2006年04月04日
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カテゴリ: 映画な気分で…

      首がひょろなが~く、瞳のない目っていえばわかるでしょう
      裸婦の絵なんかも有名ですね

      アメデオ・モディリアーニさんは
      1884年イタリア生まれのエコール・ド・パリの画家の一人です

      裕福なユダヤ人家庭に生まれ、幼いころから体が弱く
      そのためか絵を描くのが好きでした
      その頃の絵はすでに、現在有名な絵の雰囲気を持ってたんですから凄いです

      イタリア・ベニス・アカデミーを卒業後、パリに移り住み

      アフリカの民族美術のイマジネーションした彫刻を手がけた時期もありました
      1914年、有名な画商と知りあい、その画商や友人の勧めで
      1915年から絵画に専念するようになります
      彼の代表作は1916年から1919年の間のもので
      1917年には裸婦像などのモデルを務め、後に奥さんになられる
      ジャンヌ・エビュテルヌさんと知りあったりします
      この年はベルト・バイル画廊にて生涯1度の個展を開催する年でもありました
      個展では裸婦などを撤去するようにおとがめを受けたりもします

      彼はエコール・ド・パリの画家の中でも
      いち早く有名になったのですが
      どうにも、商売っ気がある人ではなく


      物語は1919年、芸術家のたまり場であった
      カフェ・ラ・ロトンドから始まります

      そこにはモディリアーニさんをはじめ
      パブロ・ピカソさん、ディエゴ・リビエラさん、ハイム・スーチンさん
      ジャン・コクトーさん、モーリス・ユトリロさんなど

      若い芸術家が屯し、お互いいがみ合いながらも芸術に情熱を傾けていました

      カフェの壁には年に1度開催される美術コンテスト
      「Salon des Artistes」の出展希望者欄の書込み用ポスターが貼られています

      カフェ常連の二人、成功者ピカソさんの裕福な姿と
      貧乏画家モディリアーニさんの酔っ払いな姿が対照的
      この二人ライバル同士、お互いが勝負することは今までありませんでした

      映画は、二人がここにサインするまでの間と
      これまでの生い立ちを描き
      美術コンテストへの作品作りから発表まで
      そして彼と妻の壮絶な死までの物語
      ピカソさんは自身が死ぬ間際に「モディリアーニ」とつぶやいて死ぬ
      そんなエピソードは心に言い表せぬ余韻を残します

      ジャンヌさんが

         なぜ瞳を描いてくれないの

      の問いに

         君の魂が見えたら瞳を描こう

      と答えるモディリアーニさん

      ラストのコンテストに素晴らしい作品を発表し
      ピカソさんの度肝を抜きます
      他の画家達の作品も素晴らしいですよ

      このうえもなく芸術性にたけた
      素晴らしい画家達を描いたスクリーンというキャンパスに
      酔いしれてみてください

      最近観た映画の中でおいらの中の最高峰
      伝説的なモディリアーニさんの生涯、こういう解釈もありですね

      彼を描いた映画には
      1958年ジャンク・ベッケル監督作品のフランス映画
      「モンパルナスの灯」という作品もあります

      モディリアーニ 真実の愛 → フリーページ
      2004年◆126分◆ミック・デイビス監督作品
      原題「Modigliani」





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Last updated  2006年04月04日 13時26分01秒 コメント(17) | コメントを書く
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