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2018.01.11
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カテゴリ: プロレス・格闘技



鶴藤長天とは、力道山の次にプロレス界のリーダーになった
アントニオ猪木とジャイアント馬場の後継者と目される
次世代の4人であるジャンボ鶴田、藤波辰爾、長州力、
天龍源一郎をニューリーダー呼び、

それぞれの名前から1文字ずつとって格闘頂点(鶴藤長天)を
もじったかたちで週刊ゴングの記者が1987年に命名。

まず、鶴藤長天で最初に接点っがあったのは
ジャンボ鶴田と藤波辰爾で、鶴田26歳、藤波24歳の時に
別冊ゴングで行われた対談では

というイメージを僕らで変えていきたい」という考えで
藤波と意気投合し、

1979年のプロレス夢のオールスター戦では
鶴田&藤波&ミル・マスカラスのタッグが実現している。

但し、シングル、ダッグ共に対戦をした事がなく、
1987年には「今年は藤波選手と闘って最高試合賞を取りたい」
1990年に「今年の夢は藤波選手と闘う事です」と発言し、
それを受けて藤波は度々対戦要求を出してきたが、
新日本サイドの交渉は一切なかった。

実際、それぞれと戦っているのが長州、天龍で、
長州は「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない」という発言より

全日本マット参戦時には鶴田との60分フルタイムの激闘を展開した。

この試合については1998年の引退時のインタビューにて
「あの試合はしんどかったね」「結果的に60分ドローだったけど、
明らかに俺の方がバテてたよね」と、
自分の方が不利であった事を認めている。


ライバル意識をムキ出しにした事で注目され
独立後のWAR代表として長州、藤波から勝利し
全日本時代も鶴田とのシングル対決は鶴龍対決と呼ばれ
鶴田から三冠ヘビー級王座を獲得、
天龍は鶴田、藤波、長州からフォールを奪った
唯一の同世代レスラーであった。

しかい、この鶴藤長天、長州力が全日本プロレスを離脱して
新日本プロレスに復帰した事で
4人が一堂に会する事が難しくなり、
このような呼ばれ方をする事は少なくなっていった。

結局、リングで4人が揃う事はなかったが
1997年8月、長州の引退試合で藤波、長州、天龍のタッグが実現して
週刊ゴングの表紙は闘頂点(藤長天)と明記された。


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Last updated  2018.01.11 20:00:12
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