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_秋田県湯沢市桑崎に御返事(おっぺち)という、なんともユニークな名の地がある。 自動車専用道横手湯沢線の終点、雄勝こまちICを降りて少し戻った辺りだ。 旧雄勝町は小野小町の誕生の地とされ、小町堂がすぐ近くにある。 似たような地名には、北海道の乙部(おとべ)町や、岩手県盛岡市の乙部(おとべ)がある。 また、岩手県二戸市に御返地(ごへんち)地区があり、昭和30年までは御返地村として存在していたようだ。 御返事には次のような悲恋物語が伝わっている。 『小町に想いを寄せていた深草少将(ふかくさのしょうしょう)は、京を去っていた小町を追って出羽に下った。そして、小町に恋文を送るが、小町は、「小さい頃にあった芍薬の花が無くなったので、百本植えてくれたらあなたの心に添いましょう。」と返事をした。 その頃、小町は疱瘡にかかっていたので、磯前神社の境内に湧き出る泉で顔を洗い、早く治したい一心で通い続けていた。 一方、少将は一日も早く小町に逢いたいと、芍薬の花を毎日届けた。これが「百日通い」の始まりである。そして、折からの大雨の中、最後の百本目を届けるため、使いの者が止めるのを振り切り御返事橋まで来たが、洪水で橋もろとも流されて亡くなってしまった。 少将の死を悲しんだ小町は、桐善寺に石碑を建てて供養した。』 (湯沢市のホームページ・観光情報サイトの深草少将から引用。) さて、wikipedia深草少将を開くと、そこには次の記述がある。 『深草少将(ふかくさのしょうしょう)は、室町時代に世阿弥ら能作者が創作した、小野小町にまつわる「百夜通い(ももよがよい)」の伝説に登場する人物。欣浄寺(京都市伏見区)に屋敷があったともされる。 欣浄寺の池の横には「少将の通い道」とよばれるものがあり、訴訟を持っている者がここを通るとかなわないと言われる。その他、小野小町供養塔と並んで深草少将供養塔がある。また、随心院(京都市山科区)には、深草少将等が書いた手紙を埋めたとされる「文塚」等がある。 小野小町を愛したといわれ、小町が私の元へ百日間通い続けたら結婚しようと言い、九十九夜通ったが、雪の降る日で、雪に埋まり凍死したとも言われている。』 雄勝町に伝わる物語と類似性はあるものの、こちらのほうが伝説の地としては信憑性が高く仕上がっている。 さらに、wikipediaで百夜通いを調べたら、『百夜通いとは、世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。』とある。 「絶世の美女」といわれた小野小町だからこそ、多くの男心を揺さぶり、恋の遍歴もさぞかし多かったことだろう。 しかし、能作者によって、小町はやがて、年老いた乞食同様のあわれな老婆に仕立てられてしまう。 能演目字典・卒都婆小町/卒塔婆小町にもそうした姿が描かれている。一説によると、小町伝承は実に33都府県に及ぶという。 地名の由来に戻そう。 民俗学の広場というHPで「乙部」の地名の由来を調べたら『アイヌ語の「オ(そこの)」+「ト(沼)」+「ペツ(川)」に由来する。』というのが見つかった。 「おとぺつ」から「おっぺつ」を経て「おっぺち」に変化し、それに小町伝説と結びつけて「御返事(おっぺち)」になったという説はどうだろうか。 深草少将が橋とともに流されたという御返事橋は東鳥海山を仰ぐ場所にあり、今は頑強な橋が架かっている。 伝説の美女を露わにし過ぎたようで、申し訳ない。御返事橋と東鳥海山 カレンダー入りの壁紙をDLする小野小町ゆかりの小町堂 カレンダー入りの壁紙をDLする
2017/02/09
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雪中の鳥居 カレンダー入りの壁紙をDLする赤い鳥居と陽光 カレンダー入りの壁紙をDLする_雪中に目立つ赤い鳥居の大山祇神社。 ここは豪雪地帯らしく、鳥居は雪の中に半分埋もれています。 湯沢市皆瀬の皿小屋で撮りました。 祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)で、大山積神とも記され、山の神、海の神として崇められています。 大山祇を祀る神社は全国津々浦々にあり、その数は4,000社を超えるとか。 わが横手市にも大山祇神を祭神とする神社はたくさんあります。 御嶽山(おみたけさん)の塩湯彦神社や冬の梵天奉納で知られる旭岡山神社などがそうです。
2017/02/09
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羽後町五輪坂のアルカディア公園に隣接する足田(たった)堤です。 一面のハス沼ですが、午後に訪れたら、咲き具合は、まだちょぼちょぼでした。 ハスの花を見るなら午前中の早い時間帯がベストですが、しぼんでしまう午後に訪れたのがまずかったようです。 それにしても、目につくのがこの模擬帆船。だいぶくたびれて、あちこちに穴が開いています。 湖沼の帆船で思い出すのが芦ノ湖。数年前訪れたときは外国人観光客が占拠状態で、日本人は入り込む余地がないほどでしたが、今年はどうなのでしょう。
2020/08/10
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白神山地くろくま第3の滝です。 日本の滝100選の名瀑くろくまの滝の上流部に位置しています。 くろくまの滝を撮影し後、滝の右手を巻いて急な斜面を登ると、この滝に出会えます。 立派な遊歩道がありますが、くろくまの滝から先は倒木の危険があるということで、通行止めになっていました。 それを冒して進入してしまったのですが、危険と思われる箇所は1カ所だけで、注意して通れば問題はなさそうな道でした。 第3の滝のさらに上部には第2の滝があるのですが、そこまで登るのは止めて、引き返したのでした。 せっかく、いい遊歩道があるのですから、なんとか早く手立てを講じて、通行止めを回避してほしいものです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図 白神山地のブナの巨木・マザーツリーです。 樹齢400年ともいわれ、白神山地の青森県側のシンボル的存在の木です。 秋田県側の藤里町にもブナの巨樹があり、どちらが大きいでしょうか。 優劣は付けがたいかもしれません。 くろくまの滝から林道に戻り、南に向かって砂利道を進んで行くと白神ラインに到達します。 そこから東に向かうと津軽峠に到達します。 マザーツリーは、その峠からすぐのところにありました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2010/09/01
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13日、大曲の花火秋の章を姫神山の山上から楽しみました。桟敷席は有料ですが、ここなら無料です。登山口から重い撮影道具をかついで、きつい山道を登っただけの甲斐がありました。ここから花火観賞した人は10人ほど。私は花火撮影は苦手です。宮城から来たというカメラマンにあれこれ教えてもらいながらの撮影でした。私のメインサイト壁紙村の画像の大半を削除いたしました。これにより大変ご迷惑をお掛けしていますことをお詫びします。近い将来、壁紙村は機能を大幅に縮小して「カレンダー工房」を中心としたサイトに変更する予定です。なお、画像については姉妹サイト「壁紙自然派」に全面的に移行しますので、従来同様ご愛顧ください。サイト縮小の経緯等については当ブログで折りに触れお知らせするつもりですのでよろしくお願いします。
2018/10/14
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晴天に恵まれた昨日(4/13)、富山県朝日町まで行ってきました。舟川べりの桜並木とチューリップ、そして北アルプスという超絶景を撮るためにです。絶好の行楽日和とあって、たいへんな混雑でした。私としては、人を入れずに撮りたかったのですが、難しい状況でした。私の撮っている位置にはカメラマンが100人ほど、ずらーっと並んでいます。なのに、チューリップ畑の向こうから、こちらを撮るカメラマンが一人。文句はいえませんが、配慮のない人ですね。この写真に入ってはいませんが、3年前に登った白馬岳もくっきり見えて感激でした。
2019/04/14
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八木集落と八木にんにく製品八木ニンニクは希少品か 秋田県横手市増田町の皆瀬川に接して「八木(やぎ)」という地がある。(上の写真) 菅江真澄・雪の出羽路には、八木村の由来として、米の字を分けて八木としたとあり、また、古くは米を八木(ハチボク)といった、ともある。縄文晩期の八木遺跡があり、非常に古くから開けていた。早くから米が作付されたので、八木の地名が起こったといえるかも知れない。 八木という地は全国津々浦々にあり、秋田県にも数多い。(参考・マピオン-八木) 名字にもあり、「八木」の名字の由来をみると、「柳の生えているところに由来する」とか、「矢木(矢作)から転じた八木もある」というふうに様々である。 増田町の八木といえば「八木ニンニク」で知られている。 そう思っていたので、八木に近い「道の駅十文字」を訪ねたら、八木ニンニクは販売していなかった。旬にちょっと出るだけだという。 次に、「増田観光物産センター蔵の駅」に行ったら生ニンニクはなく、加工品の「八木にんにくソース」が置いてあった。(写真円内) 地元増田高校の野菜専攻班が考案して製品化したものだった。 八木ニンニクはどうやら、生産量が限られる幻のにんにくらしい。寿用語エトセトラ 米を二つに分ければ八木だが、三つに分ければ八十八で、米寿の祝いとなる。 㐂(喜)の異体字を分解しての七十七は喜寿だ。 仐(傘)の字を崩して、八十は傘寿。 卆(卒)を分ければ九十の卒寿。 百の字から一を取ると白で、九十九は白寿である。 ここまでは分かるが、寿用語はまだまだあった。 六十一歳は華寿、八十一歳は半寿又は盤寿、九十五歳は珍寿である。 さらに、百八歳は茶寿、百十一歳は皇寿・川寿、百十九歳は頑寿、百二十歳は昔寿という。 なぜその用語があるかは「寿」模擬授業指導案に詳しい。 百歳を過ぎたら一年一年が「寿」だから、茶寿以降の寿用語は存在意義が薄いようにも思う。 私の母は九十五歳でみまかったが、九十歳を過ぎてからは「ぽこっと逝きたい」が口癖だった。長寿はおめでたいには違いないが、人の世話に頼るようになっては大変なのだ。戦前の小作人の苦労 私が参加している歴史研究の会で、地主と小作問題を担当することになった。 あれこれ資料を調査する過程で、国立国会図書館近代デジタルライブラリーから「産業労働調査所秋田県南支局準備会報」という昭和7年(1932年)発行の手書き文書が見つかった。(下の資料写真) 当時、農民(小作農)が地主に対して小作料の減免や様々な改善を求めて全国的に小作争議が頻発していた。個々には力の弱い農民たちは左派系政党傘下組織の力を借りて、闘争運動を展開していたのである。 同会報によると、八木地区は80戸のうち小作農が76戸(95%)で、自作農は4戸に過ぎなかった。1戸当たりの耕作面積は5反歩ほどで、自家の飯米に十分な農家はわずか6戸だった。 いきおい農家の大半は、農業収入は当てにできず、副業や地主への手間稼ぎで生活を補っていた。それでも、年収の7年分を超える1,500円もの借金に追われていた農家もあった。 八木地区では小作人18人が(小作料の)不納同盟を結成して地主に対抗していた。しかし、闘争の過程で同盟員の結束が乱れ、失敗に終わったと同会報は記している。 平鹿郡は当時、小作地が農地全体の7割を占めていた。八木地区は他地区よりその比率が高いとはいえ、地主・小作問題は日本の農村社会が直面する大課題だったのである。 産業労働調査書秋田県南支局準備会報(抄) 国立国会図書館デジタルコレクション・インターネット公開(保護期間満了)
2017/02/22
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青森県横浜町の菜の花畑です。(2006/05/21撮影) 青い空と黄色い菜の花のいたって単純な構成。 これが不思議と人の心を惹きつけるんです。 「なんて青い空だ」「なんて広い菜の花畑だ」と。 待ちわびた横浜町の菜の花もあと4~5日で見ごろとなりそうです。 東奥日報のWEB版ニュースによると、5月4日に開花宣言が発表されました。 横浜町の菜の花畑の面積は100ヘクタールを超えるといいますから、すごい規模です。 下北半島の陸奥湾に面したこの町はまもなく1年でいちばん賑やかな日々を迎えます。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地菜の花の出番ですよ/横浜町が開花宣言/Web東奥・ニュース20070505143535
2007/05/08
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ベニスは水の都です。 「ベネチアとその潟」として、1987年、世界遺に産登録されました。 日本では、ベニスとベネチアが混同して使われていますが、「ベニス」は英語表記、「ベネチア」イタリア語表記です。 このブログでは「ベニス」を通常表記としています。 ベニスの街の中央部を蛇行しながら大きな運河が通っています。 逆S字形の「カナル・グランデ」がそれです。 カナル・グランデの縁の街並みです。 舟を繋ぐ杭がたくさん打ち込まれています。 水面から長く突き出ているのは、満潮時に水嵩が増すからなのでしょう。 そういえば、サン・マルコ広場は、潮位が上がると水没することがよくあるそうです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ サンマルコ広場からゴンドラで市内観光をしました。 ゴンドラは、街中の狭い運河を、のどかに進みます。 至る所にアーチ状の橋があり、それをくぐると、すぐその向こうにまた橋が見えるといった状態です。 たくさんのゴンドラと行き交いますが、船頭は慣れたもので、巧みな操作で衝突を防いでくれます。 ここでは、時がゆったりと進む感じがします。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ←もっと壁紙を探すなら
2011/03/24
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鳥海山から望む朝焼け2題です。 上の写真は昨日の撮影。 象潟側登山口の鉾立に到着したら、見事な朝焼けでした。 最後方の山並みを見ると右手に岩手山、左手に秋田駒ケ岳が見えます。 秋田駒ケ岳の左手にちょこんと首を出しているのは乳頭山でしょうか。 この時点ではいい登山日和と思ったのでしたが..... 下の写真は先月中旬、矢島側の登山口、祓川での撮影です。 最後部に円錐形のきれいな山が2つ突き出ていますが、残念ながら私の乏しい知識では山名は確認できません。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする
2016/06/05
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新緑の抱返り渓谷です。 コバルトブルーの美しい水の色が、この渓谷の特徴。 回顧の滝から流れ落ちた水が、渓谷へ注ぎ込む所にもなっています。 木々に遮られて見晴らしがよくなかった渓谷の遊歩道も、ここへ来ると見晴らしが利くようになります。 カメラのある方は、ぜひここでワンカット撮ってほしいお勧めの所です。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図抱返り・神代・白岩エリア:抱返り渓谷 観光情報 仙北市←もっと壁紙を探すなら
2010/05/17
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フランスの世界遺産、モン・サン・ミッシェルのラ・メルヴェイユです。 ラ・メルヴェイユとは「驚嘆」の意味で、装飾の美しさからそう呼ばれるようになりました。 13世紀に建てられた修道院の居住空間となっています。 左側が回廊、右側に騎士の部屋があります。 修道院の多くは、暗くて狭く、じめじめとした環境ですが、ここだけは開放的です。 観光客がひっきりなしに往来する中で、人を排して撮ることができたのは奇跡と言うしかありません。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ モン・サンミッシェル、地下聖堂の天井部です。 中層階には下聖堂がいくつかあり、階上の聖堂を支える役目を果たしています。 その複雑に湾曲した構造の天井部に、絵心を感じて撮影しました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズにほんブログ村←もっと壁紙を探すなら
2011/05/29
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成瀬川と真人山 カレンダー入りの壁紙をDLする掵の古文書1.「掵」地名は秋田県南に特化 掵(はば)という珍しい字が付く地名が秋田県内に点在している。 そのすべてが横手盆地に存在するもので、それも南部に集中している。 マピオンで住所検索すると、次の32件が見つかった。そのいずれもが秋田県内である。 秋田県湯沢市二井田二ノ掵 秋田県湯沢市二井田掵上 秋田県横手市増田町亀田掵 秋田県湯沢市三梨町犬掵 秋田県横手市十文字町腕越上掵 秋田県横手市十文字町上鍋倉上掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉上掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉下掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉中掵 秋田県横手市増田町亀田上掵 秋田県湯沢市駒形町大門掵 秋田県湯沢市駒形町東福寺掵 秋田県仙北市角館町白岩下掵 秋田県雄勝郡東成瀬村田子内上掵 秋田県仙北市角館町白岩新下掵 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵大道西 秋田県横手市平鹿町醍醐掵下 秋田県横手市増田町荻袋掵上 秋田県横手市増田町荻袋掵下 秋田県横手市増田町熊渕掵上 秋田県横手市増田町熊渕掵下 秋田県湯沢市川連町掵下 秋田県横手市増田町荻袋菅生掵下 秋田県湯沢市三梨町飯田掵下 秋田県湯沢市川連町大掵下 秋田県湯沢市川連町高掵下 秋田県湯沢市駒形町大門掵下 秋田県雄勝郡羽後町貝沢掵ノ上 秋田県横手市増田町熊渕掵堂ノ下 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下清水田 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下中道添 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下屋布後 町村別に見ると、横手市(18件)と湯沢市(10件)で大半を占め、それに隣接する東成瀬村と羽後町に各1件ずつで、他は仙北市角館町に2件存在するのみである。それらを地図上で見ると、仙北市を除いてはみな、雄物川とその支流である皆瀬川や成瀬川に沿った地域にある。つまり、河川の両域に広がる河岸段丘に位置しているのである。 このことから、河岸段丘に開かれた地を掵と呼ぶのであろうと類推できる。2.「掵」は秋田県南で誕生した国字 漢字辞典オンラインで「掵」の意味を調べると『人名や地名に用いられる字。「掵上(はばうえ)」は秋田県の地名。』とあり、さらに種別は国字となっている。 秋田県以外に掵の字が地名に存在する可能性はゼロではないが、秋田県南特有の文字といって差し支えないだろう。 この地域限定の国字はJIS第2水準の漢字に収録されている。そのため幸いなことに、この字はほとんど知られていないにも関わらず、パソコンなどの電子機器で苦労なく表示することが可能になっているのだ。3.「ハバ」という地名は他にもある 掵のほかに、羽場(はば)という地名もたくさん存在する。再びマピオンで住所検索すると、74件が見つかった。県別では岩手県 (22件)、宮城県 (19件)、秋田県 (18件)、長野県 (7件)、福島県 (3件)、石川県 (3件)である。 秋田県の詳細は次の通りである。 秋田県湯沢市皆瀬羽場 秋田県大仙市下鴬野羽場 秋田県湯沢市皆瀬下羽場 秋田県湯沢市皆瀬中羽場 秋田県湯沢市森熊ノ堂上羽場 秋田県横手市十文字町植田羽場 秋田県横手市増田町戸波羽場 秋田県横手市増田町三又羽場 秋田県仙北郡美郷町浪花羽場 秋田県横手市増田町三又羽場下 秋田県横手市十文字町植田上羽場 秋田県横手市十文字町植田下羽場 秋田県横手市十文字町鼎下羽場 秋田県横手市増田町戸波下羽場 秋田県横手市増田町三又五輪羽場 秋田県湯沢市駒形町戸波上羽場山 秋田県湯沢市駒形町三又上羽場 秋田県横手市十文字町梨木羽場下 羽場もやはりすべてが横手盆地に存在し、大半がやはり南部に集中していて、河岸段丘領域に属しているのは掵と変わりない。 横方向の広がりの度合を指すのが幅であるが、大字典(講談社)によるとフチやヘリという意味もあるので、地名では傾斜地に使われていると類推できる。 幅と巾も地名に存在する。 マピオンで調べると、幅地名は全国に64件存在する。そのうち秋田県は次の6件である。 秋田県湯沢市小野幅 秋田県大仙市太田町川口幅 秋田県由利本荘市西目町西目上幅 秋田県湯沢市秋ノ宮幅ノ上 秋田県湯沢市秋ノ宮下幅 秋田県由利本荘市東由利宿幅野 秋田県にはないが、幅と同義で使われる巾も地名に使われており、マピオンで検索すると全国に19件見つかった。4.「掵」には横方向の広がりの意味もある 資料として掲げた古文書を見ていただきたい。 この中に「堰口掵壱尺」の記述があり、掵は横方向の広がりを示す幅と同義に扱われている。 この文書は、横手市のある村々が水を取り込むための水路口の幅を取り決めした文書の一部である。明和元年(1764年)、水路の幅を巡って4か村にいざこざが発生したため、宝永2年(1705年)に取り決めした文書を探し出して再確認し、藩の役人に差し出した内容となっている。 稲作中心のこの地域では、田圃へ引く水を確保することは死活問題であった。掵に命が含まれていることに、ある重要な意味が隠されているような気がする。5.木偏の「椧」もある 掵ではなく、「椧」の字の付く地名が唯一秋田県にある。 秋田県大仙市四ツ屋字椧田 「椧田」は「ばばだ」と読む。 ただしgoogleの地図検索では「椧田」を「ばば田」と表示している。椧はJIS第1、第2水準漢字に登載されていないからである。 掵で代用している地図も見受けられる。 中国サイト新華字典で椧を検索すると、韓国漢字で寺名として表示され、意味はガーターつまり溝となっている。 実際、韓国サイトで、椧は地名として多数出てくる。 椧谷里(명곡리 ミョンゴッリ)・大邱広域市 椧溪(명계 ミョンギェ)・慶尚北道慶州市 椧洞(명동 ミョンドン)・慶尚南道梁山市 こうして見ると、韓国では椧が南部の地名に多い。 慶尚南道は倭が支配したとされる任那日本府と重なり、日本との交流が深かった地でもある。 稲作の歴史は中国長江流域から始まり、朝鮮半島を通じて日本にもたらされという説が有力である。6.木偏と手偏の紛らわしさ 結論から先にすると、韓国で作られた「椧」の字が、朝鮮半島の渡来人から日本の秋田に持ち込まれて同様の意味を持つ崖地名のハバに充てられ、その多くが「掵」に変化したのではないかと私は考えている。 それを示すために木偏と手偏の関係を調べてみる。 実は、木偏と手偏は古くから混用されてきた歴史がある。 実際、掲載した古文書の掵を見ても、偏は扌(てへん)にも、木(きへん)にも読み取れる。 『西方指南抄』、『三帖和讃』における親鸞聖人の漢字字体の特徴について(鎌倉時代語研究第17巻 藤田夏紀著)によると、書写体においては木偏の字が手偏に書かれることはよくあることしている。また『干禄字書』には、正字が木偏、異体字が手偏の漢字(枉、横、様)が3組記され、その逆の正字が手偏、異体字が木偏の漢字が(札、杞、栓、枉、桓、棒、棧、櫛、構、檢、櫓、椳、楓、樻、梯、横、極、様など)24組記されているとある。 さらに、木偏に関してみれば、『打聞集』では71%、『法華百座聞書抄』では26%、『三宝絵詞』で43%に、『宝物集』では84%の字が手偏で書かれているのに対し、『三帖和讃』は手偏で書かれるものは一例もなく、すべて木偏で統一されているとしている。 一方、手偏に関しては、「權、極、樣、構、模」は全用例が手偏で統一されている資料が多いが、『三帖和讃』、『西方指南抄』はこれに反し木偏で書かれる用例が多いとしている。 さがみ【相模/相摸】やもほう【模倣/摸倣】のように木偏、手偏双方が使われている例もある。 このように考えると、椧が掵に、つまり木偏が手偏に変化したのは自然の成り行きと考えることができる。崩し字では「オ」の形状が木偏とも手偏とも紛らわしいからである。 写真は成瀬川橋(横手市増田町)から望む景色である。この周辺には「掵」や「羽場」の付く地名がたくさんある。【追記 2017/03/12】 難語地名辞典(東京出版)に「掵」の例として、『「掵上(はばうえ) 秋田県湯沢市二井田」。「掵田(ばばだ) 秋田県大曲市(現大仙市)四ツ屋」』とあるが、「掵田(ばばだ)」は「椧田(ばばだ)」が正しいので、これは誤記である。
2017/02/12
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美郷町を流れる善知鳥川 カレンダー入りの壁紙をDLする洞穴の鵜戸神宮 カレンダー入りの壁紙をDLする秋田県では山間部周辺に多い 「善知鳥(うとう)」という鳥の名が付いた地がある。 マピオンで検索すると、近くに3か所ある。 秋田県横手市大森町八沢木善知鳥蓋 秋田県仙北郡美郷町金沢東根善知鳥坂 秋田県仙北郡美郷町千屋善知鳥 美郷町の「善知鳥」は広域農道"みずほの里ロード"を挟んだ地にあり、近くに善知鳥川(写真1枚目)が流れている。 「善知鳥」の地は、秋田県内に他にも多数あり、福島県と青森県にも一か所ずつある。 地名の語源(角川小事典13)にその由来が載っている。 「ウトウの語源」 ・低くて小さい谷、袋状の谷、せまい峠道 宇登、宇土、宇戸、宇都、善知鳥、打当内など。 ・連邦、鈍頂の山や丘 善知鳥、善知鳥山、鳥兎山など。 ・洞穴 鵜戸、鵜戸崎。 これをみると、どうやら、秋田県内の善知鳥は低くて小さい谷や袋状の谷の地に当たるようである。青森市は往古・善知鳥村だった しかし、ウトウ(善知鳥)は海鳥だ。 ハトより少し大きく、北海道の天売島が大繁殖地として知られている。 海鳥の善知鳥がなぜ内陸部の地名になったのか疑問だが、ウトウの呼び名が先にあって、それに無理矢理「善知鳥」を当てはめたというしかないだろう。 それでも、まだ疑問が残る。 善知鳥と書いて、どうしてもウトウとは読めないからだ。 私と同じ疑問を抱いた人たちがいた。井手敏博の日々逍遥-ウトウの頭の考証学や、ウトウ - 古代史に登場する鳥に詳しい考証が記されている。 時間のある方は一読してほしい。 青森市に善知鳥神社があって、そこは青森市発祥の地であるという。 善知鳥神社は、青森市が昔、善知鳥村と言われた頃、善知鳥中納言安方が鎮護の神々を祀ったことに由来するとある。 善知鳥が、青森の古名だったというのには驚いた。「ウトウ」に通ずる鵜戸神宮、大戸川 ウトウの語源として洞穴(どうけつ)を意味する地に「鵜戸」があり、宮崎県日南市の鵜戸神宮(うどじんぐう)(写真2枚目)が有名だ。 鵜戸神宮は文字通り洞穴に建立された神社だ。 創建は、古事記に出てくる第10代崇神天皇の代と伝えられるほど古い神社である。 余談だが、鵜戸神宮の参道から、亀石と呼ばれる岩の枡形に運玉を投げて入れば願いが叶うといわれていて、私も試したが、見事外れた。 菅江真澄・雪の出羽路に『鵜渡(ウド)川 大戸川と誤り唱える。此の川もと空(ウト)川ならむ。』とある。 秋田自動車道の東側を並行するように流れる大戸川も、その古名は、ウトウ(善知鳥)に通じていたのだ。
2017/02/21
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新潟県十日町市の美人林は美しいブナの森八郎潟町の「一日市(ひといち)」は盆踊りの町 「四日市」、「七日町」、「十日町」など、かつて定期的に市が開かれていたことから興った地名は非常に多い。 旧暦のひと月のうち、市日に刻まれた地名は果たしていくらあるか探してみた。 1日から11日まではまんべんなくあるが、それを越すと見つからない日も出てくる。 とりあえず、見つけた範囲で紹介する。 青森県八戸市櫛引一日市(ひといち) 秋田県南秋田郡八郎潟町一日市(ひといち) 山形県天童市一日町(ひといちまち) 富山県南砺市一日市(していち) 青森県八戸市朔日町(ついたちまち) 愛媛県西条市朔日市(ついたち) 秋田県横手市十文字町植田一ト市(ひといち) 「一日市」は「ひといち」が一般的だが、「市」を省略して「一日(ひといち)」や、「日」を省略して「一ト市(ひといち)」もある。 富山県南砺市の「一日市」は、なまって「していち」だ。 「朔日市(ついたち)」は、「市」の読みを省いている。 秋田県八郎潟町の「一日市(ひといち)」は、500年以上も続く一日市の盆踊で知られる。 岩手県陸前高田市気仙町二日市(ふつかいち) 岩手県紫波郡紫波町二日町(ふつかまち) 京都府舞鶴市三日市(みっかいち) 青森県八戸市三日町(みっかまち) 山梨県甲州市塩山三日市場(みっかいちば) 三重県四日市市 秋田県横手市四日町(よっかまち) 秋田県湯沢市相川四日市(よっかいち) 新潟県三条市四日町(よっかまち) 三重県の「四日市」は、高度経済成長期に四日市ぜんそくの公害問題が発生した。 山形県新庄市五日町(いつかまち) 秋田県大館市比内町中野上五日市(いつかいち) 秋田県雄勝郡羽後町六日市(むいかいち) 秋田県横手市平鹿町浅舞六日町後(むいかまちうしろ) 新潟県長岡市六日市町(むいかいちまち)増田の「七日町」は蔵の街並み 秋田県横手市増田町増田七日町(なのかまち) 秋田県横手市睦成七日市(なのかいち) 山形県山形市七日町 京都府舞鶴市七日市(なぬかいち) 岡山県井原市七日市町(なぬかいちちょう) 「七日」は、辞書によると「なぬか」が本来なのだが、現在では言いやすい「なのか」の方が市民権を得ている。 秋田県横手市増田町の「七日町(なのかまち)」は、商人が築いた町並みや内蔵が今も残されていて、「蔵の町」として知られるようになった。(参考・増田町観光協会) 毎月2・5・9のつく日に、朝市通りで朝市が開かれる。 増田の朝市は300年以上の歴史があるが、七日町なので、かつては7の付く日に市があったのかも知れない。 秋田県横手市十文字町植田八日市(ようかいち) 千葉県香取市八日市場(ようかいちば) 秋田県大仙市長野九日町(ここのかまち) 愛知県一宮市丹陽町九日市場(ここのかいちば) 熊本県人吉市九日町(ここのかまち)歴史ある増田の朝市豪雪の町・新潟県十日町市 新潟県十日町市 秋田県横手市大森町十日町(とおかまち) 新潟県十日町市十日町(とおかまちしとおかまち) 広島県三次市十日市町(とおかいちまち) 山形県山形市十日町(とうかまち) 日本有数の豪雪地帯の新潟県十日町市は、棚田やブナ林で知られる。(写真1枚目) 青森県八戸市十一日町(じゅういちにちまち) 大分県日田市十二町(おおいたけんひたしじゅうにちょう) 富山県氷見市十二町(とやまけんひみしじゅうにちょう) ここに掲げた「十二町」の由来が、市日と関係しているかどうかは、確認できていない。 青森県八戸市十三日町(じゅうさんにちまち) 広島県尾道市十四日町(とよひちょう) 青森県八戸市十六日町(じゅうろくにちまち) 青森県八戸市十八日町(じゅうはちにちまち) 「十四日(とよひ)」は、読みやすさからの転化か。 「十五日」、「十七日」、「十九日」が見当たらない。 広島県廿日市市 青森県八戸市廿三日町(にじゅうさんにちまち) 青森県八戸市廿六日町(にじゅうろくにちまち) 岩手県久慈市二十八日町(にじゅうはちにちまち)「廿九日(ひづめ)」と「日詰(ひづめ)」 石川県鹿島郡中能登町廿九日(ひづめ) 角川日本地名大辞典によると、『廿九日(ひづめ) 晦日とも書く。地名の由来は樋詰の転化と見る説と、古代の越蘇郷院内住人の馬場の蹄跡多きによる説とがあるが不詳。』などとある。 旧暦では大の月で30日、小の月で29日が月末となり、それぞれ日が詰まった日である。 「日詰」の他、「比詰」、「樋詰」、「樋爪」、「飛詰」など様々あり、いずれも「ひづめ」と読む。 秋田県男鹿市船川港比詰(ひづめ) 秋田県大館市比内町独鈷日詰(ひづめ) 岩手県紫波郡紫波町日詰(ひづめ) 富山県氷見市日詰(ひづめ) 富山県高岡市樋詰(ひづめ) 京都府向日市上植野町樋爪(ひづめ) 兵庫県川辺郡猪名川町広根飛詰(ひづめ) 石川県金沢市に「蚊爪町(かがつめまち)」があり、石川県の地名集にその由来がある。 『蚊爪(かがつめ) 「かがつめ」とは「日々詰」で、「日詰」と同じく、月末に市がたつことを意味する。』 また「樋詰(ひづめ)」は、月末の29日を「ひづめ」と呼び、定期市などを開くのが語源との説がある。(参考・名字由来net)「四十日(しとか)」と「四十物(あいもの)」 新潟県南魚沼市に「四十日(しとか)」があり、その由来は、昔、毎月4と10の日に市が開かれたことにちなむ、という。(参考・角川日本地名大辞典) 新潟県佐渡市相川に「四十物町(あいものまち)」がある。慶長年間に四十物(あいもの)商人が集まって住んだことに由来する。(参考・角川日本地名大辞典) 四十物(あいもの)とは魚の塩漬けのことで、鮮魚と干物とのあいだのものなので、「あいもの」と呼称するようになった。それが四十種に及ぶことから「四十物」という表記になったと言われる。(参考・ニコニコ大百科-四十物)
2017/03/07
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鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)・「鶴巻(つるまき)」、「鶴田(つるた)」地名 「鶴巻田(つるまきだ)」や「鶴巻(つるまき)」、「鶴田(つるた)」など、「鶴」の付く地名を全国津々浦々に見ることができる。 秋田県横手市大雄鶴巻田(つるまきだ) 秋田県横手市黒川鶴巻田(つるまきた) 山形県尾花沢市鶴巻田(つるまきた) 宮城県白石市越河五賀鶴巻田(つるまきだ) 福島県伊達郡国見町内谷鶴巻田(つるまきだ) 青森県三戸郡五戸町浅水鶴巻田(つるまきた) 秋田県横手市睦成鶴巻(つるまき) 秋田県秋田市河辺神内鶴巻(つるまき) 福島県伊達市鶴巻(つるまき) 山形県鶴岡市藤島鶴巻(つるまき) 東京都新宿区早稲田鶴巻町(つるまきちょう) 長野県小諸市鶴巻(つるまき) 秋田県横手市静町鶴田(つるた) 青森県北津軽郡鶴田町(つるたまち) 宮城県大崎市松山千石鶴田(つるた) 福島県伊達市鶴田(つるた) 栃木県宇都宮市鶴田町(つるたまち) 兵庫県伊丹市岩屋鶴田(つるた) 熊本県人吉市鶴田町(つるだまち) 鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田(つるだ) 山形県天童市田鶴町(たづるちょう) 岡山県岡山市北区建部町鶴田(たづた) 岐阜県海津市南濃町田鶴(たづる)・「鶴」と「水流」に見る類似性 とちぎん付近の地名の由来サイトで栃木県宇都宮市の「鶴田(つるた)」を見ると、この開拓地には鶴がよく飛来し、鶴が舞う年は豊作だったということから、「鶴」と開拓の「田」をとって「鶴田」と呼ぶようになった、という。 また、地形から来た説もあり、鶴の首や植物の弦(つる)のように、細長く曲がった地形だったことが由来になっている、ともある。 東京都の早稲田鶴巻町は、元禄年間、小石川村の田で鶴の放し飼いをしていて、それが早稲田村にも飛来したため、その地に鶴番人を置いたことが由来と伝わっている。 しかし、「鶴」は本来「水流」であるとし、かつて当地を流れていた蟹川と結び付ける説もある、という。(参考・wikipedia-早稲田鶴巻町) "すむいえ情報館"の早稲田鶴巻町の由来サイトでは、次のようの「水流」節を強調している。 『鶴巻は早稲田村の小名で、いわれは小日向村に放し飼いにされていた鶴が飛来するので鶴番を置いたことによる(新編武蔵風土記)というが、それでは「鶴舞」か「舞鶴」になったろう。蟹川の流域なので湧水(水流巻き)が由来だろう。 「水流」は「つる」と読み、湧水が渦巻いている状態をいう。「早稲田茗荷」が採れるほどの清流があった。早稲田鶴巻も各地の「鶴巻・弦巻」の由来と同じで、こんこんと沸き出ずる湧水があったことによると思われる。』 さらに、江戸川小の歴史散歩サイトでは、早稲田鶴巻町の由来説を次のように展開している。 『鶴巻町は高田八幡下を北流する蟹川(金川)と牛込柳町を北流するカニ沢(加二川)の間にあり、この川の間に東西の柵を作ると牛を囲う牧場ができる。「巻」は「牧」である。 鶴巻は古くは弦巻といい、世田谷などの弦巻と同じで、源義家が奥州遠征の時、川で弓の弦を清めたという伝説があるが、史実よりも後生に作られた伝説と思われる。 「ツル」は朝鮮語の荒れ地や原野、あるいは水路のある低地という意味があり、「ツルマキ」とは、水路のある原野の牧場ということになる。』 「巻」は水流が渦巻く説と、牧場の「牧」という説があるようだ。 さて、「水流」と書いて「みずながれ」の他、「つる」と読む地名があることに注目しなければならない。 宮崎県宮崎市大塚町水流(つる) 宮崎県えびの市水流(つる) 宮崎県都城市上水流町(みづるちょう) 宮崎県西都市水流崎町(つるさきちょう) 鹿児島県出水市高尾野町上水流(みずる) 青森県上北郡東北町水流(みずながれ) 山形県飽海郡遊佐町野沢清水流(みずながれ) 岩手県一関市千厩町磐清水流川(みずながれかわ) 鹿児島県薩摩郡さつま町にある「鶴田(つるだ)」について、鶴地名市町村集サイトで「鶴」と「水流」の関係から、地名のおこりを知ることができる。 『大昔の鶴田は湿地が多く、多くの川がくねくねと巡っていた。水の流れに従って川ができるため、湿地帯が多かった。そのような地形を「水流(つる)」と呼んだことから、「水流田(つるだ)」から「鶴田(つるだ)」になった。』ということである。 早稲田鶴巻と同じように湧き水が「出流(いずる)」から「水流(つる)」に、そして「鶴(つる)」に変化したといえよう。 「出流(いずる)」も地名に見られる。 栃木県佐野市出流原町(いずるはらちょう) 岩手県二戸郡一戸町出ル町(いずるまち)・各種の「つるまき」地名 「つるまき」には次のような変化地名もある。 福島県大沼郡会津美里町八木沢鶴ケ巻(つるがまき) 福島県田村郡三春町鶴蒔田(つるまきた) 東京都多摩市鶴牧(つるまき) 東京都世田谷区弦巻(つるまき) 佐賀県唐津市肥前町鶴牧(つるまき)・「津留」、「都留」も「ツル地名」 九州地方に多い「津留(つる)」も、これまで示した「鶴」地名と同じ由来とする見方がある。 熊本県玉名市津留(つる) 大分県大分市今津留(いまづる) 佐賀県伊万里市波多津町津留(つる) 福岡県みやま市瀬高町東津留(ひがしつる) 三重県多気郡多気町津留(つる) 地名考サイトによれば、津留(つる)は、『山あいの平地で川や水流のある場所の地名に多く使われる。九重連山の内懐にある湿地「坊がつる」も、やはり中央を鳴子川が流れている。山梨県の「都留(つる)」も「津留」の一種かも知れない。「水流」と書いて「つる」と読ませることもある。「山の名前で読み解く日本史」(谷有二著 青春出版社)によると、韓国・朝鮮語では平野を「トゥル」と呼ぶ。なお、同書は、山梨県の都留に昔、百済人が大勢住んだとの伝承に触れている。』などとある。 一方、山梨県都留市(つるし)について、wikipedia-都留市には、『「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」、「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。』とある。 「ツル」の朝鮮語由来については、先に記したものとは若干ニュアンスに相違がある。・「鶴岡」、「鶴見」の歴史をたどる 神奈川県の海岸部一帯には「鶴」の付く地名が多い。代表的なのは鶴見(横浜市鶴見区)で、他に鶴が丘(横須賀市)、鶴が台(茅ヶ崎市)、鶴巻(藤沢市・秦野市)などがある。 建物で著名なものは、鎌倉の鶴岡八幡宮であろうか。(冒頭の写真) 鎌倉八幡宮とも呼ばれ、親しまれている。 神奈川県民も知らない地名の謎(日本地名の会)に「鶴岡」の起源が紹介されている。 『若宮大路を抜けると、鎌倉観光のメインともいえる鶴岡八幡宮にたどり着く。 鶴岡八幡宮のはじまりは、鎌倉幕府を開いた源頼朝が治承4年(1180年)に現在の地に八幡宮を据えたことに起源を持つが、実はその前から鎌倉には「八幡宮」はあった。 神奈川県の海沿いには「鶴」の字を付けられたものは少なくない。(中略) 鳥の鶴との相関関係は定かでないが、地名学で考えると、「ツル」は「水流(つる)」につながるとも考えられる。 つまり、水の流れる場所が「ツル」といわれることが多く、時代を経るにつれて「鶴」の字が当てられることによって、現在見られるような地名になった。』 神奈川県横浜市鶴見区の「鶴見(つるみ)」の由来については二つの説があるという。 鎌倉時代に源頼朝がここで鶴を放ったのが由来という説と、「ツル」は、水路や河川の周辺地をいい、「ミ」は、周りや巡りという意味を持つので、「鶴見」という名前がついたという説である。 (参考・神奈川県横浜市鶴見区「鶴見区」の由来) 山形県鶴岡市の「鶴岡(つるおか)」は、鶴ヶ岡城をその地名の由来としている。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、上杉氏に代わって山形城を本城とする最上義光が庄内地方を支配することとなった。これにより義光は24万石から57万石を領有する大大名となった。 義光は庄内地方の拠点として大宝寺城などの拡張整備に努め、酒田浜に大亀が上がったことを祝して東禅寺城を亀ヶ崎城と改称した。 この時に「鶴亀」の縁起を担いで、亀ヶ崎城に対し大宝寺城も鶴ヶ岡城と改称した。 最上氏がお家騒動で改易された後、庄内地方には信濃国松代城より酒井忠勝が入った。忠勝は鶴ヶ岡城を本城と定めて近世城郭へと大改修し、亀ヶ崎城を支城とした。 以来、鶴岡は庄内地方統治の中心となった。・数々ある「鶴」の温泉地 「鶴」の字の付く温泉地も数多く存在するが、真実性はともかく、多くは鶴が傷を癒すため温泉を利用したことが由来となっている。 鶴名温泉集サイトから幾つかを由来とともに紹介する。 鶴居温泉(北海道阿寒郡鶴居村)・タンチョウが生息する酪農地帯として知られる鶴居村にある。 鶴の湯温泉(北海道勇払郡安平町)・病んだ鶴が沢地に舞い降りて行き、冷泉に湯浴みして病気を治し飛び去っていくのを見たことにヒントを得て、ケガをした人や家畜をこの泉に浴させたら効能があったので、ツルの温泉と名付けられ、それが「鶴の湯温泉」となった。 鶴の湯温泉(秋田県仙北市)・地元の猟師勘助が、傷ついた鶴が湯で傷を癒すのを見つけたことが、そのまま鶴の湯の名に残った。乳頭温泉郷の中で最も古い歴史を持ち、秋田藩主の湯治場だった由緒ある温泉。 呼鶴温泉(山口県周南市大字安田)・八代の鶴にちなんで、縁起もので呼鶴という名前をつけたようである。 蘇鶴温泉(高知県吾川郡いの町)・昔、平城天皇の第三皇子高岡親王が大内に滞在の時、一羽の矢傷を負った白鶴が飛んできて温泉に浸ったが、数日で傷が治って飛び去っていったので、親王が薬泉であることを知り、名付けた。 鶴木山温泉(熊本県葦北郡芦北町鶴木山)・地域の地名から名付けられたと思われる。 湯の鶴温泉(熊本県水俣市)・平家の落人が、傷ついた鶴が湯あみするのを見て湯の存在を知り、「湯の鶴温泉」と名付けられた。 秘湯で知られる鶴の湯温泉(秋田県仙北市)は、若い女性にも人気が高い・鶴の民話の里 鶴は民話にも数々登場する。(参考・鶴の民話) 山形県南陽市の織機(おりはた)川のそばに、古くから民話「鶴の恩返し」を開山縁起として伝承している鶴布山珍蔵寺がある。 地域に伝わる多くの民話を伝承するために、「夕鶴の里」資料館が建てられている。 鶴に関する地名はまだまだ数え切れないほど存在するが、他は割愛させていただく。
2017/03/16
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東北鈴木姓発祥の地といわれる鈴木家(秋田県羽後町)・名字から誕生した「鈴木」地名 日本の名字の9割は地名に由来するというが、その逆で名字から地名が生まれた「鈴木」がある。 名字では、鈴木は佐藤に次いで全国第2位の数を誇るという。しかし、地名となると非常に少ない。 まぴおん-「鈴木」で検索したら、12件が見つかった。 秋田県潟上市昭和豊川船橋鈴木(すずき) 宮城県栗原市一迫狐崎鈴木(すずき) 宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢鈴木堀(すずきぼり) 宮城県栗原市一迫狐崎鈴木前(すずきまえ) 福島県二本松市上長折鈴木内(すずきうち) 福島県会津若松市町北町大字上荒久田鈴木(すずき) 愛知県豊田市白倉町鈴木(すずき) 愛知県知多郡南知多町山海鈴木(すずき) 愛知県豊田市坂上町鈴木ケ根(すずきがね) 茨城県稲敷郡阿見町鈴木(すずき) 東京都小平市鈴木町(すずきちょう) 神奈川県川崎市川崎区鈴木町(すずきちょう)・「鈴木町」の由来 神奈川県川崎市の「鈴木町(すずきちょう)」は、味の素の創業者である鈴木三郎助に由来する地名である。 明治40年に発見されたグルタミン酸をもとに、鈴木三郎助が事業化した。そして大正3年に川崎工場を設立、以後発展を遂げて現在の味の素グループとなった。 鈴木町一帯は味の素の川崎工場を主体とし、その関連施設が多い。 京急大師線の鈴木駅は、昭和19年まで味の素前駅という名称だった。 (参考・鈴木町という町 | 日本実業出版社) 神奈川県川崎市にもう一つ「鈴木新田(すずきしんでん)」があった。 天明年間に羽田猟師町の名主だった鈴木弥五右衛門が開発した新田だったため、そう呼ばれた。現在の川崎区殿町三丁目にあたる地である。 (参考・wikipedia-鈴木新田 (川崎市) 東京都小平市にある「鈴木町」も昭和37年までは「鈴木新田」と呼ばれていた。この「鈴木町」は、江戸時代初期にこの付近を開拓した名主の鈴木利左衛門に由来している。 また、茨城県阿見町の「鈴木」は、明治12年に山形県の士族・鈴木安武が開拓したことに由来する。 (参考・日本人なら知っておきたい名字のいわれ・成り立ち[大野敏明著])・「鈴木」と「穂積(ほづみ)」の密接な関わり 名字としての「鈴木」は何に由来するだろうか。 これについて[特集] 発祥の地、和歌山サイトには次のようにある。 『「鈴木」は熊野地方において神官を受け継ぐ家系であり、神武東征の折、天皇より賜った「穂積(ほづみ)」家の後裔だと伝わる。 穂積とは稲の穂を積む「稲むら」のことを示し、その中心に立てる一本の棒を熊野では「聖木(すすき)」と呼び、転じて「鈴木」となったといわれている。』 これによれば、「鈴木」は、もともと「穂積」だったということになる。 そこで、「鈴木」同様、地名としての「穂積」をまぴおん-「穂積」で検索したら、多くの地名が見つかった。次はその一部である。 山形県山形市穂積(ほづみ) 山形県酒田市穂積(ほづみ) 大阪府豊中市穂積(ほづみ) 兵庫県加東市穂積(ほづみ) 岐阜県瑞穂市穂積(ほづみ) 愛知県豊田市穂積町(ほづみちょう) 山口県山口市穂積町(ほづみちょう) 福島県いわき市平北白土穂積(ほづみ) 青森県つがる市稲垣町穂積(ほづみ) 栃木県さくら市穂積(ほづみ)・「穂積(ほづみ)」地名の由来 岐阜県瑞穂市穂積(ほづみ)は、古代、穂積の姓を名乗る人々がこの地に移り住んだことから地名になった。 穂積氏は大和国山辺郡の穂積を本拠地とした氏族で、大和朝廷の身分の高い役人であった。 古代から中世にかけては本巣郡穂積郷、江戸時代には穂積村、昭和23年には穂積町となり、 昭和29年の合併でさらに大きな穂積町となった。 平成15年(2003年)に巣南町と合併して瑞穂市になり、現在に至っている。 (参考・市町村・地名の由来【岐阜市周辺】 - 岐阜県雑学) 大阪府豊中市穂積(ほづみ)については、豊中市史に『穂積の地名が穂積臣とその部民たる穂積部の居住に発端していることを明らかにしている。』とある。(参考・旧穂積村を歩く - 十三のいま昔を歩こう)・「鈴木」は古事記にも登場する名字 名字としての「鈴木」は古事記や日本書紀などにも登場するほどで、来歴は非常に古い。 熊野三千六百峰の大山塊から発した熊野大権現の社家・鈴木氏はのちに紀州の藤白の地に移り、日本諸国に散在する「鈴木」の総本家となった。 熊野信仰は平安時代から広まり「蟻の熊野詣」と称されるほどの賑わいを見せた。 熊野鈴木氏は、源平時代以降、三河において著しく発展する。そのきっかけは、源義経が奥州に落ち延びるとき、鈴木党の惣領であった三郎重家が、義経の身を案じて、はるばる熊野から平泉まで駆けつけて殉じたことによる。 その供をした重家の叔父・七郎重善は途中の三河で足を患い、賀茂郡高橋庄にとどまった。これが三河鈴木党の始まりで、後の徳川氏との縁から、鈴木諸家は幕府の旗本や御家人として大挙、江戸に移住した。 江戸の地に広まった鈴木氏は、上総・下総・陸前から出羽へも広がっていった。 一方、熊野に残った鈴木宗家は次郎重治が継ぎ、代々熊野に居住した。 戦国時代に雑賀鉄砲衆をひきいて紀州に勢力をもった、雑賀孫市も鈴木氏の一族である。 (参考・姓氏と家紋_鈴木氏)・東北鈴木姓発祥の地 ところで、秋田県雄勝郡羽後町飯沢に古くから居を構える鈴木家がある。 鈴木家住宅は、江戸時代中期に建てられたの農家住宅で、歴史的建造物として国の重要文化財に指定されている。 同家に由来書によれば、鈴木家は源義経の重臣・鈴木三郎重家が文治5年(1189年)に奥州平泉から落ちのびて土着し、帰農したことにはじまるという。 前記には、鈴木三郎重家は平泉で殉じたとあり、由来書とは食い違いがあるが、真相はどうだろうか。 東北地方に「鈴木」が広まったのは、先祖「鈴木三郎重家」が来たためといわれ、同家は「東北鈴木姓発祥の地」とされている。 (参考・国指定重要文化財 鈴木家住宅) これが縁で、平成10年(1998年)5月、「第1回 全国鈴木サミット」が秋田県羽後町の鈴木家で開催された。 2016年7月14日放送「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京)の「“古民家”愛してやまない17歳女子ご招待」が鈴木家で収録された。 YouTubeの世界!ニッポン行きたい人応援団 7月14日で視聴できる。・名字の「穂積(ほづみ)」 一方、名字としての「穂積(ほづみ)」は、「鈴木」ほど多くはない。 福島県、それも白河市周辺に特に多くみられる名字である。 穂積から派生した名字には、「熊野」「土居」「木原」「梅本」「羽鳥」「八月朔日(ほづみ)」などがある。 (参考・「穂積」の名字の由来) 以前、仕事の関係で名刺交換をしたとき、「八月朔日」という名字の名刺を差し出されてびっくりしたことがある。 その時、「ほづみ」と読むと教えられた。 旧暦8月1日に稲の穂を摘み贈る風習が名字の由来とされる。(参考・wikipedia-八月一日)・鈴木の異形「寿松木(すずき)」 「寿松木」と書いて「すずき」と読む人たちが秋田県横手市にいる。 仁左衛門は田村の鈴木与治右衛門の二男として生まれ、後に独立した。 実家の鈴木と、妻の実家松下から1字ずつ取り、それに寿を付けて「寿松木(すずき)」とした。 慶応3年(1867年)、秋田藩に金150両を献納して永苗字を許されている。(参考・大雄村史)
2017/03/17
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わが家の庭のエビネが見頃になってきました。いろいろありますが、いま綺麗なのは地エビネです。あちこちに植えていますが、これは枝垂れ桜の下を飾っているものです。近くの林際に野生のエビネがたくさん生えていたのですが、そこに重機が入って荒らされ、その場所はもう絶滅してしまいました。危うい所を数株持ち帰って増やしたのがこれです。
2019/05/15
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山あいの棚田が静かに暮れようとしています。ここは、「天空の棚田」と銘打った北秋田市阿仁・戸鳥内(ととりない)。まだ水の張っていない田んぼもあり、田植は平地より遅いようです。何も音がない静かな場所と思いきや、カエルの声がかしましい棚田なのでした。
2019/05/24
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女と男の難読漢字_なぶり殺すに通じて怖い気もする「嬲沢(なぶりざわ)」は、秋田県横手市大屋寺内にある。 国道13号線と愛称「雄平フルーツライン」の雄平東部広域農道とに大屋沼と隣り合って挟まれた地である。 「嬲」は「なぶる」と読む。"なぶる"はもてあそぶの意だから、1人の女を2人の男が一緒にもてあそぶ姿を想像してしまう。 なんで「嬲沢(なぶりざわ)」なのか、気になって仕方がない。 「嫐」という字もあり、これは「たわむれる」と読む。こちらは2人の女が1人の男を間にして"いちゃいちゃ"している様子に思える。 もっとも、「なぶる」とも読むので、嬲と同様、もっと突っ込んだ関係も表わしている。 「嬲」を大字典(講談社)で引くと『たわぶる、なぶる。相戯れてみだるること。男女合わせてその義を示す。嫐と書くも同じ。』とあり、同様に「嫐」は『たわむる、なぶる。男女がなれ戯るること。又嬲に書くも同じ。』とある。 井原西鶴作の浮世草子「男色大鑑(なんしょくおほかがみ)」巻三に「嬲(なぶ)りころする袖の雪」がある。 そのあらすじは『伊賀の国守の小姓山脇笹之介は、すこぶる機転のきく美少年だったが、追鳥狩(おいとりがり)の折に、伴葉右衛門が庭籠鳥(にわこどり)を下男に放させて笹之介に獲らせようとしたことを縁に、男色関係を結んだ。西念寺の返り咲きの花見の時、葉右衛門が別の美少年の盃を受けたことを知って嫉妬した笹之介は、次に葉右衛門が訪れて来た時、厳冬の庭に立たせて入れなかったばかりか、雪の降る中で裸になるのを命じたりしてなぶり続けたので、葉右衛門は衰弱して死んでしまい、それを見た笹之介も切腹した。実は、寝間には床に二つ枕、酒盛りの準備までしてあったのだが・・・・・・。』とある。 いわゆる男色関係物語である。 一方、歌舞伎では「嫐」は「うわなり」となる。 wikipedia「嫐」は『うわなり うはなり 【嫐】。歌舞伎十八番の一。1699年初世市川団十郎が初演。一人の男に二人の女が嫉妬(しつと)でからむ所作で、後妻(うわなり)打ちの風習を劇化したもの。』とある。 後妻打ち(うわなりうち)は『日本の中世における夫が後妻と結婚するとき、先妻が予告のうえで後妻の家を襲う風習である。 かつては妻がいる上にさらに迎えた女性(妾など)を「うはなり」といったが、のちに先妻と離婚して新たにむかえた女性を「うはなり」といった。この「うはなり」を先妻が打擲することを古くは「うはなりうち」と云い、「御堂関白記」や「宝物集」などに「うはなりうち」のことが記されている。』とある。 浮世絵検索から広重の「うはなり」を描いたハーバード美術館所蔵の浮世絵を見つけた。 浮世絵を見てよく分かるが、なんとも勇ましい風習があったものである。 嬲と嫐、どちらも常識を超えた乱れた男女関係を示す用例が多いようだ。 「奻」という字もあるが、大字典(講談社)には載っていない。中国語サイト新華字典「女女」では「愚」とある。 男と女の漢字というサイトがあるので、以下はそれを参考にする。 同サイトで「奻」は「いいあらそう」となっている。 では「𤲶」はどうか。「嬲」と同じというから、なぶるの意となろう。 「姦」は、女3人寄ったら姦(かしましい)で、これはよくよく理解できる。 もっとも、姦計、姦通、という語があるように、よこしまな意や不義の意にも使われる。 姦の女を男に変えた字もある。 女3人でかしましいなら、男3人ではむさくるしいという人もいるようだが、国字で「たばかる」の意という。 「娚」は「喃、かたるこえ」とある。 一方、Yahoo!知恵袋:「娚」の漢字はなんと読むのでしょうか?の回答を見ると、娚は訓読みで「めおと」とある。 男と女の漢字サイトには𡣡、𡣠、𡢹の漢字も載っているが、いずれも字義は不詳となっている。 男と女に関する漢字については、まだまだ検証を深める余地がありそうだ。
2017/02/11
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