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2004.09.05
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人間を、それも子どもを死に追いやってまで、豪語すべき言葉であろうか。

北オセチア共和国で起きた学校占領事件は、チェチェンのロシアからの分離独立によるテロという見方より、
紛争で夫や子どもを失った「黒衣の寡婦」を含む怨念と憎悪からの報復テロの色が濃い。
長い歴史を経て、ごく普通の人間に憎しみの感情を一瞬にして宿し、テロの土壌を「武力」でもって作り上げ、
強国ロシアは「我々は強い」と吠え立てる。

岩手県ほどの面積に人口100万人のごく少数民族であるチェチェンに、プーチンは10万人もの軍隊を送り、
武力でもって制圧した。数万人もの虐殺である。
独立を叫ぶチェチェンに対して、あくまでロシアは強攻策を取った。

そうして生まれるチェチェンの憎悪の一部は、無差別殺人集団・テロと化す。

テロは、自然発生するものではない。武力がもたらした「人の死」によって、増幅された憎悪の方向が一直線に
それをもたらした者へと向くのだ。政府に向ける近道として、罪もない人々の体を貫通しその命を裂き、
自分たちの憎しみをアピールする。
チェチェンの独立の声を封じるために、武力で制圧した行為は自国では評価されても、相手国から見ればテロ行為になる。
「言葉」という知力があるにもかかわらず、野生動物のように強いものが弱いものを従わせる弱肉強食の世界での
一瞬の静まりは、もはや「平和」の瞬間ではなく「テロ」という憎悪の塊が作られる瞬間にある。

それが、罪もない子どもに達に向けられた。武装集団と政府の武力抑圧の狭間で、200年にわたる歴史の怨念の餌食にされた。
丸腰の、それも子どもを人質にとって襲撃したテロリストは、いかなる理由があろうとも許されるべきものではない。
テロ集団の憎悪の道連れにされる謂われは、どの子どもにもない。
今回の、子を亡くした親達に、やがては憎しみからなる報復の感情が湧き上がるのは当然のことと懸念する。


何故プーチンは、対話による解決という人間だけが備え持つ能力を使わずに、武力行使を強行するのか。
武力の続行は、憎しみの末のせん滅だ。
「テロリストとの交渉は、時として和平確立に寄与する」と、欧州会議の席でテリー・デイビス事務局長は、
イギリスと北アイルランドでの紛争を例にあげている。
ごく僅かの時間の差だろう、ブッシュは「テロに対する力の行使は当然」としている。


武器を持ち、それなりの兵力を持って刺し違えれば、数がものをいうのは当然だ。その「強さ」からは、決して「平和」は訪れない。
武器を持たず、交渉をし、一人たりとも傷つくことなく、人質救出に全力をあげてほしかった。
何をおいても、その瞬間に生きている命こそが何よりも大切であった。
武装集団を銃殺する武器からなる「強さ」ではなく、子どもの命を守る「強さ」がほしかった。
憤る。招いたもの、起こしたもの、防げなかったものに対し、歴史を遡り、子ども達が絶命する瞬間に震撼して、
今までにない怒りを全身に覚える。

「独立」という言葉一つから、この200年間の間にたくさんの命が奪われたのは何故なのか。
武器を手にしている限り、わからない。








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Last updated  2012.04.11 02:00:26


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