逃げる太陽 ~俺は名無しの何でも屋!~

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2022.01.18
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後ろから大人の声が聞こえて、追いかけられるように僕は芒の中を闇雲に突き進んだ。それはあの男の声ではなかったかもしれない、でも、そのときの僕には、自分を捕まえようと引き留める、怖い人の声にしか聞こえなかったんです。

初め疎らだった芒は、奥に行けば行くほど密集してきました。視界は全て砂色の芒の茎、僕は泳ぐように進んだ。子供は身体が軽いから、実際泳いでいたのかもしれない。地面に、足がつかなかった気がするんです。

ただもう我武者羅に手を動かし、足を動かして……あっ、と思ったときには、丸い広場のようなところに転がり落ちていた。唐突に現れた空間で、僕はまるで水から飛び出した魚のように口をパクパクさせていた。驚きと、限界まで身体を動かした苦しさで、しばらく動けなかった。

見上げた空は、太陽は見えないのに不思議に明るかった。

白い雲がどこまでも広がっていて、ところどころに淡い金色や薄い茜色が入り混じり、明るいのにちっとも眩しくなかった。見えるかぎりの芒の穂がふんわりふわふわ輝いていて、それが空に上って雲になるのかな、なんてことを考えていました──恐怖とパニックの限界で、意識を逃避させていたんだろうね。

どれくらいそうしていたか、ふと気づくと、着物を着た子供が傍に立っていました。逆光で顔は見えなかったけれど、長い髪をしていて、色白で、手足も細かったので、女の子だと思いました。


  どうしたの? 早いね、いつも来るのは冬なのに


初めて会ったはずなのに、知ってるふうにその子が話しかけてきた。頭のどこかでちょっと変だとは思ったけれど、自分がとても怖かったことを訴えるほうが、そのときの僕にとっては大事だったから、怖いおじさんから逃げてきた、と答えました。





その子はそう言って、僕を立ち上がらせてくれた。並んでみると、背は僕よりずっと高くて、遊び友達のお兄ちゃんと同じくらいの年頃に見えました。一重の涼やかな目元、赤い唇が印象的で、きれいなお姉さんだな、とぼうっとその顔を眺めていました。


  どうしたの、もう怖くないよ


不思議そうに彼女が言うので、僕はうなずいた。ずっと心に圧し掛かっていた恐怖心が、嘘のように消えていきました。


  遊ぶ?


それにもうなずくと、相手の表情が花が咲いたようにパッと明るくなりました。


  うれしいな。遊ぶのうれしいな
  いつも遊んでくれないのに
  今日は遊べる、うれしいな


はしゃぐ様子に僕もうれしくなってきて、彼女が教えてくれる遊びに没頭しました。芒の葉を折って結んで、中に小石を入れてお手玉にしたものや、笹船もどきをいくつも作ってくれて、彼女はとても器用だった。特に驚いたのは芒の葉を虫の形に作ったもので、バッタなんかは本物そっくりでした。


   楽しいな 


 うん、楽しい。楽しいね。

   さびしかった 
   ずっと一人で 寂しかった

 ひとりじゃないよ、もっと遊ぼうよ。

   遊ぼう、遊ぼう


 うん。いっしょに遊ぼ。

   ほんとうに? 
   ずっと一緒にいてくれる?

 うん、いるよ。もっと何か作って!

   作ってあげる 
   何でもつくってあげるから

 作り方教えてくれる?

   教えてあげるよ 特別だよ
   特別だから


これあげる、と言って渡されたのは、何か半透明の……似ているものでいうと、葛饅頭のようなもので、とても甘い、美味しそうな匂いがしました。


   これあげる
   食べて

 ありがとう!


僕はそれに齧りついて、びっくりした。食べたことがないくらい美味しかった。だけど幼い僕には大きすぎて、一度に半分も口に入れることができませんでした。一所懸命頬張っている僕を、彼女はにこにこして見つめていたんですが、ふと。


 ──!
 ……──
 ──…………!


何かが聞こえた気がしたんです。


 あれ? 誰か呼んでる?

   呼んでないよ、
   あれは風の音だよ


 ……──
 ──……──!
 ……! ……ぉ……ぃ


 風の音?

   うん、風の音だよ
   それより、ちゃんと全部食べて

 うん、でもちょっと大きいんだ。

   食べてくれたら
   ずっといっしょにいられる

 うん。

   いっしょにいたら
   もう寂しくない、寂しくない


 …………ぃ
 ……──……!
 ──…… …………


 あれ……? やっぱり誰か……。

   風だよ
   あれは風の音だよ
   風の音を聞いてはいけない
   連れて行かれてしまう
   行かないで

 うん、行かないよ。

   行かないで
   これもあげるから


あげる、と言われたのは、芒のかんざしでした。耳のあたりに挿してくれたのが、目の端で垂れた穂がゆらゆら揺れるのが面白くて、僕は笑った。


   似合うよ、似合う
   だからそばにいて 
   それは
   ずっといっしょにいられるしるし


ずっと一緒にいられるしるし、と聞いて、僕は饅頭の残りをいったん芒の葉の上に置き、一番形が綺麗だと思った芒の穂を取って、同じようなかんざしを作り、これをあげる、と彼女に差し出しました。


 ちょっと屈んで。おそろいにしよ。


僕がそう言ったときのあの子の驚いた顔。今でも忘れられません。


   我は女の子じゃないよ

 え? 僕も女の子じゃないよ、男の子だよ。

   ……女の子じゃない?

 そうだよ。きみこそ、女の子じゃなかったの?

   そなたは
   そんなに愛らしいのに

 でも、僕男の子だよ!


「女の子みたいに可愛い、愛らしい」はその年でも言われ慣れていて、ふだんは聞き流していたのに、あの子に言われたのが悔しくて、大きな声で否定しました。

そのとたん。

気づいたら、僕は母に抱きしめられていた。後ろに立つ父が泣いているのを見て、変だな、と思ったら、抱きしめながら母も泣いていた。僕は何が何やらわからなくて──次に気がついたら、病院のベッドでした。





真久部さんの回想、これにて終わりです。


ところで、今日は 1月18日
そして、まさにその 1月18日の話 が、これ↓。

2008年1月18日の<俺> 一年で一番 寒い 日 1

今日のように寒い日の話です。 きっと忘れているだろうから 既読の方も、未読の方も、是非。





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最終更新日  2022.01.18 12:00:04
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