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2017.10.26
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カテゴリ: 合唱
「合唱」は、音楽のひとつのジャンルであることは言うまでもないこと、また「合唱」をするには一人では無理で人が集まる「団体」が必要となる。これで「合唱団」となる・・・
そして、私が今まで関わったうちの二つの団体、両方とも創立40年程度という長い歴史をもついわゆる「老舗」団体であり団員数も50人を超える大きな団体・・・で、この二つの団体、一方は創立40年を超え、年に数回の演奏会、今年は海外遠征などなど非常に活発な活動を行っている。しかしもう一方は、堅実に年1回の定期演奏会や合唱連盟行事には参加しているものの、平均年齢が70歳近いという高齢化問題に直面している。

なぜこのような差異が生じるのか、細かい要因はいろいろあるとは思うのだが、あくまで私の個人的見解にすぎないが、合唱団として音楽を主体にしているのか、人(団員)を主体にしているのかの違いではないかと思っている。

どういう意味かというと、人を主体の団体、これは高齢化問題を抱える団体の方なのだが、音楽が二の次という意味ではないのだが、なにより団員の総合的な総意のもとでの音楽つくりをしているということ、なので指揮者等の指導体制も団員の総意の上に成り立っている。

一方で音楽主体の団は、主宰でもあり音楽的指導者でもある指揮者の求める音楽を一緒につくるために集まっている団体、団員の総意ではなくあくまで音楽芸術としての「合唱」を求めての活動となる。

となると、人を主体の団体においては、もちろん音楽つくりは指揮者にゆだねられ作り上げていくのだが、最終的にあるのは団員の総意・・・とすると団員にとっては自分たちがあって音楽があるという形になるため、ある意味、楽というか位心地が良いという感じになり、新しい血や改革を望まない、とはメンバーは感じていないかもしれないが、外からみるとそのような雰囲気は出ている。証拠としては新しい血はあまり入らず新陳代謝が進まずに高齢化ということ・・・

一方は、活発で前に向かっていく音楽活動であるので、その音楽に魅せられ参加する新しい血も多く新陳代謝も進む、またその音楽に対して自分がついていけないとなると、自然と居場所はなくなる。ある意味ではクールとも言えるのだが、進化とはそういうものかもしれない。

これは最初にも書いたが、あくまで私の個人的な見解であり、どちらが良い悪いの話では決してない。「団体」というものに参加する個人(歌い手)の自由意志にゆだねられるものだと思っている。





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Last updated  2017.10.26 08:25:46
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