気ままな人生(韓国の達人)

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2012.02.25
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空


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イッツ・マイ・ボーナス
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          若宮 清


◆それは1983年の夏のことであった。あれから26年の歳月が去ろうとし
ているが、私には昨日のことのように鮮烈な記憶となって消えそうもな
い。(2009年の記事から)

ベニグノ・アキノ、私の友人。フィリッピンが生んだクリーンで、民主

でも胸が震える。しかし、私が生きている限りニノイのことを語り続け
よう。

◆ニノイと初めて会ったのは1980年、ハーバード大学で国際問題の研究
員をしていたニノイに、取材でインタビューしたのが、きっかけとなっ
た。当時のニノイは亡命の身であった。マルコスの独裁政権から死刑宣
告を受けたとは思えない明るさ、気さくで、気配りの人柄に私はいっぺ
んに惚れ込んだ。

男が男に惚れ込むと言うのは、こういうものか、とあらためて思った。
ニノイのためなら、身体を張って、尽くしてやりたい、そういう民衆的
な魅力を備えた数少ない政治家だった。

◆ニノイに同行して、サウジアラビアを訪れたことがある。サウジアラ

ラを飲みたいと言うので私と2人分を買って持っていったら、1ケース
欲しいと言う。重い荷物を運んでやったら、一缶づつ出稼ぎのフィリッ
ピン人に渡してやっているではないか。

フィリッピンでは上院議員と言えば、雲の上の人である。それが一緒に
コーラを飲んでくれる。


したい」と熱っぽく訴えた。拍手をしたフィリッピンの出稼ぎの人たち
の目が涙で潤んでいた。ニノイはほんとうの愛国者だった。

◆私はニノイの帰国には賛成できなかった。マルコスの独裁政治に壟断
さているフィリッピンに帰ることは、良くても投獄、悪くすれば虐殺・
暗殺の危険が伴う。ニノイもその可能性を認めていた。

◆帰国の前夜、ニノイと最期の話し合いをした。帰国を取りやめるよう
に説得する私にニノイは優しい目をして「帰国は国民との約束だから、
自分の生命の危険が予測されても、中止することは出来ない。中止すれ
ば、政治家として失格だと思う」と静かに語った。

◆それでも私は引き下がらなかった。ニノイのような優れた政治家を失
いたくないと言う思いが、必死になってニノイの翻意を求めた。

私の友情が、ニノイも痛いほど分かっていたのだが、しかし、帰国の固
い意志は変わらなかった。

「オレの勇気を国民に見て貰いたい。流れた血で国民が立ち上がれば、
それはオレにとって”イッツ・マイ・ボーナス”だ」と言った。ニノイ
の壮烈な決意を聞いて、私は言葉を失った

◆8月21日、ニノイや私たちは、中華航空機でマニラ空港に着いた。軍
警察隊の兵士3人が機中に乗り込み、有無言わせずニノイを拘束して、
機外に連れ出した。私たちは足止めさせられた。

私は必死になってニノイを追いかけ、もみくちゃになりながら、出口に
たどりついたら、ニノイがVIPタラップを降りるところだった。

悲劇はそこで起こった。

兵士の1人が拳銃に手をかけ、あっ、と思った瞬間、バアーンという銃
声がしてニノイが崩れるように地面に倒れた。空港のアスファルトがみ
るみるうちにニノイの血で染まった。

◆マルコスの配下によって、周到に準備された暗殺劇だったと思う

その場で暗殺者というふれ込みの男が射殺されたが、茶番劇以外の何も
のでもない。衆人環視の中で行われた恥ずべき暗殺をマルコスは、政府
は関与していないと否定したが、もはや国民の誰一人、これを信じる者
は無かった。

◆ニノイの予言は、それから3年後の大統領選挙で具現した。

ニノイが流した血によって、立ち上がったフィリッピンの国民が、ニノ
イの夫人コラソン・アキノ大統領に押し上げ、さしもの権勢を振るった
マルコスも国外に逃亡、亡命先のハワイで寂しく客死した。

◆ニノイは国民の英雄となった。非業の死を遂げたマニラ空港は、ニノ
イ・アキノ空港と改称され、マニラ市内にはニノイの銅像が2つ建てら
れた。フィリッピンの500ペソ紙幣にはニノイの肖像が刷り込まれてある。
民衆に愛されたニノイは、26年経った今でも国民の英雄である。

◆ニノイの身体は、暗殺者によって倒されたが、その雄々しい心は国民
の中に生き続けている。「イッツ・マイ・ボーナス」と言って、笑って
死地に赴いたニノイの面影は私の胸に永久に刻み込まれた。(古澤襄さ
んの杜父魚=かじか=文庫から再録)

若宮清氏は私の友人で韓国にも元大統領金泳三閣下とも親しく太いパイプをもっている!
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Last updated  2012.02.28 18:11:27
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