夏。私はゆっくり歩く。猫がついて来る。私は立ち止まって、猫を撫でる。そんな日は遠
く、今はストーブに当たる猫たち。
冬。外へ出ると、若いカップルがそれぞれに犬を引いて歩いている。それは冬の午後の
傾いた太陽の弱々しい光に温かみを与える。
そのまんまの風景ってあるのだろうかと思う。どんな風景にもその時の自分の心の色が
反映する。それは情景とか心象風景とか言う。
心が対象に色を付ける。対人的な想い出ともなれば、良くも悪くも、着色されていない人
物はいない。私は自己投影とその反射の世界の住人。
物理的事実という客観、認知的真実という主観、その関係を自意識が調整し続ける。誰
でもやっていること。実存とサルトルは呼んだ。
散歩のカップルと彼らの2匹の犬が私の主観を規定する。私は一風景としてたたずむ。
そこには主観の限界が垣間見える。
彼らと関わった時、私は初めて息を吹き返して、社会構造の一部になれる。構造主義と
いうらしい。実存は構造の部分集合なのだ。
一人閉じた今の私は、構造の一部としての自己を仮想するしかない。それは過去の経験
という心象風景の総体としてあるらしい。
無限の宇宙空間を旅した時、人は構造の迷子とでも呼べる心境に多分なるかも知れな
い。私はそんな時空パック旅行中らしい。
君の乳房とヴァギナが私の正気を保つ。猫もね。欝じゃない、虚無にも陥っていない。
私の心はちょっとせいて、何かを待っている。
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