」と言う。こんな状態を治めるつもりで言ってくれているのかもしれないが仏に近づいた父は、喜怒哀楽など「人間らしい心」は通り越してしまったからもう人でいる必要が無くなったのかもしれない。父のような自然に生きる力が消える亡くなり方なら「遺体が傷むから」という常套句は本来使えない。腐るというより乾燥し「シオれて行く」という状態。延命治療が無い明治・大正時代なんかはこんな亡くなり方は普通だろうし、ドライアイスなど本当に無用だっただろう。葬儀は忙しく、時間が足りなくて終わってから心残りが1つ2つ出てくるモノだ。それに、だんだん良くなる表情の故人をすぐに火葬するのはもったいないと実感した。それにもしご自分で亡くなった家族の処置やメイクができるなら?(もちろん納棺師に頼んでも良いでしょうが)5,6日はイケるだろうから葬儀は焦らなくても大丈夫と私はそう思う父への焼香が終わったら、いよいよ「長女と対決」だ憂鬱な気持ちで棺の窓を閉めた続く
2014年03月31日
2月7日の夜から降り出した雪は翌朝にはすっかり関東を北国に変えていました。2月8日:帰省予定当日「こりゃ飛行機飛ぶのかな…」寝ないで葬式に行く準備をし、朝一ペットシッターさんと自宅での留守中の打ち合わせ。雪は一向に止まず旦那が「えっ!!飛行機欠航っ?」と叫びネットやTVを見つつ航空会社に電話しまくりましたが…完全終了茫然とした頭で「うちのように葬式でどうしても帰らなきゃいけない他の人もきっといるんだろうな…」と妄想していました。とりあえず実家に知らせなければならない。時間はまもなく正午洗女「飛行機やっぱり雪で欠航、今日行けないから葬式延期して」母「えええ?うわぁあぁ~どうしようねぇ」母は関東では大パニックになっている状態に実感が無い様子。洗女「なんとかこっちも行ける便探して見るし、列車も乗れるか探すけどでも葬式今日にしたんでしょ?ワタシ聞かされてないよ、だます様な事してヒドイ!」母「いやぁ、9日の通夜にしようと思ったらお坊さんが骨折してて代わりのお坊さんが8日か10日の通夜じゃないと来れないって言うから仕方がないのさ」菩提寺の坊さんが骨折って…;代わりの利かない商売しているのに随分不注意な坊さんだと少し呆れた。洗女「ちょっとまって、なんでうちが坊さんに合わせないといけないの?ウチの葬式なんだよ?!」母「いや~それに長女婿が休み取れないって言ってるし、親戚にももう連絡してこれから来ちゃうから」洗女「甥っ子達は休みどうなの?オジサン達は?」母「休み交代したみたいだけど、オジサンたちはみんな定年してるから…。」洗女「じゃあ、休み取れないって義兄1人の休みのこと?!それに親戚呼ばないで葬式するって言ってたのママなのに何で呼ぶことになったの?!」母「いやぁ長女が呼んだ方が良いって言うから…モゴモゴモゴ」洗女「私は実の娘なのに娘婿の休みの都合で葬式出るの我慢させられるの?パパは私のDNAの半分なのに、そのパパにひと目も会えないで終わらせろっていうのかい?!」母「仕方がないしょっ、ママの葬式の時に来てくれればいいしょ~」洗女「フザケんなぁーー!!!」理性がフットンでいる私の背後で旦那と猫が怒り狂う私の姿に怯えている様子が感じられました。洗女「私はパパに会いたいんだ!それに私が来なくてイイという事は、実の娘より娘婿を優先させるという事だ!そういう考えなら私はもう北海道には二度と行かないし金輪際連絡もしない!そちらからもこの電話を切ったら二度と連絡をしてくるな!!ママが言う事はそういう事を私にさせるという事だ!!それでもイイのかぁあああ!!」母「ううぅ、どうしようぅ、困ったねぇいやぁ困ったぁ;」私は本当にヒドイ事を言うし、大人げも無いと思う。でもこんなに怒ったのは、たぶん今まで溜めに溜めたモノが爆発したのだと思う。----------------------------------------------------恥ずかしながら、実家の姉2人は仲が悪い。それはもう最悪と言える状態で攻撃は主に長女から次女に時にスコップで足を突いたり、平手打ちされたり…その2人の関係が少なからず家族を不幸にして来ていた。私は帰省すると、長女と次女と母それぞれの「日頃のお互いへのウップン」を投げかけられてきた。それはまるで転校生や中途入社の新人が古参の生徒や社員から「この人は自分の味方になるかもしれない」可能性を加味され妙になれなれしくされる、アレと同様であった。皆それぞれの立場がある。皆それぞれの言い分も、それぞれの事実もある。誰も否定もしたくないし、日頃会えない申し訳なさもある。誰の味方にも敵にもならないし、無条件に受け入れるそういう役割の人が家族たちには必要なんじゃないか?それが三女として私の役目だと思っていた。姉たち2人の関係は2人で解決する問題。それくらい私たちはもう年を取り大人になっていたから。とは言っても八方美人は非常に疲れ、実家から足を遠のかせた。父は誰にも肩入れする事が無く、いつも平等かつ無関心に家族に接していた。母はその時、自分に都合が良い、自分の不安を埋めてくれる誰かに寄り添う人で「条件付きの愛情」が見え隠れする母親だった。それぞれ嫁いでも、嫁ぎ先より実家との結びつきの方が強い姉達は今どきの結婚のスタイルなのだろうが仲が悪い。ある母のその弱さは、私の言葉よりも他者の言葉を信じ私のそれまでの全てを疑われる言葉を投げかけられた。それから10年、実家と音信不通にすることにした…。実は破たんしている我が家で末っ子の私は何の発言権もなく認められないまま一人上京し、社会に大人にしてもらった。社会の常識はまったく知らなかったモノで厳しく泣く事も多かったが、それは常識が欠如していたが故だった。そして「人は意外と優しくて丁寧で親切でもある」と家にいては知る事が無かった事も経験した。「家族の思想から解放されて本当に良かった」その後押しをしてくれた父はやはり私に一番大切な物をくれたような気がする。母の弱さに憤り、姉たちの関係に疲れ家族に対して誇らしさを感じられないのはイコール自分自身に誇りを感じられないから。そしてどこか欠落した部分が自分にあるからだろう。音信不通の行動は誰一人理解されずとも意固地を貫き、尚更孤独と業に苦しめられた。だが何が自分をそうしたのか?どうして母をそこまで許せないのか?ある日見た夢が教えてくれた。「どうして、私の言う事信じてくれないの!?」そう何かに泣き叫ぶ夢を見て、ハッとして目を覚ました。母や家族と距離を取りたかったのはその悲しみからだった。私は母というアイデンティティに否定された気がして自分を呪っていたのだと思った。私にとって結婚は「家族を持てる」という喜びだった。何も知らない義父母を落胆させたくないが為、実家とは連絡を取る様になった。なぜか、母は私が音信不通になった理由は「父が悪い」としており父を傷つけていたかもしれない事に怒りを通り越し、母の身勝手さに諦めを感じた。父と2人きりの夜中に「パパは何も悪くないし、東京に行かせてくれた事は感謝している」すでに耳が聞こえなくなっていたのでチラシの裏にそう書いて誰にも見られない様に破り捨てた。自分語りになってしまったが、ワタシと己が家の恥の歴史を独り言の様に告白する事は戒めであり禊でもある。自己正当化するつもりはない、親不幸で器も小さい。だが、私はそうやって親や家族に失望し「自分より大きな存在」と思っていたモノが「本当はそうでもない」と知る通過儀礼を通し大人になってしまった。人は自信の無さや恐怖心は、家族間でも溝を生みだす。納棺師の仕事を通じ、多くの家族の関係を見て「幸せとは家庭円満で過ごす事」と強く感じるのは、なかなか会えないとしても誰かとの絆があると信じられる事は死を超越してもその後の家族の生きる力に繋がるのだと感じ取れたからだそれは宗教に関係はない。人が人らしく生きて、親は子供に根拠は無くとも自信を持てるよう育てる事。単に家族の日々の営み、それで養う事ができるのだと思う。今、自分は幸福な状態だと思えたらきっと人は自然に色んなものに目が行き感謝できるようになるのだと思う。父は生きる気力を失ってしまった。父は寂しいとか弱音は言ってくれなかった。父と私たち家族の関係の希薄さは反省でもあり、ショックでもある。人は一人では生きられないの意味は、心の結びつきの有無の事に他ならない。円満な家族を持たない私は大きな事は言えない。円満じゃないからこのような展開なのだろう。寂しいとシミジミと思う。TVで「葬儀の場では必ず誰か1人ブチ壊す人がいます」と言っていた。まさか自分がその1人になると思わなかったが私は休火山で親の死に触発され爆発した。円満な家庭を作るためのごまかしを自分に作ってはいけない妥協できないなら我慢はしなくていいと思う。小さなわだかまりは疑心暗鬼を生む家族に嫌われることを恐れず、自分の意見は言って向き合った方が良い今はそうしなければならない、と思った。-----------------------------------------------------母「じゃあ、葬儀屋さんも『告別式は別の日にしても良い』みたいな事言ってくれていたから聞いてみるかい?」母はまた私が良くも悪くも有言実行なので再び音信不通になることを恐れたのだろう。再び母から連絡が来て母「通夜は今晩やるけど、告別式は11日にすることになった」と段取りを整えた。今回の葬儀で母自身の自己判断で行動したのは死亡診断書と告別式の変更だけだ。うちでも飛行機は10日まで飛ばない状況が分かり、昼の便をやっと抑えることができた。母「これでイイしょ?日付も変えたんだからこっちきたら長女に謝りなさいよっ!」洗女「はあああぁ?なんでこっちが謝るんだー!!謝るのはソッチだろーが!!」背後で日頃、長女にやられている次女のゲラゲラ笑う声が聞こえた。母「ああぁ、なんでこんなキカナイ子になっちゃったんだろう…」母のため息が聞こえたが、私は長女にもし何かされても戦う気は失せていなく『メリケンサックと安全靴用意してやろうかっ』くらいに思っていた。2月9日日曜日昨夜の通夜の様子は誰からも伝えられないが、自宅で行ったのだろう。納棺は家族で入れたそうだから、明日の10日に納棺されたままでもパパはメイクする事ができる。そこへ長女からメールが来た。「友人から聞いたのだが銀行口座を閉じるので法定相続人の印鑑と印鑑証明、住民票を持ってきて下さい」・・・・。父が死んでまだ2日である。財産なんか何もなく、父名義の家があるだけだ。10日(月)出発予定の朝一に寝雪が残るのに市役所に寄れる余裕などない。「なんで早々に片づけたがるんだろう…」長女とはインターバルを置いていたのに、またメラメラと怒りの残り火が燃えあがってきた。続く
2014年03月21日
「え?アンタ来るの?」そのひと言でブチ切れました。洗女「アンタ来るのってナニ言ってるの!?娘だから行くに決まってんじゃん!#」長女「いや、来るとかハッキリ言ってなかったし…」洗女「そんなの行くに決まってるじゃん!日程変えて!」長女「それは無理だわ、もうみんな仕事休み取っちゃって変えられないし」洗女「ハァ~#ナニ言ってるの!?普通葬式の日程は一番遠方に住んでいる人が来れる日に合わせるんだよ!!」長女「それに火葬場の日程も決まっちゃったし」洗女「とにかく頑張って行くから葬儀9、10日に日延べして!」姉の言う事は葬儀をする段取りの上で「こちらの都合なんだからそれは甘んじて受け入れろ」という意味合いでした。なぜ実の娘なのに自分が父親の葬儀に出られないのか?葬儀に出られなくても仕方がないと認知されているのか?「なぜこんな扱いを受けるんだ!」と旦那に泣きながら訴えたのでした。「家族が忌引きの休みを提出したからもう変えられない」が葬儀の日程を変えられない理由だそうです。が、まだ父が亡くなった当日の話です。その日のうちに休み変更を受けてくれない会社があるならばそれはブラック以外の何物でもないでしょうし同じ会社の同僚同士、いつ自分が葬家の立場になるか分かりません。「お互い様」の精神で助けあえない状況にいるならば日頃の自分の社内での人間関係の構築ができていないからじゃないの?とまで思いました。人間というのはトラブルが生じるとあれやこれやとネガティブな妄想が生まれる悲しき生き物で今の私がそれでした。------------------------------------------------------------北海道は札幌雪まつり開催中でチケットは最も取りにくい時期そして気になる東京の大雪の予報また我が家には現在猫4匹おります。旅行をほぼしないのもこの子たちがいる事が一つにあります。今回はいつ帰ってこれるかわかりませんので初めてペットシッターさんに依頼してみました。旦那は義父母に連絡してくれて義父はアワアワと「俺たちはどうしたらいい?」と行く気だったようですが家族だけで小さく葬儀すると断りました。義実家に行く度「お父さんは元気か?」と聞いてきて「父の状態はあまり良くない」と本当の事を言っても「それでも元気なんでしょ?!」と「大丈夫、元気です」というまで会話を終えてくれないのです。父は孫に恵まれたけど自分の殻に閉じこもり、反して義父は1人の孫も抱けないけど精神的に元気です。同年代の人が具合悪いとか死んだとかあまり聞きたくないのかもしれませんが「自分の番」も考え義父は自分の墓を○○○万で建ててしまいました。義兄もうちも子供がいないので将来無縁墓になるのはほぼ確定でどうしたものかと困ってしまいます…。生前の葬儀相談とか樹木葬の墓地を探したり「墓友」とコミュニティーを持ったりとたまにTVで見ます。自分の逝き場所を作りたいという思いが湧き上がり、そういう活動できる人は「私さびしがり屋だから」と堂々と言える気力のある元気な人なのだと改めて思いました。父もそんな人であって欲しかったと思いました。義父は「ウチからは5万、にーちゃん(義兄)からは3万出しといて」と旦那に伝え香典を立て替える事に。【教えて○○】みたいなやつでは「嫁に行った娘の香典は10万」とありましたのでそれが世間の相場らしく強ち義父の香典の額も間違いじゃないのでしょう。義父は旦那に「バッチリ決めてコイ!!」と鼻息荒く気合を入れてくれました。「パパも具合悪いし、今年の正月は北海道に行った方が良いかも…」と話していたのですが、義父は年末になると「いつ来るンダ?」とワクワクしながらお誘いの電話をくれていました。父の状況を理解しようとしてくれない義父を少々恨めしく思いましたし結果あまり帰省できすに死んだ父に申し訳なく思います。それでも私が嫁いだ「ダンナ家」の義父がちゃんと香典を持たせてくれたのは私を「うちの二男の嫁としてちゃんとしてあげています」という義父の思いなのだと受け止め感謝しています。全てが思い通りにいかなくても嫁に行くという事はそういう事なのかもしれないと思いました。花向け?に出してくれる義父からの香典は「ダンナ家」の意地と後押しと思い勇気を得たのでした。「金を出すんだから口出す権利はあるよな…。」と------------------------------------------------------------激安とされている航空チケットは出発に近い日程だとオークション状態でどんどん値段が上がっていき、購入するのは困難を極め激安航空機の意味が全くない価格で購入。それでも2月8日の16時~のチケットが取れたことを伝えると長女「やっぱ日延べは無理」との返答…そこから私は姉と何を話したのか血圧が上がり過ぎてあまり覚えていません。ただ怒鳴りあった事だけおぼろげに覚えてはいますが…。ですが、葬儀社の人がまだ家にいて火葬場の時間の都合を聞くと葬儀社「この地域の火葬場は市営の火葬場で火葬料は無料です。 『到着順での火葬』ですからいつ行っても良いんです。 予約制ではなく、釜も30機あるので込み合うという事もないですし」私の住む関東は市営でも火葬料は有料です。それでも民営より安いので市営火葬場の市民の葬家は、繁忙期には1週間~10日待つなんて珍しい事でもありません。関東の人は「火葬場の空きがあるうちに予約しないと葬儀がいつになるかわからない」そこには友引きの火葬場の休みも入る訳ですから火葬場の予約優先で葬儀の日程を組むのが一般的です。洗女「ならば家族に焦って葬式しなくてもいい事説明して下さい」そして長女からは怒った口調で「わかった、葬儀は9,10日にする」と電話を切ったのでした。------------------------------------------------------------7日の夜には「明日の関東の天気は雪の可能性」と警戒を促すニュースが流れていました。その後、母が作ってくれた喪服を一応持って行くかどうか迷いながら準備をしつつ(母も誰も着ないから持って来なくてもイイと言われていた)次女に電話をしたところ、あれ?なんだか微妙に【話がかみ合わない】「葬式8,9日になったのわかってる?」と次女洗女「えっ?だって9,10にするって長女が…」次女「違うんだって、9,10日にしようとしたら坊さんの都合で 8,9日か11,12日じゃないと来れないって言うから やっぱ8,9日になったんだよ!」洗女「聞いてない!!。゜(゜▽曲▽。゜)゜。だまされたーー!!」 時刻は7日の23時、もう葬儀の日程も今さら変えられない。日取りの事は教えてもらえないまま、私は8日通夜が終わった後ノコノコと家に参上する事になっていた。それがまた悔しくて泣きながら次女に怒りを訴え「通夜中に行って思いっきりイヤミぶちかましてやる!」と虎視眈々と長女に対して湧き上がる怨みと怒りから「何をしてやろうか~~m(- -m)~呪~」とドロドロしたモノを抑えることができないまま2月8日の出発の日を迎えたのでした。続く
2014年03月13日
そもそも父は突然死に過ぎましたし、死んだ日取りがすごく悪かったです。2月8日東京に45年ぶりの大雪が降り、首都圏は大パニックになりました。その週から天気予報で大雪の可能性をうたっていましたが天気予報がこれだけイヤな大当たりするのも困ったものです。2月7日前日から熱を出していた私は、早朝次女から「パパが死んだよ」の一報で起こされました。ですが、実家の取り決め事は長女が何でも取り仕切るので「また連絡する」とのやり取りで再び寝こみました。(3人とも家庭を持ち、次女は親と3F建て2世帯住宅で同居)しばらくすると長女から「葬儀屋さん呼んだ方が良いの?」との連絡もちろん呼んだ方が良いのですがもうずいぶん昔から母が、3人娘で墓守がいない事もあり両親の祖父母と自分たち6人が入れる納骨堂を購入していましてその寺の【檀家】になっていました。家で不幸があったなら檀家の寺にまず一報するのが通常です。洗女「まず寺に連絡して坊さんの顔立てないとダメだわ。 先に葬儀社に連絡すると別の坊さん紹介スルって言いだすし 紹介手数料も取られる。 葬儀屋は後でだよ。 それに葬儀社は別に1社ですぐ決めなくても 相見(あいみつ)取って1番いいと思ったところで決めて良いよ。 あと、パパは1Fに下ろしてね! 2Fは暖かいからパパ腐っちゃうよ(笑)」 しっかりしている長女なのですがこと葬儀に関しては彼女を買い被りすぎていたのかもしれません。母親はというと長女「かかりつけ医に死亡診断書を出されて、止めたのにサッサと市役所行っちゃったよ」との事。死亡診断書(死亡届)をもらったら市役所に申請すると火葬許可証が貰えます。それを火葬場で提出して初めて火葬ができ火葬終了後に埋葬許可証が貰えます。そんなの今どき葬儀社が代理でやる仕事ですがチャカチャカ早く片づけちゃおう!と動きたがるのは母と長女はそっくりです。「母テンパってるな…。」一端電話を切りました。これが後で最悪の事態になります。------------------------------------------------------------余談が長いのですが…葬儀社とお坊さんは大体結託していてもちろん形式上は葬儀社がお坊さんを祭り立て上げ丁寧に対応しますが葬家に檀家など決まった寺が無い場合葬儀社にいる各宗派の言わば【登録派遣坊主】が紹介という形で派遣されます。派遣されたお坊さんは、葬家からのお布施からバックマージンを葬儀社に渡します。最近は「お経だけ読んでくれるなら誰でも良い」というくらい葬儀の宗旨に対してドライな人も多いので本当に祭壇の大きさに関係なく【1日だけの葬儀】1DAY葬儀もあったりお坊さん自体も葬儀社に「葬式のご用命ありませんか~」とモロに言わなくても、菓子折り持って営業に来ます。マンションなどを事務所にし檀家を持たない【マンション坊主】の方も結構いるので「呼ばれてラッキー」というお坊さんも割といます。そもそもこんな宗教離れは各家族とかの社会構造も有りますが社会に対してその役目を果たしていないから宗教はなれしているのだと思います。私は宗教は根本的に「悩める人の安心学」で人生の指針や生きるヒントをくれる与えるものだと思います。が、悩める人はこの世にごまんといるのに宗教との結びつきが弱いのは宗教家がその役割を果たしていない人々が相談できると知らない敷居が高い、洗脳への恐怖、献金の負担、政治への関与などが抵抗感となり仏教=葬式、神道=初詣、キリスト教=クリスマスなどイベント重視となるのだと思います。日本人の信仰の薄さ、信仰に固執しない自由さは平素な日常を送れる人にも、他国との摩擦の還元にもなりそれは良い事でもありますが強い意志力を保つ拠り所が存在しないのも事実です。また、たまに強い吸引力のある宗教があるとしたらカルトだったりしますし;某出版社でTVの人生相談に出演されるお坊さんと医学部教授の2人が悩みとは何か?どのように解決したらいいのか?を対談する企画の本があったのですがあまりにもレベルが違いすぎてお坊さんが何も良い事が言えず、答えられず辞退された…。という極秘エピソードの絶対タイトルの言えない名著も有ります。毎年3月は内閣府が決めた自殺対策強化月間です。ブッタも「苦行じゃ悟れません」「人は救えません」って言っています。宗教法人が営利事業で無いのなら国の代わりに人々に生きる希望を与えるべく大々的に悩める人を救う活動した方が良いと思います。(もちろんされている宗教従事者の方もいるでしょうがあまりにも目立たない)修行の卒業試験で富士の樹海とか東尋坊とかに悩める人を救いに行って改心させられたら晴れて免許皆伝にするとか。坊さんになりたいとしてもその適性や能力があるか?宗教従事者こそ社会貢献活動をして初めて国から認められた公益性のある宗教法人と言え、それぐらいして宗教の必要性が社会一般に認められやっと身近になると思うのです…が私は言いすぎでしょうか?------------------------------------------------------------その後、長女に父の写メを送ってもらい顔を確認して・父を1Fに下ろしたか?・ドライアイスや空いている口をタオルなどの当てモノで閉じるやり方・着せ替え用の服を用意する事・葬儀社には細かい記載のある見積書を出してもらう事・必要じゃないオプションは断れる事と連絡しましたが音沙汰なし。私がなぜ1Fに下ろせとうるさいか?と言うと・・・そもそも、母は中途半端に信心深く随分昔から永代供養の納骨堂を買い成人前に娘3人にそれぞれ50万近くする喪服一式を用意し嫁に持たせ自分たちの葬式に対する構想を持っていました。「誰にも知らせないで葬式したい」と。建てなおす前の家も現在も田舎だからでしょう。皆で集まり葬式もできる多目的スペースの部屋を作っていました。以前の家も「この障子を外したら家で葬式出来る様にこうなんだよ」と幼い時に聞いておりましたし、具合の悪い父を見て「葬式は家で誰にも言わないで家族葬でいいね」と。また、北海道の家は暖房をつけていればとにかく温かい!ので幾らガリガリの父でも状態が分からない私には「腐敗進行の抑制」や「暖気によるドライアイスの過度な消耗」を極力抑えたいですしそして狭い回り階段で2Fで納棺されたままだと棺を立てて下ろさなければならなくなります。そんな状態じゃ父は棺の中で体育座りになってしまいます。熱でガンガンする頭で連絡を待っていたらやっと長女から電話長女「今、葬儀屋さん来てて祭壇作ってるわ」洗女「えっ?何社か見積もり出さないの?」長女「お坊さんの紹介で来た葬儀屋さんだからこの葬儀屋さんでイイって」洗女「…。葬式1日だけ?」長女「1日だけだとお坊さんダメだっていうから通夜と告別式2日やるって」洗女「1Fに下ろしたんでしょ?」長女「下ろしてないよ、もう葬儀屋さん祭壇作っちゃってるし」洗女「!?なんで!言ったじゃん、下ろさないとダメだって!」長女「そんな事言ったってそれで良いって言ってるし」洗女「えええぇぇ?????!!!!」長女「それで日程は2月8日9日に決ったよ」洗女「!!チョチョ待って!私まだ飛行機チケット取ってないって! それに明日こっち大雪で飛行機飛ぶか分かんないんだよ!!」長女「え?アンタ来るの?」洗女「。゜(゜◎Д◎#゜)゜。!!!!!」ここから怒涛の長女VS洗女の大バトルが勃発してしまいました。人生初、アラフォーのこの歳になるまで姉とこんな大ゲンカした事ありません。また、あまりにもメチャクチャすぎてこんなヒッドイ葬式、赤い霊柩車でも見た事ありません。今考えるとしょうもないエピソードがあり過ぎて救いようがないのですが家族葬とか考えている人は参考になると思います。続く
2014年03月04日
前日の夜から熱で寝込んでいた私は2月7日の朝、次女の電話で「パパが死んだよ」と起こされました。父は5,6年ほぼ寝たきりになったのは心の病です。------------------------------------------------------------父が閉じこもる様になったのは生まれ持った寂しい心と大切な人や大切なものを次々に失くした喪失感からです。父は長男で弟1人と姉・妹の6人兄弟。父の親(祖父母)の教育方針がなぜか「男は中卒で自活しろ、女は学をつけろ」と、叔母たちは進学させても父と叔父だけ中卒で家出し米屋の丁稚奉公人に。「これからは学歴が無ければ苦労するに決まってる!!」と祖父と大ゲンカした母は自営美容師の金策力で父を夜間高校に行かせ、父は高校で副会長していたそうです。母の予測通り学歴で左右される時代となり叔母たちの連れ合いは地方公務員・JR(旧国鉄)・国家公務員・大学教授父と叔父は一介のサラリーマンと自動車整備工生活レベルに差がある事は事実で、父と祖父母の関係は円満ではなく同じ境遇の叔父とだけ心を通わせられていました。かわりに父が親の様に慕うのは趣味で「日曜農業」していた畑の持ち主のUさんのオバーさんでした。Uさんは連れ合いを亡くし、息子さん2人も独立し単身農業毎週1時間かけて畑に通う父の方が息子さん達より会う頻度も多くうちが家を新築した時はUさんを1泊で招待し「息子にも家に招かれた事がない」と喜んでくれたそうです。そんなUさんが突然、事故死しました。冬に屋根の雪下ろしをしようと、体にロープを巻いていたのですが屋根から落ちてしまいました。ロープの長さは中途半端で屋根下に落ちる事も出来ないロープを這い上がる力など老人にはない屋根からぶら下がったまま凍死したのです。事故は北海道でニュースとなり、偶然TVでそれを見た父は絶叫したそうです。次いで叔父もガンで自分より先に亡くなってしまいました。2人の葬儀の時、いつも寡黙な父が立っていられないほど泣き崩れたそうです。その後借りた町内の畑も分譲販売で廃園聴力も失いどんな高い補聴器も不具合ばかり北海道内8時間かかるところを日帰り出張できた自慢の運転も「耳が聞こえないから危ない」と免許も返上父自身のアイデンティティはほぼ全て失って行きました。母もいて、2世帯住宅で次女家族の孫が4人、犬や猫も沢山いて豊かでなくとも安定し、本来恵まれていたはずです。でも父が人生に心を閉ざしたのはそこからです。------------------------------------------------------------和田秀樹著『痛快!心理学』より健康な心とは…「元気な心」を持っている人問題なのは「感情」の部分です。「感情」とは気力や情動を表します。親や配偶者の死への直面子供の独立、定年退職などで「喪失体験」が次々と起これば気持ちが落ち込みやすくなるもの無理ではありません。それに加え、老化で前頭葉が縮むと意欲・気力が衰え無感動になり神経伝達物質の減少が抑うつ的になり自発性が失われます。「気力」をなくした人はその意欲を持てません。歳を取っても「心の元気」を維持するためには自分の好きな事、やりたい事を遠慮なく行う事が大切です。「喪失体験」が増えるとその人のアイデンティティの一部となっていた物が失われると、そのショックはうつ病を招きかねません。------------------------------------------------------------父は不必要にプライドの高い人でそれが故に頑張れる人でもありました。そして「悪い人」じゃないけど「良い人」だったワケじゃありません。仕事で北海道内を車で単独出張・営業してくるのですが「残った在庫、田舎モンの親父にだまくらかして売ってきた」と嬉々と話す父を不快に思ったのも事実です。私は子供のころ、祖父に自分のオモチャを取り上げられ年下の従姉妹に持って行かれる事が何度かあったり母から言われ、祖父母にお菓子を「差し入れだよ~」と知ったばかりの大人びた言葉を使っただけで祖母に「差し入れとは牢屋にいる人間に言う言葉だ!」マジギレされ祖母と母は大バトルしていた記憶があります。祖父母が子供の私に辛く当たっていた部分は明らかに自己都合・理解だけの行動と発言でした。私が感じた父への不快感はどこか祖父母と似ていて不誠実なのにその手段を取るのは、人を信頼できないし、損したくない、負けたくないなど何か欠乏したが故の倫理や認識の欠如だったのではないか?そんな寂しさが心に巣食うのは、祖父母たちも愛情や絆を信じたり感じられなかったからではないか?今にして気づき、寂しく思うのです。その後の父は、唯一の趣味の読書もやめ酒か眠剤を飲んで四六時中寝ているだけの人になりました。ボケることはなく、内臓も一切悪くない。でも耳は聞こえないので、家族とは「筆談ホステス」ならぬ「筆談オジーサン」になり、母は裏の白いチラシを集めていました。耳が聞こえない事は孤独を深めます。父の耳は先天的難聴者の方と変わらない程の障害認定を受けました。みんなといてもつまらなくなると「寝る」とその場を離れる姿に私は申し訳なさを感じていました。父が初めて補聴器をつけている姿に『ズキン』と小さくショックを受け運転出来なくなっていたり、筆談や鈴の付いた靴も見る度に私の知る父の威厳がガクン失われていくのがとても悲しかったです。「カウンセラーに一度連れて行けば?」父の症状や仕事で遺族の心のケアを学びたかった私は民間のカウンセリングスクールに通っていた事もありそうアドバイスしたのですが、父は硬くなに拒否したそうです。どこかに出かける事に誘っても、黙って首を横に振るだけ家族は父を前向きにする事はどうしてもできませんでした。そのうち、酒のせいでやけに転ぶと思ったら実は脳出血していて緊急手術幸い命に別条も障害も残らず手術した病院では長期入院させられないので、断酒目的も兼ね精神病院に入院。看護師さんに話しかけられても聞こえず返事できないので病院内でどこにいてもわかるように父のスリッパには鈴がつけられチリンチリン鳴らしながら見舞いの私をニコニコ迎える父に胸が締め付けられました。その後の父は完全自宅療養です。結果、少しずつ命が枯れていきました。手術後一瞬でた痴ほうも全く頭は正常に戻りお稲荷さんや柿とかバナナなど少々の手乗りサルの様な生活どんどん痩せて行きガンジーと呼ばれるようになり自力で歩けなくオムツになりました。父は現状維持できたとしても元気になる見込みはありません。「延命はしない」と決めた母は無理に胃ろうや点滴する事もなく病院からの栄養食1缶だけ自由に食べれる様、枕元に置いていました。今年の年明けにベットから落ち激痛を訴え検査してもどこも骨折もしていません。ですが、1カ月後に肺炎で亡くなりました。酒を飲めば、眠剤で眠れば「何もないと感じる自分」と向き合わず眠りにつける何も考えたくない、感じたくない…無になりたいそう思っていたのではないかと思います。------------------------------------------------------------最近、心理学の本でアドラーが注目されています。アドラーは【前向きな心理学】でトラウマの経験があっても人生には立ち上がろう、行動しようと思える前向きさがあれば過去の経験は関係ないと言います。否定はしないのですが万能ではないなと思うのは「心の体力がまだある人には有効」な心理学だと思うからです。頑固さの下の誰よりも寂しさを抱えた父の生命力は「辛いなんて感じていません」という無表情を貫くプライドが支えていたのだと思います。幼い頃から我慢が多かった父心の内を明かす事こそ生き恥であり黙って耐えて飲み込む事でも、納得しきれない失ったものへの悲しみを見つめつづけない為に眠り続ける。その理由を誰にも言えないし、自分でもそうとしかできない。不器用で素直じゃないけど父は自分なりのプライドを貫いたのだと思います。------------------------------------------------------------大雪と札幌雪まつりの影響で飛行機のチケットが全く取れないのに8,9日で葬儀の日程を決めてしまった長女と大ゲンカしました。結果、帰れないので通夜には出れず母に告別式を12日に延期させました。やっと10日に帰れる前日、父の写真を次女に撮って送ってもらい傲慢だと思われても「我をつき通して本当に良かった」と反省していません。なぜなら、父はとても穏やかな顔をしていて見た事のない父にちゃんと会う事ができたからこんな父に会えなかったら一生後悔していたからです寂しさも苦しさも苦悩も感じさせない表情は「父は楽になれたんだ」という大きな安心感をくれました。親孝行らしい事は何もしなかったけど後悔していません。父の力の抜けた顔を見て救われたのと同様に究極に親が子供に望む事は「子供がちゃんと笑えて生きている」それだけだと思うのです。父が私に望むのは「見ていて安心できる事」だと思うからです。子供が人生にくじけず生きていく事。それは時に難しいけど唯一続けていく親孝行で供養だと思っています。「パパ、やっと来たよ~お疲れ様だったねぇ」もう無理しなくて良くなった父の亡骸にそう声をかけました。続く
2014年03月01日
関東で45年ぶりの大雪の前日、2月7日実父が77歳で亡くなりました。「納棺師、自分の父を納棺する」です。朝、母が起きて父を見に行ったら死んでいたそうです。死因は肺炎、ここ2カ月弱は病院からの流動食の缶しかとれず、食事は受け付けませんでした。体重は36キロ以下まで低下し不精ひげで小汚く姉たちは「乞食かガンジーみたいだ」と言っていました。目立った病気はなく、内臓疾患もなく母曰く「むしろママより血液サラサラかもしれない」とも。年齢的にも少し早い気がしたので「生命力が尽きた死」そんな気がします。父はここ5,6年ほぼ寝たきりの自宅療養で寝たきりになったのは心の病です。本人にとって、とても辛い日々だったと思います。父を納棺したけど遺族としては初めてですしありとあらゆるトラブルが勃発し、書ききれませんので徐々にアップしていきます。今回は私が父へのケジメとして書いたグリーフレターについて紹介します。------------------------------------------------------------■グリーフレターとは・・・(深い悲しみの手紙)とも言います。一般的には、大切な人を亡くすという大きな喪失をした時に使われます。これを書く事で故人に別れを告げるのです。一種儀式の様なもので気持ちの整理がつきます。自分の中にまだこんな気持ちがあったのかと気づきます。ありがとう(感謝)謝りたかった事(謝罪)怒っている事や残念な事(怒り)さようなら『悲しみにおしつぶされないために、対人援助職のグリーフケア入門』より------------------------------------------------------------ 上記はグリーフレターに書くと良い【感情】の内容です。共に過ごした人の事を振り返るなら必ずこれらの感情は抱くと思います。私はおぼろげにしか覚えていなかったのですがそれでもなんとなく内容にそぐわっていると思います。「死んだ人間を悪く言うな」と言いますが私は人は死んでいても人だと思っています。その人と経験した出来事は全て事実なのです。相手が悪かったり、自分が悪かったり誤解があったり色々あります。死はショックや悲しみで気持ちが覆われるかもしれませんが何年もその心の悼みを持続しているのは、心のどこかに「亡くなった人にもう一度だけ会いたい」「亡くなった人に思いを伝えたい」と、実現する事のない夢を抱いていたり故人との関係性の中で未完の問題が残っているからだと思います。「この人は死んだのだ」とハッキリ認めてしまうと本当に関係性が切れてしまう辛い気持ちや悼みを持続させる事は「終わらせたくない」「終わりにできない」気持ちの裏返しなのだとも思います。「辛さや悼みを感じてでも、故人の事を思っていたい」それも確かに良いと思います、苦しみや悼みとより深く共存できるのなら。私は父の事をこれからもずっと「かわいそうな人だった」と思い続けたくありません。謝罪も感謝も父をどう思っていたかも私の中に確かにある感情や事実は伝え不憫な父と不出来な娘の通じ合わなかった不完全な親子関係だったから私たちは不器用だったから手紙の形で気持ちを整理したいのです。■以下パパの棺に入れた手紙・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~パパへ素直でかわいい子でもでもなくて生意気で勉強も出来なくて私ができた親孝行は、夫と結婚した事と健康でのんきに生活している事だけです。不出来なバカ娘でごめんなさい。ですが、私たち娘に対してパパはあまりにも不器用で愛情が伝わりにくく、コミュニケーションも対話も思い出もあまりにも少なすぎました。私たち親子、家族はもっとちゃんと向き合うべきだったしそうして欲しかったと思い残念です。私はとても自由な人生を送っています。私の誕生を家族で唯一望んでくれたのも人生の選択肢に迷った時、背中を押してくれたのも私の事を一度も悪く言わなかったのもパパだけです。だから今の私がいます。家族から離れて暮らす自由は孤独と背中合わせです。末っ子の私はパパやママと一緒に過ごした時間も世話しない分、パパやママから受ける恩恵が一番少なかった事も事実です。それは損だったのか?自分は幸せなのか?と兄妹と比べ考える事もありました。でも家を出たからこそ、家族に影響されない私だけの考え方を持つ事が出来ました。その事で心が解放されたのも事実です。自由をくれて感謝しています、ありがとうパパ。不器用にニヤニヤ笑う姿はキモチ悪いとかさわやかじゃないとか水虫も大きな声でするくしゃみも鼻水もすごい汚くてイヤだしお風呂出た後、素っ裸でソファで寝てるのも最悪だと思ってましたが今となると嫌な思い出だけど懐かしいです。若い時の男前の姿の写真なんかはこれから友達にも世間にも自慢して行けます。メケメケだから(笑)若い時、美輪明宏さんに似てると言われあだ名「メケメケ」だったとか。悪い事ばかりじゃなかったけど、人生の終盤パパが失ったものがパパの人生には大きすぎて重すぎて悲しくて苦しかった事誰もパパを苦しみから救う事ができなかった事そして、パパの子供の頃からの人生の苦悩を思うと胸が押しつぶされそうになります。パパが明るい人生を送って来れたなら私たち家族の形ももう少し違った形だったんじゃないか?そんなことも思いました。今、パパが人生を終える事がやっとできて私は悲しみよりも心から「お疲れさまでした」と思っています。もし、パパが今度生まれ変わるなら本当に愛情に恵まれてパパ自身が素直に笑顔になれるそんな環境に生まれることを私は心から祈っています。そんな風にパパの事を思える私になれた事パパからの最後のギフトだと思い、しっかり夫と噛みしめて生きていきます。パパ、どうか私たち夫婦を見守っていてください。巡り合わせで、たまたまパパの子供に生まれて親子になったけど、いつかどこかでまた会えるのかも?しれないですね。それまでは今いる世界でパパが好きな人達と楽しく過ごしていて下さい。私が行ったらヨロシクお願いします。その時までさようなら、また逢う日まで。p.s.お土産に私の結婚式の写真持っていってねV パパの三女、結子~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~実家に帰り、家族それぞれに「恨み事でも良いから手紙を書いてみたら?」と何気なく勧めましたが書いたのは母と2番目の姉だけです。手紙は故人に思いを伝えられた様な気がしてわだかまりが無くなり心が昇華しやすくなります。小学生と中学生の甥っ子たちが「ジィーちゃんキタネーんだよっ#」と父に投げかけていた乱暴な言葉が父の娘としてとても悲しくてそれでも可愛い彼らがこれから先、後悔して欲しくなく書いて欲しかったのですが…伝わらなくて残念です。書いた手紙は家族でお互い内緒です。キレイな文章でなくとも、父に気持ちは届かずとも自分の気持ちを文章で書きだす事は、波打つ心を整える事ができます。「私が知っている父」に私は気持ちのケジメはつけられました。父に「キモッ」なんて言っていたどうしようもない私の中にも父の心の平安を望んでいて「意外とワタシ良い子じゃん!」なんて…。イマイチ親子で通じ合わなかったけど「それなりに親子愛はあったのか…。」…今になりやっと父に愛されていた事を感じ取れ気づくと自然に感謝の気持ちと涙が出るのでした。私があっさりしているのは親の事を神格化していないし物理的に離れているからでしょう。育ててくれた事には感謝していますがそれ以上でもそれ以下でもなく冷静に「能力もあるけど欠点もある人」と客観的に見る様になっていました。残された母もいつかいなくなるのも自然の事で老人扱いは少々気が引けても出来ない事が増えても嫌味無くフォローは出来ていると思います。祖母が死んで25年ですが母は今だ祖母の死を「かわいそうだった」と胸が痛む様です。私は「やさしくてかわいいバアちゃんだった」ですが祖母を語る母と私たち家族とでは温度差があり母の言葉を聞く度、みな胸が痛むのです。祖母は76歳の母には今も母親のままそれを卒業できないで良いのだろうか?と懸念しています。うちの父の様に天命で死ぬ人もいれば長く苦しい闘病で苦しんだり生涯病と闘う人もいれば若くして病気になったり志半ばだったり、事故や自殺、災害、殺人など残される人の胸が引き裂かれ苦しみを伴う出来事も沢山あります。ですから、手紙は葬儀の副葬品としてその時までに書かなければいけないものとは言いません。心の傷が深い人は、手紙を書いてもすぐに心が晴れると言えないからで「手紙を書きたい」と思えた時が丁度いい時なのだと思います。私は大好きな祖母や大切な人が亡くなった時その人に対する感情を誰にも言えず心に秘めて自分の中だけで押し殺したり今まで青空を見上げ「今何をしてるかなぁ」とその人を思ったりしてきました。私の母は長女で戦争も体験した子供時代に祖母と共に大家族を支えた苦労や苦しみが今だ心の刻まれているのだと思います。私たちはそれを受け止めるのが愛情なのかもしれません…。手紙という形にすることは少しずつ混乱した様々な自分の感情や故人との出来事をとき解き昇華できる作業になると思います。それは何かが変わるきっかけにはなると私は信じています。パパの遺影と棺遺影が悲しく見えるか微笑んで見えるかは、見る側の人間の心次第です。具合が悪くなる何年も前に用意されていた父の遺影写真を当時は「うすら笑いで気持ちワルっ」と感じていましたがきっとあの遺影は母が思う父のごきげんな表情で父もそれなりに気にいっていたからOKしたのでしょう。お陰さまで乞食でガンジーな父を遺影に近くなるようメイクできました。昔は7:3にポマードべったりのおしゃれオジサンだったのですから私たちは父が思うカッコいい姿にして父を送りだしたかったのです。今は私にもあの遺影写真はとても良い写真だと思っています。どこかで父も喜んでいてくれたら良いなぁと思います。【今日の教訓】 不器用だから伝えられる愛もある
2014年02月20日
美しい女子高生が刺殺された。犯人はすぐに捕まったが女子高生は2時間後に亡くなってしまった。女優志願のキレイな子で、この衝撃的な事件にTVでは「かわいそ、かわいそ」の悲劇扱いなのだが…ネットからするとかなり違和感がある事実が発覚した。------------------------------------------------------------犯人とはフェイスブックで知り合い交際2人仲良く撮った写真もネット上に公開されていた。そして別れに至る事になり、怒りから犯人は彼女との性的関係を伺わせるあられもない姿の彼女の写真を海外サイトを経由してネット上に公開してしまった。マスコミ・大手プロバイダーはその事には触れていない。が、ネットで一度公開されてしまった情報は日本中・世界中の人の目に晒されてしまった。「流出した情報は誰かが絶対見逃さない」今はそんな世の中なのだ。------------------------------------------------------------「明るく努力家のアイドルの卵が変質者に刺されたみたいな事件になっとる、マスコミの限界がよくわかる事件やな 」「ネットが事実でマスコミが嘘と言う形w綺麗な顔立ちの子だから擁護の意見が多いけれどビ○チが一人殺されましたってだけの事件」「FBで知り合う →仲良くなる→容疑者エ○写真を要求→女子高生が自画撮りして送る→自宅で密会→女子高生が飽きて容疑者を捨てる→容疑者画像をUPして脅迫…こんなところかねー」「トップニュースで扱ってあーだこーだ語るコメンテーターがアホ極まりないな 」「被害者の人権を守る為だからね、仕方ないね 」「マスコミには「報道しない自由」もあるらしいでいいんじゃね 」「被害者は本当に可哀想だと思う 、しかし芸能人にでもなろうとする者が自らエロ画像動画という時限爆弾を仕掛けるのは馬鹿だと思う 」ネットユーザーの正直な感想だ。この事件でインタビューされた近所の人は「この辺でこんな事が起きるなんて信じられない」「近所でも評判のいいお嬢さんだったのに…」と純粋にショックを受けているが2人の関係を知ってしまったら…。人は美しいもの規律正しい人に疑いを持つ事がない。だが改めてちゃんと認識しなければいけないのは「美しい」とは必ずしも正義ではないのだ。【考える人とおめでたい人はどちらが幸せか】著者シャルル・ペパン著はこう言う。『美は、私たちを導き、奥に秘められた価値に同意させようとする。その魔力の恐ろしさを示すいい例が、ナチスのプロパガンダである。美しい行動、権威を誇示するかのような巨大モニュメント。ヒトラーを中心とした全体主義政権は芸術家を動員し、自分たちの政策、価値観を広めようとしたのだ。…私たちはそれを当然の様に受け入れてしまう、あげくの果てに「こんなに美しいものが間違っている筈がない」などと思いこんでしまうのだ。』マスコミが彼女のしてしまった事を報道しなければ「こんなかわいい子がかわいそうに」で終わる人もいるだろう。全てを白日の下に晒すインターネット知る人には「マスコミは全て報道はしていません」と証明された事になる。 彼女はまだ高校生で恋愛上での冷静さを失っていたのかもしれない。だが彼女は自分の美しさの力は十分に理解し、それを使って生きて行こうしており事実表面上はそのようにしてきたのだろう。だがおこなった事がいかに自分を傷つける「取り返しのつかない事」か?気が付いた時には脅威はもうそこまで迫ってしまった。------------------------------------------------------------残念ながらこの事件は日本語で言うと「痴情のもつれ」…リベンジポルノ事件というなじみの無い言い方になる。リベンジポルノとは…振られた仕返しに、元恋人の裸の写真をネットに投稿する――このような「リベンジポルノ」と呼ばれる行為の事を言います。「リベンジポルノは(恋愛)関係が終わったときに始まることが多い。かつて同意の下で撮られたプライベートな写真が、被写体の同意なしで、あるいは被写体が知らないうちに、あとで他人にばらまかれ、オンラインの複数のサイトに投稿されることもある」これを禁止する法律が、米カリフォルニア州で制定されており違反すれば最大6カ月の懲役や1000ドルの罰金が科せられます。 ------------------------------------------------------------結果、彼女の写真を公開した犯人の思惑通りにいっている。目的は相手を苦しめる事。犯人は彼女の夢を復讐の為に壊したかったのかもしれない。だがそれだけじゃおさまりが付かず、殺人に至った訳だが残念ながら個人的には彼女にも十分落ち度があると思えてしまう。将来を思うなら幾ら未成年とは言え「自分の行動と発現に責任を持つ」事を知らなければどこから足をすくわれるのか分からないのだ。人生はどこで誰が自分の足をひっぱるか?…そんな恐怖がある最近は「ちょっとした優越感」から世間に公開した写真や発言が世界中のあらゆる倫理感にさらされ「審判」にかけられる。そして公の晒された記録は回収できないのである。当然ご両親もなぜこの事件が起こり、何が晒されているかもう知っているだろう。彼女の育て方として良い事と悪い事をなぜもっと理解させる事が出来なかったのか?両親それぞれ男親・女親という性別の違いや親としての役割や関わり方の違いから今後苦しむ事を思うと他人事でも絶望的な思いがしてくる。------------------------------------------------------------【告発のとき】という映画がある。イラク帰還したはずの息子は42か所刺された上で肉片に解体され燃やされ更に害獣に食い荒らされた姿で見つかった。「あんなに良い子だった息子がなぜこんな事に?」怒りの捜索をして行くうちに実は息子はかなりの暗黒面がある人物だったと知り…「誰が真の悪者か!?」と断言しきれないかなり後味の悪い作品。時代により正しい生き方とはその時々で変化するモノなのだ。------------------------------------------------------------高齢者を踏切事故から救おうとして亡くなった女性の事故は葬儀が終了するまで連日報道された。「彼女の正義感」を人々は論じ「自分ならどうするか?」と実に考えさせられた。そんな彼女の「小学校の卒業文集」までニュースで紹介されていた。『私はどうしたら正しい人になれるか?それは努力する事だと思います、でも努力はとても大変…でも頑張りたいと思います』というような内容で「彼女の骨の髄からの誠実さ」が涙を誘った。が、私は思うのである「今は亡き彼女は本当は少し後悔しているんじゃないか?」と。「『自分は』正しいと思って疑わなかった行動が取り返しのつかない事になる」そんな出来事が今とても多いと思う。今回の女子高生の事件、飲食店の冷蔵庫に入る若者たち、土下座させ逮捕された主婦、そしてこの踏切事故の女性。踏切事故の女性は確かに正しい…自分の心に正しい、だが彼女は家族や友人知人に対してまで命をかけて行うべき事だったのか?彼女は正しい…が自分が死ぬかもしれない危険性も自死したかったかもしれない「高齢の男性の本当の苦しみへの理解」はあったのか?価値観の視野が一本筋は通っている。だが「自分が支える、自分を支えてくれる大切な人達への責任」それを思うと、本当の所は一瞬の判断・ノリで決断出来なくなるのも当然なのかもしれない。良き行動力があることはすばらしい事だ。自分を晒されても恥ずかしくない生き方をしていれば、何も恐れる事はないのかもしれない。だが残念ながら、どんなに正しい生き方をしていても世の中の全ての人は全員「イイネ」と賛同はしてくれないのだ。 ある芸能人が「全員が自分を支持してくれる訳でもないし、自分を嫌う人がいるのも仕方がないと思う」私はその達観した思いにこそ「イイネ」と思った。それは本当に仕方がない事なのだ、なぜならば世の中の多様な価値観がありどんな感情あれど、思う事は自由なのである。人の目線や意見に左右されてばかりいては、自分の気持ちを生かす事はできない。だが人は悲しいかな、【数の脅威】には勝てない部分がある。小さなコミュニティーでさえ、その中で支持されない事は生き難さにつながる。生きやすさとは…自分の発言・行動次第なのだ。我々は社会をにぎわし、眉をしかめるようなニュースを見ていつまでそれを「今後の教訓」にし続けなければいけないのだろうか?正直最近すこしうんざりしてきている自分もいる。お子さんを持つ親御さんには子供に自分の情報を発信する時は「それは一生残るモノだ」と徹底的にネットリテラシー教育をした方が良いと言う事だ。発言一つが将来の自分を助け足を引っ張ったりもする。小学校時代作文集のタイトルは大抵「足あと」だったがそれは=「消せない足あと」だと今さら気づき、誰も教えてくれなかった事も含め後悔が過った。もし、過去に「はずかしい足あと」を残してしまったとしたら…?謙虚に過去を反省、素直に「ワタシ本当にバカでした」と恥じる勇気とそんな自分を笑い飛ばせる精神力が必要になるだろう。人生のハードルは「無駄な事で」高くしない方が良い、誰かを悲しませない為にも。
2013年10月09日
…前半からの続き「苦しい思い出のハズなのに、なぜ…?」この事をもちろん父とも話していないし家族には今も言えていない。軍歌という戦争を賛美するような代物を歌う父は泣いていたのか?懐かしんでいたのか?触れられないのだ。彼ら世代が味わった経験者の思いは永遠に消えるモノではないのだと思えた。同時にその影響を子供世代も確実に受けている事も痛感した。私の知る親と言う人達が感じて学び、その生き方を見せつけられ育てられた私達。ミームという文化は善し悪し問わず伝えられてしまう。環境のせいばかりにしてはいけないのは十分理解している。それでも大人になり考えるのは「過去に大きな大戦がなければ親も私も違う人生だったのではないか?」と思えてしまい少しだけ泣けてくるのだ。ヒトラーの元護衛で、第二次世界大戦末期のヒトラー最後の日々を目撃した最後の生存者、ローフス・ミシュ氏(96)が5日ベルリンで心臓発作のため死亡した、というニュースがあった。分からないなりにも、何か心にチクンと棘を感じるニュースだった。この世の大きな慟哭は世代を超えた影響力が残るものだと今は実感できる。------------------------------------------------------------引退会見の話に戻ると…韓国の記者「風たちぬのゼロ戦問題についてどう思いますか?」という質疑に対し宮崎監督:周囲も「風立ちぬ」に対して難色を示す反応があったとはいうものの「ぜひお金を払って映画を見てほしい」と個人の意見を述べなかった。もちろん公の場で政治的意見を述べる立場にないこともそうだが誰よりも間違った政治、権力、社会風潮を憎んでいるのが宮崎駿世代だと思う。作品から何を感じ取るかはその人の経験や感性からであるからゼロ戦設計を主体のテーマにしても伝えたいのはその心の部分だからなのだろう。人は生きていかなければならない。その為には国民が飢えることなく経済を周らせる為にも、国民が一致団結し同じ方向性をもつことが有効策だ。それもどこまで国民だけの為なのかはわからないが…。シリア問題でアメリカはG20で賛同を得ようと必死になっている。中国も韓国も日本を様々な形で攻防してくるのはそういう国策の一環もあるのだろう。共通の敵を作るのは国民の団結力=国力が上がる近道だからだ。この情報化社会に未だ戦争のプロパガンダ方式を持ち出しそれに感化されているかもしれない人達に呆れる以外にどうしたらいいのだろう?人はきっと何かにこだわり続ける事で怒り続け、傷つき続け、負け続け、悲しみ続けるのだと思う。2012年10月に流通ジャーナリストの金子哲雄氏が若くして亡くなったのは世間に衝撃を与えたが奥様である金子稚子さんは著書「死後のプロデュース」の中で「必要以上に悲しみ過ぎないでいられる事の方が大切だ」と言い切る。グリーフケアの世界ではよく「いつまでも悲しんでいい」とは言われるが私も違和感を感じていた。大きな喪失、悼みであっても悲しみ過ぎるのはソレに取りすがる事だ。本当にそれでいいのだろうか…?初めの1歩はキツイとしても傷ついた心を自分なりに整理していく事、受け入れていく作業は悲嘆を癒すには必要なのだと思う。宮崎駿監督が「生きろ」という答えだけを持ち、作品を作り続けた事。金子夫人が執筆とそれまでの関係者に全国を挨拶して歩いている事も自分を奮い立たせ、長い期間をかけて答えを模索しながらたどり着くのだと思う。だがその道すがらは苦しくとも必ずゴールがあり、必ず成長できる旅なのだと思う。自らを幸せにする為のこだわりじゃないなら、それは過去に負け続けている事にならない。そんな事を考えると、宮崎駿監督の過去の作品もゼロ戦についても個人的意見は差ほどない事に気が付くのだ。ただ「愚かさとは何か」は作品からもそれぞれの意見からも見て取れる。時代が流れどのように変わるか分からない今の世の中に今も生きづらい環境や状況に置かれている人はたくさんいる。「ふつう」とか「一般的」と思われる凡庸な幸せさえ手が届かない、苦しい環境下に虐げられている人はきっと沢山いる。そのせいで明るさや華やかさや普通ささえ目にする事で心がキシキシする思いを抱く事を「行儀が悪い」と宣言する事は相手の事情を深く知ると指摘できない事だと思える。それでも今どんなに辛く苦しい人生、状況の人でもそれを乗り越えなければならないと言われるのは、今そこにいる人にも「希望」を託しているからかもしれない。親世代と行き違いはあれど、共通するのはおそらく子世代には前を向き幸せに生きて欲しいという愛だろう。今朝2020年のオリンピックが東京に決ると言うビックニュースがあった。開会式・閉会式の総演出を願わくば宮崎駿監督率いるジプリで占めて欲しいと思った。空には飛行石をまとった木が浮かび、王蟲(オウム)が歩き、ナウシカにメーヴェで会場中を飛んで欲しいな、と。世界に誇る日本のアニメ産業で世界中の人に伝えて欲しいのだ。「この世は生きるに値する」と。
2013年09月08日
3,4年前の夏になるだろうか?宮崎駿監督をすぐ間近で見かけた事がある。スタジオジプリの隣の家にメイクに行ったのだ。スタジオジプリはその建物自体「そのまんま宮崎ワールド」外から見る感じでは1Fは「癒し系の喫茶店かな?」と思わせるような和みを感じさせ「なんか良い雰囲気、入ってみたいな」と感じさせる場所だった。「ここがジプリか~」なんて感じ入りながら仕事の途中、何かの拍子に外に出ていると宮崎駿さんが隣のジプリの前をふつ~に歩いておられた。「うわっ!本物の宮崎駿!!」と驚愕し「どーしよー握手してもらいたい!でも仕事中だし、隣の家の不幸で来た納棺師が不謹慎すぎるかもしれないし、ハヤオにも失礼だと思われるかもしれないし・・・」と【世界の宮崎】をガン見しながら混乱している間にジプリの中に入って行ってしまった。(たぶん少しぐらいは目があったとは思う)あの夏から私は一生の後悔を抱えてしまったと言える。私がメイクを行ったご葬儀はそこそこな規模のお葬儀でジプリからも供花が出されていた。個人の一生の思い出となる経験値をあげる為に、職務を犠牲にしていいのかどうか?私は未だ答えが出せず、あの時握手の一つお願いできなかった事を後悔し続けている。------------------------------------------------------------ 宮崎駿監督の引退会見を感慨深く見ていた方も沢山おられるだろう。現在公開中の「風立ちぬ」まだ観ていないし、評判は賛否両論で庵野監督の吹き替えに違和感を感じそうで二の足を踏んでいたがやはり会見を見て「観に行こうか」と気持ちが揺さぶられた(単純か?)宮崎駿監督:子供たちに「この世は生きるに値するんだ」 ということを伝えるのが根幹にあると思ってやってきました。「そんなにかっこいいことは言えません」とも言われたが充分にカッコよく、重みのある言葉だと思う。ナチス強制収容所に収監されていたV.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う」と共通する思いがあると感じ取れるからだ。宮崎駿と言う人が、この世に生まれ何を経験し感じ、何に対して怒り憤ったか?そして何を思いながら生きていけば「生きるに値する」と感じ取れるのか?ナウシカに始まり風立ちぬで長編映画作りは終えるのは体力的限界ももちろん理由にあるのは確かだろうが、生涯をかけ伝えたかった事を「一応は伝えられた」そのゴールにたどり着けたからではないかと私は思える。なぜならこれまでの作品の流れが全て【宮崎駿と言う人自身の生涯をかけたグリーフケアだとも思えるからだ。】------------------------------------------------------------私は宮崎駿監督の子供世代にあたる。正直ジプリの作品全て好きな訳じゃないし先日のラピュタの「バルス祭り2013」はネットで見て面白がっているクチだそれでも今回の引退会見に感情が揺さぶられるのは、やはりこの仕事をしてきたからと自身の親の世代からの影響があると思う。私のお客様になる世代は多くは高齢者であり、私の親自身70をとうに越えた高齢者で父は何回も死にかけている。親と祖父母の関係、親の生き方そして親と自分に対する教育やその関係こちらがじきにオムツを取り替える事になるからこそ見えてくる、親と言う人の未完成さやその人生全てを肯定できない事実があるのも知る年頃だ。親の人生や人格を部分的にでも否定したくなる問題の根源…それはその人格だけに問題があるのか?という点にたどり着いた。もしかしたら「そうなってしまった環境や状況にあった上での今ではないか?」人は日頃、意識していないものに自分が思っている以上に影響を受けている。「~が流行っている」となるとそれが本当かどうかもわからないのに、便乗し本当の流行となる事もある。小さな噂や情報で一喜一憂し、いつの間にか誰かが作った時代の風潮に流されている。その最も恐ろしい影響がもちろん戦争や紛争だと思う。子供の時に聞かされた、親が子供の頃の戦争体験は「ほたるの墓」の主人公と同じ世代なのだろう。貧しく苦しく食べるものもなく、子供なのに母親(祖母)とヨイトマケ的な仕事に働きに出た事や、野良猫まで捕まえて食べたとも聞いた。親からはその苦渋は一生消える事はなく、おかげで生命力は強く感じる人達になっている。が、最近では「毒親」という言葉もある通りやはり生き抜いた自信からか?一方的主張や指南が多すぎる為、世間に出て逆に苦労する事もあった為「友達親子」という世代が出て私は大変驚いたものだ。子供心ながらそんな痛々しい話を聞きたくなく「昔の話を蒸し返すな」と幼くても付き返したものだ。ある日、私と父しかいない夜テレビで「懐メロ特集」がありなぜか軍歌を歌手が歌っていた。私はイヤな気分になったと同時にものすごくショックを受けた。日頃、冗談の一つも言えない何を考えているか分からない父がソレを口ずさみテレビと共に歌っていたから…。「苦しい思い出のハズなのに、なぜ…?」ソファーに寝そべりながら表情を見る事はできなかったが、理解もできずそしてなぜか近づいてはいけないような気がして歌う父を背後から茫然と見ていた。後半に続く・・・
2013年09月08日
バーニーが葬儀屋さんだったと言う事で、試写会に行ってきました~この事件「アンビリバボー」でご存じの方もいるかもしれませんが、実話です。アメリカの葬儀屋さんは皆、専門の学校を出て遺体処置やエンバーミングの技術も習得するらしいので「もしかしたらそんなシーンも観れるかな?」と応募したら当選ウキウキしながら観に行きました!「良い場所で観たいな」と入場30分前には着いたのですが既に長蛇の列。世の中の人って真面目なんだな~と感じました。それに割りと年配の人の方が多い…昨今のエンディングノートブームで生き死に関係の情報には敏感なのでしょうか?で、予告も無く時間通り本編が始まり冒頭のシーンはバーニーが卒業した葬儀学部で後輩に遺体処置のデモンストレーションをしているシーン壇上にご遺体が寝ていて、バーニーが流暢に説明しながらご遺体を処置していく。バーニー「故人はこの世の見納めておこうとするのでどうしても目を開けてしまいます」上手い事言いますが本当はマブタの皮膚とか神経が委縮してたりするからです。バーニー「ですがこの場合は瞬間接着剤で目を閉じます」と眼球よりに直に接着剤を垂らして目を接着させていました。このシーンの後どこからともなく年配のご婦人が「本当かしら・・・?」とのけげんな声「本当ですとも」とお伝えしたかったです。映画ですし遺体処置の技術がどこまで忠実に再現されているかはわかりませんが日本でも接着剤が使われるのは事実です。ただし、アロン●ルファなどは乾燥すると白くなるので液体は表面から見える位置につけるとヨロシクない。でも素材として乾いても白くならない接着剤なのかも・・・?倫理的にねぇ~確かに接着剤には抵抗ありますよね・・・もし医療用が出たとしても成分は同じでしょうね。舞台裏は知らない方が良い事もありますよ、後はちゃんと自分の時は目を閉じて死ねるように頑張る感じです。あとは鼻毛の処置や口には歯の表面をなだらかに表現する為?の薄いマウスピースをいれ「絶対、歯は見せてはいけません」と言っていました。あ、でも鼻毛とか爪やすりをした後に必ずそれを「フッ」って毛とか爪のカスを吹き飛ばすのが「飛沫感染するっ!ありえないっ!!」とおののきました。町の人のインタビューで「彼がやるとどんなに醜いバアさんでも立ちどころにキレイになる」と言われていて、私も人様にこんな風に言われたいと羨ましく観ていました。一方、葬儀社内でのセールスのシーンでは葬儀の事前相談に来た老夫婦に「ご主人が選んだこの棺は市役所から支給される生活保護者や浮浪者用です。保証書も無いのでウジやモグラにも食べられたり…ご主人は背が高いのでこの棺だと脚を折らなきゃいけなくなる」と、結構アコギなセールスをしていました。アメリカは葬儀社は教会での葬儀なので祭壇は作らず、棺で売り上げをあげる安い棺だと利益出ないのでしょう。ちなみに高級棺は副葬品を入れる小さな引きだしが棺にふたに組み込まれていました。葬儀シーンが終わると、バーニーと殺されたマージョリー婦人とのやり取りになって行き「おくりびと」だった映画がサスペンス?そして法廷ものになって行くのでしたが結末は、どうする事がベストだったのか?考えさせられる実話でしたね。私から見ると、町のみんなの人気者のバーニーはどうも親切すぎて胡散臭い。だけどそんなバーニーが町のみんなは大好きだから「良い人のバーニーがあんな事するなんて間違いだ」等と彼を援護する。原理主義者ぽいバーニーの中にも悪魔はいるのだろうが人は自分に都合の良い物しか信じたくないのかもしれない・・・というお話です。ジャック・ブラックの小奇麗なのにキモチわるいのとシャーリー・マクレーンの意地悪そうな口角の下がった顔が素晴しかったです人間ドラマの深めの探索が得意な方にお勧めです。
2013年07月05日
父の日なので、旦那に義父に電話をさせた。義父さんの第一声「息子(旦那の名前)!ビックニュースがあるんだ」旦那「え?なになに」義父「社長が歩道橋の階段から落ちて死んだんだ」旦那「えっ・・・ビックニュースって良い事あった時に使うんだよ」おんとし84歳の義父にとって大事件過ぎて思わず横文字を使ってしまったのかもしれない。【社長】と言うのは義父が勤めていた会社の社長さんで義父の1歳年上。大変お世話になった人格者の社長さんで、主人の名前もその社長さんの文字を頂いてつけられ、義兄の仲人さんもしてくれた。最近まで、社長と支店長と義父の年寄りばっかりで毎年海外旅行にしけこんでいた。そんな義父のゆずれない事が「元旦の朝一に社長の家にお年始の挨拶に行く」と言う事で結婚してからは私も連れて行かれていた。田舎とは言え、元旦の朝8時に「明けまして~」と来るこの義父の事を社長のご一家はどう思っているのだろう…?とものすごい謎だった。そんな義父の敬愛する社長さんは、見た目からしてナイスミドル髪もフサフサで70代前半くらいにしか見えなかった。「社長ってあのスーッと背が高いおしゃれな人でしょ?」と旦那に聞くと「でも親父(義父)曰く、髪は増やしてたらしいよ」・・・1本が3本に増えるあの増毛法らしい。編み込み式増毛法のやくみつるではなく、鳥越俊一郎みたいな髪型だった。社長さんはさすが金持ちだけあり毎年、東京の大病院で人間ドックで調べまくっていたそうだ。でも歩道橋の階段から落ちて、外傷の他に内出血があったとかなかったとか…。どうして階段から落ちたのか?病気か?事故か?までは不明。社長の家系は脳梗塞系で、それを気にして高額な検査をされていたのでしょうが安心料の意味って・・・。実の所、人間ドックは「今日この瞬間までの健康を調べるモノで明日からの健康を保証するモノではない」と言う医師もいる。詳しい死因を調べるのにもしかして解剖もあるのかもしれない。でも胸部や頭部をあの社長さんが切られるのか?と思うとやはり解剖は切ない。あのド田舎県でCTを使っての死因究明なんて想像できない。「ビックニュース」なんて言うほど、きっといま義父はショックを受けて興奮しているのかもしれない。義父の親戚な訳ではないが、義父の為にも社長をキレイにさせてもらいたいなぁ…と少し思った。でも1本が3本の高級な毛髪も抜け落ちてるかもしれない。残念ながら増毛の技術は持ち合わせていない。------------------------------------------------------------社長の話と前後するが実は最近、義母側のオジサンも最近亡くなった(享年80歳)義母とも誰とも血縁ではないのだが、義両親はそちらの親戚との付き合いを大事にしている。お正月は社長の家→義父の本家はスルーして→オジの家に毎年お邪魔する。と言っても、別にオジサンと楽しくおしゃべりしてる感じでもなかったが…。それにしても義父よりも年下だけど…失礼だが義父と比べると何と言うか…キレイさに差があった社長→義父→オジの順で若々しさとキレイさが違っていた。「身なりがスゴイ適当なおじさんだね」と旦那にいうと「そうやって人は年寄りになって行くんじゃない」と返されたもののおしゃれさは若さとか健康を求める人ほど強いのかもしれない。そんなオジサンが3月ぐらいから具合悪くなり検査したところ手おくれのガン闘病3カ月で亡くなった。旦那が一応連絡くれた義母に「メイクは?」と聞いてくれたが、そんなの別にいいそうだ。だいたいお通夜に行った当日、オジサンはすでにお骨になっていた・・・。更に義父はお通夜しか行かなかった。告別式の日は透析治療の日で「ダルいから」だそうだ。お正月には毎年会っていたけど、なんだか私自身オジサンに認証されていたのか(意地悪な意味じゃなく)本当に定かではない。オジサンボケている訳ではないのだが反応が3テンポ位遅かったし一緒に住む旦那の従兄一家からも「噛み合わないなぁ」という空気が伝わってもいたし。という訳で、お葬式は誰ひとり泣く人がいなかった。嫌われているとかではなくて「順番だね~」という感じ話によるとお骨も色もついていなくてキレイなものだったそうだ。ムリな闘病もしないで済んだからかもしれない。------------------------------------------------------------対照的な社長とオジサン健康にもおしゃれにも気を使っていた社長は言い残す言葉も無く突然に健康どころか何にも気にしないオジサンは3カ月間、家族と過ごす時間を得て逝った。義父にとって「働かせてもらえた」恩義や仕事や遊びで苦楽を共にした、きっと親友だった社長その一方、嫌いじゃないけど親戚以上でも以下でもないオジサン私はどちらの生き方が良いとか悪いとかじゃなく、どちらからも人生勉強になるなぁとシミジミとした。「飛ぶ鳥跡を濁らず」で誰の気持ちも乱さず必要以上に悲しませないオジサンは、それはそれでありがたい日頃、刺激の少ない年寄りの義父に「ビックニュース」なんて言わせる感情の波や悲喜交々を与えて義父の人生に色どりをくれた社長さんにも感謝したいと思う。人はモノの受け止め方で人生のカラーを決める高齢者に多いそうだが、人生を共に生きてきた同年代の人が亡くなる事で鬱になる人は多いそうだ。当然なのだが、高齢者は「判断力や反応が鈍くなる」もしかしたら、人生の終盤で訪れる辛い気持ちは若い人と同じくらい繊細に鋭利に受け止めてたら絶望だけで人生が終わるかもしれない。高齢者には「鈍感力」は必要な能力だと思える。義父は以前、他の親戚の葬儀の時もへーちゃらな顔していて「冷静なもんだな」と思ったが悲しいことから心を守る術として、そんな反応の鈍さを人間は身につけるのかもしれない。きっとそれなりに落ち込んでいる義父だろうけど高齢者の特殊能力で乗り切って欲しい。死は避けられない事柄だけど、ちゃんと人間はそれに対応できるよう上手く出来ているようだ。誰の人生にも、どんな生き方でも、人はきっと何か「ありがたいもの」を残すことも「受け取る事もできる」人生は儚いけど、でもきっとうまく出来ていると思う。
2013年06月16日
この日の故人様鼻の中心から片目まぶたの上の皮が一枚ぺろ~んとムケていた。「これは特種メイクになりますよ」と担当者の方に言うと小さくショックを受けられていた。なぜ特種メイクになったのか多少自覚があるらしく、搬送する時に故人様のお顔に何かが触れ、もともと弱くなっていた皮膚がベロンと逝ったのでしょう。一皮むけ皮膚の中の油分が出たツルツルの肌には普通にファンデーションは乗らないから人工皮膚を作り特種メイク。今回は残念なのが特殊が顔の真ん中ということ、皮をはいだのはお顔にかける白いハンカチ(面布)かもしれない。ご遺族には事前に「お化粧濃くなります」と説明はさせてもらったが、処置した段階で「いやーもう今でも充分キレイになってるから」と親戚のおじさんが加勢して頂けた。処置前は、口も目も開きっぱなしで頬も痩せこけたお顔だったから含み綿で処置しただけでも雲泥の差らしい。メイクに時間がかかるので楽にしててもらうよう説明すると、お子さんかお孫さんか?唯一若い男女の2人だけ遠巻きに眺めていた。あとのご親族は銘々自由にされ、私もご遺族が持参されたガンガン流れる氷川きよしをBGMにメイクをした。メイク後の納棺で、最も気をつけなければならないのがご遺体をなるべく水平に【顔には何も触れないように】ご納棺する事。皮膚が弱くて、厚化粧だから触ると崩れるモロい状態なのだ。「このお顔の横のシーツをピーンと張った状態でお願いします」とお顔元の若い女性にお願いしたのだが・・・お棺に入る寸前「ハウアッ!!」と気が付きご遺族の誰かの腕を思わずつかんだが遅かった。特殊メイクした部分に若い男性の喪服の袖がついてしまった・・・。ご本人もご親族も「えっ;なに?」とビックリされたと思うが、無意識に腕を鷲づかみにした自分にも驚いた。喪服にべっとりファンデーションがついた事、故人様のメイクが落ちたかもしれない事に「ウガァ;」と思いつつ「お袖は(ファンデーション)落とすものあるので後でお願いします!」と叫んでいた。納棺の最中だから流れを止める方が全体により混沌とした空気を生む、幸いメイクは崩れていなかった。納棺後「ソデ、お願いします」と呼び止められて、ひたすら清浄綿で再びその方の腕を鷲づかみにして拭きまくった。もしかしたら若いお二人のご遺族は若夫婦?かもしれない。ご遺族の男性は立ったまま、私は膝立ちの姿勢でなんか「ご主人と下僕的」な?形だが気にせず袖を拭き→袖に着いた綿を取り→袖を拭きをひたすら繰り返し繰り返し・・・。私はアザトイかも知れないが、この時思ったのは「たぶん私が腕を掴んで(さわって)拭いているのご夫婦2人ともイヤだろうな」「けっこううるさ型なご職業の方(某国家公務員)の方だからヤバいなぁ」「ご遺体の持ち方は説明はしたから、本来こちらに非はないハズ…どう納得してもらうか」「とりあえずは『もう良いです』と言われるまで絶対止めない!」結論を出し拭き続けた。(世の中の人は粗相した時、どんな事考えるんだろう…?)喪服の袖は清浄綿でじっとり濡れる程、拭いたが繊維の間に微量にファンデーションが残っても「もういいです」の一言を言われた。やはりご遺族の方もいつまでも拭き続けられる事に嫌気も差したのだろう。「本当に申し訳ありませんでした」本当は謝る必要はないのかもしれない。でもサービスを提供する側が【気の利かなさを詫びる】と言う意味では一言謝るのは当然なのだろう。------------------------------------------------------------たまたま見たテレビで樹木葬・散骨・永代供養の特集をやっていた。樹木葬:満開の桜の木の下に眠るといったイメージだが現実は バラ苗木が一本ゲストの専門家:「それが徐々に育っていくので」散骨海洋葬:クルーザーではなく漁船の場合もあるゲストの専門家:「船に乗りなれない人は船酔いをする」永代供養墓:永遠ではない管理上管理費が必要になる永代供養墓もある。払わない場合は合祀墓へ移動となるゲストの専門家: 永代供養墓はマンションやアパートと同じように考えて家賃を支払わないといけない。また、三十三回忌を過ぎたら合祀墓に入れるという期限付きのものなどがある。「管理費を払うならお墓を買っても変わらない」・・・うーん。私は同業者でありながら思うのだがこの「よーく話を聞いてみたら実は●●でした」というのが料金不明瞭とか暴利とか言われる所以では?と思う。樹木葬でもまだ出来上がっていないなら、広告に事前説明は必要だしクルーザーで海洋葬したい人はきっとロマンチストなのに私なら漁船=演歌と鳥羽一郎しか浮かばない。霊柩車も車種で(宮型・洋型・リンカーン~ボルボまで)料金も変わるのだから船舶の種類も事前に言わないと。あ、でも海釣りが好きな故人様だったら「お父さん海釣りよ!」と喜ぶご遺族もいるかもしれないし故人がさかなクンなら遺族も率先して漁船を選びそうだ。だがタイタニック気分のはずが、兄弟船に急展開したらギャップで動揺しそうだ。期待を裏切るわかりやすい事例だと思った。永代供養もおまかせしたい経済的理由もあるから選ぶのに年間使用料且つ期限もあるとなると何を持って永代というのか…。 最後に専門家の方曰く「みんなで見ることで後々のハプニングが起きにくくなる」と、なんとも当たり前の事をのらりくらりと言っているように聞こえた。------------------------------------------------------------なじみのない葬儀のことを一から十まで説明するのはたしかに余計かもしれない。でも葬祭業は蓋を開けてガッカリ度が高いのも確かである思うにクレームが起きる原因の一つに「誰を主体に仕事をしているか」という心の問題があると思う。・・・「自分軸か相手軸か?」誰に喜んで貰うべきか?を思って仕事をすれば「聞かれないから言わなかっただけ~」などとという【気が利かない】以前に一見、間が抜けてるようでいながら、計算された「言わない」という事情も持ち込まずに済むと思うのだが…。人の心の中には無意識に「損したくない」「自分は得したい」という気持ちが根ざしている。そして残念ながら心が満たされていない時ほどそんな気持ちは強い。一番の喪失を味わった時もしくは味わいそうな時なのだから自ずと消費者は値段と内容に厳しくなるのは必然かもしれない。だからこそ不器用でも誠実さの方が必要になるはずなのだ。「ここは大真面目にやってる所だな」と判断される為には誠実さが潤滑油になる。正直で相手に先に得してもらおうという姿勢があれば、WINWINの関係はそこから始まって悪い噂も立たないと思うのだが…。上記の3つの特集も事前にうたっていれば、ガッカリはされないハズだ。もし最初から「皆でつくる樹木霊園」「海の狩人の漁船で行く海洋葬」「月命日から33回忌までの供養暮(要管理費)」とでもしておけば、これを良しとする方には喜んでもらえるはず。 私の出来事もどこかに説明不足もあるのかもしれない。 対応中の私の心はイヤらしくアザトイ事も考えている。 でもお陰さまでクレームが来なかったのは、やる事と態度は誠実さはつらぬいたからだと思う…。 私が逆の立場なら「自分のミスかも?」と思っても、やはりこんな姿勢で最後に謝ってくれた方が精神的に治まりつくもの。 葬祭業は全てを開けっ広げにしなくても良いけど人々の心を癒しもてなす仕事なのだからご遺族の為に今一歩、内容を明らかにした方が良いと思う。それはさておき、喪服クリーニングでキレイになりますように…。
2013年06月06日
昨日の出来事・主人誕生日・友人からパニック電話「どーしよ~!」と昔からの親友がメールしてきた。「実は今朝うちのマンションで飛び降り自殺が。。。」警察もいっぱい来ててとりあえず仕事に行ったけど、憂鬱で帰りたくないと。「とりあえず家入れば?電話ちょうだい」と対応1時間後電話がかかって来て「いや~なんかキモチ悪いぃ」と。家に入る前に買うものないのにスーパーで時間つぶして、食欲ないのに一応弁当買ったりして・・・でもご飯って食べれるのね、と食事はしませたらしい。で、遅番の彼女は朝8時くらいにまだ自宅にいてインターフォンがなった。まだ寝てるので無視したのだが、何か廊下が騒がしい。出かける準備後、気になってちょっと廊下に出てみたら警察がワラワラいる。「どうしたんですかっ?」「いや~ちょっと傷ましい事あってネ、飛び降り事故あったんですヨ」と警察朝8時まえに6Fか7Fから飛び降りて、5Fで一度引っ掛かり下に落ちたらしい。そんなに年じゃない女性で住人かどうかもわからない。住人じゃない人も管理人がいないので入れるので、共有スペースの外階段から飛び降りエントランスの前あたりに落ちたらしい。状況は良く分からないが、血液びちゃーとかは見ていないそうだ。「なんで、よりによってうちのマンションなんだっ!」「キモチ悪いから引っ越した方がいいかな?」などオトメみたいな不安な気持ちを語ってくれたのだが「アンタとその自殺した人とは関係ないよ、その人の都合だし、アラフォーで彼氏もいないアンタをその自殺した人も羨ましがって呪うとか絶対ナイわ」「ヒッドーイ!!」と激怒プンプン?な感じだった。結局話は色々ソレて実家のバカ姉のネコが近親交配が進み、ついに犬猫21匹になりやはり体の弱いネコが生まれてすぐ死んだらしい猫を犬が頭だけポロンと残して胴体は食べちゃってた。そんなネコ食べたり親父が鼻かんだテイッシュ食べちゃった口で人間の顔喜んで舐めに来るんだから!犬ってやっぱり畜生だー!と母親が言ってたよなんて話してあげたら「あんたの話の方がよっぽどドンビキだわっ!」と少し元気になってくれたらしい。ぷりの息子・ドラちゃんラグの家ブログ←猫ブログやってます------------------------------------------------------------室内の特殊清掃(遺品整理業)していた時部屋がキレイにかたずけられ、次の住人を募集できるまで原状回復したら依頼主(独居死した人の家族とかオーナーとか)の希望で「お祓い」的な儀式も承っていた。亡くなったその場所に小さなテーブルを置いて五具足(香炉・ローソク立・花立・茶碗・線香)なんかを用意して宗派を問わず引きうけてくれるフットワークのいい宗派のお坊さんにお願いして10分くらい依頼主立会いのもと「お祓い」してもらっていた。こういうのは正直やはり遺族の方の気分的な問題よくお願いしていたお坊さんは 「カーッ!」とか読経の合間にすごい大きな声で突然出すのでこっち「うわっ!ビックリするじゃん!!」「うるせ~;」と耳のキンキンが辛かった。その時の経営者いわく「声大きいから祓われたような気分によりなるから」との理由でごひいきにしていた。たしかにあんな大きな声で読経されたらうっとうしくて私も嫌だったし亡くなって思い悩む人生から解放されたのだとしたらたしかにウルッさい人のいるところにいるのヤダよね~人生は諸行無常とは言え、死んでまで誰かの騒音で穏やかな死の生活を乱されたくないワ!と私が亡くなった人ならそう思いそうだ。------------------------------------------------------------でも考えてみれば、交通事故で亡くなった人なんかよく道端にお花とかお菓子とかお供えしてあるけど飛び降り自殺とかまして人身事故なんかのホームにはお花もそえないしそんなお祓いなんかしているのだろうか?その違いってなんだろう?と改めて疑問に思った。友人のマンションから飛び降りた人は、そこの共有スペースで亡くなっている。マンションの住人達はそこを通ってマンションに入るのだから、たしかにあまり気分が良くない。マンションのオーナーは住人が室内で亡くなった場合はその部屋の事情も伝え、家賃も下げなければならないが共有スペースの場合は伝える義務あるのか?マンション全体の価値は下がるのか?・・・いろいろとグレーな疑問が沸いてしまうそう考えるとほぼ毎日のように都内のどこかの路線で人身事故はあるし誰かが亡くなった線路の上を皆「会社行くのダルイ」って思いながら通勤している。縁もゆかりも無くても、いわくのある場所は日常にちょいちょいある。結局気にしなければ、関係ないと言う事だ。それに山の手線が心霊スポットにならないのは自殺した人も気分的に落ち着かないからそこにとどまりたくないんじゃない?と思った。心霊スポットが本当ならやっぱりそこは静かで居心地良いからいるのであって若者が心霊スポットめぐりで来ると言う事はお化けにしたら「不法侵入」「おまえら、どこのクソガキだ!人ん家に土足で入るんじゃない#」って怒っているんじゃないでしょうか?要は失礼だと言う事でしょう。えっ?じゃあ霊に危ない目にあわされてる稲川●二さんとかはイラつくタイプで小さいおじさんに「ドンマイ」とか言われる釈由●子さんとかは、霊にも同情されるタイプ?ってことか?そう思うと稲川●二さんの「あれ~?変だな?おかしいな?怖いな怖いな怖いなぁ」 「悲惨だな悲惨だな悲惨だな悲惨だな悲惨だな 」とか早口で聞き取れない事もあるしイラつくのかも。「キモチ悪ければ大屋に言ってお祓いしてもらえば?」と言ったら「オーナーが東京の人で財テク用のマンションだしそこまでしてくれるかどうか…。」との事だった。でも彼女の隣の部屋はもう1年くらい空き部屋でタナコが入らない利回りの悪いマンション。オーナーさんが気にするのはきっと今は「不動産借り手市場」で「意外と儲かんないなぁ」て事でしょう。友人も今のタイミングなら、ちょっとゴネたら威勢のいいお坊さんにお祓い依頼出してもらえるかもしれない。
2013年05月16日
今週の母の日に警視庁から「オレオレ詐欺」の新名称が「母さん助けて詐欺」と発表された。華々しいセレモニーの映像をニュースでご覧になった方も沢山いるでしょうがネット上の反応は…ちょっとイマイチ風である。そんな旬な詐欺が本日義実家に「母さん助けて詐欺」についに来ました。昨日13日、主人を装った電話がかかって来て義母と長電話し本日14日にまた主人を装った電話・・・。ニセ主人曰く「仕事の仲間と中国の株を買ったんだけど暴落して大変な事に…」「マイナス補てん分600万すぐ入金しないとクビになる」とのこと。珍しく長電話している義母の様子がアワアワして何かおかしいと気付いた義父が「電話変われ!」と奪い取り「オメ―誰だっ!」とすごんだらすぐ切られたと。直後、義父が「昨日と今日、電話くれたか?」と主人に連絡が来て「全然してない」の返答に「それ見た事かっ!#」と【母さん助けて詐欺電】だった事に義父はキレまくったそうです。日頃しっかり者の義母さんから天然の義父さんは毎日のように攻撃を受けているのにイザとなったら義父強し!すごい義父さん見直しました!ヤリ手!ナイスです。600万と言う微妙な金額1日目、詐欺班が母さんから主人が何の仕事しているかそれとなく聞き出し2日目「昨日の今日でパニック感を装う」というシナリオでした。でも12日の母の日にはオレオレ詐欺の新名称も決まるし母の日だから主人にはお母さんに電話かけさせているのです。ちゃんと「オレオレに気をつけるよう」言わせもしました。それでも騙されそうになっちゃうんですね、うちの義母さん優しいんです…。------------------------------------------------------------「親子とお金」の問題は仕事を通して、また親も自分も老いてくると感慨深い問題あるオジーサン故人様のご遺族はナニか?しらけている。高齢で一般の弔問なし・家族葬で余計その「シラー」とした気持ちが色濃く見える。葬儀の最後の最後に息子の喪主さん曰く「親父(故人)は何度も色んな詐欺に引っ掛かりまくって最後は文無しだった」と語られた。当時は「消防署の方から来ました」の類のサギもありもちろん家族は「簡単に信じるな」と警告はしたのかもしれない。だがあらゆる詐欺にカモられまくり、貯蓄と息子からの信用も失くしてしまった。子供としては尊敬の気持ちを奪われてしまったのだろう。ちなみにまだご存命のある親子のケースを3つあげると1、自称「子供にたくさんお金残しています」「うちは田舎じゃないから特産物とか仕送出来ないので、お金で残しているから」というAさん宅でも「お墓は建ててね」と言われ少し複雑らしい。2、「ぜーんぶ使いきって死ぬから!」変に財産残したら兄妹ケンカになるし、知り合いが子供に財産全部渡して面倒見てもらう事にしたら手のひらを返すようにヒドイ扱いを受けるようになった。うちは一銭も残さない!と言われ「自分は金の亡者に育ったつもりはないのに、親からそんなレッテルを張られショックだった」Bさん3「親とできたら関わりたくない」実家の親はとにかく山っ気のある親で商売や家を買うのに、いつの間にか自分が保証人に;しかもそのローンを支払っていない事が判明。それでもなぜか懲りてる風でもなくたまにお金の無心の連絡も来る。「母さん助けて詐欺はうちが元祖だ」と親と縁を切りたがるCさんお金に関しては色んなケースがあるのでしょうが子供が親になり親の資産の作り方とか使い方を改めて知る事は子が親である人を見る判断材料になってしまう。お金は人生においては本来生活を自由にする道具の一つだが多くても少なくても「お金という道具で何を買ってどう人生に反映させたか?どういう意味でお金と言う道具を貯めたか?」と親の貯金通帳で親と言う人を計れてしまう気がする。親の人間性が透けて見えてしまう成績表のようだ。いわゆる「うちはフツー」という円満な親子関係なら、親の通帳のケタを見て「沢山残してくれてラッキー」というより「意外と頑張って貯めていたんだな」と親の努力を微笑ましく「自分の親は実直な人であった」としみじみと感じられるモノではないだろうか?先のシラけた喪主さんも自分の父が金銭を奪われる事より「騙されてしまうモロさ」に対して悲しかったり失望していたのではないだろうか?自分よりもそして社会的にも「弱い父親」を見るのは息子にとって幾つになってもショックだと思う。親が死んだ時、そんな風に親の存在の証が残った遺産でも計る事が出来てしまう。親がどんな人だったか振り返る事は「自分と親が何者であった」か知る機会とも言える。万人に言える事は、子供の立場でも人は無意識に「親には優しく立派であって欲しい」等と理想の親を願う事もあるだろう。理想の親から生まれた自分は、そんな素晴しい血をひく理想の子であり自己実現に近づける事だ。友達親子や対局する親子・反面教師、トンビが鷹の親子もいるだろうがいずれにせよ「血のつながり」とはアイデンティティを感じずにはいられないもの。親の人間臭さを知り、親は万能ではないと大人になれば知っているハズなのに親子共々まざまざとそれを痛感させられ精神的な痛手を負ってそんな気持ちを抱えたまま逝く事と見送る事はやりきれない事だ。喪主さんのシラけた態度もまだ故人様の人生を受け入れるには弱い父親を何度も見過ぎて辛すぎる状態なのでしょう。人の経緯を知ると「今なぜその状態なのか?」理解できる。色んな思いがあるから人の人生に簡単に眉をしかめるのは早計だ。死を乗り越える事は難しいのは「人生の大きな通過儀礼だから」とも言えそうです。------------------------------------------------------------「母さん助けて詐欺」旧オレオレ詐欺に少しだけ救いがあるのは、騙される人が「愛ゆえに」騙されると言う事。今回改めて感じたのは「義母さん優しいから」と言う事。ニュースでガンガンやってるのに、めげずに活動続ける「母さん詐欺」屋は人の心理を熟知してるから続行しているのでしょうか?ダマされ寸前の義母さんが本当に騙されちゃってたら、きっとすごい義母さん落ち込んでしまう。お金取られる事も腹が立つけど、義母の気持ちを傷つける事に一番腹が立つかもしれないと気付いた。今回、母さん詐欺の初回で未遂で終わったから呑気な事言っていられるのかもしれないが親の生きる姿勢や愛情を感じられる事は親の通帳の金額より重みがあるのではないだろうか。「母さん助けて詐欺」の新名称は「母さんと限定するのが良くない」とか緊張感に欠ける「語呂」だとか言われてた。私も最初は「おサギとピーポ」が気になって仕方がなかった。がこんな事があり今は「なるほどな~」と実感した。ニュースでやる事はネーミングが定着するかどうかより「こういう犯罪がある」という認識を深めるという意味合いでは多少効果があるかもしれない。夜もう一度、義実家に電話したら義母さんが義父さんに日頃の反撃よろしく色々言われてイジメられてる!との事だった。
2013年05月14日
猫が大きくなってきました長男 今日で生まれて3週間経ちました。今だ仔猫の住まいは押し入れの中でぷりがガッシリガードしているのでお部屋に出す事ができません。2週間目くらい毎日見る度大きくなります。3匹はもう生まれながら性格が3匹3様で長男・・・強くてヤンチャ長女・・・おとなしくて小さい次男(うんこちゃん)・・・のんびりぷりしらは赤ちゃんの時、毛並みがウサギのようにツルツルでとってもキレイな子だったのですが(今はオバサンだからそうでもない)唯一の女の子はぷりに似て1匹だけツルツルしてます。赤ちゃんの時のぷりぷりの長女あと1カ月ぐらいたったら、ぷりっぽくなりそうな予感 性格的にはそれぞれ個性が出てきているのですがまだ命名していません。2匹はよそに差し上げなきゃいけないし、名前つけちゃうと余計後ろ髪惹かれちゃいそうで・・・。「子を嫁に出す」とはこんなにも切ないものかと猫から教わった次第です。と、どうしても子ねこに注目してしまうので4月にやっと2歳になるパパのグー太郎はジェラシーなのか?退屈もしているらしく、こんな目で見てたりします。グー太郎もう少し大きくなったらまたUPしてみます。
2012年03月31日
東日本大震災から1年の今日Tvで1日中、震災特集やってますよね。もちろん、今日は日本中が喪に服すべき日だし被災に遭われた方に少しでも、何かお手伝いできないか?改めて気を引き締めるべき日です。今、津波のシーンとかずっと放映されているのを見ていました。あるシーンではすぐ後ろの津波からギリギリ逃げた人と飲み込まれてしまった為に、モザイクかかった人と両方映っていました。もちろん飲み込まれた人の事は番組では触れません・・・。すごく苦しくなりました。そして、ハッとしました。「これをずっと見ていたら、またこちらも震災ウツになる」まだまだ復興しない東北地方があること癒されない傷を抱えた人がたくさんいることそんな方たちの気持ちに共感することは最重要ですですが、支える側の人間が画面を通して二次被害的に鬱になる方も沢山いました。3月11日の今日が終わるまで震災特集は終わりません。被災地の方へのケアもまだまだ終わりません。お手伝いすべき私達があまりに落ち込むわけにいかないのです。ちょっとヤバいなと思われた方は気分転換するために、チャンネル変えたりお風呂入ったり、誰かとお話したりして下さい。
2012年03月11日
実は昨日の午前中に ぷりしら(7歳=人間年齢・44歳)が出産しました一昨日ぐらいから「腹いてぇよ~なでてくれよ~」としつこくて、こちらも一生懸命介護してました。結局、翌日(昨日)午前中2匹出産しました高齢で初産ということで私の方が神経質になってて1匹目誕生から、1時間後に2匹目が生まれ生まれても最初2時間オッパイ吸う様子がない事や(猫の出産注意点によると)「母猫にご飯食べさせて下さい」とあったのにぷりが産後はご飯食べに行く様子がなくて知恵袋系にガンガン質問したりしてました。でもご飯差し出したらガツガツ食べたし10分ぐらい休憩したりしてたので「あ~一安心」とか思ってました。そしたらびっくり、今日の夕方33時間後に3匹目をプチうんちと共に産みました左から、うんこちゃん・第1子・第2子動物病院のエコーでも2匹しか映ってなかったし2匹産んですっかり落ち着きはらっていたしぷりは高齢だから2匹で打ち止めかと思ってたので3匹目いた事自体ビックリそんな時間差で生まれるもんなんですかね?!「もう死産じゃないか」と思ったらなんか一番でかくて一番元気みたい真打ち登場と言う感じ3匹目生まれるまで3回もぷりにご飯食べさせちゃったのでイキんだ際にうんちと共に生まれた背中にひとウンスジ付きで。産後「悦」のぷりしら生まれる前から、姉が欲しいと言っていてすでに命名済み。ラグドールは米国産猫なので命名「グラミー」だそうです。 メスを1匹残そうと思ってたのですが一応、血統書つきなので動物病院とかにビラ貼らせてもらうと結構すぐ貰い手見つかるそうです。怖くてまだ赤ちゃん性別ちゃんと見てないのですがこの「うんこちゃん」を飼いたい気がする。まぁ思い起こせば、グーもベランダから落ちたのに生きてたおかげで出来た子だから3匹とも強運かもしれないがあれは対価交換だったのか?と思ってしまった。こっそり側に紛れ込むグー太郎うんこちゃんは一足出遅れビックリな仔だけど一番力強そうだし「生きていた」だけで強運でも安易に「イマル」とか命名するつもりないです。第1子のアップちなみに今日は義母の79歳の誕生日で「ママ大好き」な旦那が「ママと猫と同じ誕生日だ」と喜んでバースデー電話し猫出産の報告をしたら「おめぇ~らこそ、いつ産むんだ!!っぺや」と茨城なまりで言われたらしい田舎の義母には猫バカ炸裂電話は通じませんでした。相済みません、そのうち人間も頑張りますて感じです。
2012年03月10日
お顔が傷だらけの故人様の仕事をした。「隣の県に知り合いの仕事を手伝いに行く」と親戚に告げたその夜に亡くなったらしい。死亡したのは、その仕事を終えた後のようだ。仕事に行き、仲間と別れた後なぜかなじみのない隣の県のド田舎で亡くなってしまった・・・。「お金がないから状態悪いけど特殊メイクも納棺式も結構です」というお仕事お目にかかると故人様はけっこう気の毒な有様だった。額と鼻のてっぺんにザックリとキレたらしい大きなカサブタ。左のこめかみから瞼にかけては緑色に腐敗変色。右の頬には一番深い傷であろう所を大きなバンソウコで隠していた。そして耳からの微量出血が気になった。頭の中でどこかが切れているのかもしれない。脳内からの多量の出血の場合はそれが血抜きになるので腐敗は進行しにくい(鮮度を保つ魚と一緒の理屈で)だがこの方はすでに腐敗が始まっており、フワ~ンっと腐敗臭もする。亡くなった姿で発見され、検視され犯罪性がないとされると医師の死体検案によって死体検案書が作成される。故人様が発見されて、検視が終わり身元が判明そして自宅に帰れるまでスムーズにいけばマル2日くらい。季節の兼ね合いもあるが、やはりドライアイスで冷却されないと腐敗してしまう。「臭うなぁ…変色も傷もあるけど…」サッとメイクするだけしか承っていないので傷を隠したり、消臭したりのサービスができないところがジレンマである。その辺はやはり、ちゃんとお金を頂いて処置するご遺体と同様のことをするのはマナー違反になるのかもしれない・・・。直接の死因は例えば「脳挫傷」「心不全」とかの判断は解剖すれば判断つく。でもなぜこんなに外傷を得たのか?の経緯がわからない。今回は犯罪性が認められない為「死因不明」とされてしままだった。傷だらけになって亡くなっても、検死の結果は「事件性がないので死因不明」で片付けられた。故人様もしかしたらチン●ラに絡まれたのかもしれないしクラッときて顔からヒックリかえって亡くなったのかもしれない・・・。2時間ドラマだったら早速誰かが「お父さんがそんな所で死ぬわけない!」とか言ってこのミステリーを探求しに行くのだろうが現実にはそんなことありえないのだ・・・。こんな方こそ「行政解剖」をする対象者なのだと思う。それを手がけなかったのは解剖費用の問題か?検視官の人手不足か?県をまたがって管轄地外での問題か?その事情はわからない。でも亡くなっているあまりにも痛々しいその姿から原因不明で終わらせることに全くしっくりこない事だけは事実だ…。------------------------------------------------------------平成9年「結婚詐欺女」容疑者として木島佳苗が検挙された練炭で男性3人を殺害したとして、殺人罪などに問われている事件は謎の死をとげた何名かの男性達は直接の死因こそは解明されているまた容疑者の動機も充分だ。だが一切認める供述をする様子はない。何より驚くのは木島容疑者が「私は絶世の美女ですから」とあまりにも堂々とした発言だ。「女性が付き合っている男性から経済援助を受けるのは当然と思っていた」「はい。具体的には……。テクニックよりも本来持っている機能が高い、と」 真実を告白させるのが本来の目的なのだがあの態度から、彼女の中の自分像は彼女にとっては真実なのかもしれない。日本1億総人口の代表として、もしモノ申して良いなら「その根拠ない自信の秘訣は何ですか?」「最低30キロ痩せて9号サイズになってから言って下さい」「写メは偽造罪に当たらないのですか?」と聞いてしまうかもしれない。 でも残念ながら私は男性にそこまで尽くされた事言われた事もない。女性が思うより男性はポッチャリの範囲が広いともいうし…。この人の堂々たる発言を前にすると、今まで自分たちが信じている価値基準が震撼させられてしまいそうになる。「美人は3日で飽きるが、ブスは…」とは本当はゲシュタルト崩壊の事ではないだろうか?このニュースを見たあるお父さんが「まぁかわいげのある顔だな・・・」とつぶやいた!!!という話もあるこんな事例を知ると本当に揺らぎそうになってしまう。(韓流アイドルもこうして作られるものかもしれない)【圧倒的な自信】を突き付けられると人間は「そういうものなのかな」とつい流されてしまう。自己判断はこうして揺さぶられるものだ。------------------------------------------------------------医師不足は生きている方対象のお医者様と同様に亡くなった方を診る検察医務院の医師も大いに不足している。そして解明されないままその死が記憶の底に閉じられていくことなどざらにある事なのかもしれない。故人様はメイクの2日後に納棺になった。故人様に対面すると先日と反対側の目の周辺も緑に変色し、更に臭いがキツクなっていた今日は納棺式をしない【納棺だけ】との話で来たので化粧直しはできない。顔の周りの飾りの綿でなんとな~く変色が目立たないように飾り付けすると「わぁ、なんだか寝ているみたい」とご親族私から見ると顔色はますますの緑色だし臭ってる。私がその変化を気に病む以前に身内の人にしてみればもしかしたら「もう少し何とかしたい」という希望を言う権利がある事すら今は気がつかないのかもしれない。今は変色しようと傷があろうと、穏やかな表情をしている事に安堵を見出しているから。亡くなった人のお顔がきれいかどうかで残された人の心が少し救われるのは、穏やかなお顔である事が前提。それ以前、どんなに苦しい病床や状況にあったのかを一瞬忘れる事ができる…それはとても大切なことだと思う。だが、幾ら穏やかな表情をされていてももう目は覚まさないし、起き上がることはないから亡くなっている事実はじわじわ突き付けられる。葬儀中は平素の精神とはやはり違う。葬儀が終わり日常に戻った時初めて「身内の死はなんだったのか?」振り返ることになるからだ。どんな事情があって、顔に大けがをしたのか?そして亡くなったのか?一般市民には知りえる事のない国の機関に「わかりません」と言われたら「そうかわからないのか…。」となるのは判断力が鈍っている時だから全て委ねるのは仕方がないのかもしれない。そしてその真相追求に踏み切れない明確な理由は・・・家族と言う形態が終わってしまった家族だったからかもしれない。故人様は離婚して一人暮らしをしていた。葬儀には元妻や息子や娘も来ていたがそれぞれ独立していた。故人様の死以前に、何かが終わってしまっていたのかもしれない。不安な人は強いモノに飲み込まれる。それは時に権力だったり、圧倒的な自信だったりと様々なものに。相手が大ウソつきかもしれないのに「もしかしたら自分が知らないだけでそういうモノなのかも…」と価値観が覆されて、考える事を止めてしまう。心に力がある時は、誰しも色んなモノに取り込まれないように戦っていると思う。だが疲れている時や平常じゃいられない時は不安を払拭してくれる人が必要になる。時に聞きたくない真実をお互いに愛をもって指摘しあえる程の本音で語れる相手こそ支え合える人だと思う。そんな人がいる事で人生に立ち続けられる力になる。ゆるぎない真実を感じさせてくれる何かを持てる人はきっと最強だろうと思えるのである。もしこのお仕事とこの事件の共通点を強引にあげるとするなら「事実から目をそらしていないか?」と言う人がいない事かも知れない。なぜなのか揺ぎ無い自信を持つ木島容疑者は恐ろしく持論がブレない。被害者もご遺族も茫然自失で何かに流されているようにいや真実を見ないようにしている気がした。いわゆる家族崩壊した状態でお金が出せないとは言っててもご遺族の様子から故人様に対して愛情がない訳ではない。別れた元妻でさえ、親族と共に故人様の死を深く悼んでいた。残念なのはお互いに支え合える家族ではなくなってしまっているという事。これからご遺族たちには長く故人様に対してぬぐいきれない悲しみが続くのではないかなと案じてしまう。【 今日の教訓 】 希薄さは判断を曇らせる
2012年03月09日
ここ最近【光市母子殺害事件】と被害者遺族の本村氏の事を考えていた。解決する日々の間「あの事件はどうなったんだろう」と頭をよぎる方もいたと思う。そしてマスコミに表れるたびに確実に成長していく本村氏を、この事件の終結を13年間緊張しながら見つめていた人は日本中に沢山いると思う。事件のあらましは報道の通り、死刑が求刑された。最高裁判決全文そして本村氏は加害者と司法と社会正義に対して堂々と渡り合える人へと驚くべき成長をされた。「時間が最良の相談相手でした…年を重ね色んな事が冷静に見れるようになってきました」「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で皆、敗者です…」この13年戦ったからこそ吐き出せる言葉であった。少なくとも私は本村氏に何かを期待し続けてきた。悲劇の渦中にありながらも、惑う事ない本村洋氏の強さとぶれない一貫した生き方にだ。 ------------------------------------------------------------悲嘆感情・グリーフケアの研究の為に「遺族会」的なものに参加させてもらった事がある。様々な遺族の方が、ぬぐいきれない悲しみ苦しみを告白し合い感情を分かち合うという会だ。参加したその会では、いわば【死因・年代別カテゴリー】などに分かれている。それは初対面でも、似たような体験をした者同士「悲しみを共有できる人がいる」事を知り孤独からの回避につながる為にだ。だが犯罪被害者の場合は圧倒的に少数派。犯罪被害者の場合は難しくて対応出来ないそうだ。遺族感情によくある感情の一つに根拠がないとしても「自責の念」を抱くという問題がある。犯罪被害の場合、自分を責めると同時に現実に許すまじ相手が発してしまう。同じ遺族という立場でも、支え切れない、感情的にあいまみえないものを抱えている。 「怒り」と言う感情は「悲しみの隠れ蓑」である。その怒りを永遠に払しょくできなければ、その奥にある他の気持ちを消化できない。私が介入した事例では遺族の皆さんは頭が真っ白の状態になっていた。または犯罪の疑いがあれど、追求しない遺族もいた。自殺者が出た家族でも、その原因が家族関係にある事を顧みようとしないケースも…。猛烈な悲しみと怒りだとしても1歩踏み出し13年歩き続けたのは偉業だと思えてならない。------------------------------------------------------------本村氏は「なぜこの事件が世間の皆さんに関心を持って頂いたのか今でもわからない」と言っていた。世間がこの事件から目が離せなかったのはその凄惨な事件内容による怒りや同情・断罪の気持ちだけではないと思う。一つには「自分にも当てはまるかもしれない問題」だったと言う事。何が「最良の判決」なのか判断付けられない本件は全国民にも関わる命と安全への法律改定要求を含んでいた。そしてもう1つ「ゴールの見えない戦い」をする本村氏から目を離せなくなったのだと思う。比喩すると失礼にあたるかもしれないが・・・某有名映画、○○○ポッターなどメガヒットする作品は大抵自分と重なる部分がある主人公が冒険し試練にぶつかりその度成長する。“ヒーローズジャーニー”(英雄の旅)というストーリー法則に上手く則っていたからである。「自分は無力です」という本村氏は、どこにでもいる日本人であり特別な人ではなかった。だが偶然にも人の心をつかんで離さない(英雄の旅)を歩むことになったのである。人はやはり共感できるものに同調する事で、自分を意識する生き物だ。誰もができる事ではない戦いに挑む「自分と変わらない人に」アイデンティティを重ね思いを託すのは当然だろう。判決の日のインタビューとこの13年を通して私の感じた所は信念を持つこと指針を信じること社会と他者の為にもなるものであること冷静に見ること自分のしていることを信じることまるでビジネスでの成功法則にも通ずる気がする。人間は経験を重ねて、自分を作り上げていく。情に流されず、情熱は消さない。世の中はグレーな世界で成り立っているかもしれない。でも迷いそうな時、本村氏を奮い立たせて白黒つけたのは「天網恢恢疎にして戻らず」の胸に刻んだ言葉と仲間と言う存在なのだろう。------------------------------------------------------------遺族会には、長い人はもう15年も来ているという。主催者側曰く秘密裏の認識は、やはりここに来る人は「依存体質」なのだそうだ。平安な心の幸せを取りもどしたくて来ているハズではないのか?でもここは居心地が良く、いつまでも「悲しみの感情」を吐露できる。何年でも全てを受け止めてくれる「優しい場所」。急がなくていいし、必要な時期・必要な人には入るべき場所だと思う。だが少し残念に思うのは、優しさに甘んじるだけの人は成長しにくい下を向き続ける人は辛い現状を維持し続けてしまう。亡くした者がいる現実を受け止めないからである。現実を受け止める事は、変化しなければいけないという事。必要なのは 「じゃあどうすれば・・」という行動に通ずる問いかけ なのだ。そして新たな生活をどのように生きるか模索することがその人を成長させ、心の平和を取りもどす道となる。本村氏が踏み出した「小さな1歩」でいばらの道に踏み出した。今、厳粛に受け止めたいわゆる「勝利」とも言える判決と氏自身の心の旅で多くのモノを得た。「なにもしなければ始まりませんし、小さな一歩でも何か始めることで社会は変わるという事が実感できた」人は一生懸命な人を応援したくなるものだ。本村氏は司法と戦った。犯罪被害者でない多くの遺族は自分と戦う事になる。だが歩みだせば必ず賛同者は現れる。生きるヒントをくれる機会やチャンスにも恵まれる逃げなければ必ず勝てると言う事。その時、その人は語るべき言葉を持てる人になる。うつむくのを止めたいと思える時がきたなら死したその人に誇れる心の平安を取りもどして欲しい、という事だ。------------------------------------------------------------本村氏は青年期に持病で生死をさまよっている。その病院内での友人の死にも直面している。そして妻と娘の惨殺という悲劇にもあって若くから【死】に近い生活をしてきた。その本村氏が死刑求刑を望んだのは命がそれだけ重く尊いものだと知っていてその価値を知るには命を持ってしか、贖罪することができないと考えたからだ。誰よりも確たる「死生観」を培っていった。だからこそ、愛が貴重であるとも知っていた。本村氏のぶれない心の根底には、死生観から得た「家族への愛」と「普通であることの幸福」という誰でも持ち合わせる事の出来るものだ。そして今後は「まずは自分自身が幸せになること家族が幸せになること社会に迷惑をかけず、被害者がいつまでも下を向いて事件の事だけ引きずって生きるのではなくて事件の事を抱えながらも前を向いて、笑って、自分の生活を人生をしっかりと歩んでいく事が大事」と完全には癒える事のない悲しみを抱える人が語る。犯罪被害者として普通の人に望むことは「何事もなかったかのように普通に接してくれる事」「普通」とは「幸福」と言う事なのである。------------------------------------------------------------全人類が必ず誰かの死に直面する。そしていつか自分も必ず死ぬ。近年はこの死生観に関しての書物が多く出版されるようになった。ベストセラー「死ぬときに後悔すること25」エンディングノート系の終活関係の書物も多数ある。 悔いを残さず充実し、誰にも迷惑をかけず思い通りの終わりを迎える。それは素晴しい事だと思う。だが訪れるであろうその時に備え、最も必要なのは己の真の死生観を理解しておくという事だと思う。こんな例がある。生前「俺が倒れ、もう快復しないなら延命治療はしないで欲しい」と再三言っていた男性がいた。いざ本当にそうなった時、妻は希望通り静かに最期を迎えさせるつもりでいたが寝たきりで、もはや土壇場になり「まだ死にたくない」と望んだそうだ。幸いにも経済的にそれが許され3年間病室で寝たきりでありながらとしても、満喫した人生を全うしたそうだ。自分の本当の心というのは、それに直面した時にこそ表出する事もあるのだ。自分が表面上正しいと思っていた事と、本心が望んでいる事とは真逆な場合もあるのだ。重要なのは、自分の真実と向き合わなければ本当の幸福は得られないという事である。マグニチュード7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという予測もあった。この予測は都市伝説かノストラダムス級の予言レベルである事を願うものだが備えるべきは「いつかは必ず死を迎える」という意識と「だから今、自分はこのように生きる」という幸福感の主軸だと思う。 【今日の教訓】 「正気のうちに死生観を見つめておく」
2012年02月27日
今年ももう2月。今年の抱負は昨年の反省を踏まえる事にした。昨年は私的にも大変だったので、記憶に残る1年であると同時に今年にかけてのお灸的抱負を頂いている。お題は「命とお金」に関して。「意味のあるお金の使い方をしよう」と「今、この瞬間に命を十分に生かそう」だ。我が家には今2匹猫がいる。そのうち1匹、オスのグー太郎(1歳8カ月)はかなりヤンチャだ。ヤンチャすぎてベランダの塀から落ちてしまった・・・我が家は8階2階にマンションのエントランスの屋根部分が真下に飛び出していて実質7階分の高さを落下した;グーは脱走癖が4回。逃走防止に両隣りに行かないようベランダの塀を飛び出してまで100均アミで囲ってある。「飛び越えたらでイケるかもだニャー!」と無謀にも思ったのか?日中、洗濯するのに油断して窓あけっぱなしにしてた。「なんか静かだ」とフッと窓の方に目をやるとグーが塀から失敗して落ちる瞬間だった。「ギャーーーーっ」 て言ってベランダに飛び出し見に行くとグーは真下のエントランスの屋根に落ち終わった瞬間で足を引きずりながら隅っこの見えない所に行ってしまった。「グーが落ちたぁァアー、グーが!グーーがあああぁ!」と半狂乱の私に対し寝起きの旦那はその瞬間を見ていない為、妙に冷静。それに腹を立てながら共にスッピンにジャージでグチャグチャの髪にダウンをはおり、血マナコで2階に下りて行った。でもエントランスの屋根は住人が登れるように出来ていない。そこに行くにはエントランスとつながっている2階の住人のベランダから降りないと行けない。2階のフロアを順にまわり、3件目でやっと在宅してたお宅の奥さんに泣きながら「すみません~モノ落としちゃって~」「てかっ、猫なんです~」とお許しを貰いお邪魔させてもらった。今考えるとなんで私がやらされたのか?だけど2階のお宅のベランダをまたぎエントランスに降りる際動揺して脚がおぼつかずゴデッと私もエントランスに落ちた。「キャー大丈夫ですかっ!」との2階の奥さんのビビり声に愛想笑いも出来ず、半泣きでグーを探すと2階のベランダとエントランスの屋根の間に50センチほどの隙間があり一番端のお宅のベランダの下に見た事ないような挙動不審の眼と半開きの口でグーは固まっていた。ホフク前進でもぐりこんでつかまえて、2階のベランダ内にいる旦那に猫を渡すと旦那は私をベランダに引き上げてくれる事もなく、サッサと行ってしまい私は「後日ご挨拶に来ますっ」と泣きながら退散させてもらった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~不思議なものでこんな時アクシデントは重なるものなのか?グーをバスタオルでグルグルに巻き、猫かごに入れ半べそ掻きながらタクシーを待っていると赤い服を着た太いマルチーズが1匹で歩いている・・・。『いつタクシー来るか?グーはどうなっちゃうんだ?』と不安と恐怖でいっぱいなのに意識は犬に・・・。なぜならば、どう考えても犬の飼い主が見当たらない。あの赤くて太いマルチーズは迷い犬中だ。「おいで!」て呼んだらなんかニコニコしながら?赤マルチーズは来た。既にタクシーに乗り込んだ旦那が「ナニやってんだ!置いてこいっ!」とブチ切れ絶叫。でもグーも大事だが、この赤マルもほおっておいたら保健所行き。「無理っ!置いてけない!!」とヤリあっている時おそらく同じマンション住人らしい、これまた別の奥さんがいたのを捕まえて「すみマセん~この犬迷い犬らしぃンんんですけどぅぉ~ド~しても今行かなくちゃぃケなぃノデ~後カラ迎ぇに来ルかラ預かっテテ下サぃ~」と完全メンタル不全でヘロヘロしながらにお願いした。自分はどこの誰かもテンパりすぎで名乗らないのにこの親切な奥さんは9階の住人だと部屋番号教えてくれた。無茶なお願いでも弱ってる時って、人様は助けてもらえるモノのようだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~で、グーの結果は・・・・超・奇跡的に助かった。全治2カ月の骨折のみ。動物病院の先生曰く、風向きが良かったのか?落ちた際に浮力が効く事もあるらしく速度が一定になり、強い衝撃を避けられたのかもしれない、と。人間で言うと両足の甲の骨が1本ずつ骨折と顎の下すりむけただけで他外傷がないとの事。興奮してるためか、肝臓の数値が跳ね上がっており念のため30日まで入院させることにした。治療入院費、計7万4千円+交通費+2階の奥さんへの菓子折り代かかることになった。そして例の赤いマルチーズは9階の奥さんが私達が行っちゃった後30分くらい近所聞き歩いていたら何か探し歩いている風の親子に出会い飼い主と判明。無事引き渡してくれたそうだ。この日、12月24日クリスマスイブで結婚記念日の出来事である。年末に私の父が具合悪いと聞き、正月は私の実家に行くか?迷っていたが呑気な母も「別に来なくて大丈夫」と言うし私も「パパより猫の方が可愛いから行かない!」と言ったからバチ当たったのか?結局散財した。でもこの出費は我が家にとっては【生き金】になった。もちろん飼い主として大反省が前提だがこの対価で「気付き」と「思い出」ができたからだ。猫は大けがしたが、風向きや2階や9階の奥さんがいてくれた様々な偶然のおかげで「この程度で済んだのだ」と感謝できた。今までどれだけ自分がペットに幸せと心の安定をもらい同時に深く依存しているかがわかってしまった。重要さと反省と自分の立派とは言えない価値観まで知った事実。だからこそ、Now&Hereで猫との今をより大切にできるようになったし支払った金額より、得た感情は多いと思えたから「生き金」だと感じるのである。もし死んでいたり、重症で助からないのなら?回復の見込みない重症なら安楽死を選んだだろう。もちろん一生の後悔になったと思う。でも寝たきりになるのだったら?すぐには決断できなかっただろう。。猫がそんな状態で生きながらえる事は現実的には厳しい。金銭的にも肉体的にも飼い主である自分が困窮する事になる。だが、その命をつなぐことは【私の心を殺さないため】にかかるお金になる。それは本当に正しいのか? 自分のエゴじゃないのか?動物は自殺なんて観点ないから、どんな状態でも恐らく「生きたい」と思うだろう。でも寝たきりで動けなくて、思うように生きられない意思も伝えられない猫の幸せはどこにあるのだろう?そして猫じゃなくて疲労してきた自分と向き合う事になる。今してる事は良き事か?と。・・・正解のない答えを出す事を迫られる。飼い主には総合的に幸不幸も冷静に判断し決断する責任も荷っている。だからいつその時が来ても、それ以上に思い出として残せる「幸せなあの時」をいつでも「いま」沢山残さなければならないしその為に使う道具がお金なのだと思える。日常生活で私達はあまりにもなにげなく小さな幸せを買っている。人はお金を使う時人は少なからず考える。必ず無意識に損得勘定をするからだ。お金を通して自分の人生と向き合う為にはそれは必要な思考だ。人生はそうした小さな選択の積み重ねで出来ている。人の真価をお金という面から計るなら私は貯蓄額よりも消費の仕方でわかるものだと思う。お金は道具だ。幾ら使ったかではなく、どのように使ったかの方が重要だと思えるからだ。その内容が豊かな消費であったかどうかを測るのはそれが何年後であったとしても「良かった」と思えるかどうか。ただの消費を投資にするにはいつかその内容に「感謝」を抱ける日が来る事であると思う。 嫌がるぷりに寄りかかるグーの図グーは12月30日に退院し、ゲージからビッコ引きながら脱走して歩き年明けには嫌がるメスのぷりしらに襲いかかり交尾していた・・・。(グーが不在の6日間、グーが大嫌いなぷりは極楽そうな顔してたがこの仕打ち)1ヶ月過ち、ぷりしらは最近食欲が旺盛で乳首がデカくなってきてる気がする。グーの欲とエゴが生命力を強くしている。それもまた良かれでもある。【今日の教訓】 命もお金も意識すべきは・・・ それが「投資」か「消費」か「浪費」か
2012年02月03日
一昨日、なんと流産の手術(処置)をしましたこの時点でドン引きした方は他のブログへどうぞm( _ _ )mこんなこと書くべきじゃないのかもしれませんが今まで散々色々書いてきたのに、自分の経験書かないのも不公平な気もしますし【悲嘆ケア】では自己開示するのは心の回復にも良いみたいですし私みたいな経験した人って本当は世の中ザラにいるみたいですが表立たないから、ちょっと社会貢献?になるかもという事で・・・お暇な方はお付き合いをm( _ _ )m私の場合【稽留流産】というヤツで胎児(胎芽)が現れる時期に(妊娠6~7週)になっても「胎児が確認できない」あるいは「胎児は確認できたが心拍が確認できない」「1度は確認できた心拍がその後止まってしまった」などで、7週の時点で心音が確認取れず「稽留流産の可能性が高いけど来週確認してダメなら確定」と言われ・・・。最初にそれを言われた時点で、アタマ真っ白になりながらもそれから1週間心理学スクーリングとかそれのテストとか仕事とか(仕事も納棺済みのメイクのみだったから助かりました)むなしさを抱えながらも、ごくわずかの期待を持ち再度検査に挑んだところアウトでした2年前から子作りを始め、なかなかできなくて今春から不妊治療を始め2回目のタイミング療法で妊娠できただけになーんだ「ヤレばデキるんだ」とウヒャウヒャ喜んでいました。夏に旦那の実家に帰省した際も「何かあったらいけないから」と喜ぶ旦那を安定期まではと、口止めをしていましたがホントに何かあっちゃってトホホです。手術(処置)は丸1日かかる日帰り入院朝9:30前処置昼12:30手術で空き時間は一端帰宅して良いとの事。自宅からそんなに近くないので銀行と寝カフェでも行ってようかと思案。ところが!この前処置が痛くて痛くて子宮の子?を出すために子宮口を広げる”マッチ棒”ぐらいの太さの細タンポン?を何本か入れるのが吐く様な痛さ |ヽ(_ _|||)))) オェェェ!!(体質的にこういうのがダメなんでしょうか?)痛み止めを飲む予定が、私があんまり弱ってるので手術待機部屋?で待機することに。思えばこの時に一番号泣し妊娠失敗したのが悲しいのか?お腹が激痛で泣いてるのか?診察台で痛い事された事が屈辱で泣いてるのか?(私は不妊科でも毎回本当に診察台に乗るのが嫌だったし)きっと混乱していたのでしょう。そして座薬と点滴打たれて休眠しました。先生が昼前に外来終わり手が開いたのでしょう。1時間早く手術する事に。向いの手術室に入り、血圧と心音測られながら先生参上「お酒強いですか?普通ですか?」「では麻酔(?)入れます」で気がついたら先ほどの手術待機部屋にいました。麻酔?ってスゴイっす気がついた時、看護師さんか?自らか?両手が下腹部の上に置いてあって「自分は7週間はお母さんだったんだのになぁ~ お腹空っぽになっちゃったなぁ~」とまず思いました。その後、迎えに来てくれた旦那と話しながら前日から飲食制限されていたのでボケボケしながらバクバク「こんな時は塩分うめェ~」とおにぎり・おしんこ軽食をむさぼり帰宅前の内診子宮に残留血液が残っているかのチェックなんですがそれが全然出てこなくて、先生に「血液出る道を作ります」と子宮口をツッツかれる処置がまた痛くて痛くて男はこんな時何もできないのでしょうが、旦那が横でオロオロしながら「よし気を紛らわすんだ!」と腕をツネられてました。思えば、旦那も私の第一報で「赤ちゃんかわいそー」と言い不妊科治療にも協力してくれ彼のオシャレに欠かせない必須ハゲ飲み薬も何か月も止めてくれていて彼なりに不器用に励ましてくれる人で良かったです。今日はチョコも買ってくれたし帰り際の診察で先生が「今回は残念な結果になりましたがたしかに年齢的にリスクが高いのも事実ですがそれでも2%の確率しかない事です。今回は運が悪かったというだけで最近は40代で初産の人も沢山いる訳ですしこれまでの過ごし方が悪かったとかそういう訳ではありませんので」って手術前に私が質問した内容をまたそっくりそのままオウム返ししてるだけじゃんって麻酔の醒めきらない頭でムッとしながら帰ってきました。ここでちょっとツッこませて頂くと私が行った病院まだ新設でたぶん何億かかけて設立したのでしょう。少しでも患者の回転率あげたいでしょうし私みたいなネガティブな患者さんに感情論で変に難癖つけられたらたまらないから、無難にやってるつもりなんでしょうか?温かい感情は先生から感じず、変わりに看護師さんが優しく接し精神的にケアする形式でした。先生の抱えているモノの大きさもわかるけど感情論は看護師にまかせっきりの完全分業過ぎて世知辛さを感じたモノでした。産婦人科医が減っている現代では妊婦側も医師にまで優しさという精神的サービスを求めるのは望みすぎなものなんでしょうかね…。「人の人生を見送る事はできるけど人の人生を作り出す事は出来ないのかな」なんて思ったり私の人生のプログラムで「アラフォー8月に流産する」って組み込まれてたのかな?7週で初めて「ダメかも」と言われた時点でピタっと悪阻が止まってしまったから「私自身ダメだと決め付けたから赤ちゃんも死んだのか?」なんて、先生言う所の「単なる運が悪かっただけ」よりも運命論的に重く受け止めてしまうのは、落ち込んでいたのかもしれません。まぁ一説によると流産後は妊娠しやすいとの事ですからもしかしたら年末ぐらいには悪阻でゲロゲロしてるかもしれないですが。人は何か大切なものを失った時自分の一部の喪失みたいなもので、その人それぞれで色んな悲しみの表現をします。でもその体験を自分の中だけに止めてしまうと事実よりも辛い妄想のようなものがもっと自分を苦しめます。「自分は世界一不幸だ」とか「なんで自分だけこんな目に」と。現実には「1人困っていれば1万人同じ事で困っている」と言います。自分だけがこんなに苦しいのも、その時は事実かもしれませんが同じ苦しみや悩みを抱えている人が世の中にごまんといる訳です。私の今回の流産事件も私には特別だけど、たしかに「よくある不幸」なのかもしれません。それだけで片付けるのも寂しいですけどね・・・。でも「自分だけじゃない」と知るのは励ましになるはずです。こんな事になり嫉妬から妊娠した芸能人をTVで見て「チッキショーどうせ金の力で冷凍卵子で作ったんだろー」な~んて呪ったりして芸能人妊娠報告が子供を持てない人間にはとても辛いニュースだとここ2年感じておりました。賛否両論あるでしょうが、逆に向井亜紀とか野田聖子議員の気持ちも私みたいな人間にはその行動が共感できて少子化してるのになんで国内で彼女たちがした治療を認めてくれないのか?不思議でならない気持ちもある。最近、ダイヤモンドユカイ氏が不妊治療の本出したりあややが子宮内膜症の告白したりとありましたが芸能人ですからもちろん商業的マーケットとイメージも考えての告白としての要素もあるのかもしれませんが、さほどメリットもないでしょうが人道的には、目立つ芸能人が辛い告白とか上手にしてくれたら「自分だけが苦しい訳じゃない」と思える人も出るのになぁと思いましたね。このブログも泣きながら書くのか?なんて思ったらなんだか平気なのは旦那がくれたチョコ効果?でしょうか?内閣府少子化対策大臣よ、アラフォーだけど頑張ってるんだからもっと優遇してもらえるとホント助かるんだけどな~と、言うわけで落ち込んだ時の立ち直り方でした。【今日の教訓】 カミングアウトは自分を取り戻すための有効な手段である。 客観的に自分を見つめるための手段としてカミングアウトは有効である
2011年09月04日
本日から放送開始の【それでも、生きてゆく】ご覧になりましたでしょうか?現在グリーフケアと心理学猛勉強中につき「勉強になるのでは?」と心待ちにしておりました。------------------------------------------------------------グリーフとは悲嘆の気持ちの事です。その人にとって【大切な何か】を失くした時に起こる大きな悲しみの気持ちです。大切な人・物・場所でもその人にとっていわばアイデンティティともいえるような大切なものを亡くした時に生じるどうしようもない悲しみのことです。その気持ちの回復には個人差はあれど時間がかかります。グリーフケア研究の第一人者のE・キュープラ・ロスの説を今日は取り上げますとショック・怒り・やりとり、かけひき・孤立・受容・再創造などのプロセス注)別の説もありますがまたいづれ順番はこの通りに起こるという訳じゃなくどこかの感情でとどまったり、行ったり来たりなどそれぞれです。再創造は大切なものをなくしたその気持ちになにかの人生の意味や学びのようなものを見つけてようやく生きていける力を取りもどす事ができます。------------------------------------------------------------でも事件・事故などの被害者の遺族の方の場合は・・・?そのような方は立ち直るのが非常に難しいそうです。死の原因となった、現実的に憎む相手がいるから余計に難しいのです。※逆に今回の震災のように悼むべき人のご遺体がみつからないというのはいわば2重の喪失であり気持ちのやり場をどこに向けて良いかわからず立ち直りが遅くなるそうです。本日のこのドラマの中で瑛太がAVを借りていた事がトラウマで童貞なのも瑛太と榎本明が親子そろって自分を責めているのも榎本明が死にたがったり、犯人を殺しに行こうとするのも(瑛太も)榎本明と大竹しのぶが離婚したのもこれは全部、被害者遺族にありがちな心境であり実によく描かれていると思いました。・たとえ、死の原因である加害者がいたとしても「あの時、家族である自分が~しなければ・・・」と思ったりするのは悲嘆の中にいる人はありがちな心境です。・また、子供を亡くした夫婦というのはこのような事件がらみではなくても8割ぐらいの確率で夫婦仲に亀裂や気持ちのすれ違いが生じるそうです。それは男性と女性とでは悲しみの気持ちの表し方に、相反するものが時にありお互いに相手の気持ちが理解できなくなり破綻するものと考えられます。離婚に至るのもあり得る話です。そして、犯罪被害者の心の傷は【怒り】が中心です。理由や犯人がはっきりしているだけに怒りの気持ちから先になかなか進めないのです。・ですので「殺しに行かなければ、この悲しみは癒せない」と思う激しい心情も大変理解できます。ですが皮肉な事に被害者の方はその怒りこそが生きていける力となるそうです。ドラマの前半で半分死んでるような29歳の童貞男瑛太が後半に柄本明の思い・妹への思いに気付きシャキーン!!と復讐に燃え上がる心情が分かりやすく描かれていたような気がします。明治時代以前の【仇討制度】はそう考えると被害者遺族に優しい良い制度?なのかと思ってしまいます。※ちなみに仇討は助っ人は何人でもOKですが加害者に予告しなければいけないので大勢VS大勢になり暴走族の抗争のような状態になり、かなり危険でまた、明治以前ですから犯人情報もなかなかつかむ事ができず現実的には難しかったそうです。水戸黄門ではたまにありますので、助さん角さんのようなSP公務員が味方についてくれるのは実に心強いのだと思います。心理学を勉強していくと、人の行動にはその行動を取るべく理由が必ずあり犯罪者心理はまだ勉強不足なのですが(ロリコンでない事を祈ります)あの犯人の友達はたぶんあの絵の感じではだいぶ反省しているはず・・・と私は思いました。ネタばれでしょうか?テーマが重くて特殊なだけに理解するのが難しい心情もあるかもしれませんし見るのが辛い人もいるかもしれませんが韓流と子供と犬に依存しない久々に考えさせられるドラマなので大いに期待したく思います。
2011年07月07日
拡散お願いします猫人さまのブログより拡散させて頂きました『住む家が無い』 『避難所にペット連れで入れない』転載元 URLhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1693312389&owner_id=12554588 http://m.mixi.jp/view_diary.pl?id=1693312389&owner_id=12554588&&mhome=1 ペットを連れて被災された行き場のない方を受け入れて下さるボランティアをして頂けています。人が動物に救われている事があります。それはお金では買えない、心の安らぎです。生きているのがやっとの被災者の方が沢山いるのは十分承知ですがこの危機をいつか乗り切れたとしても被災に会われた人が取り戻す事ができないものがあります。心の中に根付いた傷です。その時、彼らを無条件で救ってくれるのが動物たちでもあるのです。できましたら拡散よろしくお願いします。●日本のマスコミが放映しない真実ですニューヨークタイムス写真は毎日新たに更新・追加されます一部、ショッキングな画像も有りますが皆さんにちゃんと見ていただきたく思います。心理学的には「視覚のイメージ」は見た人間の脳にそのイメージがすり込まれて被災していない人間も被災したのと同じ心理状態になる為TV映像などは長時間見てはいけない とされています。心理的二次被害にあわないために、このような災害時は情報の取り方を自らコントロールしなければいけない と。そのことはTV業界もわかっているでしょうから通常放送に戻ってきているのは理解できるのです。災害の悲劇にも負けず、この国を再建するために被災地の人々を少しでも支援できるように、この国の経済を立て直さなければいけない。経営をしなければいけない・繁栄しなければいけない・消費しなければいけないそれが現実でもあるのです。その為にも報道規制で、真の被災地の現状を伝えないという選択を取るのもわかるのです。でも、やはり知って欲しいのです。知る事によって誰かの悼みを少しだけ受け止める事は、誰かの悼みを少しだけ少なくする事になるからですどうぞよろしくお願いします。
2011年03月22日
東北地方太平洋沖地震から10日たちました。【拡散希望】★ 緊急!!無料!被災者受け入れ開始!≪ 大切な家族 ペットと共に暮らせます!≫東京にいる私でも、本と本棚の生き埋めになりかけたぐらいで五体満足被災地に住んでいる訳ではありませんが人間というのは生きている事そのものが奇跡なのだと気づかされた震災当たり前の日常は幸福の連続だったと気づかされた震災何も失わなかった私が、多くの人の命や幸せを奪ったこの【震災自体を憎む】気持ちを持つという事はきっとまだまだ余裕があり幸せなのだろうとも思えてきます。被災者の方は憎しみ以前に失ったものへの悲しみ・恐怖と向き合っているのですから。「日本は暴動が起きない秩序ある民族」と世界から言われて「苦しいのは同じなのだから暴動など起こす方がおかしい」と思っていた。でも、スーパーに行くと目の前で買い占めている人がいました。・・・これは日本人ならではの利己主義なのだと思った。力で奪わなくとも、経済力で奪っている。その事に買い占めている人は、気が付いていないのだろうか?北に住む友人も、南に住む友人も「何か送ろうか?」と心配してくれるけどそこでも店頭から物が消えてきているそうだ。他人の購買行動を止めることは出来ない。理由があるのかわからないが・・・悲しい光景・・・止めてもらいたいです。TVで被災された方が言っていました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~本当は津波で流されてしまった方が楽だったんだと思う。でも、生き残ったという事は運命なのだから頑張って生きるしかない~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~なにもかも失った人の本心なのです。人間の弱さであり強さでもあるこの言葉に胸が張り裂けるような思いがしました。無力だけどまだ奇跡的に幸福である私に出来る事は何でしょう?その思いを見失わないのが私たちの課題ではないでしょうか?
2011年03月20日
●明けましておめでとうございます皆さま楽しいお正月を過ごされましたでしょうか?私は結婚し2度目のお正月主人の実家に帰省するのは2度目なのですが今年も【正月】はありませんでした田舎の風習なのでしょうね親戚が亡くなってもお正月はしないのです。今回は義母の本家の当主の方が亡くなりました。喪中ってどこまでが区切りなのかわからないのですが義父・義母ともに高齢で親戚の方も皆さん年齢層高いししばらくこんなこと続きそうです。死因は年末ギリギリに交通事故です。●事情聴取そもそも主人の家族は、気を使ってなのか?私の事をさびしいくらい詮索しません。「何かあれば手伝えるのになぁ~」と内心思っているのですが事故死した当主の方の件も葬儀終了後の事後報告だけでした。エゲツない私としては「交通事故」と聞き血湧き肉躍りそうになってしまうのですが状況を聞きたくなってしまうのですが結局教えてくれたのは唯一気さくな主人のいとこのお兄さんだけで~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~彼の話だと・状況~靄で視界が悪かった・側道から出てきた親戚の当主さんの車と 公道を走ってきた車と出合い頭の事故・当主の車が2.3回転飛ばされて大破・意識不明のまま翌朝死亡 (事故相手の方は生きてる)・当主の方の損傷は額に【青なじみ】だけで顔はキレイ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~大きな事故の割には損傷が少なく穏やかなお顔だったとのことでしたが田舎なのですぐ火葬し骨葬だったとか。おそらく運転席に座ってて直にドーンと追突された時に額を激しくぶつけた時の青なじみで死因はその衝撃に伴う脳内の損傷なのでしょうお会いした事もない方なのですが一応一晩、延命の処置はされたのでしょうがほぼ即時状態だと思います。交通ルールを守らなかったのはどちらかわかりませんが無責任ですが長く苦しまなかったのは当主の方には救いだろうしでも相手は「死亡事故を起こした」という一生の重圧を抱えてしまった。私はあえて声を大にして言いますけど高齢者が車を運転するのは反対です●アクティブな高齢者の落とし穴義父もいまだに車で遊んで歩きます。実家が畑と山持ってて、縁側に干し柿つるすようなド田舎なのでワンセグも見れないような所車ないと生きていけないんです。でもこんなことあるとサスガに心配ですね。出かけない時はTV見て一日中なんか食べて、お昼寝してる義父なので当然コレステロール高いし。あえて義姉は気を使って食事の準備や買い物は義理の父母に完全に任せています。使命のない人生は生きる糧がないということ充実した一生というのは結局は人の役に立つことで得られる満足感によると思いますでも!うちの義父ったらっ2月にお友達とベトナム行くんですって去年はいつのまにか、バンコク行ったんですって!81ですよっ私はもう10年近く海外行ってないよ~アクティブすぎるし!冒険しすぎなシルバーで楽しんでるからうちはしばらく、ほっといても大丈夫そうです【今日の教訓】「ミッション・パッション・ハイテンション」そう言えば義父テンション高いです。高すぎて義母にいつも怒られてます。
2011年01月06日
●8か月ぶりのお仕事先週、以前よりごひいきにして頂いていたお葬儀屋さんに挨拶に行き今日さっそく納棺のお仕事をご依頼いただきましたすごい久しぶりで忘れちゃってるんじゃないかしら?と思ったけど結構以前より落ち着いてできました。・・・てか前より精神的に安定したみたい。お仕事自体は故人様も(ノーマル)特に問題なくご葬家さまも皆様良い方ばかりだし順調でした。故人様もと「国鉄」にお勤めだったらしく喪主様にはご主人がその職務を愛していたことを妻として誇りに思っていたのでしょう副葬品に「国鉄」の社章を持ってきました。金属は棺に入れられないのですが故人様の誇りの象徴は彼に届けたい気持がよくわかりました。…愛する人が働く姿を愛する。うちの旦那もそうだったみたいです…。いつもより彼も仕事してたし家事もしてくれてた;おだやかに仕事も進み親族の一人のおばあちゃんから深々とお礼を言われたりとかしてひさびさの仕事の疲れは心地よいものですね。フリーになってほぼ初めての仕事でまだ必要備品も揃いきっていないため手配が大変でしたし予想はしてましたけど、経費を抜くとやっぱそんなに儲からない緊張感も今までの倍でけっこう今日はぐったりだけど喜びと人への感謝は今までの数倍ですね感謝だけではもちろんご飯は食べれませんが信頼してお仕事を今もくれる人アドバイスしてくれる人将来一緒に仕事したいと言ってくれる人お客様の純粋なお礼にも自分の反応が鈍くなっていたけどみなさん実にありがたいです。仕事を休む事を決めた時どこにでもあるのでしょうが不協和音が漂う空気とそれの凡庸新しいものを吸収できず成長もできないと理解したから飛び出しました。今日は今までと変わらない仕事の内容だけど会社員ではない違う立場から挑んだので受け止め方が全く違います。担当の葬儀屋さんも1人でお仕事されてる方ですが私と同じアウトロー的な方でした。今はとても順調で「少し休みたい」とはおっしゃっていましたが「そのうちスタッフを雇うようになるのでは…」とお見受けしました。雇用される側とする側では精神力・人間力ともにいつも向上させていないといけないのでしょう。私もその彼もそれぞれの新しい階段を一段登り始めたばかりでゴールがどこかわかりませんが今、これでよかったんだと思い始めることができます。故人様も葬儀屋さんも私も自分の仕事に感謝できることが幸せです。ちなみにお通夜後、ご親族が式場でムカデに刺されて大騒ぎになったそうで…仕事にトラブルは付き物です…。そして「もう見れなくなるなぁ」と切なく思っていました。お気に入りの懐かしい景色をまた見ることができました。読者の皆様に感謝です。【今日の教訓】 愛する仕事を尊くおこなう【今日のおまけ】腹出てますよ、グー太郎!ぷりの年下の旦那ですもっぱらプリには嫌われぎみです
2010年12月10日
●赤ちゃんPVを作りました残念ながらワタシの赤ちゃんではありません;ワタシの友人のお子さんで未來くんといいます。新米ママさんなら気持ちわかって頂けると思いますが未來くん実は・・・詳しくはこちら ↓http://ameblo.jp/lagupuri/ 命ってはかなくて力強いのです。
2010年11月28日
●私の変化半年以上ぶりです。相変わらずのメンタルの弱いです今年は「グリーフケア検定」というものを受講し近しい人を亡くした人がその悲嘆を乗り越えようとする心の努力をサポートするスキルの勉強です。悲しみ方・立ち直り方・受け止め方・考え方は人それぞれ。善悪はありません。でも特別に大切な人を亡くした方はその悲しみを平均5年くらいは引きずるそうです。すごくよくわかるなぁ~と思いました。(ちなみにそういう方に「がんばれ」ていうのは絶対禁句です)その人がいなくなるということは「その人と過ごした自分も消えてしまう」ということらしいのです。自分を見失ってしまう事はとても不安な事です。「思い」を共有する人がどこにもいない虚無感は胸に穴があいた思いでしょう。そしてそれを解決するのは時間しかないのです。今まで仕事をしてきて突き詰めていくと亡くなった人のケアで少しだけその時はご遺族の痛みをやわらげる事はできるけど私にできるのは小さなことだなぁということ。よく「遺族会」的なグループはあってもその後のことをカバーする公的な機関て日本にはないという事に気付きました。そしていま、私にできることを模索中なのです・・・。私は生き死に関係なく、人と別れる事ってこういう事なんだと思いました。失恋・離婚・卒業終わってしまう事に多少なりとも、胸が痛くなるのは普通のことです。失恋でそれを引きずるのも、当たり前の事なのです。私がしているのはその人がこの世から消失してしまった訳ではないからただ「その人の幸せを祈ること」です。生き霊的ですがwww今、私は苦楽を共にした人たちと一つの別れを迎えようとしています。心から淋しいです。でも、みんな生きてる!だから私は自身に「頑張れ!立ち上がれワタシ!!」て言おう。私のペンネームは永井結子です。永く人との縁が結ばれますように の願いからついた名です。この名前の御利益が得られますように
2010年11月19日
●平成22年2月22日朝からバタバタ忙しく、たたみ掛けるように納棺をこなしていきました。今日の共通点はなぜか故人様がみんな独身で喪主さんにあたる人が兄弟だったりするので「お金をかけない葬儀」依頼に終わるという点。兄弟として生まれ育ったから、当然愛情はあるけどお金は早々かけられない。血のつながりも大切だけど、それぞれに家族のいる人なら致し方ない事だろう。ある喪主様がメイクの最中にこう言い出した。「そう言えば今日2月22日ですよね」「ねこの日ですよね~」と言いそうなのを寸前で飲み込んだ。 「いや~もーしょーがない兄貴で、賭け事でも特に麻雀大好きだったからきっと狙って、今日死んだんじゃないかなはっはっは~」え~そーなんですかぁと笑って返答しておいたがワタシがわかる麻雀って「アカギ」とか「哭きの竜」とか「われめでポン!」くらいで後はまったくわかりません数字がそろうという点が麻雀的なんでしょうか?いづれにしても、こんなゾロ目の日に亡くなるってバッチリ記憶されそうな日ですね。ちなみにデジタル時計とかで「ゾロ目」を偶然よく見てしまう人は感が鋭い人だそうだ。【 今日の教訓 】 「死は恐れるものではない死はあくまでも運命(さだめ)のもとにしたがうもの」哭きの竜~名言集より ・・・竜。シブいっす!★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2010年02月22日
「彼が出勤しない」と会社から連絡がきた。 家族が見つけたのは風呂の中にいる彼と練炭。練炭自殺は血中ヘモグロビンが二酸化炭素で化学変化肌が鮮紅色に変色する。故人様は初期の変色の段階で顔も体もうっすらとした紫色。練炭で蒸され体のあちこちがデロンと大きく皮が剥けてる。ふやけた肌の故人様を警察が遺体を浴室から移動する際持ち上げた箇所の皮が剥けたのだろう。自殺の原因は仕事。「ツライ、大変だ」とぼやいていたそうだ…。イジメ説も出た。彼は入社1年未満だ。「そんなに嫌なら辞めれば良かったのに」「草食系なんだねー」仕事を終え帰社すると同僚からそんな話が聞こえてきた。ご家族の動揺や憔悴(しょうすい)を抑えきれない様子を伏し目に故人様の紫色の顔を肌色にメイクしてきた。「バカだな…今度は幸せになるんだよ」と故人様のおでこを撫でてお悔やみとエールを贈る気持ちで仕事を終えてきたのに同僚達は全く正反対な意見。・・・。私はアラフォーで若者の文化も精神も恐らく理解できていない。でも若さ=甘さで片付けている事に、言い知れぬ怒りを抑えるのに必死だった。たしかに社会人1年未満で人生を挫折するのは早すぎる。人は社会に出て、大なり小なりそこに適合する努力をする。終身雇用があやしい世の中でも「行けるとこまで行こう」と頑張る。みんな必死だ。人生なめてる人なんていない。「俺たちは毎日そうやってどんなストレスにも負けず何年も頑張っている!」ただそんな人に質問したい。 「その生き方に働きがい・生きがいを感じていますか」辛いばかりが人生ではない。だが、人は心の闇に捕らわれてしまう事も時にある。自分の価値を見失ってしまいこのような悲劇が起こることもある。だが問いたいのは「ワタシ、今、生きている」毎日そう実感しながら生き生きと生きているか?人間は「自己存在確認」「存在意義」が出来ないと生きていけない生き物だ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~NHKのクローズアップ現代で「ほめる力」というテーマを取り上げていた 企業研修で「ほめる研修」というのがある。社員同士や上司が“誰か”をほめる。うわべの言葉では相手の心は動かない。人をほめるという事はちゃんと相手を見て、相手を知ろうとした人。愛を持って見ていた人じゃないと、人をほめることが出来ないのである。また、不思議な事に「ほめる」事は「ほめた側の人間」の方がうれしい気持ちになるそうなのであるほめられて初めて自己を再発見するかもしれない。「わかっていてくれたんだ」との自己認識も。。結果、心に温かいモチベーションが植えつけられる。一方「ほめ言葉」を集めた自費出版の冊子が口コミで2万部近く売れている。ある育児中主婦は誰にも「評価されない」日々に空虚感に捕らわれていた。その時、冊子の「毎日がんばってるよね」の一文に「言われたかったのはこの言葉だ」と涙が止まらなかったという。この“ほめる”研修を行うのは、とある某覆面調査会社。きっかけは同社社長の友人の自殺。「頑張っても認めてもらえない」努力よりも成果と結果・マイナス点ばかりが追及された時生きる力が喪失した。「職場が人を病気にする場所であってはいけない」亡くなった友人を認め正しく評価する人が会社にいたならば…と同氏は痛感。事実、ほめる覆面調査後は離職率が大幅に減少するそうだ。業績を上げるのも、人が幸福感を味わうのも 簡単でお金はかからないのだ「毎日生きがいを持って、生きていますか?」「周りの人があなたの頑張りや苦労を理解してくれていると実感しますか?」「あなた自身は誰かのことを見つめ、素敵なところをほめてあげる事がありますか?」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~100年に一度の経済危機。自殺者3万人。内、男性のしめる割合2万人強。その中の一人である練炭の故人様はまだ若すぎた。彼が自分を律するには自信も経験もなさすぎた。そして彼の気持ちをフォロー出来る人もいなかった。もうひとつ言うなら…彼の環境は社員に対する愛情と余裕が欠損していたのかも…。 葬儀には本当に大勢の友人が来た。彼の父は彼の死に方をあえて隠し立てしなかった。父として大人として社会人の先輩として息子である彼が断念した人生を若い友人たちへ託すかのように「彼の分も生き抜いて欲しい」と挨拶をしめた。出棺後も葬儀なれしていないほとんどの友人たちはいつまでも立ち去ることなくどうしていいのかわからずその場で悲しみ戸惑い続けていた。現代の若者の置かれている現状の様にも感じた。そんな若い彼らに彼の父の願いがちゃんと届くことを願った。【今日の教訓】 「幸福」は他人に関心を持つことから始まる★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2010年02月18日
さてエチカの前回の続きでございます。18.仏壇を用意→49日までに用意するのが平均 別になくてもいい。~仏壇って仏教だけですから。 ちなみにあのエビちゃんの実家は 老舗の有名な仏具屋でエビちゃんがデザインした仏壇もあるらしいです。 19.世帯主の名義変更→恐らく遺産相続に係るので事務手続きが必要 とうたっているものかと…? 詳しくは役所までm(_ _)m 20.クレジットカードの解約→金融機関も凍結されているので無意味だとは 思いますが…。よくわかりません。21.医療費控除の申請→事前に医療費の領収書はまとめておく22.生命保険の申請→死亡診断書のコピー必須です23.墓に納骨する→49日が一般的 地域によっては告別式の後「くり上げ49日」まで やって即、お墓に納骨してしまうところもある。 24.遺産分配→49日終わった頃に…的な番組構成だったが 故人が“負の財産”を残している事も考えられる。 相続放棄は相続人であると知った日から3ヶ月以内に放棄することを 申請しなければならない。 49日も待ってたらあと1ヵ月半しか残されていません。 受け継ぐモノは何か?も事前に認知しておく事は大切です。25.故人を思い続けること→ワタシだけぇ・・・?かもしれませんが もう二度と会えない別れてしまった彼氏のことなんかは ボコボコにされた人以外、結構いい思い出しか 残らなかったりします。 亡くなって別れるのと振られて別れるのと訳が 違いますが、番組内で茂木さんも言ってたとおり 「良い別れ」をする事が気持ちの区切りをつけ 次の立ち上がる力へ繋がります。 亡くなり方は色々あるので 悲しすぎたら、心が晴れるまで 好きなだけウジウジしていてもいい 亡くなった人が「空の何処かいるのだろう」と ふっと遠くに思えるようになったら 喪が明けた時なのかもしれませんね。 てな、感じで同じテーマでブログを書いている人も賛否両論で 「葬儀屋の回し者めっ」とか「とりあえずメモしておいた」とか 色々である。 その業界の裏を知ると、飲食店の人なら「自分の店のものは食べない」とか ざらにあると思うので私がこの番組でピンと来ないのは当たり前だろう。 だって本当に別にお得情報じゃないんだもーん 私の立場から言わせると、職業柄テレビも日常もいろんな方向から見てしまう。 幾つかプライベートも交えてお話するのは恥ずかしいのですが・・・ ・・・・。 じ、実は昨年なんとか嫁に行くことが出来ました(恥)(恥)(恥) 昨年はこのブログも本に出来たし、やっとこさ嫁に行けたし良い年でしたが 旦那曰く 「君には僕より長生きして、僕の葬式を出してもらいたい」と言われ 「私、愛されている」と大人っぽいニヒルな愛を感じた次第です。 アラフォーの結婚の現実とはこういうものなのでしょうか? (梨花よ、最近結婚したな。浮かれるな君も同じだ) そして新婚草々、旦那さんのおじさんの葬式にて 亡くなったおじさんの伯父さんの顔を見てガッカリ 湯灌屋さんにお風呂に入れてもらったというのだが 呼吸器であれてカサブタの出来た鼻はひび割れて黒い稲妻のような亀裂 そして全体的には真っ白に塗りたくられた化粧。 脳梗塞で顔が紫になり検死が入った故人様の仕事が入った。 私は休みだったので下請け納棺屋に仕事を流したら・・・ 赤くてつやつやの口紅と真っ白いファンデーションで「バカ殿」に… 殿なのでもちろん故人様男性です。 プライベートでも仕事でも葬祭に関する「考えさせられること」が ホロホロと起こる。 そこへタイムリーにこんな番組! メイクに関して、世の湯灌屋・納棺屋の技術力が乏しいのも大いに問題はあります。 ですが、明らかにおかしいのに葬儀社が「故人様に気を配っていない」 と言うことでもあるのです。 「ご遺体に関しては下請けに丸投げ」と言うことです。 祭壇の美しさや式進行の段取りより、一番大切にしなければならないのは 亡くなった方そのものなのに、このビジネス臭に憤りが…。 人が亡くなりショックでぼーっとしている時 「これで良いですか?」と聞かれたら なんとなく『そんなものなのかも…』と了解してしまう。 葬儀の一番の落とし穴は、どんなにしっかりしているつもりでも 今も昔も“冷静な判断ができないスキをつく”と言うことです。 だから葬儀の後、冷静になって後悔するのです。 だから事前に考えておくことが必要なのです。 死を意識して生きる事は、後悔しないで生きる策とも言えます。 葬祭業者は仕事でやっています。 どんな会社に仕事を頼んでも良いと思うし、葬儀社はボランティアではありません。 ただ、会社を選ぶポイントは 「あなたの傷みをわかり、フォローしてくれる会社」です。 「縁起でもないから死んだ先の事など考えたくない」は古いです。 家族が健康なときから“その時にはこうしてほしい”と話し合うべきですし いざ近くなったら、現実的に金額とサービスを照らし合わせるために 複数の葬儀社に事前に見積を出してもらって良いのです。 なぜならば、葬式と逆の結婚式などはお嫁さんはドレス選びに沢山お店めぐりしますよね? 後悔しないためには時間と労力はやはり必要です。 したがって、番組内で紹介されている25の内容でフォローしてくれる部分があっても それは料金に含まれている当たり前の彼等の仕事です。 プラスαの思いやりをくれる葬儀社を慎重に選びましょう。 そしてこれだけ葬祭業界の裏表を見てしまった私としては お金をかけなくても死んだ旦那も遺族も弔問客もみんなの心が ほっこりするような葬式をあげてやると 堅く心に誓うのでした。 【今日の教訓】 日々を大切に生きるためにも 自分の遺影や葬儀について語ろう★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓■■■(得)ニュース私の著書『今日のご遺体 女納棺師という仕事』を世に送り出してくれた「日本アイデア作家協会」の岩波さんが新しい本を出されました。それを記念し、ア○ゾンキャンペーンを実施中です。すでにア○ゾンで総合1位にランキングされたお勧め本です。キャンペーンの「特典」がスゴイ!のでこの機会にいかがでしょうか?(洗女)●以下コピペ------------------------------------------------------■ 【特典多数】「驚き」の新刊発売キャンペーン情報 ■アイデア本のベストセラーの「続編」が発売になりました。3万部突破の「仕事のアイデア本」が更にパワーアップ!たった620円の文庫本でありながら、特典に「本の音声解説」のほか、コピーして転売できる人気の「パソコン用ソフト」など、見逃せない特典が用意されています。どうせ買うなら、キャンペーン中の今が「大」チャンス! (近日終了) 『人にはぜったい教えたくない「儲け」の裏知恵』(岩波貴士著:青春出版社刊 620円)キャンペーン内容⇒ http://www.ideasakka.com/amazon/2010.html------------------------------------------------------
2010年01月19日
今日の「エチカの鏡」で『超人気お葬式セミナーに潜入 絶対損しない25の鉄則プロ告白の最新 事情完全大公開お布施の額 』という葬儀に関する特集をやっていた。ウタい文句に『損しない』とか『大公開お布施の額』とかあった。でも本職の私から言わせると別段お安くなるお得情報な訳でもなく葬家となった時、どこの葬儀屋からも聞かされる「当たり前の25の鉄則」であった。 なので私がこの番組のサブタイトルに『…お葬式セミナーに潜入 (節約できる!!) 25の鉄則…』と裏知恵を追記したい。また、今回は長いので全後半に別けますのでご了承くださいm( _ _ )mザッと順を追って遺族がやらなきゃいけない事をフォローしていく。1.死亡診断書をもらう→病院死亡なら普通に貰える 死亡診断書→火葬許可書にする手続きを役所でする。 この手続きは葬儀社が代行で行く事が多い 生命保険などの証明になるコピー必須 ちなみに新たに病院に依頼すると有料(~¥5000位) 自宅での不慮の死などの場合 死亡診断書が同じ書式で死体検案書になり警察の 検案後にもらうことになる。2.葬儀社を選ぶ→大変重要です 生前に必ず探しておくことをお勧めします 私的選ぶポイントとしては 互助会…お金に余裕のあるご家庭にお勧め。 オプションを勧められます。 個人店…素朴なサービスがお好みの方にお勧め。 ただし金の臭いのする葬儀社は避けましょう。 料金の明確さ、知識もしかりですが 有料の葬儀内容以外に故人とご遺族の為に 無償で気働きできるヒューマンスキルがある葬儀社がベストです 3.遺体を安置する→枕飾りも有料です。 自宅に香呂あるなら断ったほうがお徳。 小額でもこのような金額が積み重なり 全国葬儀平均額は¥231万になります。 4.お寺を選ぶ→葬儀社にお寺を紹介してもらう場合は 紹介手数料は表記はなくても必ず取られています。 葬儀社も商売ですから。5.日程と場所を決める→火葬場の「釜の込み具合」と進行している 「宗旨の導師の都合」によるところが大きい。 場所は来るであろう予想人数が収容できるスペースか? どんな式をあげたいか?によって ホテルもしくはおしゃれな式場・自宅どこでも良い。 利便性だけ考えると 『あんなにコ汚い式場しかないの?』 ということにもなる。 高級レストランと庶民派レストランに味の違いはなくても 大きく違うのは“雰囲気の違い”です。 祭壇が立派でも寒々しい式場や不潔感があるホールでは 癒されません。 “空間の演出”も人の心を和らげる事を念頭に置き 事前にどのような式場で葬儀をあげたいか? イメージしておくことも大切です。6.葬儀のプランを選ぶ→安くても必要なものはそろっているので 葬儀社の営業の腕の見せ所。 棺のランク・霊柩車・祭壇・湯灌や納棺も オプションである。 『何をこの人(故人様)にしてあげたいか?』 気持ちとお財布の相談である。7.手伝いを依頼する→お手伝いの以来は葬儀に来るであろう 予想弔問客数による。 親族だけなど2.30人規模で気の置けない中なら 無理に手伝いを立てなくてもなんとかなる。 8.遺影写真→事前に作っておきましょう。 毎年必ず「これが私の遺影写真」 そんな覚悟の一枚を残しておく事は日々を大切にするきっかけになる気もします。 基本四つ切サイズ 254×305mm 葬儀専門の写真は修整などもしてくれる分 ただし町の写真店の20倍の金額です PCの得意な方なら背景の修正 サイズにこだわらないなら自分で自宅でプリントも有り 写真ではなく自画像を飾ったり全く写真なしの方もいます。 9.通夜振る舞い→「弔問客分が足りないと大変だ」を セールストークに葬儀屋さんは料理数のアップを図ります。 弔問の方へ感謝の気持ちも大切ですが予想人数の7割位でOK 忘れてはいけないのは「お通夜は宴会ではありません」 同窓会・飲み会ヨロシクに盛り上がり お腹いっぱいになって帰る方はそもそも不作法なので 逆に弔問する際には気をつけましょう。 ただし「通夜振る舞いに旨い物ナシ」 と葬祭業界人は実しやかにつぶやいています。 10.現金の用意→葬儀の本番中に出るお金は小銭が主です。 支払いは葬儀後に払う事の方が今は一般的です。11.お手伝いに心付け?→各人の良心と地域性によります。 精進おとしのお弁当を心付け変わりにする事も多いです。 葬儀係員への心付けも気持ちの問題です。 「古くからの習慣ですから」はタダのうたい文句です。 ご安心を12.線香の日を絶やさない→葬議場ホールによっては消防法で火を強制的に絶やされます。 フルーツを入れると爆発する?…スイカやドリアン丸ごとは お勧めしませんがカットしているものはOK。 たぶん“焼きムラ”の問題を重視しての仮説かと疑われます。 大抵の禁止事項や因習は昔の人の “語呂合わせ”もしくは“ダジャレ”と私は思っています。 13.喪主の挨拶→挨拶文例集をくれる葬儀社もあります とは言え、好きな事を言えばいいのです。 思いのたけをぶつけて下さい。 14.火葬許可証→死亡診断書を役所に出すと火葬許可書になります。 事務手続きは葬儀社が代行してくれます。15.お骨を拾う→火夫が案内します。16.精進おとし→通夜振る舞いとどっこいの味です。 外のレストランなどでも精進おとしも可能です。。 「お骨の持ち込みOKか?」の了承が得られれば ご親族自ら向い、お得でおいしく済ませる事もできます。17.お布施を払う→お布施の平均額54万9千円 ただし、仏教なら戒名のランクで価格が変わる。 支払いで一番丁寧なのは、葬儀がすべて終わってから 寺院に行くのが丁寧とは言われている。 と、本日は前半戦です。私個人、昨年は出会いがあり、別れがあり、色々心境も状況も変わりました。明日続きをご報告いたしますm( _ _ )m
2010年01月17日
お顔が傷だらけの故人様の仕事をした。「隣の県に知り合いの仕事を手伝いに行く」と親戚に告げたその夜に亡くなったらしい。死亡したのは、その仕事を終えた後のようだ。仕事に行き、仲間と別れた後なぜかなじみのない隣の県のど田舎で亡くなってしまった・・・。「お金がないから状態悪いけど特殊メイクも納棺式も結構です」というお仕事お目にかかると故人様はけっこう気の毒な有様だった。額と鼻のてっぺんにザックリとキレたらしい大きなカサブタ。左のこめかみから瞼にかけては緑色に腐敗変色。右の頬には一番深い傷であろう所を大きなバンソウコで隠していた。そして耳からの微量出血が気になった。恐らく頭の中でどこかが切れているのだろう。脳内からの多量の出血の場合はそれが血抜きになるので腐敗は進行しにくい(鮮度を保つ魚と一緒の理屈で)でもこの方の出血はその効果が出るほどの出血量ではなく腐敗が始まっており、フワ~ンっと臭いもする。亡くなった姿で発見され、検視され犯罪性がないとされると医師の死体検案によって死体検案書が作成される。故人様が発見から自宅に帰れるまで、スムーズにいけば最短でマル2日くらい。やはりドライアイスは当てられない状況だと腐敗してしまうのだ。「臭うなぁ…変色も傷もあるけど…」サッとメイクするだけしか承っていないので傷を隠したり、消臭したりのサービスができないところがジレンマである。その辺はやはり、ちゃんとお金を頂いて処置するご遺体と同様のことをするのはマナー違反になるのかもしれない・・・。直接の死因は何か?解剖すれば例えば「脳挫傷」とか「心不全」などの判断はつく。犯罪性が認められない為「死因不明」とされてしままだった。傷だらけになって亡くなっても、検死の結果は「事件性がないので死因不明」で片付けられた。ではなぜこんなに外傷を得たのか?故人様もしかしたら、チン●ラに絡まれたのかもしれないしクラッときて顔からヒックリかえって亡くなったのかもしれないし・・・。2時間ドラマだったら早速誰かが「お父さんがそんな所で死ぬわけない!」とか言ってこのミステリーを探求しに行くのだろうが現実にはそんなことありえないのだ・・・。こんな方こそ「行政解剖」をする対象者ではないかと思う。それを手がけなかったのはなぜか?解剖費用の問題か?検視官の人手不足か?県をまたがって管轄地外での問題か?やらない理由がわからない。でも亡くなっているその姿から原因不明で終わらせることに全くしっくりこない事だけは事実だ…。------------------------------------------------------------平成9年「結婚詐欺女」容疑者として木島佳苗があがった。練炭で男性3人を殺害したとして、殺人罪などに問われている事件謎の死をとげた何名かの男性達は直接の死因こそは解明されているし、木島の動機も充分だ。この事件の驚く点は一切認める供述をする様子はない事と木島自信が自分の事を「まさか絶世の美女と思ってるの!?」と感じさせる発言が随所に発せられる事だ。「女性が付き合っている男性から経済援助を受けるのは当然と思っていた」「はい。具体的には……。テクニックよりも本来持っている機能が高い、と」 真実を告白させるのが本来の目的なのだがあの態度から、彼女の中の自分像は彼女にとっては真実と感じさせらる。「そのオリジナルの自信の秘訣は何ですか?」と日本中の女性が聞きたいのはそこだと思う。私は日本の女性、日本人1億総人口が同じツッコミ代表として「え~メス●タなのにっ?」「せめて30キロは痩せて9号の服着れるようになってから言え!」「写メにあざとさが満喫なんだよ!!」と言いたいな…とは少し思った。 でも残念ながら私は男性にそこまで尽くされた事もなければスゴイ事言われた事もなく女性が思うより男性はポッチャリの範囲が広いとも聞くとこの人の堂々たる発言が「実は自分が知らない真実なのか?」と価値基準が震撼させられてしまいそうになる。「美人は3日で飽きるが、ブスは…」とは本当はゲシュタルト崩壊の事ではないだろうか?このニュースを見たあるお父さんが「まぁかわいげのある顔だな・・・」とつぶやいた!!!という話もあるし【圧倒的な自信】それが木島の武器な気がする。目に見えない価値観と言うモノに絶対指数はない。これをを突き付けられると人間は「そういうものなのかな」とつい流されてしまい事件に結びついたのかもしれない。------------------------------------------------------------医師不足は生きている方対象のお医者様と同様に亡くなった方を診る検察医務院の医師も大いに不足している。そして解明されないままその死が記憶の底に閉じられていくことなどざらにある事なのかもしれない。傷だらけの故人様はその2日後に納棺になった。納棺式ではなく「納棺」だけで結構という事で儀式的な事は全くやらずチャカチャカやるように言われた。故人様に対面すると先日と反対側の目の周辺も緑に変色してきており、さらに臭いがキツクなっていた今日は納棺だけに来たので化粧直しの道具は持ってきていない。顔の周りの飾りの綿でなんとな~く変色が目立たないように飾り付けすると「わぁなんだか寝ているみたい」とご親族現実はますますの緑色だし臭ってる。私がその傷の痛々しさや腐敗の変化を気に病んでも身内の人にしてみれば、傷や色の変化よりも表情や顔立ちが気になるし、メイクで修復できるという多くを望める事すら気がつかないかもしれない。亡くなった人のお顔がきれいかどうかで残された人の心が少し救われるのは、穏やかなお顔がそれ以前、どんなに苦しい病床や状況にあったのかを一瞬忘れる事ができるから。もちろん幾ら穏やかな表情をされていてももう目は覚まさないし、起き上がることはないから亡くなっている事実は突き付けられる。葬儀中は平素の精神とはやはり違う。葬儀が終わり日常に戻った時初めて「身内の死はなんだったのか?」振り返ることになる。どんな事情があって、顔に大けがをして亡くなったのか?一般市民には知りえる事のない国の機関に「わかりません」と言われたら「そうかわからないのか…。」となるのは判断力が鈍っている時だから全て委ねるのは仕方がないのかもしれない。そしてその真相追求に今一歩、踏み切れない明確な理由はご葬家が家族と言う形態が終わってしまった家族だったと言う事。故人様は離婚して一人暮らしをしていた。葬儀には元妻や息子や娘も来ていたがそれぞれ独立して互いが久しぶりに会うような関係。故人様の死以前に、その関係性が終わってしまっていたのかもしれない。不安な人は強いモノに飲み込まれる。それは時に権力だったり、圧倒的な自信だったりと様々なものに。相手が大ウソつきかもしれないのに「もしかしたら自分が知らないだけでそういうモノなのかも…」と価値観が覆されて、考える事を止めてしまう。心に力がある時は、誰しも色んなモノに取り込まれないように戦っていると思う。だが疲れている時や平常じゃいられない時は不安を払拭してくれる人が必要になる。時に聞きたくない真実をお互いに愛をもって指摘しあえるような本音で語れる相手こそ支え合える人だと思う。そんな人がいる事で人生に立ち続けられる力になる。ゆるぎない真実を感じさせてくれる何かを持てる人はきっと最強だろうと思えるのである。あの木島にそんな人いたかどうかはわからないがこの人が強いのは自分をも騙せる真実を持っているからのような気がする。もしこのお仕事とこの事件の共通点を強引にあげるとするなら「事実から目をそらしていないか?」と思ってしまう。木島に騙され、殺された(カモ)しれない男性たちは皆一様に寂しい人だった。本当は「う”えぇ!!」て初対面の時、思ったかもしれない心の声よりも「見た目はともかく、良い所あるかもしれない」と見当違いの前向きさ持ち付き合ってしまったのかもしれない。このご遺族も今回の故人様の死をちゃんと家族で話し合い本当の事を知りたいと思えるほど結束する力がなかったのかもしれない。いずれも皆、冷静に受け止める為の相談相手が欠如していた気がする。いわゆる家族崩壊した状態でお金が出せないとは言っててもご遺族の様子から故人様に対して愛情がない訳ではない。別れた元妻でさえ、親族と共に故人様の死を深く悼んでいた。残念なのはお互いに支え合える家族ではなくなってしまっているという事。これからご遺族たちには長く故人様に対してぬぐいきれない悲しみが続くのではないかなと案じてしまう。【今日の教訓】 希薄さが判断を曇らせる
2009年11月02日
チョーお久しぶりでございます洗女です やり逃げ的な私は、久しぶりすぎてブログ開くの怖かったっす言い訳に過ぎませんが、この夏死ぬほど激務でした仕事の内容はたいした突飛?なお仕事はないのですが立て続けにご依頼が舞い込み、10日とか2週間とか連続出勤で夏休みまだ消化しておりませんシルバーウィークのただ中、皆さん「おくりびと」見てるからブログ絶対書きなさいとの指令が下りアセッて書き進めているわけです。そして今日は最近私が思った「私の死に方」について 私は今、葬儀社の中に在籍する納棺師です。納棺の仕事だけじゃなくてご遺体の搬送お迎えに行き、寝台車を運転することもあるし葬儀の祭壇を組み立てることもあるし葬儀自体にも係員として対応しなければいけません。だから納棺専門業者にいた時みたいにその場だけ関わるのではなく、悲しいかなご親族の裏表も見たりしちゃいます。■私の本「切ないなぁ~」って思うのが老人ホームや病院?に入院して亡くなった故人様をお迎えに行く時。キレイで最新で職員や看護士の方の対応も、暖かく素晴らしいだけど、すごく寂しくなる・・・その現実をお仕事としている人は心が本当に強くないとできないと思う。施設などに入院するくらいだから、体の調子が悪かったり、心ここにあらずだったりするから当然寝たきりの方が多い。ストレッチャーを押しながら故人様のお部屋に向かう途中開放された部屋の中にいる入居・入院されている皆さんの中には焦点の合わない目で口を開けたまま、天井の一転を見つめ寝ているだけの方が多い。時に「いやぁぁあ~~いやあぁああ~~~いやあああぁああああ~~~~」と何もいやな事されている訳でもないのに聞こえる叫び声。「任侠ヘルパー」でも言ってたけど介護する家族も救わなければいけない。任された施設や病院もぬかりなく対応しているハズ。誰も悪くない。でも都会に暮らす私は「もしかしたらこの光景が私の未来かもしれない」と思うとこの光景が非現実的である私は目を背けたくなる。孤独って人間が感じる最大の恐怖だと思う。でも、家族が側にいたって”孤独死”はある。二世帯住宅でおばあちゃんと息子家族の家の入り口は違うご葬家。ドアを開ければおばあちゃんはそこにいるのにおばあちゃんは5日間気がついてもらえなかった。見つけた時はお腹は緑色、皮膚は腐敗でトロトロになり皮膚がむけていて強烈なに腐敗臭でコバエがぷんぷんたかり始めていた。いつも行く怒りんぼで適当な検死の先生のところで「死後5日!心不全!!」と診断され憤慨な検案料を請求される。ところが「えっそんなことないわっ4日前におばあちゃんとお墓参り行ったんだから」とお嫁さんお嫁さんの記憶違いか?やはり検死の先生が適当なのか?結局、死亡検案書に書かれた「死亡日時」はシカトし「3日前に亡くなった事にしよう」と話は落ち着き49日もそれで設定することになった。故人様のむけた皮膚はまだ乾燥していないため特殊メイクのワックスで対応することにした。*ちなみに私は特殊メイクの材料はここから購入している。ツルツルでなかなか苦戦している最中ご葬家はバタバタしだす。「おばあちゃん心臓悪かったの?」「おばあちゃん、自分の葬式代にって○○共済に積み立ててたけど書類どこだ!?」積み立ての書類はどうなったのかわからないが弔問に駆けつけたお友達のおばあちゃんは死因を聞いて「不整脈があるって言われてましたわ」とかお友達のおばあちゃんとその孫娘さんが赤ちゃんを連れてきて「かわいがってくれて本当にありがとうございました」枕元で泣いていた。親族には「私がこれくらいの時からおばあちゃんにはかわいがってもらって…本当に残念です」と。亡くなるまでは、元気に外に出て歩きお友達の多かったおばあちゃん。で、あっても他人の方がおばあちゃんの人と也を知りそれに対比し交友関係も持病も何も感知しない家族。「こうなったのも俺たちが悪いからな」と息子である喪主さんは言う。だが、おばあちゃんの積み立て金から足が出ないように葬儀の内容は決まった。お金をかければ供養できる訳ではない。特殊メイクをしながら、おばあちゃんと一緒にコバエにたかられつつ居直っているようにも割り切っているようにも感じられる喪主さんの一言に「家族が側にいてもこのような死もあるのだ」と胸に響いた。高齢で寝たきりで自我は無く命のともし火を灯す人。自由で安全で金銭的に余裕があっても、通い合うものが少ない家族のいる人。人の一生の良し悪しが最後で決まる訳ではない。まして良い葬儀をしたから成仏できる訳でも何かを帳消しにできる訳でもないと思う。まだまだ自分の死に際を考えるには早すぎるができたら私は「お金はそこそこでも愛情にだけは恵まれる75点以上の人生で締めくくりたい」と思えた今日一日であった。【 今日の教訓 】 情だけでは 生きていけない 情が無ければ 生きていけない私的「おくりびと」評論 もっくんがゲロ吐いたあと広末とエッチするシーンは マンガ版ではモックン家の三角のテーブルを大いに利用し 立ったり座ったりして行うのだが 広末にソレを演じてもらえなかったのが実に残念であった。ちなみに、私は今NHKの「白洲次郎」を観ている■私の書いた本★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m ↓↓↓↓
2009年09月21日
今日のご遺体誤字・脱字コンテストやってます~うっかり締め切り書くの忘れてました 7月31日 とさせていただきます。 ヒントその1・・・「3つ星」書籍版『今日のご遺体』の中から「誤字・脱字」または「不適切表現」を探してご連絡ください。下記の「特典」の中からお好きのもの1点を進呈させていただきます。ア○ゾン以外でご購入なされた方も、ご参加大歓迎です!1~3までは、ア○ゾンキャンペーンの際の特典と同じものです。1.著者に聞く納棺師のお仕事!永井結子の対談(約50分)2.ブログやメルマガを書籍化するためのノウハウ3.仕事と生活に役立つ有益情報源多数4.★新特典★(検討中)下記の要領で、お名前(ハンドルネームOK)を添えてご回答くださいませ。【誤字脱字コンテスト】回答例(例)○○ページの○行目の、○○という漢字・・・正しくは○○ yuukonagai★gmail.com (★は@に変更して送信して下さい)件名のところは「●誤字・脱字あるあるコンテスト」でお願いします。 ふるってご参加くださいませ 久々の遠出にウキウキしながら、隣の県の仕事に行ってきた。ほとんどの仕事は会社から30分かからない場所なので知らない土地はワクワクする。行きがてら担当に「どのような内容か」を聞く。お風呂で亡くなったけど発見が早かったので状態は悪くない。検死なので現在、裸で寝てる。(検死の際、警察で故人様は体を調べる為、裸にされる)家がごみ屋敷「ん」聞き捨てならない情報。詳しく聞くと「外装は綺麗なのに足の踏み場がない位ゴミに溢れててそこのリビングで寝てる」他に部屋なかったのか?聞くと「その部屋が好きでいつもいたからソコで良いらしいよ」担当は「俺とは合わないタイプだ」と喪主さんの事を言った。最後に一言「ゴキブリ出るから」とも…。片道一時間半でたどり着いたご葬家自宅は築20年経ってない様子で外からはごみやしきには思えない。でも外装と裏腹にお部屋に入ってすぐその“異様さ”に気がついた。昼なのにその家の中は夜。雨戸は閉めて、間接照明しかつけてない。家の中はゴミとモノで散乱、足の踏み場はない。布団を斜めに敷いてやっと故人様か寝ていた。電気をつけてもらえるよう頼んだ。(暗いとメイクも濃くなるから本当は自然光の中でするのが一番いいのだ。)「これは電球取ってるんでつかないんですよ」意味がわからない?故人様お気に入りの部屋なのにいつも暗い中にいたの?気を取り直し預かった着物の「着付けと処置をします」と告げると「先にお化粧しなくて良いんですか?」と親戚の女性陣。そういえばさっきからご自身達でメイクする気満々だ。それはそれで、イイんだけど・・・メイクは着せ替えした後にしないと落ちてしまう可能性もある。故人様は普通の亡くなり方じゃないのに親戚の方々も悲しむ風でもなく散乱した部屋を恥じている風もなく「化粧はうちらでヤッタるわい」的な興奮した感じだけど待ってもらう様話した。着せ替えしようと布団を取ると上はパジャマを着てるのに下は裸。オムツをつけて着物を着せようと体を起こすと「あ。お尻から血が出てる。」今、警察の防水シートを布団に敷いて寝ている。着せ替え時に着物が汚れるかも。汚れたシート→防水シーツに交換したくて途中そのことを話すと喪主さんがドンドン険しい顔になる「背中の方が汚れています」と気遣いのつもりでオブラートに包んで伝えたのも「背中じゃなくてお尻でしょ?警察から聞いてます」とバッサリ斬られた。「血を止める方法ないのか?とかシート拭いたらいいじゃん。」とも言われた。…カチンきた。「この喪主サン、ビタ一文出したくないんだ・・・」無料でやっている私の仕事をあまりにも「当たり前と思われた事」へのガッカリとシーツ=有料というのを言う前に察したんだと思う。「当社の防水シーツだと有料になりますので」と伝えると快くご葬家からシーツを出してきてくれた。このやりとりでなかなかの虚無感に見舞われ、シーツ交換しようと警察シートを取ると敷布団の上にはゴキブリの糞この劣悪な状況でやっと準備が整いかけてフッとテレビの裏を見る。「キャアアアアアアアア―」 ・・・ゴキブリと目があった隣の部屋からは「なんだなんだ」「ゴキブリじゃないの」「女の人だしね」「この家のゴキブリは大きいからね~」仕事中に雄叫びあげてスミマセン、でも私オカシイですかっ?と世論に問いたい。故人様に付属するウジはまだ我慢できる。だって故人様も好きでたかられた訳じゃないもの。この家は違う。「ゴキブリはいるもの」と認識≒黙認している。外装は綺麗でも、家の中がこんなんだと風水じゃないけど心が荒むのも当たり前だ。「明日やればいいや」の積み重ねは堆積していくチリや埃も当たり前になりそれがその家その人になる。喪主様がクセのある人であるのも、よーく理解した。それからの仕事は早かった。「一刻も早くこの家から脱出したい」その一心で。テレビの裏にいるであろうゴキブリを背後に意識しながらご親戚のおばさん達とメイクをする。「いやーやっぱりプロは違うわぁ~」なんて喜ばれても嬉々とはできない。エアコンがんがんかかっているハズの部屋なのにゴキブリと目が合った瞬間から手は震えだすし、大粒の滝汗がドバドバ出て来る・・・帰りの車中で、あまりの滝汗と虚脱している私を担当が見て「大丈夫っ大丈夫どうしたら元気になる」と言われ冷たいお茶買ってくれたら元気になるっとお茶ご馳走してもらった。今日は処置と着せ替えメイクだけなので、明日また納棺で行かなければならない。憂鬱だけど明日は替えの靴下を持って行こうか本気で考えている。唯一少しだけ嬉しかったのは「私の叫び声は意外とまだ女らしくて甲高い声だった」という事だ。【 今日の教訓 】 「今日の一日」がその人を作る。 習慣は理想に勝る。 ★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m ↓↓↓↓
2009年07月10日
●発見驚愕の誤字・脱字あるあるコンテスト&七夕の日 七夕の洗女ア○ゾンキャンペーンに沢山の方、ご参加くださいまして本当にありがとうございましたご参加くださいました皆様、特典・・・お聴き頂けましたでしょうか?特典の一つに、私、洗女=永井結子の音声インタビューがございます。内容もサルことながら、自分の声・・・めちゃ恥ずかしいものですねテンパってたとは言え、内容ももう少し頭いい人に思われるように言えばよかったアホっぽいので、手にされた方…聞き流してくださいね m( _ _ ;)mまたアイデア作家協会様よりご提供いただきました「情報特典」・・・ 「ブログやメルマガを出版化するためのノウハウ」コレっ!かなりいいことが書いてあると、お礼のメールを2件いただきました。※昨日、若干修正したらしく、最新版は「バージョン1.1」と、はじめのページに記載したそうです。古いバージョンをお読みの方は、再度ログイン後ご確認下さい。ブログって基本楽しむためにあるものでしょうけどやはり長年書き続けているとマンネリ化もするでしょうし自己の表現力もネタもパターン化してくるなぁと私自身感じておりました。そして大人になると意外と文章を書く機会が多い事にも皆様もお気づきと思います。読んでいただいた方をハッとさせる文章の書き方と出版のための重要事項が凝縮されております。そこで・・・おまたせいたしました(?) 書籍「今日のご遺体」 発見驚愕の誤字・脱字あるあるコンテストを開催いたします ア○ゾン以外でご購入なされた方も、ご参加大歓迎です! 書籍版『今日のご遺体』の中から「誤字・脱字」または「不適切表現」を探してご連絡ください。下記の「特典」の中からお好きのもの1点を進呈させていただきます。1~3までは、ア○ゾンキャンペーンの際の特典と同じものです。1.著者に聞く納棺師のお仕事!永井結子の対談(約50分)2.ブログやメルマガを書籍化するためのノウハウ3.仕事と生活に役立つ有益情報源多数4.★新特典★(検討中)下記の要領で、お名前(ハンドルネームOK)を添えて、ご回答くださいませ。【誤字脱字コンテスト】回答例(例)○○ページの○行目の、○○という漢字・・・正しくは○○ yuukonagai★gmail.com (★は@に変更して送信して下さい)件名のところは「●誤字・脱字あるあるコンテスト」でお願いします。【 昨日の教訓 】 昨日は七夕なので「プラネタリウムで天の川を見よう」と、張り切って出かけたのに満席&天の川の放映が早い時間に終わってしまいあまりにムカついてつい・・・エヴァンゲリヲン←使徒?を観てしまいました。オタクじゃないのよオタクじゃでも、結構込んでた。そして、エヴァって何言ってんのか理解できないセリフ多いけど・・・面白かったぞ、碇シンジ そして七夕なので、短冊も書いてキマシタ。願いが叶えば年末には専業主婦になれるかも?オリヒメ~m( _ _ )mちなみにみんなのお願い 温暖化で願いは叶うでしょう 神頼みの域です。 「山田物理の単位を下さい」だそうです。先生に直談判してください。 幸せになってください願いは人それぞれです。★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年07月08日
●本日放送のテレビ東京【 カンブリア宮殿 】 をご覧になった方おいででしたでしょうか?ゲストは名古屋・大阪で営業している葬儀会社株式会社 ティア社長 冨安 徳久(とみやす・のりひさ)氏貴社の葬儀価格は 実際安い平均販売価格の半額に近いものもあった。富安社長いわく「仕入れ価格の10倍で販売している」「葬儀代金を明確にしない、価格がブラックボックス化している」と言い、企業努力として葬儀社では異例の営業活動をしている。個人宅へ個別訪問・地域サークルへのお茶の差し入れ病院・老人ホームへの営業活動も行っている。先の短い人の所へ「いかがですか」なんて相当勇気ある。さらに従来からある「病院営業」の裏表も話していた。病院としてはベットの回転率を上げるのは入院待ちしている新たな患者さんを受け入れなければ!という理由もあるだろうが、見方を変えれば病院側の営業効率を上げるという意味合いも当然ある。その為、すぐに故人様を病院から移動してくれる事と(できたら病院につめる事のできる葬儀社)病院と葬儀社との癒着も明らかにした。ガッツリ話しちゃって、社長!思い切りましたねと言った感じだ。葬儀価格の全国平均は180万円それとは別にお坊さんへのお布施が平均50万円前後かかるので(お布施って高すぎるって個人的にそう思う)230万円強の金額が平均とされている。でも、この価格には他にかかるかもしれない仏壇やお墓の価格は入っていない…。たぶん、この社長この業界をおもいっきり変えたいのだ。番組に出るという行為自体、相当な熱い思いがあるのだと思う。「亡くなった人を自分の最愛の人だと思え」とのご自身の信念を胸に事業拡大している。たいしたものだ。たしかに富安社長の言うとおり私のいる会社は割と明朗会計だけど、やや高いかもしれない。そして社員はご遺族に対する思いも表面上でしかない。私の上司いわく「人生で1回しかない葬儀なんだから、しっかりと抜かりなく」とは言うけど何台も外車を所有し「いつかゴルフの会員権欲しいなぁ」なんて言われると『やっぱボ○クラだな』と内心思う。多分、こちらの会社社員の業務が分散化しているのだと思う。番組上で営業社員が故人様の好きだった喫茶店のモーニングセットを特別にその喫茶店に用意をしてもらったり故人様とご遺族の思い出の地の写真を撮り歩きディスプレイしたりしている。葬儀屋は・ご遺体の下げ・安置・葬儀内容の打ち合わせ・見積もり・全ての備品の発注・祭壇の準備・飾りつけ・納棺・後片付け・司会進行・火葬場誘導・案内・自宅への後飾り・集金を全部受け持たなくてはならない。仕事が重なったり、時間がない時は本当に激務でボロボロになる。尚且つ給料なんて年齢給程度なぞ当然もらえない。ボーナス1.5~休みも年間90日切るし、下手したら社会保険もないところもある。利益がどこにいっているのか、社員はさっぱり分からない。運がよければ、ご遺族から担当者に「寸志」をもらえるかも?ということでガンバル者もいるがモーニングコーヒーを用意する程がんばらない。「価格なんて表示するな!」と夜中に同業者より脅しの電話がかかってきたそうだが逆恨みされるのもわかるような、わからないような。でも、私はこちらの会社の社長さん支持します。「自分の最愛の人」というほど、故人様に思い入れは私は持たないけど強い思いがあるならば、それは必ず形になるはずだから。しかし、少しこれで葬祭業に余波が起こるかもしれない。他の地域の葬儀社さん「ティアのある名古屋はいいなぁ」って言われちゃうかも★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年07月06日
ア○ゾンキャンペーン・告知協力また書店にて「今日のご遺体」をご購入・応援くださった皆様本当にありがとうございましたm( _ _ )mキャンペーンも終わり、なんだかひとくくりしたような気分なのですがおっと!忘れちゃいけないオマケがございました。誤字・脱字キャンペーン でございます。詳細は後日、記載させていただきます。アマゾンでご購入されなかった方にもすてきな?特典が乞うご期待それはさておき・・・ちょっと独り言ブログです。一昨日です。1年ぶりに地方のお友達が出張で来るというので再会また会える日が来る事とお互いの健闘を祈りご機嫌にさよならした帰りの電車で人身事故に遭いました。乗っていた電車が人をはねてしまったのです遅い時間だけど終電でもないアナウンスで車掌さんが「もしもしっ!空けないで!!」ウトウトしながら電車に乗ってて「何のこと?」とパッと目を覚ましたらプシューって普通にドアが空いてお客さんが乗り降りしている少しすると・・・「えーー当車で人身事故が起きましたのでしばらくお待ちください」日頃のアナウンス同様、ボソボソいうのでなんだかピンと来ない動かない・・・あれっ?本当に人轢いちゃったのっ「只今、警察がこちらに向かっておりますので 救助作業が済むまで当駅でしばらく停車いたします」まぁぁ誰か飛び込んじゃったのね電車に乗ってて、乗客の私たちは実に何も感じないものだ。走ってくる電車に飛び込むので前の方の車両に乗っていた人達は寝ている人以外、みんなホームに出てどうしたものかとウロウロしている。中には真っ青になって、座り込んでいる人もいた。警察も20人くらい集まってブルーシートも持ち込んで「どこだどこだ」とご遺体を探している。「目撃者の方いませんかー?」と叫んで歩きながら結局、その人を救助するには車両を一度下げて移動させなければ線路から助けあげる事はできない。ちょっとした隙にお巡りさんに「1時間くらいかかりますよね?」と聞くとそうですねーとは言っていたが、あの調子だとそれ以上時間かかったと思う。その場面を一般の人に見せる事は・・・ムリなのでしょうダクシー代出しますと乗っていた全員ホームから追い出されました。亡くなった方がどんな姿になっても、その尊厳を守るためにも一般の方ももちろん見ないほうがいいからだろう。この日、首都圏で夜に4件の人身事故があったそうだ。一般的には電車などの人身事故の賠償金は一応、ご遺族にいくそうだが払える人はほぼいないから、大抵踏み倒されるそうだ。どんなに苦しい人生だったか、理解してあげることは出来ないけど大変でしたねって。私、家に帰れたの1時回ってたし、眠かったけどあなたの方が死にたくなるほど大変でしたねって。★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年07月04日
●ア○ゾンキャンペーン当選者発表お待たせいたしました皆様のおかげで出版までこぎつけました当ブログ「今日のご遺体」アマゾンキャンペーンにてご購入頂きました方の「おくりびと」DVD当選者発表会でございます。クジの作り方がヨロシクなかったのか(~_~;)?もめん糸の先にカリカリのエサを1粒ずつ結びつけること51個※DVDの抽選は12日~14日までにご応募いただいた51名様が対象です。該当の皆様のお名前を糸の反対側に結びつけぷりが、食らいついた方が当選! にしようとしたのですが最初の3名様に食らいついたところで・・・ぷり。リバース動画撮っていたのですが放送禁止コードに引っかかりそうでしたので今回はしょぼくれるぷりの写真のみとさせていただきます。ごめんね、ぷりえ~抽選の模様はかなり、トホホな模様になってしまいましてぷりちゃん全く抽選のクジに食いつかず・・・かなり傷心ぎみの様子に・・・。プレゼンターBYぷりしらと いうわけでどーにか、無理やりぷりに選んでもらい ・望○ 実 様 ・○上幸○ 様 ・上○治○ 様 ・森○麻裕○ 様 ・さ○○う○ずえ様 たまたま、ハンドルネームの記載されていない方ばかりの当選となりましたのでお名前○で隠させていただきました。 以上の5名様 当選おめでとうございましたおくりびとDVDは出版元祥伝社さまより近日中に発送させていただきます。尚、他キャンペーン期間中にお求め頂きました皆様には 特典プレゼント ・著者(永井)に聞く納棺のお仕事インタビュー音声(50分に延長) ・ブログやメルマガを出版化するためのノウハウ ・仕事と生活に役立つ有益情報源 は、明日メールにてダウンロード先をご連絡させていただきます。ご応募・ご購入本当にありがとうございました m( _ _ )m★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月30日
考えさせられる仕事があった。故人様は死後2ヶ月で腐乱して真っ黒に膨張し溶けて蛆だらけで発見された。残念ながら「もう打つ手無し」と判断され私の出る幕はなかった。ご葬家は「勘弁してくれよ。しょうがねーな」と思ったのだろう。葬儀なんてやる気もない。とっとと焼いて下さいとの事だった。式をしないで火葬のみで終わる事を「直送」という。グチョグチョの蛆だらけだからというのもある。金銭的にそのようにするケースもこのご時世多い。だが火葬後お骨になってから葬儀をする「骨葬」という方法もある。(今でもその方法が一般的な地域も沢山あるはずだ。)それももちろんやる気はない。なぜこんな扱いか?・・・故人様は生前ヤ○ザだったそうだ。依頼されたわが社としては故人様を火葬場の霊安室に連れて行かなければいけない。滅多にないスゴい仕事に「どーする!?」と言いながら皆興奮し沸き立っている。キャリアが充分にあるハズの社員達が、そのように騒ぐ姿に静かにイラだった最近は状態の悪いご遺体を棺ごと真空パックする業者もあるそうだ。完璧に包み込むので臭いも体液も漏れない。火葬場としても冷蔵庫が臭くなるのを嫌がるのでそれなら歓迎だ。手間いらずで安価な新サービスを聞きまた社内が沸き立つ。誰かが叫んだ。「スゲーいーじゃん安いし!どうせ対面もクソもあったもんじゃないし!」私の中で何かがズキッとした。誰にも愛されない誰からも丁寧に扱われない人って何?生前の酷すぎる粗暴に「早く死んでくれ」と生前から憎まれてそれに値する人だったのかもしれない。ただ「まるっきり価値がない」との社会的に烙印を押された人を見たようで胸の深いところが重苦しい感じがした。先日の9人殺傷した全く無反省の被告人でさえ、一応弁護士はつく。http://qurl.com/dyfdn私は正直、犯罪者の弁護をするという職業に単純に無理解だった。でも気がついた。犯した罪は消えなく極刑を間逃れない犯罪者でもたった一人だけでも絶対味方がいないと救われない事がある。心だ。この被告人が刑が執行される前に「己の罪の重さを理解し反省する事」が被害者の方だけではなく、加害者にとっても「心の救済」に繋がるからではないだろうか?と。重罪人の唯一の権利ではないかと。もし魂が永遠ならば?心を改められずに愚か者のまま死刑にされる事こそが真の地獄私は確かにこの9人も殺傷した大バカヤロウは極刑に値するとは思う。楽になりたいなら自暴自棄になるより「早く目覚めなさい!」と言いたい。人は「人の愛」を感じ取るかどうかで、人生が変わるはずだから今、社内には別件の無縁仏の骨壷があるこの方は金銭を残したが身内は誰もいない。孤立無援の人。役所から以来されたので弊社で彼を納骨堂に納める。それまで社内の片隅に鎮座してもらう事になった。だが不思議なことに、彼が来てから仕事がずっと忙しいのだ。私はお仏壇に手を合わせる機会があまりなかった為「こんな事もあるのか」と最初はおもしろがって故人様にお菓子やお水をお供えしていたが、そのうち「そう言えば彼が来てから忙しくない…?」と皆気がついた。骨壷の故人様骨壷の故人様は、今にぎやかな会社にいるのが楽しいのかもしれない。 【 今日の教訓 】 人は「人の愛」を感じ取るかどうかで人生が変わる●豪華特典つきの「アマ○ゾン・キャンペーン」も少し延長して実施中です。⇒ http://ideasakka.com/amazon/nagai※24日某書店で平積みをお願いしてみました・・・感謝!★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月25日
どんなにバリバリのヤンキーでも15歳までは病気になったら「小児科」つい最近まで知らなかった。皆様もニュースでご存知でしょうが臓器移植法改定A案が賛成多数で可決した。だが非常に判断が難しい。「臓器提供に係る意思表示の有効性について、年齢等により画一的に判断することは難しいと考えるが、民法上の遺言可能年齢等を参考として、法の運用に当たっては、15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこと」と通知したことから、実質的には15歳未満の臓器提供ができないとされている。ウィキペティアより http://jpan.jp/?bnFN今までの「未成年なので判断は親権者にまかせる!」という法案がどう変わるのだろう?http://jpan.jp/?FJdI子供の故人様の時、共通している部分がある。眉毛・まつげなどが濃くなる。寝たきりで頭が少しイビツになる。無意識に成長しつづけ、身長も髪も爪も伸び成長しつづける。それがわかるだけに「長い闘病を続けていたのか?」と子供なのに濃くなったヒゲを剃ったりする。脳死だったと聞かされた故人様はいなかったがどの子も普通に内臓はあった。病気で亡くなったであろう子でも、臓器提供した痕跡は見たことがない。「生き続けて欲しい」と願う親にそれを決断させるのは医療側としても現実難しいと思う。(逆に子供の臓器提供者がいる欧米での考え方を知りたいと思った)だが、一方で明日をも知れない命を抱え臓器提供者を待つ子供もいる。「妊娠5ヶ月で流産したのですが」という問い合わせの電話が来た。5ヶ月でもちゃんと「人」であり死産の場合は「死産届」を市区町村に届け出る必要がある。これに伴い、埋(火)葬許可証が交付される。20センチ・200グラム前後の赤ちゃんを子供用の棺に納棺しても棺ばかりが大きく火葬も強い火力では焼きすぎでお骨が取れなくなる可能性もあるので朝一のまだ温まっていない釜でする。一番の釜は9時から火葬なのだがたまにその時間に火葬場に行くと、ご夫婦らしき人を含めた数人で小さく肩を震わせている場面に出くわすことがある。外は晴天でも、見送る人も少なくさめざめと泣く方達を見ると無念と空虚な思いが彼らを包んでいるのがよくわかる。「主人と相談します」と電話は切れた。ある日のファミレスで小学生の母親らしきグループが「子供さえいなければ、食事も出かけるのも自由なのに…」と言いつつ「あんな小さい体であのランドセルの重さはかわいそうだわ」めんどくさいのか?かわいいのか?私にはよくわからないが健康児の親だから言える日常会話がある一方で生まれることもできなかった子生まれたのに眠ったままの子生きたいのに命の日が消えかかっている子そんな子供を持つ親もいる。どんな子供でも唯一親孝行できることがある。命の重さを感じさせること。次世代に命をつなぐこと。それはその存在自身かもしれないし思い出かもしれないし臓器提供という究極の決断かもしれない。子供は、親の生きる力を与えてくれる宝物親である人の判断にこの協議はお任せしたい。 【 今日の教訓 】 今日という一日は、昨日死んだ人間が渇望した一日 (参照 風に吹かれて) どんなに儚くても、短くても 命には必ず意味がある 私はそう信じます。 ●豪華特典つきの「アマ○ゾン・キャンペーン」も少し延長して実施中です。⇒ http://ideasakka.com/amazon/nagai★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月20日
●私事ですが・・・実は昨日17日は誕生日でした。年齢は「中学生のお子様がいるお母様へ」という折込がポストに入ってしまうような年頃ですはぁぁぁなんか今年は目まぐるしく日々が過ぎているので誕生日という浮かれ気分はないのですが誕生日記念に、やらかしてしまいました大急ぎで向かわなくちゃ行けないところがあり・・・つい曲がってはいけないところを。ソッコー若いおまわり君につかまりました。当然生年月日を聞かれるので 「誕生日記念にマケてくれっ!」 と言ってみたけど当然無理ですね。思えば2年前も誕生日の朝に人生初白髪を1本見つけたこともあるくらいだし。今年は本も出版できたし色々な意味で「当たり年」なのでしょう・・・●書店での販売風景・・・こんな感じで並んでいるみたいです。本の帯が動いた形跡があるのでちらっと立ち読みされたらしい。手作りPOPをこの本屋さんに郵送したいです。札幌の「紀伊国屋書店」さん秋葉原の「書泉グランデ」さん全国の書店様・・・感謝申し上げますm( _ _ )m●豪華特典つきの「アマ○ゾン・キャンペーン」も少し延長して実施中です。⇒ http://ideasakka.com/amazon/nagai最近は、出版ネタばかりになってしまいスミマセン。続きは今夜・・・・★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月17日
●この季節通常なら、葬祭業って暇なんです。人って乾燥した季節の方が、体にきついのでこの梅雨の季節なら亡くなる人少ないはずなのに今年は大忙しで毎日目が回りますコメント下さる皆様にもお返事ちゃんとしたいのに遅れてしまうことがあるかもしれません。毎日デレデレしながら読ませていただいております。お返事は必ずさせていただきますので大らかに受け止めてくださいませm( _ _ )mちなみに・・・・このブログの出版化記念「アマ●ンキャンペーン」ですが、告知の協力が間に合わなかったとのご連絡を多数いただきましたので、やや延長して開催しております。●特典盛りだくさんのキャンペーン内容はこちらです。⇒ http://ideasakka.com/amazon/nagai●本日、16日(火曜日)、朝日新聞・中日新聞・北海道新聞の朝刊に私の本「今日のご遺体」の広告が掲載されました通勤途中、キオスクで購入しましたこんな↓感じです。 そのことばかり考えて通勤してたので、電車の手荷物台に乗せた「会社から借りたお椀」(いや、ちょっと色々ありまして)を、電車に忘れてきてしまいました通勤圏外の駅に保管されたそうです●昨日少しご紹介いたしましたが、中谷彰宏さんから・・・本日は、な・ん・と 色紙とメッセージカードと中谷彰宏先生著「これから、いつも、一緒だよ。」 を頂いてしまいましたー もー大感激ですこの中から私が気に入った作品を2つ家族の絆 あの人が、旅立つことで、 残った家族の絆が、強くなりました。 あの人は、 天国に行っても、 やっぱり家族の絆であり続けるんですね。明るいお葬式 あの人は、生前、 ある方のお葬式から帰ってきて言いました。 「今日のお葬式は、暗かったわ。 あんなん、あかんわ」 だから、お葬式は、明るくしましょう。 みんなが笑っている顔を、見たいと思います。●しかも、中谷先生の「中谷レター」で紹介してくれたではありませんか!中谷さんのホームページを見たことがなかったのですが、凄い内容を掲載しています。音声サンプル多数⇒ http://www.selfstudy.biz/nakatani/itemlist/いろいろ⇒ http://www.an-web.com/flash/下記は、私のことをかいてくれた「中谷彰宏レター第3365号」です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「仕事は、奥が深くなると、明るくなる。/女納棺師・永井結子さん」親愛なる君に女性の納棺師さんの永井結子さんの本『今日のご遺体 女納棺師という仕事』(祥伝社黄金文庫)が、面白かった。永井さんは、納棺師になって、本をよく読むようになったそうです。中谷本も、よく読んでくださっています。映画の『おくりびと』も面白かったけど、この本を読むと、さらに、納棺師という仕事の奥の深さがわかりました。何よりも、暗くないのが、素晴らしかったです。仕事に、明るい仕事、暗い仕事はありません。ただ、仕事のやり方に、明るくするやり方と、暗くするやり方があるだけなんですね。奥が深くなると、明るくなるようです。彰宏よりP.S.母親の納棺の時は、笑いがいっぱいだったことを、思い出しました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~中谷せんせいぃぃぃ泣けましたー「これから、いつも、一緒だよ。」は中谷先生がお母様の死を通じて感じられたこと・経験したことを先生らしく作品にされたものです。作品1つ1つが、別れを体験する全ての人の心に響くものとなっています。死を前向きに受け止めること死を悲しみだけに終わらせないこと死を通じて感謝できることに気づくことすべてにグッとくるものがありました。私は「死を経験してもムリにでも笑いなさい!」とは言いません。亡くなった方の人生まるごと受け止めた時きっと自然に「感謝」に行き当たると思うのです。大きな声で言えませんが、実は日本人の死生観を変える(変えたいなぁ~)のが私の密かな野望だったり…。中谷先生も笑いある葬儀を経験されることができて、よかったと思います。本当にありがとうございました。★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月16日
今日も告別式で案内係りの仕事をして上半身はゲッソリ、下半身はパンパンの洗女でございます。緊急告知がございます。【その1】 16日(火曜日)の朝刊で 北海道新聞 中日新聞 朝日新聞 に 本書『今日のご遺体』の広告が載りマ~ス(たぶんちっちゃく) お見逃しなく!【ア●ゾンキャンペーンの延長のお知らせ】皆様をお騒がせいたしました ア●ゾンキャンペーン ですが延長させていただくことと相成りましたm( _ _ )mと、申しますのもキャンペーン告知希望の方から「メルマガでの告知が出張に行っててできなかったぁ~」 などなどのお声を多数頂いたのです。そこで少々の間、キャンペーンを延長といたしました。また『今日のご遺体』の売れ筋ランキングですが最高ランキングは 99位 でした。※下記の画像は初めて100位以内にランクインした、14日(日曜日)AM9時台のものです。ア●ゾンの壁は厚く気高かったです・・・担当者いわくエッセー分野にしては大健闘だったとのことです。皆様、本当にありがとうございましたm( _ _ )m【その3】洗女の勇気ある行動発売に当り、大好きな作家、中谷彰宏先生に本書を献本したのですが・・・なんと中谷さんからお返事と、中谷さんらしい「なるほど!」というお言葉をいただきました。あわわわわ です。詳しくは 明日 ご紹介させていただきます。申し訳ありませんもう眠くてムリみたいですうぅm( _ _ )m★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月15日
●三沢選手の死のショックからちょっとあせってしまい先走ってしまいましたでも病院での治療を受けたから解剖されずにすんだハズ。唯一の救いです。でも残念ですでは、気持ちを切り替えて・・・今回、書籍版『今日のご遺体』の後ろのページに今までお世話になった方へのささやかな御礼の気持ちとしてお世話になったブロガー様のハンドルネームを掲載させていただきましたm( _ _ )m 本来でしたら掲載させていただきたい皆様にご連絡させて頂くべきでしたがもー大忙しで、できませんでした。ごめんなさい、そしてありがとうございますでは、キャンペーン最終日の告知! 「今日のご遺体」出版・・・まだ間に合う記念!今回、本書出版に編集ご協力いただいております「日本アイデア作家協会」さまのご協力でただいま、アマ●ンキャンペーン告知ページを作成いただきました。手作り感いっぱいでちょっと・・・ウケます。特に「中身検索」がアナログ的一見の価値あり?私のプロフィールの写真も携帯写メです。ハンドメイド臭漂います。アマ●ンキャンペーンは本日14日(日)までの開催です。 つきましては、この「アマ●ンキャンペーン」の告知にご協力いただきました方には「日本アイデア作家協会」さま より非売品「ブログやメルマガを出版化するためのノウハウ」を、全員プレゼントさせていただきます※告知用のコピペ原稿もキャンペーンページの下のほうにご用意しております。もちろんご自由に紹介して下さって結構です。実は「日本アイデア作家協会」さまと出版元・祥伝社さま、いわくブログを書籍・出版化するにはある共通点があったことが解明!この「今日のご遺体」ブログ偶然にもその秘訣になんと合致していた!その秘訣とはあやしげな情報商材宣伝文句のようですが「そういわれると」と思われるフシが何点かございました。ご興味ございましたらぜひ、よろしくお願いいたします。キャンペーンご協力ご希望の方は あなた様の(1)ブログやメルマガのタイトル (2)URL (3)お名前(ハンドルネーム可) (4)「出版化ノウハウ」希望 と記載の上下記のアドレス宛てに、送信の際の件名のところを「●告知協力(プレゼント希望)」としてご連絡いただけますでしょうか? yuukonagai★gmail.com (★は@に変更して下さい) ・・・どうぞ、よろしくお願いいたしますm( _ _ )mなお、アマ●ンキャンペーン告知ご協力希望の方の締め切りは6/14までにお願い致します さらに!嬉しい企画第2段 また、今回出版元の祥伝社さまよりご協力いただきましてアマ●ンキャンペーンより本書「今日のご遺体」をご購入くださいました方に抽選で5名サマに「おくりびと」DVDをプレゼントさせて頂く事になりマシターロトガールならぬ・・・抽選猫ぷりしら「ぷりチャンのおくりびとDVD大抽選大会」を行います。抽選の模様は後日、ブログ内で動画にて発表させていただきます。 そ、そして驚愕の第三段 書籍「今日のご遺体」発見驚愕の誤字・脱字あるあるコンテスト を開催いたします。あなたも「今日のご遺体」で脳トレしてみないかもし、増刷された場合誤字は修正されますので初版本購入者の方のみの期間限定?のコンテストでございます。プレゼント・および詳細は後日詳しく記載させていただきますのでふるってのご参加お待ち申し上げます。 発見驚愕の誤字・脱字あるあるコンテストの締め切りは6/30と、させていただきます。アマゾンキャンペーン関連の特典の発送は6/30(予定)となりますのでご了承お願い申し上げます。 ★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓みなさまのふるってのご参加こころよりお待ち申し上げますm( _ _ )m
2009年06月13日
●えええええっ~三沢社長ぉーーびっくりしました。ノアの三沢光晴社長が亡くなっただなんてー頭部から落ちたとあるから、脳挫傷でしょうか?あまりにも突然だし年齢的にもまだまだなのにたぶん混乱してるからか?スポーツニュースで流してないよ先日のキヨシローに引き続き、私の青春がまたひとつ消えていくええ。はい。女子大生の時、足しげくプロレス観に行ってました。本当に残念で…。言いたくない、認めたくないけど、ご冥福お祈りします。
2009年06月13日
●6/12!出版「今日のご遺体」 開設5年にして、ブログ書籍出版という運びになりました。一期一会とはよく申しますがお顔を見れない皆様に応援していただきまた、仲良くしていただき励まされること、勉強になること温かさを、沢山頂くことができました。今年もまだ半分が過ぎたところですが私の今年の文字を漢検の代わりに決めさせていただくと、ずばり「感謝」です。心より、あつく御礼申し上げます。ありがとうございますm( _ _ )m「ぷりもみなさんに感謝だニャー」とのことです。パチパチパチパチ~では早速 「今日のご遺体」出版・・・まだ間に合う記念!今回、本書出版に編集ご協力いただいております「日本アイデア作家協会」さまのご協力でただいま、アマ●ンキャンペーン告知ページを作成いただきました。手作り感いっぱいでちょっと・・・ウケます。特に「中身検索」がアナログ的一見の価値あり?アマ●ンキャンペーンは6月12日(金)~14日(日)まで開催いたします。 つきましては、この「アマ●ンキャンペーン」の告知にご協力いただきました方には「日本アイデア作家協会」さま より非売品「ブログやメルマガを出版化するためのノウハウ」を、全員プレゼントさせていただきます※告知用のコピペ原稿もキャンペーンページの下のほうにご用意しております。もちろんご自由に紹介して下さって結構です。実は「日本アイデア作家協会」さまと出版元・祥伝社さま、いわくブログを書籍・出版化するにはある共通点があったことが解明!この「今日のご遺体」ブログ偶然にもその秘訣になんと合致していた!その秘訣とはあやしげな情報商材宣伝文句のようですが「そういわれると」と思われるフシが何点かございました。ご興味ございましたらぜひ、よろしくお願いいたします。キャンペーンご協力ご希望の方は あなた様の(1)ブログやメルマガのタイトル (2)URL (3)お名前(ハンドルネーム可) (4)「出版化ノウハウ」希望 と記載の上下記のアドレス宛てに、送信の際の件名のところを「●告知協力(プレゼント希望)」としてご連絡いただけますでしょうか? yuukonagai★gmail.com (★は@に変更して下さい) ・・・どうぞ、よろしくお願いいたしますm( _ _ )mなお、アマ●ンキャンペーン告知ご協力希望の方の締め切りは6/14 アマ●ンキャンペーン(本書ご購入)は6/12~14でお願いいたします。 さらに!嬉しい企画第2段 また、今回出版元の祥伝社さまよりご協力いただきましてアマ●ンキャンペーンより本書「今日のご遺体」をご購入くださいました方に抽選で5名サマに「おくりびと」DVDをプレゼントさせて頂く事になりマシター抽選といえば・・・愛猫ぷりしら「ぷりチャンのおくりびとDVD大抽選大会」を行います。抽選の模様は後日、ブログ内で動画にて発表させていただきます。 最近、猫砂も値上がりした為「安心価格」の猫砂を買われ気に入らないぷり。やる気になってきたそうです。そ、そして驚愕の第三段 書籍「今日のご遺体」発見驚愕の誤字・脱字あるあるコンテスト を開催いたします。あなたも「今日のご遺体」で脳トレしてみないかもし、増刷された場合誤字は修正されますので初版本購入者の方のみの期間限定?のコンテストでございます。プレゼント・および詳細は後日詳しく記載させていただきますのでふるってのご参加お待ち申し上げます。 発見驚愕の誤字・脱字あるあるコンテストの締め切りは6/30と、させていただきます。アマゾンキャンペーン関連の特典の発送は6/30(予定)となりますのでご了承お願い申し上げます。 ★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓みなさまのふるってのご参加こころよりお待ち申し上げますm( _ _ )m 「よろしくね」
2009年06月08日
●もしかして…変質者? さっきなんだかキモちワルい事がありましたピンポーンってインターフォン越しに出たら「お届けモノでーす」と一言お取り寄せも何もしてないぞナンダ宅急便なら「サ●ワです」とか「ヤ●ト」とか言うよなと、いぶかしんで一応出る前にチェーンロックをして除き穴から見てみた背中しか見えない。カーキ色のジャンパーぽいの着て、肩掛けカバンの紐と後頭部だけ。「はい?」「・・・。」「どこからですか?」「フジサ○○イグループです」「新聞ですか?」「・・・・。」数秒の沈黙がつづく・・・。「結構ですっ」即効、玄関の電気消して奥の部屋に引っ込んだ。私はドアののぞき穴越しに話しかけてるけど、相手は顔をこちらに向けようとしない。最初「お届けモノ」って言ったよね?新聞の勧誘ってこんな時間に来るものなの?(20時過ぎ)ザワザワザワーーって寒くなった。心臓バクバクしてきた。えっ?えっ?こんなとき警察に連絡するべき?握りしめてオロオロしてたら、ちょうど友達から携帯がキタ今の出来事を話したら「ちょっと具合悪けりゃみんな病院行くんだから、そんな感じで ちょっとでも怪しければ警察も連絡していいんじゃない?」と言われ警察に電話した。一抹の流れを話たところ「今から向かわせます」とイヤ、ちょっと見回ってくれたらイイだけなんだけどで、ワラワラと6人お巡りさんがやって来て事の顛末を話す。「フジサ○○イグループ」の話をしたら上司っぽいお巡りさんが「ディ●スかな?」って。たのんでないからっ「よそのオタクの集金のついでに勧誘に来ることもあるし」「顔見せないのは、セールスの個人差ということもあるし」と、言われるとやっぱ私の誇大妄想かもしれなくて冷静になると共に恥ずかしくなってきた「こんなことで大騒ぎしてすみません」と恥ずかしがると若手のお巡りさんは「いえ、こういう事でもなにかあったら大変ですから連絡してもらった方がいいですから」「暑くなると性犯罪者増えますから」と。「本部に連絡するので」と、氏名・生年月日・年齢を聞かれる・・・。この年でつけ狙われるのもマレだど十二分に自負できるので余計小さくなる感じだ。お巡りさんいわく「たぶん我々がこうして見回ってるの相手もわかったと思うから当分来ないと思いますよ」新聞の勧誘だったら「俺、何にもしてないのに配達しにくくなったじゃねーか」と思われたかも。私、営業妨害した?思い起こすと数年前、以前住んでいた部屋に泥棒入られた事があった。http://plaza.rakuten.co.jp/himitusentai/diary/200512080000/アレも不法侵入だけで、何も取られず事なきをへたが何年かに一度こうしてお巡りさんにやっかいになる自分が恥ずかしい。もし「被害妄想者リスト」なるものが警察にあったらワタシそれに名前載ってる?ワタシ、ヤバイ人?ちなみに家に帰ってCMでやってるユニ●ロのブラトップでぶらぶらしてたからほんとに変質者だったらベロンチョとされていたかもしれない。やっぱ妄想癖?なんだったんでしょう?欲求不満ではないはずですので、悪しからず・・・。★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓そして、いよいよ今週12日 「今日のご遺体」発売ですただいま アマ●ンキャンペーンページ制作中! (注) キャンペーンまで、まだ予約はしないで下さいね・・・(~_~;妄想癖ありそうな私?ですが よろしくお願いしますm( _ _ ;)m
2009年06月07日
●話題の映画「余命一ヶ月の花嫁」ご覧になった方も多いのではないでしょうか?ご存知の方も多いでしょうが24歳という若さで他界した長島千恵さんのドキュメンタリー。映画と共に乳がん検診キャラバンとかもやっている。関係者の方の苦しかった経験を他の人には味合わせたくないそんな切なる思いがこんな大きな形になって、決して彼女の死は無駄にはならなかった。だけど、私は今日までピンと来ていなかった。「素敵な彼氏と想い合えるお父さん、支えてくれる沢山のお友達もいたのに・・・かわいそうだなぁ」と、我が身に降りかかるかもしれない危機としては受け止めていなかった。まったくピンクリボン効果に繁栄されなかったのだが・・・乳がんという病気は「都会型の病気」であるということを知ってしまった。乳がんは田舎の人より都会の人のほうがかかりやすい病気であるその訳は非婚や晩婚化、少子化などの女性のライフスタイルの変化また多量の飲酒などでも確率が高くなるそうだ。・・・たしかに田舎の人って結婚早い。というよりは一昔前なら普通に20代で結婚・出産しているが都会で特に仕事を持つ女性は例えるなら、仕事の合間をぬって結婚するために、婚カツで合コンに行って飲まなきゃいけない。さらに出産しても、早期の職場復帰などで赤ちゃんに母乳を与えなかった場合なども乳がんにかかる率は高いと…。・・・20代で結婚した友人もキャリアと家は持っても子は作らないし(作る暇がない)別の友人は妊娠してもすぐ産休の日程と育児とローンの計算をしている。妊娠バッチをつけて混み合っている電車に乗ってもお疲れのサラリーマンは誰も席なんか譲る精神的余裕はないらしく大きくなってきたお腹を抱え満員電車に揺られているそうだ。都会って女に優しくない。切にそう思った。やはり乳癌でなくなった故人様がいた。胸全体に止血するための大きなガーゼが置かれているがそのガーゼの上からも「この人は胸がないんだなぁ」というのが見て取れた腕の点滴の痕はグズグズに膿みまくっていて臭いがする。上半身は薬剤の影響でむくみ、13号くらいの大きさの体だが下半身はガリガリで5号くらいのウエストやヒップだ。膿んでいるということは、体が病気と戦おう!と奮闘した痕跡だったのに…。彼女はまだ30代、結婚もしていないし恋人もいなかった。そして、生前はバリバリのキャリアウーマンだった。乳がんになった全ての女性が「環境のせいだけ」でなった訳ではないのかもしれないけど「女」という性に生まれ、体がその機能を持つのなら出産・子育てをするのは己の為になる。だが現実、出産どころか未婚率だってあがっている。少子化対策って国は一生懸命やっているけど、根本の問題を考えると経済的に家庭を持つ意気地が男女とも無くなっていることも確かだし「誰かと家庭を築く」という夫婦というチームを作ることに臆病になっている気もする。それに一人でいればお小遣いで楽しめることが都会には沢山ある。少子化対策ブラhttp://www.triumphjapan.com/release/unique/2006050900148.htmlたしかに社会問題だけど・・・社会的な問題って実はすべてリンクした結果で出来上がっているように思えてならない。私とも年齢の近い故人様がこの病気になったときに「余命一ヶ月の花嫁」の話を知っていたのだろうか?どう思ったんだろう?と感じた。同じ病気になったけど、恋人と結婚式をあげる夢をかなえた千恵さん。でも自分よりも一回り以上も若くして亡くなってしまった千恵さん。今、健康である女性に対して「気をつけて!」ってメッセージを心して受け止めるのはもちろんだが今現在、同じ病気で苦しんでいる方はどういう気持ちで受け止めているだろう?とフッと思ったのだ。立場が違えば受け止める感覚が違う人もいるという現実もある。表現するという行為は、その気は無くても誰かを悲しませる影響を与えているかもしれない。私自身、それに気づき身の引き締まる思いがした。私は映画を見たわけじゃない。社会だけが悪いわけでもない。でも、事実こんなに苦しかった経験をすべて洗いざらい見せてくれているのだ。皆さんの中で「悲しいメロドラマ」としてだけで終わらないで欲しいと思った。★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年06月02日
●本の表紙ができましたー出版元の祥伝社サマよりこんな表紙を作っていただきましたうーん、冠婚葬祭。不祝儀袋でございます。帯に「衝撃的な日々」とあり、ちょっと駅売りのスポーツ新聞的な感じですがそーオドロオドロしくないです。 著作校という作業が何とか終わり昨日は死んでました出来上がったブログを再編集するという作業をナメすぎていました 【ご注意】 6月の発売日に合わせて特典盛り沢山のアマ●ンキャンペーンをする予定でおりますので、キャンペーンが始まるまでは、予約申し込みはしないで下さいませm( _ _ )mということでキャンペーンプレゼントを作らなきゃいけないのですが・・・ワタクシメのような本でキャンペーンに乗りたくなるようなプレゼントって・・・?無料ご納棺券とか?含み綿セットとか? ←これらは無理!(><)・・・我ながら気の利いたもの差し上げられず新たに頭を抱える日々でございますでは前回の続き・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~状態が悪すぎて顔中から出血していた。目・鼻・口 腐敗で膨張し体内の血管が切れ腐敗ガスで圧迫され続けるからこうなる。ドライアイスで凍結しようにも凍るまでに時間がかかりすぎる為に出血は止まらない。あまりやりたくないが奥の手を使うしかない…最後の手段。鼻の中にドライアイスを入れて凍らせる普段含み綿で鼻や口に綿は入れるけどドライアイスを入れるのは申し訳なくて仕方がない(えっ?大差ない?)自分自身もドライアイスでたまに冷凍火傷しそうになるのにそんな危険なものつっこむなんて…。が、結果やはり先程の大流血はすんなりと止まる。押してダメなら…の原理よろしく外がダメなら中から冷やせばいいのだ。というか、切れてるどこかが凍れば必然的に血も止まる。サっと出血を綿で拭き取った瞬間に砕いたドライアイスを入れると鼻の中で何かが「ぶくぶくぶくぅ~」と沸騰したかのような音がした。次に膨らんだ顔を小さくするためにガス抜きをする。皮膚の内側にガスが溜まっているため、針でぷすぷす風穴を空ける。今日の故人様は大層膨らんでいるので何箇所か空けると「シュー」っとガスが抜けていく音が聞こえる。多少マッサージしながらヒゲ剃りやメイクすると少しずつ顔が小さくなるのがよくわかる。それは匂いでもわかる。やはり臭い…。後は肌色を整えた顔がどれだけ小さくなるか天に祈るばかりだ。翌日、担当者に「心配だから」と言うことで再びご葬家に連れて行かれた。顔はかなり小さくなっただが…家中がガスの臭いで充満している。故人様の体内から発生したガスが抜け出て、顔が小さくなった分、家が臭くなった喪主さんも「これ何とかなりませんか?」消臭剤を3種類入れて何となくおさまったような気はするけど…。出棺の時に棺のフタを空けて祭壇の花を皆さんで入れて頂く時に消臭パワーがどこまで効くのか疑問だ。もう大人だから世間に迷惑をかけてはイケないという社会性はあるが自分の中である衝動が沸き起こる。「ガスって燃えたら消えるよね?」と言うことは 故人様にちょっとマッチの火とか近づけたらブワッて腐敗ガスに引火してガス飛ぶんじゃない?高級レストランのお肉や魚のフランベみたいに・・・?よく外人の変わった人で自分のおならにライターの火を近づけてオナラで火吹かせる人いるよね?※写真をクリックすると動画が見れます。それにうちの猫のトイレも私はいつもマッチをすって消臭する。一気に糞尿の臭いが消えて下手な消臭剤振り掛けるより、ヤツは喜んでトイレに入っていく。「古典的だけどグッドアイデア」…でもそれをヤリタイ衝動を抑えて帰ってきた。だってさすがに・・・やっちゃあマズイから・・・。後日テレビで鯨が港に迷いこんで海にどう帰せばいいか地元で奮闘しているとやっていた。海に帰れなければ死んでしまうとhttp://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/whales_and_whaling/クジラ君頑張れアナウンサーが「以前も湾に迷い込んで死んだ鯨をクレーンで引っ張ってる途中に鯨が腐敗したガスで爆発したって事ありましたよね?」「えっそーなの」私がテレビに返事した。やっぱオナラと違って体中にガスが充満しているご遺体だと爆発するのか?それかシューシュー出つづけるガスが火だねで燃え続けるのか?いづれにしてもご葬家で爆発騒ぎ起こしたら話しにならない。私自身が業務上過失致死だ。残念だけどこの案は私の中だけで封印することにした。タブーを破ることで「困っている人」を少しでも救えるかもしれない。革命を成功させたら神様で失敗したら鬼畜なのがこの世の中なのだ。だが新たな疑問も沸いた。今日みたいな故人様は火葬場でもよく焼けるのだろうか?【 今日の教訓 】 似て非なるもの・・・衝動と行動の違いを理解する★こんなワタシでよければ「ポチッ」と願いますm( _ _ )m↓↓↓↓
2009年05月28日
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