知能検査



私は単なるできない子から、「やればできるのにやらない子」教師の指示に従えない子から、「教師の指示に従わない子」というレッテルを貼られた。忘れ物が多いことも、行動がのろいことも、私の個性ではなく「わざと」している行動のように先生には見えはじめたらしい。

今の時代なら、知的に問題のない発達障害だと認めてもらえたかもしれないが、その頃はまだ日本にはそういう障害があることは知られていなかった。

運が悪いことに、私は文字に関することだけは、抜群に理解力があった。6年生の教科書も読めたし、長編小説も読みこなすことができた。読解力だけはかなりあったが、思考力がともなわない。算数のテストでは文章題だけはすらすら解けたが、計算問題がどうしても解けない。文章題だと何の答えを出せばいいのかが問題を呼んだときにすぐわかるが、計算問題は数字が並んでいるだけで、何をどうすればいいのかさっぱりわからないし、同じことの繰り返しで、すぐ飽きてしまう。

全体的に勉強が苦手なら、まだ「学力の劣る子」として認識してもらえただろうが、知能テストが学年2番で、他の子が読めない漢字もすらすら読むことができる子どもを、学力不振児とは認識してもらえなかった。

この1年間、私はことあるごとに先生に叱られ、母もたびたび呼び出しを受けた。しかし先生に叱られても、そもそも何を叱られているかが私にはさっぱりわからなかった。

ある日計算ドリルがクラスに配られ、「計算ドリルが一枚解けたら、ここにシールを貼ります。」と先生が言った。壁に大きな紙が張られ、生徒の名前が書いてある。みんな毎日あるいは数日置きにドリルを出し、自分の名前のところにシールを貼ってもらった。私はシールがほしいとも思わなかったので、そのまま放っておいた。先生は「ドリルを解いた人にシールをあげます。」と言ったが、「ドリルを宿題にします。」とは言わなかった。私は自分にドリルをやる義務があるとはまったくおもっていなかったので、一枚も解かずに冬休みになった。

3学期に入ってから何度目かの呼び出しを受け、母が叱られた。「早い子は1学期中にすべて終わっています。普通の子ももう終わりに近いです。クラスで最下位の子どもですら、何ページかはやってきています。ただの一枚もやってこないのは、お宅のお子さんだけです!!!」

母がぺこぺこ頭を下げるのを見ながら、(だったら最初から毎日ドリルをやってこいと言えば私だってやったのに)と思った。その帰り道に母は文具店で山のようにノートを買い、「明日からドリルやっていきなさい」と言った。私は毎日数ページずつ提出したが、先生はひとことも褒めてくれなかった。やろうとすれば数日でできるのに、何ヶ月も溜め込んだことで、かえって私に関する感情が悪化したように思った。

人の言葉の真意を理解することは、私にとっては非常に難しいことだった。「いやならやらなくていいです!」と叱られて、(そうか、やらなくていいのか)と受け取ってしまう子どもだったから、先生には嫌われることが多かった。学校は楽しいことがまったくなかったが、行かない理由も思い浮かばなかったので、黙々と通うしかなかった。

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