1
羽毛 今回初めて、羽毛布団をコインランドリーで丸洗いしています。 やはりね、洗わないと干すだけでは臭くなりますよね。 汗とか染み込むし、 それで、ネットで「羽毛布団 洗う」と入れて検索しました。 洗い方は、 おしゃれ着洗いの中性洗剤を使う布団用のネットを使用する といいようです。 それから、自宅で干す場合、丸2日、夏場の晴れの日に外で干竿の棒を二本使って間隔をあけて干すのですが、なかまで良く乾かないと臭くなるので、途中で裏返ししなくてはいけません。 いまは五月なので コインランドリーの乾燥機で乾燥させます。 この場合も、二百円程度入れて乾燥させ、途中で蓋を開けて、裏返してあげ、裏表満遍なく乾くようにしようと思います。 そして、自宅へ持ち帰り、さらに外に干してあげたらいいのかな とても綺麗になった、香りのいい羽毛布団になるのを楽しみにしながら、まったりとくつろいでいます。 世界中の人たちへ愛を〜 Send Love to People All over the World 弥勒菩薩の教えと共に
2017.05.05
閲覧総数 10830
2
最悪な間違いだった...(目覚めはじめたアメリカ兵) デモクラシー・ナウでは、平和に関するレポートをご紹介します。NATOの63年の歴史の中で最も大きなサミットが開催されているシカゴからの放送です。さて、60か国からの代表者たちが厳重に警備されたマコーミック・プレイス・コンヴェンション・センター(Mccormic Place Convention Center)で会議に参加しています。何千もの反戦抗議者たちが通りを歩いています。■グラント・パークからマコーミック・プレイス・コンヴェンション・センターへのルートhttps://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wlURL:http://www.chicagotraveler.com/attractions/mccormick-place.html日曜日、抗議者達はグラント・パークからNATOサミット会場まで行進しました。NATOサミットに対するこの行進は、一週間の期間続く最も大きな行動を記録しました。イラク・アフガニスタンの退役軍人達やアフガンズ・フォー・ピースのメンバー達によりこのデモ行進は実行されました。・・・No Nato, No more!ノー・NATO、ノー・モア!No Nato, No more!ノー・NATO、ノー・モア!We don't work for you no more!私達はこれ以上、あなた達のためには働かない!We don't work for you no more!私達はこれ以上、あなた達のためには働かない!N-A-T-Oエヌ・エイ・ティー・オーN-A-T-Oエヌ・エイ・ティー・オーWe don't kill for you no more!私達はあなた達のために人をもう殺しはしない!We don't kill for you no more!私達はあなた達のために人をもう殺しはしない!では今から、NATOによる数々の戦争に反対する退役兵達はひとりずつステージに上がって、彼等は何故軍隊からもらったメダルを返上するのか話します。彼らの思いを聞いてください。何故戦うことをやめて平和を求めたのかこれほど多くの声はこごてしか聞けません。ある人達は無実の人たちを殺しました。またあるものは国内から戦争を継続するのを助けた者もいました。ある兵士たちは彼等の友人が戦争で死ぬのを目の当たりにしました。私達の幾人かは、ここにいません。何故なら、彼等は自分の命を自ら絶ってしまったからです。私達は政府が私達に約束した介護は全くうけられず、不成功に終わった政策が多くの虐殺を生んだのを私達は見ました。どうか良く聞いてください。聞いてください。そして考えてください、それをする価値があったのでしょうか?(群衆が)ノー、ノーこのメダルが私達の慰めになるのか?それとも政府の嘘と腐敗を隠し、祖国のために戦った若い男女への虐待を隠すためか?私達はこのメダルの嘘を暴きます。どうか聞いてください。・・・ここから退役兵達の発言・・・私の名前はアイリス・フェリシアノです。私は、マリーン・コアで2002年1月に、アフガニスタンの作戦に従軍しました。(ステージの後ろを見ながら)私は、私たちの後ろにいる人達に言いたいです。嘘と恐怖に満ちた作戦をいくら練っても、もうだまされません!私達は彼等の嘘や失敗した政策を支持しません!もうだまされない。不当な戦争は拒否します。兵士を撤退させ、今戦争を終わらせよう!メダルを返上します。私の名前はグレッグ・ミラー、アメリカ軍の退役軍人です。イラク歩兵部隊に2009年にいました。アメリカ政府はこんなくだらないメダルを兵隊やサービスメンバー達などに渡して、私達の良心が奪われた後に出来る心の空虚な隙間を埋めようと試みますが、私に対してはこれは効きませんでした。だから、テロリズムに対する世界戦争メダルを返上します。そして、これは国防メダルです。これは嘘っぱちです。私の名前はスコット・キンボル、イラク帰還兵です。アフガニスタンやイラク、パレスチナ、世界中の侵略の犠牲者の人たちのために、このメダルを返上します。そして、戦争に反対するサービスメンバーの人たちや退役軍人の人たち、あなた達は一人ではありません。私の名前はクリストファー・メイです。私は良心により兵役を拒否し軍隊をやめました。私達は教わりました。このメダルが表すのは、民主主義と正義であり、希望と世界のための変革であると。しかし、これらのメダルは、国民の意思を正しく代表できないダメ指導者達の失敗を意味しています。このメダルは、世界中の人たちの権利を奪おうとしている奴らの失敗した政策を意味しています。人々を助ける代わりに彼等は利用しています。そして、彼等は世界を更にひどくしています。私はもうこれ以上、その計画の一部にはならないぞ!このメダルは私にとってはなんの意味もない。これは返上するよ!私の名前はアッシュ・ウールソン。私は軍曹としてイラクに行き打ちのめされました。私は誰にも同じ苦しみを味わってほしくない。そして、私達の子供たちにもこの苦しみを味わってほしくない。だから、私はこのメダルを返上する!私の名前はマギー・マーティンです。イラクに二度行きました。どんなメダルも、戦争により受けた人間の苦しみを消す事はできません。私達はこんなゴミはいらないです。人間の権利が欲しいのです。自分の苦しみが治癒される権利が欲しいのです。★ジェイコブ・クロフォードイラクとアフガンに行きました。彼等がこのメダルを私にくれた時、私はそのメダルが意味がないことを知っていました。もっと早くから戦争が如何に馬鹿げたことなのかについて大声で自由に話さなかった事を後悔しています。私はこれらのメダルを返上します。ブラッドリー・マニング(http://wiki-leaks.mokuren.ne.jp/person/bradley-manning.html)を解放しろ!私の名前はジェイスン・ハードです。私はアメリカ合衆国の軍隊で十年間衛生兵として勤務しました。イラクのバグダッドに2004年に配属され、ここに、イラクとアフガニスタンの人々と連隊し、テロリズムに対する世界戦争メダルを返却するために来ました。これらの国々を、そして世界中の至るところで、私達が破壊行為をした事について私は心から悪かったと思っています。私はここに、私の退役軍人の友と、そしてアフガニスタンの姉妹達と友に立つことが出来るのを誇りに思っています。こんなメダルは嘘っぱちです。返します。私の名前はスティーブンです。イラクに2度戦闘任務で配属されました。両親を失ったイラクの子供達にこのメダルを捧げます。私の名前はショーン。私はイラク戦争で生物・化学兵器の専門家でしたが、イラクには大量破壊兵器は1つもありませんでした。だから私は陸軍をやめました。他にも四万人の人たちが米国の軍隊を除隊しました。その理由は、これが嘘だからです!私はウィスコンシン州から来たスティーブ・アッシュソンです。私は五年間、米軍の前線偵察兵でした。イラクのサドルシティに2005年に配属されました。私は自分のメダルをイラクとアフガニスタンの子供たちに返します。願わくば私達が彼にした行いを許し給え。私達の傷が癒されますように。私達が平和のもと永遠にいきますように。私はマイケル・サーマン。良心的な兵役拒否者です。私はブラッドリー・マニング上等兵にかわって、このテロリストに対する世界戦争のメダルと軍のコインを返上します。マニングは、全てを犠牲にしてこれらの戦争の真実を私達に見せてくれんだ!私の名前はマット・ハワードです。2001年と2006年にイラクに海兵隊員として行きました。私はイラク・キャンペーン・サービス・メダルと対テロリスト世界戦争メダルを含む3つのメダルを返上します。外傷性脳損傷や軍内部の性的外傷、そして、心的外傷後ストレス障害で苦しむ仲間のために。私はザック・ラボルト、ウィスコンシン州出身でイラクにいきました。ありがとう。私は今日自分のメダルを返上するのですが、その理由は、違法な戦争に参加させられ騙されたと思ったのですが、イラク人の解放のためだとか言われました。しかし、人々を解放するのではなく、彼らの油田を開放させていたのです。私はスコット・オルセンです。私は今日、対テロリズム世界戦争メダル、イラク自由化作戦メダル、国家防衛メダル、リーインコープ・グッピコック・メダルを返上します。このメダルを受け取って、私は一時期私がした行いを誇りに思っていました。自分が正しい事をしていると言う気持ちになりましたが、現実に戻りました。こんなメダルはもう要らない。私はトッド・デニスで、米国海岸で働いていました。私は心的外傷後ストレス障害(PTSD)になっています。この2つのメダルをもらった時、勤勉で献身的で模範的な行いをした者に与えると言われました。私はPTSDを隠して軍で自分を酷使しながら働きました。自分自身が治癒する権利を求めます。・・・・・・続く
2013.03.16
閲覧総数 188