時・慕・庵・邪・無-じぼあんじゃん

時・慕・庵・邪・無-じぼあんじゃん

PR

×

カレンダー

バックナンバー

2026年10月
2026年09月
2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月

プロフィール

きよし1121

きよし1121

2007年01月12日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
加藤千蔭という人について調べたくなった。

履歴等、ご存知よりの方がいらっしゃったら情報をお寄せ頂けると有り難い次第です。


加藤千蔭(かとう・ちかげ)1735~1808(享保20~文化5)

父は加藤枝直(かとう・えなお)1692~1785(元禄5~天明5)。伊勢国松坂生まれで橘氏。江戸南町奉行大岡忠相越前守に与力として属す。賀茂真淵と親交し、居を自らの邸内に移して文学の教授を得た。若き日の青木昆陽も邸内の貸家にいたことがある。

千蔭。枝直の三男。姓は橘、本名は佐芳、要人(かなめ)。字は徳与麿(とこよまろ)。通称は常太郎、又左衛門。号は芳宜園(はぎぞの)、うけら園、耳梨(みみなし)山人、逸楽窩(いつらくか)、江翁(ごうおう)、橘やちまた(狂歌)など。
幼少から父に歌を学び、10歳から以後26年間、賀茂真淵門下。村田春海(はるみ)、楫取魚彦(かとりなひこ)、加藤宇万伎(美樹・うまき)らとともに県門(賀茂真淵門下)の四天王と呼ばれた。本居宣長との交友もある。著書は千蔭本として流布。
父の跡を継いで吟味方与力となり、寛政の改革に当たる天明8年病により子に家督を譲り辞職。八丁堀で学徒に教授しつつ学問に専念。文化5年正月、「橘千蔭」と自筆した紙を両国の回向院の住持に託し、その年の9月2日に没す。本所深川の回向院に眠る。
書画にも通じ、絵は建部綾足に学ぶ。書家としては千蔭流の開祖。能因法師の末裔だとも。

向島百花園(新梅屋敷)に梅の木を寄贈したりしている。

「うけらが春」
「万葉集略解」(将軍に献進され銀10枚を下賜された)
「万葉新採百首」
「香取日記」






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年01月12日 17時31分13秒
コメント(3) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

きよし1121 @ Re[1]:加藤千蔭という人(01/12) 三霧島88さん >こんばんは。はじめま…
きよし1121 @ Re[1]:加藤千蔭という人(01/12) 三霧島88さん 加藤千蔭はたしか松平…
三霧島88 @ Re:加藤千蔭という人(01/12) こんばんは。はじめまして。 加藤千陰…
きらり510 @ こんにちは タイトルが 気になって読ませてもらいました ま…
きよし1121 @ 訪問ありがとうです。 それにしてもいろんな所にお出かけになっ…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: