SARSの思い出 <OUTBREAK 2>
長い間更新していなかったので、また新たに書くということにものすごくエネルギーとモチベーションが必要だった。
さて、WHOが調査するうちに、AmoyGardenのOutbreakのはじまりとなった男性が浮かび上がってきた。
彼は33歳、シンセン在住、1987年から腎臓病を患っており、週2回香港にある病院(Prince
of Wales Hospital)に腹膜透析のため通院していて、そのたびにアモイガーデンに住む、彼の兄弟のところに泊まっていたのだ。
2003年の3月14日 いつもどおり通院のため来港、そのとき既に発熱、下痢があったようで、その後病院で、当時世間をにぎわしていたAtypical Pneumoniaの疑いがあるということで入院していたのだ。入院先は当時恐れられていた8Cと8A病棟(こわっ)
しかし、その後 病状は回復して結局インフルエンザだったことがわかり、3月19日に退院、その日も兄弟の家(アモイガーデン)で一泊して翌日シンセンに戻る。
3月22日に透析のためにいつもどおり病院に行ったが、発熱、息苦しさがあったため再入院となる。その時とったレントゲンの結果、前回とは違う肺炎と診断される。3月23日には病状悪化のためICUに移され人工呼吸装置をつけられる。そして3月27日についにSARSと診断されたのだ。(結局山を乗り越え回復して、6月に退院)
8月にPrince of Wales Hospital Ward8A, Amoy
Garden,
33歳男性のウイルスの遺伝子配列を調べたところ3つともものすごく似ていることがわかった。
3月14日に入院する前に、彼は既に発熱、下痢が続いており、アモイガーデン滞在中に近所に撒き散らした後で入院、実際はSARS感染+インフルエンザ感染ということで発見が遅くなったと伝えられている。
彼と至近距離で接触した、彼の兄弟、その奥さん、入院中に彼の世話をしていた看護師などがすべてSARSを発症している。(みなさんその後治癒、退院)
結果的にE棟で感染した人が一番多いので、彼が元になったという説は間違いないし、その感染力の強さはかなりすごいと思う。
Block E
93ケース (49%)
Block C
24ケース (12.6%)
Block D
20ケース (10.5%)
Block B
15ケース ( 7.9%)
残りのブロック 38ケース (20%)
彼の兄弟の家がブロックEにあった。ECDB棟は並んで建っている。
AmoyGardenは恐ろしい場所として香港中に知れ渡り、SARSが広まった理由として配管の悪さが指摘された。本来壁の外にあるはずの配水管が家屋内に通っており、パイプが鉄製でさびており汚水が染み出たりしている様子がニュースで何度も流されていた。
特にスーパースプレッダーが下痢をしていたために感染がスピーディーに広がったのだろう。ただし感染経路がはっきりと解明されたわけではなく、上で流したトイレの水が、何かの拍子に階下に住む住民の家のトイレに流れ込み、流したときに飛まつがトイレ上に上がりそれがもとで感染していったと言われている。
このおかげで「清潔にしよう運動」がさかんになり、アンディーラウとサミーチェンがカップル役で家の中をきれいにしているCMが頻繁にながされ、「ヤッペイガウガウ 1対99」という言葉が定着、つまりバケツに水をいれ、そこに漂白剤を少しいれ、その水で家の中をくまなく掃除するのだ。できれば掃除に使った雑巾、ゴム手袋はきちんとゴミ袋に入れてしっかり封をして捨てるというところまで指導されていた。
排水溝からの感染という恐怖はどこにでもあることで、本配水管から各家庭の管の間には水がたまるスペースがあり、それが弁となっている。そこに水がなければ汚いものが入ってくるとのことで、キッチン、バスルームについている排水溝に「ヤッペイガウガウ水」を定期的に流し込みましょうというCMも頻繁にながれていた。私も一応それにしたがって、当時はしょっちゅう掃除をしていたように記憶している。
あの時ほど香港人が一丸となって「清潔」に取り組んだ時期はなかった。あのおかげで汚いイメージの香港の街が少しずつきれいになっていったように思う。
街のあちこちには簡易消毒液が設置され、どこでも手をきれいにできるようになった。もちろんバッグの中にスプレーを入れている人もたくさんいたし、レストランの食器もきれいになり、箸はすべて割り箸になり、とり箸が各料理に一つずつついてきたりもした。
AmoyGarden E棟の住民はすべて別の場所に隔離、その後棟全体を消毒、ペストコントロール、まわりの棟、その他SARS患者が出た別のアパートなどもすべてきれいにして、その後4月15日以降はAmoyGardenからは一人もSARS患者は出ていない。