いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.08.23
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 ただ、スポーツ自体は嫌いではなく(むしろ最も好きな分野です)、中学校に進み、野球部に入る選択もありましたが、皆が同じユニフォームを着て、同じ頭をして、同じ掛け声をかけてランニングしているのを見て諦めました。

 少し話は反れますが、私はランドセルが嫌いでした。皆が同じモノを身につけて歩いている姿にとても抵抗を感じていました。そんなことを感じながらランドセルを背負っていると頭痛がするのです。そうやって皆と違う手提げカバンで通学する名分が出来ました。ただ、今も肩に負荷が掛かると決まって頭痛がします。ワガママの代償が今も残っています。

 団体競技になると、味方と敵の「想い」が入り混じって気持ち悪いんです。特に味方の・・・相手の「想い」(責任)を背負ったり、自分の「想い」(責任)を背負わせたり・・・純粋に勝負を楽しめないのです。個人競技の部活も試してみました。個人プレイでは、それなりに想った通りの結果が出るのです。敵の「想い」と自分に集中すれば良いことですから。

 ただ、今一つ満足に欠けます。「想った通りの結果が出た」だけなんです。また、良い結果にある程度喜んでいるのは結局ほぼ自分だけなんですね。まして負けて落ち込んでいる相手の目の前では、嬉しい感情も表には出来ません。家に帰って良い結果を報告しても、我が家ではそれで当たり前。貰ってきた賞状も引き出しの中にしまわれるだけです。

 そして部長を任されたりして「他人の想い(責任)」という負担ができ、結局辞めるハメになります。そんな感じで、本格的なスポーツからは遠ざかっていきました。大人になってから父が、「そう言えば進学の時、小学校の時の監督が、もし野球を続ける気があるなら面倒見たいって言っていたなぁ。」って・・・。それを聞いて、今でも後悔が残っています。

 そんな感じで社会人になり、業社対抗のソフトボール大会がありました。当時私は新人で、否応なしに参加することになりました。試合中は案の定、周りにイライラし、そして結局試合には負けてしまいました。ただ、負けたにも拘らず気持が良かったんです。想う通りにならなかったのに・・・それが今まで以上に必死になったこともあるでしょうかね?

 そして負けて悔しいのですが、その感情を皆で想いっきり表に出して分かち合えるんですね。そこに気持よさと充実感を覚えました。今はスポーツに限らず、自分一人で成す100%の成果よりも、皆で成す50%の成果の方が満足度が大きいこともあると感じています。そして自分の想う通りにならない(先が見えない)ことにやりがい(充実感)を感じます。

 それ以来団体競技の方が好きになりましたね。今でもつい他人の失敗にはイラってきちゃいますけどね。自分の失敗は棚に上げて。そして今は、まず周りが楽しんでいないと感じると自分が楽しめず、世話係りにまわってしまったり、そんなことで悩んでいます。(笑)「個人」も「団体」も共に大切さを感じます。今回は少し自慢も出来てよかったな~。(笑)(07.12.7著)

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 WBCには私も興奮させて頂きましたね。

 今回も日本(アジア)人の「国のため」(ヒトのため)的団結力が、欧米の個人技に勝ったようですね。その中において調子を落とした日本の一流プレイヤーもいましたね。特に「チームリーダー」(チームプレイ)的な気質に相性の悪さも感じられませんでしたが、やはり高い個人技(成績)、スター性には「ワンマン」(自分だけに集中)的気質が大切と感じますかね。

 今回のWBCの結果により、アジア野球の(主にチームプレイ的)質の違いとその力も浮き彫りになりましたかね?またそのことにより、同じプレイヤーにおいても、日本とアメリカで上げた成績は、そのプレイヤーの気質により単純に比べることも難しいと感じますかね。外国的なプレイスタイル(気質)との相性も個人の成績に大きく影響するようにも感じますかね。

 例えば観客やサポーターを比べても、日本は最後まで諦めずに応援するのに対し、アメリカは勝敗に見切りがつくと試合途中であっても席を立ってしまう光景も見られましたね。そんな気質をアメリカ人の主な国民性としてあてられるなら、所属するのが優勝などから縁遠いチームだったりすると、わりと個人の成績を上げることに集中し易かったりしますかね。

 また例えば、FAでアメリカに行くような選手は、日本に居れば年齢的にチームをまとめていく立場でもありますが、アメリカにいけば新人として扱ってもらえますかね?また移籍したチームに、別の日本選手がすでに在籍していたなら、コミュニケーションの不都合も少なく、これらもわりと成績を上げることに集中し易い材料にもなりますかね。

 その他にも勝負云々よりもむしろ、よりドラマチックな場面やお祭り事が好きである気質も感じますし、勝負に拘る日本のようにバントや敬遠も少なく、素直な勝負を好むようなことも耳にしますかね。皆をまとめる時と、自分の成績を上げる時に必要な気質には相対するモノを感じ、今一流と呼ばれる人であってもその切り替えは容易ではないと感じますね。

 何はともあれ最後は素晴らしいドラマチックな結末に私も大きな感動を頂きましたね。そういった大きな感動を貰うためには、やはりスター(ワンマン)選手ならではの(チャンスとの巡り合わせも含め)気質が欠かせませんよね。(09.4.7著)

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 格闘技は興奮しますよね。

 命をはった真剣勝負がスポーツよりも緊迫感を生むのですかね。私も強くやってみたいと感じる分野でもありますが、相手を怪我させるかも知れないのが怖いのですよね。なんだかんだ言っても相手が立てなくなるまで痛めつけることが必要とされるのですよね。少なくとも勝負の最中は相手を殺さないように手加減を考えているようにも感じませんし・・・

 自分がやられるのも恐怖でしょうし、試合中は精一杯の力で殴ったり蹴ったりするのでしょうから、いくら双方合意の上で殺意までは無いとは言っても万が一もあり、そうなれば時には後悔も残るでしょうしね。兵士の多くも「殺したい」より「守りたい」なんでしょうし、戦争の多くは一部の国の上の人達の都合(プライドや雇用問題など)によっても起きるのでしょう?

 敵対する国の代表が時に仲良く会食したりお土産交わしたり、以外に上の人同志はそれぞれの立場・都合も理解出来ていていたり・・・また中には「聖戦」として教育され、何よりも尊い生き方(生き甲斐)として戦争をしている人もいるでしょうからね?色々と国の都合もあると感じますが、出来るだけ外交の当事者の個人戦でお願いしたいものです。

 本気で喧嘩もすれば時に深い友情に変わったりもするのでしょ?格闘技・スポーツは「平和」的イメージも強いようですが、その取り巻く環境や心理状態はある意味戦争と変わらないように感じますし、そう考えるとそれらを推奨することによって戦争の抑制もできそうですかね。そしてまた政治などとも切り離して考えるべきとかも言われていますが・・・

 「平和の祭典」とか「平和・・・」をつけた時点で、自ら政治に介入してしまっているように感じますがね?とても話が大きくなってしまいましたかね。(09.12.16著)




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Last updated  2012.02.25 13:45:06
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