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外側の世界が問題なのではなくて自分の心がどこに向いているか、が最大の問題。理想は、いつどんな時でも愛の光を静かに放って存在していること。しかし、この世界にいる限り、様々な波動が自分の中に起こってくる。何かを見たり聞いたり、思い出したりすると、それに誘発されて不安や怖れや、不快感が出てきたりする。それらは、みな愛なる根源と分離しているという錯覚から来る感覚。分離幻想は、自我が自分を守るために創りだしたもの。その自分で作り出した感覚を再浮上させて、浄化することができる時代になっている。自我が生み出した枝葉のように広がった恐れの意識を光と水に向けることによって、虹色模様のエネルギーに変換する。人間として体験する一つ一つのことが新たな光を創造する営みとなる。過去が今に浮上して浄化され、今ここに永遠の命が輝き出る。人間として、今ここにいるかけがえのなさを感じながら、浮かんでくるひとつひとつの感情に、感謝をこめて光を当てる。
2008.05.18
宇宙には愛の波動が鳴り響いているこれは直感的真実であり、魂のどこかで知っている人間もその波動のとひとつなのだけれど自らも波動を発して遊ぶことができる様々な波動を出して、宇宙の壮大な波動芸術を3次元世界にも再現しようと遊んでいるしかし、いつの間にか自分の作り出した作品に捉われて自分は宇宙の中の愛の波動であることを忘れてしまったしっかりと目を覚ませば、壮大な「愛の波動」が自分自身の中にいつも流れていることを思い出す何もかも手放せば、自分の中の本来の輝きが甦る軽やかな心が軽やかな言葉になり軽やかな行動となって、愛の波動を表現し始めるその愛の波動は、周りに伝播し、眠っていた波動を目覚めさせる理屈ではなく、心の奥底で知っている波動それを、この次元に表現するために、今、ここにいる みんなで思い出せたらいいな
2008.05.11
家にいると、のどかで軽やかな時間感覚があって、仕事をしている時の時間感覚とは明らかに違う。仕事をしているときは、目標を目指して進む情熱のようなものが多少はあるのだが場所が変ると、そんな情熱はさっぱりと消えてしまう。もっと若い頃は、家でも仕事感覚を持ち越していたようにも思うが切り替えがうまくなったのか、執着が薄れたのか、仕事のことは消えてしまう。社会の中で何かを変えていくためには、24時間そのことを考えて突き進むような真摯さが必要なのであろうが、外を変えることにそれほど興味が湧かなくなってしまった。政治に無関心なわけではないが、それ以上に面白いことが一杯あるからだろう。面白いことというのは、自分の内面。そして人間という存在。地球。宇宙。それらの関係。のぞましい自分の状態を知っているのだが、その内面の光をいつも曇らせないように生きていくことが面白い。現実的価値観で、結果が重視される社会の中にいるから、そんな中でも、自分を維持して生きていくことに面白さを感じるのだろう。人間は、皆冒険家のなだ。地球という神秘の惑星で、探検しながら生きている。そろそろ、探検し尽し、めぐり巡って我が家についたから、もう冒険はいらない。我が家でのんびりと呼吸に意識を向けながら、自然のリズムを感じるのもいい。そんな人たちが増えると、いつの間にか社会の時間もゆったりと進んでいくことだろう。
2008.05.06
今日は55(ゴーゴー)の日だからだろうか、また、こうして書こうとしている。人間の本質は光(愛)なんだと直感的に思う。その本質を現われにくくしているのが、「自我」という先入観であり価値判断。それは3次元で生きる中で身に付けた鎧のようなもの。皆と同じ姿になるように武装しないと生きていけないと思い込んでしまったから。鎧をすてても大丈夫だよって、ささやく声がする。その声に従って少しずつ鎧を脱いでみると、さわやかな空気に触れて驚くでも空気は、慣れてしまうとその存在を感じられなくなるのでまた、何となく寂しくなって鎧を着てしまう。でもその鎧は、自分の心が創り上げただけの仮のものいくらピカピカに磨いたって、本当の自分じゃないんだ。鎧の下の本当の自分を出して生きてみよう。光のままでいても、そのままで大丈夫だよ。ただ、そのままで生きること・・・そんな、人としての悦びを味わうために、今ここにいる。ありがとうありがとう・・・ただ、有難いだけ・・・そんなことを感じる55の日、新月のひととき。
2008.05.05
人は皆、自分の先入観で価値判断している。どんな先入観を持っているかは、その人の生い立ちや教育によって異なってくるけれど、生まれてから学んだ価値観で、ものごとの善悪を判断する。しかし、何かのきっかけで潜在意識の奥に持っている価値観を思い出したり、新たな価値観に目覚めたりすることもある。価値観の転換は、多くは世間的には不幸と思われていることによって起きることが多い。病気であったり、思い通りにいかない出来事だったり、思いがけないことがきっかけになって起きることがある。ものごとが順調に行っている時は、自分の価値観に疑いを持たないものだ。順調に行っている感覚というのは、社会の価値観で認められている時に感じることが多い。しかし、社会の価値観に合わせて生きていると、自分の外に価値基準を持つことになるので本来の自分の感覚を無視して、外に合わせてしまうことが多くなる。そんな生活を続けていると、いつの間にかストレスが溜まってくる。そんなストレス生活は人間にとって不自然なので、病気やうまく行かなくなる出来事という形で「自然な(本来の自分の)生活に戻って」というメッセージを受け取ることになる。そこから「自己探求」というものが始まる人も多い。だから病気や不幸と見える出来事は「本来の自分や本来の幸せに気づくチャンス」であり、貴重な学びの機会であるといえる。色々な道を通っても、頂上はひとつなのだろう。「いま」の中に全部があって、そのままで完全なのだってこと。過去や未来は自分の思考の中にだけある。自分を苦しめているのは自分の思考が作り出す「過去」や「未来」・・・思考が時間を創っている。そんな思考から離れて「いま」にいれば不安も恐怖も幻想だとわかる。難しいアセンションの理論は知らなくても無邪気で純粋な子供たちは、いまに生きて平和な世界を創っている。大切なことは、みんなシンプル。思考は幻想だとわかれば、思考という枝葉に捉われずに「今」という幹を大切にできる。枝葉にこだわらずに幹を守って、どんな嵐も楽しもう。
2008.05.05
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