希望の綴り

小学3年生


しかし、相変わらず遅刻していったり 私からなかなか離れられずに ぐずりながら教室へ入って行く日々を過ごしていた。

この年 長男も1年生に入学した。

実質担任は、学年の後半(二学期の途中から)は、内地留学(言葉が曖昧?)で大学へ勉強に行ってしまったので、後半は臨時採用の若い女の先生に変わった。

先生が変わった途端に 教室へは行けなくなった。又、保健室登校に逆戻り・・
それでも、娘は教室へ行こうと努力はしていた。
その日も 遅刻してではあったけど 教室へ行った。
たまたま書写の時間で 担任の先生ではない先生の授業だった。
遅刻して学校へやっとの思いで行った時間であり、気持ちも乗ってはいなかったと思う?その時に 前だったか?後ろの席の子が熱性けいれんで倒れてしまった。
その状態を目の当たりに見てしまった娘は、凄くショックを受けて 給食も食べれなかったらしい!それでもその日授業は、最後まで受けてきた。
この日を境に 娘はピタッと学校へ行かなくなった。

この時、私は何で?何で?という思いが強かったと思う?
丁度次男が少~しずつ赤ちゃんから子供らしくなってくる時期で可愛い盛りだった!学校へ行けない娘を見ているのは辛かったが、次男がクッションになってくれていたような気がする?

後で思った事だが、この時娘が学校へ行けなくなった理由!
多分  娘は、熱性けいれんを起こした子を見てショックを受けた事を 担任の先生にも誰にも気が付いて貰えなかった。給食を食べれない位ショックを受けたのに・・・(T_T) それで担任の先生を信用出来なくなってしまったのでは、ないかな?唯一頼りの養護の先生は、けいれんを起こした子と一緒に病院へ行ってしまったし・・・ 学校の中で頼れる人がいないと思ってしまったのではないかと思う。

それから4年に上がるまで一度も学校へは行かなかった。学校の敷地の中にさえ足を踏み入れようとはしなかった。3年の11月の下旬の事だった。

家の中に居ても ズーッとテレビやビデオを観ている娘を私は、許せなかった。そんな時県の有名な相談部長をしている方が、近くの中学にカウンセラーで来ていた。その先生と話しをする事が出来た。

小さい頃からの生い立ちやら色々聞かれ、娘の幼児期の話で 不登校になって当たり前の幼児期を過ごして来たと言われた。
そして、現在の自宅での様子を 話をしたら テレビを観る元気があるならまだ大丈夫と言われた。本当にエネルギーが無くなってしまった子は、布団から出て来ないと・・・テレビすら観る元気は無いからと・・・ 安心しました。と言われ・・(?_?) 
そうなのか?と始めて 今の状態はまだ良いんだと実感させられた。

3年生の後半は、自宅でのんびり過ごした日々だった。
勉強も遅れ 運動能力も落ちてしまったが・・・
娘にとっては、私と幼児期に接し足りない部分を取り戻した日々だったのでは、ないかなと思う?

2005年10月27日

小学4年生 へ続く

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