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(畑:ミャンマーにて)お久しぶりです年始2週間、出張でミャンマーへいろんなことを感じ、考えるひと時5年ぶりのアジア・・・久しぶりのクラクションの音、人、熱気・・・子供たちがいて、大人、おばあ・おじいがいて露天に並ぶビターナッツの葉、口の中が赤い人々・・いろんな事情がある中で、友人のひとりひとりがたくましく、前向きに生きている姿素敵だなって思える生活空間・団体に出会うスタッフが本当に共生していて、子育てし意見をぶつけ合い、汗を流し、共に祈る上に立つ人がきちんと敬われ口だけではなく、そこにあるやさしい雰囲気こんな働き場で働けたらって思う (人懐っこいニジー)家族っていう時、子供もおじいもおばあも、親戚もいる知り合いの子どもが寝泊りしていることもある日本にはもう無くなりつつあることでも、もしかしたらとっても大切な社会の要素出発する前にエレミヤ29章11節が与えられたなんで、この箇所なんだろうって思っていたけれど旅を進める中でじわりじわりとこの言葉がしみこんでいくこれはイスラエルの民がバビロンに捕囚として囚われていた何千年前の言葉だけど・・・今のミャンマーにも、今の日本にも当てはまること少数民族の人たちや、マイノリティであるクリスチャンが直面している厳しい現実があるまさか・・・ありえないでしょ・・・聞いていると本当にやるせなくなることもでも、そのような中にあって、約束されているのは“希望と平安”ミャンマーの友人とうなずく彼女は大切な祈りの友「ダイジョ~ブ!」それぞれの場所で、それぞれの役割がある (日本兵や戦時中のことを語ってくれたおばあ)わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだそれはわざわいではなくて、平安を与える計画でありあなたがたに将来と希望を与えるためのものだエレミヤ29章11節
2010年01月24日
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いろいろ嬉しいことがあったひとつずいぶん前だけど・・・久しぶりに母と川村美術館へMorris Louis展色と空間のコンビネーション色はキャンバスの真ん中に置くのが常識だったそんな時代に空間を真ん中に置いた私は・・?常識にがんじがらめになってない?親であり友のような存在の両親にありがとう (morris louis)ふたつ姉と義兄の所へもうすぐ4歳のMちゃんと4ヶ月のS君朝起きるとMちゃんが布団にもぐってくる私の髪の毛と彼女の髪の毛をつなげて橋をつくると・・そこには人がいて、はじまる冒険(笑)公園に行くと・・ロープの遊具はいつの間にお家から幼稚園までのバスに変身。そのバスで幼稚園に着くとおはようのお歌も歌ってくれる彼女のcreative worldに魅了された3日間姉や義兄、S君との時間に心も体も癒されるありがとう(morris louis)みっつ初めて紅芋をもらう土の中で秘かに・・こんな素敵な赤紫色が隠れてるなんて・・赤紫のスイートポテトを友人と作るマッシャーなんてないから木の棒でホクホクのお芋をたたくそんなシンプルなことだけど楽しくて・・苦しい所を通っている彼女だけどそのぶんその存在が温かくて・・ありがとう(morris louis)まだまだあるけど・・またいつか!主は打ち砕かれたものをいやし彼らの傷を包む主は星の数を数えそのすべてに名をつける(Psalm 147:3-4)
2008年11月01日
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(photo by Kisei Kobayashi)去年のちょうど今頃アフガンで活動しているsindoとFさんが教会を訪ねてきてくれた(→2007.9.6)1年前のFさんの言葉、今でも覚えてる「どうしてですかって毎日叫んでいます」その時以上に「どうしてですか」と思わずこぶしで地をたたきたくなるような2日間の拉致事件、そして悲しい結末彼らの大切な人の死“沢ともえ”のこの唄が心に響く彼らもこの人生の秘密を知っていてアフガンの人と生きているような気がするご家族、友人、NGOの仲間の方々アフガンの友人の方々に天からの慰めがありますように・・人生の贈り物―他に望むものはない― (ヤン・ヒウン:詞 /さだまさし:訳/曲) 季節の花が これほど美しいことに歳を取るまで 少しも気づかなかった 美しく老いてゆくことが どれほどに難しいかということさえ 気づかなかったもしももう一度だけ若さを くれると言われてもおそらく私は そっと断るだろう 若き日のときめきや 迷いをもう一度繰り返すなんて それはもう望むものではない それが 人生の秘密それが 人生の贈り物 季節の花や人の 生命の短さに歳を取るまで 少しも気づかなかった 人は憎み諍(いさか)い そして傷つけていつか許し 愛し合う日が来るだろう そして言葉も要らない友に なってゆくのだろう迷った分だけ 深く慈しみ 並んで座って 沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば 他に望むものはないそれが 人生の秘密それが 人生の贈り物 季節の花が これほど美しいことに歳を取るまで 少しも気づかなかった私の人生の花が 散ってしまう頃やっと花は 私の心に咲いた 並んで座って 沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば 他になにも望むものはない 他になにも 望むものはない他になにも 望むものはない それが 人生の秘密それが 人生の贈り物
2008年08月27日
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(photo by kisei kobayashi)見えることと見えないことその見えない多くの部分を「心」というのかもしれないそしてその心の奥底のことを「倉底」と表現していた昨日の集会のメッセージの中で表面的には満たされたり、変えられたり励まされたり、大丈夫だって思ったりするのに私たちには見えない倉底でふつふつと湧き上がってくる不思議な闇があるそれは自分ではどうすることもできなかったりする孤独感である時もある嫉妬や憤りであるかもしれない心の倉底・・・でも、私たちを創造して下さった方はどんな人の倉底にもいて人が理解できないその闇に気づかれようが気づかれまいが、そっとそこに居る誰よりも、深く私たちを知って下さっていて「私の目にあなたは高価で尊い。私は愛している(イザヤ43:4)」そうささやいていて下さっている
2008年07月07日
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(散歩の途中で買った水草 花が咲いてびっくり・・・ 花が咲くものだとは知らなかった)先週今週と木金実家へで、なんだか気になるのは・・・猫の「みーくん」の姿が見当たらないこと暖かくなってくると、外で過ごすことが多くなるのだけどどうやら先週あたりから帰っていないみたい猫にもそれぞれに個性があっておもしろい彼は、りりしくて、品がある、かなり忍耐深い絨毯は必ず避けて通るし、あまり騒がない一匹おおかみだけど、さびしがりややさしくて、悲しみのある時にそっといてくれたりする栃木で拾った「かりん」はというと・・人懐っこくて、ちょっとおばかさんいっつもあ~だこ~だ何かを主張してるしかられてもすぐに忘れてけろっとしているタイプみーくんに煙たがれているのに、おかまいなしに彼の後をひっつきまわっているどちらも、ひょんなことから我が家にいて(あ、かりんの場合は私が強引にだったけど(笑))いろんな家族のシーンを共有しているというか・・岐阜に甥っ子誕生!と喜んでいた矢先のこともともと姉が連れてきた猫の子何かを感じたのか・・・ひょっこり現れるといいのだけど、なんせおじいちゃん・・うちらが悲しまないようにとドサクサにまぎれてそっとってこともある。彼はそういう猫だからなぁみーくんを思いながら、いろんなことが思い出されますそして行き着く思いは、「ありがとう」という気持ち戻ってくるといいなぁ
2008年06月22日
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(by kisei kobayashi)12/8茨城のおばあちゃんが召された92歳いたずらまじりのあの笑顔をもう見られないし足のマッサージをして「あ~天国にいるみたい」って言ってもらえないし「そんなのいかっぺよ(=いいんじゃない)」って口ぐせを聞くこともないでも、たくさんのおばあちゃんとの思い出これからも私や家族の一部になって生きていくんだなぁ死ぬ時、人は何も持っていけないどんなに偉くても、どんなに財産があっても死ぬ時は裸人はそのことから目をそらし今自分が欲することに夢中になるのかもしれないもっともっとって振り回されてしまうのかもしれない大切なことは本当にシンプル高ぶることもあるけれど、なるべく謙遜に足りないことよりも今あるものに感謝して永遠に目を向けて生きていきたいちりはもとあった地に帰り霊はこれを下さった神に帰る (伝道者の書3:11)おばあちゃんの霊が今、天にあることを想い感謝!「そんなに悲しまなくてもいかっぺよ~」そんなおばあちゃんの声が聞こえる気がする(笑)ありがと、おばあちゃん天国でまた会おう!
2007年12月18日
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(by kisei kobayashi)「どうしてですか・・・と毎日叫んでいます」そう彼女は言ったパキスタンに17年アフガニスタンとの国境でいろいろな現実を目にし、その中を生きる人びとと歩んできたFさん難民キャンプで生活してきた人たちがアフガンにどんどん強制帰還しているのだというその先は、不毛の地であったりするその場所は、今もアメリカ軍からの空爆があり治安もよくないのだという9・11を前にして、様々な想いが交差するあれから6年・・まさか今も空爆が行われているとは思ってもいなかった・・・平和を振りかざしながら・・その背後で動く石油・武器・金今も命を落としていく人がいる怒りを通り越して悲しくなる「恐れるな」という聖書の言葉がずっと心に響いていたと言う教会に来たら、看板に「恐れるな」というタイトル不思議な導きだと思ったというFさん神さまが私たちに送ってくださったのだと思うその苦しみや現状を見せるためにそのために、そこで種を蒔き続ける方々を覚えて立ち上がって祈るように・・8月末に来てくれた同じ団体で働くsindoはそんなこと一言も話さなかったひたすら私たちの話に耳を傾けてくれた彼は、アフガンでもそうやって現地の人に耳を傾けているのだろうなって思うそうやって、さりげなく現地に溶け込み援助とかそんなんじゃなく一緒に生きているんだろうなって思う夏休みに久しぶりにアジア学院や友人の所へそこでも、友人たちが一粒の種となり光となってた祈ってるよ「恐れるな」とおっしゃる神さまがそれぞれのチャレンジの只中に現れてくださり小さなともしびで導いてくださるように・・There is a candle in every soulSome brightly burning, some dark and coldThere is a Spirit who brings fireIgnites a candle and makes His home一緒に生活しているTomoちゃんが教えてくれた曲の歌詞の一部。最近この唄に励まされてる→Go light your world
2007年09月06日
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(小林紀晴さんの写真より)お久しぶりです・・・お世話になっていた牧師先生が引っ越されてから部屋でインターネットが使えなくなりテレビもないからラジオ生活時代にあまりついていけていない私・・(笑)あ、でも心地良いかな、時間がゆったり過ぎていくからちょっと前の事ですが・・おばあちゃんを実家にご招待!茨城の老人ホームにいるおばあちゃん車椅子生活になってずいぶんたちますもうすぐ92才暖かくなってきたし・・・千葉に来てもらおうか!と家族が立ち上がった1泊2日のショートステイ私も教会から休みをもらって実家へ車椅子から車にのせて・・・よいしょと、また降ろして今度はトイレ・・・はい、こっちによっかかってずぼんぬいで、はいすわって・・次はベッド・・・よいしょっと・・ごはんだよ・・・よっこらせっと・・こんな感じで慣れない私達はアタフタアタフタ(笑)おばあちゃんも途中「こわい、こわい・・・」え・・・!?何がこわいの??どうしたの?と声をかけると母、通訳・・「苦しいってことよ」方言らしい。(ちなみに「怖い」時は「おっかない」って言うらしい)おばあちゃんも、いつも使わない筋肉使って疲れただろうなぁでも、けらけら笑ったり、話したり。そんな時はよく、こう言う「天国にいるみたいだなぁ・・・」(おばあちゃん。ちょっとピンボケ・・)小さい頃から我が家は転勤が多かったから夏休みやお正月におばあちゃんの家に遊びに行くのはビッグイベントだった自分にも帰る場所があるというか・・故郷のような・・目の前には蓮畑と霞ヶ浦裏庭のザリガニ池でのたくさんの思い出裏山にお墓、たけのこ堀りおばあちゃんはゲートボールによく行って離れの部屋は習字の墨汁の匂いとボンボン時計私の「農」への想いの根っこは実はおばあちゃんの家にある気がする自転車で畑から帰ってくるおばさんたちのかごにはいつも新鮮な野菜があって蓮根の収穫の季節になるとみんな胸までつかって蓮畑で仕事しているそんな姿を毎年見て、そんな生活が素敵だなって心のどこかで感じていたのだと思う「いろいろおばあちゃん、ありがとうね」って言ったら「おれは何もしてない」っておばあちゃんがいて、母がいて、私たちがいる大ママがいて、父がいて、私たちがいるこの“あたりまえ”のつながり私たちの周りに「あたりまえ」が増えると感謝が消えていくのかもしれない感動が少なくなるのかもしれない最近、春の風にのって、教会に会いに来てくれたみんなにも・・・ありがとう!ひとり、ひとりの表情、話し・・みんなの、これからが楽しみになったょ!ありがとうごうまんでぶっきらぼうで利己的になるのはいともたやすいことですでもわたしたちはもっとすばらしいことのためにつくられているのです(by mother teresa)以前書いたおばあちゃんのこと
2007年05月22日
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(花豆と空)糸半分って書いて「絆」昔、大切な友人が教えてくれた 絆は・・どちらかが一方的であったりどちらかが受け身であったり ではなくて・・糸、半分糸、半分 ぴんってつっぱっているものではなくでれ~んとたれてしまっているものでもなくゆるやかに保たれている糸 私の好きな栃木のファミリーが、教会に会いに来てくれた!会うたびに、そのゆるやかに保たれている糸のようなそんな雰囲気を感じるブログにも以前登場した8君が、パワーアップ!かっこいい・・(まだ1歳4ヶ月(笑)) そんな彼らを見ながらまた、大学時代の友人とのメールを通してちょっと昔教えてもらった「糸半分」の事を思いだしていた 自分勝手になったり無関心になったり壁を築き上げたくなったり崩したくなったり人にはいろんな事情があるそんな中で、私たちの周りにあるいろんな糸がからまったりつっぱったり、ゆるんだり糸半分糸半分乗り越えてはいけない垣根がある自分で担わなくてはならない領域がある私たちにできることは糸半分それ以上でもそれ以下でもなくあなたのパンを水の上に投げよずっと後の日になってあなたはそれを見いだそう(聖書 伝道者の書より)
2006年10月20日
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(ちひろさんの絵)♪いち にぃ さんっ しぃ ごぉ ろくっ しっち はっち くぅ~ じゅ いままでずっと かぞえていた じぶんのいやなとこっ♪だけど きょう から そっと かぞえてみる じぶんのいいとここの唄が心にかよう・・この唄は、私が、栃木でもやもやしていた時に友だちの”まみむめも”が唄ってくれた私もその頃から大好きになったNUUさんの唄知らず知らずのうちに数えてしまっている自分のいやなとこ、誰かさんのいやなとこ・・あるんだなぁ・・・・これが・・で、そんな自分と向き合っていくと相手のおかしなとこも見えてくるけど自分のプライドだったり自分の正しさの主張だったりも見えてくる私のとがった部分、ゆずれない部分・・(苦笑)たっくさんあるいろんな人の文化だからこそおもしろいDiversity(多様性)やわらかく生きていきたいなぁ~You, brothers, were called to be free.But do not use your freedom to indulge the sinful nature; rather....Serve one another in love.愛をもって互いに仕えなさい(聖書 ガラテヤ書5章)P.s.(なみへ~、まみむめも~! 一緒に歌いたい~ )
2006年05月08日
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実家に戻ると笑いが絶えない・・・母は、習字の先生をしているでも、「お習字ざます!」という感じじゃなくて気軽にみんなが出入りする「近所のおばちゃん」最近、生徒が少し増えて個性豊かな子どもたちが出入りしているこの間実家に帰ったら・・・習字の部屋の壁にこんな貼り紙が・・・!「子どもからのお願い」一.子どもの話しに口を出さない一.子どもの話しを親に流さない一.老眼鏡をかけるべし!一.お茶会を忘れるべからず一.山んばにならないように以上を気をつけて下さい!特に先生!この発想素敵だなぁ・・・(大笑い!)大人に対する不満のように見えるけどおっちょこちょいで忘れっぽい母への心配する気持ちも見え隠れしていたり・・特に、最後の2つがおもしろい・・お茶会というのは、習字が終わると、母が作ったパンや揚げ餅なんかを少し食べて帰るその時間の事買ったお菓子はみんな嫌がって、母の手作りじゃなきゃだめだと言ってくるらしい(笑)やまんば・・・というのは、母の髪型のことぼさぼさしているから、きちんと髪をしばったら若返るのにという意味らしい(笑)習字教室が無い日なのに、来る子もいる早めに来てなかなか家に帰りたがらない子もいる小さな小さな習字教室だけど、子どもたちのシェルターみたいだなと見ていて思うマザーテレサの言葉を思い出す「たいせつなのは どれだけたくさんのことをしたかではなく どれだけ心をこめたかです」「わたしたちのすることは 大海のたった一滴の水に すぎないかもしれません。 でも その一滴の水があつまって 大海となるのです」『マザー・テレサ 愛のことばより』心をこめて一滴の水に・・あなたの一滴、私の一滴大切な”ひとしずく”
2006年04月20日
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生まれた日にありがと出会った一人ひとりにありがと家族のみんな、ありがと神さま・・・命を与えてくれてありがと (3人組・・・木に登った後で(笑))3月生まれの友と3人でたまに会う先々週の金曜日、第3回自己満足誕生会をする今年は川村美術館の森みたいな庭園にて水筒に入れたお茶を飲んだりみかん食べたり木に登ったり(見つからなくてよかった~笑)2人は木にぶら下がってイナバウアーっっ・・・大笑いゆるりとした時間・・・大切だと気づいたことを忘れてしまって無感覚になっていくことがあるたくさんある食べものの安全について話しをしてくれた彼は今畑で生活している鶏育てたり、田んぼや畑のお野菜育てたり与えられている命与えられている自然大切にしながら守っていかなくてはいけないことがあるそうだよね・・・もう一度気づかせてくれてありがと(庭のボケの花)その次の日、小春日和の風に吹かれてギター片手に神奈川の果て(?)から友が訪ねてきてくれた彼は「つながるこころ」の活動の為に「地球の人」という素敵な唄を作ってくれた人いろいろ心のままに唄ってくれたその時一緒にいてくれたもう一人の友と一緒に耳を傾ける想いが言葉になり、リズムになり唄になっていろんな人の心にたどりつく「幸せって?」彼が言う神さまが、命を与えてくれて今、ここにいる。生かされている悩みも、苦しみもあるけれど神さまが私たち一人ひとりを愛してくれている乗り越える力も与えてくれている今の私には、それがとっても幸せに感じる自然の芽吹きを感じる時も・・人とのつながりを感じる時も・・大笑いする時も・・幸せだなぁ・・・皆さんにとっての幸せは??生まれた日にありがとう会えないみんなにもありがとう来てくれてありがとうpeople who love each other fully and truly are the happiest people in the world.they may have little,they may have nothingbut they are happy peopleeverything depends on how we love one another(by mother theresa/book:the joy in loving)
2006年03月27日
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栃木からはるばる嬉しい来訪!おんぶひもに抱かれて「8」君と「かよ」母さん手作り味噌と手作りパンのおみやげまで!すっかり「8」君のファンに・・ふんばる「8」(←これが私の一番のお気に入り!)笑う「8」食べる「8」アスパラを横向きに口に入れる「8」ふりふりダンスをする「8」・・そして眠る「8」・すっかり母さんの「かよ」心に留まった彼女の言葉・・“子育てってクリエイティブだよ アートとかスポーツとかいうけど その全てが含まれている ”ほほぉ・・!そうかぁ・・!生きるってもともとクリエイティブ子育てもクリエイティブ父ちゃん「6」は福祉の関係で働いて畑で野菜作って・・そこで取れたものを食べて母ちゃん「かよ」は手作りをして時に友が集まりそこには「8」がいて・・・でも夜泣きしたりおっぱいかまれたりで奮闘する母さんがいて・・素敵だなぁ!来てくれてありがとう!今度会う頃には「8」君走り回っているかなぁ!?「8」とは「八起」君7転び8起き。聖書にもその言葉出て来るんだよ!正しい者は7たび倒れてもまた起き上がるからだ聖書より 箴言24:16
2006年02月24日
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(岩崎ちひろさんの絵)3人の友人がはるばる教会まで来てくれた自分の弱さも強さもまぬけさも知ってくれている人がいる深いところで何か同じような空気を共有しているそんな安心感3人が活動している場所はアフガン・カンボジア・埼玉みんな、かっこいい最近、すごく忙しく過ぎていたからなおさら、彼らとの時間が自分の根っこに目を向ける良いひと時になった新しい場所に来て3ヶ月私はどこかがんばっていた日常生活で、「そのまんまの自分」になろうと一生懸命になっていた気がするそのまんまの自分って努力して表現するものではない「そのまんまのあなたでもいいんだよ」って誰かが受け入れてくれた時に自然に出てくるのかもしれない人とのつながりってすごいな・・数時間だったけど私の体の細胞がふわぁぁってなったそんなひと時だったいつもそんなだったら気が抜けちゃってふわふわ飛んでいってしまいそうだけど・・(笑)この間の日記に書いた聖書の言葉あらためてうなずいてしまったそれどころか、体の中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです~中略~もし一つの部分が苦しめばすべての部分が共に苦しみもし一つの部分が尊ばれればすべての部分がともに喜ぶのです弱さも強さも苦しみも悲しみもきれいごとなんか言わないでそのまんま向き合うそんな風に生きていたい来てくれてありがとう
2006年01月23日
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新しい年が始まりました去年の今頃は・・・スマトラ沖地震発生直後で被災地にいる現地の友人たちとコンタクトをとりながら・・・何か私たちにできることはないだろうか?地元の彼らの活動を応援することはできないか?「つながるこころ」の活動のはじまりでしたあれから一年が経ちました被災地ではどんな新年を迎えているのでしょうか?私たちつながるこころは、「つながるこころノート」というノートを12月26日に発信しましたスマトラ沖地震の被災地の友人たちとこれからもつながりつつも私たちは日本の国内に向けてメッセージを発信していきたいと思うのですモノやお金効率やスピードが時に人の価値となるこの時代にあって・・つながりの中で・・こころとこころがふれあう時に・・私たちは何を感じ、励まされ、涙を流し・・何を大切にしていけばいいんだろう・・いのちって?生きるって?この「つながるこころノート」がそんな事を考えるきっかけになってくれたら嬉しい北海道・埼玉・千葉から3冊のノートが旅立ちます友人や大切な人から大切な人へとめぐり1年間スマトラ沖地震の被災者だけではなく昨年は多くの場所で自然災害や戦争が起こり、尊いいのちが今も苦しみの中にあることを想いながら・・・同時に日本の私たちの心にも豊かな光が届くようにと願いをこめて発信しますそのとき、あなたが叫ぶと「わたしはここにいる」と仰せられるもし、あなたの中から、くびきを除きうしろ指を刺すことやつまらないおしゃべりを除き飢えた者に心を配り悩むものの願いを満足させるならあなたの光は、やみの中に輝き上り主は絶えず、あなたを導いて焼けつく地でもあなたの思いを満たしあなたの骨を強くするあなたは潤された園のようになり水のかれない源のようになる(聖書 イザヤ書58:9-10)
2006年01月06日
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(無言館の前にある戦没画家の方たちの名前が刻まれたパレット& それをのぞき込む(笑)Sちゃん)何年ぶりだろう・・・大学時代の大親友と(楽天ブログ仲間のsnowflakeさん)娘さんのSちゃんと一緒に長野へ行った長野上田市無言館と信濃デッサン館へ若くして亡くなった画家たちの絵や戦没画家の絵が大切に展示されているやさしさを感じる絵迫力のある絵瞳に力を感じる自画像愛する人を描いた絵召集令状を前に筆をとりキャンバスにむかう彼らの想いがずしりずしりと私の心に響いたこの間私はフィリピンの友人からメールを受け取った「広島の終戦記念式典のニュースを見ました 過去は過去、私たち新しい世代は歴史から学び 生きていこうよ。平和を作りだすのは私たちなのだから」と書かれてあった彼はおじいさんをルソン島での戦いで亡くしているはたして、私たちは歴史から学んでいるのだろうか?歴史の教科書さえも作り変えられている現実・・・イラク攻撃への賛同・・無言館で出会った戦没画家たちの絵それは広島や長崎の原爆と似ている命がけのメッセージ真摯にそれを受け止めたいと思わされた(パレットに書かれている言葉)
2005年08月25日
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(写真:フィリピンの子供たち)今日、腹がよじれるほど笑った久しぶりだった~あんなに笑ったの!何気ない事だった・・・母が、まじめな顔をして「今日は日米(にちべい)高速にしようかね」と言ってきた・・・はじめは何のことかわからず、きょとん??でも、座り込んで2人で大笑い炊飯器についている早炊き機能、「白米(はくまい)高速」の事だった目の悪い母には「にちべい」と見えていたなぜ日米(にちべい)高速というんだろう・・母はずっと不思議に思っていたらしいそれにしても「笑う」っていい!すかっとする「おほほ」って笑うんじゃなくて、「わっはっは」って・・最近、頭と顔のつぼの本を読んでいるその本に、「顔の筋肉をなるべく動かしたほうが健康にも美容にもいい」と書いてあった・・・そういえば、インドで「わっはっは体操」というのがあって、朝から公園で「わっはっはわっはっは」と声が聞こえてきた事があった・・学校でコンピューターを使っているとじーっと画面を見つめているから、目や顔の神経がこわばるそうなると肩にも内臓にも支障が出てくる時がある顔の神経ゆるめてしわだらけになってもいい、笑っていこ心にも身体にも良い気がする
2005年06月28日
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旅の話の続きフィリピン・シニップシップの村の教会を訪れた時、いつも、遠回りに見つめている子供たちの姿。お近づきになろうと、話しかけるとこの通り・・・一緒に遊ぼうとすると、逃げてしまう・・ う~ん。言葉は通じないけれど、歌を歌ったら、なんとひざもとに座ってくれた。で、その後は、やんちゃな彼らに。 人の心は、言葉がなくても通じるという経験をした方はたくさんいると思う。逆に言葉が通じるのに、こんなに身近にいるのに、どうして、わかってもらえないのだろうと苦しい事もある。一瞬一瞬、私の口から産まれる言葉。頭ではなく、心で言葉を育むものでありたいと願う。子供たちとたわむれながら、言葉を超える素敵を感じていた。
2005年04月02日
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喜びを心に抱き29日の晩に帰国しました!今回の旅の目的は・・1)「つながるこころ」の活動の支援先であるインファンタの友人を訪問。 スーパー台風被災後の今の状況、これからのニーズを聞いてくる。2)教会の宣教訪問団に参加し、ルソン島北部のsinipsipという村にある、 孤児院・学校・コミュニティーでの生活。はじめの被災地動視察に関しては、つながるこころのHPに詳細報告を写真つきで掲載しましたので、是非そちらをご覧下さい! シニップシップという村は、マニラから6時間ぐらい北上してバギオという避暑地を経由して、さらに4時間ぐらい北上した所にあります。あたりを見渡すと・・・高原野菜が段々畑で栽培されています。かなりの農薬を使っていると思われます・・。というのも、霧がかかると、農薬の匂いでかなり苦しい・・。 私たちが滞在したのは、Grace mountaini academyという、25年前にオランダ人の宣教師(John Visselさん)が始めたコミュニティースクール。家庭内暴力を受けたり、親がいなかったり、片親だったり、生活が苦しかったり。そんな環境の子供たちがここで、生活をし、学校に通っています。彼らの心は傷がたくさんあります。彼らが生活をする家には、必ずスタッフの方が住み込み、一つの家には8人ぐらいの小さい子から大きい子までが共同生活をし、家の周りにはお花がたくさん飾られていました。 はじめはシャイで、なかなか打ち解けなかった子供たちも、最後の方には、ダンスショウ!たくさんの賛美に踊りをつけて披露してくれました。27日は、キリスト教のイースター。(イエス様が十字架にかかり、その3日後に復活された事を覚え、お祝いする日)今、与えられている「いのち」に感謝。多くの「いのち」が「生きていて良いんだよ」と励まされ、自らの持つ可能性をいきいきと活用していけるような活動に、加わっていきたいと願い、祈る、ひと時をもてました。紹介したい事がたくさんあります。また次の機会に!そうそう、前回のマニラからの写真ですが・・・あの家は、本当は1階建ての家だったのです。スーパー台風による土砂崩れで家が埋もれてしまい、流れてきた丸太を活用して、屋根をはずして2階を作って今生活している。そんな家の写真でした。
2005年03月31日
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