Dog photography and Essay

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「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-4



「北の方のご兄弟の入道の君の所から」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



秋の風が吹けば、垣根の荻(おぎ)が、あなたの嘆きに応えるように、
葉音を立てるたびに、ますます目が冴えて眠ることができず、
夢でも左大臣さまにお逢いになることもなく、長い秋に一晩中、

鳴いている虫のように、こらえきれないで忍び泣きをされていると、
お察ししますが、わたしもまた、大荒木の森の下草の実と同じように、
涙に濡れていることをご存じでしょうか、それから、後ろのほうに、



やど見れば 蓬の門も さしながら あるべきものと 思ひけむやぞ

お邸を見ると 蓬(よもぎ)が生い茂り 門も閉ざしたままですが、
こんなにあれるとは 思ってもみませんでしたと書いておいた。
そのままにしておいたのを、前にいる侍女が見つけて言い出す。



ほんとうにお心のこもったお手紙ですね。これをあの北の方さまに、
お見せしたいものですなどと話し出すが、どこからとはっきり言ったら、
気が利かないし、みっともないわということで、紙屋紙に書かせて、
立文(たてぶみ)にして、削り木(皮をはいだ白木)につけた。

紙屋紙(こうやがみ)とは平安時代、紙屋院で製した上質の紙のこと。



どちらからと聞かれたら、多武(とう)の峰からと答えなさいと教えた。
多武の峰とは飛鳥時代に斉明天皇が道教の宮を築いたと日本書紀にある。

北の方のご兄弟の入道の君の所からと使いに言わせたかったからだ。
あちらの人が受け取って奥に入った間に、使いは帰って来てしまった。
あちらで、どのようにご判断なさったかはわからない。


「変だとも思わなかったのだろうか」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



こうしているうちに、気分はいくらかよくなったけれど、二十日過ぎ頃、
あの人は、御嶽詣で大和国吉野郡金峰山に参拝と言って急いで出発する。

幼い子もお供で一緒に行く事になったので、いろいろと準備して送り出し、
その日の暮れには、わたしも元の家の修理が終わったので、引っ越す。



供に連れていくはずの人を残して行ったので、その人たちと引っ越しした。
それからというもの、まだ気がかりな子どもまで一緒に行かせたので、
どうか無事でありますようにと心の中で祈り続けていた。

七月一日の夜明け前に子どもが帰って来て、父上は帰りましたなどと話す。
この家は遠くなったから、しばらくは訪ねてくるのも難しいと思っていた。



ところが、昼ごろ、あの人が不自由そうに足を引きずりながら見えたのは、
どういうことだったのだろうと思うが山道で足をくじいたのかも知れない。

その頃、帥殿の北の方は、どうしてお知りになったのだろう、
あの手紙はあそこからとお聞きになって、六月まで住んでいた所に、
わたしがいると思われて、そこへ届けようとなさった。



だけど、使いが間違えて、もう一人のお方の所へ持って行ってしまった。
あちらでは受け取って、どうも変だとも思わなかったのだろうか。

返事などなさったと人づてに聞いたが、北の方の所では、その返事が、
もう一人のお方からと聞いて、つまらない歌なのに、届け先を間違えた。
なんともばつの悪い奇妙な思いがしたが、そのまま過ぎ去ってしまった。


「変だとも思わなかったのだろうか」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



こうしているうちに、気分はいくらかよくなったけれど、二十日過ぎ頃、
あの人は、御嶽詣で大和国吉野郡金峰山に参拝と言って急いで出発する。

幼い子もお供で一緒に行く事になったので、いろいろと準備して送り出し、
その日の暮れには、わたしも元の家の修理が終わったので、引っ越す。



供に連れていくはずの人を残して行ったので、その人たちと引っ越しした。
それからというもの、まだ気がかりな子どもまで一緒に行かせたので、
どうか無事でありますようにと心の中で祈り続けていた。

七月一日の夜明け前に子どもが帰って来て、父上は帰りましたなどと話す。
この家は遠くなったから、しばらくは訪ねてくるのも難しいと思っていた。



ところが、昼ごろ、あの人が不自由そうに足を引きずりながら見えたのは、
どういうことだったのだろうと思うが山道で足をくじいたのかも知れない。

その頃、帥殿の北の方は、どうしてお知りになったのだろう、
あの手紙はあそこからとお聞きになって、六月まで住んでいた所に、
わたしがいると思われて、そこへ届けようとなさった。



だけど、使いが間違えて、もう一人のお方の所へ持って行ってしまった。
あちらでは受け取って、どうも変だとも思わなかったのだろうか。

返事などなさったと人づてに聞いたが、北の方の所では、その返事が、
もう一人のお方からと聞いて、つまらない歌なのに、届け先を間違えた。
なんともばつの悪い奇妙な思いがしたが、そのまま過ぎ去ってしまった。


「薄鈍色の紙に書いて、むろの枝につけ」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



つまらない歌なのに、また同じ歌を送ったら、どんな歌か人づてに、
聞いているだろうに、ひどくみっともない、さぞ誠意がないと、
思っているだろうと慌てていらっしゃると聞くとおかしい。

このままにしてはおけないと思って、前書いた時と同じ筆跡で歌を詠んだ。



やまびこの 答へありとは 聞きながら あとなき空を 尋ねわびぬる

お返事があったと聞きながら、山彦のように跡形なく消えてしまって、
捜しても見つからず困っていますと浅縹(あさはなだ)色の紙に書いて、
葉のいっぱいついている枝に、立文にして結んで送った。



今度もまた、使いがこの手紙を置いて姿を消してしまったので、
前のようなことになってはと慎重にしていらっしゃるのだろうか。

返事がないので気がかりで、名前も告げないで変な事ばかりするから、
しばらくして、確かに届く、つてを探して、こんな歌をくださった。



吹く風に つけてもの思ふ あまのたく 塩の煙は 尋ね出でずや

物思う尼のわたしがさし上げた手紙はまだ見つからないのでしょうか。
海人のたく塩の煙のように思わない方向に行ってしまってと、
素晴らしい筆跡で、薄鈍色の紙に書いて、むろの枝につけて頂いていた。
そして、さっそく返歌を詠む。


「一声ですぐに千鳥の声とわかった」

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私よりの返歌は、

あるる浦に しおの煙は 立ちけれど こなたに返す 風ぞなかりし

荒れた浦に立った塩の煙を吹きもどす風がないように、
お返事をわたしのところへ届ける風はありませんでしたと、
胡桃色の紙に書いて、枯れて色の変わった松につけて送った。



そして、八月になった。
その頃、小一条の左大臣さまの五十の賀のお祝いで、世間では、
大騒ぎしている。左衛門督(さえもんのかみ)さまが屏風を、
制作して献上なさるというので、わたしが断れない伝(つて)を通じて、
屏風絵の場面が書き出してある屏風の歌をぜひにと求められてきた。



わたしではふさわしくないと思って、何度も辞退したのに、
どうしてもと、しつこく言ってくるので、宵の頃や、月を見ている時などに、
一首、二首と考えながら作った。人の家で、賀宴を催している絵には、

大空を めぐる月日の いくかへり 今日ゆくすゑに あはむとすらむ

大空を巡る月や太陽が限りなく繰り返すように これから何度も
今日のようなおめでたい祝宴に巡り会うことでしょう。



旅をしている人が浜辺に馬をとめて、千鳥の声を聞いている絵には歌が、

ひとこえに やがて千鳥と 聞きつれば 世々をつくさむ 数も知られず

一声ですぐに千鳥の声とわかったのですから、その千鳥の千のように、
千年も万年も栄えていくことでしょう。粟田山(あわたやま)から馬を引き、
辺りに住んでいる人の家に馬を引き入れて、人々が見物している絵にも歌が。


「鶴と松と真砂などおめでたいものが」

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あまた年 越ゆるやまべに いえいして つなひく駒も おもなれにけり

何年も東国から馬が越えていく山辺に住んでいるので、
荒れて逆らう馬もなつくようになりました。人の家の前の泉に、
八月十五日の月の光が映っているのを、女たちが眺めている時に、
垣根の外を通って笛を吹きながら大路を行く人がいる絵には歌が。



くもいより こちくの声を 聞くなへに さしくむばかり 見ゆる月影

大空から胡竹の笛の音が近づいてくるのを聞いていると、月の光が、
泉に映って手に取れそうに見える。田舎の家の前の浜辺に松原があり、
鶴が群れをなして遊んでいる。ここには「二首の歌を」とある。



波かけの 見やりに立てる 小松原 心を寄する ことぞあるらし

群れをなして飛んでいる鶴は、波打ち際の向こうに見渡される辺りに、
立っている小松原の松に好意を寄せているようだ。



松のかげ まさごのなかと 尋ぬるは なにの飽あかぬぞ たづのむらどり

群れをなして飛んでいる鶴は、松の木陰や真砂の中の餌を探しているけれど、
鶴と松と真砂こんなおめでたいものが揃っているのに、
これ以上何を探すことがあるのだろう。


「毎年巡ってくる紅葉の秋」

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網代(あじろ)が描いてある絵にも和歌が。

あじろぎに 心を寄せて ひをふれば あまたの夜こそ 旅寝してけれ

氷魚(ひうお)を捕る網代に興味を持って毎日を過ごすうちに、
多くの世(夜)を旅寝してしまった。



浜辺で漁火(いさりび)を灯し、釣船(つりぶね)などがある絵に、

漁火も あまの小舟(おぶね)も のどけかれ 生けるかひある 浦に来にけり

漁火も漁師の小さな舟も平穏無事であってほしい、
生きていた甲斐があったと感じる素晴らしい浜辺に来たのですから。



女車(おんなぐるま)が、紅葉見物をしたついでに、
また紅葉のたくさんある家に立ち寄っている絵に、

よろずよを のべのあたりに 住む人は めぐるめぐるや 秋を待つらむ

美しいこの野辺のあたりに住んでいる人は、いつまでも寿命を延ばして、
毎年巡ってくる紅葉の秋を待っていることでしょう。



など、仕方なく、こんなにたくさん無理に詠まされて、これらの中で、
漁火と群鳥の歌が採用になったと聞いて、嫌な気分になった。

こういうことをしているうちに、秋は暮れて、冬になったので、
特にどうということはないが、なんとなくせわしい気がして、
過ごしているうちに、十一月に、雪がすごく深く積もった。


「とても頼もしいとわが子の道綱」

「Dog photography and Essay」では、
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どういうわけなのだろう、むやみに自分自身が嫌になり、
あの人が恨めしく、悲しく思われる日があった。
じっと物思いにふけって、思ったことは、

ふる雪に つもる年をば よそへつつ 消えむ期もなき 身をぞ恨むる



降り積もる雪にじぶんの年をたとえながら、雪のように、
消えることもできないわが身を恨めしく思うなどと思っているうちに、
大晦日になり、そして春の半ばにもなってしまった。

あの人は、素晴らしく立派に造った新邸に、明日移ろうか、
今夜にしようかと騒いでいるようだ。



だが、わたしのほうは、思っていたとおり、今のままでいいと、
言うことなので、嫌な事があって懲りたからなどと自分を慰めているうち、

三月十日頃に、朝廷年中行事の一つの賭弓(のりゆみ)があるので、
人々は忙しく準備をしているようで、幼い子(道綱)は、
後手組に選ばれて出場することになった。



後手組が勝ったら、その組の舞もしなければならないということなので、
この頃は、すべてを忘れて、その準備に追われる。

舞の練習をするというので、毎日音楽を演奏して騒いでいる。
弓の練習場に行ったあの子が、賞品をもらって退出してきた。
とても頼もしいとわが子の道綱を見る。十日の日になった。


「みんな涙を流して感動してたよ」

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十日の日の今日は、わたしの所で舞の予行演習のようなことをする。
舞の師匠の多好茂(おおのよしもち)が、女房からたくさんの褒美をもらう。

男の人たちも、そこにいる者はじぶんの衣を脱いで多好茂に与える。
殿は物忌で来られませんと言って、召使いたちが残らずやって来た。



今日の行事も終わりに近づいた夕暮れに、好茂が胡蝶楽(こちょうらく)を、
舞って出て来たが、それに黄色の単衣(ひとえ)を脱いで与えた人がいる。

胡蝶楽に使う造花の山吹と単衣の色があって、ふさわしい褒美という気がする。
胡蝶は蝶をモチーフにした舞楽で胡蝶の舞(こちょうのまい)とも呼ばれる。



また十二日に、後手組の人たちを全員集めて舞の練習をさせる。
ここには弓場がないから都合が悪いだろうということで、
あの人の邸で大騒ぎする。

殿上人が大勢集まったから、好茂は褒美の品に埋まってしまったと聞く。
わたしは、あの子はどうだろう、大丈夫だろうかと不安だったが、
夜が更けてから、大勢の人に送られて帰って来た。



それからしばらくして、あの人は、侍女たちが変だと思うのもかまわず、
わたしの所に入って来て、この子がとてもかわいらしく立派に、
舞ったことを話したくてやって来た。みんな涙を流して感動してたよ。

明日と明後日は、わたしのほうは物忌、その間がとても心配だ。
十五日の日は、朝早く来て、いろいろと世話をするよなどと言って、
帰って行かれたので、いつもは不満なわたしの気持ちも、
しみじみとこの上なく嬉しく思われた。


「夜だから人目につかないと」

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わが子が舞って、好評を博したためか、帝から御衣(おんぞ)を賜った。
宮中から舞姿のまま陵王を舞った甥も車に乗せて退出した。

あの人はあったことを一部始終話して、じぶんの面目がたったこと、
上達部たちがみな泣いて可愛いと言ったことを、何度も泣きながら話す。



弓の師匠を呼びにやり、来ると、またここでいろいろと褒美を与えるので、
わたしは辛い身の上も忘れて、その嬉しさといったら、比べるものが、
ないほどであるが、その夜はもちろん、その後の二、三日まで、

知人という知人はすべて、僧侶にいたるまで、若君のご活躍のお喜びを、
申し上げに、お祝いを申し上げにと使者を寄こしたりする。



その者が言いに来たりするのを聞くと、不思議なほど嬉しくてならない。
こうして四月になった。その十日から、またしても、五月十日頃まで、

どうも妙に気分がすぐれないとのことで、いつものようには来てくれないで、
七、八日に一度くらいの訪れで、体が辛いのを我慢して来た。



気になり来てみたなどと言ったり、夜だから人目につかないと思って来た。
こう苦しくては、どうしようもない。宮中へも行っていないので、

このように出歩いているのを人に見られたら具合が悪いと言って、
帰ったりしたあの人は、病気が治ったと聞いたのに、
いくら待っても来てくれそうな気配がない。おかしいと思う。


「すっかりあきれてしまった」

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一人密かに今夜来てくれるかどうか様子をと思っているうちに、
ついには手紙も来なくなり長い日数が経った。

めったにないことで、おかしいと思うが、うわべは平気なふりを、
続けていたけれど、夜は外を通る車の音に、もしかしてあの人ではと、
胸をどきどきさせながら、それでも時々は寝てしまい夜が明けていた。



今まで以上に情けない気がするし、幼い人があの人の所へ行くたびに、
様子を聞いてみるが、これといって特別に変わったこともないらしい。

わたしのことを、どうしているとさえ、尋ねることもないそうだ。
あの人がそうなのだから、なおさらわたしのほうから、どうして、
来てくださらないの、などと言ったりすることがどうしてできようか。



などと思いながら、日を過ごして、ある朝、格子などを上げる時に、
外を眺めると、夜に雨が降ったらしく、木々に露がかかっている。
見るとすぐに和歌が思い浮かんだ。

よのうちは まつにも露は かかりけり 明くれば消ゆる ものをこそ思へ

夜の間はあの人を待って、涙にくれて過ごしているが、
夜が明けるといっそう虚しさに消えてしまうほどの物思いに沈む。



こうして日を過ごしているうちに、その月の末頃に、小野の宮の左大臣の、
藤原実頼さまがお亡くなりになったということで、世間は騒いでいる。

長い間便りもなかったのに、世間がひどく騒がしいから、謹慎していて、
訪ねて行くことができない。喪中になったので、これらを早く仕立ててと、
言ってくるなんて、すっかりあきれてしまった。


「妙にいたたまれないので」

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この頃、裁縫をする人たちが里に下がっていてと言って返した。
これでなおさら機嫌を損ねたらしく、伝言さえまったくない。

そのまま六月になった。訪れがないのを数えてみると、夜見てから、
三十日あまり、昼見てから四十日あまりが経ってしまった。



あまりに急な変わりようで変だと言うのもばかげている。
思うようにいかない夫婦仲とはいえ、まだこれほどの目にあったことが、
なかったので、まわりの人たちも、変だ、めったにないことと思っている。



わたしは茫然として物思いに沈むばかり。
人に見られるのもひどく恥ずかしい気がして、落ちる涙をこらえながら、
横になっていると、鶯が季節はずれに鳴くのが聞こえるので、思ったことは、

うぐいすも ごもなきものや 思ふらむ みなつきはてぬ 音をぞなくなる

うぐいすもわたしのようにいつまでも物思いに沈んでいるのかしら、
六月になっても果てることなく鳴いているなんて。



こんな状態のまま二十日あまりも経ったわたしの気持ちは、
どうしてよいかわからず、妙にいたたまれないので、涼しい所へ気晴らしに、
行って、浜辺のあたりでお祓いもしたいと思って、唐崎へと出かける。
寅の時(午前四時前後二時間)ごろに出発したので、月がとても明るい。


「景色の素晴らしさに泣いている」

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わたしと同じような悩みのある人、侍女は一人だけ連れて行くので、
その三人が同じ車に乗り、馬に乗った従者たちが七、八人ほどいる。

賀茂川のあたりで、ほのぼのと夜が明ける。
そこを過ぎると、山道になって、京とは違う景色を見ると、
この頃暗鬱な気分になっているせいか、しみじみと心打たれる。



まして逢坂の関に着いて、しばらく車を止めて、
牛に飼料を与えたりしていると、荷車を何台も連ねて、見たこともない、

木を伐り出して、ほの暗い木立の中から出て来るのを見ると、
気分が打って変わったように感じられてとてもおもしろい。



逢坂の関の山道に、しみじみと感動しながら、行先を見ると、
湖がはてしなく見渡され、鳥が二羽、三羽浮かんでいると見える。

よく考えてみると、釣船なのだろう。
ここのところで、とうとう涙をこらえきれなくなった。



救いようがなく景色など見ている余裕のないわたしでさえこんなに、
感動するのだから、一緒にいる人は景色の素晴らしさに泣いている様子。

お互いにきまりが悪いほどに思われるので、目も合わすことができない。
行き先はまだ遠いが、車は大津の酷くむさ苦しい家並の中に入って行った。


「風が出てきて波が高くなる」

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大津の家並の中も珍しいと感じながら通り過ぎると、広々とした浜辺に出た。
通り過ぎてきた方を見ると、湖畔に並んで立っている家々の前に、
何艘もの舟が岸に並べて寄せてあるのが、とてもおもしろい。
湖の上を漕いで行き来する舟もある。



車を進めて行くうちに、巳の時(午前十時前後二時間)の終わりごろになり、
しばらく馬を休ませるというので、清水という所に、遠くからも、
あれがそうだと見えるほど大きな楝の木(栴檀センダンの古名)が、
一本立っている木陰に、車の轅を下ろして、馬を浜辺に引いて行った。



冷やしたりなどして、唐崎はまだずいぶん遠いようなので、ここで、
弁当が届くのを待ちましょうと言っていると、わが子一人だけが、
疲れた顔で物に寄りかかっているので、餌袋の中の物を取り出してあげ、
食べたりしている時に、弁当を持って来た。



あれこれ分配したりしていたが、従者たちの数人はここから京へ帰って、
清水に着きましたと留守宅に報告するように、京に行かせた。

車に牛をつけて出発し、唐崎に到着し、車の向きを変えて、
お祓いをしに行きながら見ると、風が出てきて波が高くなる。


「忘れがたい風景をしみじみと見ながら」

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行き来する舟が何艘も、帆を引き上げながら進んで行く。
浜辺に土地の男たちが集まって座っているので、歌をお聞かせしてと、

すると、なんとも言えない、しゃがれた声を張り上げて、歌いながら行く。
お祓いの時間に遅れそうになりながら、とても狭い崎に着いた。



下手(しもて)の方は水際に車を止めている。網を下ろすと、
波が打ち寄せては引き、車の後ろに乗っている人たちは、落ちそうなほど、
身を乗り出して覗き込み、姿もまる見えに、世にも珍しい魚や貝を、
取り上げて騒いでいるようだ。



浜辺にいた若い男たちも、少し離れた所に並んで座り、ささなみや、
志賀の唐崎(ささなみや志賀の唐崎や御稲〈みしね〉つく女のよささや

それもかな かれもがな いとこせに まいとこせにせむや ささなみや 
志賀の唐崎や 神に供える稲をつく 女はよいよ その女もほしい 
あの女もほしい わたしを愛しい夫に ほんとうに愛しい夫にしてくれ



神楽歌のささなみを例のしゃがれ声を張り上げて歌っているのも、
とてもおもしろく聞こえた。風は激しく吹いているが、
木陰がないのでとても暑い。早く清水に行きたいと思う。  

忘れがたい風景をしみじみと見ながら通り過ぎて、逢坂山の麓に、
さしかかると、申の時(午後五時頃)の終わりごろになっていた。


「手足を水に浸すと辛い思いなど消え」

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ひぐらしが今を盛りとあたり一面で鳴いている。
それを聞いていると、こんなふうに思った。

なきかへる 声ぞきほひて 聞こゆなる 待ちやしつらむ 関のひぐらし

盛んに鳴いている声は競っているように聞こえるけれど、
泣いて帰るわたしを待っていたのだろうか、関のひぐらしはとつぶやいた。



つぶやいただけで、まわりの人には言わなかった。  
走り井の湧き水には、従者たちの中で馬を早めて先に行った人たちもいた。

わたしたちが到着すると、先に行った人たちは、十分に休み涼んだので、
気持ちよさそうに、わたしたちの車の轅を下ろす所に寄って来たので、
同じ車に乗っている人が、うらやまし、駒の足とく、走り井のと言った。



うらやましい、馬の足が早くて、その名のとおり走り井で休んでいると、
言ったので、わたしが、清水にかげは、よどむものかな

清水に影がとどまらないように、足の早い馬なら清水でゆっくり、
休むひまはないのですから うらやましくはない。



清水の近くに車を寄せて、道から奥のほうに幕などを引き下ろして、
皆車から降りて、手足を水に浸すと、つらい思いなど消えてしまう。

晴れ晴れするように思われると、石などに寄りかかって、
水を流した雨樋(とい)の上に角盆などを置いて、食事をし自分の手で、
水ままなどを作って食べる気持ちは、ほんとうに帰るのが嫌になるほどだ。


「涙はもう残ってないと思いました」

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もう日が暮れますなどと急き立てる。 こんな清々しい所では、
誰もが悩みなんて忘れてしまうだろうと思うが、日が暮れるので、
仕方なく出発して、さらに進んで行くと、粟田山という所で、
京から松明を持って迎えの人が来ていた。



今日の昼、殿がいらっしゃいましたと言うのを聞く。
本当におかしなこと、わたしがいないのをわかっていて来たと、
疑いたくなるが、それでどうしたなどと、供の者たちが、
聞いているようで、私はただもう飽きれるばかりで家に帰り着いた。



車から降りると、気分がどうしようもなく苦しいのに、家に残っていた,
侍女たちが、殿がいらっしゃって、お尋ねになるので、ありのままに,
お答えしましたところ、どうしてそんな気をおこしたのだと言ったそう。

悪い時に来たなとおっしゃいましたと聞くと、夢のような気持ちがする。  
次の日は、疲れた一日を過ごし、翌日は幼い子が、あの人の邸へ出かける。



あの人のする不思議でならないことを、問いただしてみようかしらと、
思っても、気が進まないけれど、先日の浜辺のことを思い出すと、
その気持を抑えることもできなくなって、

うき世をば かばかりみつの 浜辺にて 涙になごり ありやとぞ見し

夫婦の辛さをこれほど思い知らされ、涙を流してきたわたしですが、
御津の浜辺では泣き尽くし、涙はもう残ってないと思いましたと書いた。


「夫の来ないわたしと同じよう」

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涙はもう残ってないと書いたこれをあの人がごらんにならないうちに、
そっと置いて、すぐにもどってきなさいと教えたので、
その通りにしましたと言って帰って来た。

もしかして返事があるかしらと密かに待った。



だが、何の返事もなく、月末頃になった。

先日、することもなく、庭の草の手入れなどをさせた時に、
稲の若い苗がたくさん生えていたのを取り集めさせて、
家の軒下のあたりに植えさせたところ、とてもよく実った。



水を引き入れたりさせたけれど、今では黄色くなった葉が、
しおれているのを見ると、とても悲しくなってきて歌を詠む。

いなづまの 光だに来ぬ 屋がくれは 軒端の苗も もの思ふらし

稲妻の光さえ届かない家の陰では、軒端の苗も物思いに、
沈んでいるようで、それは、夫の来ないわたしと同じようにと詠んだ。



貞観殿(じょうがんでん)登子さまは、一昨年、尚侍(ないしのかみ)に、
なられた。どうしてなのか、こんなになっているわたしのことを、
お尋ねくださらないのは、悪くなるはずがないご兄妹の仲が、
気まずくなったので、わたしまで嫌に思っていらっしゃるのだろうか。


「知らないふりをして我慢していた」

「Dog photography and Essay」では、
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私たち夫婦がこんなにひどくなっているのもご存じなくてと思って、
お手紙をさし上げるついでに歌を書いた。

ささがにの いまはとかぎる すぢにても かくてはしばし 絶えじとぞ思ふ
蜘蛛の糸が切れるように、これで最後とあの人が離れて行っても、
あなたとの交際は、少しの間も絶えないようにと思っていますと申し上げた。



お返事は、いろいろとしみじみと身に沁みることをたくさん書かれて、

絶えきとも 聞くぞ悲しき としつきを いかにかきこし くもならなくに

あなたがたご夫婦の仲が絶えたと聞くのはとても悲しい、
長い年月、信頼して暮らしてこられたでしょうに。これを見ると、



知っていらっしゃったから、お尋ねにならなかったのだと思うと、
ますます悲しくなってきて、物思いに沈んで暮らしていると、
あの人から手紙がある。

手紙を出したのに、返事もなく、そっけなくばかりしているようだから、
遠慮されて、今日でも伺おうと思っているけれどなどと書いてあるようだ。



侍女たちが勧めるので、返事を書いているうちに、日が暮れた。
まだわたしの返事を持って行った使いはあちらへ着いていないだろうと、
思っていたら、あの人がやって来た。

侍女たちが、やはりなにかわけがあるのでしょう。知らないふりをして、
様子をごらんなさいなどと言うので、わたしはじっと我慢していた。


「どんな気持ちで暮らしていくのだろう」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



慎(つつし)むことばかり続いたので来られなかったのだが、
けっして行かないなどとは思ってはいない。

あなたが不機嫌ですねているのを、どうしてなのかと思っているなどと、
平然と、悪びれる様子もないので、不愉快でならない。



翌朝は、用事があるから今夜は来れないと言うが、すぐに明日か、
明後日には来るよなどと言うので、本気にはしないでいた。

こう言えば、わたしの機嫌が直るのではないかと思っているのだろう。
でも、もしかすると、これが最後になるかもしれないと思って、
様子を見ていると、だんだんとまたも日数が経っていく。



やっぱりそうだったのかと思うと、以前よりもいっそう悲しくなる。
じっと思い続けることといえば、やはりなんとかして思い通りに、
死んでしまいたいと思うよりほかになにもない。
だが、ただこの一人の息子のことを思うと、たまらなく悲しい。



一人前にして、安心できる妻と結婚させたりすれば、死ぬのも気が、
楽だろうと思っていたのに、このまま死んだら、どんな気持ちで、
暮らしていくのだろうと思うと、やはりとても死ぬことができない。


「尼になろうと子どもに打ち明ける」

「Dog photography and Essay」では、
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どうしよう。尼になって執着を断ち切れるかどうか試してみたいと話すと、
まだ子どもで深い事情などわからないけれど、ひどくしゃくりあげて、
激しく泣いて、尼になられたら、わたしも僧になります。



どうしてわたしだけが、世間の人々の中で暮らしていけるでしょうと言って、
激しく声をあげて泣くので、わたしも涙をこらえきれないけれど、
あまりの深刻さに、冗談に紛らわしてしまおうと、僧になったら、鷹が、
飼えなくなるけれど、どうなさるつもりなのと話した。



そっと立って走って行き、つないであった鷹をつかんで放してしまった。
見ている侍女も涙をこらえきれず、ましてわたしはいたたまれない思いで、
一日を過ごしたが、心で思ったことを歌にして詠んだ。



あらそへば 思ひにわぶる あまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける

夫との不和に悩んで、尼にでもなろうと子どもに打ち明けると、
子どもがまず鷹を放って、僧になる決心をするとは悲しくてならない。


「やはりどうもおかしい」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



子供が僧になると言い出すので悲しくてならないと思っていると、
日暮れ頃、あの人から手紙が来たと知らされたが、どうせ嘘だろうと、
思ったので、今は気分が悪くてと言って使いを帰した。



七月十日過ぎにもなり、世間の人が騒ぐにつれて、お盆のお供えは、
今まではあの人の政所(まんどころ)でしてくれたけれど、今年はもう、
しないのかしらと思い、亡くなった母上もさぞ悲しく思われることだろう。



しばらく様子を見て、何の連絡もなければ、お供え物も自分で用意しようと、
思い続けると、涙ばかりが流れるが、そんなふうに過ごしているうちに、
いつものようにお供え物を調えて、手紙をつけて送ってきた。



私からの返事は、亡き母のことはお忘れなさいませんでしたけれど、
それにつけましても、惜しからで悲しきものはという思い、
そのままでございましてと書いて使いに持たせて送りました。
ずっとこんな状態なので、やはりどうもおかしい。


「あちこちに物詣でなどなさいませ」

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新しい女に気が移ったなどとも聞かないが、あの人が急に来なくなった事を、
思っていると、事情に詳しい侍女が、亡くなられた小野の宮の左大臣さまの、
召人(めしうど 愛人)たちの誰かに思いを寄せていらっしゃるのでしょう。



その中でも近江という女は、ふしだらなことなどがあって、
色っぽい女のようですから、そんな相手に、殿はこちらに通っているのを、
知られないよう、前もって関係を断っておこうというのでしょうと言う。



聞いていた侍女が、いやいや、そうではなくても、あの人たちは、
気を使わなくてもいい人らしいから、そんな手のこんだことを、
わざわざしなくてもいいでしょうなどと言う。



もし近江という女でなければ、先帝(村上天皇)の皇女さまたちの中に、
いるでしょうと疑うが、いずれにしても、どうしても納得がいかない。
入り日を見るように沈んでばかりいらっしゃってはいけません。
あちこちに物詣でなどなさいませなどと言う。


「目立たないように歩いて行った」

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この頃は、他の事はなにも考えられないで、明けても暮れても嘆いていた。
侍女が物詣でなどと言うので、それなら、とても暑い頃だが出かけよう。
皆が言うように、嘆いてばかりいてもしかたがないと思い立った。



石山に十日ほどと決めたが、こっそりとと思ったので、妹のような、
身近な人にも知らせないで、わたし一人で決めて、夜が明け始める頃に、
走るように家を出て、賀茂川のあたりまで来たところで音に気付き、
どうやって聞きつけたのだろうか、後を追って来た人もいる。



有明の月はとても明るいけれど、出会う人もいない。
賀茂の河原には死人も転がっていると聞くが、怖くもない。
粟田山というあたりまで来ると、とても苦しいので、ひと休みすると、
なにがなんだかわからず、ただ涙ばかりがこぼれる。



人が来るかもしれないと、さりげなく涙を隠して、ただもう先を急ぐ。
山科で夜がすっかり明けると、姿がはっきりと見えるような気がするので、
どうしたらいいのかわからないように思われる。

供人は皆、後にしたり先に行かせたりして、目立たないように歩いて行った。


「その振る舞いの無礼な事といったら」

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通りで出会う人やわたしたちを見る人が不思議に思って、
ささやき合っているのが、つらくてやりきれない。  
やっとのことで通り過ぎて、走り井の清水が勢いよくわき出る泉で、
弁当を食べようというので、幕を引きめぐらしていた。



あれこれしていると、大声で前方の通行人を先払いする一行がやって来る。
どうしよう、誰だろう、供同士が知り合いだったら困ると思っていると、
馬に乗った者を大勢連れて、牛車を二、三台連ねて、騒がしくやって来る。



若狭守(わかさのかみ)の牛車でしたと供人が言う。
立ち止まりもしないで通り過ぎたので、ほっとして思う。
京では明け暮れ、ぺこぺこしているくせに、京を出るとこんなに、
威張って行くようだと思うと、胸が張り裂けるほど嫌な思いがする。



下人たちで、牛車の前についている者も、そうでない者も、
わたしの幕近くに寄って来ては、水浴びをして騒ぐ。
その振る舞いの無礼なことといったら、何とも例えようがない。


「湯につかって身を清め御堂に上る」

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わたしの供人が、遠慮がちに、そこから離れてなどと言ったようだが、
いつも行き来する人の立ち寄る所とはご存じないのですかと。
そんなふうに非難なさるとはなどと言っているのを見ている気持ちは、
どうたとえて言えばいいのだろうかなどと思う。



若狭守の一行を先に行かせて、それからわたしたちが立って行き、
逢坂の関を越えて、打出(うちいで)の浜に死にそうなほど、
疲れてたどり着くと、先に行ったものたちが、
舟に菰(こも)で葺いた屋根をつけて待っていた。



なにがなんだかわからないまま、その舟に這うようにして乗ると、
はるばる遠くまで漕ぎ出して行くが、その時の気持ちといったら、
わびしくもあり苦しくもあり、無性に悲しくてならないのは、
ほかに比べようがないが、申の時(午後五時頃)石山寺の中に着いた。



斎屋(ゆや 斎戒沐浴のためにこもる建物)に敷物など敷いてあったので、
そこに行って座っていると、気分がどうしようもなく辛くなるので、
こんどは横になって、身をよじりながら泣いてしまう。
夜になって、湯などにつかって身を清め、御堂に上る。


「聞く側のわたしの気持ちのせいなのか」

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わたしの身の上を仏さまに申し上げる時も、涙にむせるばかりで、
なにも言えなくなってしまい、夜がすっかり更けてから、
外の方を眺めると、御堂は高い所にあって、下は谷のようである。



片側の崖には木々が生い茂り、とても暗く感じ、二十日の月が、
夜が更けてとても明るかったけれど、木々に遮られて月の光は行き渡らず、
光が漏れている木々のあちこちの隙間から登って来た道が遠くまで見える。
見下ろすと、ふもとにある泉は、まるで鏡のように見える。



高欄(欄干)に寄りかかり、しばらく見ていると、片側の崖の草の中で、
そよそよと音がして白っぽいものが、奇妙な声をたてるので、
あれはなんですかと尋ねると、鹿が鳴いているのですと言う。



どうして普通の声で鳴かないのだろうと思っていると、離れた谷の方から、
とても若々しい声で、遠くへ声を長く引いて鳴くのが聞こえる。
それを聞く気持ちは、虚しいというようなものではない。
聞く側のわたしの気持ちのせいなのか、せつないほど身にしみる。


「涙が枯れるほど泣き尽くしてしまう」

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一心に勤行をしているうちに、 気持ちがぼんやりふわふわして、
なにもしないでいると、はるかに見渡される山の向こうのあたりで、
山田を守る番人の獣などを追い払う声がして、みっともなく、
無風流に怒鳴っているのが聞こえる。



こんなふうに、色々と胸をしめつけられることがなんと多いことかと、
思うと、最後には茫然として座っているだけだった。

そして、後夜(ごや)夜半から朝までの勤行が終わったので、
御堂から下りたが、ひどく疲れているので、休憩所で過ごした。



夜が明けるままに外を見ると、寺の東の方ではのどかな風が吹き、
霧が一面に立ち込め、川の向こうはまるで絵に描いたように見える。

川のほとりには放し飼いの馬の群れが餌を探しまわっているのも、
遥かに見えるが、とてもしみじみとした風景である。



人目を気にして、かけがえなく大切に思う子どもも京に残してきたので、
家を出て来たこの機会に、死ぬ計画を立ててみたいと思うと、
まず子どものことが気にかかって、恋しくて悲しい。
涙が枯れてしまうほど泣き尽くしてしまった。


「夜明け前にうとうと眠ったところ」

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供の男たちの中には、ここからすぐ近いそうだ。
さあ、佐久奈谷(さくなだに)に見物に行こうとか、
谷の口から冥土に引きずり込まれてしまうと聞こえてくる。



危ないななどと話しているのを聞くと、自分から飛び込むのではなく、
思わず引きずり込まれてしまいたいと思ってしまう。  
このように悩んでばかりいるので、食事も進まない。



寺の裏にある池に、しぶきというものが生えていますと言うので、
取って持って来てと言うと、器に盛り合わせて持って来た。

しぶきとはタデ科の多年草で、地下茎や葉を食用にしたようで、
渋草(しぶくさ)とも言い一説には、ドクダミの古称とも言われる。



柚子(ゆず)を切って上にのせてあるのは、とても趣きがあると思った。  
そして夜になり、御堂でいろいろなことをお祈りして、泣き明かして、
夜明け前にうとうと眠ったところ、この寺の別当と思われる僧が、
銚子に水を入れて持って来て、わたしの右膝に注ぐという夢を見た。


「月影が綺麗に湖面に映っている」

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はっと目が覚めて、仏が見せてくださったのだろうと思うと、
なおさらのこと、心を動かされて悲しくてならない。
夜が明けたという声がするので、すぐに御堂から下りた。



まだとても暗いけれど、湖が一面に白く見渡され、
少人数の旅とはいえ、供人が二十人ばかりいるのに、わたしちが、
乗ろうとする舟が靴の片方くらいに小さく見えたのは、とても心細く不安だ。



仏に灯明(とうみょう)を奉る時に世話をしてくれた僧が見送りに出て、
岸に立っているのに、わたしたちの乗った舟がどんどん離れていくので、
その僧はひどく心細そうに立っているが、それを見ると、あの人は、
長く住み慣れた寺にとどまるのを悲しく思っているだろうと思う。



供の男たちが、また来年の七月に伺いますと叫ぶと、わかりましたと答え、
遠くなるにつれて僧の姿が影のように見えたのもとても悲しい。  
空を見ると、月はとても細く見え、月影が湖面に映っている。
風がさっと吹いて水面が波立つと、さらさらとざわめいた。


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