little island walking,

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novel>固陋ダ


























          粛々と自分の夜に向かう そこから固陋が生まれてくる
          猛然と他人の朝に向かう そこから冷静がはかられていく
            固陋と冷静の間から 詞が生まれてくる



















 「愛する」という言葉に注入した魂は、化学反応を起こすものだと信じていたが、けっきょく、どんな反応も示さなかった。言葉はイレモノにすぎないのだから、そこに埋めるべきものはいったい何なのだろうと考えてみたりする。「愛する」という言葉には「愛」というコトバがいちばん埋めやすく、ぴったりだと知ったとき、しかし「愛」というモノが、どんなイレモノにもおさまるかと云えば、そうではないような気もしてくる。


                                        固陋ダ。


















 晴れた日、九年前の朝は、飛行機雲の一群が、空の青をむしばんでいた。すっかりと黒くなった素肌に、心地よい痛みさえ知る。絆創膏を貼った傷痕からは、さわやかな木漏れ日が射しはじめ、昨晩降った露を緑に反射させる。僕の背中は、一本の細く長い、ゆるやかに彎曲した傷が残っており、おばあちゃんの丁寧な針先で、でっかいファスナーが備え付けられた。























 すくすくと育つ体には、ファスナーが追い付かなくて、自分の記憶さえも取り残されていったような気がした。それでも朝は射し、天を征し、月影をひっぱっていく理に憤りを覚えることもかなわなかった。遠くなっていく躯をひきとめようとするも、時間という軛は、堅くて巨大な透明さで、背中のドアを押し続けた。時間は、出口がなくても進まなくてはならない。死ぬことに感謝すらする。

























 飲み会の帰りに見たヨッパライは、僕よりもべろんべろんで、ジャイアンツの帽子の中に戻している最中だった。百円玉投げて、冷たいお茶を買ってあげると、「電車の中で飲むよ」と上り車両へネクタイを投げた。 ファスナーから見た景色は一面薄墨色で、夜の飛行機模様だった。
































 酒に呑まれて泣いている同じ空で 幸福なセックスをしている男女もある































 家に帰ってみると、TVがだんまりを決め込んでいた。
 熱いシャワーでイレモノを洗いたかったが、汚れているのはナカミも同じことだった。
 アルコールが抜けなくて、水を啜った。
 ほんのりと黄二十五号の味がした。























「あ」は青 「い」は黄、「う」は深緑 「え」は灰色、「お」は黒。
 なんでもない音記号が僕のボクを通すことによって「意味」を帯びていく。
 (今日ゎぁ、とてもぃい天気だね。ゎたしも街まで、ぁそびに行ってみたょ☆)
 なんの変哲も無い文字たちを使って、交信する、ただのイレモノにナカミを込めるため、文字は変遷する。馬鹿げた配列だと思うのは、ボクが古びたせいかもしれない。
 文字へのフェティシズム。































 ほどよい朝の時刻にうがいをする。
 205号室の喧噪は、家主に断りも入れずにわきたつ。「今日もさわやかな一日ですよう」お天気お姉さんの笑顔が、ニコール・キッドマンの横顔にまさるとも劣らなかった。































   二十五歳、OL 独身 彼氏付き
「……ええ、あたし、どうしてもうまくまわりととけこめなくて……。壁があるっていうか、人の笑顔が恐くなるんです。全然眠れないし。別の自分がもうぜんぶやめちゃえって云ってるような声聞こえるし」右手首の切り傷を見せる。

   三十五歳、精神科医 二児のパパ 
「じゃあ、ルボックスと、ハルシオン、ベケタミンAにデバス、レキソタン、ソラナックス出しておくから」カルテに書き込む。

       はしょりすぎ。






















 「私なんてどうせ、この世に必要のない人間なんです」


























  「この世に必要な人間なんて、元からいませんよ」








































    「僕は、ボクというイレモノなんですよ」
    「ボクは僕というこの中にいるんですよ」
































 ある晩にかわいそうな人たちががんばる姿をTVで観た。この番組のなかで、彼は富士山に登った。貧しくて、その日も食えない生活をしている少女があった。クーラーもTVも金も安定もないところで、彼女は必死に暮らしていた。
「ね? かわいそうでしょ? がんばってるでしょ? かわいそうでしょ? がんばってるでしょ?」
 TVはしきりにそう訴えていた。
 僕は、クーラーのがんがん効いた部屋のなかで、しっとりと涙した。
 CMではメイドインインディアの安製品を告知していた。
 クーラー効いたところで、きんきんに冷えたビール片手に環境問題の話でもしましょうか? 








































 ヒトっていうのはやっぱり勝手なもので、牛は喰ってうまいと思うが、犬はかわいそうだと思ったりする。逆のヒトもいる。子犬の引き取り手に困った男は、二ヶ月分のペットフードと、恐水病の予防接種をして、遠縁の家に引き渡すことにした。
「赤犬はうまいち云うぞ」
 やってきた子犬は、その日のうちに首を折られ、血抜きされ、毛を剥ぎ取られ煮込まれた。三六鍋。残された子犬の遺品は飼い主になるはずだった彼のペットに授けられた。








































 人間の勝手は気付くことすらないが、自分勝手は、捨て置かれるべき存在である。それは、人間があらゆる生き物に名前をつけ、しかしついぞ自らを助けるものを見つけ得なかったことにはじまる傲慢なのかもしれない。
 その傲慢とは、孤独と意味を同じくする。








































                     さ
     死にたいとも思ったし      つ
     殺したいとも思ったし      び
     生きたいとも思ったし      い
     守りたいとも思った。      の
                     こ






























 孤独を恐れる子供たちは、だれでもないだれかを求めるために、だれでもいいだれかへと、自分を叫ぶ。ハーメルンの笛吹きに誘われて、子供たちは嵐の吹き荒れる基底現実からおさらばする。ナカミを、自らのイレモノに引き受けることさえ投げ出して、編み目模様のふかふかお布団で、善人ごっこや、不幸ごっこや、悪人ごっこや、主人公ごっこに興じだす。
「本音が言える」? 「みんなやさしい」? みんな、現実に飽きているだけだよ。


































 嵐はいつでも生まれ、追いかけてくる。逃げることは出来ない。いつも、嵐は、自分の夜から生まれてくる。(「夜を走る」より)



















































 太っていて、愛嬌のある少年は、両親の離婚騒動のときに、細く長い、彎曲したファスナーを使うことを思い立った。きつくひきしめてカギをかければ、あとはもう、引き下がることもできなかった。
 彼の、へたくそな気遣いが危機を回避した。もう、昔の話だ。



















 僕はよく、いろんな意味で愛玩されてきた。そこからの切り口と、逃げ口を、くまなく探し、すでに見つけていた。かぶりもののバイトは遊園地の「フラワーレンジャー」だけでなく、商店街や、祭に飽き足らず、生活の上でも成り立った。備え付けられていたファスナーがそれを可能にした。なかなか脱いだり、着たりするのは面倒で、呼吸のたびに汗が足元をよぎった。 冷や汗に似ていた。

















 母の看護した実の母は、布団の上で叫ぶばかりで、あとはきらびやかに光る床の間の大きな棺と、写真しか残っていない。イレモノから正式に抜け出して、飛び出していった彼女のナカミは、ボクという記憶がまだ非常に外面的で、イレモノのなかに埋まっていったなにごとかを、見ることなく目をつむった。
 母の世話した実の父は、そのイレモノすら見ずに去った。否、イレモノが生まれるまえの、容れ物の様子さえ知らずにいた。
 僕の一生が棺に覆われるとき、きちんとした名刺を持っていかなくては。

















































 指先に在るのが人間だとして、ずっとずっと根元に在る心臓のど真ん中には、何が棲んでいるのでしょう?













































            世界はいちばん孤独なイレモノである。










           何ものも求めないものはすべてを得、エゴを捨てると宇宙がエゴになる。
                               (エドウィン・アーノルド)



















 ある朝、携帯電話が鳴った。電波は見えないくせに、僕のボクにまで到達した。すべての負の感情をかなぐり捨てて、僕のいっさいを言葉(イレモノ)に託した。
戸惑いが、ナカミの切れ端だった。

  「戸惑いながら話す言葉はなによりもきれいさ」(BLANKY JET CITY)
                             “水色”
 ナカミはイレモノごと熨斗をつけて返された。

















































 消えることも、失うこともたくさんある。見えなくなることも、分からなくなることもきっとある。あきらめてもいいじゃないか。もう、だめだと知ったなら、やらなくても、終わりも、はじまりも、ないと等しいなら。























































 空腹を満たすのが胃だとしたら、孤独を埋めるのは一体なんなのだろう?
 原始、自らを助けるもののなかったイシュから抜き取った肋骨は、「愛する」という言葉に込めた魂とは違い、イシャーに変化するはずだった。 
 「ついに、これこそわたしの骨の骨、肉の肉」
  けれども脳の指令が訴える信号に過ぎないとして、それがナカミだとして、
 イレモノは、ツマラナイものを積載している。
 ボクのあばら骨はどこへいった?













   ヒトとは 美化した過去を食べて生きる 唯一の生き物である






    人間は人生の活動にことさら意味をつけたがる。








神は人間の理性という淋しい知恵により生まれたが、人間は理性を持ち得たゆえに神に反逆した。
 僕たちは、自分に足かせを付けて発展してきた。美しいと思う心だったり、愛しいと思う心だったり。けれども、愛しいなんて言葉は、単純に、女を犯したいと云う気持ちのいい訳だったりするかもしれないし、本能という根源的な衝動を、理性で包み込んで、僕らは人間らしくなったのだ。
 その作業は、神様という存在から遠ざかっていくようにも思える。
しかしその反逆により美というものを生み出すことができた。その美は神に近づこうとする矛盾でさえあり、命という根源からはるか遠くなってしまった人間の切なる願いのようでもあった。
神から遠さかること三段階。






「ピーマン頭っていうが、ヤツにだって種はあるのさ。いちばん大事な中身さね」
 Fム15戦闘機が、マッハ1.5のスピードで空をつんざく。絆創膏だらけの天井が、滲んだ蒼い血を野菜達にふりかける。葉っぱを滑って、大地に辿り着いた一滴の血は、孤独な世界と同化する。煮えたぎるマントルから流れ出る、大きな呼吸が風となる。ふたたび、地上に野菜達が沸き上がる。
 埋めることのできない肋骨の、鈍い輝きが血に染まる。
 「種をまいたって 水をやる仕事の人間がいなきゃ木にまで育たないんですよ」
               Jim O'rouke "EUREKA"
  種があっても、同化できない。









 自由になりたいなあ、なんて云っていた友人の〇、一割が、お空へ飛んでいったよ。











      時間と云う軛から解放されぬ人々よ 日々を重ねて零へ向かえ!




































































 I.W.ハーパー、ソーダ割り、ライム付きを、しこたま呑んで、ニコちゃん印の光が射すころに、店長と別れた。環状七号線を走る獣達はまだ、ぎらぎらと瞳を光らせていた。さっぱり暗いガソリンスタンドのつんとした香りに囲まれて、老婆がいた。彼女はいますぐ死ぬとだだをこねた。どこを見回しても、彼女にファスナーはなかった。彼女というカノジョが彼女に見切りをつけようと必死だった。イレモノは束縛でもあった。すてきな束縛。ほんとの話。
 そうこうしているうちに朝は射した。












































































 独りの部屋に戻って、ため息はついたものの、こもれ出る螢の光はあまりに弱々しかった。
 カギをはずして、ジィーっとファスナーを下げる。残り物の夜風がすうっと入ってくる心地よさがあった。
   ぱそり。
 よれよれになったイレモノが畳に寝そべる。ため息をついたナカミは細く、うすく、消え入りそうな猫の声を鳴いた。僕は、ボクのあばら骨をしゃぶっていた。
「いいダシでそう」
 鍋に火をいれ、コトコト煮込む。たくさんの野菜達を放り込み、さらにぐつぐつ煮込む。肋骨からさまざまに灰汁がでる。なんべんもすくい取る。水分がふっとんだ鍋のナカミは、なにか、とても素敵なもののような気がして、僕の、ボクではない僕↓ イレモノに注ぎ込んだ。 ボクではない誰かが生まれた。
 これこそ、本当のボクのイレモノのイレモノ、ナカミのナカミだと知った。
 自分が自分でしかなく、他人が他人であるかぎり、イレモノはナカミとの不完全な一致をくり返していく。「私は私」であるとしても、「私は誰か」を見つけなくては気が済まない。不完全な一致だからこそ、僕のボクは、いびつさを埋めていく。































































































   ためこんだうっぷんは
   体内の小宇宙に入り込みつつある。
   ヒトの凹凸がイレモノとナカミを上手に隔てる。
   イシャーが持つイレモノを羨んで、子宮のポエジーに嫉妬して
   イシュはそれを我がものにする。
   ナカミさえ、イレモノがなければ成り立たない。
   権力や、金や、ルックスや優しさや暴力で、
   ナカミは武装する。
   帰るところのない自分を、
   いつもどこかで憐れんでいる。
   イレモノがあって、はじめて、ナカミはナカミとして再起動する。
   独りでは埋まらないイキモノ

   男がいつまでも子供なのは、けっきょく
   そういうことなのだ。
   いちばんぜいたくな肋骨にかまってほしいだけ。 
   夢をみつづけるのだ。
   骨という骨、肉という肉の
   女という女の
   まっさらな器に、男はあぐらをかく。
























                                      固陋ダ。












2004.10.21/22に練馬区小竹向原の"sai market"でおこなわれた、イベント出品用です。


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