うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
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柏葉紫陽花昨日、今日の新聞に連載で作家・精神科医の帚木蓬生さんのインタビュー記事が掲載されていた。聞き手が「コロナ渦が1年4か月にもおよび、今なお終息が見えにくい状況の中で精神科医として何を感じているか」と質問したのに対し「この半年くらいで抑うつ状態、不眠を訴えてくる患者さんが増えてきた。出口が見えない状況の中で多くの人が精神的閉塞感を感じているのではないか。学生はスポーツも文化祭も歓送迎のイベントも全て駄目、やり場のない怒りや焦燥感を募らせていると思う」と答え「その解決策は何か?」の質問には「明快な解決策はない。私は『どうにも答えの出ないどうにも対処しようのない事態に耐える能力』についての本(ネガティブ・ケイパビリティ)を書いた。それは難しい問題に拙速な理解で解決方法を見つけた気になるのではなく、解決を一旦棚に上げてより発展的な深い理解に至るまでじっくり模索し続ける。そういう宙ぶらりんの状態を持ちこたえる能力が重要だということを書きました。自然の美や人間の心を純粋に捉えるためには物事を色眼鏡で見たり性急に決めつけたりしないで不確実、懐疑の中にいられる忍耐力が必要だということです」そう言われてみるとコロナについては色々な人の言動に惑わされて性急な判断をしがちだが、じっくり模索し続けることが必要だなと思われた。オリンピック開催の是非についても多くの意見が出されているが、現状では明快な答えは出ていない。色眼鏡で見たり、性急に決めつけることはしないであらゆる方面からじっくり検討して貰いたいと思う。
2021.05.30
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8時50分頃9時6分頃今日は皆既月食ということで夕方から外を眺めていたが曇り空で中々見えなかったが8時半頃から見えだした。月食が徐々に戻って9時50分頃には満月になるとの事だったがまた曇り出して満月になった時は見えなかった。途中をスマホで写真撮影して拡大してブログに載せようとしたが中々思ったようにいかなくて随分時間を浪費してしまった。「随分時間を使ってしまったな」とイラつきながらうつむいて今日の新聞の下の方を見たら「あきらめなければ失敗ではない」という山下和之さんが書いた本の広告が載っていた。私はブログに月食の写真を載せようと思ったが曇り空で中々見えない。見えた時に写真撮ったがどうしたわけかスマホからパソコンに写真が移せない。時間ばかり経って焦ってしまう。失敗したなと思ったが色々からかってなんとか上記のように小さい写真ながら載せることができた。山下和之さんは著書の中でこのようなことを言いたかったのかな?と思ったが、本の紹介を読んだら会社に就職した時仕事がうまく行かなくて失敗ばかりして上司には虐められるし散々な思いをしたが失敗を繰り返しているうちにだんだん物事が分かるようになり出世もしてついには社長になったという内容だった。「失敗こそが財産」という副題もついていた。私達はともすると成功を求め失敗すると落ち込み自信を失う。1度や2度の失敗ならいいがそれが何度も重なると上司からも周りの人達からもダメなやつと思われる。そして自分は周りから思われる以上に自分自身を恥ずかしい存在だと思う。そして益々ダメ人間になっていくというのが一般的流れかもしれない。しかし山下和之さんは失敗しても諦めず「失敗は財産だ」と努力して社長にまで昇りつめた。上司のタイプや性格にもよるが一般的には部下の指導では「同じ過ちは繰り返すな」と指導する。何度も過ちを繰り返すと上司も呆れるし自分自身も嫌になってしまう。山下さんはこのように同じ過ち繰り返したのかも知れないし、新製品の開発で失敗しても失敗しても懲りずに挑戦してついには良い製品を作り上げたのかもしれない。二度以上同じ過ちを繰り返すのは余程のぐずだと他人も自分も思うが人間は神ではない。3回目4回目の失敗を繰り返すかもしれない。しかしその失敗の内容は最初の時とは条件が違う。全ての失敗は財産と捉えるのがいいのだと思う。皆既日食の写真がブログに中々載せられなかった失敗は小さい、小さいことだと思った。失敗には大失敗と取るに足らない小さな失敗がある。山下さんはどの失敗も財産だと言っている。失敗にはもう生きてはいけないと思うような大失敗もある。でもそれだって財産だ。死なないでそれを償い修復していくのが人生なのだと山下さんは言いたいのだと思う。
2021.05.26
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イソトマ(毒性がある)私の受け持ち患者さんで脳出血後のリハビリをしている70歳台の男性がいる。凄い読書家で回診の度に本を読んでおり、朝早くから夜消灯きりきりまで読んでおり文庫本を1冊1~2日で読み切っており、入院中20冊以上は読んだと思う。朝明るくなる4時頃からカーテンを開けて読みだすと看護師さんに怒られるのでカーテンは少し開けて見つからないようにして読んでいるとのことである。今日は森村誠一の「悪魔の飽食」を読んでいた。開いているところをチラッとみたらウイルス研究斑班長誰々、細菌斑班長誰々、コレラ斑誰々・・と名前がずらっと書いてあった。悪魔の飽食は1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて発表された陸軍731部隊の捕虜に対する人体実験の実録小説である。京大卒の石井四郎軍医隊長を中心に医師や研究者や兵隊達が中国やロシアの捕虜約3千人に生きたまま様々な実験をした記録である。コレラ菌、赤痢菌、ウイルス、化学薬品などを注射したり飲ませたり吸わせたりしてどのような変化が起きるか、大量死するためにはどのような方法がよいか等を研究した記録である。毒ガスの研究も行っており、生きたまま解剖するなど想像を絶することも行われていたらしい。ワクチンの研究なども行われていたらしいが何れも戦争に役立たせるための研究であった。大量に殺人できる爆弾の研究と同様、戦争に役立てるためにどの細菌やウイルス、さらにどの化学物質が最も効果的に大量殺人できるかの研究を行っていたのだと思われる。それは殺人兵器開発研究の一環として大なり小なり各国で行われていたのだと思われる。治療についての研究もあったかも知れないが主目的は兵器としての研究だったと思われる。戦後もその研究の流れは国によっては今でも続いているのではないかと思われる。今新型コロナウイルスが猛威を振るっているがそれはそのような研究の過程で生じたものでそれが故意もしくは事故で研究室の外に出て暴れ回っているのだと思われる。その大元は戦争である。各国で派遣争いをしている限り今後も同じようなことがおこる。各国同士勝ち負けを意識しないで互いに協力して地球をよくするように努力すべきである。そうしなければ地球は滅んでしまう。
2021.05.24
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谷川俊太郎氏(89歳)文学界5月号に詩の大家 谷川俊太郎と高橋睦郎の対談が掲載されており、それぞれ新作詩を発表していた。谷川氏は「なぜ生きる」を載せていた。 なぜ生きる 谷川俊太郎なぜ生きる?と問われたら生まれたからと答えるしかないいのちに理由はない喜怒哀楽があるだけで十分だ今朝も眠っている間に日の出があったと見えて窓を開けたら世界が眩しかった隣の家の屋根に瓦があるのを再確認した耳があるのは有難い耳は雀のさえずりを聞いている些事が大事に劣らないこの世老いも若きも弁じてやまないが無意味の重みは腑に落ちているのか生きる意味は「生まれたから」と答えるしかないのはその通りだと思う。窓の外を見たり雀のさえずりを聴くのも生きているからだと思う。しかし第四小節目は意味があまりよく分からない。些細なことも大事なことも同じように大事なのだよということを言おうとしているのだと思うが最後の一行「無意味の重みは腑に落ちているのか」になると分からなかった。読者各々に考えてもらいたいということかも知れない。老いも若きも色々論じているがそれは無意味なことなんだよと言いたいのか、無意味ということの重要性は理解しているのか?のどちらかだと思ったが、私は後者ではないかと想像した。世の中には些細なことも大事なことも、意味のあることも無意味なこともあるが無意味なことも生きていく上では重要な事なんだよと言っているのではないかと思った。ある人は時間を無意味なことに無駄に使ったりすると焦りや後悔や自己嫌悪にさいなまれる。世の中には価値あることと無意味で価値ないことがあると思っていて価値ないことに時間を費やすことには罪悪感さえ感ずる人もいる。しかしこの詩の作者は、生きるというのはそれほど大それたことではなく、生まれたから生きているというだけで屋根瓦を見たり雀の声をきいていればいいことで、生きてる間に何かをしなければならない、それには時間が足りないとあくせくしなくてもいいのではないかと言っているのではなかろうか?ある人から見ると「なんとのん気なことを言っている詩か?」と思うかも知れないが最後の一行「無意味の重みは腑に落ちているのか」で人生で最も大事なことを詠んでいるのかもしれないと思った。
2021.05.22
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レモンの花、昨年は3個実が生ったが今年は何個生るだろうか同じ植民地でも台湾と朝鮮では随分違う。台湾はポルトガル人が到達する以前の歴史は殆ど知られていなかったが朝鮮の歴史はかなり古い時代から明らかになっている。文献上紀元前の記述もある。中華文明の影響を受けて文化も進んでおり高句麗、百済、新羅、の時代に百済から日本に仏教、漢字などが伝えられている。長い間大陸の唐、明、清の支配を受けてきた。1392年、明の洪武帝から高麗の武将李成桂が朝鮮王として朝鮮という国号を下賜された。15世紀の世宗の時代にはハングル文字(朝鮮文字)の制定、史書編纂、儒学振興、農業の発展、科学の振興など画期的に発展した。しかし常に唐、明、清の支配下にあり大韓帝国として完全な独立国家であったのは日清戦争後下関条約で清の支配から解かれて日韓併合までの12年間のみであった。大韓帝国になった後清の影響はなくなったが代わりにロシアが侵攻してきて日清戦争の勝利で日本が獲得した遼東半島の権益がロシアに組み込まれてしまった。これを不服として明治37年(1904年)日露戦争が勃発してこれに勝利した日本は第二次日韓条約を締結し韓国統監府をおいて大韓帝国の外交権を支配下に置いた。日本国内の世論は次第に韓国を併合すべきだという方向に進んでいたが、初代韓国統監伊藤博文は「ロシアから韓国を守るため近代化を推進し自立できるまで保護する。併合を強行することは反対である」という立場を貫いていたが、1909年10月26日韓国の独立運動家安重根(アンジュングン)の銃弾に倒れた。併合反対の伊藤博文が亡くなったのでその10か月後には一気に併合が成立することになった。今韓国では安重根を建国の英雄と祭り上げて称賛しているが実際は併合を反対していた伊藤博文を殺して併合に持って行った張本人である。併合してから韓国に対して学校建設を進めて教育の普及に努め、農業の改革も進んで耕作地も倍増した。東洋一の鴨緑江ダムを始め多くの水力発電所も建設し工業、経済の発展に尽くした。しかし韓国民は台湾と違ってそれらを評価しておらず感謝の気持ちも持っていない。併合に対する恨みがあるからである。伊藤博文が懸念した早急な併合は両国民の軋轢を生むという懸念の通りになってしまったということだと思う。「歴史認識が違う」とよく言われるがお互いの国の歴史をよく学び、理解を深めていくことによって両国の友好が築かれていくのだと思う。わだかまりなく友好的に互いに交易、交流することによって極東地域の文化が栄えていくと考える。 参考:渡邊裕著「幻の大東亜戦争」
2021.05.11
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今もまだ咲いているクリスマスローズ今回も「幻の大東亜戦争」から台湾編を紹介する。明治28年(1895年)日清戦争の結果台湾及び澎湖諸島を日本が清国から割譲してもらい第4代台湾総統児玉源太郎は民生部門の長官として後藤新平を起用して積極的な植民地経営を始めた。後藤は着任の翌年、明治32年に台湾銀行を設立して5年後には台湾銀行券を発行して台湾の貨幣を統一して大量の資金調達を可能にした。麻薬吸飲者には免罪符を与え、免罪符を持たない阿片吸飲者は厳罰にする方法で根絶に成功した。飲み水の病原菌汚染も酷かったので後藤は近代的な上下水道を完成させた。台湾南部は乾燥と塩害の不毛の地であったが八田輿一が烏山頭ダムを建設してこの地域を台湾有数の農業地帯に変えることに成功し、八田は現地人と共に労働に従事し、亡くなってから現在に至るまで住民に感謝されており命日には感謝と異例の祭りが行われている。後藤は教育の普及にも尽力して中等、高等、大学教育を内地に負けないように整備していった。日本から台湾に夢と希望を持って渡ったものも多く特に警察官や教員に熱意のあるものが多く大きな影響を残してきた。例えば台湾中西部の村に配属された森川清治郎巡査はある時海の岩場で身動きの取れなくなった漁師を自ら負傷しながら助けたこともあったし、村民を思う森川は増税に反対して陳情したが聞き入れられず戒告処分にされてしまい村人に済まないと責任を感じて拳銃自殺してしまった。結果として増税は取り消され、彼を慕う村人達によって冨安宮が作られ土地神として祀られている。台湾中西部に赴任した瀧野平四郎警部補は任地に水がなく疫病が多いことから5Kmくらい離れた所から伏流水を鉄管で引くことを計画し難工事の末現在も涸れることない通水に成功した。住民は水道の恩人として瀧野の記念碑を建て今なお感謝している。明治29年台北に芝山巌学堂が開校された時6人の教員が赴任したが治安が悪く周囲の台湾人は危険だから避難した方が良いと勧めたが、彼らは、「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と逃げることなく教育に命をかけて当時の台湾教育者に大きな影響を与え台湾の経済発展の礎になった。これらの数々をみるにつけ台湾を愛した我々の先輩たちが台湾のために命を捧げてきたことが分かる。その恩義を忘れない台湾人も素晴らしいと思った。渡邊先生のこの本によって台湾人が日本に好意的な理由がよくわかってよかった。
2021.05.10
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大手毬当院非常勤医師の渡辺裕先生(95歳)が「幻の大東亜戦争」という本を書かれて医局医師に贈本して下さった。「もしあの戦争がなかったら」という副題がついていたが、戦前、戦中、戦後を生きてきた著者が小説形式であの戦争の本質について書かれた書である。太平洋戦争では日本は大敗しポツダム宣言を受諾し、東京裁判で戦争を仕掛けた極悪犯罪国家として首謀者は処刑された。しかし実際は日本は戦争を避けようとしてあらゆる努力をしてきたが何とかして戦争に誘導しようとしていたアメリカの誘導作戦に乗ってしまったのだが結果的に日本のみ有罪になり、それを仕掛けたアメリカは罪を問われず大手を振って戦勝国として君臨し利益を得た。戦争しなかったら朝鮮も台湾も千島列島も樺太も今なお日本領だったはずである。この戦争で一番儲けた国はソ連である。日本の敗戦が決定的になってから不可侵条約を破って参戦し停戦になってからも攻撃を続けて樺太、北方4島を含む千島列島全域を占領し60万人の日本人を拉致して奴隷のようにソ連再建に使うなどして火事場泥棒そのままのぼろ儲けをした国である。それに劣らず大きな利益を得たのは中華人民共和国である。中華民国(中華人民共和国とは全く別の従来のシナ国)をこの戦争のお陰で滅亡に導き戦勝国として国連常任理事国に選出された。その上日本から多額のODA(開発途上国援助)を受け取って世界最大級の軍備と経済力を身に付けてしまった。最も損をした国は中華民国で中華人民共和国に国を乗っ取っられてしまったのである。中華人民共和国が日本に対して戦後補償とか歴史認識などと言っているが中華民国なら兎も角、何の関係もなかった中華人民共和国からそのようなことを言われる筋合いはない。と書かれれていた。日本も大損したがその次に損した国はオランダだろう。オランダはドル箱の蘭領東インドに独立されてしまい大損害をした。イギリス、フランスも占領地が独立して損害を被っている。戦争は損得だけで考えるものではなく何十、何百万という人命が失われており、決してしてはならないことだが、損得の面から考えても大損をした国は多い。大儲けしたソ連や中華人民共和国などがあるが今後のことについては外交努力で解決していくしかない。大東亜戦争が回避できたなら日本は全く別な形で発展してきたと思われるがそれは過去の事でとやかく言っても始まらない。その歴史を正しく学び反省して現実と未来を見つめながら広い心を持ってより大きく発展させていくことが重要と思われる。
2021.04.25
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ビオラ資本主義は個人的資本所有者がそれを本にして営利目的に労働者を雇い商業や産業を市場で行うシステムで利潤を上げることが目的である。渋沢栄一の合本(がっぽん)主義は公益を追求するという使命を達成するのに最も適した人材と資本を集めて事業を推進させる方式である。どちらも事業を行い利潤を追求するがその目的が資本主義は自分がもっと儲けて豊かになりたいだが合本主義は公益を追求するために事業を行なう。つまり一部の人に富が集中する仕組みでなく皆で人、物、金、知恵を持ち寄って事業を行いその収益を皆で分け合い皆が豊かになる方式である。「いかに自分が苦労して築いた富だと言ってもその富が自分一人の富と思うのは間違いである。人間は自分一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって初めて自分でも利益が上げられ安全に生きていくことが出来る。これを思えば富を手にすればするほど社会から助けてもらっていることを自覚すべきである」明治時代前期の実業家で三菱財閥の基礎を築いた大金持ちの岩崎弥太郎に渋沢は「二人で手を組んでもっともっとお金を儲けようではないか」と誘われたがお断りした。岩崎は生粋の資本主義者で渋沢は合本主義者だったので相いれなかったのだと思われる。渋沢の経済活動の基盤は論語と算盤だったがこの両者は相いれないもので、論語は道徳律を説いており、算盤は経済の象徴で、儲けるにはどうしたらよいかを考えていくもので対極にあるものである。真面目に道徳を守って商売しているが貧乏な人がいたとすると純粋に算盤側の価値観からみると商売下手で負け組になる。一方で道徳はあまり考えず私利私欲で商売をしているが結果的に社会の役に立っている場合、論語側から見ると金の亡者になってしまう。しかしそうした一元化の評価では社会は豊かになれない。「論語と算盤」の立場は片方の立場では価値ないとされてしまうことも片方の立場でカバーするのである。その意味で「論語と算盤」は全く純粋ではなく、二つの価値観を混ぜ合わせて不純にしているからより多く社会の人を抱え込むことが出来る。きれいごとばかり言っていたら商売は出来ない。切磋琢磨して競争もしていくが最終的に社会の役にたてばよいのだ。鉄道や製紙業など直接社会に役立つことだけでなくその会社の従業員の幸せの生活を得るなどの間接的なことでも社会の役に立つことなら論語の精神に合致したものと渋沢は考えていた。本書の解説者守屋淳さんは渋沢は自らの志を実現していく過程で論語と算盤のように対極の要素をうまく両立させて使うという作業をし続けた人だと述べていた。最近ある立場をとると反対の立場の人を切り捨てたり非難したりする人が増えており特にSNSではそれが顕著で一つの価値観だけで世の中を割り切ってしまうと女子プロレスラー自殺事件なども起きて世の中をよくすることは出来ない。「論語と算盤」は対極の要素を両立して使う方法を我々に教えてくれた名著だと思う。一読をお勧めする。
2021.04.20
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芝桜の中に咲くハナニラ以前、人生は願いが叶わないことが多いがその時どのように考えたり、対応したらよいかということをこのブログで書かせて頂いたが渋沢栄一は「論語と算盤」の中で次のように回答している。人は世界平和に貢献したいとか金持ちになって寄付して世の中に尽くしたいとか学校の先生になって弟子を育てたい、大きな会社を作って社会の役に立ちたいなど様々な志をたてるが実際にはそれが実現しないことに対して「成功や失敗という価値観から抜け出して超然と自立し正しい行為の道筋に沿って行動し続けるなら成功や失敗などとはレベルの違う価値ある生涯を送ることが出来る。成功など人としてなすべきことを果たした結果生まれるカスに過ぎない以上気にする必要など全くないのである」殆どのことで成功してきた渋沢と殆ど成功しない一般の我々の違いがあり、成功はカスに過ぎないなどとは我々にはピンとこないが、渋沢は人間は何を成功させたかとかどこに到達したかで評価されるべきでなく、到達すべき目標にどう近づいて行ったのかで評価されるべきであるとの考えだったのだと思う。渋沢の願いは殆ど全て公益に対する願いだが私たちの願いは必ずしも公益だけでなく大学に受かりますようにとかいい会社に入れますようにとか病気が治りますようにとか習い事が上達しますようにといった自分的な願いが多い。しかしそれらの願いが叶う叶わないの結果に対する考え方は同じだと思う。その年に大学に合格できなくても勉強してきたことには変わりなく、成功や失敗で物事を判断してはいけないと言うことだと思う。大切なことは大きな志を持つことでそこに到達すべく努力していく過程に価値があることを肝に銘じて人生に挑戦していこうと思った。
2021.04.19
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シャクナゲ渋沢は数多くの事業に関わり、それ以上に多くの社会事業に生涯力を尽くしてきたがそれは義務感ではなく、それが楽しかったからである。渋沢は孔子の言葉「理解することは愛好することの深さに及ばない、愛好することは楽しむ境地の深さに及ばない」を引いて「これは趣味の極致と言ってよいだろう。自分の努めに対しては楽しむ境地がなければだめだ」と述べている。渋沢は何か事業を起こしたり、福祉事業をしようとする時は決まって実業家や友人達に寄付を募った。寄付を言われて皆さん快く金を出してくれたわけではない。そのことについて渋沢は「また渋沢の寄付取りかとしかめ面をした金持ちもいたことを聞いている。しかし私にとってはそんなことは全く苦痛に感じられない。なぜなら私は社会事業に力を尽くすのを何よりの楽しみにしているからだ。それがなければ寄付金を貰うために駆けずり回ることは出来ない。人に頼まれたからからとか福祉家として世間の評判を得るためくらいの動機ならとてもそんなことは出来ない」と言っていた。要するに渋沢は関わった企業数約500,社会事業約600を全て楽しみながらやってきたというのである。言われてみると私も時には患者さんの苦しみを感じて自分も苦しいこともあるが基本的には患者さんを診療するのが好きだし楽しい。だから今まで診療活動が続けてこられたのだと思う。一方ピアノは10年くらい前から月に2-3回日曜日に先生について習っているが苦しい。楽しいどころではない。特に新しい曲を始める時などは何遍練習しても弾けるようにならず、眠くはなるし、こんな馬鹿みたいなことに時間を費やしていていいのだろうか?ほかの人に出来るのにこんな簡単な事も出来ない自分はよっぽどの不器用で駄目な人間なのだろうか?と思ったりする。渋沢は何か事をする時には楽しむ境地がなければ駄目だと言っているが楽しむ境地がなかったら止めなさい、諦めなさいとは言っていない。本来なら少しも楽しんでいないなら止めた方がいいのかもしれないが私の性格がそれをさせてくれない。駄目なら駄目だからこそ、才能がないなら才能がないからこそそれにしがみつく性質があり、未だに止めていない。渋沢も「楽しくないなら止めなさい」とは言っていない。「楽しくないなら楽しくなるようにしなさい」と言っていると捉えて時々楽しいと思える時もあるのでそれを大きく膨らませてピアノが楽しいと思えるようになりたいと思った。
2021.04.18
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白いハナミズキ今渋沢栄一の「論語と算盤」を読んでいる。これは渋沢の膨大な講演の内容を編集者の梶山彬と言う人が10のテーマに分けて切り貼りして編集したもので「講演のエッセンス」と言う物であった。渋沢は幼い時から論語を含む「四書五経」を学んでいてその教えの根底にある「自分の身を磨き良い統治者になり良い国を作る」を心肝に染めており、その教えを体現する為政者になり活動してみたいという気持ちを持っていた。彼の前半生の講演では「私は最初は尊王攘夷を論じて東西を走り回っていた。しかし後には一橋家の家来となって幕府の臣下に加わりその後は徳川昭武(徳川慶喜の弟)に随行してフランスに渡航した。2年後日本に帰ってみれば幕府は既に滅びて世は王政に変わっていた。社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると自分の力ではどうすることも出来ず逆境の人になってしまった」と語っている。その逆境に対する渋沢の考えは「逆境は自分の本分だと知り、自分の守備範囲を守り、天命と思うことにより平静を保つことが出来る」と述べている。「人が世の中を渡っていくには世の不正には敢然と立ち向かわなければならないが成り行きを広く眺めながら気長にチャンスを待つことも必要である。志の実現のために思いがけないチャンスが回ってくることもあるものだ」論語には志に触れた言葉がある。子曰く「我15歳にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳従う、70にして心の欲する所に従いて矩を超えず」である。孔子は15で学問をしようと立志したが学問だけに注力したのではなく、自ら政治家になり中国を安定した国にしたいと弟子も育てた。渋沢は志を立てたのは実業界に飛び込んだ30歳を過ぎてからだと語っている。「白状すると私の志は青年期においてはしばしば揺れ動いた。最後に実業界で身を立てようと志したのが明治4,5年の事でその時が私の立志だった。自分の性質や才能から考えても政界に身を投ずることは自分の向かない方向に突進するようなものだとこの時ようやく気がついた。」この本の解説者の守屋淳さんは志と天命の違いについて解説している。この二つの違いは自分の可能性に目を向けるのが志で自分の限界に目を向けるのが天命だと述べている。若くて希望に胸を膨らませている時には何でもできるような気がして総理大臣になるというような大きな志を立てるが社会の荒波にもまれて酸いも甘いも経験して自分にできることと出来ないことが見えてきて、出来ることの中から自分はこの道で貢献していこうと決意することが天命を知るなので、渋沢が活動の場を実業界と決めたのは孔子のいう志ではなくて天命の方だったと述べている。渋沢は「強く繁栄した国」を作ることを生涯の志としていてそのためにはあらゆる努力を惜しまず努力して成果を上げており、運にも恵まれた偉大な人物だったのだなと思った。
2021.04.17
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アネモネある書物で人間が幸福か否かは報恩感謝出来ているか否かによると書かれていた。つまり人や天に感謝しその恩に報いていく生き方が出来ているか否かが要であるとのことだった。感謝は一般には人から親切にされたり願い事が満たされた時に感ずる感情だが願い事が満たされることは少ない。コロナの収束を熱心に願ってきた人は多いと思う。戦争や虐殺の無い世の中を毎日朝夕願っている人達もいる。しかし現実にはコロナは今も猛威を振るっており戦争や虐殺についてはミヤンマーでは軍事政府によって市民が何人も殺されており、願いは叶っていない。個人的にも様々な願いをかけて祈っている人達もいるがその願いが叶うことは少ない。そのような現実はあるが兎に角人や神に感謝してその恩に報いていきなさいと言うのであろうか?視野をもっと広げてみた。コロナに対しては驚異的な速さで90%以上の有効率のワクチンが完成して願いがかなったではないかという見方もある。しかし世界の平和と一切衆生の幸福実現に対する願いはあまり叶えてもらっていないように思える。個人的な願いも必死で願ってもその願いは叶わず、それでも感謝していきなさいというのであろうか。報恩感謝とは父母や恩師などに対する感謝は具体的で分かるが神や天に対する報恩感謝は願いを叶えてもらってそれに感謝すると言うのとは少し違うのではなかろうかと思えた。この壮大な宇宙の大地に生を受けたことに対する感謝の気持ちを持つかもたないかではなかろうか。祈りでミヤンマー等の混乱が収まれば祈りの効果ははっきりするが現実はそうはなっていかない。それは世の中のために祈っている自分が変革浄化されて幸せが感じられるということかもしれない。それらを勘案すると報恩感謝の意味はこの世に生を受けたことに感謝し、両親や恩師、社会でお世話になった同僚知人に感謝し、自分を高めてくれた神に感謝し、世のために貢献していくことではなかろうかと思えた。
2021.04.15
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パンジー(すみれ)の鉢植え作家の小池真理子さんが今朝の新聞に「老年期と思春期に違いはない」という一文を載せていた。そう感じたのは小池さんの夫、藤田宣永さんが昨年69歳で亡くなったが、そのことで夫の高校時代からの友人Aさんに電話して話をしてからだという。Aさんはとりたてて趣味もない仕事人間だったが総じて良い人生だったと考えこのまま穏やかに暮らしていくつもりだった。しかし思いがけず高校時代から親しくしてきた友を亡くした。その直後コロナ騒動で社会は不安に駆られている。Aさんにとって藤田の死はあまりに大きくそれから全てが変わってしまったとのことである。小池さんは人は老いるにしたがって色々な事が楽になっていき、のどかな春の日の午後公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は皆、人生を超越し、達観しているのだろうと信じていたとのことだ。しかしAさんの悲しみ様をみるとそれはとんでもない誤解だと思った。老年期と思春期には違いはないのだ。生命の輝きも不安も希望も絶望も、研ぎ澄まされて止まない感覚を持て余しながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは多分殆どの場合見せかけに過ぎず、たいていの人は心の中で思春期だった時と変わらぬどうにもしがたい感受性と日々戦って生きているのではないかと思うようになったとのことである。生理学の立場からは筋肉力や視力、聴力、調整力など全て年齢と共に衰えていく。判断力や感情なども年齢と共に衰えて脳細胞の再生はないと言われていた。しかし近年、脳細胞は再生や新生があるとの報告がなされた。脳を使い続けることによってその周囲の脳領域の細胞は活性化されたり新生したりするというのだ。小池さんの文章では神経細胞の働きの結果である感情は老年期と思春期で違いがないのではないかとコメントしている。一部の神経細胞で再生があったとしても年齢と共に億単位の神経細胞が消滅しており、衰えていくのは自然の理だと思う。今回のケースではAさんは藤田さんの死に対して青年のような反応をしたが大半の老人はボーと受け止めたのではないかと思う。神経細胞は歳と共に年々消滅して減じていくがそれでも思春期と同じ感情が働くことがある。そのような感情は大事にして若さの証明と考えて日々溌溂と生きていくのが良いと考える。
2021.04.03
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日陰で栄養も足りなくてやや貧弱なフクジュソウ今日の新聞のReライフ欄に漫談家の綾小路きみまろさん(70歳)が紹介されていた。今では売れに売れているが最初はテレビ番組のオーディションには落選続き、同じ舞台に立っていた人が次々と売れていく。「寂しさと言うか悔しさというかその人達が出ているテレビを消してみたりした時があった」50歳をまじかに控えた頃、漫談を吹き込んだカセットテープを高速道路のサービスエリアで観光バスに配って回った。次第に評判が広がり噂を聞いたレコード会社から声がかかって02年9月にライブCDとテープを発売してくれて瞬く間に人気に火がついた。綾小路さんは「我々の世界は縁と運と努力と体力」と言っているが確かに縁や運がなければ成功できないかもしれないが、綾小路さんが成功した決定的要素は努力でありアイデアだと思う。高速のサービスエリアでカセットテープを配るというアイデアと努力がなかったら今の綾小路さんはなかったと思う。綾小路さんの記事を読み私なりに成功の秘訣を重要性の順番をつけて挙げるとアイデア、努力、運、縁、体力だと思った。これは芸人の成功要素だが一般の人にも当てはまるのではないかと思う。
2021.03.28
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日本文化厚生連から毎月「文化連情報」を送って頂いている。今日帰宅したら2月号がポストに入っていたので早速開いてみた。そのうちオランダのボランテア活動の記事が印象に残ったので紹介させていただく。東京家政大学の松岡洋子准教授の書かれた記事で、そこでは介護保険業ではボランテアはなくてはならない存在とのことだった。オランダの首都アムステルダム市の大規模介護保険事業者を取り上げて説明していた。そこの利用者は2万人で職員8000人いるがそこに2000人のボランティアが活動しているとのことだった。そこの利用者は高齢者(73%)と障害者(23%)で、ボランティアの活動内容はレストランの給仕や売店の運営、デイケアサービスの指導、手伝いなどで、専門職の仕事を代替えするものではなく、それを補完するもので、サービス利用者や入居者が快適に暮らせるようにするのになくてははならない存在になっている。ボランティアの質は重要なので最初に面談して採用し研修してボランテアを育てている。現場の専門職は「ボランテアは利用者に対して家族や友人のように接してくれて我々が出来ないことをしてくれる。我々にとってなくてはならない存在です」と評価している。ボランティアは基本的には無償で交通費程度が支払われるにすぎない。これを読んで日本ではまだボランティア活動がそれほど活発ではないので、「ボランティアの人達は収入がないのにどうして生活していくのだろうか?」という疑問が湧いた。年齢構成などの記載がなかったので次号で詳しく説明してくれるのかも知れないが定年後で年金で暮らしている人達なのかなと想像した。ヨーロッパ諸国では戦後構築された福祉国家から自立・参加型社会への転換が起こっているとのことである。ということはボランティアも介護の仕事に自ら参加して自分自身もその生活を楽しみながら地域社会を作っているのだなと思った。日本ではまだ金を貰わないでただで働くということは一般化していない。と言うより金を貰わなければ自分達の生活が成り立たない。ヨーロッパ諸国でボランティア活動が盛んなのは彼らの生活が保障されているからだと思った。日本でもボランティア活動が活発になって貰いたいと思うが現体制では無理のように思う。オランダでは何百何拾万人もの人がボランティア活動をしているがその人達の収入源やその人達の年齢構成などを詳しく書いて頂ければありがたかったが記載はなかった。もし詳しい人がいたら教えて頂ければ幸甚である。
2021.02.04
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宮本輝の「灯台からの響き」という小説の中に、読書好きのラーメン屋の主人が難解で退屈な小説、森鴎外の「渋江抽斎」を何度も放り出そうと思いながらもついに読み切ったという話が出てきたので、自分も読んでみようと思って購入したが、難しい漢字はやたらと出てくるし、外国語のカタカナ表記が沢山出てきたりして、ラーメン屋さんが思った以上に難敵だと思った。話は江戸時代末期の弘前藩の侍医であり、考証学者の渋江抽斎と言う人の先祖から師匠、友人、奥さん、子供、食客などについて鴎外自身が戸籍簿を調べ、ゆかりの人や子供さん(息子、7男保さん)から詳しく聞いたことをまとめたものである。友人のそのまた友人の事や居候(食客)がどうして渋江家の居候になったかなど登場人物が膨大でどこに焦点を合わせて読んだらよいか良くわからなかった。しかし江戸時代の文化とかしきたりを知るうえでは参考になった。抽斎は4回結婚して7男7女をもうけたが最初の結婚は19歳で相手の女性は17歳だった。抽斎の父親が貧乏人の子は苦労しているから人間が出来ているだろうということで選んだ嫁だったがしばらくして子供が生まれないまま離縁している。2番目の嫁は早死にし3番目、4番目の奥さんが子供を生んでいる。3番目の奥さんから生まれた次男は放蕩息子で、吉原に入りびたりになったりして抽斎は頭を悩まし座敷牢まで作ったとのことである。抽斎自身も父親の3番目の奥さんから生まれた子ということでその当時は何人もの女性と結婚するのが当たり前になっていたようである。抽斎の4番目の奥さんの父親は祖母がお手伝いとして雇った女性を14歳の時妾にして一緒に住みながら新たにお嫁さんを迎えて同居しており今では考えられないと思った。今の感覚で江戸時代の結婚をみるとあまりにルーズで驚いてしまったが、根底には男尊女卑の考えがあったのだと思う。今の結婚形態が100年後200年後にはどのように変わっているか分からないが、女性も男性も相手を最大限尊重する結婚形態を守ってもらいたいと思う。
2021.01.25
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ツバキ(初嵐):昨日庭先でつぼみになっていたのを切ってきて室内に挿して置いたら今日開花していた。正月に咲く珍しいツバキとのことである。今、宮本輝氏の「灯台からの響き」を読んでいる。2年前に奥さんに死なれてラーメン屋を閉めている康平は灯台巡りの旅をしている。灯台見学中に足を滑らせて右薬指の根元のところにヒビが入ってしまい長距離の運転は出来なくなった。そこに町内の友人カンちゃんこと倉木寛治の息子多岐川新之助が現れ灯台巡りの運転をしてくれることになった。既に結婚していたカンちゃんが福岡に単身で主張中多岐川と言う女性と知り合い妊娠した。しかし多岐川は中絶したと嘘を言って産んだ子供が新之助である。カンちゃんは何も知らずに出張終了後東京に帰り、多岐川とは縁を切ってきた。しかし数日前心臓麻痺でカンちゃんは死んでしまい新之助はそのカンちゃんの家を確かめたくて福岡から出てきて東京板橋のカンちゃんの家の近くで康平に出会ったのである。新之助は18歳、既に結婚していて子供二人いる。福岡の多岐川は女実業家になり新之助に家庭教師3人付けて大事に育ててきたが出生の秘密を知りぐれてしまった。高校を2年の時中退して悪い仲間と付き合うようになっていた。康平が最初に会った時には髪を赤く染めいかにも不良のあんちゃんみたいだったが康平と康平の友人山下登志夫と話し合う中でカンちゃんを恨んだり憎んだりする理由がないことが分かり、母親(多岐川)をひどい女だと憎んできたが康平や山下の話を聴くうちにその憎しみも薄れてきた。3日後「自分が代わりに運転してやるよ」と康平の前に現れた時は別人と思われるようだった。高校中退者や高校に行かなかった者でも大学入学資格検定試験に合格すれば大学入試が受けられ大学に行ける制度があり、新之助はそれを受けることにしたのである。作者は「人間は決意によってガラリと変わる」と新之助の変身を説明しているが、その通りだなと思う反面、その決意が途中で消えてしまったり違う方向に曲がってしまったりして、必ずしも一度決意すれば人間立派になるとは限らないと思った。不良仲間とはきっぱり縁を切り、子供2人を立派に育て、大学にもいく、母親を憎まない、多岐川の事業を引き継いでいくと決意しても様々な誘惑があり、一直線にはいかないと思う。確かに決意は人を決めるがそれを継続しなければ元に戻るか変な方向に行ってしまうので決意だけでなく継続もなければ人は決まらないと思った。
2021.01.03
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庭に咲いていたブルンネラ今「灯台からの響き」を読んでいるがその中に妻に死なれた読書好きの中華そば店店主康平が読み始めた「神の歴史」という本の話が出てくる。カレン・アームストロングという修道女をしていたことのある女性が書いた本で、ユダヤ・キリスト・イスラム教の歴史を公平な目で書いており欧米ではベストセラーになった本とのことである。康平はその本の冒頭に「交尾の後には全ての動物は悲し」と書かれていたことに衝撃を受け、一緒に灯台周りの旅をした息子の賢策にその話をしている下りがある。私もその本を読んでみたいと思うがまだ読んでいないので灯台からの響きの作者の解説で考え論説してみたいと思う。交尾の後には・・・の意味は「緊張したそして熱烈に待望した瞬間が過ぎた後には我々はしばしば端的に我々の把握を超えた何か偉大なものを失ってしまったと感ずるものだ」と息子に説明していたが19歳で橋の建設技師を目指している大学1年の賢策に分かったかどうかは分からない。私も本全体を読んでいないので軽薄なことは言えないが今の時点で感じたことを述べてみたいと思う。カマキリのオスは交尾の後メスカマキリに食べられてしまうので「オスは悲し」なら話は分かるがこれを書いたのは女性である。メスも悲しいのかと疑問に思った。新しい生命の種を授けられ「悲し」ではなく喜びを感ずるのではないかと思った。これは比喩的表現で「渇望していたことが叶った後には何かを失ったみたいでさみしく悲しいものだ」と言いたかったのかもしれない。そこを起点にして各宗教の誕生から変遷を述べたかったのかもしれない。それは兎も角、念願かなった後の一般的な感情は如何なものであろうか? 嬉しいし満足感を味わうのではないかと思う。それまでずっと願ってきたことが成就して寂しさ悲しさも感ずるかもしれないがそれより喜びの方が大きいように思う。有頂天になって自分を忘れてしまう人もいるかもしれないがそれをバネにして新たな挑戦に向かっていく人もいる。「神の歴史」の著者は「待望していた願いが叶うと悲しい」というのは「願いと言うものは叶うものではない、叶わないから努力を続けて行けるのだ」と言いたかったのかもしれない。人々は様々な願いを持っている。そしてその願いを叶えようと様々な宗教に帰依していく。しかしその願いは永久に叶えられなくてそれを願っていく人生過程で自分を成長させていくものが宗教ですよと言いたかったのかもしれない。東洋には願いは必ず叶うという宗教もある。宗教の根の深さは計り知れないと思うが是非この本を読んで宗教の一部を学んでいきたいと思った。
2020.12.23
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今日父の命日で南アルプス市藤田まで墓参りにいきそこで雲ひとつかかっていない富士が見えたので撮影した。老人夫婦二人しか住んでいないのに室内あちこちにクリスマスの飾りがあった。妻は正月とかひな祭り、端午の節句、十五夜、クリスマスなどで必ずかなりの飾りつけをしている。老人二人だけなのにと思うのだが今宮本輝さんの「灯台からの響き」を読んでいる。中華料理店の主人牧野康平は突然奥さんをくも膜下出血で失い、店を続けて行く気力をなくし、店をたたんで灯台周りの旅に出た。灯台は岬の先端や港湾内に設置され外観や光により船舶の航行目標になり昼も夜も船舶が安全運航できるように導いてきた。昔は光を点灯しその色を変えたり方向を変えたりするのが手作業だったので灯台守と言う人がいて不眠不休に近い形で働いており、その様子は映画「喜びも悲しみも幾年月」に描かれている。そのような激務の灯台業務が次第に自動化され10年くらい前には全国3345基の灯台が無人化され灯台守がいなくなっていたとのことである。灯台業務は船人の命を守る大変な仕事だが人里離れたところで暮らさなければならず夜の勤務が大変だったがそれが機械化されて人間は楽になったが一抹の寂しさを感じた。今はコンピューターによる通信機能が発達してGPS(全地球測位システム)での位置確認が可能になってきており、かっては灯台守が命懸けで守ってきた灯台も不要になり消えていくかもしれないと書いてあった。時代の流れには逆らえないものだと思った。仕事は大変だったが船人達の命を守ってきたという誇りを持っていた灯台守がいらなくなったということは、ITの進歩で灯台守以外にも極めて重要な仕事で自分達にしかできないと誇りをもっていた仕事もいつかITにとって代わられるかもしれないという不安が湧いてきた。ITの発達で社会は大きく変わっていくのだろうなと思った。「灯台からの響き」はまだ最初の所しか読んでいないが大変面白くこれから大きくドラマが展開していくのかもしれず楽しみだ。
2020.12.20
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明治から大正にかけての作家夏目漱石の代表作「こころ」は今なお多くの人に読まれている。東京に下宿している学生の私が海水浴場で知り合ったおじさんと友達になりその人を「先生」と呼んで自宅に遊びにいったりして交流を深めていく。その先生が自ら命を絶ちその遺書が私の所に送られてきたがその遺書が物語の中心になっている。その遺書の中に「先生」の生い立ちや辛い思いなどが書かれていた。先生は地方の由緒あるお金持ちの家に生まれた。しかし20才になる前に両親が腸チフスで相次いで亡くなってしまい一人になってしまった。父親の弟である叔父さんに後見人になってもらい、東京で学生生活を送り、学費などは叔父さんに送ってもらっていた。夏休み冬休みなどに郷里に帰ると叔父からはしきりに結婚を勧められ叔父の娘つまり先生にとっては従妹に当たる人と結婚するように言われた。彼女は嫌いではなかったが親しすぎて結婚相手とは思えなかったので断った。すると叔父やその家族から冷たい目で見られるようになった。叔父は事業しており経営が苦しかった。兄である先生の父親の財産目当ての政略結婚を目論んだがそれがだめになり、兄の財産を自分勝手に次から次に自分のものにしていき「先生」の財産は殆どないような状況で肉親同士での裁判に発展することになった。先生は私に「元々人間は悪い人もいい人もいない。しかしあるきっかけで悪人に変化する」と語っていたが遺書の中にもそのことが書かれており、そのきっかけとは金とのことだった。先生と叔父さんはそれまでわだかまりもなく親切な叔父さんだったが結婚を断ってから叔父さんは兄の財産をどうしたら手に入るか考える悪い人になってしまった。先生が私にいつも「元々の悪人なんていないが金が絡んでくると悪人になるものだから気をつけろ」と言っていたのは実体験から来たものなのだなと思った。これは漱石の小説に限らず実社会でも同じだと思う。自分の周りの人は皆さん良い人だが「一度利害に関係した話になると突然豹変することがあるので注意しろ」ということだと思うが、注意してもそれが人間の性だとすれば仕方のないことなのだろうなと思った。
2020.11.27
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今自民党の総裁選たけなわである。自民党総裁即内閣総理大臣になることがほぼ決まっているので誰が総裁になるか国民は注視しているが派閥の支持状況で既に大勢は決まっているような状況である。頼みは岩手県を除く各都道府県での予備選の結果である。予備選は正規の規約である国会議員数と同数ではなく、各県3票とのことで当落に影響する所までは行かないが国民の意識のある程度は推測することが出来る。今昭和風雲録を読んでおり、時代は違うがその時代の若者の心を覗いてみた。昭和7年2月7日に民政党の井上準之助前大蔵大臣が撃たれた事件を皮切りに全13名の血盟団が明らかになった血盟団事件、同年5月15日に起こった犬養首相襲撃事件に始まる5.15事件、昭和11年2月26日に首相官邸襲撃事件に始まる陸軍兵士1000人以上が関わった2.26事件まで一人の人物の影響が大きく関与していた。その名は井上日召、日蓮宗の僧侶である。彼は医者の家に生まれたが物事をトコトン突き詰めなければ納得できない所があり、学校の授業には満足できなくて物理以外はばかばかしくて勉強もしなかったので成績もあまりよくなかった。学校でも世間でも「良いことをして悪いことをしては駄目ですよ」と教えるが良いことと悪いことの区別はどこでつけるのか分からなかった。誰に聞いても納得できるように教えてくれる人がおらず、結局特権階級が自分達の都合のよいようにように決めており、確信の得られるものはなかった。少年時代、青年時代と悩み続きの人生だった。満州事変が起きて満州にも長く滞在したり自宅に帰ったりしたが心のもやもやは消えることがなかった。キリスト教に入信したが救われなかった。満州にいた時日本の偉い牧師が講演に来たので聞きにいって「質問があるか?」と言われたので生きる意味とか信仰の必要性、国家との関係など自分が今まで疑問に思って悩んでいることを質問した。そしたら「あなたはキリスト教徒ですか」と聞かれたので「前はそうだったが今は信じられないので止めた」と言ったら血相を変えて「あなたのような人を卒業信者と言って宗教界で最も人格劣等な者とされています。皆さんどうです。これが真面目な青年の質問でしょうか?」と万座に向かって極度の憎悪を吐露した。「何言っていやがるのだ、質問しろといったから質問したんだ、具合悪ければ最初から質問を限定すればいいではないか!」と捨てセリフを残して外に出た。悩みは解決できなかった。禅宗の坊さんの所に友人の勧めで出たことがある。「満州は貴様のような坊主の来るところではない、俺のような命の捨て所に困った奴の来るところだ。さっさと内地に引き上げろ」と脅してやるつもりで来たがその坊さんの人格に打たれて朝5時から夜11時まで半年間坐り続けた。そしてようやく今まで感じたこともない安心が得られるようになったが仕事の関係でその後坊さんから離れ諜報勤務で天津や北京などを駆け巡って活動したが、再度次第に安心を失い、深夜一人寝台に座って果てない煩悩に悩まされた。そして悩みながら日本に帰国し郷里川場村の三徳庵という三味堂に籠った。法華の題目を唱えに唱え、唱え続けて死のうとまで決心した。すると何十日かした時心身に異常を感じたがどうせ死ぬなら死ぬのだとなおも題目を唱えているうちに遂に一道を自覚することが出来た。朝東天に向かって題目を上げていたら身は法悦に戦き、見るものことごとく大光明の世界であまりの嬉しさに大地を転げまわった。法華唱題に安心を得た彼は上京して立正安国論など日蓮の遺文集を詳読した。世の中は乱れている。正さなければ国が危ない。の確信に立ち活動を始めた。特権階級や財閥、支配者層に個人的恨みはないが国のためには倒さなければならないという考えに至った。一人を殺して世の人の幸福を願う(一殺多生)、破壊即建設、捨て石、いずれも物騒な思想だが、彼の下に集まった東大生や陸軍、海軍の若者は感銘を受けた。彼には私心は全くなく、日本国のために命を捧げるとする彼の情熱は若者の心をとらえ3つの国を揺るがす大事件を引き起こした。彼に接する者の殆どが彼の誠実で思いやりのある人柄に引かれ、その影響を受けて国のために捨て石になる覚悟をした。当時は国のために命を捧げることは第一の美徳だったが今は違う。国よりも自分のことを考えている人の方が多いと思う。自民党総裁に誰がなっても自分には関係ないと思っているが多いのではなかろうか。日本国のためにはこの人になってもらいたいと思っている人もいると思うが多数の前にかき消されているようだ。予備選の結果を注目したい。
2020.09.06
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朝ドラ「はね駒(こんま)」の再放送を衛星放送で朝7時半から観ている。りんの兄嘉助は東京や横浜で何をしているか分からない困った頼りない男だったが、満州事変になり、戦争の様子を活動写真に撮るために結婚したばかりのみどりを内地に残して満州に渡った。みどりには子供も生まれ、嘉助の帰りを待っていた矢先嘉助が流れ弾に当たって死んだという通知が届く。みどりの心中いかばかりかと憂える。今読んでいる「昭和風雲録」の著者満田巌さんも北支派遣3908部隊の千葉隊、河南省への行軍中発病して一か月後戦病死した。知らせを受けた未亡人満田道子さんは動転して深く悲しみ多くの短歌を詠んだ。出征する時連隊を追いかけた時、 駆けて行きし、背なに叫びし、吾が声を聴きしか夫よ今に問いたき遺骨が帰ってきた時 鬼女のごと夫のみ骨のひとひらを喰みて若かりき戦はるけくいくら何でも骨を噛んだり喰べたりするのは尋常ではない。しかし朝日花壇の選者五島美代子さんは「女性は夫思いの一念が昂揚すると鬼にも蛇にもなるのである」と評している。あまりのことに後を追おうとしたときの歌 追わむとして乱るるとおき公報の記憶の中のカンナ咲きいる 満田さんは心から夫巌さんを愛していたのだと思う。夫恋しさの歌は自らが死ぬまで一生歌い続けていた。もし元気でその後も一緒に暮らしたら喧嘩したり憎しみ合うこともあったかもしれないが、一瞬の間に遠い所に行ってしまったので懐かしさ愛おしさがそのまま彼女の中に残り一生続いたものと思われる。愛には肉体的愛とプラトニックな愛があると言われるが満田さんの夫に対する気持ちはプラトニックなものを超えた鬼気迫るものを感ずるものもあった。夫亡き後はそれまで住んでいた愛媛県西条市を離れ、夫の生家の兵庫県揖保郡揖保川町でそれまで一度もしたことがなかった畑仕事に精出して年老いるまで夫の両親を助けたとのことである。子供の成長は勿論楽しみで励みになったが生きても死んでも夫一筋に生きた一人の女性、昔はこのような愛もあったのかなと思った。畑仕事に関する歌2つ 若き日もい征きし夫も還らねど打つ山畑に野びる下萌ゆ 畑仕事早くしまいて背なの児にバス見せに行く冬の影法師
2020.09.02
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昭和風雲録の著者満田巌氏の未亡人満田道子さんの歌集「わかれ霜」に載っていた歌である。忘れ形見の息子が大学を卒業した時詠まれたのだと思う。巌氏は昭和19年に30歳で北支に出征し1か月後戦病死した。息子は当時1歳半で父親は知らない。その息子が立派に成人し、大学まで卒業できた喜びを亡き夫と分かち合いたかったという悲痛な気持が伝わってきた。「わかれ霜」には7年間一緒に暮らした夫への思いが切々と読まれた歌が多く、感動する。あとがきに「非戦への願いをこめてこの歌集を霊前に捧げることが出来ますことを喜びといたします」とあった。戦争は再びあってはならないがその戦争での尊き犠牲者のことは決して忘れてはならないと思う。戦争で敗れたとはいえ国民の勤勉努力で今日の繁栄を築き上げたがその復興の原動力として人種差別主義の欧米列強に一歩も引かないで果敢に戦った戦死者たちの気迫も忘れてはならないと思う。戦争に敗れて連合国から「日本は悪だ」とレッテルを張られ、懺悔の日々を送るように強いられ教育もそのようになされてきた。戦死者は間違った指導者に扇動されて哀れにも命を落とした可哀そうな犠牲者であるように教育されてきた。しかし満田巌氏の「昭和風雲録」を読むと大戦前までの日本の実情がよくわかる。大正10年のワシントン会議は表向きは「世界の平和」「人類の福祉に貢献」としているが米英の優越維持と他国 中でも日本の抑圧を意味するもので支那の排日運動をもたらすものとなった。昭和の前半はアジア人である日本を蔑視し、嫌がらせの数々を繰り返す欧米列強に対する怒りが渦巻いており、5・15事件や2.26事件はそのような時代背景に関連して起こった事件とも考えられる。戦勝国の教育では戦死者は誤った指導者の下での犬死のように扱われているが、本当は日本のために勇敢に戦った誇るべき戦士たちなのだ。心から感謝し敬うべきだと思う。
2020.08.29
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庭のひまわり兵庫県竜野市の友人の父親が郷土の偉人として市民会館で写真や遺品の展示をして頂いた。偉人の名は満田巌さんで「昭和風雲録」の著者である。執筆は昭和15年26才の時で昭和19年6月に応招され同年7月北支で戦病死した(享年30才)その人の著書「昭和風雲録」を読んでみたいと思いアマゾンで調べてみたら原著判はなかったが昭和46年発行の復刻版があったのでそれを注文したら2日で送られてきた。482ページの大著で昭和の初頭から大東亜戦争前夜までの波乱に満ちた当に風雲急を告げる日本の歴史を詳細に描いたものだった。私は手始めに昭和7年5月15日に起こった犬養首相が撃たれた5・15事件と昭和11年2月26日の雪の朝に勃発した2.26事件の所を読んだ。いずれも膨大な公判記録を詳細に調べた内容で読むのは大変だったが凡その流れはつかむことが出来た。5.15事件は海軍、陸軍、農民の主として20歳前半の若手将校、2.26事件は陸軍を中心とする主として30才前半の中堅青年将校で2.26事件の方が平均年齢で10才位年長であった。5.15事件では死刑判決はなかったが2.26事件では第一次処分で17名が死刑執行された。彼らの動機はほぼ同じで当事日本は政党、財閥、特権階級互いに結託し、私利私欲に没頭し、国防を軽視し国民利益を思わず腐敗堕落しており帝国を滅亡に導く恐れありそれを打破するために立ち上がったとして首相、閣僚、財閥、官僚、政党を襲撃したものである。彼らの国を思う気持ちは純真で2・26事件では結婚して2-3歳の子供のいる将校も多く、彼らの生い立ちからその革命員として決起するまでの心情を読むと涙が出る。殆どが学業成績優秀で陸軍士官学校でもトップグループで当時の政権を倒さなければ日本はあぶないと思い詰めた気持ちは理解できる。しかし私達は今平和な世の中に住んでいるからかもしれないがもっと別な方法を考えなかったものかと思った。首相や閣僚は権力を持ち日本の命運を握っているがその人たちが腐敗しているから命を狙うというのはとんでもないことで極刑も当然だと思う。現在の政権も森友学園への国有地売却問題や桜を観る会などで隠蔽体質が明らかで腐敗堕落した政権に映る。それを正さなければいけないと思っている人も多いと思う。時代は変わったが正義感に燃える若者たちの心情は同じだと思う。5・15事件や2.26事件では若者たちが武器を持って立ち上がったが私たちは言論を持って立ち上がるべきだと思う。処刑された彼らの心情は尊い。命をかけて国のために尽くす心は形は変われど今も私たちの心に燃やしていかなければならないものだと思う。
2020.08.28
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家内が庭から収穫してきたトマト。横から見たらウサギのように見えて珍しかったので写真に撮った。「新型コロナ19氏の意見」の中から本日は歯科医の丸橋 賢先生の意見を紹介させて頂く。コロナで死者が何人も出てパニック状態になっているがパニックは無益で損失大きい。淡々と合理的に対処するのが正道である。免疫力を高める対策を行って過剰反応しないのが良いと述べている。マウスの実験で殆ど死亡するインフルエンザウイルス感染マウスに活性酸素を消去するファイトケミカルなどの抗酸化物質を投与した所95%生き残ったデーターがある。人間でも同じことが考えられファイトケミカルを十分に摂取するとコロナウイルスを打ち負かす可能性がある。ファイトケミカルを十分に摂取するには野菜を沢山入れた具沢山の味噌汁を毎日摂取するのがよい。それと野菜サラダも毎日摂取。具沢山の味噌汁を飲んでいたら生野菜はいらないと思うかもしれないが、野菜に含まれる酵素は熱で壊れてしまうので、生命活動に必要な酵素を摂取するためには生野菜が必要なのだ。従ってファイトケミカルを多量に含む具沢山の味噌汁と酵素を含む野菜サラダの両方を食べれば免疫力アップして細胞も若々しく抵抗力が上がると述べている。丸橋先生は長年歯と健康と食生活の関係を研究してきてコロナへの対処も食生活及び噛み合わせの改善が必須と確信しているとのことである。
2020.08.11
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新型コロナに対しては皆さん様々な意見を持っていると思う。この度この本の広告を見てアマゾンで注文したら本日もう送られてきた。まだ全部読んでいないが北大ウイルス学教授の高田礼人さんの文と兵庫県立農業高校の今村耕平教諭のコラムが目についたので紹介させて頂く。高田さんの文は「ウイルスとは何かを知れば向き合い方が見えてくる」でウイルスが安定的に共生関係を築いた宿主を自然宿主といい、その生物と共存関係を築いている。今度の新型コロナはコウモリが自然宿主とみられておりコウモリの中では何の害も与えず共存していたが軍事目的などで繰り返し感染実験を繰り返し人に感染することになったものと思われる。コウモリから人のように生物種をまたいだ感染には様々な生物的壁があり、自然界では殆ど起こらない事で、「宿主の壁」と言われている。それを何等かの人工的操作などで宿主の壁を越えて人に感染することがある。その場合次の二つの場合がある。1.人と共生してなんら害を及ぼさない場合と2.人に重い病気を起こし時に死に至らしめることがある。ウイルスがたまたま宿主の壁を越えて人に感染した場合、人の免疫システムと折り合いがつかなかった時、人に重篤な症状を引き起こすのである。ウイルスには意思がなく宿主である人を傷つけようとする悪意が存在するわけもない。ウイルスを悪者とするのは行き過ぎていると書いている。ウイルスをやっつけることばかり考えていた人たちは皆失敗している。免疫システムの折り合いが悪かったのでそのことに注目して治療法を考えれば成功の可能性は高かったと思われた。農業高校の先生のコラムは「イチジクのウイルス病対策のために最先端のPCR検査を学んだ生徒たち」と言う題でイチジクの病気は一見したところウイルスに感染しているか分からない場合がある。それにはPCR検査をする必要があり、イチジクのウイルスも新型コロナと同様にRNAなのでDNAに転換して増幅する必要があるが、今回のコロナ騒動の前から高校生たちはPCR検査でイチジクの病気を診断していたとのことである。「技術の対象が人であれ家畜や果樹であれ、未来に生きる生徒たちに探求的な学びを通じて希望を与え続けることが教育では大切なことである」と結んでいる。まだ二人の意見しか読んでいないが他の人の意見も面白そうだ。これから皆さんの意見を順次読ませてもらおうと思う。
2020.08.10
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今オバマ元アメリカ大統領が若い頃書いた「私の父の夢」を読んでいる。結構厚い本なので中々読み切れなくて今でも少しずつ読んでいる。ハワイで生まれた自分の生い立ちから書きはじめ大学卒業してシカゴで仕事のない人達に教育や職を与えるセツルメント活動などをしていたが、もっと勉強したくてハーバード大の大学院に入ることになって入学前の休暇中に亡き父親の故郷ケニアのナイロビに旅してケニアの文化や生活を体験しているが、今読んでいる所はケニア人である異母姉アウマとケニアのサハリパークに行って様々な経験をしている所である。他のお客数人と一緒に一台の車で広大な動物園内の動物の生態などを観察している。一晩テントを張ってそこに泊まるがマサイ族の男二人が警護に来てくれた。そのうちの一人ウイルソンが身の上話などをしてくれた。警護以外の時は牛を飼うなどの仕事をしているが、ある時ライオンに襲われて自分の牛が殺されてしまった。法律上は仇打ちは許されていなかったが槍を持った5人でライオンを取り囲んだ。その時ライオンは一人をめがけてとびかかってきた。その男は盾でかろうじて身を護り他の4人で仕留めたとのことである。流石にライオンは追い詰められても王者としてのプライドがあり必ず誰かにとびかかってくるもので命を落とすこともあるとのことだった。アウマが「その死んだ人はどうなるのですか?」と聞いたらウイルソンはいとも簡単に「地に帰るだけさ、それ以外にどこに行くのさ」と答えた。その時運転手のフランシスは聖書を読んでいたのでウィルソンの同僚のマウロが「あんたなら人が死んだらどこに行くと思う」と尋ねた。フランシスは直接その問いには答えず両親が自分が生まれる前にキリスト教に入った。キリスト教(宣教師)にもいい所と悪い所があるというような話をしたが結局死後何処に行くかは答えず「マサイ族は勇敢だな」と言った。マサイ族は死んだら全てが終わりだと考えており、勇敢に戦い、勇敢に死んでいるのだなと思った。死については様々な宗教が教示している。一つの宗教内でも宗派によってその教えは異なることがあるが大まかにはキリスト教やイスラムでは死は神の門の入口に立つことで最後の審判を受けて天国に行くか地獄に行くか決められるみたいだ。だから死んだらどこに行くか聞かれたフランシスは何処と答えられなかったのだと思う。仏教では輪廻転生の教えがあり、死は一つの転換点で死んでいなくなる訳ではなく再度何らかの生命あるものに生まれ変わると説いている。ここでも前世でよいことをした人は良い人間に生まれ変わり悪行の人は虫けらなどに生まれ変わると教えている。いずれにしても宗教が関わってくると死は難しくなるなと思った。マサイ族のように「地に帰るのさ」と思っていた方が分かりやすくてすっきりしていると思われた。
2020.08.05
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今夏目漱石の「こころ」を読んでいる。話は東京の大学に通っている「私」が鎌倉の海水浴場で知り合った「先生」と東京に帰ってからも先生のお宅を訪問して交流を深めている物語で登場人物は先生とその奥さんと私の3人で極めて少ない。私が冬休みになる直前に腎臓病を病んでいる父親が倒れたとの連絡をもらい先生から旅費を借りて帰省する。帰ってみたら父親はそれほど悪くなかったのでしばらくして東京に戻り先生のお宅に旅費を返しに伺う。先生は父親がそれほど悪くなくてよかったと喜んでくれたが「お父さんの病気が病気だから万が一の時を考えて兄弟や親せきの間で相談しておいた方がよい。兄弟は何人いるのですか」という。私はそんなことは一度も考えたことがなく、「大丈夫ですよ、その時はその時でみんないい人ですから争わないでうまくやりますよ。みんな田舎者ですから」と答えた。先生は「田舎者なら善良ということですか?田舎者の方が始末におえないこともあるのですよ」先生は続けて「みんないい人と言いましたが日常生活の中で悪い人がいますか?普段はみんないい人なんですよ。しかし遺産相続など自分の利害に関わってくるとがらっと変わるものです」。私にはその時実感は湧かなかったが、後で先生が新潟の実家で遺産相続のことでもめて新潟を後にして東京でひっそりと暮らしていた理由を知り納得した。私も自治会の公民館を建てる委員をしていた時道路の使用権などで公的なことより自己権の主張をなさる方々をみて普段は良い人でも自分の利害に関わることになると人が変わるものだなと痛感した。遺産相続となると急に亡くなった場合などには紛糾する可能性があり、父親が生きているうちに前もって話し合って決めておく方がよいと先生が言われたことは重要だと思った。
2020.07.23
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西洋芙蓉 日本芙蓉とは葉が少し違います白い巨塔は山崎豊子さん原作の医学界の内情を描いたセミドキュメンタリーの社会派小説である。映画化されテレビドラマ化も何度も行われ、ラジオドラマ化もなされて文字どうり一世風靡して社会に多大な影響を与えた作品である。主人公の財前五郎氏が教授戦で何人かの候補者としのぎを削って遂に外科学教授の椅子を手に入れるがそれには産婦人科を開業している義父から資金援助を受けてかなりの現ナマを使って2票差で勝利した。教授会でお金で買収があったのでこの選挙は無効だという者がいたが医学部長なども買収されていたのでその意見は無視されて財前五郎は教授として華々しい活躍をしていく。食道噴門部がんの権威でドイツなど海外でも実技指導や講演を行い、世界的にも名声を博していく。しかしドイツに行く直前手術した胃がん患者の胸部レントゲンで影がありそれはがんの肺転移によるものだったのにあえて手術して死期を早めたとして家族に訴えられ裁判になった。一審は無罪だったが2審で注意義務が足りなかったとして有罪になり、最高裁に上告して争うことにしたがその時自身が肝臓に転移している進行胃がんに罹っていることが見つけられ、黄疸になり、虚しく死んでいくという物語である。日本でも世界でも最高の外科手術の腕を持つ医師として世界中から称賛されていた人物の末路であった。山崎豊子さんは毎日新聞の記者をしていただけに医学界の内情について実に詳しく調べてあると感心した。財前五郎は架空の人物で色々な人をモデルにして形成されているがそのモデルの一人として千葉大学第2外科教授中山恒明さんも挙げられている。氏は34才で教授になったやり手で、食道噴門部がんの権威で外国でも高く評価され財前五郎氏の外観に似ているがその内面は似ていない。財前が訴えられた患者家族は財前が患者を親切に扱わずゾンザイな態度だったことが訴える直接の動機になっているが中山先生はどの患者さんにも優しく、自分の持っている自然治癒力で直すことを説いており財前とは違うと思う。当事は手術してもらう時に教授にかなりのお金を包むことが一般化されており小説では亡くなった患者さんはそのお金が少なかったように書かれているが中山先生はお金で治療態度を変えるような人ではなかったと思う。しかし当時の教授は最高権力者で博士号を貰いたい若い医者を三下子分のように使い金も集まり威張りまくって王様みたいな存在だったので大金を使ってでも教授になりたかったのだと思う。しかしこの小説のおかげでそれまでは患者さんからお金をもらうことは咎められなかったがその後は患者さんからお金をもらってはならないことがどの病院でも内規で決められた。また教授に三下子分のように使われていた無給医局員も反乱を起こし大きなインターン闘争が展開された。この小説は社会で威張っていた医学界の内面にせまり恥部をさらけ出した小説だが反面教師でその後の医局体制は随分様変わりした。今では権力は教授に全ては集中していない。学問的リーダーではあるが権力者ではなく、友人や兄貴みたいな存在に近い。若手医者が博士号が欲しくて無給で医局で働いていたが今は博士号より専門医の方が重視されるようになり昔の医局体制とはずいぶん違ってきた。時代の流れでありこの小説が世に出たことのみが変革の原因ではないと思うが、そのきっかけを作ったことは確かだと思う。もう財前五郎氏のような医師は現れないと思う。
2020.07.17
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高崎健さんが師匠である外科医中山恒明さんの教えについて書いた本「鬼手仏心」を読んだ。中山恒明さんは食道や胃がん手術で先駆的方法を生み出し外科学会に大きな功績を残した方だが東京女子医大に消化器病センターを設立し、6年間の臨床練士研修医制度を作り立派な技術を身に着けた多くの優秀な医者を輩出して、現在の研修医制度の原型を先駆けした人でもある。医学部6年終了して国家試験が受かっても実際には何もできない。臨床現場で先輩の教えを受けながらみよう見まねで診療技術を磨いて初めて一人前の医者になれるのだ。診療技術とは手術や胃カメラ等が上手であることは勿論だが心構えが大切で常に医局員や練士研修医には医師の心構えについて話をしていた。医師の心構えは古代ギリシャの「ヒポクラテスの誓い」が源になっているが現在世界医師会で採択されている医師会宣言というものがあり、それについて言及することもあった。その主な内容は〇医師たるものは人類への奉仕に自分の全てを捧げることを厳粛に誓う〇自分の受け持ち患者の健康を自分の第一の関心事にしてその人の健康のために全知全能を尽くす。自分の力が及ばない時にはその力がある医師に紹介してお願いする。〇患者は性、年齢、人種、信条、宗教、社会的地位、犯罪歴などいかなる条項によっても差別してはならない。〇診療上知りえた患者の秘密はたとえその患者が死んだ後でも漏らしてはならない。 等で本筋はヒポクラテスの誓いに則っており読みやすい現在文になっていると考えてよいと思う。しかしこれを読んでみて自分を含めどれだけの医者がこれを実践しているだろうかと思った。中には金儲けのために医療をしている人がいるかも知れないし、美人とかお金持ちは優しく丁寧に診療するが不細工な人や貧乏人はぞんざいに診療する医者もいるかも知れない。患者の秘密をこっそり漏らしている医者もいるかも知れない。現実にはヒポクラテスの誓いはあまり守られていないという現状だと思う。その中で中山先生は技術を教えるだけでなく医者の心構えについても常に教えており立派な先生だったのだなと思った。私もこの本を読むまでは「医師の心得」をそれほど認識していなかったが、当たり前のことばかりだが今後心していこうと思った。
2020.07.10
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ダールベルグデージー遺伝学者柳澤桂子さんが書いた「永遠の中に生きる」を読んだ。今から45億年前地球が出現し、宇宙では星の誕生と爆発が繰り返されており、爆発した星のかけらが地球にも降り注ぎ、炭素、水素、窒素、などの原子が結びついて分子を作り、何億年の経過の中で細菌のような単細胞生物が出現し、30億年後位に多細胞生物が出現した。多細胞生物は生殖細胞と体細胞の2種類の細胞を作り、生殖細胞は遺伝子を次から次に次世代に受け渡してきた。その際DNAの鎖の一部が変異することによって鳥や魚、人類などが分化してきた。現在動物や植物は様々な形や色、鳴き声などを持っているがその起源は全く同じで一つの単細胞生物である細菌から進化してきたものである。現在も進化は続いており、人間の進化の行き先について予測を述べていた。2足歩行になり手が使えるようになって様々な機能が進化してきたが精神面での進化はどうであろうか。現状をみると戦争したり動物を殺した瞬間に快感をえる遺伝子が受け継がれていて人間や動物を殺すことにスリルを感ずる残虐性を持っている人がいると述べていたが、そのような遺伝子を持っている人はいるかも知れないが、そんなスリルは全く感ぜず却って嫌悪感を感ずる人もいる。残虐性遺伝子は一部の人にはまだ残っているかも知れないが大半の人には退化して受け継がれてきていないと考える。一方人類は他の人のために尽くすことに喜びを感じ、慈悲の行いに喜びを感ずる遺伝子を持っていると信ずると述べているが、こちらの方も全ての人がその遺伝子を受け継いでいるのではなく、そういう人もいればそうでない人もいるという社会だと思う。何十億年かかって生物も人類も進化してきたが現在も進化の途中である。進化の原則は弱い者、集団にとって不要な者、能力の無い者は淘汰されて強くて早く走れて集団に必要な者が生き残ることだが、人類の場合、残虐性とか攻撃性の遺伝子が残存している人もいるし慈悲の遺伝子を持っている人もいる。進化がどちらの方向に行くかは社会への適応によって決まる。戦争がずっと続く世の中では攻撃性や残虐性の遺伝子が生き残っていった方が有利である。平和で思いやりの社会なら慈悲の遺伝子が受け継がれていった方がよい。よい遺伝子を継承するためには社会をよくしていくことが必要だと思った。
2020.06.08
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105歳でピンコロで亡くなった日野原重明さんのサイン日本文化厚生連(農協)で発行している「文化連情報」6月号が届いた。毎号興味ある記事が載っているが今月は二木 立教授の「コロナ感染爆発のアメリカ大統領選挙と医療政策への影響」と中西淑美准教授の「感染予防に潜む倫理ーCOVID感染流行」の二つの論文を読んだ。最初の「コロナ感染爆発のアメリカ大統領選」では、トランプ大統領は2017年大統領就任後オバマケア(オバマ大統領が目指した健康保険制度)の廃絶を執拗に目指し国民の保険加入義務化は2017年に廃止したが、オバマケアの骨格は廃止されていないので再選されたら2期目にオバマケア完全廃止を目指すと公言していた。しかしコロナ感染爆発後はそのことに触れなくなっており、再選されてもオバマケア廃止はできないと思われる。もし民主党のバイデン候補が当選した場合にはオバマケアの大幅拡充が行われる可能性が高い。今までの流れではトランプ再選、オバマケア廃止が大きな流れだったが、コロナ感染拡大によって流れが変わってきた。社会保障や医療保障の必要性が叫ばれてきた。これで一気に国民皆保険制度に行きつく可能性は低いがそれでもその可能性が少しでも出てきたことはコロナの影響と言える。本年11月の大統領選でどのように反映されるか見ものである。日本の国民皆保険制度は戦後にできたと思っている人が多いが実際は第2次世界大戦中にその基礎がつくられたとのことである。具体的には戦時体制下の健兵健民政策に呼応して1938年(昭和13年)に国民健康保険が創設され1943年(昭和18年)頃には町村部で98%、全体でみても95%の市町村に普通国民健康保険組合が設立されており、それが1961年に成立した国民皆保険制度の基礎になっている。日本には戦時中からその素養があったけれどアメリカにはそのようなものはなかったので今度のコロナ大爆発みたいなことが起こらなければその議論さえ湧かなったかもしれないとのことだった。「感染予防に潜む倫理ーCOVID感染流行」の方はマスクに対する対応から倫理問題を論じていた。マスクは本来自分が感染しないという証拠はなく、人に感染させないための利他行為で他人のためにするものだがその情報がよく伝わっておらず、自分が病気にかからない方法と思って行列を作って我先にと買いあさりマスク不足を来した。同時にデマ情報からトイレットペーパーの買いだめに走り、利己の利益追求と他人の幸福を犠牲にする行動規範が人間の心の底にあることが露呈された。ある地方議会の議員がインターネットでマスクを大量に販売して批判された。「マスク不足で皆さんが困っていたので在庫があったので人助けのために販売した」と言っているが皆が困っている中で営利目的での販売は批判されてしかるべきだったと思われる。一方山梨県の中学生がお年玉を貯めたお金で材料を買って612枚のマスクを作って寄付した行為は先の議員とは正反対の行為で「役に立ちたい」という倫理観が凝縮されていて利他の行為である。「感染拡大を防ぐため」を誇大化、大義明文化してはならない。それは差別や汚名をもたらす脅迫的な倫理観に扇動されやすいからである。コロナ対策については専門家の助言や政府の方針が結果として裏目に出ることもあるがそれを批判するのではなく、国や他人との間で、どのように協働体制を築くか、どのように支援体制を整備するかを国民一人一人が自身の利害と社会的利益のバランスを考えながら行動することが重要で、それが結局個人の権利を守ることにつながると述べている。
2020.06.04
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赤いバラ外出自粛で本を読む機会が多い。今はローゼンバウムさんが書いた「ドクター」を読んでいる。自らが医師で大病院の内科部長をしていた人だが自分が病気になって声帯癌の治療などで入院、手術を経験して看護師、医師などからの扱いを体験して自分がしてきたことなどを反省する内容である。今回紹介するのはしゃがれ声が出てきて友人の医師などに何度か診てもらうが「異状ない、軽い炎症があるためだと思うから抗生物質を飲んだら」と言われていた矢先、歯が痛くなったので歯医者に行ったら、「歯は悪くないがかみ合わせが悪い」と言われて奥歯を削られた。それでも痛みが取れないので再受診したら又削られた。2日後歯のかけらが口から出てきたので再受診したら「違う歯を削ってしまった。欠けた歯については自分には手におえないので専門医を紹介する」と紹介されて別医を受診したが後で送られてきた請求書は3回受診で300ドルだった。恐らく現在のお金にすると20-30万円位で、治してくれたのでなく却って別の歯を削りすぎて歯を駄目にしてしまったのでそのお金を払いたくないと思った。しかし自分のことを思いだした。ある時別医にご婦人の診察でコンサルタント(助言診察)を頼まれて診察した。アメリカではコンサルタントしても助言料金を請求するみたいで、後でそのご夫人から料金を払いたくないという手紙をもらった。なぜかというと「私が目を閉じて寝ていて意識がないような状態だったが貴方は私を診て『私には分かりません、意識喪失の原因は分かりません』と言っていたのが私には聞こえていました。何か助言したのなら払いますが分からないと言っただけなので払いたくありません」とのことだった。しかし規則なので支払ってもらったことがあり、歯医者にも却って痛みつけられただけなのに3回の診療分の料金を支払ったとの事である。アメリカには日本のような国民皆健康保険制度はない。医療費はべら棒に高くて民間保険に入っていない人は盲腸の手術だけで100万円位自己負担しなければならない。今コロナでアメリカは世界一の死亡者数を出している。風邪で一回受診するだけでも5-6万円かかる。貧困層はコロナでもとても受診できなかったと思う。アメリカの死者の大半は貧困層だと思う。オバマ大統領の時国民皆保険制度を作ることにしたがトランプ大統領によってひっくり返されてしまった。トランプ大統領は中国の責任問題を言う前に自国の医療体制、健康保険制度を整備することに頭を巡らせてもらいたいと願う。
2020.05.10
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パンジーの寄せ植え小説「花と龍」は明治末期から大正、昭和にかけて北九州の若松市を舞台に展開される沖仲仕の縄張り争いに絡む暴力沙汰や恋愛がからむ任侠物語である。作者の火野葦平はこの物語の主人公として実名で登場している沖仲仕の親分玉井金五郎の息子で小説中にやはり実名で玉井勝則として登場している実録小説でその元になっているのは克明に記録されていた玉井金五郎の日記である。勝則は早稲田大学を卒業後若松に帰り親の後を継ぐべく沖仲仕として働いていたが芸妓の光丸を好きになり光丸のお腹の中には赤ちゃんがいる関係になっていた。時に勝則25歳、光丸20歳であった。所が勝則には金五郎がずっと前からお世話になってきた大場親分の口利きで藤本組の親分藤本喜八郎の娘絹子との縁談が調って結婚式の日にちを決めるだけになっていた。光丸の方も慶応大学生の辻本要之助の許嫁になっていて仲人も決まり式を挙げるばかりになっていた。勝則は藤本組との結婚を断れば大場親分の顔をつぶすことになり、光丸には結婚が決まっている相手がいるとのことで凄い苦渋の末に諦めることにして東京に逃れて早稲田時代の仲間と交流を深めていたが若松の祭りの時に帰ってきて光丸と出会い学生時代の仲間の協力で座敷牢に入れられていたみたいの光丸を博多に脱出させそこに勝則も合流して隠れて博多で暮らすことになった。大場親分の顔をつぶし藤本親分に不義理をし、光丸の親代わりの辻本夫婦をカンカンに怒らせた。金五郎も絶対許されることではないと息子にびんたを食らわし刀を抜いたりしたが結局許すことになった。そこで金五郎が藤本喜八郎の所に息子の不始末についてお詫びに行った。散々罵られ蹴飛ばされることを覚悟していたが以外にも藤本は「若い者にはかないませんね。実はうちの絹子にも好きな男がいたみたいですからお相子ですよ」と許してくれた。金五郎にはそれが嘘であることは分かっていた。娘さんも勝則との結婚を心待ちにしていたのでさぞかし無念で娘をどれほど不憫に思っていたか知れないが勝則が光丸の方に行ってしまったことは仕方のないこととして金五郎、および勝則を許してくれたのである。そしてその許し方が「残念ですが仕方ないです」ではなく「うちの娘にも男がいたのです」と金五郎に配慮してくれた藤本喜八郎の度量の大きさに驚嘆した。こんな人間がいたのかと感動しわが身がいかに小さいかを思った。素質は生まれつきでどうすることも出来ないことが多いが、そんな人物もいたのかと思い少しでも近づきたいと思った。
2020.05.03
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三重県の友人が30年くらい前に挿し木用の枝を送ってくれたのを家内が育てたチロリアンランプ(アブチロン)である。三重と山梨では気候が違うので冬の寒さで何度か枯れそうになったがその都度家内が護り今年も花を咲かせた。今、火野葦平さんの書かれた「花と龍」を読んでいる。明治末期から昭和の初めにかけて福岡の若松港の沖仲仕として働いた玉井金五郎とその妻マン、金五郎に惚れている芸者お京のくりなす人間模様と仲仕同士の縄張り争いによる喧嘩など波乱万丈の物語である。映画やテレビドラマにもなった有名な作品である。明治の末期上海コレラが猛威を振るい玉井がいた九州一円でも嘔吐下痢の激しい症状でバッタバッタと人が死んでいった。介護や処置には厳重な防御服とか手袋が必要だったと思われるが玉井金五郎と森新之助は市役所の役人に頼まれて死人を棺桶に入れるのを手伝った。一般に患者や死人や吐物などに触れた人はコレラに罹って重篤になったり死亡していたが金五郎は裸一貫褌一つで手伝ったが金五郎、新之助とも発病せずに不思議がられ、勇気ある青年として新聞にも掲載された。金五郎はその後対立ヤクザに殺されかかり、病院の医者が三日の命と思っていたのが奇跡的に助かって信じられない気持ちだったとのことだが、コレラの時と言いこの時と言い凄い生命力があったものだと感心した。港湾労働者(ゴンゾ)には喧嘩が絶えなかったが金五郎は度胸があり、へなちょこ親分はへこませて吉田磯吉大親分と並び称される親分になり、港湾労働者の労働組合結成に奔走し吉田磯吉親分らの反対派を押し切って組合を結成し、ついには若松市の市会議員になり港湾労働者の地位や生活を守ることに貢献した人物の一代記である。読んでいて感じたのは奥さんのマンには弱いが喧嘩相手や不正義に対してはひるむことなく腹を据えて対応して相手をひるませており、度胸の大切さを思った。いつものことながら生まれつきだと思うが度胸のない自分を思い、何とかしなければと思った。
2020.04.23
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今、日本人の7人に一人は便秘で悩んでいると思われ、便秘博士の横浜市立大学肝胆膵消化器病学教授の中島淳先生が「寿命の9割は便で決まる」という本を書かれたのでその要点を書かせていただく。便秘にも軽症と重症があるので軽症と重症に分けて記載する軽症便秘 1.何はともあれまず食生活を見直す。①便の源になる材料である食事を沢山食べる。②植物繊維を沢山摂る。植物繊維には水溶性と不溶性があるが水溶性を沢山摂るように心掛ける。水溶性は昆布、わかめ、果物、サトイモ、大麦、オーツなど 2.朝起きぬけにコップ一杯の牛乳を飲む3.毎日2リットルの水を飲む。4.運動は排便を支える筋肉を鍛え、腸を外から刺激するので有効。日常生活の中で階段の上り下りを取り入れる。5.おならは我慢しないで出したい時に出す。6.便意をもようしたらなにをおいてもトイレへ 7.朝トイレに行けない人は忙しくなくて自分の自由になる時間を決めて計画排便する。8.便は出ても出なくても決められた時間にトイレに座る。9.理想の排便角度は前傾35度10.ストレスで悩まないでリラックスした生活を送る。 重症便秘 野菜を沢山食べているのに便秘が治らないで糞つまりになり却って膨れてしまう場合は植物繊維は逆効果、水溶性植物繊維でも便が出ない場合は水溶性植物繊維摂取と同時に胆汁酸分泌を促進させる卵や肉、バターなど脂肪を豊富に含んだ食品を摂取する。重症便秘では病院受診して便秘薬を処方してもらって排便を図ることも必要になってくる。今までは酸化マグネシウムとかセンナという昔からの薬しかなかったが新しく良い薬も出てきたし、漢方薬でも有効なものがあるので医師に相談するとよい。まとめ 便秘には精神的なものや肉体的なものなど様々な原因があるので個々の症例について細かく検討して対処しなくてはならないが、殆どは食生活が原因のことが多い。水溶性植物繊維を多く食べていれば便秘にはならないが、それでも治らない便秘は重症便秘で医師と相談しながら治していくことになる。
2020.04.06
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又吉直樹さんの小説に「火花」という作品がある。内容は漫才芸人を目指す僕(徳永)と憧れている先輩芸人の神谷さんとの交遊と芸道修行の物語である。僕から見ると神谷さんは自分とは比べ物にならない位才能があり、理想が高く、自分の信念を貫いているが生活力はない。風俗に勤めていた女性と一時同棲するがその女性に男が出来て追い出される。僕も含めて後輩達が次第に売れてきて時々テレビに出るようになるが神谷さんにはお呼びがかからない。才能はあるが聴衆を喜ばす術を知らない。芸術は演じる自分達と観客が一体になって作り上げるものだが神谷さんはどうやら観客を喜ばせようとするのは観客に媚びることで潔く思っていなかったようだ。後輩に抜かれ借金も重ねて落ちぶれて最後にはそれが面白いことだと思って胸にシリコンを入れて女性乳房を作り本人も恥じて後悔し、僕と一緒に熱海の温泉宿に行き、公衆浴場には入れないので特別な個室露天風呂で花火を見て感激する。翌日素人参加型の「熱海お笑い大会」に参加すると言い出し、露店風呂で焼酎片手に漫才のネタを作っている所で終わっている。才能ありながら社会的にみると悲運な漫才芸人の半生だが、ここに至って神谷さんはまだ全身全霊で生きており「僕たちはまだ途中だ、これから続きをやるのだ」と作者は落ちぶれてはいるが愛すべき神谷先輩と一緒に挑戦していくことを誓っている。 ここで取り上げるのは僕と相方の山下との喧嘩の場面である。高円寺の自宅に近い公園に相方を呼び出してネタ合わせの練習をすることになった。相方が練習に身を入れていないので注意したら、「ネタ合わせ大事なん分かるけど俺にも予定はあるし急はやめてや」と言われた。漫才をやるために上京してきて漫才より優先するものはないと思っていた僕は頭にきて、「ほな来る前に言えや!」と怒声を上げて立ち上がった。怒りで興奮していたので感情的には後2-3日寝かせなければならないと思ったが先輩の神谷さんに喧嘩の一部始終を報告して「殴ってやろうかと思っているのです」と言った。神谷さんは「殴ったら解散やで。だから手を出したらあかん」と言われその後しばらく話して電話を切り相方の所に戻った。神谷さんと話したことで気持ちは十分すぎるほど落ち着いており、冷静に話し合いができると思っていたら相方の方から突然「三つ謝るわ」と言いだしてくれてその場で仲直り出来た。興奮して殴ったら相手も殴り返し大げんかになり即座にコンビ解消になったかも知れない。夫婦喧嘩などでもかっとなったらすぐ殴る人がいるがその後の夫婦関係はうまく行かないと思う。離婚に発展するかも知れない。このケースでは途中でトイレに行くふりをして先輩に電話をかけて大事にならないで済んだ。喧嘩の途中で抜け出すのは難しいかもしれないが、「ちょっとトイレ」と言って抜け出して誰かに電話するのがよいと思う。生憎その人が電話に出てくれないとさらにイライラが高じて感情的バランスを失うかも知れないが、別の知人、それも通じなかったら別の知人にとかけてみるのがいいと思う。これは喧嘩の途中での話だが喧嘩が終わってから2-3日は寝かしておくと書いてあったが、何もしなかったら2-3日で収まることは少ないと思う。一般的には数日かも知れないが数週間、数か月と続くこともある。この場合も信頼する誰かに話すことが解消の近道だと思う。いずれの場合も一人で抱えているととんでもない方向に発展するかもしれない。信頼する友人を持つことが怒りを鎮める要点と思われた。
2020.03.09
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古川真人さんが書いた「背高泡立草」を読んだ。長崎県平戸の小さな島に今では誰も使っていない納屋があり、その周囲が草ぼうぼうになっておりそこの草刈をするために遠方からフェリーに乗ってその島に独りで住んで雑貨屋をしている80歳台後半の母親の家に長男、長女とその娘、次女とその娘の5人が集まって色々な話をしたり草刈りをする物語である。「背高泡立草」と言うのは草ぼうぼうの雑草の中でも背が高くて黄色い花をつける目立つ雑草なので小説の題にしたようだ。孫たちは都会の会社に勤めていて連休ということで手伝いに駆り出されたがいやいやながらの参加で「人里離れたところで誰も使っていないのに何故草刈しなければいけないのか」と車中でしきりに母親に文句を言っていた。雑草はあらゆる草が繁茂しておりドクダミ、カタバミ、セリ、ハマスゲ、ススキ、イラクサ等いっぱい野草の名前が挙げられていたが良く調べたものだと思った。私もつくば市に住んでいた娘がアメリカに移住して、空き家になっていた家の周りの雑草刈りに家内と電車に乗って行ったことあるが雑草は大きなゴミ袋11個になって近所の人にゴミの日に出してくれるようにお願いしてきた。その時、実に多彩な雑草があったがドクダミやススキ、背高泡立草くらいは分かったが他はさっぱり認識できなかった。小説ではこのメインストーリーの途中にその土地に多少関係する4つの挿話を入れていたが主題とのつながりが希薄でこの草刈りに集まった人達とのつながりが明白な話を挿入した方がよかったと思われた。
2020.03.05
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文化連情報2月号の香川県厚生連顧問の長尾省吾さんの「未来を託す若者たちへ」の連載2回目を読んだ。「地域の医療機関で働いている医療者は地域文化を維持、発展させる担い手で常にその重要な役割に思いを致し、いざ地域住民に健康上のピンチが発生した場合には信頼に足りる駆け込み寺の機能が要求されると思う。そこに従事する全ての職員は地域医療、ひいては地域文化の担い手なのだ」「しかしここで自分が医療者として責任を果たしてきた心構えについて触れたいと思う」と述べてニューイングランド ジャーナルのフランツ・インゲルフィンガー氏の「医師がかかわった医療の85%は患者の自然回復力で治癒しており、医師がしたのは15%しかない」の言葉を取り上げて、表題の俳句について解説していた。この句の作者は有名な俳人で、30年位前に長尾先生が脳動脈瘤の手術をしてやって退院の時にこの句を頂いたとのことである。これは夏の夜カナブンが外から飛んできて白いシーツの上で逆さまになり足をバタバタさせていたが起こしてやったら窓から飛び立っていった情景を読んだとのことだった。その俳人は「医療者は結局こういうことをされているのですね」と言ったとのことである。患者さんは一時医療者の世話になるがちょっと手助けすると直ぐ何もなかったように羽ばたいて元の世界に帰っていく。医療者は患者さんの自然回復力を信じて専門職としてサポートさせて頂いている。このような謙虚な気持ちを忘れてはいけないと述べていた。長尾さんは脳外科医で香川大学の学長をして学長を辞めた2年前から厚生連の顧問をしている方である。いいことが書いてあったので紹介させて頂いた。
2020.02.05
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庭のシャクナゲ先日友人が「経験と言葉」(大明堂出版)という著書(共同執筆)を送ってくれた。難しそうで中々読めずにいたが連休になったので興味があった「宗教の起源」の項を読んでみた。宗教がどうして生まれたかはいろいろな説があると思うが本書では、ウルス・アップ氏がフランツ・カフカの考え方をもとに宗教の起源について述べていた。カフカは人間の存在そのものが悪でそこから抜け出すよりどころが宗教だと述べていた。今日本では子供が少なくて困っているが、カフカによれば元々人間は罪深い(原罪)ので生まれてこない方がよいと考えており、もし生まれてきたら死が救いだと述べている。真の死を迎えるためにもがき苦しみながら生を費やしていくとのことである。人間が悪だという具体的な理由は本稿では触れられていなかったが、愚考するに人間が生きるためには他の生物を殺して食べなくてはならない。自己の欲望のために悪いことを考えたり争ったり殺したりすることもあり、人間は本然的に悪であるとみなしていたのだと思う。でも殺して食べることについてはそれをしないベジタリアンもいるし、肉や魚を食べるとき謝罪と感謝を念じている人もいて人間存在そのものが悪とは言えないと私は思う。争ったり殺したりすることも人間の本質的なものではなく、時代や環境の影響もありそれをもって人間は悪と決めつけられないと思うがキリスト教の起源は原罪にあったのだろうなと思った。今世界にはさまざまな宗教がある。いずれの宗教も人々の幸せを公言しているが、いずれも超越者への絶対的信頼や普遍的真理への絶対的確信を信仰の基礎にしている。個人の心の中に信仰として留まっている限り、人助け等の行為により、社会的徳として称賛されるが、他の宗教や他の思想活動と対抗する局面に遭遇すると宗教は自派の絶対性を信じるゆえに自己の優越性を主張し排他的となり、闘争的となり、殺人まで犯すこともあり、宗教は恐ろしい、宗教は悪魔だ、宗教が世を滅ぼすと思う人も出てくる。カフカの原罪論に全面的に賛同するわけではないが、人間は罪深い存在だとして謙虚に自己の研鑽に努めながら世界の平安を祈り平和実現のために献身するのが真の宗教で、自派の正当性のみ主張して自己を顧みることなく他を攻撃することのみに奔走している宗教は真の宗教ではないと考える。
2019.05.06
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「ニムロッド」と同時に芥川賞を受賞した「1R1分34秒」(1ラウド1分34秒)を読んだ。才能のない負けてばかりいる21歳のプロボクサーの物語である。対戦相手のこと、アルバイトのこと、ガールフレンドのこと、トレーニングや練習の厳しさが書かれており、途中からトレーナーがウメキチに代わり、二人で次の対戦に向けて準備していくが7kg位減量しなければならず大変な難行をして試合に臨む様子がよく分かった。絶食中で飢餓感の中で試合をあと3日後に控えた夜「今度こそ1ラウンド1分34秒でTKOで勝つ」ことを夢みて終わっている。ニムロッドもそうだったがぐいぐいひきつけられて読み終わって感銘を受けるような作品ではなかった。芥川賞といえば小説家の登竜門で優れた作品に与えられる賞である。作者は血のにじむような気持で必死に書いたものだと思うが読者には伝わってこない。小説家を目指す方々は選考委員の宮本輝さんが言っているように、もっと人間とか人生というものに目を向けて自分はどう生きたいのか他者に対して何ができるのかを追及してもらいたいと思う。「ニムロッド」も「1R1分34秒」も人生の深みが感じられなかった。次作ではもっと人生の深みを見つめた作品を書いて下さることを期待する。
2019.03.20
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サーバー会社に勤める僕と名古屋支所に転勤になったかっての同僚荷室さん(ニムロッド)そして僕のガールフレンド田久保紀子の3人が登場人物である。僕は社長命令で使ってないパソコンを使って仮想通貨のビットコインから利益を掘り出す仕事をしており、荷室は小説家志望で、僕のところに「駄目な飛行機」例をメールで送ってくる。田久保紀子とは東京のホテルでの肉体関係の後で田久保が前に結婚していて子供を授かったとき遺伝子検査で異常があると言われて堕胎したことに関連した話とか、僕の友人荷室(ニムロッド)についてのことを話し合う関係だった。作家志望の荷室の書いた小説は旧約聖書の中のバベルの塔を作りその塔をどんどん高くして最上階に駄目な飛行機を陳列させるというものでそれ程たいした話ではないと思った。最後には人生に疲れた田久保紀子からも友人荷室からもメールが来なくなったことで人生の無常を訴えたかったのだと思う。感銘を受けたところはなく、どうして本作が芥川賞なのかと思って9人の選考委員の選評を読んでみた。選者の吉田修一さんは「仮想通貨課の課長さんの日常から始まった物語が気が付けばバベルの塔の頂上まで持ち上げられシェイクスピア劇の一幕でも見せられているようなカタルシスを味わう」とほめていた。(カタルシスとは悲劇を見て涙を流し心の中のしこりを浄化すること)他の選者も概ね高評価で本作が「1R1分34秒」と共に第160回芥川賞に選ばれた。かなり難解で読みずらかったが文学作品としては優れた作品だったようだ。小説に対する評価も時代によって変わっていくものなのだなと思った。
2019.03.02
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藤井厳喜さんの「太平洋戦争の大嘘」を読み終えたら感想を書くと何日も前のブログに書き、その後数日で読み終えたがパソコンが壊れていて書けなかった。今やっとパソコンが書ける状態になったが読み終わった直後なら感動もあり、さらさらと書けたが、しばらく日が経ってしまったのでまた少し拾い読みしながら感想を書くことになった。日本が真珠湾を奇襲して太平洋戦争を始め、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、東条英機以下何人もが戦争犯罪人として処刑された。本書では日本も悪いが、時のアメリカ大統領で戦争を狂人のように欲していたルーズベルトの方が悪いと述べている。彼は経済制裁で日本をこれでもかこれでもかと締め付け、ぎりぎりまで追いつめて日本が戦争をせざるをえないように仕向けた。アメリカは戦争終結のために原爆を投下したと言っているがその前にすでに勝敗は決まっており、研究開発した原爆の威力を試すための残酷な実験だったと指摘している。そのとおりだと思う。戦後進駐軍の命令で日本人はいかに悪いことをしてきたかと教え込まれてきたが実際はアメリカ人の方が何倍も悪いことをしてきたのだと述べている。我々は進駐軍の命令でこの戦争の歴史を一方的に日本が悪いと教え込まれてきたが、この本では当時の世界情勢をこまかく分析しながらなぜあのような戦争が起こってしまったのかを述べており、一つの史実は内側からだけでなく外からもよく眺めるべきだと思った。ソ連が戦争は既に終わっていたのに日ソ不可侵条約を破って日本に進攻して北方4島を奪ったことにも触れており、日本が4島返還を求めている理由がよく分かった。太平洋戦争の真実を知ることは大切であり、それを知る上で参考になる一書だと思う。力関係で一方的に押し付けられた歴史認識は公平な眼で再度きちんと見直していく必要がある。今、日韓関係はこじれているが日韓併合時代について韓国では一方的な教育がなされているがその当時の世界情勢や当時の韓国人の生活状況などについて冷静に学んでもらいたいと思う。忙しくて中々本が読めないが、本を読めばすこしは利口になるのでこれからも時間を見つけていろいろな本を読んでいこうと思う。
2019.01.23
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昨日は山梨消化管研究会の特別講演会を聞いてきた。横浜市立大学教授の中島淳先生の便秘に関する講演だった。先生のご著書「寿命の9割は便で決まる」という御本を参加者全員に下さった。トイレで強く力み心臓発作やクモ幕下出血で命を落とすこともあり、便秘の解消が命を長らえる重要なポイントだと述べていた。人は朝起きて、よく眠れた(快眠) 食事が美味しい(快食)、便がすっきり出た(快便)時に無意識のうちに幸福感と喜びに満たされるがこのうち一つでも欠けると心は暗くなる。快眠、快食については今までもよく言われてきたが快便はないがしろにされてきた傾向がある。しかしこれも極めて重要で寿命の9割を決めているとのことである。便秘の改善法について様々に書いているがここでは全てを書くことは出来ないので本書をご購入してお読みいただければ幸甚である。SBクリエイティブ株式会社発行で820円である。新薬や漢方薬などを紹介し、バイオフィードバック法など筋肉を緩めるリハビリ法なども紹介している。便秘は生活習慣病なので、優れた新薬や最先端の治療法などの助けを借りながら食生活や運動、睡眠などの生活面での取り組みを続けることが大切であると結んでいる。一読をお勧めする好著である。
2019.01.11
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7つの習慣は世界中で3000万人以上、日本でも200万人以上に読まれている超ベストセラー本である。その本の真意を理解させるセミナーも世界中にあり我が国にもある。経営者や経営者を目指す人は必読だが、その他の人にも必読書だと考える。私もかなり前に読んだが人が社会の中で生きるためのエッセンスが詰まっていると思った。政治家も是非読んでもらいたいと思う。人生は習慣で決まりいい習慣で生活すれば会社や社会も潤い自分自身も幸福になるという内容だ。興味のある方はセミナーに参加するなり本を読んで学習して頂きたいと思う。以下に7つの習慣を列挙して簡単な説明を加える。第一の習慣 常に主体的であれ。依存的でなく自分の考えをしっかり確立していく習慣を持ちなさい。第2の習慣 終わり(自分が死んだ時)の時を思い描きながら生きなさい。惨めな死に方をしたくなかったら人格を磨き、合理的訓練や真心の仕事によって成果を上げなくてはと思う。第3の習慣 優先事項を見極めよ。やらなければならないことはいっぱいあるがあれもこれもでは成果は上がらない。最優先事項にまず専念すべきだ。第4の習慣 Win Winを考える。自分だけ儲かろうとしてはダメだ。相手も儲かるか常に考えよ。第5の習慣 まず相手の話を聞いて相手を理解してから自分も理解してもらうようにしなさい第6の習慣 シナジー効果(相乗効果)を作りだせ。2人以上と話をしていると話が合うところと意見が違うところがある。意見が違うところをきちんと見つめ合って相乗効果を上げなさい。第7の習慣 常に刃を研ぎなさい。人間性も仕事上の技術も常に磨いていくことが大切。特に人格の陶冶は絶対必要でいくら経営戦略をねり、資本をつぎ込んでも人間性の低い人には従業員も社会も付いてきてくれない。厚い本なので要点をまとめるのが難しい面もあるが参考にしていただければ幸甚である。
2018.09.03
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今ステファン丹沢氏が書かれた「最新科学で読み解いた南無妙法蓮華経」を読み終えた。内容は最先端の物理学である量子力学によると物質の最小単位である素粒子は波であり位置も分からなければ姿も見えない。しかし人間が観察すると現れるので人間の意識があって初めてこの世には物質も現象も現れるのでこの世の起源は人間の意識であり、人間の意識が全ての始まりと述べている。潜在意識の最奥にある阿頼耶識、それは個人の前世の記憶を宿す蔵識とも呼ばれ、近代心理学ではユングの唱える集合的無意識に当たり、南妙法蓮華経を唱えるとそれが阿頼耶識に響いて、前世の宿命を断ち切って宿命転換して幸せになれるというのが主要な論旨だが、潜在意識についてかなりのページを割いていたのでそのことについて書かせて頂く。人間の意識には顕在意識と潜在意識(無意識)があることをフロイトが最初に唱えたがそれは今では心理学の常識になっている。フロイトの弟子のユングは意識を氷山に例えるならば海の上に顔を出しているほんの一部分が顕在意識で海中に沈んでいる大きな塊が潜在意識で意識の大部分は潜在意識だが、顕在意識が活発な時には潜在意識は抑圧されており、ふとした瞬間に忘れていた記憶がよみがえると説明した。潜在意識には人類始まって以来の古代からの記憶や前世の記憶などが詰まっていると言われている。私は今テレビでアフリカの黒人たちの争いや飢餓などを見ても顕在意識では冷静に判断しているが、感受性の強い青年時代にアフリカの医者になるのだと決めて猛烈に勉強して医学部に入り医師になった。しかし医師になっても日本で医局に所属して研修医をしなければならず、直ぐにアフリカに行けるものではなく、家族からも猛反対を受けて未だその夢は実現されていない。しかしそのことは常に心にあり、今この年齢にして病院の常勤医で夜間当直もしている。それはアフリカに行ったらこんなものではないという意識が働いており、それを思えばどんなことでもできるのだ。それが潜在意識でそれは前世から受け継がれたものか青年時代に後天的に刷り込まれたものなのか知らない。いずれにしても人間は表面に出ている顕在意識ではなく、心の奥にある潜在意識によって動かされているものだと思う。今夜「西郷どん」を観たが彼をして幕府に対抗して薩長連合を作ろうとしているのは民のためであり、それは前世からか島流しにあってからか分からないが彼の脳の深いところの潜在意識による行動と思えた。西郷のように立派な行動をした場合の潜在意識は凄いが悪事を働いたり、不幸になる潜在意識もある。その場合は南無妙法蓮華経を無心に唱えることによってその潜在意識を変えることが出来るというのが結論だった。
2018.08.05
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恩田陸さんが書かれた「蜜蜂と遠雷」をやっと読み終えた。国際ピアノコンクールでしのぎを削る天才ピアニスト達を描いたものだが、音感ゼロの凡人以下の私のような人間にとっては雲の上のような話だった。最終的に3位になった風間塵は養蜂家の息子で父親と一緒に蜂を飼いながら旅を続けている16歳の少年である。自宅にはピアノもない。どのように練習したのか知らないがコンテストでは観衆が総立ちになるような感動的な演奏をした。本番ではバルトークの3番という超難しい曲をいとも簡単に弾くくだけでなく素晴らしい音感で観客を驚喜させた。小鳥のさえずりや蜜蜂の羽音も本物の音のように演奏できるのだ。この世には音楽だけでなく絵画やスポーツ、自然科学部門などでも凡人を超えて驚異的な能力を有する天才がいるのだと思う。凡人が普通の努力をしたくらいでは追いつくことはできない。ましてや凡人以下の人ではなおさらである。これらの天才に交じって凡人以下の人が一生懸命頑張っているのを見ると滑稽に思える。しかしコンクールで優勝しようとすると滑稽だが、音楽を楽しむ気持ちでピアノを弾くならそれはそれで意義あることだと思う。努力は天才に追いつくためのものではなく、人生を楽しむためのものである。
2018.02.07
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今,[南洲翁(西郷隆盛)遺訓]を読んでいる。その29条に「道を踏むには上手下手もなく、できざる人もなし」がある。「道を行うもの(正しいことを行う人)は上手、下手に関係ない。物事ができない人もいないのである。もし困難に遭ってそれを凌ごうとするならば、いよいよ道を行い道を楽しむべし。自分はあらゆる困難に遭ってきたので、どんなことに出くわしても動揺はしない。それだけは幸せである」と述べている。 西郷隆盛は何度も死のうと思ったり、死の淵に立たされてきたが最後に西南戦争で命を落とした。西南戦争は西郷にとっては死を決意しての戦争で、成功するかしないかでなく、それを実践することが大切だったと思われる。 西郷ほどの人物が明治政府に反旗を翻して西南戦争を起こして死んでしまって残念でならないが西郷にとっては自分の道の実践であり楽しみだったと思われる。 西郷の時代と今の時代ではかなり違い、今なら比べ物にならないくらいの情報があり、もっと多角的に考えてもっと違った対応をしていたと思われるが、自分らが作った明治政府がけしからんことをしていると思うと自分の命も顧みず突進してしまうのが西郷であった。政府に逆らった逆賊ではあるが学ぶところ大の偉大な人物だと思った。
2018.02.02
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オバマ少年の父親は少年が2歳の時少年とその母親をハワイに残して家出して、ケニアに戻って再婚して、5人の男の子と一人の女の子の父親になっていた。ケニアで交通事故に遭いリハビリのためにハワイの少年の祖父母の家に1か月お世話になることになった。実の父親が来たとの連絡があり学校の先生が早引きさせてくれたが会いたくなくて足取りは囚人が引かれていくように重く、アパートのエレベーターに乗っても行き先を中々押せなかった。会っても殆ど話をしなかった。頭の中に自分達を捨てた人間というイメージがあったからかもしれないが、いくら血がつながっていても急に親しみはわかないものだろうと思った。わが国でも最近子供が生まれてすぐ離婚して子供が母親だけに育てられている家庭がふえている。後に子供の前にその父親が現れて「君の実の父親だよ」と言ってもオバマ少年と同じような反応をすると思う。「それがなんですか?!」いくら血がつながっていても自分を育て遊んでくれなかった人は他人と同じである。離婚のいきさつによっては単なる他人以上に嫌で憎たらしい存在だと思う。父親と思うのは遺伝子によってではなく、自分をかわいがってくれたか否かで決まる。血のつながりはなくてもよく面倒見てくれればそれがその人の父親だと思う。
2017.12.20
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予防医学の泰斗小山和作先生が50年の足跡をまとめた「健康からの医学を求めて」が出版された。著書は日赤熊本健康管理センター所長として職員はもとより、地元の農協などとも一丸になって地域住民の為に質の高い健康管理活動を展開してきた。熊本県内の最奥地まで出張健診をする傍ら熊本市のセンターでは最先端の健診と健康教育を行い、その活動理念と内容の深さは全国の模範となり、見学研修者は絶えることがなかった。職員全員の心の中に受診者が主人公であり、医療者はそれを支える援助者であるという信念があり、所長自ら受診者と一緒に食事しながら健康に関するアドバイス等をしていた。一貫して貫かれているのは農民や住民に対する愛であり、人々が少しでも健康になるようにとの願いが根底にあった。その願いと活動が本書「健康からの医学」におさめられており、病気を治すだけでなく健康で生き生きと働くための医学、つまり予防医学の神髄が存分に語られている。一人でも多くの人に読んで頂きたい好著である。"Looking for the Medicine from Health" was published by Dr. Wasaku Koyamawho is first runner of preventive medicine, his footprints of 50 years aresummarized.As the director of the Japan Red Cross Kumamoto health care Center, he hasbeen developed the high-quality health management activities for localresidents with staffs as well as local agricultural cooperatives.While doing a health checkup trip to the hinterland in Kumamoto Prefecture,the center in Kumamoto city conducts first class health examinations andhealth education, its activity philosophy and the depth of its contentsbecame a model of the whole country, tour observers never ceased.There was a belief that the examinees are main people in the minds of allthe staff and the medical stuffs are the helpers who supports them, thedirector himself was doing advice on health while eating lunch with theexaminees.What is consistently passed through in them is love for farmers andresidents, and the desire to make people healthier even a little was motto.His wishes and activities are contained in this book "Medicine from Health",and the essence of medicine for healthy and lively work not only to curediseases, i.e. preventive medicine, is spoken in full pages.This is the best work I want many people as possible to read.
2017.11.18
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