今が生死

今が生死

2013.08.03
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カテゴリ: 仕事
今日は病院の当直である。今月は今日の土曜日と24日の土曜日の2回当直である。土曜日の当直はいい。いくら忙しくて眠れなくても翌日が日曜日なので気楽なものである。

通常深夜忙しくることが多く、今頃の午後3時半頃は時々医局に戻ることができる。そのような時には医局のパソコンに向かってみるがこれがたいそうの品物で、まず最初は動いてくれない。クリーナーをかけると動いてくれることがあるので、クリーナーをクリックしてもそれが中々起動してくれない。数十分後やっとクリーナーが動いてくれてそのおかげでパソコンが使えるようになったのでいまこれを書き始めた。でも救急で呼ばれて席を離れると数分後にはまた止まってしまって最初からクリーナーをかけなくてはならない。

パソコンが止まらない今のうちに今日の本題を書こうと思う。仕事についてである。仕事はできる人とできない人がいる。定年退職で年金暮らしの人や、重度の障害者などは仕事をしたくてもできない。若者でも仕事をしたいのだが失業していて仕事ができない人たちもいる。

私も普通ならとっくに定年で、仕事したくても仕事させてもらえない階層である。たまたま職業的に需要があり、未だに仕事をさせてもらっており、当直までさせてもらっている。幸い、目も耳もいいし、気力もあるし、向学心もあり、若い同業者に負けているとは思わない。むしろ気力や責任感では優っているようにも思う。

でもこのような人は世間にはゴロゴロいる。でも年齢の関係で後継に譲らなければならず、仕事をさせてもらえないのが普通だ。自分だけこの歳になっても仕事をさせてもらえることを申し訳なく思う。

だがよく考えてみたい。中には仕事したくない人もいるかもしれないが99%は仕事したい人達だと思う。でも年齢や、体の障害、自分に適した仕事がない等で仕事していない人は半数近くいるのではないかと思う。でも病院に行ったり買い物に行ったり、旅行したりするのは仕事に近いことではないかと思っている。買い物や旅行したりして金を使うことによって社会は動くからである。障害者が、病院やリハビリに通うのも病院で働く人の給料を生み出しているのである。

目に見えるような仕事をしていなくても、社会の中で他の人に給料をもたらすようなことをしている人は立派な仕事をしているのではないかと私は思う。

仕事とは給料をもらえる目に見えるような行動だけでなく、他人に給料を生み出すような行動も立派な仕事の部類に入るのではないかと思う。入院患者さんを見ていると彼等は肉体労働はしていないが、彼らがいなければ病院で働く人達の給料はでない。だから彼らは健康回復を目指してひたすら療養することが立派な仕事なのだと思う。

私もいつかは仕事現場からはなれることになる。そして認知症になって入院したり、訪問介護を受けたりするようになるかもしれない。そんな病気の私でも立派な仕事をしているのではないかと思う。





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Last updated  2013.08.03 16:59:08
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