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江戸前はアナゴに限る しかも羽田沖が極上である。 アナゴ寿司といえば、根津の池乃が最高である。 羽田沖で獲れたアナゴしか使わない。しかも甘辛く煮詰めるツメが アナゴの出汁が効いて、もう最高に美味。寿司目飯もいい。 ここのアナゴ寿司は日持ちがする。だから海外へのお土産にも最適である。 急に羽田沖のアナゴが食べたくなった。 羽田の渡しの名残が残る穴森駅で降りる。昔の漁師町である。 まだ店は開いていないので、重の湯、玉の湯と銭湯意のはしご。 5時半に食通「ゆたか」に行く。 なんとすでに満員御礼。老夫婦が待っている。
2009.05.12
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あまり知られていないが、大田区は銭湯天国である。 大田区にはざっと数えて、70を超える銭湯が健在である。 しかも天然温泉も多い。うーん、一度足を運ばなくては・・・。 そんな矢先、中学時代の親友の銭湯仲間に声を掛けた。 どうだい、連休中に湯上りの一杯をやらないかい? 羽田沖の獲れたて穴子でも食べにいこうよ。江戸前だぜ。 あなご、アナゴ、穴子。そりゅあ、行こうということになった。 銭湯は相棒に任せ、私は居酒屋を担当することにした。 相棒は東急玉川線の「穴守神社」の銭湯をピックアップした。 穴守神社は江戸末期に建てられた。開運の神様で、羽田の守り神だ。 そのご明治になり、日本初の飛行機が飛んだり、飛行学校が作られた。 地名の羽田が先で、あとから飛行場ができたのである。 戦後になり、羽田空港のど真中にある鎮守様の「穴守神社」が邪魔になった。 羽田空港拡張のために、多摩川のこっち側に穴守神社が移された。 穴守神社から10分も歩かないうちに六郷にかかる大橋にでる。 昔の羽田の渡しである。いまでも船宿が健在だ。昔は江戸前の漁業が 盛んだった村である。 羽田の渡しから歩いて2分のところにその銭湯はある。 なんともレトロな感じが懐かしい「重の湯」である。 ここの湯は、ゆったりしていて気持ちがいい。 大きくはないのだが、すごく落ち着く昔風銭湯なのだ。 なぜかと考えていると、ペンキ絵の奥松島風のどっしり落ち着いた絵。 高い破風天井、ゆったりしたカラン・・・ これが絶妙のバランスなのだ。 この辺界隈は、狭い路地が縦横無尽にめぐっている。 幅1メートルもない路地が百メートルも続いている。 まさにかくれんぼをしたくなる路地だ。 駅のほうに戻る。 もうひとつの玉の湯である。 玄関は立派だ。中は改装してあって、昔風ではない。 薬湯風呂と、低温サウナが特徴だ。 泉質が柔らかい。キメも細かい。さかなかいい湯だ。 さすがに銭湯のはしごをすると、身体がほてってくる。いい湯だな♪ もう、5時半。そろそろ湯上りの一杯と行こう。 昔、ここいらにハゼの卵巣塩辛を手作りする飲み屋があった。 探すが、今は親父さんはダウンし、おばあちゃんがやっている。 カウンターだけの居酒屋「さわだや」だが、暖簾が閉まっている。 仕方がない。 日本一のアナゴを食べさせると言う食通「ゆたか」に行こう。 さあ、江戸前のアナゴだ・・・
2009.05.11
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あまり知られていないが、大田区は銭湯天国である。 大田区にはざっと数えて、70を超える銭湯が健在である。 しかも天然温泉も多い。うーん、一度足を運ばなくては・・・。 そんな矢先、中学時代の親友の銭湯仲間に声を掛けた。 どうだい、連休中に湯上りの一杯をやらないかい? 羽田沖の獲れたて穴子でも食べにいこうよ。江戸前だぜ。 あなご、アナゴ、穴子。そりゅあ、行こうということになった。 銭湯は相棒に任せ、私は居酒屋を担当することにした。 相棒は東急玉川線の「穴守神社」の銭湯をピックアップした。 穴守神社は江戸末期に建てられた。開運の神様で、羽田の守り神だ。 そのご明治になり、日本初の飛行機が飛んだり、飛行学校が作られた。 地名の羽田が先で、あとから飛行場ができたのである。 戦後になり、羽田空港のど真中にある鎮守様の「穴守神社」が邪魔になった。 羽田空港拡張のために、多摩川のこっち側に穴守神社が移された。 穴守神社から10分も歩かないうちに六郷大橋にでる。 昔の羽田の渡しである。いまでも船宿が健在だ。昔は江戸前の漁業が 盛んだった村である。 羽田の渡しから歩いて2分のところにその銭湯はある。 なんともレトロな感じが懐かしい「重の湯」である。 ここの湯は、ゆったりしていて気持ちがいい。 大きくはないのだが、すごく落ち着く昔風銭湯なのだ。 なぜかと考えていると、ペンキ絵の奥松島風のどっしり落ち着いた絵。 高い破風天井、ゆったりしたカラン・・・ これが絶妙のバランスなのだ。
2009.05.10
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ここのところ三日間脳味噌が 酒漬け状態であった。 話はさかのぼる。 連休最後の日、BBQパーティの招待状が届いた。 西荻窪から少し奥にはいった閑静な住宅街である。 周りには武蔵野の雑木林がまだ残っている。 その大邸宅のところだけ緑に囲まれているのである。 そこでのガーデンパーティ。 浮き浮きと夫婦で出かけた。 うまくいくと我がダッチオーブン料理の腕の見せ所である。 しかも我が最大の趣味、焚き火三昧ができるのである。 しかしである。 運命の神は気まぐれである。 到着するやいなや、雨が降り出した。 火起こしするも、ベランダの軒下でのバーベキューと相成った。 仕方がない室内でのワインパーティだ。 庭一面のガラス戸に映る深緑が雨に打たれて綺麗だ。 よく冷えたシャンパンがうまい。 やはり泡ものはシャンパンに限る。 ポンポンと3本が空く。その銘柄もそれぞれ個性があり旨い。 それからメドックのシャトーワインが続々登場。 バーベキューもうまいが、ご夫人達が持ち寄ったご馳走がこれまた 格別の味である。 調子に乗ってよく食べよく呑んだ。 おお、脳味噌がスキップを踊りだした。 まだ8時と言うのに珍しくダウン。 脳味噌が酒漬け状態になったようだ。 タクシーを呼んでもらってあえなく退場。 こういつときに妻と一緒なのは心強い。 9時に就寝。ああすでに夢心地・・・。
2009.05.09
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私は若い頃、学生時代の友人の結婚式の司会を18回やったことがある。 一番最初は心臓ドキドキ、口パクパクであった。 次第にリズムが分かり、人を笑わせるのが面白くなった。 真剣に司会業をやるのもいいかと思ったこともあった。 でも最近、結婚式にはとんとご無沙汰である。 4日の横浜コンチネンタルホテルの結婚式の招待状がきた。 アントレプレナー塾一期生の結婚式である。 こんなに嬉しい結婚式はない。 わくわく気分で出かけた。 綺麗でしかもハートナイスな素敵な花嫁である。 新郎は、アントレプレナー塾の一番弟子。 在学中に老人介護紹介の会社を立ち上げた。 本も出版した。「だまされるな老人介護施設」 クリエーターズネクストのCEOである。 二人の馴れ初めがまた半端じゃない。 彼は25歳。彼女は一回り上である。 彼女は彼の大学の生協のお姉さん。 新入生で一目見て彼はくらくらきたそうだ。 それからの一回り下の彼のアタックがまた凄い。 なんと顔を覚えてもらうために彼女のレジに、一日で十回消しゴムを 買いに行ったそうだ。 わたしは、前に彼から「恋愛とマーケティングの関係」について聞かれた。 「恋愛もマーケティングだ。ポリシーをもって、顧客満足させろ。相手を喜ばせる ことをやり続けろ。マーケティングとは愛だ」と。 結婚式の主賓テーブルに着くと、新郎からのメッセージが置いてあった。 「塾長 私は塾長に二つの約束をしました。 ひとつは『世界を変える起業家になること』。 もうひとつは、『塾長の作品として恥ずかしくない男になること』 そして今日、もうひとつの約束をさせて下さい。 大きな会社を作って必ず恩返しをします。 塾長、大好きです」 嬉しさと涙がこみ上げてきた。 男冥利に尽きる。 72回、手弁当の寺子屋塾、アントレプレナー塾を72回続けていて 本当によかった。 望君、塾生たちよありがとう。
2009.05.06
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最近、学生時代の思い出にふけることがある。 わたしの場合、前だけをみて突っ走るタイプなので、過去を振り返る ことはほとんどなかった。うーん、年輪を経てきたせいかもしれない。 渋谷道玄坂でスラムドック$ミリオネアーをみたあと、恵比寿に急ぐ。 6時半。改札口で二人に逢う。 いつもお店は私の担当である。さあ、どこにしようか・・・ ちょっとお洒落にイタリアン・バールにする。 ここは早くしないとメチャ混む。 一皿300円から千円の小皿がうまいのだ。 新鮮野菜をニンニクソースでつけて食べるバーニャカウダも800円と お手ごろ。パルマ産の生ハムもうまい。 話は今年のイベント企画。 ここのところ毎年一回は泊まり込みの同窓イベントをやっている。 最初は旅行会、最近はイベント。かれこれ十数年続いている。 その幹事役がN君と私とK君。 昨年は熊谷まで出かけて、太田裕美と伊勢正造のアコースティック コンサート観戦と日本近代化の父・渋沢栄一探求の旅であった。 実を言うと、この仲間たちは学生時代音楽ビジネスサークルを 一緒に立ち上げた草創期のメンバーなのだ。 恐らく当時としてははじめて、学生だけの手で、コンサート企画、販売 運営も手開けたサークルであった。 当時我々が実施したコンサートは今思うと凄い顔ぶれだった。 谷村新司などのアリス、さだまさしなどのグレープ、荒井(松任谷)由美、 オフコース・・・・・・ これらの交渉から、チケットの販売、当日の運営をすべてやっていたのだ。 まあ、今風に言えば音楽ベンチャーを学生時代に立ち上げていたような ものである。 会場はお金がなかったので、昭和女子大のひとみ講堂や、青学講堂 などを低料金で借りた。 チケットは自前で刷って足で売り歩いた。 懐かしい青春時代である。 今年は秋に、そのアリス復活コンサートを鑑賞し、縁会という企画だ。 さあ昔の仲間が何人集まるか? このごろ皆、本業が忙しい。生き残りをかけているのだ。 そろそろゆとりをもって仕事をしたいのだが・・・・ まあ、今のご時勢だからなぁ。
2009.05.05
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最近、学生時代の思い出にふけることがある。 わたしの場合、前だけをみて突っ走るタイプなので、過去を振り返る ことはほとんどなかった。うーん、年輪を経てきたせいかもしれない。 渋谷道玄坂でスラムドック$ミリオネアーをみたあと、恵比寿に急ぐ。 6時半。改札口で二人に逢う。 いつもお店は私の担当である。さあ、どこにしようか・・・ ちょっとお洒落にイタリアン・バールにする。 ここは早くしないとメチャ混む。 一皿300円から千円の小皿がうまいのだ。 新鮮野菜をニンニクソースでつけて食べるバーニャカウダも800円と お手ごろ。パルマ産の生ハムもうまい。 話は今年のイベント企画。 ここのところ毎年一回は泊まり込みの同窓イベントをやっている。 最初は旅行会、最近はイベント。かれこれ十数年続いている。 その幹事役がN君と私とK君。 昨年は熊谷まで出かけて、太田裕美と伊勢正造のアコースティック コンサート観戦と日本近代化の父・渋沢栄一探求の旅であった。 実を言うと、この仲間たちは学生時代音楽ビジネスサークルを 一緒に立ち上げた草創期のメンバーなのだ。 恐らく当時としてははじめて、学生だけの手で、コンサート企画、販売 運営も手開けたサークルであった。 当時我々が実施したコンサートは今思うと凄い顔ぶれだった。 谷村新司などのアリス、さだまさしなどのグレープ、荒井(松任谷)由美、 オフコース・・・・・・ これらの交渉から、チケットの販売、当日の運営をすべてやっていたのだ。 まあ、今風に言えば音楽ベンチャーを学生時代に立ち上げていたような ものである。 会場はお金がなかったので、昭和女子大のひとみ講堂や、青学講堂 などを低料金で借りた。 チケットは自前で刷って足で売り歩いた。 懐かしい青春時代である。 今年は秋に、そのアリス復活コンサートを鑑賞し、縁会という企画だ。 さあ昔の仲間が何人集まるか? このごろ皆、本業が忙しい。生き残りをかけているのだ。 そろそろゆとりをもって仕事をしたいのだが・・・・ まあ、今のご時勢だからなぁ。
2009.05.05
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時間が余ったので映画を見ることにした。 5月1日、仕事が休みなのに、同窓会の打ち合わせを夜に入れてしまった。 うーむ、時間が中途半端だ。 そうだ。1日は映画デーである。 仕度もそこそこに家を飛び出す。渋谷に直行。 レッドクリフをみたかったが、どの回も満員。 スラムドック$ミリオネアーにする。 アカデミー賞作品賞など8部門を獲得したインド映画の名作だ。 テンポがいい。スリルとサスペンスの連続。 物語はスラム街で育った少年が数奇な人生を経てクイズ番組で ミリオネアーを獲得する。 少年は何があってもあきらめない。 夢はかならず実現するのだ。 おっと6時20分。恵比寿で6時半待ち合わせ。 これから学生時代の悪友達と会うのだ。 さあ、今日も楽しい飲み会・・・・
2009.05.04
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渋谷オーチャードホールのコンサートに行った。 kokiaのソロ・コンサートである。 コキアは、幼いころから家にあったピアノを弾き、曲を作りだした。 オペラ歌手を目指し、桐朋音大に進むが、作詞作曲兼歌手としてデビュー。 シャンプーのCMソングや、アテネオリンピックの正式応援ソング「夢が力」 が大ヒット。クラッシックを捨て、J-POPの世界に。 早くから海外での評価が高い。 特にヨーロッパでは大人気で、パリではスタンディングオベーションの連続。 開演のベル。 非常灯も消え、真っ暗闇となる。静寂が数分続く。 ついにTOKIAのシルエットがうっすらと浮かぶ。 桜の花びらがひらひらと舞う。幻想的な世界だ。 そして澄んだ歌声が会場に響く。 なんと美しい声だ。声がまるで楽器のように美しい音色を奏でる。 心に響く歌声。 隣のパートナーの顔は涙だらけ。ハンカチで隠している。 歌声だけで、魂に響き感動するのだ。 なんて素晴らしいコンサートだ。 TOKIAのお母様のところに挨拶に行く。 トキア衣装は夜なべしてすべてお母様が手縫いしたとのこと。 トキアは気張らず自然に声をだしている。 自由に楽しむように歌っている。 だから、感動させるのであろう。 「よかったら、娘に挨拶していかない?」 「ええ、いいんですか。ハイ、勿論」 二階の特別室に入れてもらう。 TOKIAと一緒に写真を撮る。とっても気さくで自然体だ。 ああ次回もコンサートに来よう。 どうやら私もファンになったようだ。
2009.04.30
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日曜日、心友三人が銀座に集まった。 2時から夕方まで三方よしの理想的ビジネスモデルよいコトnetの打ち合わせをした。 おなかがすいた。軽く一杯いこうということになった。 そこで私の登場である。 ようし、湯上りの一杯ツアーをしようか。これは凄いぞ・・・ ということで、みつおか印認定の三ツ星極楽湯にまずいくことになった。 武蔵小山にある天然温泉清水湯である。 あまり知られていないが、駅前の路地を入っていくと戦後の飲み屋街が出現する。 清水湯は極楽温泉である。なのにたったの450円。 どう見ても湯河原か箱根の旅館である。昨年全面改装したのだ。 前面木のフローリング。実に綺麗で気持ちがいい。 風呂は石のタイルとヒノキ造り風。 天然温泉の源泉はなんと二つもある。 星空が見える露天風呂が二つ。 湯質は高張性弱アルカリ温泉。 つまりすべすべヌルヌルの美人の湯である。 まさに何時間でもいたい極楽湯なのである。 さあ、体もぽかぽか。さあ、湯上りの一杯と行こう。 そうだ。幻の焼酎居酒屋に行こう。 ここは秘密のベールに包まれている。 絶対にマスコミに出ない。看板もない。 ヒントは住宅街、扉も見つからない黒塀の入り口。 ただ凄い居酒屋なのだ。 180種類のプレミアム焼酎の品揃え。 しかも天然活け締めの鮮魚しか扱わない。 馬刺し、地鶏、ヤミ豚・・・・・。九州のお味がずらり。 さあ、のどが鳴る。 荏原方面の住宅街をひたすら歩く。 さてお店は見つかるのであろうか・・・・
2009.04.29
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銀座アントレプレナーゼ女性起業塾の説明会をやった。 凄い熱気である。 皆、眼差しがキラキラしている。 どの女性も皆、輝いている。遠くは福島から駆けつけてくれた。 ちょっとどきどき塾長の私が話し始める。 ええ、時代は今、女性が活躍できる時代へと変わりつつあります。 繊細な感性、思いっきりのよさ、おもてなしの心・・・・ いまこそ、女性だからできることがあります。 志しや夢のある女性こそ、 自分のライフスタイルや時間帯を活かすことができる「起業」に 最適なのであります。 いや、起業というより、 自分の夢を実現させるといったほうがいいかもしれません。 この塾は皆さんの夢を育て、その夢を実現するお手伝いをします。 私が塾長を務めますが、素晴らしい外部スピーカーを揃えました。 輝く女性社長を何人かお呼びします。 例えば泊まるだけで世界の貧しい人たちの役に立つ伝説のホテルを作りたい、 そんなでっかい夢を抱いた普通のOLがいました。 その女性が周りの人たちにその夢を語り続けました。 そしてついにその実現に向けて会社を作ってしまいました。 ついに九十九里に3000坪の土地を手当てしてしましました。 伝説のホテルは来年6月にオープンします。 そのザ・レジェンドホテルの鶴岡秀子CEOゲストスピーカーとして きていただき、夢の講演をしていただきます・・・ 第一回 5月23日(土) ~心のスイッチの入れ方~ Baby-j女性社長 第二回 6月13日(土) 左脳を磨く ビジネス脳の作り方 塾長 第三回 6月27日(土) マーケティングの基本を身に身に着けよう 縄文コミュニケーション社長 補講 6月28日(日) 心のセットアップとビジネス脳作り 塾長 第四回 7月11日(土) 最初の一歩を踏み出そう 塾長 第五回 7月25日(土) 夢を実現する! 夢の講演 ザレジェンドホテル CEO 第六回 夢のプレゼンテーション 輝く女性社長に向けて 輝いている女性社長講演 塾生の卒業プレゼンテーション どうですか。貴女も輝ける女性社長を目指しませんか? 貴女の夢実現のお手伝いをします。 7時終了の予定が結局、9時終了となった。 これからの授業が楽しみである。
2009.04.27
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銀座アントレプレナーゼ女性起業塾の説明会をやった。 凄い熱気である。 皆、眼差しがキラキラしている。 どの女性も皆、輝いている。遠くは福島から駆けつけてくれた。 ちょっとどきどき塾長の私が話し始める。 ええ、時代は今、女性が活躍できる時代へと変わりつつあります。 繊細な感性、思いっきりのよさ、おもてなしの心・・・・ いまこそ、女性だからできることがあります。 志しや夢のある女性こそ、 自分のライフスタイルや時間帯を活かすことができる「起業」に 最適なのであります。 いや、起業というより、 自分の夢を実現させるといったほうがいいかもしれません。おまるだけで この塾は皆さんの夢を育て、その夢を実現するお手伝いをします。 私が塾長を務めますが、素晴らしい外部スピーカーを揃えました。 輝く女性社長を何人かお呼びします。 例えば泊まるだけで世界の貧しい人たちの役に立つ伝説のホテルを作りたい、 そんなでっかい夢を抱いた普通のOLがいました。 その女性が周りの人たちにその夢を語り続けました。 そしてついにその実現に向けて会社を作ってしまいました。 ついに九十九里に3000坪の土地を手当てしてしましました。 伝説のホテルは来年6月にオープンします。 そのザ・レジェンドホテルの鶴岡秀子CEOゲストスピーカーとして きていただき、夢の講演をしていただきます・・・ 第一回 5月23日(土) ~心のスイッチの入れ方~ Baby-j女性社長 第二回 6月13日(土) 左脳を磨く ビジネス脳の作り方 塾長 第三回 6月27日(土) マーケティングの基本を身に身に着けよう 縄文コミュニケーション社長 補講 6月28日(日) 心のセットアップとビジネス脳作り 塾長 第四回 7月11日(土) 最初の一歩を踏み出そう 塾長 第五回 7月25日(土) 夢を実現する! 夢の講演 ザレジェンドホテル CEO 第六回 夢のプレゼンテーション 輝く女性社長に向けて 輝いている女性社長講演 塾生の卒業プレゼンテーション どうですか。貴女も輝ける女性社長を目指しませんか? 貴女の夢実現のお手伝いをします。 7時終了の予定が結局、9時終了となった。 これからの授業が楽しみである。
2009.04.27
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ついに本日、銀座アントレプレナー塾の説明会をする さあ、どんな魅力的な塾生が集まるのであろうか・・・・ どうですか。 貴女も輝く女性社長を目指しませんか?時代は今、女性が活躍できる時代へと変わりつつあります。繊細な感性、思いっ切りのよさ、おもてなしの心・・・・いまこそ、女性だからきることがいろいろあります。しかし、今の社会では、制度的に不利な点も多々あります。例えば、結婚・出産・子育てと、社会復帰が難しい状況です。そこで、志のある女性や夢のある女性こそ、自分のライフスタイルや時間帯を生かすことができる、起業に最適なのです。いや、起業というより、自分の夢を実現させるといった方が正解かもしれません。ほんのちょっとしたマーケティング発想や、考え方、生き方、習慣を少し変えるだけで、自分の夢をかなえる最高の方法を身に付けられるのです。アントレプレナーゼ(女性起業家)塾で、自分の夢を見つめなおし、志の高い仲間たちと、互いに夢を応援し、夢を叶えるチャレンジをしてみませんか。輝く女性社長を目指して・・・・。 さあ、25日土曜日、銀座で16時からです。 銀座アントレプレナーゼ塾 塾長
2009.04.25
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最近、桜の開花期間が長くなった気がする。 開花してから肌寒い花冷えの気候が続くからだろうとてっきり思っていた。 しかしまったく違う原因であることを教えてもらたった。意外であった。 皆さんは何が原因だと思いますか? えっ、それって本当と思うかもしれない。 受粉を仲介する昆虫が少なく、種の保存の本能で開花期間が長くなっているのである。 ミツバチは、環境指標生物と言われる。 農薬に弱い。農薬散布の花の蜜を吸うと死んでしまう。 今、日本ではミツバチがどんどん少なくなっている。 果樹園の受粉が出来なくて困っている農家が増えている。 昨日の銀座共鳴館は、銀座みつばちプロジェクトの推進者田中敦夫さんである。 今、マスコミで引っ張りだこの人である。なのに快く引き受けてくれた。 感動した。凄い話である。日本も捨てたものじゃない。銀座は凄い。 田中さんはよく通る声で、淡々と語り始めた。 田中さんは一介のサラリーマンであった。 四年前、まったくの偶然で、養蜂家藤原さんと知り合った。 どこかビルの屋上で蜂をかえないかなぁ。どこも断られちゃうんだ。 そんな藤原さんの一言に、田中さんが何気なく言った一言がすべての始まりだった。 じゃあ、うちのビルの屋上でやったら・・・・・ 当時、紙パルプ会館の部長だった田中さんが会社でその話をしたら、 予想外であった。社員の猛反対を受けたのだ。 テナントさんが反対する。お客様が刺されたらどうするの・・・・ ここから田中さんと藤原さんの挑戦がはじまった。 二人の男の遊び心が、人を動かし、人の心をつないだ。 そして銀座のビルの屋上が次々に花で埋まった。ビーガーデンに賛同する ビルオーナーが次々に出てきた。 いつの世でも、銀座は変わったイノベーターが出現する。 それを受け入れ発展してきたのが、銀座の旦那衆の懐の深さである。 昨晩も皆の魂が共鳴した。ああ、銀座共鳴館をやっていてよかった・・・・
2009.04.24
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突然舞い込むご招待状は嬉しいものがある。 連休中の渋谷オーキッドルームでの世界的なソロコンサートのご招待状。 これは嬉しかった。 なんと同じ日にもう一通のメールが舞い込んだ。 中学時代の友人からだ。 内容は、大相撲の中日の日曜日の桟敷席が取れたがいかないかと言うもの。 これも飛び上がって喜んだ。 私は小さい頃おじいちゃんこだった。 祖父は大の相撲好き。時たま桟敷席が取れたと連れて行ってくれた。 あの頃の桟敷席は凄かった。 ご馳走の嵐。お土産の山であった。 中でも一番好きだったのは、なとりの焼き鳥がぎっしり詰まっった折り詰め。 そして目の前を通る巨体の力士達。 もうそれだけで興奮した。 お土産は重かった。風呂敷がいくつもあった。 相撲絵の陶器類が思った。 お菓子や行司軍配のチョコレートは食べるのがもったいなかった。 しかも桟敷席は飲み物が呑み放題。 バヤリスオレンジを何本も飲んだ。 ああ、日本の国技、大相撲の桟敷席。 日本の接待の原点である。 やはり持つべきものは友である。 感謝・深謝・多謝・・・・・ただただ謝謝である。
2009.04.23
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すべての趣味や職業で男女平等が進んでいる これは非常に望ましいことである。 だがである。それぞれの特性があるのでちょっとさびしい気もする。 例えば看護婦さん。やはり病気のときは白衣の天使の笑顔がみたい。 相撲協議会も女性が入る時代である。 英国ジェントルマンズクラブも女性の入会を認めた。 そんな中、男だけに許された趣味がある。 何を隠そう「野宿」である。 南大雪山系の野天風呂に一人浸かる著者 野宿と言っても誤解しないでもらいたい。 新宿あたりでたむろしているのとは違う。 れっきとしたアウトドア野宿である。 これはまず国土地理院の二万五千分の一地図の購入から入る。 野宿できると踏んだ地域の地図を買う。 これが難しい。 まずは水源の確保。上流に人家らしきものがないところ。 車道が通ってないところ。平地が確保できるところ。 要は寝る場所を地図の上で探すのである。 文明の利器はなるべく持ち込まない。 寝袋、懐中電灯、コッヘル、ステンレスコップ、携帯のこぎり、鉈、酒、食料。 これだけである。バナーも、ランタンも持込禁止。 まずは駅周辺で食料をゲット。 例えば奥多摩の駅からただひたすら歩く。 上り詰めて人里離れた川のほとりを探す。 まずやることは水源の確保。飲める水か確認。 次は寝床の確保。これが結構時間がかかる。 まずは熊笹を大量に刈る。これは重要だ。次に平地を探す。 これでふかふかのベッドメーキングをする。 この出来不出来で寝心地が決まる。 次にかまどの設定。小川から石をせっせと運ぶ。 蒔きの確保。ここで携帯ノコギリが威力を発揮する。 枯れ木を切って、薪を作るのだ。 これをちゃんとやらないと夜恐ろしいことになるのだ。 何しろ夜は真っ黒。星の光と焚き火だけだ。 それに野犬や熊も怖い。そのときの守ってくれるのが炎の火。 ここまでくるとあとはやることがない。 時間がゆっくり流れる。 焚き火の火をみながら酒をかっ食らう。 それぞれの昔話を自慢しあう。馬鹿話にふける。 これから男の料理である。 椎名誠伝授の永遠の鍋にしよう。 ニンニクと丸鳥を鍋にぶっこんでただぐつぐつ煮る。調味料は塩、ポン酢。 4,5時間グツグツ煮込むといい匂いがしてくる。 キャベツを手でちぎってぶっこむ。 これを肴に、芋焼酎を飲む。 あたりは薄暗い。薪をくべる。 鶏肉がとろけるように柔らかい。ポン酢をたらしいて食べる。 またキャベツをぶっこむ。 お次は麺をぶっこむ。 自然塩で味付けする。最高の鳥そばができる。 野菜でも豆腐、油揚げでもでも、何でも食材をスープにぶっこむ。 こうして鍋は形を変えて永遠に続くのである。 そろそろ9時。あたりは真っ暗。 この辺から、バーボンに変える。 ステンレスコップからちびちび飲む。 森をみると、時々けだものの目が光る。野獣の雄叫び。 おお怖わ、薪をくべ火を大きくする。 適当に寝袋にもぐる。 だらだら話しながらウトウト。 夜風に吹かれて目が覚める。 目を開けるとなんとそこは満点の星空。 一瞬、夢かと見間違う。 そうか、今宵は男に残された最後の砦、野宿をしているのであった。 どうですか? 男性諸氏よ。 草食から肉食へ。 女人禁制の野宿をしてみませんか・・・・・
2009.04.22
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なぜか人は焚き火の炎を見ると心が落ち着く ゴルフ、野球、フットボール・・・。男の趣味はいろいろある。 しかし、どれもせいぜい百年足らずの歴史である。 ものの本を紐解くと、人類と猿の進化を分けたものは、二足歩行と焚き火である。 火の使用は人を野獣から守り、家族の団欒を約束してくれたのだ。 また火を利用した調理は、人の脳を発達させた。 要は、焚き火は人類最古のたしなみである。 人は焚き火を見ると心が癒される。 私はつねづね密かにこれはf/1の揺らぎに由来すると類推している。 毎回同じ形をしているようだが、よく観察すると同じ形の炎はない。 これと同じものに、万華鏡、波打ち際の波の形、海に沈む夕日などがある。 これらはすべて、リラックスしたときに出る脳波アルファ波を誘発する。 九十九島の夕日 これは最高だったなぁ・・・ だから焚き火は心を落ち着け、しかも安心・安全の人類最古の記憶を潜在的に 引き出してくれる。 焚き火と野宿は、男に残された最後の砦である。男のたしなみなのだ。 私はまだご幼少の頃、ララミー牧場などの西部劇に魅せられた。 私の焚き火の師匠の一人に菊池さんなる勇者がいる。 彼は凄い。焚き火で会社を辞めてしまった男である。 この話をすると少々長くなる。ちょっとはしょって書こう。 彼は電通マンであったが、子供の頃からカウボーイに憧れていた。 その夢が嵩じてついに、会社を休んで、アメリカ西部のカウボーイ学校に 短期留学した。 しかし甘くなかった。来る日も来る日も馬に乗り、牛を追いかける毎日。 想像以上の重労働であった。 そんな彼を救ったのが焚き火であった。 炎を見ているだけで疲れが吹っ飛ぶ。しかも焚き火の上には朝に仕込んだ 鉄鍋がぐつぐついっている。肉と野をトロトロに煮込んだ豆スープだ。 この豆スープに、バーボンウイスキーをがぶ飲みする。 焚き火の暖かさに誘われて、星空のもとで野宿・・・ かれはこの思い出が忘れられなかった。 帰国後、サラリーマンが馬鹿馬鹿しくなってついに彼は会社に辞表を出す。 そして彼は、あのカウボーイの鉄鍋、つまりダッジオーブンの普及活動に入る。 日本ダッジオーブンソサエティJDSを設立したのだ。後援は三井物産とロッジ社。 そして何を隠そう、私は菊池さんに誘われて、JDS正式会員となった。 一時、焚き火と野宿に嵌ったのだ。 この話をするとながくなるのでこの辺でやめよう。 男に残されたたしなみのひとつは、焚き火と野宿である・・・・・・ 次は野宿のススメを書こう。
2009.04.21
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快晴の日曜日、年老いた両親を連れて豪徳寺に行った。 まさに春爛漫。 一年で一番気持ちのいい気候だ。 暑くなく、寒くない。しかも新緑が目に眩しいのだ。 たまには親孝行をと思い、豪徳寺に車で行った。 世田谷の道は本当に難しい。ちょっと小道に入るともうお手上げ。 ナビも役に立たない。 ようやく着いた豪徳寺は素晴らしかった。 新緑の緑に囲まれた豪徳寺。参道は八重桜の花吹雪。 寺内は牡丹が満開。 これが実に綺麗だ。 やはり、日本家屋には牡丹が似合う。 薔薇もいいが、寺には牡丹である。 父は以前、よく日本画で牡丹を描いた。 庭には桃色の大輪の牡丹を植えていた。 よほど懐かしかったのか、牡丹の前から動こうとしない。 じっと見つめている。嬉しそうだ。 豪徳寺は左甚五郎の招き猫でも有名だ。 どうですか、招き猫が呼んでいます。 今週末、世田谷線の豪徳寺に行ってみては?
2009.04.20
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このところ、毎度土曜日遠くの歯医者まで治療に通っている。 食いしんぼ坊の私が歯を大切にしてこなかった償いなのだが・・・ それにしても予約がいつも中途半端な午後になる。 昨日も治療が終わったのが2時50分。微妙な時間である。 そうだ。相棒に電話をしよう。中学時代からの付き合いだから以心伝心。 痛い歯を我慢しながら携帯を取り出す。 「ああ、もしもし三丘だけれど、元気? 今何しているの? 」 「ああ、ちょっとパソコンで作業」 「あのさぁ、ちょっとあんまりに天気がいいんだけど、気分転換しない?」 「ええ、何するの?」 「銭湯・・・」 「あははは・・時間は?」 「今から40分後に豪徳寺」 「よし分かった。じゃあ、世田谷線の山下の駅でね」 お互いに早い。学生時代からうん十年の付き合いだから。 ただ相棒はすごい奴である。ご夫婦ともに大学教授。 学生から信頼の厚い先生である。 鷺沼から急行に飛び乗り、三軒茶屋へ。 そこから世田谷線へ。 この電車は私の最も好きな電車である。 子供の頃、渋谷から丸っこい一両編成の緑の玉電に乗るのは 旅行に出かけるみたいでわくわくした。 いまでもあたりの風景や生活観がにじみでている。 そしてスピードが人間の目に優しい。江ノ電も同じである。 相棒と山下の駅で会う。じゃあ、鶴の湯に行こうと相棒が印をつけた 地図のコピーを示してくれる。ナビはすべて相棒に任せる。 商店街を抜けて住宅街に。 途中、豪徳寺に寄る。ここはあまり知られていないが、安政の大獄の 井伊直弼の菩提樹である。だから井伊家代々の彦根藩城主の墓がある。 ここの寺は好きな一つである。こんもりした緑が心を和ませる。 なんと、紅白、ピンクの大輪の牡丹が満開であった。 ここの牡丹は一見の価値がありますぞ。写真機を持ってくればよかった。 お風呂は鶴の湯。 この名前は多い。前に紹介した映画「送り人」のロケに使われた 鶴の湯は世田谷線の松蔭神社にある。お隣の渋谷区にも鶴の湯がある。 豪徳寺の鶴の湯もこじんまりしているが、オーソドックスなレトロ銭湯だ。 破風作りに、木の高い格子天井。壁一杯のペンキ絵。 ただここのは、富士山でなく、陸中海岸。 うーん、暑くも寒くもなく、いい湯だ。 みつおか印認定の一つ星湯の上質湯に認定しよう。 湯上り気分で、ちょっとお散歩。ぶらぶら松蔭神社商店街へ。 そしてここはいい喫茶店が多いのだ。 カフェで、一杯。そしてケーキと洒落込もう。 ああ、湯上りの一杯は最高である。ダージリンの最高の香り・・・
2009.04.19
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私の隠れた趣味のひとつは焚き火である。 書類で何かと趣味を書かされる場合がある。 私はつとに迷う。焚き火と書くべきかどうか・・・・ また話の中で趣味を聞かれる時は、相手をよくよく観察してから言う。 ええ、私の趣味は火遊びです。いやいや正確には「焚き火です」と。 小さいときから庭で落ち葉を集めて燃やすのがこの上なく好きだった。 だからよく両親に叱られた。火は火事になるから気をつけなさいと。 一度、祖母とお芋を水で濡らした新聞紙にくるんで焚き火に放り込んだ。 置き火の中からおそるおそる取り出す。まわりの新聞紙は真っ黒に焼ける。 しかしその中からふっくらした焼き芋が現れた。その美味しいこと。 今でも忘れられない味である。 焚き火リストには三種類ある。 海派、山派、川派である。私は山派である。 焚き火リストにも作法がある。まずバーナーや着火剤などを使わない。 マッチと新聞紙だけで着火する。ただ達人ともなると新聞紙も使わない。 油紙の紙縒りなどを常に用意している。 焚き火の組方もそれぞれ流派がある。 焚き火の話をすると止まらないのでこの辺で本題に戻ろう。 一時、焚き火Barなる稀にして真の男の隠れ家Barなるものに嵌ったことがある。 これを探すのは難しかった。何しろインターネット検索などない時代だった。 ついに三軒見つけた。銀座、白金、代官山である。 今もやっているかどうかは分からない。 そのうち一番のお気に入りは代官山だであった。 代官山と言っても浦の裏。住宅街の坂の中腹に一軒ぽつんとある。 ちょと洒落たカフェ風である。 まずはカウンター席が6,7席。 左奥に隠れ家スペースがある。 秋から冬になるとなんと奥の角に薪式暖炉が登場するのである。 その前に三席だけの特別席がある。 ここをいつも陣取るのである。 ゆらゆらとゆれる炎。真っ赤な火。 もうこれをみているだけでひとりで何時間でも飽きないのである。 しかも顔見知りの私は、勝手に薪をくべて焚き火の醍醐味を味わう。 もうこのうえない癒しの世界である。 ここには常連客だけの隠しメニューがある。 チョコレートマシュマロである。 これを焚き火の前で注文すると、竹串に刺さったマシュマロが登場する。 これを焚き火にかざすのだ。 すると回りは溶け、熱々。中は柔らかくチョコレート味が口中に広がる。 最高の食感と、温度、風味である。これは病みつきになる秘められた味だ。 ああ、焚き火リストにとっての秋が待ち遠しい。
2009.04.18
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日本を変える志のある学生と切磋琢磨する寺子屋塾も7年目に突入した。 私は蓮池さんらの拉致被害者が25年ぶりに北朝鮮から戻ってきた ニュースに衝撃を受けた。 25年の歳月。人はこんなにも変わってしまうのかと・・・。 自分に置き換えるとちょうど大学生になった頃である。 それから今までの間ずっと北朝鮮に強制抑留されていたのかと思うと ショックを受けた。その間、自分は何をやってきたのか? それからずっと何か社会に自分で還元できることやれないか悶々としてきた。 そして学生時代の指導教授から言われた言葉を思い出した。 「いいか、みつおか。世の中は順送りだ。恩返しをし ようと思ったら俺に返すな。後輩達に返せ」 そうだ、日本を変える志のある学生を教える寺子屋塾を手弁当で月一回 開こうと決心した。 私は大学院時代、カナダ人の先生から「アントレプレナーシップ」という 分厚い原書を教わっていた。 正直言うとその頃は、アントレプレナーシップという言葉じしんよく 分からなかった。社会にでてようやくその言葉の意味が少しずつ理解できて きた。 「起業」をテーマに、アントレプレナー塾を6年前に開いた。 最初は4人の学生が集まった。慶應の藤沢校の帰国子女が多かった。 皆生意気な奴らばかりだった。 目をらんらんと輝かし、挑発的な質問の連続だった。 「俺は納得がいかない。単なる金儲けと、ビジネスはどこが違うのですか?」 5時間、6時間ぶっつづけの授業が続いた。 私の情熱と生徒のパワーがぶつかった。 2回目から塾生たちの態度がガラッと変わった。 私のことを塾長と心から呼ぶようになった。授業は土曜の1時から 夜の9時間まで食事抜きで熱中することもあった。 この5月でアントレプレナー塾も7年目に突入する。 多くの塾生たちが巣立っていった。 いろんな学生が集まった。慶応大学、法政、明治、東大、東工大、 学芸大、一橋大、早稲田、青学、・・・・・・ お呼びした外部のゲストスピーカーも25人を超えた。 輝く社長22人、大学教授2人、マーケティングプランナー1人。 巣立っていった塾生たちは、組織に入ってその組織を変えていくもの、 また学生で会社を起業するもの、官庁に入って日本を変えていくもの・・・。 そして今ではアントレプレナー塾は半分以上が社会人である。 今年のテーマは、「社会起業」である。 ここでまた一つの決心をした。 日本や社会を変えていくのに必要なのは、女性のパワーではないかと。 しかし今の社会では女性が輝く社長になるのには壁が多い。 結婚、育児、家庭などいろいろある。 そうだ志のある女性の夢を叶えるお手伝いをしよう。 そんな夢の寺子屋塾を開こうと決心した。 社会人の女性限定で、5月から「アントレプレナーゼ塾」を開講します。 その無料オリエンテーションとささやかなパーティを4月25日(土)に 16時から19時まで銀座で開きます。 どうですか。参加しませんか。 このブログをお読みの方は特別にご招待します。 ご希望の方は、左のバーの、「メールを送」るから参加希望と書いて お送りください。 貴女の夢を実現させましょう。 人生が変わります。素敵な仲間が増えます。 今回は素敵な女性社長も外部講師としてお招きします。
2009.04.16
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出張中、新幹線の中で私の携帯が鳴った。 ああ、もしもしみつおかですが・・・ビービービー すぐにトンネルにかかり、通話が続かない。 みつおかさん、あのー、14日の夜って空いてません? うーん、その・・・・・ 学士時代の同窓で、広告制作会社のS社長からであった。 イタメシ屋で会食しませんかというお誘いである。 店名を聞いておったまげた。そして飛び上がるように喜んだ。 「ハイハイ、行きます。絶対に行きます・・・・」 あの予約の取れない隠れ家イタリアン、「リストランテ濱崎」である。 私も妻も一度は行ってみたかった憧れのイタリアンである。 場所は本当に分かりずらい。 東京ウオーカーの私をもってしても迷った。 表参道と外苑前の中間の住宅街の中にあるのだ。 しかも路地は行き止まりのところにお店がある。看板もない。 しかし、木のモダンな扉を開けると、そこはもう高級にしてシンプルな ミラノの雰囲気であった。 ギャルソンがうやうやしく向かいいれる。 小さな紙に書いたアペリティフのリストを説明してくれる。 うーん、スプマンテもいいがここは気取って、ドライシェリーと行こう。 最初のアミューズは、網状の黄色い飴菓子のようなもの。 これはなに。食すとこれが最高のチーズ味。 パルミジャーノレジャーノの大きな塊を紙のように薄く切る。 そしてフライパンにオリーブ油をひき、こんがり焼き上げた芸術品だ。 これは凄い。最初からジャブが私のあごをクリーンヒットした。 これは只者ではない。きりりと冷えたドライシェリーにぴったりなのだ。 お次はままごとのように小さな真っ白なスープカップに小さな白磁のスプーン。 あまりに可愛らしい食器なので、まるでガリバーになった気分だ。 ところがこれがまた強烈なパンチだった。 小さなカップの中はうぐいす色。 空豆と生クリームのスープ。季節の香りがする。 ところが食べていくと今度は色が白く変わる。 パンチが完全に私の顔面を捉えた。 なんと淡路島産の新玉葱のスープに味が変わったのだ。 もうこの至福のスープに我を忘れた。 完全にダウンを喫した。スリップダウンだと言い聞かせて立ち上がる。 お次の前菜で何が出手来るのか。 ワインにする。イタリアンだがシャルドネの香りがする上品な白。 丸いお皿に色とりどりに盛られた前菜をみて完全にノックアウト。 これは何だ・・・・まるで懐石料理の八寸ではないか。 季節の素材を調理して8種類のご馳走が盛られている。 ガーン。ここで私は完全にダウンした。 もうこれ以上食べ続ける自信がなくなった。 隠れ家レストランでの至福の時間はまだまだつづく・・・・・・・ 請う。ご期待!
2009.04.15
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下北沢は若者の町である。活気に溢れている。 その昔、代々木上原、東北沢、下北沢は私のテリトリーだった。 隠れ家Barもチラホラある。隠れ家おでんやなどもある。 しかし、三線が交差しているためか、いつ行っても下北沢は方向が 分からなくなる。降りる方向で町の雰囲気が違うのだ。 久々に下北沢で飲んだ。 7時半。お店で集合。 ここの店は、凄い。あのざわざわした下北沢で、中に入ると別世界。 名前を明日香という。木の黒塀に緑の植え込み。大きな暖簾と小さな燈籠。 隠れ家割烹にふさわしいただ住まいだ。なにしろ雰囲気がある。 ガラガラと真っ黒の格子戸をあける。女将に名前を告げる。 個室に通される。 にじり戸を開ける。 そこは完全に茶室の世界。 天井の網代格子にふすまと和紙の壁。掘りごたつ。 依然来たときはカウンターであった。 なにしろ活きのいい魚介類がそれえてある。 料理は割烹懐石である。 基本はコース料理。 だが、アラカルトを頼むのも通だ。 まずはお通し。正方形の金の木の下敷きに楕円のお皿。 変わり豆腐の上にきのこと彩り野菜それにドカーンと雲丹が鎮座している。 とろとろのあんかけがかかっている。 白に賽の目の彩り野菜、そしてオレンジ色の雲丹。目で楽しめる。 口に運ぶと、温かい変わり豆腐に雲丹がとろけていく。 ビールをぐぐっと喉を潤す。 B級グルメが多い下北沢の喧騒の中で、ここは本当に静かだ。 値段はそこそこするが、味は銀座級である。 お次は、幅10センチ、長さ1メートルの細長いお皿に刻み氷が敷き詰めてある。 演出効果抜群である。 活きのいい赤貝、鰹のたたき、ミル貝、中トロ、アオリ烏賊、黒鯛・・・・・ ここは新鮮な黒鯛が売りである。 それに焼肉に出てくるように野菜にくるんで青ネギ、エシャロット、キュウリ そして黒鯛を乗せ特製味噌だれをつけて巻く。 これがうまい。いくら食べても飽きない。 お酒を芋焼酎のお湯割りに変える。 本日のメインは、はものしゃぶしゃぶにした。 これから京都では、はもの季節である。 鴨川べりの床で食すはもは季節の風物詩である。 どかーんと錫の銀鍋が置かれる。 だし汁がぐつぐつ音を立てる。隠し包丁が入ったはもを放り込む。 すぐに白い花が開く。 これを梅酢かポン酢で食す。 おおたまらない美味しさだ。 お酒が進む。 おおおー、これだからやめられない。 食は、人を良くすると書く。美味しいものは人を幸せな気分にしてくれる。 今宵も酔った。帰りは久々に茶沢通りを三茶まで歩いて帰ろう・・・・
2009.04.14
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青山周辺には大人のくつろげるBarが点在する 西麻布のように、青山や神宮前にも良質な大人のBarが豊富なのだ。 どちらかというと麻布には個性的な隠れ家系のバーが多い。 青山は、ゆっくりくつろげるお洒落系のバーが多い。 だから青山には、大人が一人で行けるBarがある。 昔、青山骨董通りの裏道の地下にお洒落なシャンパンバーがあった。 日本では日ごろ手に入りにくいレアーなシャンパンも揃えてあった。 フルートグラスに注がれたきりりと冷えたシャンパン。 きめの細かい泡が切れ目なく湧き出る。 キャビアにシャンパン。これは最高。 気分はもう、王侯貴族である。 マスターは日本語も流暢なイラン人であった。 9.11事件後、帰国すると言っていたが、どうしたであろうか。 話は変わる。青山にも隠れ家系を極めた隠れ家Barがあった。 その店の名は「マルクス」。 青山学院の裏門近くのとあるビルにあった。 うらびれたビルの最上階でエレベーターを降りる。 前の扉を開ける。 そこには6,7人しか座れない小さなカウンターと横のユーティリティスペース。 不思議な空間だ。パリの雑居ビルの中の一室といった風情だ。 それもそのはずだ。どうやらここは昼は画家のアトリエ、夜は隠れ家Bar。 ところがここに秘密の入り口がる。はしごの上に屋根裏部屋があるのだ。 ここが凄い。天井がガラス張りなのである。 ここにはソファもあり、本当に許された数人が座れる。 ここで飲むグラスは格別である。 真上に夜空の星空。雨の日もまたいい。パシャパシャと跳ねる雨粒の下で一人 静かに飲む酒はもう夢心地である。 どうやらここはもぐり営業であったようだ。 ぼやを出し、別の場所に移ったという噂である。 賢君諸兄にお願いがある。もしその後の消息をご存知の方はお教え願いたい。 ああ、一度、星空の元でカクテル「ムーンリバー」でも傾けたかったなぁ。
2009.04.13
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青山周辺には大人のくつろげるBarが点在する 西麻布のように、青山や神宮前にも良質な大人のBarが豊富なのだ。 どちらかというと麻布には個性的な隠れ家系のバーが多い。 青山は、ゆっくりくつろげるお洒落系のバーが多い。 だから青山には、大人が一人で行けるBarがある。 昔、青山骨董通りの裏道の地下にお洒落なシャンパンバーがあった。 日本では日ごろ手に入りにくいレアーなシャンパンも揃えてあった。 フルートグラスに注がれたきりりと冷えたシャンパン。 きめの細かい泡が切れ目なく湧き出る。 キャビアにシャンパン。これは最高。 気分はもう、王侯貴族である。 マスターは日本語も流暢なイラン人であった。 9.11事件後、帰国すると言っていたが、どうしたであろうか。 話は変わる。青山にも隠れ家系を極めた隠れ家Barがあった。 その店の名は「マルクス」。 青山学院の裏門近くのとあるビルにあった。 うらびれたビルの最上階でエレベーターを降りる。 前の扉を開ける。 そこには6,7人しか座れない小さなカウンターと横のユーティリティスペース。 不思議な空間だ。パリの雑居ビルの中の一室といった風情だ。 それもそのはずだ。どうやらここは昼は画家のアトリエ、夜は隠れ家Bar。 ところがここに秘密の入り口がる。はしごの上に屋根裏部屋があるのだ。 ここが凄い。天井がガラス張りなのである。 ここにはソファもあり、本当に許された数人が座れる。 ここで飲むグラスは格別である。 真上に夜空の星空。雨の日もまたいい。パシャパシャと跳ねる雨粒の下で一人 静かに飲む酒はもう夢心地である。 どうやらここはもぐり営業であったようだ。 ぼやを出し、別の場所に移ったという噂である。 賢君諸兄にお願いがある。もしその後の消息をご存知の方はお教え願いたい。 ああ、一度、星空の元でカクテル「ムーンリバー」でも傾けたかったなぁ。
2009.04.12
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隠れ家Barは男の心のオアシスともなりうる。 麻生首相はホテルのBarで、ゆっくりグラスを傾けるのを無常の喜びと されていたようである。私は大賛成。 料亭よりずっといいと思うのであるが・・・。いろいろお気の毒である。 現代の大人は一歩外に出れば七人の敵に囲まれている。 その敵の内容も随分変わり、時間だったり効率だったりストレスだったり 目標達成だったりする。 そんな時、自分を無にしてぱっと開放してくれる「心のオアシス」はぜひとも 必要である。 ガード下の赤提灯。これもいい。しかし仲間と愚痴っていると気持ちは いいが、どっしり重い膿が溜まることが多い。 どうです。男の心の「止まり木」として、隠れ家Barを利用してみませんか? 男のBarも大体三種類ある。 一つ目は、ホテルのBar 格式と風格漂うやや薄暗いスコッチスタイルの本格Barである。 二つ目は、カクテルBar. ちょっとお洒落で、ファッショナブルなニューヨークスタイルのBarである。 三つ目は、隠れ家Bar. 路地裏やええこんなところに、という非日常の大人のBarである だから特に看板をだしていないお店も多い。 霞町の裏道にポツンとある「甑」もその一つである。 根津美術館脇の坂をだらだらと下って行く。ここは白塀が続き 一瞬、江戸時代にタイムスリップしたような場所である。 周りはなにもない。隠れ家割烹が一軒ぽつんとあるだけである。 そこにコンクーリと打ちっぱなしの家がある。 鉄の扉があるだけである。 何を隠そうこれが秘密のBarへの入り口なのである。 昔は造り酒屋の目印の杉玉がぶら下っていたのだが、今は何もない。 この店は、「甑」と書いて、こしきと読む。 木目調の高級インテリアで統一された、心落ち着くまさに大人の隠れ家 である。しかも一見さんお断りである。 二十年前、この手の走りが麻布十番にあった。 ここは非日常の極地であった。 外の道から直接通じる一直線の階段。 二階にそのBarはあった。 名前を「鍵」という。 扉を開けるとそこはもう別世界。 なにしろ薄暗い。 カウンターだけのこじんまりしたBar. カウンター正面に大きな水晶球が置いてある。 しかもその水晶球が怪しげな色の光を発してゆっくり回っている。 どうみても怪しげな占いの館バーである。 バーテンは女性。 もうこれだけでも一見さんは、ビビル雰囲気である。 ところがである、もっと大きなからくりがあるのである。 ここまでは一見様でも来れるのであるが、3万円を払ってなおかつ ここのお客様にふさわしい御仁と認められると別の扉が開く。 すぐにやめてしまったが、会員と認められると金色の「鍵」を渡される。 階段の途中右ににもう一つの扉がある。 この鍵でお店を通らず秘密の扉を直接開けられるのだ。 ここの会員Barは実に怪しい。 一見さんBarとは打って変わる。 すべて個室、しかも大きさとつくりが違う。 ほとんど真っ暗で、蝋燭の光だけなので、闇の別世界である。 天井からぶら下る紐を引くとバーテンがうやうやしく飛んでくる。 もう映画の世界である。非日常の極みである。 二十年前の話である。今はどうなったのであろうか・・・・
2009.04.12
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「隠れ家Bar」は男の止まり木だと私は思っている。 私は昔、格式高いホテルのBarやひっそりとただづむ隠れ家Barにはまっていた。 ホテルのBarもいいがちょっと騒々しい。 隠れ家Barは男の止まり木である。 だからひとりでいくことが多い。 青山に伝説のBAR「ラジオ」があった。 もうかれこれ二十年以上前、お酒の専門家の先輩に連れられて行った。 そこは別世界であった。 ぴかぴかに磨かれたバカラのグラス。 ウイスキーの数々。無言できびきびと働くバーテンダー。 いまでは当たり前になったが、手に入らなかったシングルモルトだらけ。 その美しい男の世界に圧倒された。 ブレンディット・ウイスキーしか知らなかった私は衝撃を受けた。 こんなにも個性的なウイスキーがあるのかと。 得にアイラ島のシングルモルトは海藻の香りがして強烈だった。 透明な大麦の蒸留酒が、何年もオーク樽に寝かされ琥珀色になって行く。 そこにはスコットランドの歴史が凝縮していた。 香り、色、奥行き、雰囲気・・・・ すべてが私を虜にした。 以来私はボウモアかラフロイグのストレートを頼むのが慣わしとなった。 隠れ家Barは男の止まり木だと私は思っている。 だからよくぶらっとひとりで行く。 一時期、夜の開拓をした。裏通りを歩き回った。 銀座は言うに及ばす、霞町(西麻布)、広尾、青山、松涛、東北沢、三宿、神楽坂・・・・ だから男が一人で行ける隠れ家BARは本がかけるほど昔は知っていた。 話は変わる。 先日、魅力的な男と知り合った。 なんでも噂によると高島屋の伝説のバイヤーだとか、日本のスターバックス を立て直した男とか言われていた。私は肩書きは興味がないので素で向き合った。 魅力的な人だった。どいう訳か惹きつけられる。 こんな言葉が耳に残った。 「僕は人との出会いが好きなんですよね。恵比寿で会員制のBarをやってます」 先日、恵比寿の立ち呑み屋で飲んでいてその言葉を思い出した。 確かお店の名前は人生の波止場?停留所? うーん、思い出せない。住所も分からない。 確かキムカツの先の方だといっていたな。 東京ウォーカーなので、恵比寿の地理は滅法強い。 裏の裏まで知っている。特にBarは強い。 酔い覚ましにちょっと探険してみるかという気になった。 きっとここだという裏道をあがって行った。お店はまったくない。 ところがとあるビルに会社名に混じって4Fプラットフォームの文字を見つけた。 そうだ。名前は「プットホーム」だ。 恐る恐るエレベーターに乗り込む。 おおなんと別世界が広がっていた。 一枚板のカウンター。 そしてずらりと並ぶお酒の数々。洗練された今風の雰囲気・・・・・ お客は誰もいなかった。会員制なのでバーテンは怪訝な顔を向ける。 ここが肝心。 まず丹田に気を集中し、一呼吸入れてから、にこっと笑う。 「ええ、みつおかです。 この間オーナーから聞いて・・・・」 ものの数分でなじみ客のようにお店の雰囲気に溶け込んだ。 「みつおか様、オーナーの〇〇が今会社に居りますが、こちらに駆けつけて 参りますとの伝言です」 おお、今宵も面白くなりそうだ。これだから人生、やめられない。 人が人を呼ぶ。ご縁に感謝である。
2009.04.11
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広島の川べりの桜も満開で綺麗だった。 大阪、京都、名古屋の桜も満開だった。 ここのところの出張続きで全国の花を見れた。 特に京都の円山公園の枝垂桜、平安神宮や知恩時の桜は見事だった。 私は若い時分、円山公園の花見をよくやった。 若い奴に午後から席取りをさせる。 私達もベルサッサで駆けつける。 ただこの頃の京都は花冷えする。寒いのだ。 一升瓶から酒をがぶ飲みする。そして早めに切り上げて祇園に繰り出す。 なんとも愉快な花見であった。懐かしい。 東京に戻ると灯台元暗しである。回りの桜が満開だった。 我が家は桜の名所に囲まれている。 歩いて30メートルほどに桜並木がある。桜のトンネルだ。 呑み川緑道の桜並木も見事だ。桜新町もいい。 この時期の散歩はもう最高。 ところで知恩寺の参道を歩いているとうぐいすが綺麗な声で鳴いた。 そこで一句。 散る花の 知恩の小道 ホーホケキョ
2009.04.10
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大井町駅裏の路地は昔ながらの飲み屋でびっしりである とにかく駅から徒歩1分の距離に飲み屋街が残っているのは嬉しい。 狭い路地に両側にびっしり。いろいろな匂いが漂っている。 飲み屋街の誘惑を吹っ切って住宅街に抜ける。 そしてとあるマンションの4階突き当たり。 そうであるそこの一室が今日の懐石料理会の秘密会場だ。 部屋の窓一杯の緑。木々がこんもりと茂っている。 以前はここは東芝の創業者一族の大邸宅であった。 大正ロマンの趣き溢れる洋館だった。今では超高級マンションに変身。 玄関から日本間、オープンキッチン、そして洋間とすべて 壁を取り除いた吹き抜けである。そして一面の窓と緑。 なにしろ本日は日本屈指のプロの料理人をがつきっきりで 懐石料理をサーブしてくれる。ああ至福の贅沢だ。 プロは、深沢で一日一組だけ。しかも気の向いた時だけ開く 藁葺き屋根の隠れ家懐石料亭「梅寿庵」の元総料理長である。 ワシントンの日本大使館の総料理長も務めていたプロの中の プロフェッショナルである。 食の巧みはこう言う。若いときは自分は自分はで最高の料理を 出すことだけを考えていました。ある時、悟りました。相手の状態を 考え相手が喜ぶ料理を出そうって・・・・。 その食の巧が用意してくれた献立をこっそりお教えしよう。 まずは心友が持ってきてくれたきりりと冷えたシャンパンで乾杯。 清明 春の集い 八寸:からすみ西京漬け 長芋と活き鯵 空豆 帆立 アスパラ 目を楽しませる彩り。からすみが西京漬けにマッチしてなんとも 優しい味。大根の薄切りに挟まったからすみの西京漬け。 ああ、最初からノックアウト。舌が複雑な美味しさに陶酔する。 これは日本酒じゃなくちゃ! 八海山をぐぐっとやる。 五臓六腑にしみわたる。ああ、日本人でよかった。 からすみの西京漬けは最高・・・・・。 お造り: 平目と生ウニ 揚げ物: 竹の子 里芋 和欄揚げ 天だし 竹の子の揚げ物がもう最高。さくさくの食感。切れのある味。 伏見の玉の光の大吟醸がこれに妙に合うのだ。 鍋物物: 旬の野菜と甘鯛ぐじの鍋 実生の古木柚子ポン酢 ああ、もう最高の気分。 なんて透明な味。しかも奥行きがある。 そして最後は野菜雑炊。 ああ幸せである。 最高の仲間と至福の懐石料理。 時間よとまれと叫びたくなる。 ただただ深謝・感謝・多謝・・・・・・・である。
2009.04.09
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空の旅の楽しみのひとつはお土産である。 北海道のいまの季節だと、まず毛蟹である。 ただ空港で買うのは高い。市価の大体3割から5割り増しである。 そんな中、脚折れ毛蟹1Kg4千円といいうのを見つけた。これは安い。 市価は500gの毛蟹が大体5千円である。 毛蟹の旬は過ぎたので、今は最も安く買える時期である。 以前北海道土産といえば、白い恋人、ホワイトチョコレート、 マルセイのバターサンド、生チョコレートと決まっていた。 まだ、品切れ続出なのが、花畑牧場の生キャラメルである。 昨年、5億円以上の売り上げとのことである。 飛行場ではまず買えない。 札幌駅の地下の直売場も、30分待ちがざらである。 一日4回工場からの直送便があるのであるが・・・・ 本当に買いたいのならば、大通りの直売場が穴場である。 空港で買いたいのは、ハウスから北海道限定ですぐに売り切れる じゃがポックルである。これはサクサクとうまい。 最近の品切れ続出は、トンネルずの貴おすすめの開拓おかきの 甘エビである。揚げもちに塩味が絶妙。それに甘エビのスルメ状に 固めたノシを一緒に口に入れる。甘エビのうまみが口じゅうに広がる。 食べだしたら止まらない、やめられない美味しさである。 北海道は食の楽園である。
2009.04.08
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どこでも市場の朝は早い 私は地方に出張したとき、よく市場に行く。 その土地の食べ物と旬を見るのが好きなのだ。 札幌二条市場も6時からやっている。 十分に朝7時台にホテルに戻れる。 今の時期だと道産の毛蟹が旬だ。 タラバやズワイ蟹も所狭しと並ぶ。 二条市場は、狸小路からも歩ける距離だ。珍しく市内にある。 私がはじめて北海道に渡ったのは、高校1年の夏休み。 仲のよい友人と3人で計画をたてた。 確か国鉄の周遊券7700円を使った12泊13日の放浪旅である。 リュックサックを歩けないほど荷物を詰め込んだ、横歩きしかできない 通称蟹族である。 私の旅好きの原点はここにある。 最初の宿は大沼公園のユースホステル。 この頃のユースホステルは一泊なんと750円。 途中、宿が取れなくて札幌駅では待合室で寝た。 初めての野宿である。旭川でも駅前の無料テントに泊まった。 近くの銭湯で一風呂浴びる。 旭川の元祖豚丼ぱんちょで食したあのこんがり炭火で焼けた じゅじゅーいう豚丼の味は今でも忘れられない。 さあ、朝飯をどこで食べようか。 市場の食堂が何軒かある。創業40周年記念と書いた天勝にする。 芸能人のサインで壁が一杯である。 迷わず、名物いくら丼。 やったー。イクラでご飯が見えない。一目散に口にほうばる。 うまい。文句なくうまい。イクラを醤油と酒と出汁に漬け込んだ 上品なイクラ漬けである。 口の中でイクラがパチパチと音を立てて弾ける。 これだから出張の達人はやめられない。
2009.04.07
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しばしの空の旅を楽しむためにJクラスに乗った。 ゆったりと座り心地がいい。 空飛ぶ自分の書斎にぴったりだ。 文庫本を取り出す。なぜか宮脇俊三の「鉄道旅の楽しみ」。 宮脇氏は私の尊敬する作家の一人だ。彼は五十を過ぎてから 作家を志した。れっきとしたサラリーマンである。しかも中央公論の 役員まで上り詰めた人だ。 趣味が鉄道旅。金曜の夜は必ずぶらっと上野駅に行く。 あてもないたびに出る。ついに彼は国鉄全線制覇の偉業を成し遂げる。 私も彼に刺激されて一時、ぶらっと空の旅にはまった。 そしてついにANAの覆面トラベルライターまでやった。北海道から沖縄まで 週末に飛んだ。 今日は午後から夕方まで、至福の会があった。 心の友たちが8名集まった。 大井のマンションを借り切った。オーナーが遊んでいるマンションを 開放してくれた。 しかも元アメリカワシントンの日本大使館の総料理長が出張料理人 としてつきっきりで春の会席料理を振舞ってくれた。 シャンパン、ワイン、大吟醸・・・・・・ そして夕方の便で私だけ札幌に飛んだ。 8時過ぎにようやく札幌エクセレント東急に入る。 着替えて夜のすすきのへ。 さあ、何を食べようか。 さきほど、心友のK氏が美味しい居酒屋を教えてくれた。 探すが場所をよく聞かなかったので、見つからない。 仕方がない。ラーメンでも食べるか。 ラーメン横丁では味気ない。 そうだ。「すみれ」の支店ができたはずだ。 それもなぁー。 結局、寿司を摘む。 菅寿司のカウンターに座る。 北寄貝、帆立、鮭、烏賊、平目、牡丹海老、雲丹、イクラの軍艦巻き・・・、 すべて道産の寿司を次々に平らげる。ビールがうまい。 宮脇俊三氏 曰く 「より速くを求めるのは人間の本能であり、交通機関発達の原動力である。・・・ けれども、より楽しい旅をもたらしてくれるかとなると、これはもう疑問である」。 とはいえ、夕方に東京を離れ、夜はススキので道産の寿司三昧・・・。 やはりより早くは楽しくもある。ホテルに戻ってNHKの大河ドラマを再放送で 見る。明日の帰りは空港で札幌ラーメンか・・・・。
2009.04.06
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しばしの空の旅を楽しむためにJクラスに乗った。 ゆったりと座り心地がいい。 空飛ぶ自分の書斎にぴったりだ。 文庫本を取り出す。なぜか宮脇俊三の「鉄道旅の楽しみ」。 宮脇氏は私の尊敬する作家の一人だ。彼は五十を過ぎてから 作家を志した。れっきとしたサラリーマンである。しかも中央公論の 役員まで上り詰めた人だ。 趣味が鉄道旅。金曜の夜は必ずぶらっと上野駅に行く。 あてもないたびに出る。ついに彼は国鉄全線制覇の偉業を成し遂げる。 私も彼に刺激されて一時、ぶらっと空の旅にはまった。 そしてついにANAの覆面トラベルライターまでやった。北海道から沖縄まで 週末に飛んだ。 今日は午後から夕方まで、至福の会があった。 心の友たちが8名集まった。 大井のマンションを借り切った。オーナーが遊んでいるマンションを 開放してくれた。 しかも元アメリカワシントンの日本大使館の総料理長が出張料理人 としてつきっきりで春の会席料理を振舞ってくれた。 シャンパン、ワイン、大吟醸・・・・・・ そして夕方の便で私だけ札幌に飛んだ。 8時過ぎにようやく札幌エクセレント東急に入る。 着替えて夜のすすきのへ。 さあ、何を食べようか。 さきほど、心友のK氏が美味しい居酒屋を教えてくれた。 探すが場所をよく聞かなかったので、見つからない。 仕方がない。ラーメンでも食べるか。 ラーメン横丁では味気ない。 そうだ。「すみれ」の支店ができたはずだ。 それもなぁー。 結局、寿司を摘む。 菅寿司のカウンターに座る。 北寄貝、帆立、鮭、烏賊、平目、牡丹海老、雲丹、イクラの軍艦巻き・・・、 すべて道産の寿司を次々に平らげる。ビールがうまい。 宮脇俊三氏 曰く 「より速くを求めるのは人間の本能であり、交通機関発達の原動力である。・・・ けれども、より楽しい旅をもたらしてくれるかとなると、これはもう疑問である」。 とはいえ、夕方に東京を離れ、夜はススキので道産の寿司三昧・・・。 やはりより早くは楽しくもある。ホテルに戻ってNHKの大河ドラマを再放送で 見る。明日の帰りは空港で札幌ラーメンか・・・・。
2009.04.05
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昨日立川まで行って、映画を見てきた。 立川シネマシティは二つに分かれていて、合計11の映画館が入っている。 10年以上前に立てられた複合シネコンプレックスである。 年間100万人の集客力があるという。 ところがである。娯楽の多様化からか、映画人口が伸び悩む。 そこでこの立川シネマを再興するにはとうテーマで我がアントレプレナー塾 にもお声がかかったのである。 なんとここの社長は大学時代のマーケティングゼミの10年先輩だった。 うーん、悪いことはできない。 そういうわけで名うてのマーケティングコンサルタントやプランナー、 映画好きな大学生2名、それに私とアントレ塾の塾頭代行の計6名 が集まった。それに社長と取締役が加わる。 ルールは11の映画館の中から好きな映画を見る。そして2時半に集合。 そのご2時間のディスカッション。 実際に映画を見てからじゃないといい意見が出ないとの言いだしっぺは、 私であった。だから今回は気合を入れた。 10時半に立川に着く。ちょっとマイナーな映画を選んでみた。 「イエス マン」。 ちょっとさえない銀行マン。女房には逃げられ、離婚。仕事はリストラ寸前。 友人との約束はすっぽかしの連続。要は人生のドン底。 すべてに言い訳ばかりをして、自分を悲劇の主人公に導く彼。 疲れ果ててへらに戻ると毛布を被り、酒を飲みながら呆然と借りてきた ビデオを見る毎日。 ひょんなことから「イエス」教のカリスマセミナーに参加。 そこから彼の人生が変わる。 人生起きることにすべてイエスと言って前向きに取り組め。 彼に持ち込まれる小さな融資案件も、すべてイエス。 その結果ついに彼は副社長から呼び出され、・・・・・・・。 いやぁ面白い映画でした。笑い転げることの連続。 私も人から何か頼まれたら、どんないやなことでも大きな声で 「イエス」というイエス教の信者になりました。 映画って本当にいですね。 そして映画館の地下にある秘密の会議室に通された。 そこで私と塾頭代行はかくかくしかじか・・・・・・。
2009.04.05
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昨日立川まで行って、映画を見てきた。 立川シネマシティは二つに分かれていて、合計11の映画館が入っている。 10年以上前に立てられた複合シネコンプレックスである。 年間100万人の集客力があるという。 ところがである。娯楽の多様化からか、映画人口が伸び悩む。 そこでこの立川シネマを再興するにはとうテーマで我がアントレプレナー塾 にもお声がかかったのである。 なんとここの社長は大学時代のマーケティングゼミの10年先輩だった。 うーん、悪いことはできない。 そういうわけで名うてのマーケティングコンサルタントやプランナー、 映画好きな大学生2名、それに私とアントレ塾の塾頭代行の計6名 が集まった。それに社長と取締役が加わる。 ルールは11の映画館の中から好きな映画を見る。そして2時半に集合。 そのご2時間のディスカッション。 実際に映画を見てからじゃないといい意見が出ないとの言いだしっぺは、 私であった。だから今回は気合を入れた。 10時半に立川に着く。ちょっとマイナーな映画を選んでみた。 「イエス マン」。 ちょっとさえない銀行マン。女房には逃げられ、離婚。仕事はリストラ寸前。 友人との約束はすっぽかしの連続。要は人生のドン底。 すべてに言い訳ばかりをして、自分を悲劇の主人公に導く彼。 疲れ果ててへらに戻ると毛布を被り、酒を飲みながら呆然と借りてきた ビデオを見る毎日。 ひょんなことから「イエス」教のカリスマセミナーに参加。 そこから彼の人生が変わる。 人生起きることにすべてイエスと言って前向きに取り組め。 彼に持ち込まれる小さな融資案件も、すべてイエス。 その結果ついに彼は副社長から呼び出され、・・・・・・・。 いやぁ面白い映画でした。笑い転げることの連続。 私も人から何か頼まれたら、どんないやなことでも大きな声で 「イエス」というイエス教の信者になりました。 映画って本当にいですね。 そして映画館の地下にある秘密の会議室に通された。 そこで私と塾頭代行はかくかくしかじか・・・・・・。
2009.04.05
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三日ぶりに東京に帰ってきた。 昨晩24時過ぎ、自宅に戻り、ホッ・・・。 時期的に出張が集中するときがある。今回も三日連続である。 明日も夕方から北海道。 そこで出張の達人の心得を伝授しておこう。 まず第一は出張の目的と仕事の段取りの充実である。 これなくしては出張の達人はありえない。仕事が達成できるから楽しめる。 第二は、「仕事は楽しく、遊びは真剣に」である。 遊び心の徹底である。遊びへの情熱がないと達人にはなりえない。 出張の達人は心構えが大事なのである。 第三は情報収集能力と判断力である。 ちょと空いた隙間時間。いかに最大の楽しみを引き出すか。 しかもいくつかの選択肢の中から、瞬間でベストな方法を決定する。 そうなのである。 何を隠そう、出張の達人は、意思決定の知的ゲームなのである。 まあ、前置きはこのへんにして実践編に入ろう。 私は昔はよく海外出張があった。ほとんどは役員のお付である。 通常はスケジュールがびっちり。しかも気が抜けない。 こんな最悪の状況、出張の達人はどうするか? こんな状況こそ、出張の達人の楽しみである。 まずはファイティングスプリットに点火する。 朝8時から夜10時までは仕事に集中する。 要は、朝と夜中が勝負である。 朝は5時に起きる。さっと着替えて、荷造り。 地図とカメラを片手にうす暗い中、ホテルを飛び出す。 スイス、フランスなどヨーロッパでは、朝早くからパン屋や 何故だかチョコレート屋がオープンしていることが多い。 空いていれば入って一服。ムードを満喫。可愛いお菓子も購入。 ウインドショッピングと街の雰囲気を楽しむ。 それだけで気分はもう最高。得した気分になる。 朝起きは三文の徳である。 ニュヨークやソウルは夜が勝負である。 24時間空いているスーパーやバラエティストア。 ここでお土産をしこたま買う。例えばブランド化粧品や日本で 手に入りにくいレアーな食品類。 ソウルでは地下街のお土産店が結構遅くまでやっている。 それに南大門のような市場も朝早くからやっている店がある。 そこを一人で物色する。 時間との勝負である。これが知的で面白い。 例えば金属製の空洞韓国箸やスプーンをダース単位で大人買い。 しかも朝に歩いて地理とお店が頭に入ってるので、夜は目的買い が瞬時にできる。だから短い時間でも十分楽しめるのだ。 最近、国内で嵌っているのが駅前温泉である。 例えば新大阪。 あまり知られていないがひなたの湯という天然温泉がある。 ここは朝7時から夜中の1時までやっている。 しかも露天風呂は4種類。9階からの眺めはもう最高。 シャワーやカランも天然温泉使用の優れもの。これで750円は安い。 ホテルの狭い湯船なんかくそ食らえである。 ああ失礼。下品な言葉を使ってしまった。では止まらないのでこのへんで。
2009.04.04
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久々に東京に戻って軽く一杯。 うーん、やはり東京はいいなどと江戸っ子の私はほろ酔い加減。 そんな時、私の携帯がぶるった。 夜中の11時過ぎ。これは誰・・・・ ハイハイ、みつおかですが・・・・ 魂の親友からである。 ちょっと今からいうことを頭に刻み込んでください。 極秘性が高いので、メールでの発信は避けます。 じかにお伝えします。 いつもと様子が違う。 実はある筋から直接情報が入ってきました。 明日の11時から4時の間に北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射する 可能性が極めて高くなりました。 ミサイル自体には核は搭載されていません。 しかし燃料の一部に化学的有害物質を含んでいます。 できるならその時間帯の外出は避けてください。 もう一度繰り返します・・・・・。 もはやこれ以上は書けない。 北朝鮮はなんでこんなことをするのであろうか。 誤情報であることを折るばかりである。 今日の日中はなるべく肌を覆っていたほうが無難である。 しかも外で深呼吸などはしないように。 まあ、東京は避けて発射するであろうが・・・・。
2009.04.04
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若いとき、私は京都に3年間住んでいたことがある。 最初は桂、後に今出川の同志社大学の近くに住んだ。 だから今でも京都の地理は大体分かる。 土日は寺めぐりをしていたので、百ヶ寺以上は拝観した。 だから桜や紅葉の穴場はよく知っている。 先斗町や祇園の御茶屋も少しは知っている。 島原や上七軒も時々通った。 食べ物屋やBarは古い店ならかなりよく知っている。 そんな私が京都の銭湯のことはまったく知らない。 そこで今回調べてみると、結構古い銭湯が街中に残っている。 私は食に興味があるので、京都に入ると必ず朝早く起きて、錦市場の 食材をチェックする。 なんと錦市場から歩いていける距離に3つの銭湯があった。 一番近いのが、「錦湯」である。堺町四条上ガル東入る。 ここはレトロだ。歴史を感じさせる三階建ての旅館風の木造建築。 脱衣籠も飴色の柳行李である。今時珍しい。 中はタイル張り。高い天井。深い湯船。 いくつかに区切られ、立ち湯、ジェット湯、薬湯、電気風呂。 お湯の出口は鯉の口、ライオンなど大正レトロである。 うーん、いい湯だ。気がつくと24時。外は雨。 ああホテルに早く帰らなくっちゃ。 京都、京都、新大阪の三連荘の出張。寝るだけだが、京都は心が安らぐ。
2009.04.02
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大阪での朝9時からの会議とプレゼンテーションを無事終えた。 質問は次々に出たが、誠意をもってひとつひとつ答えていく。 おおなとか乗り越えた。ほっと胸をなでおろす。大阪は過激派が多いのだ。 新大阪に戻り、のぞみで名古屋に。 今度のプレゼンは3時から。少し余裕がある。 さあ、何を食べようか。 私はいつも、名古屋では山本屋本店の味噌煮込みうどんが好物だ。 これは濃厚な味噌と鰹のだし。それに噛み切れない腰のある太麺。 これが半端じゃない。いくら煮込んでも腰があるのだ。 一昔前は線路脇の支店に行っていたが、今では太閤口の地下の店に行く。 何しろ鍋にグツグツ煮込まれた味噌うどん。名古屋コーチン入り2200円。 これに玉子を落とし。蓋の上に小分けにしてフーフーいいながら食す。 これが癖になる味なのだ。 味噌は3年熟成させた赤味噌と白味噌をブレンド。 これに宗田節とムロ鯵の削り節をたっぷり使った贅沢な出汁をつう。 だからご飯にもあうのだ。 それに極上なのだ盛りだくさんの胡瓜のぬか漬けである。 これが絶妙な味なのだ。 今は火事でなくなったなくなった、歌舞伎役者御用達の神楽坂の 焼きおにぎり専門店若松のあのおばあちゃんが漬けた胡瓜のぬか漬け 匹敵するうまだ。 あと名古屋と言えば、「海老エビフリャー、チョーよ」のエビフライ。 天ぷらがおにぎりに乗った「天むすび」。それに最近では手羽先揚げ。 しかし、今回は若手のホープが一緒なので、ちょっと気張った。 「ひつまぶし」である。 本店は熱田神宮の門前にある料亭である。 名前は「蓬莱軒」。列記とした明治時代から続く怪石料理屋である。 靴を脱いで日本間にあがる。中庭が情緒がある。 ひつまぶし定食三千円。でも本店で食すなら、これは安い。 ひつまぶしは、ご飯の中ほどにも鰻が入っている。 そして上の鰻にも切った鰻が乗っている。 鰻の柵をご飯と混ぜて食べるのだ。 ひつまぶしは、食べる作法がある。 一杯目はご飯と鰻をそのまま食べる。 こんがりと炭火で焼けた鰻。たれがなじんだご飯。 文句なくうまい。 二膳目は、青ネギの微塵切り、海苔、わさびなどの薬味を載せて食す。 これも味にアクセントがついてまたいける。 三膳目。これは極めつけの食べ方である。 鰻の蒲焼とご飯とたれをよくまぶす。薬味を好みで載せる。 これに鰹と昆布でとった上質な出汁をかける。 要は鰻のだし茶漬けである。これは何杯でもいける。 ああ至福の味だ。 昔は、高島屋に入っていたのだが、いまは栄町の松坂屋に支店が入っている。 そうです。うみゃーでよ。たべてちょうーよ。 さあ、パワーがみなぎった。名古屋のプレゼンを乗り切ろう。
2009.04.02
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大阪での朝9時からの会議とプレゼンテーションを無事終えた。 質問は次々に出たが、誠意をもってひとつひとつ答えていく。 おおなとか乗り越えた。ほっと胸をなでおろす。大阪は過激派が多いのだ。 新大阪に戻り、のぞみで名古屋に。 今度のプレゼンは3時から。少し余裕がある。 さあ、何を食べようか。 私はいつも、名古屋では山本屋本店の味噌煮込みうどんが好物だ。 これは濃厚な味噌と鰹のだし。それに噛み切れない腰のある太麺。 これが半端じゃない。いくら煮込んでも腰があるのだ。 一昔前は線路脇の支店に行っていたが、今では太閤口の地下の店に行く。 何しろ鍋にグツグツ煮込まれた味噌うどん。名古屋コーチン入り2200円。 これに玉子を落とし。蓋の上に小分けにしてフーフーいいながら食す。 これが癖になる味なのだ。 味噌は3年熟成させた赤味噌と白味噌をブレンド。 これに宗田節とムロ鯵の削り節をたっぷり使った贅沢な出汁をつう。 だからご飯にもあうのだ。 それに極上なのだ盛りだくさんの胡瓜のぬか漬けである。 これが絶妙な味なのだ。 今は火事でなくなったなくなった、歌舞伎役者御用達の神楽坂の 焼きおにぎり専門店若松のあのおばあちゃんが漬けた胡瓜のぬか漬け 匹敵するうまだ。 あと名古屋と言えば、「海老エビフリャー、チョーよ」のエビフライ。 天ぷらがおにぎりに乗った「天むすび」。それに最近では手羽先揚げ。 しかし、今回は若手のホープが一緒なので、ちょっと気張った。 「ひつまぶし」である。 本店は熱田神宮の門前にある料亭である。 名前は「蓬莱軒」。列記とした明治時代から続く怪石料理屋である。 靴を脱いで日本間にあがる。中庭が情緒がある。 ひつまぶし定食三千円。でも本店で食すなら、これは安い。 ひつまぶしは、ご飯の中ほどにも鰻が入っている。 そして上の鰻にも切った鰻が乗っている。 鰻の柵をご飯と混ぜて食べるのだ。 ひつまぶしは、食べる作法がある。 一杯目はご飯と鰻をそのまま食べる。 こんがりと炭火で焼けた鰻。たれがなじんだご飯。 文句なくうまい。 二膳目は、青ネギの微塵切り、海苔、わさびなどの薬味を載せて食す。 これも味にアクセントがついてまたいける。 三膳目。これは極めつけの食べ方である。 鰻の蒲焼とご飯とたれをよくまぶす。薬味を好みで載せる。 これに鰹と昆布でとった上質な出汁をかける。 要は鰻のだし茶漬けである。これは何杯でもいける。 ああ至福の味だ。 昔は、高島屋に入っていたのだが、いまは栄町の松坂屋に支店が入っている。 そうです。うみゃーでよ。たべてちょうーよ。 さあ、パワーがみなぎった。名古屋のプレゼンを乗り切ろう。
2009.04.01
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三方よしの夢の会社「よいコトnet」のフェローミーティングでお花見弁当がでた。 美味しかった。炊き込みご飯に色とりどりのおかず。 世界のセレブ御用達の宝石会社社長のH氏が買ってきてくれたのだ。 食べ終わると、ろくに発言もせず私は、食い逃げ状態・・・。 そうなのである。 品川9時7分の最終一個前の新幹線で関西に行かなければならないのだ。 明日、9時から大阪で会議が入ってしまった。 新幹線に飛び乗る。 どうも大阪のホテルはいやだ。 無理しても関西出張は京都で泊まってしまう。 品川駅の新幹線へ走る。なんとか間に合った。 ビールをかっ込んで、寝る。 この桜の時期、中心部のホテルがとれず、結局四条大宮のアークホテル。 京都、23時17分着。銭湯は24時まで。 四条烏丸で阪急に乗り換えようとするが、自動販売機が分からない。 情けない。呆然と立ちすくむ僕。 ICチャージやいろいろなアイコンがあるが、どれをタッチすれば切符が 買えるのか皆目見当がつかない。ただうろうろする。 そうこうするうちに電車がいってしまった。 ホテルに到着するもすでに23時50分。 インターネットで検索するも、どの銭湯も24時終了。 ああ、残念。、京都の銭湯めぐりは断念。 二条城まで歩いて、ライトあっぷっされた夜桜でも見に行くか・・・
2009.04.01
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三方よしの夢の会社「よいコトnet」のフェローミーティングでお花見弁当がでた。 美味しかった。炊き込みご飯に色とりどりのおかず。 世界のセレブ御用達の宝石会社社長のH氏が買ってきてくれたのだ。 食べ終わると、ろくに発言もせず私は、食い逃げ状態・・・。 そうなのである。 品川9時7分の最終一個前の新幹線で関西に行かなければならないのだ。 明日、9時から大阪で会議が入ってしまった。 新幹線に飛び乗る。 どうも大阪のホテルはいやだ。 無理しても関西出張は京都で泊まってしまう。 品川駅の新幹線へ走る。なんとか間に合った。 ビールをかっ込んで、寝る。 この桜の時期、中心部のホテルがとれず、結局四条大宮のアークホテル。 京都、23時17分着。銭湯は24時まで。 四条烏丸で阪急に乗り換えようとするが、自動販売機が分からない。 情けない。呆然と立ちすくむ僕。 ICチャージやいろいろなアイコンがあるが、どれをタッチすれば切符が 買えるのか皆目見当がつかない。ただうろうろする。 そうこうするうちに電車がいってしまった。 ホテルに到着するもすでに23時50分。 インターネットで検索するも、どの銭湯も24時終了。 ああ、残念。、京都の銭湯めぐりは断念。 二条城まで歩いて、ライトあっぷっされた夜桜でも見に行くか・・・
2009.03.31
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私の島の飲み会をやった。 幹事がよかった。いい企画の飲み会であった。 最初はベルさっさで八重洲のブリジストン美術館へ。 ここで解説付きヘッドフォンを借りて1時間のフリータイム。 テーマは印象画家から抽象絵画まで「名画と出合う」。 これが本物ばかりの迫力に圧倒された。 どれも教科書に出てくるような名画ぞろいだ。 まずは彫刻ギャラリー。 なななんと、ロダンの考える人。 ブランクーシの接吻、ヘンリー・ムアの横たわる人体などがずらりと続く。 印象派はもっと凄い。 コロー、ミレー、ピサロ、シスレー・・・。 マネ、モネ、ドガ、ルノワールそれにゴッホのモンマルトルの風車。 セザンヌ、ゴーギャン、マチス、ロートレック。 これだけ世界の巨匠の本物を見てゆくと、目が肥えてくる。 もう感動の連続である。こんな都心に美術館があったのだ。 石橋さんよ、ありがとうといいたい。しかも入場料が安い。 あっという間の1時間を楽しんだあと、一路皇居の東京會舘へ。 フレンチレストランプルニエ。 ここがまた雰囲気がいい。皇居の緑が目の前に見える。 しかもワインが凄い。 帆立貝、芝海老、ズワイガニとフルーツトマトのサラダ、 セルフィーユの香るソース。 シャンパンで乾杯。 次々に出てくるご馳走。 メインは、子羊のロティを頼む。 濃厚な赤ワインを舐めるように味わう。 ああ、最高の夜である。
2009.03.31
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夢の会社設立パーティに招待された。 ささやかなパーティであったが、わくわくドキドキ心が踊った。 正面に「夢」と書いた絵文字が飾ってある。 社長がまず挨拶した。従業員が会社の夢を語れるそんな会社を作りたい。 そして社員がそれぞれの夢を語った。 若者達が、会社への夢を心から語っている。 感動した。私も心が震えた。 社長はこういう。 夢を追うからロマン。 達成できないから夢。 でもロマンは人を走らせる。 でも夢は人を団結させる。 なんだかこういう夢の会社を応援したくなった。 来賓のスピーチとなった。 どういうわけか、私がトップバッターだった。 最後に一つのエピソードをみんなにプレゼントしましょう。 ええ、10年前のことです。 アメリカに1週間ほど行ってた時、素敵な通訳と知り合いました。 その通訳はいろいろなことを話してくれました。 駆け出しの頃、プロのスポーツチームの日本遠征の通訳をしたそうです。 バスの一番前に大きな選手が座ってました。 その選手が彼に問いかけてきました。 日本では「夢」って、どういう意味なんだい。 通訳は辞書を引いて解説しました。 「夢は、寝ながら見るもの。希望、でも達成できないもの」と通訳しました。 すると大柄の選手はこういいました。 「アメリカでは全然違う。夢は持ち続ければ必ず達成できるもの。 俺は大きな夢を持っている。世界一になるんだ。それが俺の アメリカンドリーム」 目を輝かせてあまりに自信たっぷりに言うので手帳にサインをもらいました。 それから長い年月が経ちました。 ひょっとしてあのときの選手はと、昔の手帳をめくりました。 そして驚きました。 なんとそこには、マイケル・ジョーダンと書いてありました。 だからあきらめないで皆さんが、夢を持ち続ければ、必ず叶うのです。 夢の会社の夢を、必ず叶えてくださいと。 本当に心地よいパーティであった。 ところで貴方の夢って何ですか?
2009.03.30
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昨年の9月から世界のビジネスモデルは音を立てて崩れた。 今年のアントレ塾は珍しく世界の経済構造や経済情勢について しつっこいぐらいに語っている。 一言で表現すると、行き過ぎた「欲望資本主義」が崩壊したのである。 批判を恐れずに単純に今までの世界の経済構造を分析しよう。 それは中国と日本がアメリカの国債を買い、そして日本がアメリカや 世界に低金利でお金を貸す。いわゆる円キャリートレードである。 アメリカが円をドルに買える。(円安、ドル高)その金を投資する国の 通貨に換金する(ドル安、換金先通貨高)。 アメリカが換金した通貨で世界のモノをジャバジャバ買う。 そして余った金で、世界の土地やデリバティブなど 世界にギャンブル金融投資をする。 それでお金が世界を還流し、世界的なバブルが起きる。金を貸している 日本は円安で蚊帳の外。 日本がアメリカに低金利で金を貸し、アメリカがその借りた金で欲望に任せ、 中国やBRICSを中心に世界が作ったモノを買う。 このバブリーなビジネスモデルが音を立てて崩れたのである。 しかも高度な数学を駆使した行き過ぎたギャンブル金融投資によって 欧米の銀行が次々に破綻に追い込まれ、国有化しているのである。 欧米金融の崩壊だけにとどまらず、お金が還流しなくなったので、 世界の実体経済がおかしくなってきているのである。 こう見てくると、今の経済不況はまだ大嵐の前の序章に過ぎない。 これから本格的な嵐がやってくるのである。 企業は、5,6割の売り上げ水準でも生き残れる構造改革をやらなければ 淘汰される。元の経済水準に戻るのは5年、10年はかかる。いやもう 元には戻らないかもしれない。 これからは賃金水準は6割に下がり、ワークシェアリング広がる。 従業員は、あまった時間をどう過ごすか。失業した人はどう生活するか。 われわれは、生き方そのものを根底から変えなければならない。 これからは一人で生きようとせず、仲間や家族と手を取り合って、 切り抜けていくしかない。協力的な生活とコミュニティがなにより大事である。 いま大地震が来るのである。崩壊した瓦礫の中でどうやって生きていくか。 仲間と助け合うしかない。札束をいくら持っていても誰も助けてくれない。 だからいい奴であることと、相手を思いやる心が大切になる。 塾生たちは是非、自分を磨き、仲間を大切にしてもらいたい。 これからの時代を生き残るには、自分への投資と心が通じ合う仲間しかない。 その際のキイワードは、 「共生」 人ばかりではない。地球環境や動植物とも、ともに生きる。 「知足」 モノばかりでない。 精神や魂の満足を求めるのである。 「利他」 自分の利益ばかりでない。相手の利益を考えるのである。 話を「起業」に絞ると、われわれアントレプレナーが考えればいけないのは、 「農業起業」と「社会起業」である。 今年のアントレ塾は、通年テーマとして「社会起業」を取り上げる。 ええ、ここから3時間延々と熱い講義をした・・・・・。
2009.03.29
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私は6年前メルマガを発行していた。 4年前に絶筆した。14万ヒット記念にそのメルマガを紙面だけで復活しよう。 2003年12月30日(火) 磨け!3分間 知的武装 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 年末臨時増刊号 ★★★★★★★★★ 「見方が変わる!『超』マーケティング発想法」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ●発行責任者:アントレプレナー塾 塾長 三丘 大詩 読者数:895名---------------------------------------------------------------- このメルマガは、21世紀型江戸っ子マーケター、三丘 大詩(みつおかひろし)が毎週書き下ろす、忙しい人のための知的ブラッシュ・アップ・メッセージです。楽しく読んで自然にマーケティングセンスを身につけましょう!---------------------------------------------------------------- 【はじめに】☆★☆★☆★☆★☆★----------------------------------- こんにちは!みつおかです。早いもので今年もあと僅か。カウントダウンが始まりそうです。会社休みでこれを読むのが年明けの方もいるかもしれません。そういう方には、明けましておめでとうございます。今回はテーマを変えて臨時号という形にします。実を言うと12月にとてもショッキングな事がありました。今ではそのことで、気付き、色々学びました。今年最後をのメルマガは「ある若い女性から教わったこと」を取り上げます。-----------------------------------------------------------------------◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇ 人生の意味を考える ◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆ 貴方は電脳女神・千佳さんを知ってますか? あまりにも若く急に旅だったある女性が残してくれたもの◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------▼その女性は名を「千佳さん」と言った。今年の秋口に楽天広場に彗星の如くに現れた。私とそんなに変わらない時期にHPを開設したのに、あれよあれよという間に、読者をどんどん獲得し1ヶ月も経たないうちに一万ヒットした。その秘訣を探るべく私も何回かそのサイトを訪問した。まだ、若い女性であった。その日記の内容は多岐に渡っていた。▼あるときは笑い転げるような掛け合い漫才の面白さ、ある時は広告論、そしていかに生きるべきかの人生論といった具合である。毎日、律儀に更新されていた。驚くことには掲示板に書きこまれた質問一つ一つに丁寧に答えていた。優しく、時には厳しく、物事の本質をわきまえた心のこもった返答であった。まさにおもてなしの心に溢れたサイトであったのだ。▼私もお若いのになかなかヤルワイと内心驚いた。ヒット数は飛躍的に伸び、三万ヒットに達した。私も意を決して一度、掲示板に書き込んだ。クイック・リスポンス広告について質問した。今までマスメディアを利用したイメージ広告ばかりを打ってきた反省があったからだ。即座に返答が来た。クイック・リスポンス広告の基本の考え方の懇切丁寧な説明をしてくれた。▼それから気が向くと感想を幾度となく書きこんだ。時としてあまりに正論を要領良く返答してくるので、現場を知らずに頭だけで書いているのかなと訝った。しかし良く読み返すと彼女のは本物であった。体全体で感じ、血肉化して心から思ったことをさりげなく伝えてきた。そして驚く程謙虚であった。千佳さんも私のサイトを良く訪問し毎回、書き込んでくれた。私のメルマガも講読してくれた。▼ある時、彼女の過去を知った。いつも明るく前向きなので、普段の千佳さんからは想像も出来ないショッキングな内容だった。千佳さんは十代のときにご両親を亡くして、お兄さんの手で育てられた。車が突っ込んできて、彼女をかばうようにお兄さんが即死する。千佳さんも生死をさまよう。その時の様子をこう書き込んでくれた。「上のほうから血だらけの自分の体が見えた。お兄さんと一緒に行こうとすると、『千佳、お前は生きろ!』と押し戻された」と。結局、記憶が戻らなかった。助かっても首筋の自律神経が切れ、一生半身不随の烙印を押される。▼生死をさまよう天涯孤独となった彼女に、従兄弟の真由美さんが必死で「生きて!千佳姉たん」と叫びつづけた。その声に記憶が戻った。真由さんの私の体と取り替えるから生きてという愛に答えたのだ。真由は世間に反抗して誰も手がつけられない時代があった。ぶったり暴言を吐いたり、でも毎日千佳さんが来て黙ってただ反抗する真由の体を抱きしめた。ある時、真由の投げた缶ジュースが千佳の額にあたり血が流れた。それでも何も言わずに真由を抱いた。真由の目から大粒の涙が溢れた。三ヶ月の無償の愛が真由を救った瞬間であった。今度は献身的な真由の愛が千佳さんを救ったのである。奇跡的に歩けるまでに回復した。誰もが驚く愛の賜物であった。▼生きかえった彼女は今度は、インターネットで迷える人々を救うようになる。そのHPのコンセプトは「無条件の愛と喜び」でった。私のHPに毎日のように書き込んでくれるので、すっかり普通の人と同じ生活をしてると思った。私のメニューのないフレンチのグルメ話を読んでポツリとこう言った。「人間って不思議ですね。半年間も固形物を食べなくても平気なんですよ・・」と。どうやら管を体に入れ流動食のみで生きているらしかった。▼また慶應大学の丸の内キャンパスで高塚猛氏の話しを聞いたと書いたらこうも言った。「いいなー、私もそういうところで聞いてみたい」と。そこで私は高塚さんの講演を四回に分けて日記に書いた。書くとすぐに返事が来た。「やっぱり生の講演はは凄いわ。早くその先が聞きたい」彼女は入院生活に戻っているらしかった。私は胸が締めつけられた。そしてこうも言った。「体が丈夫なのに死にたいという人は、もったいない・・」▼彼女の日記には後ろ向きな言葉は一つもなかった。弱音も一切なかった。まるで天使か天女のように夢と明るさに満ちていた。大勢の人が訪れる訳が分かった。皆、電脳女神に癒されているように思えた。相変わらず私のHPにも書き込んでくれていたが、12月7日に珍しく「退院したらそのフレンチレストランに連れていってくださいね。ワイワイ」と書いてあった。▼千佳さんの日記を見ると「人生最大の賭けに出ます」と書かれていた。彼女は今度は白血病と戦っているらしかった。抗癌剤に対する抗体が出来てしまったので、通常の数十倍の抗癌剤を体に入れる一大決心をしたのだ。その日を境に書き込みが途絶えた。そして突然の訃報が載った。天国に召されたのは12月10日の未明であったという。千佳さんのサイトは今、その志を継いだ真由さんが管理人となっている。今まで以上に大勢の人が訪れている。七万ヒットに迫る勢いである。▼千佳さんから愛を受けた人々が、それぞれのHPで千佳さんのことを綴った。そしてい今千佳さんの播いた種があちこちで芽を吹き出している。彼女に感動し、感化を受けた人たちがその心を受け継いで発信しているのである。千佳たん同盟なるHPも開設されたようである。千佳さんの「無条件の愛と喜び」がインターネット上で大きなうねりとなって輪が広がっているのだ。皆の心に千佳さんがイキイキと生き続ている。サイトを覗き、日記一覧から彼女の足跡を確かめたい人は下の「千佳&真由」HPから。 http://plaza.rakuten.co.jp/?user_id=4689122 私のHPの掲示板一覧からも彼女とのやり取りの一部が残っている. http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshi777 -----------------------------------【 みつおか流料理のツボ 】☆★☆★☆★☆★☆★----------------------------------------------●いい年をした私が、千佳さんの前向きな姿勢に感動してしまった。彼女は、二三歳の生涯で人の何倍もの人生を経験したのだ。今日は解説は何もしたくありません。ただ、一つの事実をお伝えしましょう。凄い人である。------------------------------------------------------------------▼千佳さんは百名の従業員を率いる広告会社の社長であった。リハビリを耐え抜いてカムバックしてから、亡きお兄さんの会社を継いだのだ。二十歳そこそこの社長の誕生である。しかし彼女は悩んだ。以前の会社とどこか雰囲気が違うのだ。彼女は観察し、悩みぬいた。お兄さんと私の違うもの・・?そして気づいた。お客様へのサービスが作業になっていたのだ。クライアントをワクワク喜ばせるようなサービスが無くなっていた。千佳さんは経営を徹底的に勉強し、会社の理念とビジョンを自分の言葉で作り直した。社員からの提案制度もとり入れた。お客さまに愛と喜びを与えることが会社をイキイキとさせるのだ。労使一体となった千佳カンパニーの誕生である。何を隠そう、彼女は現場を重視していた。だから年は若いが、彼女の言葉には人を納得させる真実があったのである。私は、物事の真実の探求に、年齢も地位も関係無いことを彼女から改めて教わった。そして無条件の愛と喜びを・・。▼人には天から与えられた「ミッション」がそれぞれあるように思う。だから彼女は必ず治ると私は信じていた。今はこう思うようにした。彼女は死をもって人々に多くの人に気づかせることが彼女の最大のミッションだったのかも知れない。今頃、天国で善意の輪の広がりをニッコリ眺めているに違いない。-----------------------------------【今週のみつおかひろしの薀蓄】☆★☆★☆★☆★☆★--------- -----------------------------------●【マーケティング原理30】「究極のマーケティングは『愛』」 ●【今週の一言】 高塚 猛「 変えられないのは他人と過去 変えられるのは自分と未来 」 亀井 勝一郎「 幸福とは、つきつめていえば『謝念』の二字につきる」 ジェームズ・アレン「 愛は、心の奥深くからあふれてくるものです。 ・・・ 人生はレッスンの連続です」 -----------------------------------★☆☆☆☆☆ <<みつおかひろし の編集後記>> ☆☆☆☆☆★---------------------------------■■■■良いお年を□□□□ ■■■ 10月から思うところあってはじめたメルマガでしたが、おつき■■ あいいただきありがとうございました。来年はさらに力を入れて■ 書き下しますのでよろしくお願い致します。では、よいお年を! 登録:http://www.mag2.com/m/0000119371.htm -------------------------------------------------------------------■年末臨時号、どうでしたか? ■みつおか ひろしの「楽楽悠遊日記」 名うてのタウンウォッチャーみつおかひろしのアフターファイブ日誌を覗いてみませんか? とってもグルメな話、ちょっとした流行、先取りした街の「微変」を江戸っ子マーケターの眼で日々報告します。エナジー爆発中!http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshi777 ●アントレプレナー塾 塾長 三丘 大詩(みつおか ひろし) http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshi777 http://www.h6.dion.ne.jp/~hiroshi3/index.html
2009.03.28
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一見さんお断り、予約客のみの隠れ家が青山の住宅街にある。 周りにお店など一軒もない。看板もない。 高台なので眺めもいい。 青山墓地方面はヒルズ以外さえぎるものがない。 昨晩、そんな一軒屋をまるまる借り切ってしまった。 一絃琴の代々続く家元、峰岸一水先生をお招きしての第26回銀座共鳴館だ。 話はさかのぼる。 心友と渋谷の呑んべい横丁に行った。 路地の両側に狭い飲み屋がぎっしり。そのうちの一軒に吸い込まれた。 「やさいや」。京料理の飲み屋である。たまたま女将が来ていた。 女将と話が弾んだ。 彼女は、いろいろな飲食店の経営を積んできた。 女将は南青山に、予約が合ったときだけに開く隠れ家料理屋をやっている。 石段を登りあがった路地の左手。日本家屋がある。 門扉を開けると、だらだらと続く坂のエントランス。 その奥に秘密の入り口がある。 お座敷は三つ。どこからも竹林の庭が見える。 とても東京とは思えない至福の空間。今日は一軒丸ごと貸切だ。 竹林をバックに一絃琴が置いてある。 照明は行灯のみ。竹林が照らされて浮かび上がっている。 なんとも幻想的な幽玄の世界だ。まるで京都。 さあ、19時過ぎ。メンバー18名がそろった。 私がスタートの挨拶と先生のご紹介をする。 一絃琴が心に沁みる。 さあ、魂が共鳴する至福の会がはじまった・・・・・・
2009.03.27
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昨年3月にブログを4年ぶりに復活してようやく14万ヒットを達成した。 6年前にアントレプレナー塾の塾生へのメーッセージ代わりに 楽天日記をはじめた。そのころは寺子屋塾の内容が濃かった。 故あって1年ちょっとで断筆した。 頻繁に書き込んでくれた電脳天使「ちかちゃん」がいた。 セミナーの公聴記を書くとセミナーに行けていいなぁと書き込む。 グルメ日記を書くと「いいなぁ、今度みつおかさん連れて行ってください」と書く。 「重大決意をします」と書き込まれたあと、ぴったり来なくなった。 それから1週間後、突然、従姉妹と称する女性から書き込みがあった。 みつおかさんへの書きかけがあったのでメールします。 1週間前、ちかたんは白血病で帰らぬ人となりました。 本当にショックだった。 書き込みをした日に抗がん剤を大量に投入する療法を試みたのだが、 そのまま目が覚めず帰らぬ人となったのだ。 天使は天涯孤独だった。両親に先立たれ、お兄さんに育てられた。 お兄さんと仲良く歩道を歩いているときに、一台の車が突っ込んできた。 とっさにお兄さんが天使をかばい、お兄さんは即死。 天使は植物状態になった。 ぐれていたいとこのマユミさんをいつも抱きしめ更正させたちかたん。 マユミさんは今度は自分が恩返しをする番と、何もしゃべらない天使に 声を毎日掛け続けた。 奇跡が起きた。目が開いたのだ。 それから必死のリハビリ。ついに立てるまでになった。 お兄さんと神様に自分は生かされたのだ。 これからは人のために生きようと誓った。 夢だった大学に行くのを断念し、経営の猛勉強をした。 お兄さんは小さな広告会社の社長だった。 若くしてその会社を継いだのだ。 何をやってもうまくいかなかった。 そしてもがき苦しんだ。 そうだ、まだ自分のためにやっている。人を幸せにしよう。 それから会社は変わった。売り上げがどんどん伸びていった。 神様は時々意地悪をする。 事故で大量の輸血をしたが、今度は白血病を発病したのだ。 病院から皆を励まそうと楽天日記を天使は始めたのだ。 しかし元気な日記からはそんな入院してるとはまったく分からなかった。 ちかたんには付き合っている人がいた。その彼と病院で結婚式を挙げた。 その彼のために、完治を目指し、危険な療法に挑戦し、帰らぬ人となったのだ。 それから4年が経った。 いつしか楽天日記は楽天ブログと変わった。 封印していた楽天日記を昨年再開した。 毎日書くのは正直辛い。朝、5時に起きて書くことも多い。 こんな下らぬことを読んでくれる人はいるのだろうか不安になる。 でも誰かが読んでくれている。 ちかたんのように楽しみにしてくれる人もいるかもしれない。 そんな想いでなんとか続けてきた。 皆さまにただただ感謝です。 これからもよろしくお願いします。
2009.03.26
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銭湯の楽しみは、いろいろあるがなんと言っても、湯上りの一杯であろう。 銭湯の楽しみは、まずは広い湯船である。 手足を伸ばして広い湯船にゆっくり浸かる。気分は最高だ。 お次はその雰囲気だ。高い天井。富士山のペンキ絵。 あるいは雄大なタイル画。 また身体をほぐしてくれる各種特殊湯も楽しみの一つだ。 たとえば薬湯。このあいだ目黒区の富士の湯は森林浴風呂であった。 森に包まれたような香り。フィトンチットが充満している。いい気分だ。 特殊湯には、ジェット湯が多い。泡が勢いよく身体を包んでくれる。 白濁した湯もいい。世田谷鶴のエッキスの湯もレトロでいい。 電気風呂も面白い。白金の三越湯でこれに入ったときは全身が痺れた。 本当にビリビリくるのだ。心臓の弱い人は避けたほうが無難だ。 銭湯の一番の楽しみは湯上りの一杯である。 火照った身体にビンビンに冷えた生ビール。 ゴクゴクッといく。ああ、最高の瞬間だ。 武蔵小山駅前に立ち呑み焼き鳥屋がある。 焼き鳥を炭火で焼いている。煙と香りがあたりに広がる。 これでは吸い込まれない訳がない。 すうっと吸い込まれて、狭い空間でもつ焼きをほうばる。 ここの焼き鳥は極上である。鰻焼きもある。 焼き鳥と言えば麻布十番のあべちゃんも最高。 仙台坂したの竹の湯で浸かったあとのここの煮込みはもう抜群。 湯上りのちょこっと一杯。ああ、これはやめられない。 広尾商店街で広尾湯に浸かったあと、ちょっと串で一杯も最高だ。 揚げたての串セットにジョッキーの生ビール。ああもうたまらない。 どうですか。 早く行かないと絶滅種の銭湯はどんどん減っていますよ。 「湯上りのちょっと一杯」研究会 隊員募集中! いざ、銭湯探検隊・・・
2009.03.25
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鎌倉の寿司屋「吉咲」の地魚握りは至福の味であった。 友よし、味よし、酒よし。昼間からの言うことなしの飲み会。 日本酒ってこんなに美味しかったのか。ああ日本人でよかった。 午後2時。外に出るとジャージャー降り。 鎌倉の西口に出て銭荒井弁天方向に。 扇ヶ谷の住宅街は凄い。門構えが半端じゃない。 どの家も料亭か、高級旅館のようだ。 途中、鎌倉ワイン館に寄る。 民度を反映してフランスワインの品揃えは五百種類を越える。 福沢先生お三方で、ワイン5,6本を見繕ってとご主人に頼む。 何本か持ってきているのでこれでしめて10本。 鎌倉令夫人の邸宅は一番奥まった、山のふもとの抜群のロケーション。 10年前にきたときの隣の空き地は映画に出てくるようなスペイン風の大邸宅。 何でも女性が一人で住んでいるとのこと。何をやっている人なのであろう。 鎌倉令夫人のお宅はお洒落の局地だ。 入り口を入ってすぐ左に、まず一部屋がある。 洋風の八角形のこの部屋、正方形に畳が埋め込んでいる。 ちゃぶ台に二つの座布団。 おおなんという至福の空間。 ここでやりましょうか。それとも二階? ここでは寝てしまうので、二階にしましょう。 正方形の大きい窓からは竹林と山の借景。 おお、まるで住宅雑誌の一ページだ。 窓際には50センチの一枚板。そこがデスクになっている。 竹林を見ながらパソコンを打つのだ。 天井は高く山小屋風。角度がある。 太い丸太の梁が格子状に浮き出ている。 壁は洋風の塗り壁。自然な塗り模様がアクセントになっている。 照明はすべて間接証明。だから優しい。しかも窓が多い。 なにしろシンプルな空間だ。ちょっとした洋風家具。お洒落だ。 チーズ各種に、ドライイチジクとレーズン。 チキンペーストにクラッカー。 次々に運び込まれる一品料理。 シャンパンが抜かれる。 きりりと冷えたプイイフュメ。 ブルゴーニュとボルドーのの名醸ワインの数々。 テーブルの上の空壜がどんどん増えていく。 ソファーや椅子に思い思いにリラックスして座る。 話題は数学の才能と文学の関係。 こちらも酔ってきたので、頭が数学的にくるくる回る。 おっといけねぇ、気がつくと居眠り。 この至福の時間よ、止まってくれ・・・・ そろそろ帰る時間だ。
2009.03.24
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