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「 納棺夫日記 」を読んだ。
この本を読むきっかけは、11月8日に「 2009日本ホリスティックシンポジウム:いのち
の旅 」で少し話しをさせて頂く事になっている。
このシンポジウムの主要な個所は、帯津先生が納棺夫日記の著者である青木新門氏と
の対談にある。
後半のパネルディスカッションは、当然、この前半の対談もテーマになる。
だから、予め映画の「おくりびと」とこの本は読むようにとの事であった。
私は医療に関するドラマは殆ど見ることがない。
ノンフィクションの内容なら、見る事がある。
現場の重みに対して、ドラマで同じ様な体験をしたくない、と思っているだ。
「おくりびと」は9月の連休に放映されたので、見る事ができた。
美しい内容の映画であった。
涙ぐむ場面も何回かあった。
チェロでいい楽器だと、改めて感じた。
ただ、死を忌むべきものとは思っていない。
病院の霊安室は大体、地下の片隅にあり、そこあら、裏門に通じていて霊柩車でそっと
旅立つのが常識的だ。
薄暗い廊下で、ご遺体をご家族を何度お見送りしただろう。
死を忌み嫌うのは、そこに得体の知れない恐ろしさを感じるからだろう。
今でも、お通夜から帰ると家の中に入る前に塩を振りかけたりする。
誰でもがその一生を生き抜いたのだから、堂々と病院の玄関から、そこにいた人たちに
見送られて家路への迎えないのもだろうかと思う。
しかし、そんな事はあり得ない。
著者の青木氏も指摘している。
近代医療は治す事が勝利する事であり、死んでしまったら敗北なのだ。
敗者が堂々と通る訳がない。
ところが、私の一時期非常勤としてお世話になった「衣笠病院のホスピス」は玄関から
堂々と家に向かわれる。
そこしか出入り口がないからかもしれないが、それだけではない、意味があるように感じ
る。
その玄関の自動ドアは人が誰もいないのに、開いたりすると看護師さんが教えてくれた。
「納棺夫日記」を読んでいて、涙は全然湧いてこない。
むしろ、哲学書、死生観について書かれた本だからだ。
今度は別の意味で引き込まれた。
映画とは内容も異なる。こちらが面白いし、参考になる。
死は魂が肉体を離れた事であり、肉体は、そそうにされなければ、普通でいいと思ってい
る。
いい棺も素敵な戒名も必要でない。
その人の生き様が大切であり、儀式を重んじても体裁が主になってしまう。
催眠療法で体験される過去世での死は、どんな状況で亡くなっても、死に際に苦しいと
感じている人はいないし、魂の段階では、静かに自分の肉体を見下ろしている。
納棺夫日記はもう一度読み直そうと思っている。
死後の世界について、殆ど触れられていないようだ。光を感じる、光に包まれる、そこから
先の世界だ。
外の世界が違って見えることは誰しもが程度の差こそあれ経験しているのではないだろう
か。
ある朝、外の出たときに何時もの景色が全く、違ってみえる。鮮やかに全てが見える。
この感覚は、丁度写真を撮るのに、鮮明に見えるフィルターをかけて写真を撮った様に、
鮮やかな色彩で見える。
これが、青木氏の言われている景色と同じかどうか分からないが、確かにある。
死ぬ事を意識した時に生がみえてくるのだろう。
エックハルト・トールは「You die , before you die」と書いている。
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10月12日(月・祭日)「 ほあーがんサポートネットワークの講演会
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おかげさまで、満席となりました。
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