駄菓子屋の店の奥で、もんじゃ焼きテーブルがひとつありました。
基本的に四隅しか座れないので、4人しか焼けない筈なのに、常に6人以上はいました。
順番待ちで並んで待っている時もあり、ばあちゃんのもんじゃ屋は子供相手にそれなりに
繁盛していました。
今なら保健所の届けとかややこしい問題もあるんでしょうが、昭和30年代当時はそんな
こともなく、子供の憩いの場でした。
順番待つ間、マンガ雑誌を見たり、(時々雑誌にじいちゃんのエロ本が混じっていたりして
ばあちゃん慌てたり)…
その部屋には我家唯一のテレビが置いてあるので、我家の茶の間でもありました。
だから子供の私にすれば、早く帰って欲しかったわけです。
ところが、夕方になっても帰らない子供がいるんです。
もんじゃ食べ終わっても、テレビ見ていつまでも帰らない子供が…
私にしてみれば、その子が帰らなければ茶の間でくつろげないので早く帰って欲しいわけです。
「営業時間を決めて帰るように言って!」と抗議しても
ばあちゃんいつも「いいじゃないか、いいじゃないか」です。
家に帰っても居場所のない子供がいることも 、ちゃんと知っていたんですね。
だから一度だって帰したことがありません。重い腰をあげて本人が帰るまで。
ポツリポツリと子供が話す言葉にも耳を傾けていました、ばあちゃん。
… …
じいちゃんは町内会長で、民生委員やら青少年育成なんたらかんたらと、肩書き一杯
持っていたけれど、
ばあちゃんの方が、よっぽど貢献していたように思います。(笑)