いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.08.05
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 先日、偶然(?)つけたテレビで、有名なスピリチュアルな人が言ってました。私は、あの番組を見ると苦しくなるので避けていましたが、突然その場面に出くわしました。書籍ならともかく、テレビでその発言を聞いたとき、「不安」と「安心」が混じったような複雑な驚きを感じました。以前から触れよう迷っていましたが、この機に想い切って触れてみます。

 皆さんは「運命」という言葉に心の中でどんな定義をしています?変わってしまってもそれは「運命」として受け入れられる定義をしておられます?私はすっかり「定められて変えられないモノ」こそが一般的な「運命」の定義だと感じていました。「変わる」と「運命」は一緒に遣われてはいけないモノと一般的には定義されていると思い込んでいましたかね?

 ちなみに私は、「事が起こってしまってから後を振り返り、色々な意味で自分にその事に対してする意味付け(言い訳)の1つ」を「運命」と定義していますので問題ないですが。

 以前より「運命」は、「輪廻転生」や「人を(楽に)導く」的な世界観においては、とても大切な概念の一つと感じていました。ただ、少なくとも私などは、「先が決まっているなら生きていることに何の意味がある?」と感じます。追い詰められれば「どうせ生まれ変われるなら、死んでもう一度やり直せばいいか」と考えを展開する人も出てくるでしょう。

 そこで「カルマ」という抑止の概念(正しく遣われていますかね?)が必要になるのでしょうね。ただそれも含めて結局「運命」という概念から、「初めから決められた、役付けられた」というところに引き戻され、生きることを空しく感じたり、「自ら命を絶った」という結果を「運命」から外してしまう矛盾により、その世界観に不信を感じる人も現れるでしょう。

 言葉を解釈する側は、私も含め勝手なもので、後にどんな意味づけを加えても「運命は変わる」と言われた事で、個々の世界観の理屈に照らしあわせ、矛盾が生じると、今まで信頼を置いていた他世界観に不信を生むように展開していく事も感じられます。そこに「不安」を感じますが、同時に私は前記したような事からも「安心」を感じました。

 「運命」には、物事が「想い」通りに進まなかった時に、自分や他人から「責任」を外す(プライドを守る)大切な役割も感じます。そして彼が言ったもう一つの表現・・・「霊視はデモンストレーション」という表現にも同じような、「不安」と「安心」が混じったような驚きを感じました。(07.11.4著)

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 「霊視はデモンストレーション」・・・TVで有名なスピリチュアルな人のこの発言も不信を生みかねない表現ですね。

 ただ私は勇気ある表現だと感じましたし、とても本質的だとも感じました。そこには、「結局自分を変化させられるのは自分だけである」という意味が含まれているようですね。本当(直接)の意味で自分の力で変化させられるのは、自分だけとも感じます。私はとても共感していますが、同時に、どんな外からの影響にも、人の根本は変えられないことも感じています。 

 私も「気」で施術のときは、相手に手を当てるようにしています。そうすると、確かに色々な反応(感覚)が自分の中に生まれてくるんですね。ただそれは、相手から伝わってくる「想い」を無意識に、わざわざ1度そういった信頼を置く世界観の反応(感覚/ルール)に置き換えて意識上の自分に「伝わる」確信を与える作業のように感じてしまいます。

 「能力」とは、本質は単に自己表現する力、「デモンストレーション」と感じます。その「デモンストレーション」を見て、個々が色々な「想い」を無意識に感じ、それぞれで(その時の精神状態の勝手な「想い」の選択で)自分自身を変化させていると感じます。時にはその関係が、お互い相手とエネルギーの伝達(出入)的感覚を生んでいるように感じます。

 デモンストレーションによって起こした現象が、その能力の確信を強め、またそこから新たな可能性の発想が生まれ、更にその能力を強めていく無限のサイクルを感じます。スポーツなどにおいて限界と思われた記録もゆっくりとではありますが、いまだに更新され続けていますね。気功の「手を当てる」ことも「デモンストレーション」の形の1つと感じられます。

 そうでなければ、同じ「気」の世界観に存在する「遠隔治療」を否定することにもなってしまいますね。「手を当てる」ことで、視覚や触覚という能力の助けを借りて、何かが「伝わっていく」ことを、お互いにより易く感じさせられていると感じています。むしろ私には施術の合間にする「会話」に強い治癒の力(要因)を感じてしまいます。

 私も含め様々な(勝手な)世界観を持つ多くの人達の「信頼」や「想い」を背負うと、時には、自分の世界観を緩めないと吸収しきれないこともあると感じます。全ての世界観に矛盾は必ず付いてまわります。その矛盾をどう位置付けるかが、その世界観を強くする鍵のようにも感じています。有名なスピリチュアルな人のこの2つの発言から私が受けた「安心」は・・・

・・・そのスピリチュアルな人から伝わってきたモノ・・・嘘です。(笑)(07.11.6著)

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 「自由って素晴らしい!」

 学校の規則や親の管理から外れた瞬間は、時間やお金の遣い方が自分の自由になってとても「楽」で嬉しかった記憶がありますね。就職しても会社の規則や待遇・人間関係、その束縛的感覚が嫌になって会社を辞め、その瞬間は開放感や次への期待を得ていましたが、そのうち自分自身での決断やその行動の責任の重さ、そして将来への不安を感じるようになりますね。

 色々な意味で支配されていた時は、厄介な決断などで迷ったときは支配者に委ねてしまえばよかったですからね。そしてよく就職することで「自立」したような感覚になっていましたが、結局他人が立ち上げた会社に負んぶに抱っこしていただけでしたかね。自由な立場になってはじめて支配されていた時の安心感や「楽」を感じたりするんですよね。

 想ったようにならない人生にも「運命」という、なにか大きな存在・力によって「定められた人生(支配)」的に捉えてしまえば、色々な意味で自・他にプライド(体裁)を守りながら「諦め」の名分を築けたりして、一時的に力を抜きやすくなって「楽」を得られたりしますかね。個人的には「運命」には生きる上で強い違和感はありますがね。

 ただ普段から色々と自由に選択(決断)してはいますが、結局どんな選択にも他人の想いが関ってきて常に何かしら制約が付いてまわり、そういった意味では常になにかしらの支配を受けている感覚はありますかね。そして支配下にある時にも「自由」は感じられたりするんですよね。「自由」もその人によって曖昧な感覚ですかね。

 「自由」に不安が付いてまわったり、「支配」に安心が付いてまわったり・・・そして両方で「楽」を得られたりして、少なくとも私は生きていく上で交互にそれらを求めていくように感じますね。大切なサイクルですかね。(08.12.1著)

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 「全てに意味がある」

 また「全ての人が役割を持って生まれてきている」と言われますかね?であれば事故や事件・戦争など、自分の意に反して死んでしまった人の意味や役割とは何?他の人にその死を通して色々と感じさせることですか?という事は意に反した死ではなかったということですかね?「運命」・・・そう意味付ければ確かに少しは悲しみも治まり、楽にもなりますかね?

 個人的には「運命」とは、事が起きてしまった後に、後ろを振り返って自分にする「言い訳」的なモノのように感じますけどね。また全ての事(現象)に原因(意味)があるようなことも言われますが、個人的には、初めは先に事(現象)があって、原因(意味)を後付しているように感じますけどね。ただどうして起こるのか解らないと不安ですよね。

 そこで研究者が信念(想い)によって原因を創り出し、周りがそれに便乗(信頼)して同じ現象を再現している・・・あえて先に原因(意味)的なモノを当てるならヒトの「想い(欲求)」的なモノであって、それが周りの様々な「想い」の影響によって様々な現象を起こすように感じますかね。基本的に世の中は全ての「想い」は叶うように出来ていると感じます。

 ただ複数の違った方向の「想い」が同時に存在するため、「想い」の実現にはその強さや、時に強さを増幅するために周りを巻き込む(共感を得やすい)体裁のよさなども大切な要因と感じますかね。そのヒトの想い通りに進んでそれを「運命(予言的)」と呼んだり、また思い通りにならなくても自分のプライドを守るように「運命」であったと呼んだり・・・

 人生にやりたい事や欲しいモノ等の欲求が豊富なヒトにとってはそれが比較的体裁の悪いモノであっても「意味付け」によって体裁よくその欲求を満たすことができたり、また人生にやりたい事や欲しいモノを持てないでいるヒトにとっては建前でも先に「意味付け」をしないと動き出せなかったりして、生きていく上ではとても便利で大切なモノではありますよね。

 個人的には「人生には意味も役割も無く、単に各々の存在を感じる場である」と感じていますが、意味を付けた方が人生に深みも出ますし、その「意味付け」にこそ生きる意味も感じますかね?ちょっとややこしくもなりましたが・・・まあ私にもその真理(意味)は解りませんので、「人生には・・・」には希望が含まれてもいますがね。(10.7.18著)

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 「私は男運が悪いのよね~」

 女性芸能人達が自分の過去の恋愛話をしていました。過去に付き合った男性を「クズ」と称し、周りからも同情されたりしていましたね。ただその話し振りが自慢げに聞えたり、その芸能人達を目にするのも決まってそういった内容の番組が多く、そういったスキャンダルのお陰で芸能界とも繋がれていられるようにも見えてしまい、切なくも見えてしまいましたかね。

 そういった男性に捕まって(?)しまう女性にはどこか姉御肌(主導権を握っていたい)的な気質を感じることも少なくなく、また自分を引き立たせるためや自分のダメさを誤魔化すために無意識に自分よりダメな異性を選んで安心を得ているような感覚も少なからず伝わってきたりしますかね。事実何度も同じような異性を選んでしまったりもしているようですから。

 そしてそこによく自分の親に似た異性を選んだりする例も少なくないようですかね?ファザコン・マザコンなど、ストレートな憧れからくることも多いと感じますが、時に両親の嫌な所へのあてつけ的な裏腹・仕返し的なモノも感じたりすることも少なくないですかね。時に経済的なバックボーンにもよると感じますが、無意識な「不幸」の選択も無きにしも・・・?

 そういえば手相や風水などによって「金運」を上げ、宝くじを当てるような番組を見ましたが、宝くじの当たり券には数の限りがある訳ですし、皆がその「金運上げ」をやってしまったら誰が選ばれるのでしょうかね?結局は「偶然」ですか?なのに占い師や風水師のあの自信は何処から?ただ私も「運」の多くは引き(想い)込むモノと感じていますがね。(10.10.24著)



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Last updated  2012.03.25 18:14:03
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