危機一髪で逃れて来た中学校。
ここで人々が見たものは… 窓から見える景色にみんな絶句。
まさか、まさか、眼下に、船が家が家財が車が、淀んだ水と共に流れて来るとは…
絶望の声、すすり泣く声、…
私も言葉もなく、ただこの場所より海寄りの我が家も当然流された事を察した。
普段は児童数150人の校舎に1200人の避難者が集まった。
各教室は、机と椅子を寄せてスペースを作っただけの所に50~60人の人々。
お年寄りも子供も体を横たえるスペースなどなく、椅子を確保出来た人はいいほうで、私は机を逆さにして座る場所を確保。
他の人は段ボールを敷いて場所確保。若い男性は立ちっぱなし。
暖をとる物もなく、明かりもなく、不安の中一夜を過ごす。
多くの人は防寒着を着て逃れて来たが、私は義母の防寒着に気をとられて自分は着の身着のままで来てしまい
毛布は数少なくお年寄り優先。 誰かが教室のカーテンを引き剥がしていたのを真似て、私もカーテンを体に巻いて寒さをしのいだ。
カーテンは湿っぽく重たかったけど、寒さをしのぐには充分だった。
この時一枚のカーテンを分け合って共に寒さをしのいだ方は今も同じ避難所にいて、
カーテンを大切に持っておられます。
「これはusaさんと分け合って命守った大切な物、捨てられないっちゃあ」とおっしゃる。
この方、靴も律儀に下駄箱に置いて来てスリッパ。一階の下駄箱は水浸し。
トイレは流れないので当然てんこ盛り状態。スリッパで滑っては大変な事(笑)になるので、私の靴を貸してあげた。
実は私も慌てて逃げて来たので、靴は夫の物、それも左右違う靴。これが彼女に丁度良かった。
夜、水が引いてから次のような発表があった。
「自衛隊警察が救助活動を行っているが各地に被害があり、ここの避難所には救援物資は届きません。よって水は赤ちゃんのミルクと病人の薬用以外はありません。食料も一人ビスケット2枚だけです。誠に申し訳ないが、明日自衛隊がブルで瓦礫を撤去しここまでの足場を作るまで救援隊は来ません、みんなで協力し合い乗り切りましょう」
大変な事態でしたが誰も文句を言う人はいません。
何よりもみんな家族の安否を心配していた。
隣にいた女性は息子さんの携帯にひっきりなしに電話していた。
一緒に避難してきたのに、携帯の充電器を取りに引き返したらしい。それを心配してご主人も迎えに行ったまま。
二人が戻らないうちに津波が押し寄せて来て、どんな心地でいただろう、痛ましくて涙が出る。一人そっと震えていらした。(結局、息子さんは助かりご主人が亡くなられた)
近所のTさんは、この春卒業就職が決まったお孫さんがたまたま帰省していて、一旦避難したのにパソコンを取りに二人で戻ったらしい。そのまま戻らず、奥さんが泣き崩れていた。
津波が校舎に来た時は玄関を閉ざされ、間に合わなかった人は車を捨てて、非常階段から逃れて来た。この時下半身は泥水に浸かり正に危機一髪。
近くの家の二階から助けを求める人の姿が … でも誰にも何も出来ない、流されないように祈るだけ。
この方たちは、水が引いてから学校まで歩いて来た、下半身ずぶ濡れになりながら。
校庭の木に釣り船が引っ掛かった。それに流された車が引っ掛かり、中にいた男性が助かった。水が引いてから自力で歩いてきた。
この男性は正に地獄を見て来た。津波に流され、流れのままに乗っていると、家が人が呑み込まれる様子を車から見て来た。
走って逃げている人間はアッという間だったと…
命からがら生き延びた人々の話はまだまだ続きます。
この最初の避難所から一夜明け、やっと瓦礫の撤去に自衛隊がすぐそこまで来るが、救助のための車両が入れず、午後になってやっと人が歩ける道だけ確保し、次の避難所まで泥濘の中、全員歩くことになります。
あれから1年8カ月経ちました。 2012.11.13
3.11 避難誘導があだとなった地区 2012.10.22 コメント(3)
この本を読みましたか? 2012.05.06