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せっかくの休日なのに、日ごろの疲れが溜まって、ひたすら眠いです。車に乗っている時間が多いのもあって、腰の疲れが取れません。腰がなんだかジワジワとします。まぁ、週に2回くらい給油をしなければいけないくらい車で移動していますので、むべなるかな。です。休日の時くらい映画を見に行ったり、街に出てみたりしたいのですが、面倒くさくなり、だらだらと過ごしてしまいます。明日からまた仕事です。もう一人で作業をしていますが、いよいよ明後日から1日3軒回る時も出てきます。いやはや、会社も容赦ないですわ(苦笑)年齢は関係ないですね。気力、体力勝負になってきました。梅雨の時期なので運転には気をつけて仕事したいと思います。
2009年06月11日
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実は4月後半から仕事をしています。かれこれ1ヶ月以上が経ちます。時間がすぎるのは本当に早いです。仕事は、「パソコン出張サポート」です。大手の家電量販店から依頼を受けて、毎日お客様のお宅に伺って、パソコンの設置やネット回線の接続、ネット、メールの設定、プリンタ・複合機の設定、トラブル対応などをしています。毎日、車で近隣4県を移動しています。肉体的にも、精神的にも結構ハードな仕事です。いままでひきこもりな生活だったので、あまりにギャップが大きく、休みの日は寝たり、ぼーっとしたりして調整をしています。社員さんに同行しながらの研修を終えて、ここ数日は一人でお客様に訪問していますが、相変わらずの失敗ぶりで「とほほ」な感じです。40歳すぎても怒られるのは悲しいけど、新人ですからね。基本的にサービス業なので、一般的なサラリーマンよりはお休みは少なく(月に6日くらい)、給料もかなり安いと思います。でも、作業していてお客様に喜んでいただいたり、お茶や飲み物などを戴いたりすると、何だか嬉しいです。それに毎回一件ずつ作業は完了する(基本的にですが)ので、帰りは疲れながらも、「今日も仕事したぞ~」っていう充足感はあります。後は体力と精神力がどれだけ持つかがこれからの課題と思います。今の会社は社長を含めて、20代、30代の人たちばかりなので、40歳を超えたじじぃの大変さは理解出来ないと思いますので、自分でコントロールせねばと日頃感じています。まずは、ご報告まで。
2009年06月04日
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再就職活動を続けています。職安や就職フェアで求人に応募したり、派遣登録をしたりしていますが、仕事に結びついていません。先日も職安に行きました。朝8時30分から職安が始めるのですが、始業10分前に行ったら、既に40人くらいが入口前で並んでました。(それ以外に車内で待っているのが20人くらい)職安の駐車場も当然満車です。コンピュータ検索を終えて受け付けに戻ったら、部屋の中が求職者で溢れかえり、すさまじいものがありました。リアルに不景気を感じています。もっともこの地域は製造業が多く、3月末で解雇された人が多いでしょうから、こういう状況になっているのでしょうが。ここまで再就職活動をしてきましたが、やはり元の業種で働くのは年齢的にも時期的にも非常に難しいことを痛感しています。IT業界は35歳定年説と言うのが昔から言われています。理由は色々あるのでしょうが、業務がとてもハードなので、知力、体力ともに限界があると言うのや、35歳以上でプログラマでは生活がやっていけない。せめてシステムエンジニアやマネージャまでキャリアアップしていないと、会社も利益が出ませんし、当然給与にも反映されませんから。日本のIT業界は上流に行くほどお金が貰え、下流のプログラマの賃金はとても安いのが実情なのですから。そう考えると、35歳定年をすっかり超えてしまった自分にIT系の仕事はなかなか来ないのも当たり前と言えば当たり前です。自分の中では経験、スキルは大丈夫だと思っていても、周りが、特に会社の側が無理と思えば書類選考で落とされます。本当に厳しい状況ですね。ITも設備投資みたいなものですし。今の状況にあっては、職歴も吹っ飛ばされてしまいます。私は大学卒業から一つの会社でずっと勤めてきました。自分の会社はソフト開発会社で基本的にお客様の要望に応じて、色々なシステムを開発し、納品して利益を得ます。ですので、自分の関わってきたシステムやスキルを職務経歴書に書いて、システム会社とお話をするのですが、面接時に人事の方や役職の上の方から言われるのが、「色々な仕事をやって見えますね」と言う言葉。どうも良い方の言い方では無いようです。「あなたは一つのプロジェクトに留まって仕事していないように見えますが・・・」って思われている節があるのです。正直、こういう見方をされる会社は困ります。案件があってこそ、システム開発は成り立ちます。どこかの会社の子会社なら、あるシステム一本を開発、メンテナンスすることはありますが、そうじゃ無い開発会社がほとんどと思います。手広くシステム開発を渡り歩くと、深い業務知識が無いと言われ、(「君はもっと生産管理知識を勉強したほうがいいよ」と面接で言われたり)あるシステム一本で生きていくと、他のシステム業務で渡り歩くことが難しい(他の開発は出来ないの?と言われます。)就職活動をする度に、自分っていったい何をしてきたんだろうって悩んだりします。足下にあった支えが揺らぎます。かろうじて支えてきた砂の城がさらさらと崩れていきます。こんなことは考えたくはないのですが、あのとき、月に300時間以上仕事していた俺って何なんだろう。その後、精神的に病んでしまった俺って何だろう。もちろん会社に復職するチャンスは何度かあったけれど、それでも戻ることが出来ず、自分の決断で退職し、今に至っているけど、必死に仕事していた俺も、復職に向けて頑張っていた俺も、今、仕事を探したり、落ち込んでいたりしている俺も、俺なんだよな・・・そんなグダグダした思いが沸き上がってきます。でも、何で人様並の生き方に戻ることが何でこんなに難しいんだろうな。すごく悲しくなってきます。どうやって生きていこうか途方に暮れます。もちろんIT以外の業種も探していますが、その前に生きる自信をなくしている、自分を支える骨を失いかけている。そんな気分なのです。本当はそんなセンチメンタルに嘆く状況では無いのは判っています。だけど、状況を誤魔化しながらでも生きたいんですが、その誤魔化し方が判りません。それが出来る人がうらやましく思います。
2009年04月06日
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昨夜9時のNHKスペシャルは見応えがあった。これまでの報道の仕方から数歩も切り込んだ内容だった。簡単にまとめてみると。。。==================================================================・うつ治療の長期化が進み、長期治療している患者が増えている。・医者が抗うつ薬を過剰に与えている場合もある。・しかし、病気の程度によって、どれくらい投与すべきかというガイドラインは現在のところない。平成23年頃までに厚生労働省が策定予定。・よって医者によって、投薬の量は本当にまちまち。・うつ(気分障害)とそううつ病(双極性2型)の判断ミス、誤診をするケースもある。処方する薬の内容、投薬の量も変わってくる。 が、問診だけではその区別が見極めにくい。・精神科、神経科などは専門技術を持っていなくても、つまり、他の専門医でもカンバンを出せることが出来る。例えば脳外科専門でも開業可能。・医療ビジネスとして、クリニックを作りやすいこと。 (極論すれば机と椅子があれば開業可能ということ)・精神疾患の治療には薬はもちろん欠かせないが、それだけでは無いと言うこと。 例1 認知行動療法などのカウンセリング(イギリス取材) 例2 脳波?の測定機器で脳の動きを見て、病気を判断する研究。 例3 磁気を頭にあてて、脳を刺激する方法(昔の電気療法に近い?)・しかし日本ではカウンセリングなどは健康保険が適用されないため、薬以外の治療方法を受けるのが金銭的に難しい。(個人的に調べたのでは、1回1時間6000円から1万円くらいが相場)・日本も精神疾患治療に対して投薬+αの治療方法が出来る仕組みを検討する必要がある。====================================================================ざっくりこんな感じ。間違っていたらご指摘下さい。今回のNHKスペシャルはかなり突っ込んだ報道の仕方で全体的には良かったと思う。野村先生が途中、自己矛盾しているギャグを放っていて、姜尚中氏が苦笑いしていたのが、個人的に受けたが。(「TVなどにバンバンでている医者を当てにしてはいけない」って、ちょwww)← ニュアンス的にこんな事を言ってた。普通、うつなどの精神疾患に関する書籍やTV報道を見ると、最終的には早めに病院に行くこと。薬を飲めば治る病気だと伝えるのがほとんど。うつは心の風邪だと言う内容がほとんどだっただけに、今回、薬の過剰処方、それによる副作用などを伝えたことはすごいと思う。薬+αの治療の考え方、日本における投薬治療以外の問題点まで切り込んだ点は評価出来る。まだ見ていない人や、精神疾患を患う人を支えて居る方は是非見てみて考えてみると良いと思う。個人的にはとても良い番組だったので、きっと再放送してくれると思う。って言うか期待する。------- 以下は極めて個人的な書き込み ---------------自分はそううつ病を患って8年。もちろん本やTVの情報も取り入れたし、家族のサポートもあってここまで生きてこられた。が、やはりそんな自分でも投薬治療に対する疑問はあった。後は問診自体のあり方、処方箋(今通院しているクリニックは出ない!)のこと。色々問題は見えていたが、別のクリニックに転院するのは手間とリスクを伴うので止めているというのが事実だ。医者との関係を一からやり直す、それが社会復帰の道をよりいっそう遠ざけることになるのではという危惧があるから、転院したい気持ちはあれど、実行に移せない。不審を抱きながらも、こちらでそれを割り切って自分で乗り越えて行かなければいけないんだろうと半ば諦めているのが現実だ。所詮、今の日本の精神医療では、基本的には対症療法しかないのだから。薬の効き目を見て、薬を増やす、減らす、薬を変えるしかない。せいぜい抗うつ薬の効果、副作用を見るための血液検査、尿検査くらいか。それ以外に医者が客観視して判断出来る基準が無いから。患者の現象を見て、判断するしか方法が無いから。だからどれだけ辛い、苦しいと言う心の叫びを医者に訴えても、最終的にはその言葉自体は医者の心に届かないとこれまでの通院で気づいた。医者にとっては、薬が効いているのか効いていないのか。そして副作用があるか、無いか。判断材料はそれしか無い。それ以外は、カウンセラーさんとか、他の人に相談してね。通院して何年か経って、主治医がそういうことを言いたいんだろうなと感じた時に、どうしたら良いか途方に暮れた。その後自分が取った行動は、この今の状況から抜け出すこと。自分から薬依存を抜け出し、寛解を通じて、もう医者に世話にならないようにすること。もう通院しなくていいですよと言われるまでに快復すること。これが唯一の道だと思った。医者に依存しない。薬を絶対視しない。言われるまま飲まない。もちろんリスクはある。医者の言うことを聞いて無くて、薬を飲まなくて、うつが酷くなっても文句は言えない。すべて自己責任。でも、他人任せにして生きるのは嫌だ。俺の人生は俺の物だ。他人や物質(この場合、抗うつ薬)で生き方を左右されるのはもうまっぴらだ。精神医療の世界は博打に近い。治療に正解など無い。だったら、患者だって博打を打ってもいいと思う。もちろん自己責任で。自分の人生は自分で決める。その大切さを教えてくれたのはうつ病だ。色々辛い思いをして、周りの人に迷惑や負担をかけ、人生のかなりの部分を費やしたけれど、それでも実りのあるものを得られていると思っている。
2009年02月23日
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今、Webサーバに関する書籍を読んでいる。昨日はXOOPSの書籍を読んだ。XOOPS Cube使いこなしガイドブックWebサーバ XOOPSをざっくりと理解したい人には良いかも。それと、部屋にSandiskのUSBメモリ(U3対応)が転がっていたので、USBメモリから起動するアプリを入れてみた。・Firefox Portable (ブラウザ)・Thunderbird Portable (メーラ)・Skype・FTP・SSH・画像ビューア・PDFビューア・エディタ・アンチウィルス・メッセンジャーなど。U3対応のアプリは少ないが、まぁこれくらいあれば外出しても不都合は無い。もっとも今はportableappsという、普通のUSBメモリ上で動くアプリを作成するツールがあるのだが。まぁ、酔狂ということで。
2009年02月15日
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週刊少年ジャンプ連載のバクマン。が面白い。デスノートタッグは本当恐るべし。しかし学生時代、ガリガリと漫画描いていたころを思い出すよ。バクマン。(1)Palm OSのリリースを辞めるそうで残念。キビキビとしたいいOSだったが、時代が早すぎたかも知れない。次世代のPalm webOSは検討してほしいと思う。http://japanese.engadget.com/2009/02/12/palm-palm-os-webos-pre/スクリプト言語、Pythonだけど、3.0で仕様がかなり変わってしまった。これ以上ユーザ離れしないように祈るしかない。
2009年02月12日
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土曜日に地元の祭りに参加した。今年も無事に帰還した。未だに全身筋肉痛が酷いのだが。これで今年の厄も落ちただろう。祭りもそうだが、俺は非日常の場だと生き生きする。日常では生きている気がしない。そんなどうしようも無い、ろくでもない奴だ。人生破綻者だと思っている。例えば、海外でまったく日本人が見かけないようなところに行くと、俺自身しか頼るものが無いから必死に生きる。コミュニケーションをしまくり、観察して、意志決定する。結果どうであっても、納得する。だが、日常ではほとんどのことは原因、結果が決まっているので、それほど期待値が外れることがない(おおよその人が思う結果の平均値)。それが、生きているという実感が無い理由の一つかも知れない。俺はあたりもはずれも含めて、自分が行った結果に対して納得する。自分で決めたことだからということもあるが、なるようにしかならんと腹をくくれるからかも知れない。こんなことを言って、誰がお前の日常を支えているのだと追求されれば、何も文句が言えない。だからいつも申し訳なく思うし、いたたまれなく、何とか人並みの生活を送りたいと願い、行動するが、努力が足りないようだ。以下はただのぼやき。でも、何か違和感がある。生き方の違いというか、方向性というか。狩猟民族と農耕民族という区分けの言葉がある。日本人は農耕民族の割合が比較的多い。なので和を大事にする。皆で作物を育てて分配する風土。非日常は地震、台風などの天候くらいだろうか。なので日常は集団、組織の規則に則ればおおむね幸せに生きていられる。だが、日本にも少数だろうが狩猟民族が居るはずだ。動的に、しかしこれまでの統計を元に推測し、獲物を捕らえ、喰らい、生きる種族。規則よりも、自分の本能や勘、経験則を信じていきる。どちらかというと、非日常が日常の世界。規則は常に変化するから日常が確定しない世界。俺もそんな気質、狩猟民族の血が流れているのかも知れない。必死に農耕民族の輪に入ろうとするが、生理的に気持ちが悪い。どうやって生きていったらよいか判らない。きっと、周りの人も俺を不可解な存在と見ているかも知れない。そう考えると、俺が心地よく居られる場所、狩猟民族の輪の方に入って行かなければ、生きているという満足感が得られないのかもしれない。こんな馬鹿なことを考えて、鬱になっている俺は本当に馬鹿だと思う。本当に愚か者と思う。日本に居ない方が良いのかも知れない。そこまで行かなくとも、保守の中の保守である、この地域で生きることは俺にとっては良くないことなのかも知れない。
2009年02月09日
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2001年の年始、たぶん1月8日だったと思う。カミサンと一緒に駅前のクリニックに行った。予約無しだったので、しばらく待ったが診察してもらった。診断はうつ病。抗うつ薬と安定剤、睡眠導入剤、そして1ヶ月休養の診断書を貰った。クリニックを出たら昼を過ぎていた。まずは直属の上司(先輩)に電話した。運良く自社に居たので、そのまま会社に出向いた。カミサンは駅前の地下街あたりで服とか見てくると言い、俺を待ってくれた。会社の会議室で、今の状態を先輩に話した。涙が出て止まらなかった。体調はどうあれ、仕事を投げてしまう自分が許せなかった。でもこれ以上仕事を続けることも出来ない。解決策も見いだせなかった。どうしようも無い歯がゆさがあった。先輩は状況を理解してくれた。そしてすぐにマネージャに連絡をかけてくれた。先輩がマネージャに俺の状態を説明してくれたが、その携帯越しからマネージャの大きな声、怒鳴り声が聞こえた。先輩はそれをなだめるように説得し、休みを取る手続きを取ってくれた。先輩に本当に感謝した。有り難いことだと思った。2時間くらい会議室で待っていると、同僚(協力会社さん)が入ってきた。彼も少し体調を崩したらしく、病院から直接出向いてくれた。簡単にシステム設計作業の引き継ぎをした。その同僚に何を説明したのか今では判らないが、おそらくシステム設計の仕方、ドキュメントの保存場所、これからの方針などを伝えたのだと思う。最低限すべきことをして、会社を出た。そしてカミサンと合流して自宅に帰った。その後のことはあまり覚えていない。しばらくは、ぼーっとコタツで横になり、テレビを見るか、布団に入るくらいしか出来なかった。動くこともままならなかった。トイレまで歩くことも難しいことがあった。這いつくばるようにトイレに行ったこともあった。風呂、シャワーは面倒くさく入れなかった。1週間くらい入らないのは、ざらだった。見かねてカミサンが俺を布団から引っ張りだし、風呂場まで引きずり、俺の体や頭を洗ってくれた。本当に廃人だった。時折、カミサンと一緒に散歩した。散歩といっても、田畑の道を500メートルくらい歩く程度だった。住んでいる地域は田畑が多く、冬の時期は稲の刈り込んだ後が寒々しい。北風も冷たかった。でも、何の感情も沸かなかった。夕日を見て美しいと思ったり、空気のうまさや、北風の冷たささえ感じることが出来ずに、本当に麻痺していた。俺は絶望を通りこしていた。でもそれ以上にカミサンはどういう思いで俺を支えてくれていたのだろう。絶望を通りこしていたのでは無いか。俺以上に。そう考えるだけで涙が止まらなくなる。人が壊れるということ。壊れていくということ。周りの辛さ。親とはどんな話しをしたのか覚えていない。だけど、親には「うつ病」と言うのが判らない。精神疾患というものが判らない。骨折したとか、手術したとかいう怪我や病気なら理解できるが、うつ病、ノイローゼみたいに目に見えないものが判らない。関連する本、分かりやすい本を渡しても、読もうとしないし、(元々、本が無い家庭だし、活字を読む習慣も無かったのだが)TV番組などの情報を教えても見た感じはしない。感想もない。おそらく親にとって見たくない、直面したくない現実だったのかも知れない。ふたをしたかった現実なのかもしれない。何も出来なかったのかもしれない。今となってはそう言った理解を求めることは無意味だと感じたので諦めているが、あのときは理解者というか、支えてくれる人がほしかった。そうしたことが、自分にはショックだった。たぶん、俺もカミサンも途方に暮れていた時期なのだと思う。どうすればいいのか、どうやったら快復するのか。色々な情報をかき集め、二人(俺はもう廃人だったけど)で、この危機を乗り越えようと奮起していた。療養に入ってから3ヶ月後、復職した。リハビリを兼ねて、時間短縮で軽作業をすることになった。会社はうつ病の俺に対して、とても配慮をしてくれた。それは今でも感謝している。簡単なドキュメント作成をしていた。本当に難しくない作業。画面のパーツをチェックしたり、時にはプログラムを見たりもした。本来ならば負担になりえない作業だった。しかし、1ヶ月くらいでまた体調を崩して休職した。次は4ヶ月休職。そして復職。配属先は社内SEと言うか、人事管理部門だった。社内システムや、総務的なお手伝いをする仕事だった。そこでの仕事は1年くらい続けることが出来たが、また体調を崩すことになり、休職することになった。本当にうつは治っているのか?どうやったら治ると言えるのか?クスリとリハビリで治るのか?まったく判らなかった、先が見えなかった。会社の方々も俺を気遣ってくれている。通勤日を短くしたり、就業時間を短縮してくれたり、軽作業をさせてくれたりと本来なら考えられない対応をいただいた。本当にありがたかった。でも、うつ病が本当に寛解することは無かった。どうしたら良いのか途方に暮れてしまった。「うつは治る」と巷で言うのに、俺はまだ戦っていた。そもそもどこからが治るという線引きすらない。折れた骨が繋がるような明確な基準など無い病気。不安だった。お先真っ暗というのはこのことだと感じた。でも、人の温かさ、情けを感じることも出来た。夏の暑い日に、ドアベルが鳴った。カミサンはちょうど買い物に出かけていた。出ると、総務部時代の上司だった。何も連絡が無かったので、自分は驚いた。本当に散らかっていて、汚い部屋に入ってもらい、上司と少し話をした。本当に嬉しかった。突然の来訪で驚いたけれど、嬉しかった。朦朧としていたけれど、その時間だけは今でも覚えている。だが、それでも、うつは良くなかなかった。だんだん自分の生きる目的、意味が判らなくなっていった。暗闇の中で何をしたらよいのか判らなくなってきていた。心がすさみ、あれて行った。
2009年02月04日
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俺は製造系システムエンジニアだった。月に300時間以上働いた。客先は自宅から50Kmくらい離れているので、毎日、車で高速を使い、片道1時間かけて客先に行った。電車で行くと、片道2時間かかるので車通勤もやむを得なかった。朝、8時に客先に入り、客先を出る頃は次の日付になっていた。お客さんとの打ち合わせは、夕方からだった。お客さんは業務中は自分の仕事があるので、打ち合わせに時間を割くことは出来ないからだ。打ち合わせでは作るシステムをどうしたいかをお客さんに聞き、資料をまとめ上げていく。だが、肝心のお客さんでも、自分自身の業務が判っていない場合がある。考えてみれば、仕事の全体を知っている従業員ってどれだけ居るんだろう?自分の仕事がどういう意味合いで、会社を動かしていて、会社のためになっていて、そのメカニズム(人、物を含めて)まで熟知している人って居るんだろうか?そういう人(一従業員)に業務の仕組みを問いただすのは酷だ。しかし、そんな担当者から「本当に実現したい機能」を無理矢理にでも聞き出すのが、自分たちの仕事だったりするし、それが出来なければそのシステムは失敗する可能性が高かったりする。だから、客先から帰れない。自社に持ち帰って出来るたぐいの仕事では無かった。そんな感じでお互いを探り合いながら資料を作るが、担当者の上司が来たら「これは仕組みが違うだろ」と担当者をなじり、仕様は二転三転。ヒアリング、資料作成、レビュー、駄目出し、ヒアリング、資料作成、レビュー、駄目出し・・・・(以降繰り返し)仕様書の作成期日は迫ってくる。当然焦る。他の人も同じ状況に陥ったりするが、それは次の工程で考えよう。てな感じで後回しにしたりしていた。それはそれで有効だったかも知れない。今ならそれもありだと思う。でも、あの頃の自分は上手に立ち回れなかった。家に帰っても何もしたくなかった。出来なかった。家に居る時間はせいぜい6時間くらいだった。本当にめし喰って、寝るだけで精一杯だった。家で資料を作ったりもした。時には家内さえも資料作成を手伝わせた。その頃は自宅で書類作成していたので(会社は関知していないだろうが)土日さえなかった。自分は本当に不器用だったと今では思う。でも、あのときはそれしかやりようが無かった。だんだん同僚が何を言っているか判らなくなってきた。うつの初期症状、人の話が理解出来なくなる状態だった。タバコをすっている時も窓の下を見て、ここから飛び降りたら、うちの会社は取引中止になるんだろうな。。。とか、馬鹿なことを考えていた。俺の頭は既にオーバーヒートしていた。まったく資料が出来ない。仕様も全然まとまらない。仕様の二転三転が終わらない。1週間の出張の時に、いくつかのタスク(検討事項)を済ませて貰うように一緒に作業している同僚に頼んでいたが、出張が終わって見てみると、作業は全く進んでいなかった。だんだんと絶望感が募っていった。結局、資料はまとまらなかった。マネージャに厳しく追及された。何故、スケジュールが遅れるのかと。その頃は自分の不手際だと感じていたので、きちんとした説明が出来なかった。仕事が出来ないのは辛いが、俺の取り回しが悪いと感じていた。年末年始休暇が近くなり、納会になった。マネージャが仕事の仕方について、新人に話をしていた。俺は酒の勢い、調子に乗って、「ここはちゃんとメモ書けよ。いつも持っておけよ」と新人に言った。それがマネージャの癪に触ったらしく、俺に「おまえがそういうことを言える資格があるのか。納期に間に合わなかった奴が。」と言った。きっと、マネージャもそれほどの悪意もなく、酒飲んだ勢いだったのだろうし、他の人もたいしたことは思っていなかったと思う。けれど、俺はその一言で俺自身が崩壊してしまった。かろうじて保っていた自分の中の堤防が壊れてしまった。もちろんその場で感情を出すことは無く、きっと「そうですね。へへへ」みたいな態度をしていたのだろうが、立ち直ることが出来なかった。その夜、まったく眠ることが出来なかった。体全体がこむら返りを打ったように、ビクビクとエビのように跳ね返るように動いていた。止めることが出来なかった。うなり声を出したくなるのを必死でこらえた。歯を食いしばり嗚咽した。隣にはカミサンが寝ていた。起こしてはいけないと思った。辛い夜だった。今でもたまにフラッシュバックするくらい。カミサンはずっと前から心配していた。俺の寝汗が酷いことも知っていた。毎朝、布団がいつも寝汗でベタベタだった。既に精神的に疲れていたのをカミサンは気づいていて、毎日、通販で買った、セントジョーンズワート(サプリメント)をくれた。客先の駐車場待ちの渋滞中、あんパンを食べながら、サプリを飲んでいた。栄養ドリンクと一緒に。だからこれ以上心配かけたくなかった。でも、これ以上は仕事が出来ないと言うことも自分自身判っていた。年末に家内に今の体調、気分のことを話し、年始明けに駅前のクリニックに駆け込んだ。2001年の正月だった。こんな経験は真面目に仕事をしている人なら当たり前の話だ。別に俺だけが不幸だったとも思っていない。だって、その出来事だって、その人が感じることだって、断片的だし、すべてを物語り、他人に伝えることなんて出来ないんだから。同じ状況になっている人はごまんと居るだろうし、それに堪え忍んでいる人もいる。だからこういうのを語るのも恥と思う時だってあった。だけど、そのままため込んでいても何も進展しないと言う思いもあった。どこかでこの毒を出さないと解決しないと言う気分もあった。だけど、会社の人に話したところで、同僚や仲間に愚痴ったって、根本は解決しないんじゃないかっても思った。だって、担当は違えども、同じシステム屋なら経験することだから。それが自分を苦しめた。自分だけが被害者じゃない。今でも思うんだけど。みんなそれぞれ違う苦労を抱えているんだから。っていう思い、考え方。それはある意味正しい、だけど間違っている部分もある。誰でも苦しみは持っている。だけど、自分の苦しみは他人には本当には伝わることが無いのだと。その人の痛みはその人でしかわからない。色々なジレンマがあった。辛いことがあったら、話せよ。みんなで苦しみを分かち合えよ。話せば判る。一緒にこの苦しみを乗り越えよう。半信半疑、人間不信に陥る。正論が必ずしも正しいとは限らない。正しいということは、時には凶器になる。2001年から廃人になった。今では、2001年から3年間くらいの記憶がほぼ無い。家内と過ごし、一緒に散歩し、テレビを見、そんな記憶しかない。俺にとって、仕事って何だったんだろう。ものすごい真剣に仕事に取り組んだ。ビジネスとして結果を出せなかったのは確かにまずかったが。(それは今でもそう思う)だけど、生活の3分の2を費やし、それでも年収ベースでたかだか500~600万円。人生ってそういうものなのだろうか。精神崩壊して廃人化しても続けるべき仕事だったのだろうか。でも、システム屋、コンピュータ屋だけでなく、日本で働く労働者が皆こんな労働状況なのだとしたら、俺は今、日本で生きることは出来ないかも知れない。人に疲れ、生きることに疲れている。やっぱ、死ぬしかないのかな。そんなことをほざく奴こそ、社会の無駄で、ゴミかも知れないな。今の日本社会にそんなゴミを救う余裕などないしね。みんな生きるのに必死だから。日頃ヘラヘラ笑っていますが、奥底ではまだまだ黒い川が流れています。これを寛解していると言えるのでしょうか。長々と書きすぎました。読んでくれた人、本当にありがとうございました。
2009年02月03日
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昨夜、自分の社会人時代の師匠と飲んだ。5年ぶりくらいに再会して、まったりと串焼きで一杯。これまでの話とか色々として、肴を食べ、焼酎を飲む。焼酎がとても旨かった。人と会い、酒を酌み交わし、話をする。そんな当たり前にある日常が出来ること。それがとても楽しく、有り難いと思うようになった。本当にしみじみと焼酎が旨かった。生きていることの幸せをかみしめていた。九州地区以外では、滅多に無い☆黒霧島900ml・20°☆を是非どうぞ ♪♪霧島酒造 本格芋焼酎 黒霧島 20°900ml瓶 【あす楽対応_関東】【あす楽対応_近畿】【あす楽対応_中国】【あす楽対応_九州】【あす楽対応_四国】【あす楽対応_東海】【あす楽対応_甲信越】【あす楽対応_北陸】
2009年01月25日
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昨日、父と映画を見に行きました。30年ぶりと思います。キアヌ・リーブスとかハリウッドものの方が親父喜んだかも知れないな。それが正直な感想。映画そのものは決して悪くないんだけどね。しかし、日曜の昼間なのに、300人収容のフロアに観客数20人って。。。TVや新聞、ネットで騒いでいる部分(不況、派遣切りなど)と思想的な部分(世の中を変えようと思うこと)とはやっぱ乖離しているのかねぇ。何もしていない自分が言えることではないけど。それともこんな世の中だからこそ、映画だけは楽しみたいと思うのかもね。「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」映画チェ・ゲバラTシャツ04 メール便【送料無料】【送料全国一律500円】 チェ・ゲバラ ポスター色々と世知辛すぎて、鬱というか、嫌になっちゃったよ。どっかで生きる方法を見失ったよ。道をはずしちまったよ。
2009年01月19日
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TOEIC受験後、少し体調が悪くて休んでいました。自分としては久しぶりに勉強と言うものをしたので、知恵熱を出したのかも知れません。熱は出ませんでしたが。。。。でも、3日くらいで快復したので以前よりはマシになったと思います。何週間もふさぎ込むわけではないですから。それでも、しばらくは無理せずに行きたいと思います。 ネットを見ていたら、Googleがいくつかのサービスを廃止するらしい。 GoogleがDodgeball, Jaiku, Videoなどなどを切り捨てhttp://jp.techcrunch.com/archives/20090114google-axes-dodgeball-jaiku-video-and-more/個人的にはGoogle Notebookを使っているので、具合が悪いです。ネットのサービスはとても快適なのですが、サービス会社の都合で閉鎖となると、ユーザは困ってしまいますね。自分はRemember The Milk とかEvernote、Twitter、はてなとかを快適に使っていますが、これらのサービスが無くなったら、どうしよう。。。。最終的には手帳に回帰せざるを得ないのでしょうか。
2009年01月17日
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今日、久しぶりにTOEIC試験を受けました。約2年ぶりの受験でした。少し試験勉強をしましたが、時間内に全問解答できませんでした。(取りあえずマークはすべて埋めましたが・・・)後5分くらいあったら、全部読んで解答できたのに・・・って感じです。まだタイムマネージメントというか、時間配分が出来ていません。そのあたりが次の課題と思います。スコアは前回の試験よりは良いと思いますが、600点には行かないくらいと予想しています。次の試験を何時にするか未定ですが、続けて英語の勉強をしようと思っています。TOEICはスポーツと同じで、120分間での集中力、瞬発力、判断力が必要だと改めて感じました。それも訓練によって伸びると思っています。TOEICテスト新公式問題集(vol.3)この問題集は、公式だけあってとても良く出来ています。テストと同じ人で問題を読み上げてくれるため、耳を慣らすだけでも非常に有効です。
2009年01月11日
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大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。昨日、今年初の診察に行きました。年末の血液検査の結果を教えてもらったのですが。。。どうも血糖値が高いようで、160mg/dlという、糖尿病に片足突っ込んでいる状態のようです。言われてみれば、結構コーラとか、お菓子とかストレス解消という名目でガンガン食べたりしているし。ここ2,3ヶ月くらい右の首筋や肩が痛くて、右足がちょっと痺れていたので、おかしいなぁとは思っていたけど、糖尿ですか。。。。これは正直、鬱よりもやっかいかも知れない。主治医からは運動をしましょうとアドバイスを受けたのですが、それより先に甘い物を食べないようにせねば。これは結構辛い修行になりそうです。。。
2009年01月08日
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以前、カウンセラーから認知療法のメソッドを教えていただいて、薬物療法と一緒に自分を出来るだけ客観視するようにしている。自分の今考えていること。これは本当に正しいのか。他の考え方は出来ないのか。一般的にはどう思うのだろうか。などなど。それでも最近、特に不景気になって思う。この方法は本当に有効なのだろうかと。普通の人(普通の人って何?という疑問がそもそもあるが、あえて使うことにする)でも、この大不況でパニックになっていて、世の中に正解は無く、信じていたものが簡単に崩れ去る状況のなかで、客観的に見ることって出来るのか。そもそも客観的とは何か?何が基準なのか?そして、何が正しいのだろうか。そうなったら、自分で自分を認めること。自分自身で自分の意味、意義を見つめ直し、アフォーダンスすること。それしか今は手段が無い気がする。人様に迷惑をかけない程度に、自分を認め、肯定する方向に考えなければいけない。・・・っていうか、これが本当の「認知療法」なんだろうね。誤解していたかも知れないね。
2008年12月21日
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今、心のバランスを保つことでいっぱいいっぱいです。何とかバランスを保っている状態です。病気のこと、これからの生き方のこと、家族のこと。。。。色々見栄や意地を張ったりしているけど正直しんどい。気を紛らわすために、毎日少しでも英語の勉強をしていたり、時々英会話教室に通ったりしているけれど、それが実際どうなのか?役に立つのかとも思う。今の辛さを瞬間的に忘れるためだけの手段。うつが寛解したからと言って、仕事を得ることが出来るのだろうか疑問に思う。少なくとも今の年齢と持病では、とても採用されないのではと思う。面接の時に病気のことを正直に話したらと知り合いは言うけど、それで雇ってくれる会社はあるのだろうか。実際、春に内定をもらった会社に契約時に病気を伝えて不採用となったし。(そもそも俺が最初に病気を伝えなかったことが間違いだし、内定決定時に事実を話すことがおかしい。それなら黙っているべきだと反省している)ただ、先日の面接でも「どうして春に辞めたんですか?」「この年になって退職したきっかけは?」と採用担当者から言われたときにきちんとした、堂々とした返答が出来ない。嘘を言うことが辛い。そして情けない。就職する気があるのなら、嘘でもはったりでもいいから貫き通さないと、仕事させてもらえないよね。あたりまえだよね。もう正社員の職を探すことは諦めた方がいいのかも知れない。アルバイトで何か出来ることを探して、少しずつ快復させながら社会に出て行ったほうが良いのだろうな。何もしないよりはいいし、とにかく今を脱出したいから。でも、カミサンにも両親にも本当に申し訳なく思っている。もっと早めに(5,6年前とか)会社を辞めていれば。。。とか、後悔をしても今更遅いんだけどね。やっぱり考えなくもない。でも過去は過去。今は今。そんなことを考えたりしながらも、それでも前を向いて一歩ずつ進まなければいけないんだよね。
2008年12月21日
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を日本中が回っていますね。毎日毎日がすさまじい勢いで変わっていく。テレビを見ても、新聞読んでも、雑誌を読んでも、人のうわさ話を聞いても、やばいやばいって。皆、先が見えないとこんなに不安になる。どうしていいか判らず、パニックになる。それはまぁ当然のことなのだけど。。。。ちょっと考えてみる。うつ病を患う人は(俺を含めて)、そもそも目に見えない不安がつきまとうから、苦しくって、死にたくなって、世の中に幻滅して、自分の居場所を見失って。。。もしかしたら不安という言葉でくくったら、うつ病の人も、そうでない人も同じ状況に陥っているのかも知れない。そう考えたら、このパニックさ加減も判る気がする。つまり、本当に鬱の時代に入ったんだろうか。五木寛之氏の本のように。鬱の力先が見えないことの不安。自分の存在理由を問うことの不安。人の不安定さ。あやうさ。もろさ。もしかしたら自分も他人も今後の生き方が、価値観が変わっていくかも知れない。自分で解決するのか、思想に頼るのか、宗教に頼るのか、あるいはこれまで通り、流れるままに生きるのか。いずれにせよ、夜明けの来ない明日はないし、降り止まない雨も無い。そう信じて一歩ずつ踏み出すしか道はないのだ。
2008年12月18日
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最近、自分で自分に言い聞かせていること。自分はついている。コンピュータの仕事に携われたことを。ソフトウェア開発の仕事は不況でもなくなることはない。不況の案件で新規案件が少なくなっても、今のシステムがまったく使わない企業はありえない。今の日本の経済システムを考えたら、コンピュータなしの企業活動はありえない。プログラミング分野だけでなく、システム開発手法についても、タダで、独学で勉強することが出来る世の中。コンピュータ技術者はコンピュータとネットがあれば、たいていのことは勉強できる。いつでも。どこでも。10年前、20年前では考えられないくらいに恵まれている。だからこそ。今はチカラを蓄えるときだと思う。明日を生きるために。時々、今のコンピュータ技術者やそれに取り巻く企業、企業、個人に聞くとコンピュータ技術者の存在感、価値感の低さでへこむことがある。コンピュータ業界の仕事って本当に縁の下の力持ちだから、自動車や電化製品などの物自体を作るわけじゃないから、何をやっている商売なのか普通の人に上手く説明できない。自分の親でさえ、自分がどういう仕事をしているのかいまだに分からないようだしね。昨日、図書館でこんな本を見つけた。オンリーワンになるためのエンジニアプロ論自分と同世代の技術者、リーダのインタビュー集。そこには、もう少し日本の技術者は誇りを持っていい。今、オフショアと言って、中国、インドに開発業務が流れているが、それは賃金が安いからだということ。後は彼らは生きることに必死だから。日本の技術者にも良い点があるのだから、もっとシステムエンジニア、プログラマに対して社会的地位を向上するのが必要だろうと書いてあった。まったくその通りで、(あまり使いたくない言葉なのだけど)「共感できる」話だった。
2008年12月12日
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ソフトウェア開発や工学の用語で"KISS原則"という言葉があります。これは、"Keep It Sweet & Simple"「快くかつシンプルに」の略語です。シンプルに考えることはとても大切だと最近実感します。何かをやろうとするときに、どれくらい時間がかかるのかとか、どれくらいの規模なのかが判らないと不安になり、やることがおっくうになったり怖くなったりします。そういう時は、その取り組むものがどうなっているのかを出来るだけ細かくします。自分が判る範囲の部分まである程度分けていきます。もちろん知らないこともあるけど、それは放っておいて。そうすると取り組むもののボリューム感がある程度判ってきます。どれをどうすれば、どれくらい時間がかかるかの雰囲気が判ってきます。そこまで判れば、問題は解決したも同然。後はやるだけです。不安もかなり押さえられるので、以前よりは気楽に取り組むことが出来ます。うつになっていると、目に見えない不安や怖さで何も出来ないときがあります。でも、良く考えてみると、勝手に想像したり妄想したりして、実際はそんなに大変じゃないのに、大変に勘違いして行動が出来なかったり。そんなことが良くあります。不安ながらも、何で不安なのか?何を怖がっているかを一個ずつ書き留めてみると、少しずつ不安が取れてくることがあります。自分では判らないときは近くの人に相談して客観的に自分の不安を見て貰うこともいいかも知れません。意外と自分の影に怯えているだけで、実は出来ることがいっぱいあるかも知れません。そう考えると、人の想像力ってすごい面もあれば、怖い一面もありますね。簡単に、単純に考える
2008年12月08日
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先週ブログを書いた後も結構忙しい日々が続きました。金曜日は英会話。週末は家内と買い物、あとは履歴書を作成。(字が汚いので履歴書作成は人より余計に時間がかかるんです。。。)今日、また職安に行き、紹介状を貰い、郵便局にて履歴書を投函。やっと少し落ち着いたところです。まずは書類選考が通り、面接が出来たらと思います。ぼちぼちとやっていますよ!
2008年12月01日
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今週に入ってから、外出が多くってバタバタしています。実家に行ったり、病院に行ったり、英語のレッスンを受けたり、今日は職安。毎日何処かに出かけています。なので多少疲れ気味。。。こういう時こそ、体調を崩しやすいですよね。気をつけねば。明日も外出するけれど、週末はゆっくり過ごして体を休めたいと思います。そういえば。先週末に100円ショップで指先部分がカットされている軍手を初めて買いました。今、PC部屋に暖房を入れて無く、手足が冷えてきたので当面の対策です。軍手そのものは生地が厚く指の隙間があくので、打鍵の感覚がほんの少し違いますが、暖かいし、ちゃんと打鍵できるから幸せです。。。軍手を付けてみた時に、カミサンに「うぃっしゅ!」ってDAIGO氏のモノマネを思わずやってみました。カミサンの視線が冷たかったです。。。冬まっしぐらです。
2008年11月27日
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おそらく5年後、10年後の日本のIT業界は大きく変わっているだろう。21世紀に入り、インターネットが爆発的に普及したために、世界中の社会、経済構造が変わってしまった。スピード+品質が問われるようになった。IT業界も当然、スピード、品質、低コストが問われている。そうなると、日本人従業員だけでは上の用件は満たせなくなってしまう。ある程度、物量・工数で何とかなる作業--プログラミング、ネットワーク管理、サーバ管理、オペレータ、サポート業務など--は、海外で行うこととなるだろう。「オフショア業務」(海外発注)の加速化である。My job went to India[著者がインドにオフショア管理要員として勤務した例を元に、これからのオフショア業務について書いた本である。なかなか興味深い]おそらくBRICsや東南アジアなどで従業員を現地採用し、サーバも現地で運用する。当然、賃金などを含めた運用コストは欧米や日本に比べて断然に安い。例えば、タイの平均的な労働者賃金は6000バーツくらいと言われている。日本円にして2万円弱である。日本人労働者の賃金を仮に20万円と仮定したら、10分の1で労働力をまかなえる計算になる。同じ20万円ならば、一人のシステムエンジニア、プログラマよりも、10人の技術者を抱えた方が物量作戦としても良いと経営者は考えるだろう。各社員の技術に応じて、システムエンジニア、プログラマ、サポート、サーバ管理と振り分けていけばいいだけだ。そうなったら、日本のIT技術者は仕事にあぶれることになるだろう。ただでさえ、現代の3K(キツイ、帰れない、給料が安い)のIT業界なのに、仕事もないとなれば本当に救われない話だ。真面目にプログラムやシステムについて勉強しても、かなりのレベルまで行き着かないと海外の技術者に負けてしまう。日本人は賃金が高いのだから、より高度な技術を身につけないといけない。技術者の淘汰はもう既に始まっているのだ。さて、やっと本題。このような状況において、日本のIT技術者はどう生き残っていけばよいか。一例として、海外の技術者をまとめるプロジェクトマネージャとなること。これからはシステムの根幹な部分、機密重視な部分は日本で行い、他の設計、プログラムは海外発注することとなるだろう。その場合に必要なこと。・海外の従業員にも理解できるような仕様書、ドキュメントを書けること。・海外従業員のスケジュール管理、業務指示が出来ること。・トラブル対応に強いこと。(メールやIP電話だけで解決できること)・開発経験が在る程度あること(相手のトラブルを想像できないといけないので)。・IT全般の流れに詳しいことつまり、これからは「技術能力」+「語学力」+「コミュニケーション能力」が厳しく問われる時代になってきたのだ。10年以上前と違い、PCとネットさえあれば、Java,GCC,VC++,eclipseなどシステム開発環境はただで手に入る時代だ。つまり、誰でもプログラム開発が出来る時代になっているのだ。世界中の誰もがプログラマになれる。そんな時代。そんな状況下で、世界中のプログラマ、エンジニアと競争していかなければいけないのだ。これがグローバル社会というものなのだろう。自分も競争者の一人という覚悟でいる。
2008年11月21日
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SoftbankのY!ケータイ・トップページが有料化するそうだ。[GIGAZINE]ttp://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081118_my_softbank/横山のやっさんではないが、おこるでしかし!! (#- -)au,docomoは無料、っていうか、携帯キャリアのトップページなんだから無料は当たり前じゃん、って思うのはわたしだけ・・・??
2008年11月20日
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昨日は英会話のために街に出ていたのですが、昼間っから寒いですね。コートを持っていって正解でした。ですが、途中の電車の中や、建物の中では暖房が効いているので、暑かったり、寒かったりして体温調節がおかしくなって体を壊しそうです。風邪に気をつけましょう。手洗い、うがいもね。昨日、今日など北海道、東北、北陸地方は雪が降るそうですね。いよいよ、冬将軍到来ですね。うつの人は朝起きるのが辛いと思いますが、(まぁ、そうでなくても辛いですが。。。)暖かくしてぼちぼちやりましょう。------------------------------------------------------ちょっとだけスマートフォンの話。自分はWILLCOMのアドエスを持っています。外出したときのメールチェックやWebチェックなどとても重宝しています。ただ、Webブラウザは少し不満なところがありました。Google関係などAjaxを使っているページが対応していない、あるいは表示が遅いなどなど。なので、年末年始にα版リリース予定のMozillaブラウザ「Fennec」には期待しています。[Mozilla Japan、Firefoxのモバイル版「Fennec」を解説: ケータイWatch]http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/42803.html何せいつもPC上で使っているFireFoxのサブセット(おそらく)版ですから。今はNOKIA N800/810 にしか対応しておらず、WindowsMobile対応はもうすぐです。PC並とは言わないにしても、ストレス無くページを見ることが出来たら、本当にノートPCが要らなくなるかも知れない。そんな期待を胸に、Fennecを今年のX'mas プレゼントとして待ちわびています(何しろフリーですしね)
2008年11月20日
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某自動車会社に絡めたノウハウ本、地元が元気という書籍や雑誌がすっかり消えたなぁ・・・駅前のビジネス街にある大型書店での自分の感想。これまでは入口にどかんと置いてあったこれらの本や雑誌。今ではビジネス棚の片隅に移動していて、目立たなくなっていた。米のサブプライム・ローン問題から約1年。リーマン・ショックから3ヶ月程度。景気減速もものすごく早すぎて、ここまでくると笑うしかない。バブル崩壊以上のスピードだろう。この数年間は、本当に「いざなぎ景気」を超えるほどの好景気だったのだろうか?うつ病で寝ていた自分にはそんな感覚は感じられない。もっとも、ここまで生きてこられたことが景気のおかげかも知れないが。大手企業のグローバル展開が今、ここでデメリットとして現れている。ここから内需生産を重視と言っても、設備投資がかかる。企業は次の一手が本当に大事なのだと思う。これからの不景気のときほど個人のチカラを蓄えるときと思う。問題点を考え、必要なチカラを付け、不況を脱した時に動けるように。自分の場合はずっと地下に潜っていたから、そろそろ地上に出ないと景気が良くなる前に腐りきってしまうだろうが(苦笑)
2008年11月18日
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最近、自分がにおいに関して鈍感になってきたのかなと思ったりする。夏の夕立が降り出す直前の、コンクリートの土臭さ。ほこりっぽいにおい。自分が「雨のにおいがする」と言うと、家内は「土埃のにおいだよ」言って笑う。そして、夕暮れ時、きんもくせいのにおいがすると何だかこころが切なくなる。何だか悲しい気持ちになる。小学生の頃から持っている寂しさ、切なさ。今の日本は清潔になりすぎて、五感を失った錯覚に陥ったりする。街に行っても、スーパー、コンビニ行っても、何をしてもにおいが少ない。なんか寂しい。街には街のにおいがあると思っている。地元には地元のにおいがあったはず。学生の時、東京のにおいはとても軽やかだった。自分は重しが取れたように気分が晴れていた。それはにおいではなく、街の空気、雰囲気かも知れないが、自分はそれをにおいという言葉で結びつけてしまう。バンコクのカオサンの臭い、蒸し暑さの中、香辛料なのか、ヌクナム(魚醤)なのか、線香なのか、人の臭い、寝ている犬の臭いなのかどれとも判別が着かないカオサン街のにおい。家内の実家の畑のにおい。そこで見た日没のにおい。五感を刺激する、過去を思い出させるにおい。今の日本が持っている「過敏すぎる清潔感」に嫌悪する自分。日本にこれ以上においを感じなくなったらもうここには居られないかも知れない。もっと猥雑で荒々しく人間的なにおいのある場所を求めて、日本を出てしまうかも知れない。そんな気がする。
2008年11月16日
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以下はかなり独り言に近い文章です。すみません。------------------------------------------------------------------自分は話すことが上手では無いから、知人と話すと誤解を受けることが良くある。そして色々アドバイスをいただいたり、一緒に考えてくれたりする。それはとても有り難いことだ。自分のことを心配してくれること。感謝してもしきれない。ただ、そのアドバイスをどう捕らえるかは自分次第なのではないかと最近は思ったりする。とても傲慢に聞こえるかも知れないが。もちろん自分は無知で、客観的に見たらとんでもない野郎かも知れない。非常識だし、いわゆる「世間」から逸脱しているように見える。だけど、そんな中でも自分は自分の中で考え、悩み、決断し、行動したりしている。決してのんきに構えて生きているわけではない。確かに自分の今の現状は良くないけれど、その現状に甘えているつもりは毛頭ない。「今の状況を楽しむ」と言う言葉。それは他人にとっては単なる「空威張り」に聞こえるかも知れない。でも、職安に行って仕事を探したり、他の求職者の様子を見たり、英会話に通う生徒さんの姿を見たり、そういう人間観察も決して無駄ではないはず。優先順位は「仕事を得ること」だろうが、今の状況を悲観せずに生活を続けることも大切に思う。そうでなければ、自分は自分を悲観してしまい、とても生きていけないと思う。それを逃げととらえられても一向に構わない。死んでしまうよりも、ずっとましだ。ただ、何より怖いのが流されて生きること。他人の考えに影響され、決断をして苦しむこと。それは自分も不幸だし、周りの人にも迷惑、心配をかける。自分の人生なのだから、自分の考えからぶれずに、納得のいく選択をして生きていきたい。自分が後で後悔のないように生きたい。もちろん、応援、心配してくれる家族のことも考えながら。そんな考えをしている自分はまだ「甘ちゃん」なのだろうか。
2008年11月13日
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久しぶりにレンタルビデオ屋さんに行き、漫画を借りてきた。モリのアサガオ (1)拘置所員と死刑囚の魂のキャッチボールを通じて「死刑制度とは何か」を考える話。話はヘビーながらも、どこか淡々としたリズムで物語りは進んでいく。考えさせるものがあった。死刑制度の是非と言うのを簡単に語る事は出来ないと思った。もちろん考えるための要素はある。加害者。被害者。ヒューマリズム。善悪。制度そのもの。仇討ち。復讐の連鎖。改心した囚人も罰するのか。宗教観。文化。えん罪の問題。とても深い問題だし、考え出すと形而上学的もんだい、机上の考えに至ってしまう可能性もある。ただ、自分が思うのは、「置かれる立場によって考えは変わるのであり、一つの答えにはたどり着けないのだ」と言うこと。それだけしかない。この漫画は「死刑制度そのもの」の問題提起の取っかかりとしては良い本だと思う。
2008年11月10日
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調子が良いと、色々なことで頑張ってしまいます。それが自分の悪いくせ。ゲームでも英会話でもネットでも仕事でも。結局、疲れてへとへとになってしまい、最悪の場合翌日寝込むことに。だから最近思います。楽しみは翌日にもとっておこうと。人生ほどほどが大事ですね。
2008年11月06日
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珍しくカミサンが家に居ます。歯医者を予約したそうで。先週あたりから右の歯か歯茎が痛いと言っていて、そのまま我慢して仕事をしていました。でも、痛みは治まらず。結局、先の連休中に休日診療所で見てもらったら、親知らずが腫れていたみたいです。取りあえずその日は応急処置をしてもらい、今日、歯医者で治療してもらうそうです。自分は親知らずで困ったことはないけれど、夜など結構辛そうでした。早く良くなってほしいなぁ。。。
2008年11月05日
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人と直接会って、話をすることは脳の活性化につながります。うつうつとした時って、何もかもが面倒くさいですよね。ご飯を食べることも、トイレに行くことも、お風呂に入ることも、外出することも、ましてや人と会うだなんて。。。だから、そういうときってぼーっと何を考えることもなく、ひたすらテレビを見たり、ネットしているってことが良くありました。そういうときって脳みそが全然動いていないんですよね。脳みそが動かないから、また何をするにも面倒になってしまう。。。毎日がそんなスパイラルに陥ってしまう。もし、調子が良い日があったら、人と話をしてみるのはいかがでしょうか。出来れば直接会ってのがいいですが、電話でもいいと思います。話すということは、相手の言葉を聞く、内容を解釈する。それに併せて返事をする。その行為で頭を活性化させることが出来ます。自分の場合ですが、4年前から英会話に通い始めました。きっかけは長くなりますので省略しますが、その教室にはフリールームみたいなのがあり、いつでも出入り自由で1時間毎に講師が変わってフリートークが出来るんです。教科書も無いのでどんなテーマになるか判らない。趣味の話やみんなでゲームしたり、時には宗教や科学の話になったりと。日本語禁止の場所はとても緊張感がありました。でも、その経験がうつを改善させてくれたきっかけになりました。英語を聞き、頭の中で日本語を翻訳して、自分の言いたいことを考えて、英語で発言したり、返事したり。。。。自分の脳みそがフル回転していることが判りました。でも、そのおかげでうつが僅かながらも楽になった気がするのです。まぁ、読んでくださる皆さんに英語を勧めるという訳ではありませんが、人と話すということは色々な感覚を取り戻すことが出来るというわけで、こういうリハビリ方法もあると言う紹介です。そのときのカウンセラーさんも、「良い方法ですね。人と話すことは前頭葉を活性化出来るんですよ」と言ってくださいました。もし、体調の良い日があったら、ふと知り合いのことを思い出してみてはいかがでしょうか。
2008年11月03日
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バナナは機能性食品とちまたで言われています。ダイエットにも良いと最近は言われていますよね。脳の働きにもバナナは良い効果をもたらすそうです。バナナにはセロトニンという神経伝達物質の成分が多く含まれています。また、糖分もありますので、頭の働きも楽になります。なので、朝にバナナを食べることも一日のスタートには良いかも知れません。ただし、欠点が。。。ダイエット食品として有名になりすぎたので、スーパー行ってもいつも売り切れで買えないことでしょうか・・・(苦笑)
2008年11月02日
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うつ病で一番辛い時間帯は朝と言う人が多いと思います。自分もうつになって何年かは朝すぐに起きることが出来ず、また朝起きても、ご飯を食べてからまた寝てしまうことが多かったです。そういう時は朝にシャワーを浴びると良いです。カウンセラーさんから教えてもらいました。別に体を洗う必要はありません。椅子に座って、頭から熱いシャワーを浴びるだけでいいのです。5分くらい浴びます。ぼーっと浴び続けるのもいいと思います。頭、首すじや首の根っこ、肩などを重点的に浴びます。これだけで頭がすっきりして、体も軽くなります。血液の循環が良くなるのでしょう。リフレッシュ、気分転換にはとても良いと思います。少なくとも次の行動が早くなりますよ。朝、何となるだるい、めんどうくさいと感じている人にはおすすめです。
2008年11月01日
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このブログはうつを煩ってから長期間過ぎている方を対象に書いています。うつに罹ったばかりの方は本やネットの情報を参考になさったほうがいいと思います。--------------------------------------------------------------------うつ病になって7年目を過ぎました。はじめの頃は色々な本を読んだり、主治医の言うことを信じて、処方された薬をまじめに飲んできました。そしてテレビや本などで必ず言っている言葉を信じていました。「うつは必ず治る」と。そう信じているうちに7年が経ってしまいました。少なくとも自分にとって「うつ病」とは簡単に治る病ではなかったのです。何年目かにそれに気づいたときは絶望的になりました。このままではいけない・・・・本当に焦りました。それからは薬だけでなく色々な方法を試しました。カウンセリングもしましたし、脳や心理学の勉強もしました。飲んでいる薬について調べたりもしましたし、日頃の生活の仕方についても取り組みました。途中、気分的に、体調的に辛い期間もありましたが、今はかなり寛解(安定し穏やかな状態)に持って行くことが出来ています。厳密に言うと、自分の病気は「双極性?極障害」、つまり「そううつ病」です。通常言われているうつ病よりも寛解率は低いそうです。一生この病気とつきあう可能性が高いのです。だからこそ、どうやって仲良くするかを考えなければならないのです。辛い時が来ても、うまくやり過ごし、普通の生活を送れるようにするための方法・・・・それを自分なりに考えたり、色々な人のアドバイスを聞いて実行してきました。このブログはそのノウハウを忘れないようにするためのメモです。そしてそのメモ書きが、間接的にうつに悩んでいる人のヒントになればいいなと思っています。
2008年11月01日
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土曜日にホームセンターで花を買ってきました。派手な花はあまり好きではないので、小さく可愛らしい花にしました。前の日に家内が育てていた小さな花瓶をうっかり落として割ってしまいました。2週間くらい水やりをしていて、ようやく芽が出て葉っぱがつき始めたころに落としてしまい、とても悲しく、呆然としてしまいました。だから、自分の花を買おうと思いました。大切に育てたい。毎日、水やりをしながら花の調子を見てあげる。今はそんな生活も良いなと思っています。
2008年10月27日
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早いもので、退職してもう半年が経ちます。今、ハローワークに通いながら次の仕事を探しています。少しずつ不況の波が押し寄せている感じがします。本格的に秋になり、寒くなってきました。おまけに持病の方も顔を出し始めていて、動くのが辛く、横になり寝てしまうことも多々あったりします。何よりもこういう時期が一番辛いですね。うつ状態もかなり安定してきたと思っていたのですが、まだまだ乗り越えなければいけない壁があるようです。躁状態も以前ほど見られず、派手な買い物をしないように心がけています。まぁ、1000円、2000円くらいの買い物くらいは大丈夫でしょう。また、図書館を利用することが増えたのも良いことだと思います。あとは、本を読む機会が増えてきて、1日1冊くらいは何かしらの本を読んでます。その代わり、TVとPCの時間が減りました。ニュースを見ると、気持ちが落ち込むような話題がおおいので。。。最近、読んだ本では、西原理恵子、鴨志田穣の「アジアパー伝」シリーズ。鴨志田さん亡くなったんだなぁとしみじみとします。あの人の文章がとても好きでした。アジアパー伝コンピュータものでは、「ダンジョンゲームプログラミング」「パズルゲームアルゴリズムマニアックス」。ゲームのアルゴリズム解説本なのですが、VisualC++で解説しているので個人的にはとてもありがたいです。本当にいい世の中になりました。ゲームの中でも、「不思議のダンジョン 風来のシレン」などのRogue系ゲーム、倉庫番などのパズルゲームが大好きなので思わず購入しました。こういうアルゴリズムはググれば判るのでしょうが、一冊の書籍としてまとめられていることに価値があると思っています。ダンジョンゲームプログラミングパズルゲームアルゴリズムマニアックス体調を見ながら、ゆっくりと読みたいと思っています。
2008年10月03日
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突然ですが、しばらくブログを休止しようと思っています。理由としては、復職してから、PCに座る時間が圧倒的に取れないこと、それに伴って、せっかくコメント書いてくださった方に、誠意のある、責任のあるお返事を書けないということを感じはじめたからです。発信する内容があっても、時間がない。(人によっては、時間は作るものとおっしゃるかも知れませんが)私にとって、いい加減な対応になるだろう、今も既になっておりますが、善意を仇で返したくない。そう思っているのです。今現在、体も心も順調に行っています。その点については、御安心ください。このまま、何ごとも無く毎日をすごせたらと思います。また、不定期になると思いますが、たまに日常の報告をさせていただきます。そして、いただいたコメントや、私書箱のメッセージは出来る限り早めにお返事を差し上げようと思っています。これからも、長い目で見てやってください。勝手、我がままは承知の上で、この判断をしました。どうかお許しください。読んでくださった、応援してくださった、皆様に健康と御多幸をお祈りしています。また、ここにたまに戻ってきますので、よろしくお願いいたします。
2007年01月20日
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御無沙汰しております。ひさしぶりに楽天ブログにログインしたら、管理者ページのデザインが一新されていたのですね。びっくりしました。誰かのと間違えて入ったかと(笑)。それだけ、PCに疎い生活をしています。会社でPCを触っているだけに、あまり家では電源を付けなくなってしまいました。会社では、この御時世と言うのもあり、セキュリティ絡みが厳しく、普通の掲示板すら書き込みなどが出来ません。自分の日記すらアップできない状況にあります。まぁ、会社は仕事するところですから、当り前ですね。この2週間以上の出来事ですが。まぁ、ぼちぼちと、真面目にすごしていました。そういえば、今年に入ってからフルタイム出勤なのです(って1月3日の日記に書いているかも(汗))。1日お休みをしましたが、残りはきちんと出社しています。ようやく満員の電車にも慣れてきました。今は小さい作業の積み重ねですが、こつこつとやっています。自分はタバコ吸いなのですが、喫煙場所が外なので、いつも寒い思いをしたりしますが、仕方ないです。。。でも、そう云った日々も楽しいものです。もう先週の話しになりますが、TOEICをまたも受けて来ました。今回の受験場所はとある私立大学だったのですが、改築されたばかりのようで、結構施設が綺麗でした。うちの大学もこうなっているのかなぁなんて、少ししみじみしたりして。肝心のテストですが、11月末の時よりは、好感触でした。前回は時間配分ミスで、30問も解けず、適当にマークシートに記入していたため、それなりの結果になってしまいましたが、今回は未回答が10問と大幅にへりました。(途中マークミスがあり、戻った時間がなければ、あと5問くらいは解けたのに。)金曜日から試験直前まで読んでいた本のおかげか、リスニングセクションも結構楽でした。もっとも、ETSのことなので、ひっかけ問題にやられている可能性は十分にあるのですが。しかし、読んだ本はかなり良い本です。旧TOEIC本なのですが、今でも十分通用すると思います。キム デギュン著「TOEIC TEST「正解」が見える」講談社インターナショナル本当にお薦めです。2日くらい読んだだけでも、スコアアップすると思います。そういえば、今週はセンター試験ですね。共通一次試験の頃を思い出します(これで、おっさんなことが分かりますね)。昨年は英語のリスニング問題でトラブルが続出しましたね。今年はかなり対策を練っているようで、どこぞの県では、選挙演説の車を試験会場の近くに走らせないようにしたとかなんとか。。。そこまでするなら、TOEICの会社に委託したら楽なのに。。。って少子化なのに、そんなお金もありませんよね。受験生の皆さんは、がんばってくださいね。最近、合格グッズ、合格おかしなどありますから、気合いを入れて乗り切ってください。くれぐれも風邪など引かぬよう。って、自分も気を付けねばならぬのですが。。。とにかく、自分は元気に楽しくやっています。マイペースでこれからもやっていきますね。
2007年01月19日
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ダイアローグは、「対話」という意味です。自宅療養だった頃を思いだしてみたら、いつも一人で何かを考えていたなぁって気がします。それって、モノローグなんですよね。モノ=一人。ローグ=言葉。モノローグも、内省するとき、思索にふけるときは大事だけど、それだけでは世の中は成り立たないんですよね。ときには不健康だったり。あのときの自分はそうでした。モノローグではなく、他人と話すこと。ダイアローグを通じて、世間に出ることが出来たのかな?なんて思ったりします。今、人と会うことがとても楽しみです。---------------------------------------------------------------------さて、今年の年末年始ですが、夫婦でゆったりとすごしました。買い出しに行ったり、大晦日はTVを見たり。実家に顔を出して、外食したり、中古ゲーム屋でまったりと買いものしたり。。。まったりと、それでいて、ゆったりとした時間をすごしました。今日は家内が同僚の人と遊びに出かけていたので、中古ゲーム屋で買った、ファミコンソフトを遊びました。ファミコンソフトって言っても、プレステではなく、「本当のファミコン」です。しかも、ファミコンウォーズ!!(電池切れていないから、セーブも出来ます!)しかし、20年近く前のゲームを、今頃に遊んでいる俺って(T T)。でも、そんな古いゲームでも、面白いんですよね。味があるし、工夫があるし、何よりも難しい!!今のゲームってわりと取っつきやすさが勝負なので、導入は簡単にしてあるけど、ファミコンソフトって容量的にそんな余裕がないから、1面から真剣勝負!!歯ごたえ抜群です。家内が帰ってくるまで、遊んでました(苦笑)。そういえば、TOEICの勉強は??。。。。(苦笑)今年になってから、これから仕事で使う言語のJavaをおさらいしようと、入門本をちょっと読みました。以前、2回くらい読んだのですが、自分の脳味噌は、実践をしていないとすぐに忘れてしまうらしく、もう一度読むことにしました。PCに開発環境を入れ(J6SDK)、エディタを入れて、サンプルプログラムを作りました。エディタを触るのもひさしぶりです。使いかたを覚えているかな?と少し不安でしたが、手は勝手に動いてくれたので、安心しました。C-F,C-B,C-N,C-P,C-I,C-K,C-D,C-E,Meta-x-2,Meta-x-shell。。。こう書くだけだと、呪文のようですが、Unixユーザなら分かる、Emacsエディタコマンドです。私は会社勤めしてから、ずっとEmacs/Mule/Meadowエディタ派なのです。もちろんviエディタもある程度は使えます(顧客サーバなどにはEmacsは普通入っていないので)。ですが、自分の道具はずっとEmacsでした。Windowsになっても、Mule,MeadowとEmacs系エディタを使い続けていました。なので、Meadowエディタでプログラムを支障無く書けて、エディタ画面内でJavaコンパイル出来たときは、本当に嬉しかったです。それだけでも、「まだ俺は、エディタでプログラムを書く分には鈍ってないぞ」って。普通のプログラマからしたら、当り前のことですが、職場から何年も離れた人間からしたら、へんてこな話しですが、普段使っていた道具が操れるだけでも、嬉しく思うことなのです。それだけでも、「やる気」が出ます。明日から、出勤です。これまで、仕事始めは面倒くさいと感じていましたが、今年は仕事をするのが、会社に行くのが、とても楽しみなのです。不思議ですよね。まぁ、あせらず、ぼちぼちとやりますね。
2007年01月03日
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風邪をこじらせて、肺炎を患っていました。最近は、肺炎でも入院は出来ないんですね。朝夕と病院に通って、それぞれ点滴を3本打ち、毎日、抗生物質の薬を飲み、治まってくるのに、都合1週間以上かかってしまいました。今は咳も、痰も出なくなり、熱も39度以上あったのが平熱に戻ったので、だいぶん楽になったのですが、ひさしぶりにしんどい思いをしました。最近、新聞で知ったのですが、RSウィルスなるものが流行っているらしく、そのウィルスは風邪同様、鼻水などが出て、数日の潜伏期間後、肺炎や、気管支炎などを発する場合があるそうです。内科医が今回は細菌性の肺炎ですねと後からおっしゃっていたので、どうもこのパターンに嵌まったようです。こういうところで流行に乗らなくてもいいのに。。。と苦笑せざるを得ません。なによりも、風邪と併せて6日も有休を使ってしまったのが痛いです。持病の鬱で休んだのは、半日だったのに。。。それも朝、起きるのが辛くて10時30分に起きたことが1回。後は大体大丈夫だっただけに、おしいことをしました。--------------------------------------------------------------------------今年を振り返ろうと思ったら、6月以前のことが思い出せません。自分はいったい何をしていたのか、世の中がどうなっていたかも思い出せないくらい、どんよりとしていたのかも知れません。オリンピックだって、ワールドカップだってあったはずなのに。。。それほど、今回の復職の方が思い入れが強かったのかも知れません。だからといって、「努力した」「がんばった」っていう気分も無く、気がついたら、今のところに居た、たどり着いたという感覚なのです。もしかしたら、これこそが、日々の積み重ねによる結果なのかも知れません。でも、もちろん復職という目標があったのですが、総体的な方策を出したわけでなく、毎日をとにかく生きていた。それが重なったという感覚しかないのです。もちろん、色々な方に御世話になりながら、御面倒をかけながら、ここまでたどり着くことが出来たのは言うまでもなく。そして、みなさんに感謝の気持ちを表す必要があると思います。この場をかりて、本当にありがとうございました。会社の支店長からの勧めが無かったら、カウンセラーと出会うことも無かったでしょうし、自分がはっきりと「復職」に対して、目標を据えることが出来ず、ただ毎日を送っていたかも知れません。そして、英会話教室のみなさん。色々御迷惑なこともしました。失礼なこともありました。でも、みなさんのおかげで、私の頭をフル回転させることができ、結果、頭の中が段々と鍛えられて、今、こうして会社で頭を働かせることが出来るのだと思っています。今は仕事が優先だと思っていますので、なかなか教室に顔を出すことが出来ませんが、自分のペースが出来て来たら、また御挨拶に伺えたらと思っています。よろしくお願いします。ありがとうございました。そして、会社のみなさん。復職後も御迷惑ばかりおかけしまして、すみません。本当に転職してきたばかりの感覚で、とまどってばかりいました。まだ会社のルールに慣れていませんが、これから慣れるにしたがって、効率がアップすると思います。ぼちぼちと、でも、しっかりとした歩みで仕事をしたいと思っています。よろしくお願いします。そして、ブログを御覧になってくださっている皆さん。本当にありがとうございます。皆さんに支えられて生きているんだなぁって思います。人って本当に一人では生きていくことは出来ませんよね。本当に実感しています。みなさんの励ましでここまで生きてこれたのだと思います。これからもまだまだ迷惑をかけるかも知れませんが、よろしくお願いいたします。仕事が終わると、PCを立ち上げる気力が無かったりして、皆さんのブログや、自分のブログも、書くことが出来なかったりします。時には1週間以上、間隔が空くかも知れません。今回みたいに2週間以上かかるかも知れません。それでも、少しずつブログを書いて行こうと思います。これからも、よろしくお願いします。皆さんにとって、来年が素晴しい年でありますように、お祈りしています。
2006年12月31日
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週の半ばに風邪を引き、水、木と2日間、会社を休んでしまいました。せっかく、持病の方が落ち着いているのになぁ。。。なんだか勿体ないというか、残念な気分ですが、体が一番ですからしかたないですよね。今年は風邪を引くまいと思い、会社にうがい薬を持込み、社内でうがい、手洗いをして、帰宅したすぐに、うがい、手洗いをしても、それでも風邪を引くときは引きますね。。。もっとも、電車に乗ると、乗る人から「ゴホン、ゴホン」と、サラウンドに攻撃されてしまい、そればかりは避けられないから、風邪が移ってしまったのでしょうね。早めにマスクを付けていれば良かったなと反省しきりです。-----------------------------------------------------------------------昨日は家内といっしょにセントレア(中部国際空港)に行ってきました。職場の友人は(テディ)ベア作りが趣味でして、その展示即売会をセントレアでするから、よかったら見に来てくださいとお誘いをいただいていたので、半年振りに特急電車に乗って行ってきました。手作りベアがいっぱい展示してあり、とてもかわいらしく、そして華やかでした。とても微笑ましい光景でした。友人にも会い、少しだけ話をしました。彼が作ったベアさんは、とても丁寧な作りで、そしてとても温かみのある、やさしげでした。やはり人柄が表れるんでしょうね。クリスマス頃までやっているそうなので、興味があるかたは御覧になってはいかがでしょうか。友人は一人で店番だったので、少ししか話せず、他のブースを見て回っていました。アメリカのベア作家の方のブースでベアのことや、その他、雑談などを話していましたが、聞き取ることが出来ても(ゆっくり目に話していただいているし)、話すことが下手になっているなぁって思いました。やはり、1ヶ月以上もじっくりレッスンをしていないと、口や頭が回らないんですね。(1ヶ月半で通常レッスン4回分くらいしか受けていないはず。。。)でも、無理は禁物。仕事のリズムに慣れて来たら、また英会話も始めようと思っています。そのアメリカの作家さんに伺ったら、やはり、楽しいときにベアを作ると、ベアの口が笑っているそうです。心が表れるんですね。家内は本格的なベアは作ったことないですが、ちょっとしたぬいぐるみは作ってたので、展示会を興味深く見ていました。作家さんと話しているときは避難していたようですが。。。何はともあれ、とてもアットホームと言いますか、のんびりとした一日でした。昨日の午前中は通院日でしたが、それほど精神面も体調面も問題が無かったので、年末年始休みをはさんで、次は1月中旬に通うことになりました。このまま続けば、さほど問題にはならないでしょうって思いたいです。まずは良いお正月を迎えることが出来ればと思っています。
2006年12月17日
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病気になる前も、そして病気で休職してからもあまりイメージをしていなかったのだが、土日の大切さがとても分かるようになってきました。月曜から金曜までの疲れを癒すための週末。いかにリフレッシュして、仕事を始められるかというのが大事な2日間なんだなって感じています。病気になる前は、まだ体力があったから、えいやぁで、力任せで何とかなったのでしょうが、いまではそうも言っていられません。いかにして疲れを癒すか。それも、大人として、職業人としての在り方、すごしかたなんだろうと思っています。スポーツ選手だって、休みでも、ちゃんと調整して、本番にのぞみますからね。まぁ、それはともかく、昨日はひさしぶりに3時間くらい昼寝をしていました。気がついたら寝ていたという感じです。やっぱさすがに5日間職場に行くと疲れるんでしょうね。だからと言って、逃げるわけでもなく、次の1週間も乗り越えようと思ってます。って意気ごみでもなく、今は会社に行くことはとても楽しいんですよね。「自分が居るべきところに居る」と云う心地よさを感じています。以前はそんなことが当り前のように、空気のようになっていたんでしょうけど、今ではその空間、時間もとても有り難く、貴重に感じています。今のこの限られた1日、時間、空間を大事に生きたい。そう思いながら、日々を送っています。
2006年12月10日
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まずは、1週間勤務しました。木曜午後、金曜午後あたりからバテてきましたが、乗り越えることが出来ました。復職時にあたって、自分はまずは1週間勤務して自分の気力、体力がどれくらいあるかを知っておかないとと思っていましたが、どうやら、ペース配分さえ考えたら、1週間の中でどうにかやりくりできそうです。何よりも、今は会社に居ることが楽しいです。人と話をして、何かに取り組む。それに自分の力を注ぎ込むことの楽しさを味わっています。これからは、あまりブログを書く時間も少なくなってきますが、皆様、ご心配なさらぬよう、これからもよろしくお願いします。今、気をつけているのは、健康のこと。これなくしては、何にもならない。風邪を引かぬように帰宅したら手洗い、うがいをしています。うつ意外で、休むことの無いようにしたいと思ってます。来週も、ぼちぼちと一歩ずつ歩いていきたいと思っています。
2006年12月09日
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もうちょっとしたら、病院に行かねばならないので、手短に書きます。昨日、復職しました。少し緊張するかな?と思っていましたが、思ったより、リラックスして会社の皆さんに会い、仕事をして、帰ってきました。配慮してくださった部署は、わりと居心地が良く、本当に人事面で配慮してくださった支店長を始め、会社のいろいろな皆さんに感謝したいと思っています。先輩や仲間たちも、過度に心配してくれるということもなく、ある一定の距離感を保ちながら、つき合ってくださる。(もちろん、皆さんなりの私への接し方をされていて、感謝しています)なんだか、これまでもいっしょに仕事をしてきたのでは?という錯覚を覚えるほどに気らくに作業が出来ました。昨日はもっぱらPCにOS、ソフトウェアの導入作業でした。ちょっと最初に躓いたので、また月曜に設定が必要なのですが、(ひさしぶりにOS無しの状態からPC導入だったこともあり)それはそれで、自分の手際が悪い、もっと気を配りながら、丁寧に仕事しなきゃという、勉強をさせていただきましたが、(本来ビジネスマンとしては当り前の考えなのですが。)それはそれとして、楽しい作業でした。でも、ちゃんと休憩も取りました。1時間半くらいに1回、中庭??に出てタバコをすうのですが、その後に、軽いストレッチをしていました。デスクワークですから、体を柔軟にしていないと、すぐに疲れが溜ってしまいますよね。出来るだけ、自分のコントロールに勤めたいと思います。健康であってこそ、仕事や生活が出来るんですよね。仕事を夕方早めに切替え、帰宅して、家内とごはんを食べました。どちらも、内緒でささやかながら、プレゼントを用意していました。家内からは、「ファミコンのコントローラ」の形をした、アラーム付き時計。しかも連射測定機つき!まったく、自分が笑うようなアイテムでした。そして、自分からは、携帯ストラップですが、小さな万華鏡と、クローバーの飾りがついているものです。家内は万華鏡も4つばのクローバーも大好きアイテムなので、本当に喜んでいました。そして、いろいろなことをしみじみと語りあいながら、私は眠くなったので、そのまま寝てしまいました。復職初日はこうして穏やかに過ぎていきました。今日みたいな、ささやかな幸せが日々過ぎていけばいいな。なんて思っています。
2006年12月02日
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お昼前に、支店長からのメールが届き、明日付で復職が確定しました。ほっとしました。そして、皆様に感謝します。ありがとうございました。これからも、前に進んでいきます。無理はせず、ぼちぼちといきます。見守ってください。そして、いつも見に来てくださっている、同じ病気の皆さん、まだ自分は完全に病気は治っていませんので、これからも、励ましあいながら、一日でも早く快復するように、お互いに一歩ずつ前に進んでいきましょう。自分は鬱になったことが、「必然だった」、必要だったのかも知れないと思うようになりました。病気発症までの自分と、復職休職を繰り返していた自分、そして今の自分は違うと思っています。うつがあったから、自分を見つめなおすことが出来、「気づくために」、色々な方々に会い、いろいろな経験をし、喜怒哀楽を感じ、人様に迷惑をかけながら、生きるんだということを知り、考えかたが変わっていったような気がします。書き出すと長くなりますし、明日からが本当のスタートですから、このへんで止めておきます。明日まで、ゆっくりしたいと思っています。家内といっしょに話をして、これまでのこと、そしてこれからのことを語り合いたいと思います。戦友ですからね。本当にありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。
2006年11月30日
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午前中で人事の方と支店長との面談が終わりました。おそらく、特に問題がなければ、来月1日付けで復職できると思います。約1時間の面談ですが、いろいろと話しました。それで思ったことですが、自分は「話が長く」、「要点が分かりずらい」んだなぁと痛感し、反省しました。まずは、質問にたいしては「はい」か「いいえ」の結論を先に言って、それから説明をすべきなんですよね。そう云った、ビジネスとしての基本中の基本が出来ていないんだと分かりました。当り前のことを当り前にこなす。それが大事ですよね。お昼前に面談は終わり、これから御世話になる先輩の居る開発チームに行き、挨拶してきました。昔から知っている仲間も居る環境で仕事が出来る、そう配慮してくださっている会社と会社の方々に感謝です。仲間たちと少しだけ雑談し、それから先輩と軽く話をしました。具体的な仕事内容はこれからですが、プログラミングから始めることになります。その方がきっと自分も良いと思いました。プログラムを作ることで、頭を少しでも回転させておいたほうが、自分の改善、リハビリにもなると思いましたので。それに、いろいろと技術を学びたいですし。しばらくは、1からプログラムの勉強をしなおしかも知れませんが、新人社員になった気持ちで取り組もうと思います。もちろん、「気張らずに」やるつもりです。そのあと、昼ごはんを食べて英会話教室に行きました。今日は通常レッスンを2レッスン受けたのですが、前回受講したときよりも、頭が冴えていて、楽に授業を受けることが出来ました。そのあと、カウンセリングと称する営業をスタッフさんから受けました。どうも、レッスンポイントの「買い増し」のセールスでした。スタッフさんが説明するには、今あるレッスンポイントは少ししかない。自分の場合は以前に150ポイント使わずに残っている。が、そのポイントは別の生徒番号扱いになっているので、「再入会」しなければいけないそうです。それが3万円。なんでレッスンを継続するのに、また入会金を払わなければいかんわけ?って内心思いながらスタッフさんの話を聴いていました。それで、今、キャンペーン中で、150ポイントに、+60ポイント買い足すことで、入会金はただになりますとのこと。それが、合計12万7千なんぼです。(はぁ? 12万円も出せるか、ぼけぇ。。。。)と思いながら、スタッフさんが悪いのでは無いのだと知りつつも、「ははは、よく出来たシステムですねー」などと軽く嫌味というかジャブを打ってみる。そんなん、3万だすか12万出すかって行きなり言われてもさ。「それで、買い足せば、3年の有効期限は延びるんですか?」と聴いたら、それは変わらないです。とスタッフさんは言う。(変わらんかったら意味ないやんってツッコミが出そうになるのを抑えていた)そして考えた(我思う、ゆえに我あり。コギト.エルゴ.スム)俺、今、金持ってないしな。。。12万あったら、下手な海外でもいけるやん。家内といっしょに。贅沢にごはんも食えるやん。ってなことを考えてしまった。まぁ、だいたいが、ここに入った理由は「リハビリ」であり、英語の勉強は2次的なものだったから、別に次の150ポイントを使い果たしたら、それで教室も終わりにしようと思っていたので、60ポイント増えてもまったく惜しくも何ともなかった。「まぁ、家内と相談しますから、今日は考えさせてください」などと適当なことを言って、その場を去った。しかし、おそるべし、英会話教室!!などと再確認してしまったのでした。新規顧客だけでなく、既存の生徒からも、入会金をむしるかよ、おい!それだけ、英会話教室業界も飽和状態になってきたのかなぁ。などと要らぬお節介なことを考えつつ、電車に乗って帰ったのであった。明日はゆっくりします。要らない本でも売りにいくかな?タバコ銭くらいにはなるだろう。
2006年11月29日
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昨日の夕方あたりから、自分の部屋の片付けに取り掛かった。実はいまもやっている最中だったりして。一ヶ月くらい前から、家内から「部屋を片付けないと、勝手に捨てるわよ」とおどされていて、最近、復職よりも「片付けのカウントダウン」の方が恐くなり、掃除に取り組んでいる状態です。やってみると、まぁ、出るわ出るわ。紙ごみと、ビニールごみ(梱包材のプチプチとか)が町内のごみ袋に5枚くらい入っていて、我ながら壮観だったりする(苦笑)。俺って、こんなに物を買っていたんだなぁって改めて認識するはめに。うつ病ってのは、泥沼化すると、薬を飲みすぎたり、リストカットしたりするんでしょうが、自分の場合は買いもの依存でした。インターネットを使って、国内、国外のネットオークションやら、楽天、アマゾンなどから買いまくってました。時おり、家内に打ち明けたりして、その度に反省をしていたのですが、それでも買いものは止まず、いまにいたっています。軽い躁らしいのですが、どこまでが躁なのかもよく分かりません。とにかく、これまで病気で溜っていた膿み、毒を出している状態です。部屋がきれいになれば、心の方も落ち着いてくるのでは。。。と期待しつつも、すっきりした心持ちで、復職に向かっていきたいと思います。------------------------------------------------------------------------掃除をしている途中で、1年半前のブログの印刷物が出てきました。なぜ印刷を?って思ったら、どうやら、その後に「うつの自助会」に参加することが書いてあったので、そのための資料のようです。3日間くらいの日記が書いてあったので、読んでみたら、驚いてしまいました。あまりにも、前向きでなく、「淀んだ生活」を送っていたのです。ほとんど家に居て、TVを見たり、寝たり、本を読み、たまに郵便局やら近所のコンビニあたりに出かけるだけ。週に2回、英会話教室に行くくらいで何もしていない自分に、いまの自分は呆れ果ててしまいました。こんなに何にもしていなかったのか?明日の予定、3ヶ月の計画、半年、1年の計画も持たず、ただ、その日だけを書いている。ブログの文体から、「半ば社会復帰をあきらめている」自分が見えかくれするのです。よく家内は耐えてくれたなと、いまでは思います。こんなになっていたのだと思うと、いまでは寒々しい気分です。自分中心でしか、物ごとが見えない。回りの状況も見えていない。その日が過ぎたら日記を書く。復職の思いもなく、将来の不安や、切羽詰まった状況も文体からは感じとれない。会社に甘え、社会に甘え、家内に甘え、家族に甘え、そして自分にも甘えていたのです。そんな俺だったのです。1年半前は。そしてきっと半年前も、それに近かったのではないかと思います。カウンセラーさんから「最初、会ったときに、ぼんやりとした、輪郭がはっきりしない(雰囲気の)方だな、半年くらいで復職ってのはのんびりしているな。」っておっしゃってました。きっと、未来が見えず、かと言え、現状を何とかしようと言う覇気もない、そんな自分が見えていたのだと思います。少なくともいまは違う。たしかにまだ、多少体調が悪いときはあるけれども、自分なりの調整が出来、何日も寝込むこともなく、外出する日も多く、身支度も結構できるようになった。買いものはするけれど、その他の部分ではだいぶん良くなったのだと、自分を客観視できるようになった。半年間、自分の体調、行動管理表をつけ、英会話に週に4~5日行き、名古屋の図書館、となりの市の図書館に行ったり、自分なりの工夫をした。その結果、主治医から復職OKの返事をもらえた。いや、勝ち取ったのだ。これだけは自信を持っていいのだろうと思う。これまでの復職の形とは違う。今回は自分をとことんまで見つめ直した。いいところも、悪いところも、逃げずに見つめ直した。俺はそんなに善人ではないことを再確認した。(悪友も家内も当然、思っていると思うけど)それをふくめて自分は自分でしかないと言うことを知り、だから、自分の生きかたを考えることが出来たのだろう。本当に貴重な体験をした。人生は、いいことずくめではない。毎日、好きなものばかり食べていることは出来ない。嫌なことも、苦手なことも含めて、どう処していくかこれが大切なのだと思う。もちろん、すべてを我慢しろというわけではなく(それをしたら、きっとまた病気がぶり返す)どう避けるか、どう処するかの行動、考えかたが大事なのだろう。それがこれから生きていくための、課題なのだと思っている。今日、見付けたブログの紙は、しばらく置いておくことにします。何かあったときに、自分を見つめ直すために、見ることが出来るように。いまの自分はどうなっているのか?それを客観視できる「ものさし」として。大事に持っておこうと思います。
2006年11月28日
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昨日、TOEICが終わったと思ったら、次の試験の申込まで2週間を切っているので、早速、申込をした。最近は、コンビニでも申込や入金ができるので、便利な半面、情報洩れなどがいささか恐い気がする。次の試験は来年1月の中旬。日程としては、もしかしたら、大学センター試験と重なるのだろうか。それならば、ちょっちいくのが面倒だが、しかたないよね。今度はリスニングを重視して勉強してみよう。それなら、電車の中でも聴きながらの勉強もできるしね。申込を終えたあと、シャディに行き、御歳暮の注文?をした。もう、そんな季節なんだなぁってしみじみ。昨日、かみさんが携帯で撮った写真を見せてくれたが、ちょうど1年前は雪の中、イタリア村に行き、昼食と音楽を聴いていたことを思い出した。あの頃は、まだぼんやりと生きていたなぁと今になって思う。初夏の頃くらいから、自分自身に変化が見られたので、本当に半年で、ずいぶんと変わったなぁとしみじみと思う。家内の辛抱強さにありがたさを感じている今日このごろだ。
2006年11月27日
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2年ぶりにTOEIC公開テストを受けてきました。目的は、復職にあたって集中力と気力があるかを試したかったのと、英会話を続けて、少しは英語力がアップしたかな?という確認のためでした。結果、とにかく120分間、今出せる力は出してきました。集中力をちゃんと2時間持続させることが出来ました。とても真剣に試験に取り組めたことが収穫です。これならば、実際の仕事も、少しリラックスして取り組めば何とかなるのかな?って思っています。当然、タバコを吸ったり休憩も取れますからね。試験自体ですが、自分の感触としては「まぁまぁかな?」って感じです。試験内容が変更されてからは初めての受験でしたので少し構えていました。当然、設問内容が変わったのは知っていたのですが、何となく、「ひっかけ問題」が増えたような気もします。まずは、懲りずにスコアに納得がいくまで受験していきたいと思っています。ただ、びっくりしたのが、受験者の確認が厳しくなっていたことです。受験票の写真の貼り方だけでもルールがあるみたいで、いい加減な自分は早速受験票の作り直しをする羽目に・・・(泣)それに、リスニングセクションに受験者だけでなく、主催者側もナーバスになっていることでした。周囲の騒音に対してすごく気を使っていました。今回の環境でクレームが付くのなら、今年の大学入試センター試験のリスニング問題ってのは相当だったのだなぁ。と改めて思いました。いずれにせよ、自分は自分なりの目標を達成できましたので良しとします。今回のテストは最後の読解問題を優先して解答しましたので、逆にリーディングの穴埋め問題に手が回りませんでしたが、これもテストの回数をこなし、読解問題の英文を読むスピードを上げていけばちょっとずつクリア出来るだろうと思っています。今日のテストを上手く乗り越えたことで、水曜日の人事部の面談、そして金曜日からの復職へと繋がるようにしたいです。そのためには、体調を崩さないように焦らずに過ごせたらと思っています。あと、昨日、新OSからのWebアクセスの話をしましたが、今はその問題は解決しました。別のブラウザを使うことで、httpsなどのセキュリティが必要なページもアクセスできるようになりました。ですが、新規に日記を書くことが出来ず・・・まだまだ試行錯誤が必要ですね。今日は試験で疲れました。ゆっくり休みたいと思っています。それでは。
2006年11月26日
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青年さん、hermitさん、コメントありがとうございます。今すぐにお返事は書けません。別のPCを使わないといけないので。。。今日出かける用事があり、その後にお返事を書きます。心遣い、本当にありがとうございました。さて、午前中まで自分の頭の中はパニックになっていた。こんがらがった頭と、1週間後のこと、そして気晴らしにやっているパソコンのカスタマイズ・・・うまく行かないことの山積みで、イライラしていた。目の前がかすんで見えた。どうしたらよいのか分からなかった。家内は心配して自分を見る。気を使ってくれているのが分かる。煮詰まっている自分に家内「電車で知多の美術館でも行こうか?」俺「金が無い。」家内「車で○○神社でも行く??」俺「今、車乗って事故でもしたらどうするんだ!」って最後はほとんど怒鳴ったような口調になってしまっていた。内心、しまったと思った。つい、イライラが口に出てしまった。家内にまったく罪はない。俺の弱さが原因だ。確かにこうしてパソコンの前に居るだけだと気がめいるだけだ。どうしようかと思案し、思いついて家内に言った。「今から覚王山でも行こうか」俺はこれまで覚王山に行ったことは無かった。厳密には大昔に社長にスナックに連れて行ってもらったことと、トヨタの仕事をするために、上司の車で通っただけだ。家内は同僚の人と言った事があるので、教えてもらおうと思っていた。早速、身支度を済ませて、一緒に覚王山に行った。覚王山は日泰寺を中心としたちょっと閑静な住宅街が多い。でも、雑貨やなどが多く若者に人気の街だ。家内は雑貨が大好き。俺も昔は少し凝ったが、最近は何でも良くなった。最初にお昼ご飯をすませる。有名らしいカレー屋でチキンカレーを食べる。カレーはまずまず。コーヒーが美味かった。それから、よくテレビに出てくる「覚王山アパート」に行った。古ぼけたアパートに雑貨やアート小物が置いてある店。家内は昔から万華鏡が好きで、そのアパートには色々な万華鏡がおいてある。いつも楽しそうに見ている。後は、どちらかと言うと若い人の雑貨が多く、自分はちょっとついていけないセンスであったが、そこの階段の勾配の高さは、東京に下宿していたときのアパートに似ていた。それから、日泰寺に入る。とても広い寺だ。とても気持ちが良い。ゲイラカイトが出来るくらい(苦笑)広い。まずは、手を洗い、口をゆすぎ、寺に入る。お賽銭をしてから、有名らしい、「ガチャポンのおみくじ」を家内は買った。吉だった。待つべしとのことだった。待てばかいろの日和あり。ってことかな。それから、線香を買い、火をつけ、お祭りした。家内は線香の煙を体や頭に浴びると体が良くなるってことを知らなかった。俺はガキのころからやってたよ。って言うと、そうなんだ。ってうなづく。それから、地下鉄の駅まで下り坂を降りていく。途中、家内は雑貨やで寄り道。でも、とぼとぼと駅に着く。それからいったん名古屋に戻り、電気屋へ。会員になっている電気屋なので、いつもチラシや粗品をくれる。早速、今回も貰ってきた。今回は、携帯ナンプレ。脳トレブームだからなぁ。少しPC関連のS/Wなどを見て周り、電気フロアの方に行く。暖房機が欲しかったので、買うつもりだったのだ。ワット数が選べる、スチーム機能、1時間の消費電力、値段を総合して、3000円代のを買った。これで冬はしのげるだろう。電車に乗って家に帰る。電車の中で、携帯電話の将棋を遊んでたら、乗り物酔いしてしまう。。。相変わらず阿呆だ。酔いさましに、PCを触っていたら、午前中に行き詰っていた問題が少し解決した。WindowsXPの上にフリーで出回っているx86エミュレータ、VMPlayerを使って、他のOSを複数入れてみようと思っていたのだ。だが、ひとつはすんなり入り、ネットにもつなげるのだが、もうひとつのOSはネットに繋がらない。ググってみてノウハウを探してみるが上手くいかなくて、行き詰っていた。問題はXPから取り込んだOSアップデートデータをどう、VMPlayerに引き渡すかが問題だった。VMPlayer上のOSがネットにつなげることが出来たら、そのままアップデートできるのだが、繋がらないので、XP経由を考えたのだが、USBは使えない。共有フォルダも出来無そう。。。フロッピーは容量不足。そうなるとCDにわざわざ焼くか?13MBほどのデータを・・・って思ったら名案が浮かんだ。XPでダウンロードしたファイルをisoイメージファイルで作成して、それをVMPlayerで仮想ドライブから読み込めばいいんだ!フリーでisoファイルを作るツールを使い、仮想ドライブのDeamonToolsで読み込み。何とかVMPlayer上からアップデータファイルの読み込みに成功。とりあえず、コピーしておいて、他のアップデータファイルも同様にisoファイルで取り込む。これでOSのアップデートはOK.アップデート処理も無難に終わり、VMPlayer上のネットワークカードの認識も出来るようになった。ここで晩御飯になり、いったん休憩とする。何とか一息つき、何だか気が楽になった。憑き物が落ちたような感じだ。きっとこの行き詰まり、イライラを解消してくれたのは、家内の気配りのおかげだと思っている。本当にありがたいことだ。俺は、きっと、そのまま、何も解決できないで、悶々としたまま、頭の中がこんがらがって、何も出来ない、前に進めない状態になっていただろう。気晴らしを一緒にしてくれた家内に感謝してもし尽くせない。食後、続きをやる。ネットワークに接続できたのだが、ネットにつなげない。色々設定を変えてみても同じ。別に入れておいたOSはすんなりとネットにつなげるのに・・・と思って、ちゃんとネットに繋ぎに行っているかの確認に、FTP機能を使って、匿名FTPサーバに繋ぎに行く実験をした。○○大学のサーバは匿名で入れるとのことなので、やってみる。すると、ちゃんとサーバのデータを見ることが出来る。これで繋がっていることが確認できた。後はブラウザの問題。ブラウザの設定を見てみると、プロキシの設定、HTTPの設定のところに設定がしてある。これをはずしたら、Webページが表示できた。やっとまともに動かせる環境になってきたかな?まだ基本中の基本だけど。カスタマイズはこれからなのである。何しろ重要なWebページ(httpsなど)にアクセスできていないので。でも今日は充分前進できた。これで満足である。自分にとって、パソコンのメンテナンスやいじることはパズルに近い。論理だてたり、調べながら設定、調整することが純粋に楽しいし、行き詰ると色々悩む。それでもやはり楽しい。でも、息抜きは大事だね。本当に。今日はお寺に行ったのが良かったのかも知れない。それほど寒くなかったし、いいかも。明日も外出。体だけは気をつけねば。風邪引いたら、自分が辛いだけだしね。
2006年11月25日
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