Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

江蘇省周庄旅情2



「周庄旅情3」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou7.jpg

上海からバスに乗り青浦まで行き
青浦でバスを乗り換え周庄まで来た。

3時間ほどバスに揺られたのんびり旅。
周庄は明代初め2000人ほどの人口で
清代初めになると3000人の人口だった。
周庄の人口は現在では2万人を超えている。

zhou8.jpg

清代始め当時の中国の人口は3億人ほどなので
現在の12億人から比べ4分の3の25%ほど。

3000人の人口に比べ2万人は7倍ほどに
増加しており生活の安定を求め移り
住んで来ているが現状止まりである。

400年ほど前までの周庄は「貞富里」と
呼ばれ、貞富里から周庄という名に
変わったのは清代の始めの頃である。

zhou9.jpg


「周庄旅情4」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou10.jpg

周庄の街並みの中には多くの商家があり
また水運で栄えた商家を公開している。

江南地方の大富豪も多く見受けられる。
西に延びる運河は京杭大運河へ流れ込み
東に延びる瀏河により海につながり交通の
要衝としての位置を活かし交易を行った。

zhou11.jpg

周庄を食料とシルクはもとより各種の
手工業品の集散地として発展させた。

周庄は手工業品生産地としても発展し
シルクや刺繍また白酒等が生産された。

明代や清代には更に街が大きくなり
江南地方の重要都市の一つとなった。

zhou12.jpg


「周庄旅情5」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou13.jpg

周庄の街を歩くと土産物屋が多く見られ
また豪商の家がいくつか開放されている。

建物は当時の江南の特徴的な建築様式で
徽州や蘇州、また紹興の様式を取り入れ
独特で明及ぴ清時代のものである。

zhou14.jpg

周荘の街並みへ入るにはチケットが必要で
商家の建物に入るには更にチケットが必要。

バス停の前で瀋家や全福寺、また周荘博物館など
1セットになったチケットを売っていたが
全部は見れないと周遊券は買わなかった。

のんびり歩いて商家の家に来ればチケットを
購入して中へ入る方が気が楽と感じた。

zhou15.jpg


「周庄旅情6」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou16.jpg

水郷周庄は上海と蘇州に近く50キロから
70キロほどであり、杭州までは130キロほど。

豪商の古い家の造りの裏には絢爛な
江南庭園が造られ、奇岩も多く
置かれており、写真のように
見方によっては駱駝に見える石もある。

zhou17.jpg

明代から清代の建築物が多く立ち並び
いにしえの水郷の活気ある風景を
思い描き気持ちを馳せられると
当時の息吹が聞こえて来そうである。

各家の裏側の水郷には裏木戸から
石段が作られ川で洗い物が出来る。

zhou18.jpg


「周庄旅情7」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou20.jpg

周庄の大きな民家で小麦を石臼を使い
挽いて小麦粉にしており日本でも
その昔は各家で臼を使い挽いていた。

私は日本では見たことがないが
中国の古い家並みではよく見かける。

zhou21.jpg

写真では人の手がハッキリ写っていないが
薄暗い中でフラッシュを焚かずに
撮影したので動きのある人の姿は
画像が薄らいでいる。

夜の街などで多くの通行人がいた筈だが
三脚を立ててスローで撮影すると
人影が見えなくなり寂しい光景になる。

zhou22.jpg


「周庄旅情8」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou19.jpg

周庄の中にあって張家という家は
明代の中山王徐達の弟であった徐逵の
子孫が明の正統年間に建設した家である。

清代初めに張家に売却され以後張家の
持ち家となり昨今では一般に公開されている。

明代の建築の中で住居が残っているのは
少なく貴重な建築資料となっている。

zhou23.jpg

張家には中庭が6つありかなり広い建物である。
また部屋数は70部屋をあり広さに驚く。

張家の建物の中を周庄運河の水が流れ
家の中を小船が通るようにもなっている。

水郷建築の典型である張家の中に阿婆茶と
額が掛けられているが水路沿いの露天でも
飲ませてもらえる少し甘いお茶である。

zhou24.jpg


「周庄旅情9」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou24.jpg

周庄の名物に万三蹄と呼ぶ豚足がある。
豚の足を醤油で甘辛くにてあり豚足の
表面はかりっとしてあり美味しい。

周庄古鎮で一番目にする醤油煮込みである。
なぜ万三蹄と呼ぶのかというと明の初代皇帝の
朱元璋が沈万三を快く思っていなかった。

なぜならば元との商いで巨額の富を手に入れ
そのことで無理な要求を沈万三に突きつけていた。

zhou25.jpg

だが、沈万三は財力に物を言わせて実現させていた。
ある時、朱元璋が蘇州を訪れた折に沈万三が
朱元璋を宴に招待した時、豚足の醤油煮込みを
食べさせたところ朱元璋は気に入って料理名を尋ねた。

中国語で「猪zhu蹄」と呼んでいたが、「猪」の発音と
朱元璋の「朱zhu」と同じなため、猪蹄と呼ばず
咄嗟に「万三蹄」お答え、以来、これを万三蹄と呼ぶ。

zhou26.jpg


「周庄旅情10」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou28.jpg

中国では沈万三の名前を知らない人は
少ないという事だったが、その旧居が
周庄にあり見学する事ができる。

沈万三の旧居は富を手にするまでの各種の
伝説や商業を営むまでの波乱の歴史や
一生の伝奇的な経歴と沈家の日常生活の
いろいろな保存品が公開されている。

zhou29.jpg

旧居なので暗い部屋が多かったが銅像や
レンガの彫り物またロケの場面の模型などや
紙面でも紹介されており、泥人形や小型の
連続絵物語などの芸術的手法も展示されている。

周庄での開拓と周庄観光地の重要な人を紹介し
沈万三旧居を通して水郷周庄を代表する文化や
周庄を代表する商業の文化にも体現できる。

zhou30.jpg


「周庄旅情11」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou31.jpg

周庄にて沈万三の家を散策していた。
沈万三は農民から巨万の富を手に入れた。

周庄の水郷を糧に豪商の道を走ったが
彼の苦難に満ちた道は周庄及び江南の
歴史の上に足取りをしっかりと刻み込んだ。

zhou32.jpg

沈万三の伝奇的な商業の歴史を参考にして
沈万三の飛躍的な各種の原因を探求した。

沈万三が富を手にした広大な道を研究すると
改革開放を進めたことが明らかになる。

今まで誰もが思っていた運河の工事を実施し
社会の経済の繁栄を現実のものとして行った。

zhou34.jpg


「周庄旅情12」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou40.jpg

沈万三は海外との貿易で巨万の富を
築き上げたが当時の中国で敵国との
貿易を強行していた為に皇帝からも
良い印象を持たれていなかった。

江南一帯の小鎮には歴史に残る有能な人材が
埋もれていた事も沈万三という先駆者が
歴史を切り開いていったからだろう。

zhou41.jpg

沈万三は当時の不動産としての田畑の管理や
商業資本を開発することに優れる経済と
貿易の実践家でもあり多くの人が驚嘆した。

沈万三の対外貿易は長江デルタと東南アジアの
沿海地区で資本主義生産の芽生えを促した。

中国全体の商品経済の発展を動かして明王朝の
政治に対して決定的な影響を及ぼす事となる。

zhou42.jpg


「周庄旅情13」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou38.jpg

中国の中でも取り分け江南の漢民族は
資源の宝庫で中国の伝統の見方からみれば
すぐ金をかき集めて私腹を肥やすことに
優れているので、家事を切り盛りすることや
勤勉節約と関連させ教育した。

神話の中の資源の宝庫はいつもまめな者の
手に落ちていったが沈万三もその一人である。

zhou39.jpg

沈万三の旧居には8つの庭がありその庭を
取り囲むように家が建てられている。

写真の水牛の像は明王朝において水牛の
力無くしては沈万三の富は成就できなかった。

水牛は、その時代の崇め祭るほど大切であり
人々と共存した尊い労働力にもなっていた。

zhou35.jpg


「周庄旅情14」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou36.jpg

沈万三の旧居にて厨房の中も公開されていた。
片隅の説明書きには明代の厨房だというが
厨房で使う鍋や包丁などは清朝に入ってからも
それほど大きな変化はないようであった。

今でこそIHクッキングヒーターやレンジ等
目まぐるしく新しいデザインが出てくるが
明代ごろの流れは緩やかであったのではと思う。

zhou37.jpg

中国の一般家庭で特に内陸部では未だに
写真のような厨房になっている所が多い。

厨房の説明を信じるならば600年ほど前の厨房
設備が清代や現代にまで受け継がれる事になる。

この厨房そのものが周庄自身の観光化に伴い
集められたとも考えられるが、明代の生活の水準を
推し量る上で換気の設備が不十分だと思った。

zhou43.jpg


「周庄旅情15」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。

zhou44.jpg

中国の水郷などの都市に限らず田舎の
町では早朝掃除をする人達がいる。

中国の人達の清掃意識はまだまだ低い。
自分の家や車の中は綺麗にしているが
平気で外にゴミや空き瓶を捨てる。

私が家から道にポイポイ捨てないようにと
言っても「清掃の人達に仕事を作って
やってんだから感謝してもらいたいよ」

zhou45.jpg

中国の寺院や有名な観光名所ではゴミの
意識は相当徹底されて来たようである。

だが旅行して気付くとは思うが清掃の
人が必ず立っているしゴミが捨てられたら
直ぐに拾っている光景が見られる。

ゴミに対する意識は日本の40年前程である。
ゴミの仕分けなどになったら統一など
出来ないのではないかと思う。

zhou46.jpg

「中国の旅」


「BACK」へ 「中国写真ライフ」へ 「NEXT」へ


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: