逃げる太陽 ~俺は名無しの何でも屋!~

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2023.03.08
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もちろん村の人たちも、モグラやネズミ、虫除け目的で田の畔や畑の縁などに植えていたようだけれど、と真久部さんは続ける。

「あの庭の透垣の向こうは池で、昔はもっと大きかったといいます。池の堤は耕作などする場所ではないから、雑草である彼岸花だけは株分けしてまで増やし、増えて群落となった彼岸花は堤から続く阿加井の家の庭まで覆い尽くして、花の時季にはそれは見事なものだったとか」

秋──。真っ赤な花に包まれた静かな池。夕刻ともなれば、花は傾いた陽射しに染められて朱金の帯となり、家と池をひとつに結ぶ……。

「きっと、この世のものとは思えない眺めだったことでしょうね……」

頭に浮かんだ光景に向かって呟くと、店主は頷いた。同じものを見ているかのように。

「昔は彼岸花は不吉と忌まれたものだけど、あまりにも美しすぎるから、現実に存在するのが間違いじゃないかと、それで畏れられたのかもしれないね──。その池も浄土池という名だし、彼岸の頃のあのあたりは、近隣の在所に阿加井浄土などと呼ばれていたというよ」

今も地名にその名残りがあるとつけ加え、飲みごろになったお茶で喉を湿す。

「江戸時代、何度も記録されている大飢饉。作物は育つ前に萎び、草も枯れ果てる。食べられるなら草の根でも掘り出して食べ、食べられなかった者は衰弱の果てに飢え死にし……そんなときでも、阿加井の在所では死者は少なかったそうです。彼岸花の球根が他所より豊富だったお陰で」

彼岸花は、極限状態の村人たちの命を何度も養ったんだよ、と真久部さんは言う。

御祖 みおや であり、贄──。日本における絶対的なそれは稲だけれど、稲でなくても条件次第でそうなるものがあり、阿加井の在では、稲に準じる形で彼岸花がそのようになったようだね」

飢饉が起こるたび、人の命をぎりぎりのところで救い、養ってきた。阿加井の家とその周囲に根差した、彼岸花──。

「稲は、祭祀において重要な位置づけがなされています。 御饌 みけ として神前に捧げられるし、皇室には御田植や稲刈りの神事がありますよね。即位の年の大嘗祭や、新嘗祭……諸説あるけれど、それは稲が霊的食物、つまり命の御祖であり、同時に、人に食べられる贄であるからなんだよ。そのようなものは何らかの、不思議な力を持つとされている。稲に準じた阿加井の彼岸花にも、同じように不思議な、独自の力が宿ったようです」

「どんな力なんですか……?」

俺の問いに答えるのは、捉えどころのない笑み。

「今回、何でも屋さんが体験したことだよ。彼岸の人となったご両親に会えたでしょう? それこそが阿加井家の、彼岸花の力」


──この場所ではね。彼岸花の咲くこの時期だけ、あの世とこの世の境目が曖昧になると言われているんですよ。


耳の奥に、あの老婦人の声が甦る。

「彼岸花の時期だけあの世とこの世の境目が曖昧になると……、聞きました」

真久部さんはうなずいた。



あの世の影であり、この世の影であるというのは、このときのこと、と真久部さんは続ける。

「別の方向から同時に色の違う光が当たって、影が二つ出来るのと似ているんじゃないかなぁ。あの世からの光とこの世からの光と。そこに|何もなければ《・・・・・・》、影は出来ない」

「影が、ふたつ……」

影の、本体。俺。両親。この世に生きる誰かと、かつてこの世に存在した誰か。

「そう。あちらの影がこちらに映り、こちらの影があちらに映る。だから、何でも屋さんのご両親が見えたし、ご両親にも何でも屋さんの姿が見えていたんです。──影だから、触れ合うことはできないけどね」



「彼岸花がそういう力を帯びたのは、ひとつは名前のせい。もうひとつはねぇ──」

思いに沈みかける俺を引き留めるように、言葉を切る。思わずその顔を見ると、目元に笑みはあるけれど、きっと本人にも自覚のない、憂いにも似た影が差す。

「──彼岸花を食べて、実際にあの世とこの世を彷徨う人がたくさんいたからだよ」

「え! それはどういう」

焦ってそう口走ったけど。

「あ……元々、毒があるんでしたっけね」

そうだった。彼岸花は有毒だ。適切な処理をしないかぎりは。





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最終更新日  2023.03.08 05:46:16
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