ブログ05

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ビジネスはカネ



 ビジネスが出来る方々は、カネが現実。カネというのは、米国ドルが近い感覚。米国ドル札には、紙切れという軽さが有る。日本国のバブルには、破滅・倒産・自殺・火焔という闇・魔界の裏の現実が見え隠れしていた。

 米国ドル札には、そういう、日本国のバブルの闇・魔が感じられない。薄い。軽い。南米のマフィアに、濃い部分が行っているような気がします。

 そういう軽い、薄い文化文明だから、米国には、ビジネスが有ると思われます。

 何を書いているのかというと、米国には、人間模様が薄いという事です。だから、ビジネス、カネがやれると。しかし、普通は、人間模様が薄くないので、カネ扱いのビジネスは出来ないと、私には、感じられています。

 リバティ・自由と責任は、嘘と私は、今、思いました。しかし、米国民は、リバティ・自由と責任に、洗脳致されていると。軽い、薄い存在に致されていると。これが、白人かな?。

 私は、英語科教諭を、
 平成三年度神奈川県立Hろう学校臨時高等部英語科教諭&
 平成四年度~平成六年度三浦市立四中学校教諭&
 平成七年度~平成十四年度神奈川県立藤沢市立T中学校教諭&
 平成十五年度~平成十八年度日本国立神奈川県立藤沢市立F中学校教諭とやっていたので、語感の担任を致して置きます。

 阿吽の呼吸と。以心伝心と。
 天然の方々は、異なりますが、普通は、会話は、接触。頭の中で、言霊が接触する。セックスする。手を繋ぐというよりも、交接するというくらいの密度。それで、高速コンピューターが、即座に、計算して、その言霊の意味を弾き出し続けるのが会話と。対話は、心のキャッチボールと。詩、短歌、俳句、…のようなイメージ・アストラル言語、さらには、データ・コーザル言語と。その上に、ハート・菩薩、霊的意志・如来も、発信者によっては、乗っている。菩薩が発信者ならば、ハートが、如来が発信者ならば、ハート&霊的意志も乗っている。そういう世界を聴く、聴き続けるのが対話。

 ネゴシエーション・交渉というのも、相手の本音にコンタクトして、妥協点を見出すという事と。これも、言語能力と。全ては、霊なので、霊能力は、当然、磨かれていく。

 学問の道。学者の道。芸術の道。芸術家の道。国連の道。国連職員の道。真善美の善というのは、私の現実では、国連と。国連は、善と感じる。宗教は、善と感じない。ボランティアも、善と感じない。エゴと感じる。見返りを求めてやっているのは、エゴ・偽善。国連の道、国連職員の道というのも、中毒性が有ると感じます。真実性、真理性が有るから。

 中学校、高校には、教科が有るので、教諭の授業を聴く事には、未来への多大なる価値が有る。何故か?。教諭は、都道府県から2/3(私の時は1/2)、日本国から、1/3(私の時は1/2)の税金のお給料をいただいているからです。あと、市町村税によって、土地・グラウンド&校舎・体育館・プール等は、つくられているからです。備品、消耗品もかな?。そういう現実を未来への投資と致して、獲得する為に、公立中高の教諭の授業を聴く価値が有ると。おそらく、潜在意識に沈み込んでいますが。しかし、それが、人間と致しての自分を奥深くから、支え続けているのかな?。

 あたりまえの事ですが。言語化致されました。私を通して。千葉県を震源とする地震が発生しましたが。

 今日は、現実が何も無かったので、何も出来ませんでした。今、午後九時。やっと、現実が支払いされたので、飯にありつけそうです。


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