ここでたびたび様子に触れていた英語仲間が息を引き取った。
5月25日、金曜日の早朝。
明日はどのタイミングで病院に行こうかな、って考えていた矢先、
携帯が鳴った。
彼の携帯からで、声の主は長男。
都合でお通夜に参列した。病室で再会した、古い英語仲間の女性2人と一緒に。
私は香典の代わりに、いつも花束を供えている。
受付で手渡したら係の女性が親族と相談して、棺の上に置いてくれた。
最後の贈りものが一番彼に近いところにある。
私は生死は人間が営んできた、終わりなき輪廻だと捉えているので
涙を流すことはなく、ふっくらとした遺影の彼と終末のやせ細った彼との違いを思い、
英語仲間とともに、ようやく楽になれたんだ、と不謹慎ながら安心してしまった。
この一週間、とにかくひたすら彼を思い出していた。
亡くなった人に対して、私ができる最大最後の供養は思い出すこと。
あぁ、でももうお見舞いに行くことはなくなったんだなぁ。
去年の秋に植えたフランス菊が、そろそろほころび始めている。
でももう彼に届けられないんだなぁ。
と、思っていたら・・・・・・
我が家の生き仏のおじいさまがまたもや転倒。
額をざっくり切って、休日外来に直行となった。
車の中でおじいさんがつぶやく。
「こんなんなったら死んだほうがマシやなぁ、もったいない話やけど」
ホンマ、もったいないことどす。
認知症の薬なんかを開発するくらいなら、命の分配ができるような妙薬を作ってくれ。
おじいさま、怪我したことすらすっかり忘れて元気いっぱいでございます。
年寄りなので、あさってあたりからあちこち痛くなるんでないかい???