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有名人の2世というのは可哀想なもので、親が素晴らしければ素晴らしいほど子供に過剰な期待がかかってしまったり、それを売り物にして金を稼ごうという輩が出てきたり。だがしかし子は、何故か親と同じ道へ進んだりするもので。。。ジョン・レノンの息子2人も音楽の道に進んでいますね。今日はジョンとシンシアの息子ジュリアン・レノンのお話。彼は新曲「LUCY」をリリース。ビートルズの名曲「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、ジュリアンが幼少期に、友人ルーシーの絵を描き、その絵に触発されてジョンが書いた曲というのは有名な話で。。そのルーシーさんが病気でお亡くなりになったそうです。新曲はジュリアンがルーシーのために書いた曲。ジャケットには、幼少期のジュリアンの例の絵が。というか、例の絵が、今現在もあるということが驚愕なんですがっ40何年前の絵ですよ物持ちいいのねぇぇ~~。。。どんな曲なのか気になって「ようつべ」検索してみた。「LUCY」はこちらでね^^。。。。トシとったなぁ~ジュリアン。。(そこかいっ!)ジョンが生きてて、もう少しトシとってたらこんな感じなのかなぁ。。。え?曲に関して何かコメントないのかって?。。。う~~ん。。。。ない。(笑)音楽やってる、もうひとりの息子ショーン・レノンの音楽よりは好きかな。(その程度かい)。。。とかく、大きな存在の父を超える、または同等になるなんてことは、難しいのだな。いつまでたっても親と比べられる人生だと思うと可哀想だな、やっぱ。。。
2010年01月27日
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な~んか「モヤモヤ」昨日のNHK-BSを観たからだ。「世界を変えたイマジン」だか何だか知らないけど、なんや、そのタイトル。大袈裟な。ロシアの写真家「なんちゃら」さんがジョン・レノン主義者だの何だの。レーニンかっ!スターリンかっ!「イマジンで私は変わった。ジョンを崇拝しています」レノン主義者が十数人集まって「ジョン・レノンの誕生日に乾杯!」とか言って祝杯あげてる。ああああああ怖い 怖い 怖い 怖いジョンを神格化するな。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だジョンは、ただのミュージシャンだっっ!!!「イマジン」は彼の一部分に過ぎないっつーの!!!「愛と平和」だけが彼じゃないっ!!ジャンキーだったしヨーコが居なければ「ヘタレ男」だし小心者だしマザコンだしーーーー!!!そういう部分を、全てひっくるめて認めて 愛して そうしてからジョン・レノン主義者だと言えーーーー!!(いや本当は言って欲しくはないが)ジョンは神じゃなーーーーーーいっ!!!!!モヤモヤモヤ。。。どうして、こんなんなっちゃったんだろう。。。モヤモヤモヤ。。。朝からこんな「モヤモヤ迷惑日記」でごめんなさい追記「こんなことになったのはヨーコのせいだ」というコメントは受け付けません。
2010年01月10日
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明日は12月8日だな~、と思ったら何だか書きたくなった日記。10年ほど前友人に質問された。「今までで一番悲しかったことは?」即答で「ジョン・レノンが居なくなったこと」と答えたあたし。すると友人は「あんた、幸せだね」友人は若いときに両親を亡くしてしまっているのでその時点で両親も祖父母も生きていて身内の死に触れていなかったあたしは確かに幸せかもしれない、と思った。これといって不幸を感じていたわけでもないし超貧乏だったわけでもない。ちょっとした病気を抱えているけれど超不健康なわけでもない。子供も順調にすくすくと育っていたし姑との関係も、まぁまぁだった。「でも、それとこれとは違うんだー!! ジョンの存在ってーのはねー!」と言いたかったけど、やめた。わかってくれないと思ったからだ。それに、「確かに幸せだ」と思ったからね。しかしその理不尽さ。何って大好きな人が「殺される」という理不尽さはわかってもらいたかったのだけれど、言葉でどう伝えたらいいのかわからなくてそれもやめた。友人とその会話をしたあとは家庭内でいろいろあったりもしたし、家族をひとり失ったりしたけれども、大人になっていましたから、色々心の対処法は学んできていたつもり。だから時間がかかったけれども立ち直ることが出来たんだ。でも15歳のあたしにとって絶対的な存在だったジョン・レノンが居なくなったしかもあんな形で。という衝撃は、非常に対処に苦しむものだったわけで。で今現在も12月8日になると心臓が痛くなったりする奴がここに居る。結婚して子供ができると12月8日だからといって感傷に浸る時間があるわけでもなく、笑って過ごすようになったわけですがでもまだ心臓をキュッと掴まれている感があるんだ。それは15歳のときにキチンと心の対処が出来ていなくてまだ「未処理」のレッテルが貼られているからだろう。そしてそれは、ずっとこの先も処理されることはないのだろうな。。。オノ・ヨーコさんが最近TVのトーク番組に出るたびにジョンの思い出を語っては涙を流す。彼女も年をとったなぁ。。。昔は「泣くもんか!」って頑張っていて、それが痛々しかったけれど。。泣きたいときは泣いたほうが良いのは間違いない。思えば、彼女にとってはあたしの心臓の痛さなんて蚊に刺されたようなものなのだろうな。明日はジョン・レノン・スーパーライブですね。参加するアーティストたちを介して皆さんにジョンの曲を知っていただけるのは純粋に嬉しい。スーパーライブを快く思っていないかたも多いようですが、あたしは素直に「その日ジョンは武道館に居る」と思っているんだ。ジョンと一緒に居られる皆さん楽しんできてくださいね。今日の一曲は。。。今日の一曲はやめておきます。
2009年12月07日
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昨晩、娘たちと一緒にお笑い番組を観ていたら「ピース」いう2人組がジョン・レノンをネタにしていた。こちら。まぁまぁ面白くて娘たちも笑って観ていたけどジョン・レノンといえば「イマジン」なんだなぁ~、と思いあたしはちょっと気になった。ジョンが居なくなってしまってからは、どうも「愛と平和の人」というイメージが前面に出過ぎていてジョン・レノン=イマジンという図式が成り立っている昨今。勿論、イマジンは素晴らしい楽曲だし、ジョンは平和を愛する人だけれどそれは彼の一面にしかすぎないと思うのね。彼をよく知らないかたはもしかしたら「キリストみたいな人」だと勘違いしてらっしゃるんじゃないかという危惧まで感じてしまう。ジョンは偉大なミュージシャンなのです。以前、吉井和哉さんがジョン・レノンを称して「ロックンローラー」と言ったときにはホッとしたものです。勿論、それもジョンの一面でしかないのですが少なくとも「愛と平和の人」と称されるよりはいいかな。どのジョンも、ジョンだから何と言われようと構わないのですが「そこかい?そうかな~?」と思ってしまうのは あたしだけ??ジョンのバラードは勿論素敵だけれどこんな格好いい曲も歌っているんだぜ、ベイベー。(↑誰に言ってる)こちら。。。。そういえば昔、「ジョン・レノソ」(←れのそ ね。)っていう芸人も居たなぁ。。。かたちは どうあれ、ジョン・レノンの素晴らしい楽曲を皆さんに知っていただければあたしは嬉しいのでした。「ピース」のおふたりさんも頑張ってくださいね~~
2009年01月22日
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あたしのブログタイトル「Starting Over」はジョン・レノンの曲です。あたしのジョンへの想いはこちらの日記に書いてありますので時間のあるかたはどうぞです^^そして今日、昨年12月8日にやったジョン・レノンスーパーライブの模様をTVでオンエアしていました。吉井さんは「GOD」という曲を歌いました。2001年、イエローモンキーを解散した直後にもこの曲を歌っていました。当時、何故吉井さんがこの曲をチョイスしたのかあたしには、ものすごくわかって号泣した覚えがあります。ジョンもこの曲を歌ったのはビートルズ解散直後でしたから。とても切ない「GOD」訳詩付きでこちらでどうぞ。「ビートルズを信じない」と歌ったジョン。ビートルズファンになって間もなく、この曲を聴いたあたしはとてもショックで「どうして?どうして?」と感じましたが今となっては解る気がします。2001年、「ケネディー」を「ブッシュ」と変えて歌った吉井さん。「イエローモンキーを信じない」と変えて歌わなくてよかった。。。そしてオノ・ヨーコさん。過去日記にチラッと書きましたが彼女が涙を流したのには さすがにあたしも涙が止まらなかった。「I Love Youって、もっと言えばよかった」「これはスターティング・オーヴァーという曲で使った鐘ですが結局スターティング・オーヴァー(再出発)できなかった。。。」ヨーコさんの そんな言葉にまた泣いちゃいました。。。吉井さんも泣いていました。charさんが思わずヨーコさんを抱きしめていました。先にリンクした過去日記にも書いたとおりあたしはジョンの年齢を超えました。結婚もしました。かけがえのない夫がもし そんなことになったなら。。。と考えると、あたしもヨーコさんを抱きしめたくなりました。新年早々辛気臭い日記ですいません。また明日からはいつものオチャラケIKUKOになりますから今日は泣かせてくださ~~~い。。。
2009年01月02日
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明日はジョンの日。武道館でジョンと一緒に居られるかたがた楽しんでくださいね。ジョンによろしく言ってください。ね、吉井さん。おう、まかせとけ byよちい
2008年12月07日
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1980年12月8日はあたしにとって特別な日であって、何度も過去日記に書いているし、書くのよそうかな~、とも思ったのだけれど、今日はジョン・レノン・スーパーライブの日だし、吉井さんも清志郎ちゃんも出るし、しかもクラウス・フォアマンまで出るし(驚!)やっぱ日記書いちゃおうかな~。。。吉井さんがジョン・レノン・スーパーライブに初めて出たとき、(あれは2001年)歌ったのはこの曲でした。当時、ザ・イエローモンキーを解散して、まだYOSHII LOVINSONにもなっていない頃でした。ですから、どうしてこの曲を選択したのかわかりすぎるくらいわかって号泣しました。「ビートルズを信じない」と歌ったジョン。この曲を初めて聴いたとき、ビートルズ再結成を夢見ていたあたしは、ショックでした。でも吉井さんは「イエローモンキーを信じない」とは歌いませんでした。「ケネディー」を「ブッシュ」と変えて歌っただけでした。安堵して、また泣きました。。。。今年は吉井さん、何を歌ってくれるのかな~。この曲だといいな~。。あたしがジョンにハマった曲だから。TV放映はいつかな~。あ、でも、ライブレポしてくれるかたが居るに違いない。。。(んね?ラベさん^^)楽しみに待っていましょう。。。さて、12月8日ですねぇ~。。。ジョンを聴いて寝ようかな。。。
2007年12月07日
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去年11月にやったジョン・レノン・スーパーライブを観た。しかも昨日の夜中に。笑1時過ぎまでパソ子ちゃんに向かっていたのですが、「さて寝よう~」と思っていたところへ、夫がおもむろにDVDの電源を入れた。「んぁ?あたしゃ、もう寝るよ。あんた、何をこんな時間から観るの?」と聞いたところ、「あー、2日に録画したジョン・レノン・スーパーライブ。お前がパソ子から離れるの待ってた。」と言い出した。にゃにおぉぉ~~???し、知らなかったよ!録画していたのを知らなかった!!し、しかも、TVでオンエアされたことも知らなかった!!全くひとこと何か言えよ。夫!!人を驚かすのが趣味だから、まぁ、いいか。笑で、真夜中にDVD鑑賞。「佐野元春が出てるんだわ。確か。わくわく^^元春は何を歌ってくれるんだろう~」と、期待しながら観ていたら。。。ん???いつの間にかエンディング。。。え??えぇ~???も、元春は~?巻き戻しても、そこには元春の影も形もナイ。。。ナイ。。。ない。。夫とふたりで呆然。。。元春のHPに行ってみた。「ジョンレノン・スーパーライブの後半に出演し、Come Togetherを歌った」と書いてある。。。いったいどういうことだぁぁ!!!何だよ!BS朝日!!カットですか?カット?い、いったいどういうことなんですかぁ!スカパーは万歳だけど、民放BSなんか、漫才だ。まったく、すっとこどっこいだ。(わけわかんねー)ところで、今回のジョンレノン・スーパーライブでひとつ印象的で、涙が止まらなかった話があった。。。チョコレートの原料カカオの原産地、ガーナでは、6歳の子供ですら、カカオの収穫作業をしているらしい。。。しかも、その子供たちは、収穫したカカオが何になるのかさえ知らず、チョコレートなる食べ物の存在も、ましてや食べたことすらない。。。というお話。。。う。。。。(;;)「♪不自由と嘆いている自由がそこにある~」吉井さんの歌詞を思い出しました。不自由だ、不自由だ、と嘆いている自分が恥ずかしいと思いました。不自由と嘆けるのは、幸せなことなんですね。。。今日の一曲ジョン・レノン「Come Together」どうぞ。あ~あ、元春ヴァージョン聴きたかったよぅ。あ、だめだ、だめだ、こんなことで嘆いていてはイケナイ。。。。
2007年01月05日
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ジョン・レノンが最後に居たのは。。。。↑ 自宅であるN.Y.のダコタ・アパート(通称ダコタ・ハウス)の入り口です。今日12月8日はジョンの命日です。彼については、過去日記に何度も書いているので、(こちらの日記参照)今日は多くは書きません。ニューヨークに行った時のことを書こうかなぁ。。。。と。。。1990年、ジョンが居なくなって10年後、あたしと夫は新婚旅行でニューヨークに行きました。「ジョンが最後に居たダコタ・アパートに行きたい」という、あたしの希望を、あたしと同じビートルズファンである夫は、快く承諾してくれました。あんなに行きたかったニューヨーク、あんなに行きたかったダコタだったのに、いざジョンが最後にいたダコタのエントランスを目の当たりにすると、そこから一歩も動けなくなり、「もうジョンは居ないんだ。。。」という空虚な気持ちになりました。あたしと夫は無言でずっと、そこに佇むばかりでした。どのくらい、ダコタの前に立っていたでしょう。フッと気がつくと、警備員がこちらをチラチラ見ていました。不審者だと思われては大変なので、あたしたちはセントラルパークに足を運びました。そんなに歩かないうちに、発見しました。ストロベリーフィールズと呼ばれる一角にある、「イマジンのモザイク」を。ジョンの死後、ヨーコさんの、「ジョンが好きだったセントラルパークに、何らかの平和の碑を」という希望により、実現したものだそうです。あたしたちが行ったときは、一本の赤いバラが置いてありました。いつも花が絶えないそうです。ジョンが最後に居た場所に行きたくて、でも行ったらジョンが「居ない」ことを再認識させられて、「なんだかなぁ。。。」と落ち込んだあたしたち。考えてみれば、行ったところでそこにジョンが居るわけがないのは、行く前からわかっていて、だってらどうして行ったなんて考えても、「行きたかったから」なのであって。。。わけわかんなくなってきた。。。^^;今日の一曲はセントラルパーク繋がりでこちらの曲をどうぞ。「♪ジョン・レノンは~天国になどいないさ。レコード~の~なかだよ~♪」 by 吉井和哉ジョンの曲を聴けば、いつでもジョンの心に触れられる。いつでもジョンに会える。そういうことだよね?吉井さん。。。。
2006年12月08日
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ジョン・レノンの誕生日です。そうです、吉井さんと一日違いなんです。生きていたら。。。とか、そういうことを考えるのは、切ないので、なるべく考えないようにしているのですが。。。生きていたら、66歳です。大好きなジョンと吉井さんが、一日違いの誕生日だなんて、何だか、不思議で、偶然なんだろうけど、必然のような、複雑な思いがいたします。天秤座は、美的センスに優れていて、芸術に長けているのだとか。。そういえば、ジョンはアートのセンスがありますね。吉井さんは。。。。??あ、そういえば、あたしのプロフィールのネコの絵。あれは吉井さんが描いたものなんですよ。どうですか?センスありますでしょうか?笑ふたりには、生い立ちにも、共通点がありますねぇ。ジョンは5歳の時、両親が離婚し、父親と離ればなれ。吉井さんは同じく5歳の時、父親を亡くしています。そして、ふたりとも、ひとりっこ。寂しい少年時代を過ごしたのではないかと思います。そのせいか、どうか、ふたりとも、優しくて、ものすごく繊細なところがあります。昨日と同じく、今日はジョンのご両親に感謝したいと思います。ジョン・ウィンストン・レノンのお父さん、お母さん、ジョンをこの世に授けてくださって、ありがとうございます。*IKUKO*は幸せです。感謝します。。。そういえば、昨日自分の日記を書いたあと、吉井さんのオフィシャルHPに行ってみたら、吉井さんも、自分のブログに「パパ、ママ、ありがとう」って書いてありました。何だか、気分がほんわかしました~^^ところで、毎年、ジョンの誕生日頃にやっている、ジョンレノン スーパーライブ。日本のいろんなアーティストが集まって、ジョンの曲を演ったりするわけなんですが、(去年は吉井さんも出演)今年は、なんと、佐野元春が出るらしいですねー。オノ・ヨーコさんとも親交がある元春。ジョンのどんな曲を演ってくれるんだろう。凄く楽しみです。^^。。。と言っても、あたしはTVで観るだけなんですけどねー。(悲)主婦になっちまうと、おいそれと東京には行けんのだわ。あぁ~。。。最後になってしまいましたが、ジョン!HAPPY BIRTHDAY!!!
2006年10月09日
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はい、しつこく同じテーマですいません。。^^;今日は、ここのブログタイトルになっている曲、ジョン・レノンの「Starting Over」です。え?どんな曲だっけ?というかたは、こちらへどうぞ~^^あたしがジョン・レノンにハマった時、すでに彼は専業主夫でした。(1978年)ヨーコとの一粒種、ショーンが生まれてから、彼は音楽活動を辞めました。前妻シンシアとの間の息子、ジュリアンが小さい頃、丁度ビートルズ全盛で、息子とのコミュニケーションが皆無だったから、ショーンとは関わっていたい、というのが理由のようです。でも、1980年、彼は音楽活動を再開します。ショーンも5歳になり、父親が働いている姿を見せたほうがいい、という考えから、そして、やはり、「音楽」というものを捨てきれなかったからだそうです。あたしは、とても嬉しかった。それまで沈黙していたジョンが、新曲を、アルバムを、そして、ワールドツアーをやるという噂も!!!!5年振りのシングル「Starting Over(再出発)」心に沁みました。。。。。で、12月8日がやってきたわけです。。。当日のあたしの様子は、過去日記に書いたので、よろしければ、こちらをお読みください。歌詞については、日本語訳を載せようかと思ったのですが、あたしは、レコードの訳も、CDの訳も、あたしが思う訳とは、ちょい違うので、あえて英文で書きますね。皆さんは、皆さんなりの解釈で理解していただければよろしいかと。。。 「STARTING OVER」 JOHN LENNONOur Life together is so precious togetherWe have grown -we have grownAlthough our love is still specialLet's take a chance and fly away somewhere aloneIt's been too long since we took the timeNo-one's to blame ,I know time flies so quicklyBut when I see you darlingIt's like we both are falling in love againIt'll be just like starting over-starting overEveryday we used to make it loveWhy can't we be making love nice and easyIt's time to spread our wings and flyDon't let another day go by my loveIt'll be just like starting over-starting overWhy don't we take off aloneTake a trip somewhere far,far awayWe'll be together on our own againLike we used to in the early daysWell,well,darlingIt's been too long since we took the time No-one's to blame,I know time flies so quicklyBut when I see you daringIt's like we both are falling in love againIt'll be just like starting over-starting over
2006年09月21日
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明日、6日にBSでジョン・レノンの映画「イマジン」が放送されます!!あたし、ビデオ持ってるけど、観ちゃうもんね。笑たぶん、正座して観てると思うよ~^^明日、放送が終わってから日記を書こうと思っていたのですが、ジョンについては過去の日記に、しかも2回も書いているので、重複してしまいそうなので、あえて書かないことにしました。ジョンについては書きたいことたくさんあるし、その楽曲に関してもいろんな思いがあり、一日一曲書いてたら、一体何年かかるんだ、、、みたいな。。。笑明日放送を観れる皆さん~!観たあとに是非感想を聞かせてね。^^あたしはね~、傍らにティッシュ置いて観るよ~!以前、映画館で観たら、化粧が落ちちゃって、すごいことになっちゃった。(爆!)
2006年05月05日
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1980年12月8日(日本は12月9日)。あたしは高校1年だった。(あぁ~、としがバレバレ^^;ま、いっか)いつものように学校が終わり、放課後はたいてい、バイトに向かうか、友人たちの家に集まってワイワイやるかだったが、その日はなぜか早く帰宅した。今は亡き祖母がテレビのワイドショーを見ていた。いつもの光景。ところが、アナウンサーが突然、「元ビートルズのジョン・レノンさんが撃たれ、死亡」と、悪夢のような事件を報道した。あたしは、その場に崩れ落ち、奇声にも近い大声で号泣してしまった。とにかく、涙が出てきて、出てきて、しかたなかった。何時間もその場から動けなかった。あとから聞いた話だが、祖母はあたしのそんな姿を見て、あまりにも心配になり、母の勤務先に電話したらしいよ^^;(おばあちゃん、ごめんね)夜になって、TVニュースを観た友人たちから電話がきたが、何を話したか覚えてない。たぶん、何も話せてなかったと思う。「うん」と言った記憶はある^^;泣いて、泣いて、朝まで泣いたよ。だって、5年間も主夫していたジョンが、やっとアルバム「ダブルファンタジー」をひっさげて戻ってきたとこなのにさ。ワールドツアーもやるらしいなんて噂も耳にしてたしさ。すごい、すごい。。。すごいさ、楽しみにさ。。。してたのに。。。「なぜ?なぜ?どうして殺されなきゃなんないの!?」という気持ちが最初に湧いた。「どうして」なんて問うても、理由なんてないのにね。人間は理由を求めて、探せると安心するんだね。ジョンの好きなところは・・・ロックンローラーとしてのかっこ良さと、自分の弱い部分をさらけ出せるところ、(あるイミ凄い。なかなかできないことだ)優しいのに、「オレは優しくなんかないよ」というそぶりをするところ、(かわいい^^)アートのセンスがあるところ、そして、そして・・・・心が震える楽曲を作ってくれるところ・・・。感謝します。ジョン・レノン様。あなたを知ることができて良かった。去年、あたしはジョンが死んだとしと同じ40歳になった。高校生のときは思いもしなかったが、結婚し、家庭を持って、ふと思うのは、「世間はビートルズの、あるいは平和を訴えてきたジョン・レノンが死んでショックを受けてたかもしれないけど、ヨーコにとっては世界のレノンではなく、かけがえのない夫が死んだのだ」という事。そう思うと、高校生の時とは違う悲しみがおしよせた。ヨーコの気持ちになった。傍らにいる夫を見ながら。。。。。
2006年02月12日
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書いてみようかなー。ビートルズ編にも書いたけど、ビートルズを聴き込んでいくと、当然4人のソロを聴きたくなる。で、あたしがガツーン!とやられたのがジョン・レノン。ビートルズ時代から、その片鱗はあったけど、ジョンは心の中の叫びをストレートすぎるくらい楽曲に込めている。何だか切なくなって、心の芯の奥底まで突き刺さってくる。理屈じゃない。「Mother」「GOD」などが顕著な例で、まるでセラピストか何かに「全て話せば楽になれるよ」とでも言われたかのごとく、叫んでいる。オノ・ヨーコへのラブソングも数多くあるが、こっちが恥ずかしくなるほど、まるで10代の少年のようにヨーコへの想いを歌うジョン。「おい、おい、^^;気持ちは解るけどさ」と苦笑いしたくなる。「あいすいません」と、自分の浮気をヨーコに謝る楽曲を全世界にリリースするなんて・・・。ありえないよね。そんな公私混同が許されるのは、ジョン・レノンだからなんだろうなぁ・・・。あたしが最初にジョンに引き込まれた曲は、「Imagine」ではない。(笑)昨今はジョン・レノン=イマジンという図式が成り立っているが、それはちょっと違うと思うなぁ。ジョンは愛と平和の使者なんかではない。平和を愛する「ロックンローラー」だと思う。人の側面しか見ちゃいけないよ。でも、イマジンに込められたメッセージは、後世に伝えていかなくてはならないものだと思う。「Mind games」をラジオで聴いた。心臓がバクバクして、倒れるかと思った。(笑)それこそ、理屈じゃない。あのフレーズがいい、とか、あそこの歌詞が好きとか、そんなレベルではない。ジョンに憑依されたみたいなもんだ。はい、それこそとりつかれマシタ。「GOD」という曲を聴いたときはショックだった。あたしがビートルズを知った時は、当然もう解散していたのだが、でも、またいつかは再結成してくれるんじゃないかと、期待していたわけだが、「ビートルズを信じない」と歌ったこの曲は、「え・・・!そうなの!?」と、泣きそうになった。再結成などありえなかったのだ、と思った。のちになって、「ああ、きっとビートルズのジョンは本当のジョンではなかったんだ。本人にとってはヨーコといる自分がジョンなんだなぁ」と、理解するが、それにしてもストレートな人だ・・・。オノ・ヨーコについては、好き嫌いがハッキリ分かれる人物ではないかな。あたしは好きだな。子供みたいで(笑)かわいい。魔女だとか何とか言われて、ビートルズを解散させたとか、酷い中傷を受けたけど、ヨーコがいなくても、ビートルズは結局、解散したでしょう。ヨーコは計算人間なんかじゃなく、ジョン・レノンというひとりの男を愛する、タダのひとりの「女」だと思う。みんなと同じさ。計算してやってるなら、自分に非がないと思わせるようにしむけるハズだし、中傷を受けるってことは、たちまわりがヘタすぎるというか、そんな評価なんてどうでもいいと思ってるんだね。きっと。でもこの人の感性には脱帽~~!!凄いものをもってると思う。ジョンがヨーコに惹かれたの、わかる。魅力的な人。ジョンのソロアルバムで好きなのは「ジョンの魂」と、「Walls and Bridges」「Mother」で始まるアルバム、「ジョンの魂」の原題は「John Lennon」なんだけど、この邦題つけた人の気持ち、解る。赤裸々すぎてびっくりした。その、びっくりする楽曲が多いなかで、「Working class hero」は、地味ながら、異質で目立つ楽曲だ。ジョン独特の皮肉もたっぷり・・良いね。「Walls and Bridges」は確か、ヨーコと別居していた頃のアルバムではなかったっけ・・・?ヨーコのニオイがしない(笑)だから好きなのかな。エルトン・ジョンをゲストに迎えている「Whatever gets you thru the night」は、かなりカッコイイ!!あたしの結婚式のエンディングの曲にしたもんね~~^^というわけで、あたしはどんどんジョンに浸透していくのだが、そうこうしているうちに、あの1980年12月8日がやってきた。。。。そのあとのことは、またそのうち。。。パート2に続く~~~^^
2006年02月11日
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