いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.06.14
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 私も同感ですが、後に同じコメンテーターが「私には罪を犯す人の気が知れません」とも強く言っていました。立場もありましょうが、矛盾を感じました。過去に何があろうと大きな「ワガママ」を通してしまった後の人に私も同情もできませんが、同情とは別に「ワガママ」を通す前の立場を想像してみるのは犯罪を根本から減らすために必要な事かもしれませんね。

 また、「死刑制度」の是非についても議論が成されていますね。私の正直なところは・・・

 ★私が「被害者の立場」(感情的?)で感じようとした時・・・「死刑制度賛成」

 自分の大切なモノを奪われた想いから躊躇なく「死刑」を欲求するでしょう。ただ裁判が長引いて徐々に冷静になり、周りの違和感を感じられるようになると「初めから謝罪していれば死刑は回避できたかもしれない」といったような「それ以外の立場」(体裁)の考えに少しずつすり合わせをしていく事でしょう。あくまでも「死刑」が確定した事が前提ですが。

 ★私が「それ以外の立場」(理屈的?)で感じようとした時・・・「死刑制度違和感在り」

 「犯罪」というモノが一時的にそこから切り離され、「命の違い」・「殺したい欲求の違い」ということに重きが置かれます。ただ、これは生まれながらのモノではなく、教育(体裁)により創られた価値観のようにも感じていますかね。そしてそこには「死刑を望む」人達の強い姿(気)に対する違和感にも後押しをされているところが少なからずありますかね。

 ただ、「被害者の立場」にいても、「死刑にしたい」という欲求を意地張って抑えられたとして、加害者の生い立ちに同情的言葉を掛ける事が出来たら、加害者はどんな反応をするだろうとも考えてしまいますね。もっともこの想像も「それ以外の立場」が成せる技なのかも知れませんがね。

 結局の所私は、その時の立場による感情・感覚により「理屈」(体裁)を整えながら、出来る限りのその時の欲求を満たそうとするでしょう。そしてこのように書ける自分に怖いものも感じ、そしてまた誰かの感情を逆撫でしていることでしょう。

 全ての立場(世界観)を受け入れられる事もすばらしい事だと感じますが、良くも悪くもその時々で、何かしらの立場(世界観)に偏らないと世の中動いていかないようにも感じています。「死刑になりたかったので殺すのは誰でも良かった」も「死にたいなら一人で死ね」も立場は違えども深く絡み合った寂しい言葉ですかね。(08.6.7著)

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 「万引きGメン」と言うのをTVで見ましてね・・・

 お店に雇われて万引きした人を捕まえるお仕事ですね。捕まえてお店の責任者に突き出すところまでは良かったのですが、犯人に向かって説教をし始めたときにちょっと違和感をもってしまいましてね・・・確かに悪い事をした人に対してだから当然だとも思うのですが・・・お店の人が説教するのは解るのですよ。直接的に迷惑を受けているのですからね。

 何故ですかね・・・こんな不況のなか仕事にも就けていない人(時に万引き犯もここに含まれますか?)がいるのに、万引き犯を捕まえることによって給料を貰い、生活が成り立っているのに犯人に対して説教までしていることがどこか気持悪く・・・「万引きGメン」という職業が成り立つのは、万引きをする人が居るからというジレンマや矛盾からですかね。

 「本物の銃が撃ってみたかったので自衛官になりました!」とか「戦車・戦闘機がカッコいいから自衛官に・・・」とかいう言葉を聞き・・・とても純粋で正直な動機であるとも感じますが、ちょっと違和感もありますかね?例えば「国民の安全のために・・・」だとか「正義のために・・・」とかいった言葉が建前でも欲しかったようにも個人的には感じますがね。

 また国防に関る政治家や専門家達が軍事に対して語るとき、また例えば学者達が地震などの天変地異などが起こる可能性を語るとき、生き生きした目をしていたりしてちょっと怖かったり、そしてまた世の中が平和になったら軍隊や自衛隊、武器の製造に拘る職場で働く彼らを他に受け入れる仕事量がありますかね?自然災害等の対応のために組織を存続したとして・・・

 決して災害が起こることを望んでは居なくても、救助をするその姿に直接の憧れを感じてその職業を選び・・・結局災害といった他人の不幸に繋がることが起こって初めて成り立つ仕事が、時にその人の人生の遣り甲斐になり、命に関るのでなによりも尊い職業と言われたり・・・「平和」=「幸せ」?「必要悪」とか言われたり・・・そんな事って世の中多いですよね。

 例え金銭的公平な世界が訪れたとして、人が皆公平な立場で長く納まっていられるのですかね?自分よりも不幸な人を見たりして他人よりも少しでも上な感覚を得られて初めて自分に安心感や癒し(満足)も得られたり・・・人が目指す「立派」も他の人より「上」って事で・・・「下」があって初めて「上」が成り立つ・・・とても気持ち悪い摂理ですね。

 せめて平和的に皆スポーツ選手になりますかね?また時に万引きするのはモノが欲しいからやるのではなく、寂しくて人との関わりが欲しいからやると言う心理分析もされたりしますかね。無意識に見つかる事を望んでいるとか?それも含め、私には違和感・疑問もありますが、これ以上は色々と体裁も悪いので今回は突っ込むのは辞めておきます。(09.12.17著)

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 「日本人が中国で死刑に・・・」

 私はちょっと違和感がありましたかね。日本の量刑の感覚からすれば犯した罪に対して罰が重過ぎるとか・・・お恥ずかしいことに、私に限っては外国人によって日本人が処刑されたということ自体に違和感がありましてね・・・犯罪者ということを棚に上げてしまい、「同じ日本人」ということに仲間意識(情)が芽生え、優先してしまったのでしょうかね?

 一方、沖縄で米軍兵士による日本人に対しての犯罪がありましたよね。なかなか日本の法律で裁くことも難しいようですね。これに関しても違和感がありましたが・・・基本的に前記の件と立場が変わったということで、自分の正直な感情に矛盾が成立してしまうんですよね。もっとも「同じ日本人」という観点では一貫しているのでしょうけれどもね?

 私の基本は情よりも理屈(ルール等)を優先し、表向きは理屈(正義観等)で情を抑えることは難しくないのですがね。情に厚いことが「正義」的イメージがあるようにも感じますが、時にどんな情にも流されないことが「正義感の強さ」であるようにも感じますがね。他国のルールを把握し、意図してそれを破るのであればそれなりの覚悟は必要と感じますが・・・

それでもやっぱり違和感は残りますかね。(10.4.6著)

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 「○○反対!」

 最近では「原発」などが大きく取り上げられているようですね。推進派からの「原発を止めて足りなくなった電力を何で補う?」に対して、反対派からは「太陽や風などの自然エネルギーに移行すれば・・・」と言ったような議論も聞かれますが、そもそも根本は原発・自然エネルギーに拘らず、電力自体の遣い過ぎなところにあるように個人的には感じますけどね?

 電力等のエネルギーの遣い過ぎによって温暖化が進み、地球環境が変化して自然災害が頻発して・・・生む事が安全なエネルギーに移行した時、ヒトはその使用に歯止めが利きくのか怖さも感じます。そしてまた根本にもっとヒトの「想い」(気)的なモノを感じますがね。ヒトの「対立」には、良くも悪くもエネルギー(気・想い)を容易に増大させる資質を感じます。

 大概はどちらかに「正義」的なモノの存在が有り、二者には大きな違いも感じますが、それを除いて純粋に感じた時には両者には似た強い「気」を感じますし、ぶつかり合っているうちにそれがさらに強まって、またそれらがメディアに載って周りにも「関心」が広がるとさらにエネルギー(気・想い)を増幅させて様々な現象(物質)が生まれるように感じますかね。

 自然などのヒト以外の存在にはヒトの想いを反映する「気」を感じます。大概はその時点で自信(正義・体裁等)の強い側の都合の良い現象が現れるように感じますかね。最近特に世の中では政治などを見ても「先に進まない感」や、「不公平感」・「リセットしたい感」などの想い(気)の強まりも感じられ、負な自然現象等も頻繁になっているようにも感じますかね。

 最近携帯電話に「脳ガン」との因果関係が国際的に報告があったようです。特に新しいテクノロジーが背負うと感じるモノに、その時点では体裁の良いモノに移行できたと感じても、そこでまた特定の人間だけが得しているようなことが明るみに出れば、そこで嫉妬などの強い「想い」(気)が発生し、対立・反発(気の増幅)の発生が繰り返されるとも感じますがね。

 放射能などの毒も、核開発時の根本に「人殺し目的の道具(原爆)」的なヒトの「想い」の関与がなかったら変わっていたようにも感じますがね?飛躍的ですし、何より今となっては後の祭りですがね?自然エネルギーへの移行と共に、これからのヒトの英知が放射能を無毒化したり、放射能に順応させるのを期待するのはやっぱり無意味なことでしょうかね?

 また原発反対派に反発する人の中には、推進派ではなくて反対派に正義を感じていても、単に反対派の主張の強さへの嫌悪が反発の引き金になっていることも少なからず感じます。私は、原発は危険であり、ヒトはそれを完全にコントロール出来ないという自覚もありながら、それを有する会社が作り出す電気を遣って快適な生活を送って来てしまいましたので・・・

・・・おおっぴらに反対することに負い目も感じますかね。そして皆が公平に「不便」に戻るならその覚悟もありますが、特定のヒトだけが得をするのであればやはり考えてしまいますね。そして対立・反発自体が生きていくうえでの欠かせない営みとなっており、時に何よりも人生に張りを与えてくれるモノになっているように感じますのでジレンマもありますかね。

 そして前記した「正義」もその時々のヒトの価値観の変化によって一瞬にひっくり返されてしまう恐ろしさも感じますかね。例えば比較的先進国では「命」こそ最も尊ぶべきモノといった価値観も根付いているようにも感じますが、他の発展途上国のなかにはとてもそれを感じられない文化や習慣が残っている国も少なくないように感じますかね。

 日本の戦国時代などを見て、先進国のたどって来た道が発展途上国にあるとするならば、発展途上国のそれにこそヒトの本質的なモノがあると考えることが自然であると感じますし、自然災害などによって先進国的価値観がそこへ何時引き戻されてしまわないともわかりませんかね?現に戦国武将などが多くの人に尊敬されていたりもして、少し怖さも感じますかね。

 豊かさ・利便さを知ることがヒトの価値観に大きく影響を与えると感じますかね。対立が激しくなった時こそ、どちらか(特にその時点で優位な立場にいる側)が、一時的にも相手の立場に同情や労いの気持ちを示してあげるだけで、色々と事が良い方向に進むことも少なくないと感じますがね。もっともそれを利用しようとするズルい輩も居ますがね。(11.6.7著)




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Last updated  2013.02.27 16:44:16
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