今が生死

今が生死

2016.05.28
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カテゴリ: 世界平和
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イギリスの数学者であり哲学者であるANホワイトヘッドは宗教と科学を批判して独自の宇宙論を展開している。「宗教は決して必然的な善ではない。それは非常な悪でありえる。諸君が契約を結んだ神は破壊の神であるかもしれない」と述べ、科学に対しても「科学の発達が必然的に善であると考えてはならない」と戒めている。

彼の文明論は、真実、美しさ、冒険、芸術を如何に調和させるかにありその調和の上に平和があると説いている。
現在の世界は北朝鮮やイスラム国等の真実も美しさもない国家(もしくは疑似国家)による核戦争もしくは核によるテロ攻撃の危険にさらされている。
ホワイトヘッドは平和とは個々人の魂の活動と理想的目的との調和であり、文明が完成に向かうことであると述べている。しかしその調和を妨げるものがあり、それは過去の行為の潜在力が関係すると述べている。過去はポテンシャルとして現在に作用する構成要素であり、それは消すことが出来ない不滅のものであり簡単に水に流せるものではなく直視して対応していく必要がある。日本の哲学者田辺元はこの問題について、過去の行為を浄化する転換作用として懺悔を提唱し、不滅のポテンシャルとしての潜在力を善の方向に転換する根源的方法であると述べている。これは個人としても団体としても国家としても同様である。近年日韓の政治問題の争いも過去のポテンシャルの表れである。(尾崎誠氏論文「ホワイトヘッドの平和論」を参考)
この問題については村山富市首相が正式に謝罪しているが、韓国側はそれをきちんと受け入れていない面がある。事あるごとに歴史認識を持ちだす韓国側に日本側は「きちんと謝罪しているではないか!!いつまであやまれば気が済むのだ」「しつこいにもほどがある」と手を焼いていて未だ解決していない。上記田辺哲学を読んで謝罪すればそれで済むものでなく、懺悔がなければ真の解決にはならないのではないかと思った。
今回オバマ大統領は謝罪もしなかった。それでも多くの国民は彼および彼の国を少しは許す気持ちになった。村山富市氏の謝罪が形式的なものだったとは思わないが懺悔はなかったのではないかと思われた。日本国民は懺悔などと言うと腹切りを連想し面目ないことと思いがちだが、過去のポテンシャルを転換する唯一の方法でこれこそ未来を切り開く最も勇気ある行為であり清々しい姿だと思う。
オバマ大統領およびアメリカ国民からの謝罪がなく、ましてや懺悔もなかった。しかし彼が広島に来てスピーチした行為に懺悔を感じた日本人は少なからずいたのではないかと思う。
懺悔とは懺悔しましたとか申し訳ありませんでしたなどと言うことだけではないと思う。いやむしろ謝罪とか





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Last updated  2016.05.28 22:12:39 コメント(6) | コメントを書く


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