いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.06.14
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 その真偽はともかく、人はなかなか自分の感覚(能力)に自信を持てなかったりしますよね。どんな能力者であっても、感じたことを言葉や行為にするなどして自分以外の存在から同意を貰うことで初めて確信に進み、現実のモノになったりするように感じますね。科学者を始め、時には占い師・霊能者・気功師達の自信に満ちた強いアドバイスだったり・・・。

 またアドバイスする側も、例えば科学的理論を立証する実験を始め、占いの道具や霊視で言うところの霊、気功師などの言う宇宙意識やエネルギー、そして自分の中に感じる他意識的なモノのアドバイスだったり・・・。感じた自分や相手の想いの確信を得るために自分以外の存在を無意識に創りだしているようなことも少なくないと感じますね。

 そして少なからずそこには自分から「責任」を外す(楽を得る)役割も感じますかね。また例えば霊視や透視・占いなど科学的根拠の無い方法によってその時の相手の想い(時には特に悩みに直接関らない過去の出来事等であっても)を言い当てたりする能力を見せられると、「何か特別な存在」的強い信頼を得られやすいことも少なくないように感じますね。

 よってその人の発する「言葉」は相手に強く影響を及ぼす力を得ると感じます。アドバイスの通りに行動すれば、その信頼(自信)から言った通りの結果が得られることも少なくないと感じます。時にはそれを「予言・運命」(あらかじめ定まっていたモノ)とか位置付け「楽」を得る役割も感じますが、「言った(想った)通りに事が進んだ」であるように感じますね。

 ただ後ろ向きの想い(不安等)をそのまま伝えることによって負の確信をも創り、事態を悪くしてしまうことも少なくないと感じます。本当に相手のことを考えるなら、時には「秘密」(孤独)や「負い目」(嘘)等のリスクを自分に背負うことが必要に感じます。ただヒトの想いは変わりやすく、常に良い方向へ向かう保障はありませんから相当の覚悟がいると感じます。

 まして健康や命に関るとなかなか一人ではそのリスクを背負う勇気(責任)も持てませんかね。病気の診断は医学以外では法的にも問題ありますし、時にはそこに関る周りの人まで巻き込み、潰してしまうことにもなっているように感じますね。そしてなによりそんなリスクを常に考える私にはそういった世界観に直接関る資質に疑問も感じますかね。

 医学的検査で見捨てられるように悪い結果を貰った後に気功を受け、そこで調子の良さを得た人でさえも後日再び医学的検査で良い結果をもらって初めて本当の安心を得ている人が少なくないようです。どんなに不思議なモノを信じているという人も、結局最後は科学的実験・検査等による物質的・五感的に解り易い立証(主世界観の同意)が欲しかったりするようです。

 かえってその人が苦手と感じている方法によってその事態を乗り切ったり、色々な世界観から同時に認めてもらうことでより確信が強まるとも感じます。そして人は何か決断するときに、時には真偽を問わず自分以外の強引な(自信に満ちた)言葉の後押しを望んでいますかね。そして時にその強引な(自信に満ちた)言葉に強く反発したくもなるようです。(08.12.4著)

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 いよいよ総選挙ですね。

 各党のマニフェストに高齢者の医療費や子供の教育費を無料とか掲げられていますが、「100年に一度の経済危機」の金欠年にそんな約束が出来るなら、もっと前から出来たんじゃ・・・?後出しマニフェストとか正式なマニフェストではないとか、また最近は他党の政策の揚げ足取りや悪口など、相手を貶めて自分を優位にする某外国的演説も増えてきましたね。

 昔は日本人が一番嫌うやり方と感じていましたがね?

 資本主義・自由主義・民主主義・・・政治家達がそれらを「正義」のように主張していました。ところが彼ら自身は「公務員」という、ある意味それらに反するシステムに自ら望んで入り込み、また逆に社会主義・共産主義の国においても、それらとは反する資本主義的なシステムにおいて莫大な利益を得ている輩も少なくないように感じますがね。

 「政治家は国民が選んだのだから国民に責任がある」・・・って、時には政治家自身の口から聞きますね。「国民が政治に関心を持って、よく政治家達を監視していないから・・・」とか言いたいのでしょうが、庶民は自分達の仕事をして税金も納め、そこまでする責任は無いですよね。政治家自身が同じように自分の仕事を極普通に果たせば済むことですよね。

 「悪いのは、ほんの一部の人間だけだ」・・・とも言ってますが、同じ職場にいて、その実体を知っているにも拘らずそれを見逃している「大部分の良い人間」(?)には大きな責任があるように感じますがね。「信頼できる人物がいないから・・・」といって投票を棄権すれば無責任と言われ、無理に投票すれば「国民に責任が・・・」と言われ・・・理不尽です。

 「世論調査に左右される政治家が多すぎる!」・・・政党を問わず、政治家自身の口からそのような言葉を聞きました。いわば国民の声によって、自分の信念がブレるような政治家は信頼も出来ないと言うことなんでしょうかね。政治の素人である国民の意思が、常に正しい方向に向いているとは限らないという言葉も出ていたように記憶しています。

 プロ意識や責任を感じたりもしますかね。ただ彼らは国民の意思を代弁し、国政に反映する「代議士」ですよね。であれば国民の意思の方向性が変われば政治家の信念も変え(調整す)るのが責任(能力)と感じますがね。口を開けば「国益を優先」とか言う政治家達の正しい方向性にも、世界共生的価値観から見れば少なからず疑問も感じますけどね。

 某資本主義の大統領選の盛り上がりを見ると、国民の政治への関心や責任の高さも感じますが、沢山の大人達が揃って「Yes ,we can!」を叫び、また何でも「お祭り事」にして、あらゆるシチュエーションでも「楽しむ」してしまえる国民性(気質)に少なからず怖さも感じますかね。他国において靴を投げられてジョークで返すリーダーにも違和感はありますかね。

 昔はそんなジョークや熱い国に憧れも感じましたが、今は冷めた大人が多い国に安心を感じることも少なくないですかね。とにかく今回は投票してきます。(09.8.25改著)

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 18歳から成人に・・・?

 20歳から引き下げするような議論がなされているようですが、個人的には現代の若者に感じる主な気質からは、むしろ引き上げるべきではないかと感じますかね。たしか「元服」とかいって、昔はもっと早かったですものね?私の成人時もその頃の成人に比べれば幼かったように感じますし・・・平均寿命も伸び、年々成人も晩くなっているようにも感じますかね。

 そもそも「成人」(大人)の定義って何ですかね?主に自分の行為に「責任」をとれるってことでしょうかね?

 「大人」を画一された定義付けできるなら、誰かが言っていましたが、免許・試験制度により成人を決めるって言うのもありですかね。中には「大人になりたくない」といっていつまでも試験を拒みもしましょうが、成人(自己責任を負う)にならないと常に管理され、広い意味での楽しい(破目を外す)行為も許されないようにすることにしましょうかね。(笑)

 「大人」の定義も多様ならば、成人の明解な区切りも不要な気がしますけどね。未成年(子供)の引き起こした犯罪などは罰則も軽減されますが、成人の犯罪も主に精神的には未成年(子供)の気質が起こしているようにも感じ、結果的に未成年(子供)を罰しているように感じますがね。単に「長く生きた」が責任感に繋がるとも感じませんかね。

 私も仕事で若い部下を持ちましてね・・・

 私など会社の利益を考え、時には個人的な仕事の完成度(満足)を抑えてでも時間を優先して進めたりしますが、若い部下にはその感覚が伝わらず、逆に「適当」を教える事になったりしましたかね。変に割り切り(諦め)を身につけた大人達よりも律儀で、少し質は違う(個人的プライド)とも感じますが、時に若者の方に責任感の強さを感じたりもしますかね。

 やはり早めに成人させて「責任」を負わせる訓練を始めた方が良いですかね?「若い」(純粋・素直)であればあるほどその刷り込みもし易いように感じますし・・・自分で言っておいて恐ろしさや腹立たしさも感じますかね。私も自分の中の「子供」を抑え込む能力はある程度身に付けたと感じますが、根本は子供の頃となにも変わっていないと感じていますね。

 個人的には「抑え込む能力」を身につけるのに、小さい頃に他人からの批判・嫉妬などの厳しい抑え込みを沢山経験してきたと感じています。嫌な想いも沢山残し、大切なモノを無くした(損した)感覚もあり、結局の所その是非は分かりませんかね。もっとも相手の「想い」の選択には、想いを受ける側自身の内にも大きな要因を感じていますがね。

 またそれと同時に、格好をつけて何でも自分の責任(大人)に捉えようとする自分に煮え切らなさや驕りを感じることもあり、なにかと動き出さない自分に苛立たしさも感じますかね。そして一般に成功を収めて尊敬される人達にも、この「子供」的気質を強く感じられることが多いのですがね。(09.5.5著)

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 「スピリチュアル・カウンセリングを受けたのだけれど・・・」

 知人はお金を払って色々と相談をしたようですが、結局「やりたいと思ったことをやり、やりたくないと思ったらやらなくて良い」ような諭しが返ってきたようですね。彼女は自分を抑え、我慢するような生き方を選択しているようなので、ある意味そういった言葉で「安心」や「癒し」、また自分の生き方にある意味「優越」なども少なからず感じたことでしょう?

 ただ結局の所、普段から私と話していたような内容がそのまま返ってきてしまっただけで、何か変化を望んでいる彼女はあまり進展を感じなかったようです。ただ例えその時望んでいることを読み取って具体的な言葉の後押しをしても、人によって、例えば常に人より上の立場を望んだり、直ぐに結果を欲しがったりして反発や不信・心変わりが生まれてしまったり・・・

 良かれと思ってしたことが、後に「あなたがあの時ああ言ったから・・・」的恨みとなって返ってくる人も少なくないですかね。ただ私も全て基本は「自己責任」的なカウンセラーが言った言葉に賛成ですが、お礼(お金)を貰うとなると、少しは自分に「リスク」を背負ってでも、もっと具体的な(偏った)方向性を示してあげるべきだとも感じますかね。

 そういった時にカウンセラー自身にも自分から責任を外せる(信頼を置ける)モノが自分の中にあると、想ったことも口に出し易いですよね。そう、例えば「守護霊がそう言ってるんだから・・・」とか「手相にそう出ているんだから・・・」とか、その人の信じる世界観のルールにより無意識に感覚(五感)化・物質化出来ているモノがあればなおさら・・・(10.9.26著)



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Last updated  2012.03.25 18:16:37
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