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僕が子どものころには、昼間鍵を掛けている家は少なかった。今では、逆に鍵を掛けていない家を探すのは難しいよね。ちょっとした、おすそ分けでお隣へ出向いても、「ピンポーン」とインターホンを介さなくては、ドアも開けてもらえない。それだけ、この国も犯罪の発生率が高くなって、防犯グッズも良く売れているらしい。どうやら、安全もお金がかかるってことかな?僕の町では、町内の有志が交代で、夜間パトロールを行っている。夕べは僕も当番にあたっていたので、夜9:00~10:00ぐらいまで、4人でパトロールに出た。今の時期は、寒いので夜中の公園にたむろする少年たちは影をひそめていて、特にトラブルの無いパトロールだった。秋口に廻った時には、公園で7~8人の少年がたむろして、喫煙したり、時に大きな笑い声を上げたりしていた。一般の人は、気味が悪くて、近づけないが、パトロールのメンバーはそんなこと言ってられない。近づいて帰りを促すと、案外素直に「もう少ししたら帰ります」と答えたので、公園を離れた。他の場所を廻って、また公園に差し掛かると、まだ少年たちは、さっきのままだ。結局、再三にわたって、注意したにもかかわらず一向に帰る気は無いようなので、警察に連絡した。少年たちは、警察官に促されて、スゴスゴと帰って行った。パトロールといっても、出来ることは、不信な人影や、異常を発見して警察に通報することだけ。正義の味方よろしく、悪者を退治するなんてことは、危険なので、絶対しないようにって言われているんだ。まあそんなに、たいしたことのないパトロールだけど、少しは、犯罪の抑止に貢献できてるかな?僕にとっては、コレもまちづくりのひとつだ。毎日交代で、パトロールするだけで犯罪が減るのであれば、防犯グッズに頼るよりも、効果があると思うんだ。まちづくりは、人づくりからはじまる。と、僕は思う。自分の住むまちは、自分たちで守る。そんな、共通感覚が芽生えるように、近隣のコミュニティを良好に保つことが、犯罪の抑止につながると思うからだ。子どものころ、鍵を掛けずに外出できたのも、地域の人々の目が、気に掛けてくれていたから。けっして、泥棒がいなかったからじゃないはず。今は、鍵や防犯グッズに頼って、周りを気に掛けなくなった。泥棒にとっては、犯罪を犯しやすい環境になっている。泥棒にとっては、防犯グッズよりも、人の目のほうが怖いからね。パトロールをきっかけにして、こんな近所への気配り、目配りが、拡がって行くことを、期待してる。ご近所付き合いを、わずらわしいと思うんじゃなく。楽しみながら、豊かな近隣関係を築くことが、安全で、住みやすいまちをつくることになるよん。今日のキャッチフレーズ「近隣とは、つかずはなれず、都会の暮らし。」近隣への、働きかけは、あくまでもさりげなくやりましょう!
2004年01月30日
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まちづくりって言葉を聞いてもピンとこないよね?Dr.キャパも、市民参加のまちづくりワークショップなどの企画、運営に専門家のボランティアとして、かかわったことがあるんだ。でも、普通の市民にとって、まちづくりって、お役所のやること、ぐらいにしか思いつかない。本当は、まちづくりって誰でも出来るのにね。家をつくるってことは、自分のためにつくるんだけど、同時に、まちを形成する要素の一部を変える事にもなる。つまり、家づくりという形で、まちづくりに参画してることになるんだ。意外かもしれないけど。建築家は、家づくりのときに、まちづくりってことを、結構意識してデザインしてるんだ。「まわりの環境にマッチしたデザインにしましょう」なんてことを言ってるときは、大方まちづくりを考えてる。でも、建築家ははずかしがり屋なので、「まちづくりにも配慮しましょう」なんて言わずに別の言葉で、表現してしまうのさ。まちづくりは、自分たちの住んでいるまちに対して、こういうまちであって欲しいという、願望や美意識を、みんなの共通感覚として、持てるかどうかにかかっている。どんなに、建築家が頑張っても、美しい外観デザインや、近隣に配慮したエクステリヤのデザインをやってるに過ぎない。「こんなの建築家ならあたりまえじゃん?」だから、建築家はまちづくりについて語らないんだ。秘すれば花とも言うしね!思い起こせば、建築家の奥ゆかしさが、まちづくりを役所任せにしてしまった元凶かもしれない。ぼくは、もうそろそろ皆でまちづくりを議論する、土壌が出来てきてるんじゃないかと思ってる。クリスマスに家の周りで電飾を競ったり、ガーデニングでエクステリヤを飾ったりと、まちに対して、自分を表現する人が増えてきてる。連歌的発想で、それぞれの家が、まちに対して自己表現を発信する。みんなが、強制じゃなく共通感覚としてそういうことを共有する。そんな、個人発信のまちづくりがあってもいい。まちづくりは、お役所のものじゃない。そこに住む人々のために、楽しくてワクワクできることを、自分から発信するまちづくりを、はじめてみよう。きっと、カタチだけじゃない、喜びの連鎖が発生し、あなたのまちが、すばらしい環境に生まれ変わることができるよ。家づくりは、まちづくりに参画すること。すばらしい環境の中でこそ、あなたの家づくりも生きてくる。まちづくりって、誰でも出来ること。勇気をだして、まちに対して自分を表現してみよう。まずは、出来ることからね?
2004年01月29日
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家づくりを生業としていると、時々困るときがあるんだ。このあいだ、竣工した住宅の写真を、内の嫁さんに見せたときのこと。僕としては、結構うまく出来たと思って、いっしょに喜んで欲しいなって思うんだけど。うちの嫁さんは、写真を一瞥するなり、「そんなの見たくないっ!」「あなた、いつも他人さまの家ばっかりで。 うちは、何時になったら家づくり出来るの?」なんて、おっしゃるんだ。「う~ん・・・」僕は言葉に詰る。ダメ亭主でごめんね、僕は心の中で嫁さんに謝るものの、「でも、ここのデザイン綺麗でしょ?」なんて、写真を見せながら、メゲずに同意を求める。そうだ、本当は、ダメ亭主なんて思っていない。だから僕は、「きっと、この家よりも遥かにいい家をつくってやるからな。」なんて、嫁さんに宣言してしまった。こんなこと宣言して、こんど別の作品を見せたときにゃ、どうやって切り抜けたらいいんだろう?・・・(お~コワ!)
2004年01月28日
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