禊・祓の起源

禊の起源

 記紀神話によるとイザナギの大神は
竺紫の日向の橘のあわぎ原にある小さな水門で黄泉の国の穢れを除く為に禊祓を行ったとされています。
「古事記」によれば、
 吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。
 かれ、吾は御身の禊せむ、とのらして、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊祓したまひき。

 これは汚い黄泉の国から脱出してきた伊邪那岐神が「私は何と汚い国へ行ったものだ、禊をしよう」と言われて、
小さな水門で禊祓をされたという事です。
いよいよ禊を行うにあたって、伊邪那岐神は身に付けていた物をことごとく投げ棄てます。
その時投げ棄てたのは、御杖・御帯・御嚢・御衣・御褌・御冠・左の手纒・右の手纒等で、
これらから十二柱の神々が生まれたとされています。
 このように、身に付けていた物をことごとく脱ぎ去っている事から、禊の起源は「身削き」とする説があります。
また、水中に身を投じ、身を振りすすぐ事、これら全部が「身削ぎ」との説もあります。
 ミソキとは現在一般に禊の字を当てていますが、古くは身曾貴・身祓・潔身・身滌等と表記されていました。
特に「滌き」は、アラフ・ウゴカス・ススグ・ソソグ・ハラフ・キヨシとも読む事が出来ます。
これらの読みからも分かるように「滌き」とは水中に身体を浸してゆらゆらと振り動かす事です。
つまり身体を振るって罪穢れを洗い落とす事です。
それは単に衛生上の為だけで、そうする事により魂を純潔無垢の状態に立ち返らす効果があります。



祓詞

掛けまくも畏き伊邪那岐大神、
竺紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓ひ給ひし時に成りませる祓え戸の大神等、
諸々の禍事罪穢有らむをば、
祓へ給へ清め給へと白す事を、
聞食せと恐み恐みも白す


祓詞を唱えれば伊邪那岐神が禊を行ったときに生まれた祓戸の神々の力が発動されて、罪や穢れを祓い清めて頂けるのです。



祓の起源

 祓も禊と同じく人間を不幸にする罪や穢れを除去する神道の重要な儀式の一つです。
しかし、祓の場合は禊の様に水を必要とせずその代わりに
罪穢れを贖う為の料として差し出す祓具(祓物・祓柱・祓種とも)を用います。
大祓の神事に祓具として差し出す形代・人形などがそれです。
それらの祓具で体を撫でで、それに罪穢れを移して川や海に流します。
因みにこれらを体を撫でる事から撫物とも言います。

 「古事記」によれば、伊邪那岐命は三貴子が誕生したので、大層喜び
天照大御神に高天原(天上界)を、月読命に夜の国を、須佐之男命に海原を統治するように言われたのです。
ところが、須佐之男命が亡き母に会いたいと駄々をこね、伊邪那岐命から勝手にしなさいと言われました。
そこで地下の国へ行くのに天照大御神に暇を言いに高天原まで来たのですが、高天原で数々の罪を犯してしまいました。
これは、天津罪と同じことをしたと言われています。
罪を犯せば、その贖物を出さなければなりません。
これを千位置戸と言ってます。
これは全財産を没収されたことを意味しています。
それでもなお埋め合わせする事が難しく、更に髭、手足の爪を切られ、高天原をついに追放されてしまいます。
これが我が国の祓の起源です。

 そしてその後素戔鳴尊は出雲国へ天降り、八岐大蛇を退治し、草薙剣(三種神器の一つ)を得て、それを天照大御神に奉献し、
櫛名田比売と結婚して八島士奴美神を生み、また神大市比売を妻にして大年神と宇迦之御魂神を生み、
多くの子孫をもうけました。
 高天原では悪神とされた素戔鳴尊が出雲国では忠誠を尽くす勇敢な善神へと生まれ変わっています。
それは何があったからか?
祓、そう大祓が執り行われたのです。
つまり祓を経た事により、素戔鳴尊は新しく生まれ変わることが出来たのです。

罪・穢れ・災い・病気・過ち・咎などを除去し、清浄無垢な心身に変えるのが禊祓です。

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